黴菌人間について 1


明主様御教え 「黴菌人間」 (昭和27年11月19日発行)

「現代人が最も怖れているのは、病原としての黴菌であろう。

では一体黴菌なるものの発生は、何がためであるかというと、全く人間の健康上必要なものであるばかりか、

それを作るのが人間自身であるから、驚かざるを得ないのである。

左に説くところをよく読めばなるほどと肯くであろう。

そもそもこの世の中にある一切万有は、ことごとく人間に必要であると共に、人間が作るもので、これが自然の法則である。

ただ今日までの学問ではそこまで分らなかったにかかわらず、人間の浅智慧と自惚(うぬぼれ)で理屈を付けて満足していたにすぎないのである。

右の理は独り病気ばかりではなく、農作物の害虫でも、社会の犯罪でもそうであるから、それらの真相を徹底的にかいてみよう。

まず最初黴菌の発生であるが、これは人間が間違った考えによって罪悪を犯す結果、

それが汚穢となって溜り、霊的には曇りとなり、体的には濁血となるので、その浄化の必要から黴菌が発生し、濁血を浄血にするのである。

このように菌は濁りを解消する役目として湧くのであって、濁りにも幾種類もあるから、それに適応する黴菌すなわち掃除夫が生まれるのである。

であるからさきにかいた通り、万有一切は汚物が溜るから浄化作用が発生する、というように自然は遺憾なく解決してくれる。

ゆえに人間が世の中から黴菌を絶滅するとしたら、黴菌の必要のないよう清浄にするより外はない、これが根本である。

ところが情ないかなその理を知らないため、人間は自分の罪を棚へ上げて、黴菌を悪者扱いにし、殺す事にのみ骨を折っているのである。


ところがこの理は肥料にも当はまる。それは近来年毎に害虫が増えてゆく傾向である。

これも薬と同様肥料によって土を汚すから、掃除夫としての害虫が湧くのであるから、この虫もつまり人間が湧かせる訳である。

しかも近年害虫の種類の増えたのも、肥料の種類が増えたからである。

では人間がなぜ肥料を用い始めたかというと、麻薬と同様肥料を用いると最初は大いに増産するから惚れ込んでしまい、肥料を唯一のものとした結果肥料迷信に陥って、

今日のごとく害虫に悩まされながらも気が付かないのである。

右のごとく一時的実績に瞞されて、土は弱り種子は中毒に罹り、害虫は増え放題で収穫は減るのであるから実に愚かなものである。

それがため今日のごとく輸入米によって僅かに飢餓(きが)を免れている現状で、豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国も情なくなったものである。

従って苦し紛れにヤレ農地改良、交換分合、種子の選択、殺虫剤、肥料の入手問題など、的外れに苦労している有様は見ておれない程である。

しかも政府は主食増産何力年計画などといって、巨額の費用を支出しているが、声ばかり大きくても結果は相変らずで、旨くいって平年作くらいである。


次に知らるる通り、近年犯罪も非常に殖えたので、当局者も識者も溜息吐くばかりだが、

これも汚物同様の人間が殖えるからで、それを自然は掃除するため、黴菌人間が必要となるが、これはいくらでもいるから、それに掃除をさせるのである。

その方法が人を苦しめ、傷害を与えたりするのであるから、よく自分は真直の道を歩いているのに、こんなにも不幸になるのは分らないとか、これ程病気で苦しめなくてもよさそうなものだなどと、

勝手な泣言を並べているのは、本当の事が分らないからで、神様が御覧になったら苦笑いなさるであろう。

そうして面白い事には、黴菌人間を掃除する方法自体がヤハリ罪を作る事になるから、それの掃除にまた他の黴菌人間が必要となるというように鼬鼠(いたち)ゴッコで、世の中は溝泥(どぶどろ)のようになっているのである。

しかしいよいよ時節が来て、神様はそういう事を根本的にお示しになったのがこの論文であるから、よくよく眼を開けて読まれたい事で、これこそ黴菌人間を減らす第一の方法である。」




明主様御教え 「御神意を覚れ」より (昭和28年12月2日発行)

