一切の苦しみは浄化作用 3


明主様御垂示 「罪穢があれば苦しい道を行く」 (昭和24年6月23日)

信者の質問
「道徳はある程度時代と社会状勢に応ずるものと存じますが、過去の戦時中に国家に尽した政治家、将兵、戦時産業家等は、それが最善の道であると信じ、

また個人の意志に係らずそうせざるを得なかったという事も、神様から御覧になった場合、やはり罪になるものでしょうか。

また他面、日本を敗戦に導き、その結果日本を本来の姿に帰した事は却って功徳とも考えられますが、この功罪はいずれをとるべきでしょうか。

将来起るべき世界大戦及びそれに伴う内乱の危惧は個人の意志に係りなく、社会状勢も左右いずれかに決定される事と存じますし、

世界が、国家が大試練、大浄化を受ける時、ただ要領のみで安易な道を行く事は許されないと存じますが、

この場合、左右いずれかに属さねばならぬ時、いかなる態度をとるべきでしょうか。

あるいはまた宗教人として内村鑑三氏等が取ったような反戦運動等を起こす事は正しいのでしょうか。右御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「小乗的、大乗的と両方の考え方がある。

戦時中一生懸命やった人は小乗の見方であった。

敗戦で救われたというのは大乗の見方である。

敗戦の時、本当は祝うべきだと言った事がある。これは大乗的見方である。

その時代の政治家の考え方は、日本さえよければ他国は不幸になってもよしとする。要するに日本的考え方で(これが大変な間違いで)世界的でなくてはならぬ。

日本の皇道をロシヤへ持って行ったらどう思うと言った事がある。(通用しない)

世界人類みんなが喜んで賛成する思想でなくてはならぬ。

故に、皇道思想のごとき、よろしく滅ぶべきであった。

その頃(軍人は)集団的に殺人を練習した。(産業家は)戦争で勝って金持が大いに儲けようとした。

故にああなるのは当りまえである。(泥棒的である。敗戦によって目覚めたのは大いに結構である)


左右いずれかに決定しない。(寸鉄にある)ブランコの両端のごとしといった。

両方で成功出来ぬ事を成功するように思って一生懸命やっているんでいい。

吾等のごとく、傍観者的に見ているのは、その上を行っている訳である。

内乱がどうこうの心配はない。極左の方は暴力革命などといっている。中国も蒋介石のやり方は悪い。

軍国主義でファッショ的な点があったし農民を搾取した。

毛沢東の方がよい。中共は百姓を苛めぬ。それが勝った原因である。


安易な道の方が許される。

霊に曇(罪)が少なければ、安易の道を行く。

罪穢があれば苦しい道を行く。相応の理で行く。

苦しんでいて、安易な道も行けぬ。好んで苦しんだ道を行く訳でない。(皆自分に原因がある)

触れる必要はない。酔払いが喧嘩しているようなものである。故に仲裁に入る要はない。傍観していればよい。

彼等は破壊の役、壊し屋であり、吾等は建設者で、建てる方の仕事で、今から木を削ったり、柱を作ったりして準備している。

ヒットラーは、壊し屋の親方と先に言った。」




明主様御垂示 「一切が浄化作用」 (昭和27年12月1日)