「(一部のみ引用) あらゆる災も同様であって、すべては浄化作用である。

しかし同じ浄化作用でも原因によっては浄化の形も自ら異うのはもちろんである。

例えば金銭や物質の罪である盗み、使い込み、人に損をかける、分不相応の贅沢をする等々の罪穢はヤハリ金銭や物質で償われる。

世間よく金持の息子などが道楽者で、親の遺した財産を湯水のように使う事なども、親や祖先の罪障消滅をさせられるのである。

それというのは祖霊が自分の血統を絶やさぬよう、益々一家繁栄を望むため、

子孫の中の一人を選んで浄化に当らせるのであるから、

この場合何程意見しても糠に釘である。


例えばここに二人の兄弟があり、兄はドラ息子で手が付けられないが、

弟は律儀真道(まっとう)であるとする。

ちょっと考えると兄の方が悪く、祖先の名を傷つけるように思えるが、

大乗的にみるとその反対である。

なぜなれば祖先の罪穢を消す点からいえば、兄の方が上だからである。

というように人間の考えで善悪は決められるものではない。


また火事で焼け、泥棒に盗られ、詐欺に遭い、

相場や競馬、競輪等で儲けようとして損をしたり、商売の失敗、病気で金を使う等々、

すべて物質の罪は物質で浄化されるのであるから、

たとえ人間の法律は免れ得ても、神の律法は絶対であるから、どうしようもない。

従って人間の眼を誤魔化す罪は眼病、耳に痛いような言葉の罪は耳の痛みや舌の病、

人の頭を痛めるような行為は頭痛、自己の利益のみに腕を奮う罪は腕の痛み
というように、

すべて相応の理によって浄化が行われるのである。」




明主様御講話 「罪の掃除を悪人がする」 (昭和27年9月6日)