貧乏人は貧乏な霊層界

信者の発言
「病気は浄化作用だということは良く分からせていただいている人はありますが、

他のことになりますと悪いことがあったという観念が抜けない人があるようでございます」

明主様御垂示
「それも一切が浄化作用なのですが、ちょっとのみ込みにくいのです。

心配事も浄化作用です。

だから悪いことや心配事があるということも、やっぱりしかたがないので、その浄化によって境遇が良くなるのです。」


信者の発言
「貧の御浄化という場合に、曇があるために抜けられないという状態でございますが、御用を励まさせていただきますと、そのために・・・」

明主様御垂示
「それは霊界の地位によるのです。

貧乏しているのは、貧乏をする地位にいるのです。ここの層は貧乏の人の霊界です。

そこにいるということは、それだけのものがあるからです。

そうして上に上がって、ここは貧乏がだいぶ楽な世界になるのです。

ここ(更に上層)に行くと、もう豊な人の世界です。

そういうようなもので霊界の地位の問題です。

だからどうしてもしようがないのです。

それで地位を上がらなければならないのです。

地位を上げるには浄まらなければならないのです。

そのためには自分が苦しむとか、人を助けるその手柄、その働きによって早く上にあがって行くということです。

だからこの辺に行けば物質に恵まれ、良いことの世界なのです。

またここまでには時期が行ってないから、この辺(ちょっと下層)までは行けるのです。

結局霊的状態、霊的地位が上がるということが一番です。」


信者の発言
「よく明主様が頭が悪いということをおっしゃいますが」

明主様御垂示
「それもそうです。ちょうど山と思えば良い。

ここよりもここ(少し上)に行けば良く見えます。

頭が悪いということは、ここ(下層)にいればちょっとしか見えないからです。

ここ(最上部)に行けば何でも見えるから、頭が良いというわけです。」




明主様御垂示 「納税苦も浄化作用」 (昭和24年8月18日)

信者の質問
「私は時計貴金属小売商人ですが、一般社会情勢が悪いためどこも同様でありますが、

納税に追い立てられ、日もこれ足らず努力しておりますが、仲々完納はむずかしく困っております。

ところが私は長男(六才)が病気のためある人の世話にて入信させて頂き、家の中が明るくなり、また他人をも次々御導き致しておりますが、

浄霊と商売上の事とを調和させるのに時間が足らず、税の方はいつになったら解放せられるのか判りません。

今営業をやめるにも止める訳にも参りません。いかにしたらよいでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「納税で苦しむのも浄化である。

人を助け、徳を積むうち税の方も完納出来るようになるし、商売もうまくゆく。

アクセクしても必ずしもうまくゆかぬ。神様にお任せせよ。

去年の税問題などびっくりしたが、神様に伺うとお笑いになったので安心した。」




明主様御垂示 「工場の爆発は結構な浄化作用」 (昭和24年7月30日発行)

信者の質問
「私は御浄霊によりまして苦しんでいた重病が全快し、教導師として働かせていただいております者でございますが、

最近何度も盗難に遭ったにかかわらず全部直ちに発見されて無事であり、御守護を厚く御礼申し上げます。

先日私の工場の動力機が故障しているというので私が行って覗いた瞬間、轟然(ごうぜん)と爆発し、その小屋は粉微塵となり跡形もなくなりましたが、

私はその場で意識を失って倒れてしまいました。

しばらくして気がついてみますと、驚いたことには私の体にはなんの障りもなく、かすり傷一つ負っていませんでした。

まったく不思議と思うほかはございませんが家の者は未だによく判りません。

ところが去る四月三日朝、私の製材所と本宅が全焼してしまいました。これはどういう意味でしょうか。」


明主様御垂示
「それほどの奇蹟を見せてもらいながら家の人が判らないからですよ。

まあ、こういうのは罪穢れがあるんだから、大いに罪穢れを取らなくちゃいけないんです。

神様が罪穢れを取るために焼いてくださったんだから、「結構だ」って言っちゃなんだが、本当は結構なんです。

むしろこんなのは祖先の霊がやってるのかもしれませんね。

あの手この手でいろいろなことをやられるんですよ。

結局、頭を下げねばならないことになるんですから、早く下げた者ほど得ですよ。」




明主様御垂示 「鶏が放火して焼く祠」 (昭和24年9月22日)

信者の質問
「US(女性・四十七歳)さんの家(昔は大農家)では代々祭っていた氏神の祠に鶏が火のついた木をくわえて行き、そのために祠を焼失しました。

その家は六人の子供が御座いましたが、現在は末子のS(女性)さん一人になり、Sさんは主人に死別、子供はなく、養子は逃げてしまうと言う訳で、非常に不幸でございます。

この場合火をつけた鶏と氏神とはどのような関係が御座いましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「祖先の霊が鶏に生れて来た。

罪を消さなくてはならぬためにやった事であるから、結構である。

一家断絶するだけの罪があった。」




明主様御垂示 「不法占拠者に対する訴訟提起の是非」

信者の質問
「私が疎開地に居住している中、私の方の戦災地を他人が勝手に占領し、家を建て、公然と暮しています。

再三再四明渡しを要求致しますが「行き所がない」とか「暫く待て」とか同じような事を言って、以来三ケ年になりますが明渡そうとも致しません。

毎日腹立しい思いをしています。

裁判所へ訴えて取戻しの強行手段を踏んでやろうかと思いますが、

こちらは観音様の御用をさせて頂いているのに、左様な事は「悪」「自我」の働きになるかと迷っています。

いかがなもので御座居ましょうか。御尋ね申し上げます。」


明主様御垂示
「臨機応変である。

告訴しようと思えばそうする。

その人に罪穢があって、思うようにゆかぬためである。

告訴も悪い事でない。」




明主様御垂示 「障害者出生も浄化作用」 (昭和25年5月1日)