「この間ラジオで聞いたのですが、スウェーデンのハルマンという学者が調べたところによると、地球は五十年間に温度が十度増えたというのです。

これはたいへんな話です。この五十年間というものは、今までにない温度の増え方です。

もし昔にそういうことがあると、五百年で百度増えることになるからたいへんな話です。

五十年間に十度増えたということは、いつも言う通り火素が増えて昼の世界になったということの物質的現われです。

無論火素は霊的のものですが、しかし物質的にもそうとう影響はあるのです。

よくお蔭話にあるが、私がこう(御浄霊)やると非常に温かいというのです。

中には汗をかく人もある。

つまり霊ばかりのものであるはずだが、いくぶんか影響があるわけです。

だから五十年間にそのくらい増えたとすると、なにかに影響がなければならない。

そうみてくると大いに影響があるのです。


それはなにかというと、近来農作物の害虫が非常に増えた。

年々増えてくるのです。で、螟虫(めいちゅう)なんか今年は多いようですが、螟虫なんかは以前はなかったのです。

聞いたことがないのです。それで害虫の種類が増えてます。

ヤレなんだかんだと非常に増えている。

螟虫にもいろいろ種類があります。

それは肥料の種類が増えたからです。病気の種類が増えるのは、薬の種類が増えたからというのと同じ意味で、

害虫も肥料が増えたために増えたということになるのです。

では火素が増えるとなぜ害虫が増えるかというのは、あえて熱のためばかりではないのです。

他に立派な理由があるのです。

それを今から話します。


大体虫が湧く・・・黴菌も虫ですが、その湧く理由は浄化作用です。

浄化作用とはどういうわけかというと、汚いものができると、その汚いものをなくする・・・要するにきれいにする作用が起るのです。

神様はそういうように物質を造ってあるのです。要するに自然発生です。

で、虫はなにかというと、例えてみれば作物に・・・肥料といえば毒ですから・・・毒が作物に吸い込まれると、

それを掃除しなければならないから、掃除するために虫が湧いて、その虫が毒を食うのです。

ですから毒だけ食えば良いが、やっぱり植物のいろいろな質・・・言わば植物の肉をついでに食べてしまう。

だから枯れたり弱ったりするわけです。

で、あらゆるものは、不必要なもの・・・要するに害になるようなものがそこに増えると、それを消す作用が起るのです。

つまり汚すから浄めるという作用が自然発生するのです。

そういうふうにできている。

そこで肥料という悪いものを作用が吸うから、吸うとそれを浄める活動、作用・・・そのために虫が湧くのです。

そうすると毒によっていろいろな種類があるから、その毒をちゃんとうまく食って消してしまう虫があるのです。

だからその虫が湧くということは、霊界の浄化力が強くなると、浄める作用が起る。

浄める作用が起るということは、浄める仕事をする虫が早く湧くという理屈になります。

以前は霊界の火素が少なかった。

そこで、夜の世界には、つまり浄める浄化力が弱いからして、それほどの虫を湧かせなくてもすむのです。

そこで肥料とか薬とか、そういうものが一時的に働いたわけです。

ですからこれからますます害虫が湧きますから、そこで虫害というものはますます増えてきます。


それからもう一つは、近来非常に水害が起るのです。

昔はこれほどなかったです。

昔ではない、われわれが若いころです。

今は毎年決まったように起りますが、これも田畑なんかを肥料で穢すから、

それで水で洗うとか水で流すとか、そういう作用が起るわけです。

だからして、とにかく浄化力が強くなるに従って、

いろいろそういった今までにないようなことが起るわけです。


で、この理屈は農作物ばかりでなく、病気に対する黴菌でもそうです。

今年は赤痢とか日本脳炎とか・・・日本脳炎なんか死亡率は去年の十二倍というのですが、

そういうふうに起るということは、今言った理屈で、薬毒に対する薬毒を食う虫が湧きやすいというためです。

だから結核なんかもそういう理屈なのです。

浄化作用が強いために結核菌が非常に良く湧くのです。

で、医学の方では湧かないようにしながら、湧く原料を仕入れているわけです。

ところが今のは虫ですが、人間が同じ理屈です。

人間はなにかというと、人間の害虫というのは悪人です。これが害虫です。


ところが人間が間違ったことをするからしてその人の霊が穢れる。

そうすると人間の霊の穢れを取るために害虫が発生する。

ところが人間の害虫というのは、やっぱり人間なのです。

人間でそういうのが湧くわけです。

そこで悪人が苦しめる・・・社会を悪くしたりいろいろ苦しめるということは、浄化を受けているわけです。

だから悪人が湧くということは、必要があって悪人が湧くのだから、

やはり人間が悪い罪を重ねるからで、罪の掃除を悪人がするのです。

だから悪人に苦しめられるということは、こっちに苦しめられるだけの罪穢があるのです。

それを掃除してくれるのですから、悪人も必要・・・と言っては少し変ですが、まあ合理的なものです。

だから社会悪だとか、ずるい奴や悪い奴がたくさんいるということは、

そういう悪人が必要な世の中を作っているわけです。

また、悪人が浄化作用して、それがまた悪を作るから、それをまた掃除する悪人ができるのです。

ちょうど薬で病気を作り、薬で病気を抑え、それがまた病気の因になるというわけです。

農作物に虫が湧くから防毒薬、殺虫剤をかける。

そうすると一時虫が死ぬ代わりにその毒が染み込んで、それからまた虫が湧く。

そういうような理屈になっているのです。

ただそれに人間が気がつかなかっただけのものです。

それが分かってみると、結局そういう理屈なのです。

そこで悪は悪によって制するということですが、今まではそういう方法よりしかたがなかったのです。

ですから、本当に善人と言いますか・・・悪の嫌いな人は、やはり悪人に対する仕事ということは、なかなかできなくなります。

悪い奴は叩いたり死刑にしなければならない。

それが、こっちによほど慈悲のある人にはできないのです。そういう役目にならない。

そういう役目になる人は、そうとうそういう素質があるのです。

話は違うが、私がいつか警察に入れられた時にそう思いました。

しかしやっぱりそういう人も必要です。

オワイ屋やゴミ屋やいろんな掃除屋が必要なようなもので、やっぱり必要なのです。

なにしろ今までの社会は間違っていたので、そういったいろんな間違いを「毒をもって毒を制する」という、そういう方法もしかたがなかったのです。

それについて「悪の世の中」というのを書いたのです。」




明主様御講話 「黴菌人間が不潔な金をまきあげる」 (昭和27年9月7日)

「ついこの間のラジオで、スウェーデンのハルマンという学者の研究で、

五十年以前の気候と較べると、地球は平均十度高くなっていると言うのです。

これは研究だから間違いないわけです。

そうするとこれはたいへんな問題だと思います。

昔に・・・五十年に十度高くなるとすると、五百年で百度高くなります。

そうすると生きていられないことになる。

そうしてみると以前はそういうことはなくて、

最近の五十年で急に温度が増えたのです。

すなわち私が言う、昼間の世界になってが火素が増えたということが、こういった・・・科学的に立証されたわけです。

で、霊の方の火素が増えたから、体の方は増えそうもないと思うけれども、そうではないのです。

やっぱり体にもいくぶん影響するのです。

私が浄霊すると、熱いと言う人がお蔭話なんかにたくさんあります。

中には汗をかく人もありますが、やはり霊ばかりでなく体も加わるわけです。

ですから火素が増えるということは、これは動かすべからざる証拠があるわけです。


それからもう一つおもしろいのは、今年は日本中の温度が、この夏は非常に違うのです。

一番暑いのは東京です。私は毎日ラジオで温度を聞きますが、今日あたりも東京が暑いのです。

今日でも二十二度です。かえって熊本あたりの方が低いのです。広島が二十度かです。

それから強羅が高いのです。今日あたりでも二十二度くらいです。

日本でも東京と強羅です。あとはずっと低いのです。

強羅の高いのは私が来ているせいです。

やっぱり火素が増えるわけです。

そんなようでよほどおもしろいです。


それからこれもよく新聞やなにかに出てますし、農村の人は良く知ってますが、害虫が非常に増えてきたのです。

害虫は年々増えてます。今年は螟虫(めいちゅう)が増えてますが、螟虫なんていうのは聞いたことがないです。

螟虫というのは近ごろらしいです。どういう字を書くか?