信者の質問
「世間よく障害の子供が生れますと、その家は良くなると申しますが、何か意味が御座いましょうか。

また助産婦の話によりますと、最近障害の子供の出生が非常に多いそうで御座いますが、何か霊界の転換と関係が御座いましょうか。お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「障害者が出来るのは浄化作用であるから、それだけ罪が減り、一家が良くなる訳である。

最近霊界は浄化が旺盛になったため、一家の罪が早く出てくる訳であるから、関係は大いにある。

また、近頃神憑りが多くなった。」




明主様御垂示 「結婚で苦しむのも霊的地位の低さが原因」 (昭和24年8月3日)

信者の質問
「夫婦が互いに憎しみ合うような間柄を子供が知って、その親達をも憎む・・・という生活をしている人もあり、これは宿命とは存じますが、

神様が人間にそのような組み合わせをお与えになるのはなにかを教えてくださるものと解すべきでしょうか。」


明主様御垂示
「教えるとか教えぬとかいうんじゃなくて、その人がそういう霊的な地位なんですよ。

霊的の地位がそれだけの者は、やはりそれと同じくらいの地位の配偶者ができるんですよ。

いまの人はだいたいみんな地獄にいるようなもんだから、みんな苦しむんですよ。

だからこの地位は宿命じゃなくて運命ですね。

だから、霊的に向上すればね、よくなるんですよ。」




明主様御垂示 「妻が気に食わないのも浄化作用」

信者の質問
「夫婦不和について。

私達夫婦は嫌々ながら親戚の者に無理やりに一緒にさせられました。

両方共気が合わず、私は妻の顔さえ見ると腹が立ちます。

仕事から帰って家の表迄来ると腹が立ちますが、家に入って顔を見るとなお腹が立つと言う始末です。

昨年五月御光を戴き、父の神経痛や妻の婦人病も御蔭様で大分よくなりました。

妻も御光を戴きましたが、最近御光を首からはずしてしまいます。

私は益々腹立がひどくなるばかりですが、兄達は私のみ辛抱を要求しますので、二人の子供を残して家出しようか等と思い詰めております。(妻は父の後妻の連子です)

妻は相当な強情もので、誰も意見する人もなし弱っております。その原因と解決法を御教示願います。」


明主様御垂示
「同情する。よくある事である。

主人公が奥さんをこうしようとか、こんな人間にしようとか思う事をやめる。

独身者の気持で、妻君に関係なく人を救う。

すると霊界の位置が主人は上ってくる。

妻君がついて行かず反対すると、どうしても別れる。

死別か生別かいずれかになる。

妻君が改心すれば段々合って行く。

妻君がおもしろくないのは、主人にも罪はある。

妻が気に入らぬのも浄化作用であるから、自分が向上する外ない。

これが根本である。結局良くなるからお任せする。」




明主様御垂示 「頑固冷淡な妻に苦しむのも夫の曇りが原因」 (昭和23年11月17日)

信者の質問
「愚妻は結婚後二十年以来今日迄自分の過失を謝罪した事なく、実母や夫に対しても他人同様の冷淡さで、一般の人々との交際は全然出来ません。

妻は三ケ月前自転車より落ち、左足かかとを痛めまだ歩く事は出来ません。因縁を御伺い致します。」


明主様御垂示
「霊が憑っている。妻が浄霊を嫌うというのも、自分にも罪がある。苦しむべき自分に曇がある。

まず自分の曇を除って行けば、先方は苦しめる事が出来ないから、相手が治ってゆく。

徳を積む、人を助けるのである。

よく人に騙されてひどい目に遇ったという人があるが、それは自分に騙される資格があるからである。

心の鏡を人間はブラ下げている。こちらに曇りがなければすぐ判る。曇っていると写らぬ。判らぬから本当にするのである。

夫婦は多少、霊の線と線が違う事はあるが、そんなに離れてはいない。」




明主様御垂示 「夫の不倫も浄化作用」 (昭和27年10月25日発行)