まさか「迷」という字を書くのではないでしょうが・・・。

あれは肥料の新しいのができるために、いつも言う通り肥料で虫が湧くのです。

今年なんかは尿素という、小便・・・尿素肥料が非常に増産しているのです。

で、今硫安が減らす方針です。

これは農林大臣なんか言ってますが、硫安を減らして尿素を増やすということを言われてますが、

尿素というのは、あるいは・・・螟虫というのは尿素から発生するのかもしれません。

そうすると一生懸命にいろんな肥料で害虫の種類を増やしているわけです。

そうすると薬と同じことです。


今のヒドラジドなんていうのは、今度は黴菌が抵抗性黴菌になった・・・抵抗性黴菌というと強い黴菌です。

だから今までの黴菌とは異った黴菌になるわけです。

これも一つ種類を増やしたわけです。

だから薬の種類が増えるだけは、いろんな虫の種類ができるわけです。

では薬や肥料でどうして虫が湧くかというと、これは立派に原因があるのです。

肥料でも薬でも、言わば汚物ですから、汚い物です。

だから汚い物にはどうしても浄化作用が起る。

要するに自然の掃除が起る。自然の掃除が起る場合に、掃除をする人間・・・ではない、虫が自然に湧くのです。

物質の原則・・・法則というものは、汚い物がそこに溜まると、それをきれいにすべく作用が起るのです。

やはり霊界に曇りがあると低気圧が起るようなものです。

そういうように作られてある。

だから汚い物があると、その汚い物を食ってなくするのです。

消すという作用としてその虫が湧くのです。

そこでなぜ汚い所に虫が湧くか、という根本的の意味が分かるのです。

便所に蛆が湧くようなものです。

いったい蛆はなんで湧くかというと、糞は汚い物だからです。

汚いというのは、人間が特に間違った・・・今言う、薬やなにかを飲むとか、

あるいは間違った行いで霊を穢すとかで、よけい汚い物が出るのです。

そこでよけい蛆が湧くという理屈になるのです。

ですからちょうど、薬にしろ肥料にしろ、あれは蛆や虫の原料になるわけです。

そうすると霊界に火素が多くなり、浄化力が強くなるからして、掃除をする虫が早く湧くわけです。

湧きやすくなる。そこで近来になって害虫が湧くという理屈になるのです。

で、その害虫を殺そうとして、防虫剤だとか消毒薬だとか、そういったような薬を撒くと、

それがまた土を汚しますから、それを作物が吸うと作物自体が・・・消毒薬の薬が古くなり殺虫剤が古くなると、ちょうど膿みたいなもので汚物になる。

そうするとそれを食って消す害虫が湧くという順序になりますから、そこで虫が湧きやすくなるということになる。

よくそういうことが分かっていると、いかに今の人間が愚かかということが分かります。

骨折って悪くしている。

今の話は虫だけなのですが、これは人間にも当てはまるのです。


というのは、人間が悪いことをしますが、悪い行いをすると、その人間が穢れますから、霊的に不潔な人間になるわけです。

どうしてもその人間を掃除しなければならない。

そうするとやっぱり黴菌が必要なのです。黴菌なり害虫なりが必要になります。

しかし人間は農作物と異って、害虫という奴が人間なのです。それが悪人です。

悪人がその人を苦しめるわけです。

苦しめて不潔になった人間の不潔分だけを掃除するのです。

だから無論病気が主ですが、病気以外のいろんな災難とか悪い奴が騙して、損をかけるとかいうことはたくさんありますが、

そういうことも、やはりその人の持っている金が不潔な金、間違った金、ずるいことをして溜めた金、という、

そういう不潔な金はどうしても掃除しなければならない。

その代わりに黴菌人間が騙して捲き上げる。

ということは、一つの浄化作用です。

そうしてみると、あいつに酷い目に遭ったとか、悪い奴に騙されたとか、泥棒に盗られたとか、

いろんなことで損したり苦しめられたりすることは、その人自体に不潔物があるからです。

ところがおもしろいのは、害虫人間がまた浄化されることになるのです。

そうするとそれを浄化するのは、やっぱり害虫人間です。

ちょうど薬で病気の苦しみを抑えて、その薬毒がまた苦しみを作るという、そういった経路と良く似ているのです。

そこで悪い奴がますます増える、ますます人間はずるくなる。

そうすると、その不潔物を食う害虫人間がまた増える、

ということになって、つまり今の人間は、そういうような経路が良く出てます。

それは、どこの監獄や刑務所に行っても年中満員です。

それで警官をいくら増やしても足りないのです。

それで世の中が変てこになっているのです。」




明主様御講話 「悪人が曇りを除ってくれている」 (昭和27年10月6日)

(御論文「運命は自由に作られる」)

「今読んだ通り、すべての苦しみは浄化です。

それで霊の曇りが除れるのです。

そこで今までの宗教での難行苦行というのが、その方法なのです。

というのは、ふつう世間で苦しむのは、やむを得ずなるのです。

苦しみの方がぶつかってくるのです。

ところが難行苦行というのは、自分で一生懸命苦しむのです。

それでも魂が磨けるのです。

それでバラモン教の方は、苦しんで悟りが開けるといっているのですが、

苦しんで悟りが開けるということは、曇りがなくなると悟りが開けるのです。

つまり曇りがないから、物事が良く分かるのです。

すると悟りが開けるのです。悟りが開けるということは、物事が分かることです。

つまり真理が分かるわけです。

けれども真理にもいろいろあるのです。やっぱり上中下あります。

だから、みんなが真理と思っているところが、ごく下の真理というのが多いです。

それで前よりも魂が浄まるのです。迷いが少なくなってくる、判断力が出てくる。


しかし、迷いというものは、ぜんぜんなくなるということはないのです。

どんな偉い人でも・・・私でもあります。

ただ迷いがなくなるのが早いのと遅いのとの違いです。

私などは、迷っても半日くらいです。

私は、物事をみるとすぐ結論が分かるのです。

ですから、こうして庭や建築とかいろいろなことをみても、すぐパッと分かるのです。

首をひねるようなことはありません。

もしその時パッと出ないと、考えないでほったらかしておくのです。

それはやはり時があって、なにかの時にパッと分かるのです。

というのは順序があって、神様の方で、早過ぎると知らせないのです。

それで時期が来ると分かるわけです。

ですから迷わないで分かるわけです。


ところが今の人は霊が曇ってますから、どんな偉い人でも始終迷いに迷い、考えに考えているのです。

で、あんまり考えたりするのに、ろくな智慧は出ないのです。

だからやり損なったり、自分で求めて失敗を作っているのです。

特に政治家方面などは・・・よく新聞なんかに出てますが、実にあまりに智慧がなさすぎる。

ということをよく感じますが、それは霊が曇っているからです。

そこで人間は、その曇りをできるだけ除ると、健康になるばかりでなくやっぱり頭が良くなります。

そこで頭を良くするのに、つまり曇りを除るのに難行苦行をしなくても除れるというのは、おそらくメシヤ教だけだろうと思います。

これはつまり天国的宗教、昼間の宗教だから、明るいから早く曇りが除れ、魂が磨けるから智慧証覚が得られるというわけです。


すなわち病気を治す場合に、疑ってもなんでも治るということは、つまり難行苦行ということはいらないというのと、理屈は一つです。

他力です。他動的です。そこにすばらしい値打ちがあるわけです。

そんなわけだから運というものは、霊の曇りと平均するものです。

つまり曇りのあるだけは、どうしても苦しみはぶつかってくるのですから、一切は相応の理といって、すべてなんでも食い違いはないのです。

人間には、食い違いがあるように見えるのは、つまり人間が上っ面だけを見て判断するからです。


仮に一家にどうしても信仰に入らない人があって、その人が反対したりするが、

そうすると反対された人の方は、始終やきもきしてますが、そのやきもきする方に曇りがある。

その人に曇りがなくなって魂が浄まると、他の人が悩み苦しめることはできなくなる。

するとその人は信仰に入ることになる。

あの畜生、人を酷い目に遭わせやがる、あいつのためにとんでもないことになった、あいつはとんでもない損をさせた。

またいくら言っても入らないとか、そういうのはやっぱり御自分を見なければいけない。

それはそれだけの曇りがこっちにあるからなのです。

それによってこっちの曇りを除ってくれるのです。

ですから自分を酷い目に遭わせたり苦しめたりするという人は、自分の曇りを除ってくれているわけです。

浄化作用の仕事をやってくれているわけです。

そこまで来ると、感謝してもよいことになってくるのです。


この間裁判所で、公判がすんだ時に被告の感想を言わせたのですが、

ほかの人は今まで間違った調べをして、検事や検察官はけしからんと、今までの言い足りない不満足を言ってましたが、

私は今まで検察官やなにかのお蔭で、私はたいへん磨かれた、

そのために教団も堅実になった、大いに御苦労であった、それを感謝する。

ということを言ったのです。

で、なにも迎合したり、そんなような意味ではないのです。

今言うように、大乗的に考えればそうなるのですから、大いに感謝してよいのです。

だから、考え方というのはそこの点です。

そういう考え方が信仰の価値なのです。価値ではない、それが芯です。本当なのです。

だからこっちに反対する奴は、私も一時は癪に障ったが、考えてみると、

そのためにかえって結果が良かった、というように言いましたが、それが本当なのです。

ですから、思うようにいかないということは、まだ自分に霊的に資格がないのです。


で、霊が浄まって魂が浄まれば思うようにいくのです。

そういうふうにできているのです。

思うようにいかないということは、それはまだ自分に曇りがあるのです。

その曇りを苦しんで除らないで、愉快に除るというのがメシヤ教の真髄です。

それには人を助けるのです。

そうすると人の感謝によってその人は始終光を受けますから、それでこっちの魂が浄まるのです。

つまり難行苦行の代わりに人を喜ばせ、人を助ける、それによって同じ結果を得られるというわけです。

そこで人を助けるには、やっぱり話や説明やなにかが上手くできなければならないから、

そのために御神書を読む。また御神書によって、いろんな真理を知りますから魂も浄まります。

それとともに人を救う力もそれだけ出ます。そうして人を救い、喜ばせながら、自分も向上するということになるのです。


大本教のお筆先におもしろいことが言ってあります。

艮の金神は神代の時に人から嫌われて押込められたのです。

それで、「今に返報返しを致すぞよ」・・・仇討ちです。

それだけでは神様も人間みたいですが、けれども「艮の金神は喜ばして返報返しを致すぞよ」そういうのがある。

喜ばして返報返しをするというのが非常におもしろいです。

仇討ちといっても、忠臣蔵のように上野介が首を取るというのではないのです。

先方を喜ばすというのですから逆です。

これが本当です。


ですから私は大祭の余興の時に、講談の貞丈(ていじょう)に「忠臣蔵をやってはいかん」と条件をつけたのです。

これは喜ばせて返報返しをするのとは逆です。

私はそういうのは嫌いです。

仇討ちという思想は非常に悪いのです。

これを日本から絶対に除かなければいけないのです。

けれども日本人はそれに非常に憧れるのです。

曾我兄弟とか・・・と。

その仇討ち思想を除らなければ、世界は平和にはならないのです。

個人としても争いが絶えないわけです。


中国の言葉に「怨に報ゆるに徳を以てする」というのは非常に良いです。

それから蒋介石が終戦後日本に非常に好意をもっているのです。

日本に対しても良くしなければいけないというので、

蒋介石は今もって日本から代償を取ろうとは思っていないのです。

そのために今も台湾だけでも地位を保っていられるというわけでしょう。

そんなような具合で、ただ信者は浄化作用というと、病気だけに限るように思うきらいがありますから、それで話したのです。

あらゆる苦しみというのは、全部自分にあるということを知れば良いのです。」