信者の質問
「昨年七月耳鳴りが激しく、いろいろと御守護をいただき入信さしていただいた者でございますが、

本年九月主人より、女ができた店をもたせてやりたいという意味のことを打ち明けられましたが、

現在生活にそれほどの余裕もないのに驚くほかはございませんでした。

現在主人(MK四〇歳)は、広島○○会社A工場製造○○課長をいたしております。

家庭は二人のみで私ども夫婦は結婚後十五年になりますが子供がなく、

従って夫婦の仲もあまり思わしくなく、と言って、これということもなく過ごしてまいりました。

私がお道に入信させていただきましても主人は特別反対はいたしませんでしたが、関心ももたず、

ただ御神体、御屏風観音様の御奉斎はどうしても許しませんでした。

従来も夜帰ってこないこともございましたが、会社の会合とかいろいろ申しますので信じておりましたが、

このたびの話で、すべてが明らかになったしだいでございます。

相手の女と申しますのは未亡人で、ある料亭の仲居をいたしております。

すべては私の不徳のいたすところ、信仰浅きゆえと、教会にお詣りしてお願い申し上げ、努力さしていただいておりますが、

打ち明けられた日からはすべてが極端で、同じ部屋でやすむことも嫌い、

口ぐせのように別れよう別れようと申し、ほとんど帰ってまいりません。

三好家は現在稲荷信者でございます。

いまから三代前事業に失敗し、稲荷信者になったとのことでございます(それ以前は真宗)祭神は熊崎稲荷大明神と熊代稲荷大明神でございます。

また最近ときどき蛇の夢に驚かされます。

主人の乱行と右のいろいろの事柄と関係がございましょうか。

なにとぞ御垂示のほどお願い申し上げます。

なおこのような場合、いかなる心がまえでいればよろしいのでございましょうか。御教えのほどお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「この原因はあなたに霊的罪穢があるからで、それの浄化作用である。

従って夫を怨まず、ひたすら神様の御用をし、人助けをすることである。

それによって罪穢はだんだん減るから苦しみは軽くなり、幸福な境遇になるのである。」




明主様御垂示 「夫の不倫も浄化作用」

信者の質問
「主人は他に女が出来まして九月から帰りません。

丁度その頃から十一才になる男の子の手癖が悪くなり困っております。いかにしたらよろしゅう御座いますか。」


明主様御垂示
「主人だけ悪く思われるが、奥さんにも罪穢がある。

主人のために心配するのは、浄化が行われている。

信仰へ入り主人の事を忘れ、人を助け徳を積むと浄化が促進されて霊的に浄まるから、主人と別れるか、主人が不純な事をやめて帰るかどっちかである。

しかし気持として許されぬという事になるが、それはどうしようもない。

苦しむのは皆浄化作用であるから、どうしても自覚して人を助ける。

するとその方へ興味が出て、忘れる事が出来る。」




明主様御垂示 「夫の酒乱も浄化作用」 (昭和24年2月16日)

信者の質問
「主人は毎晩酒を飲み、度が越して来ると一ケ月に三回程は人間が変ったように、私を殺してやると言って刃物を持っていどみ掛ります。

昭和二十一年入信し、浄霊致しております。

霊が憑依したようになると浄霊も出来ない程狂暴になります。

一度信仰より遠ざかった事もありますが、その当時は三ケ月に一度、半期に一度位の発作でした。

先般祖先の御守護御願も致しましたが、発作がひどくなったように想われます。

憑依せる霊が何者か、またどうすれば良いのか御指示下さい。」


明主様御垂示
「本人のみでなく妻にも罪がある。

一生懸命主人が暴れて浄化してる理屈である。

罪が減ると暴れる事が出来ぬ事となる。

出来るだけ人助けして徳を積む。

すると自分の霊が浄まるから、主人が暴行出来なくなる。

気長に徳を積み、光明如来様にお願いする。

酒乱の憑霊である。」




明主様御垂示 「夫の酒乱も浄化作用」

信者の質問
「私の夫(TS五十六才)は非常に酒呑みです。一升時には二升位呑み続けます。酒を呑むと私始め家中の者に乱暴を致します。

勿論諸道具なども手あたり次第に乱暴致しますが、娘(M十六才)にはそれ程ではありません。

時々一緒に酒を呑む位です。

なお娘は非常な不良で、お金等を持出す始末ですが、夫は娘を非常に可愛がります。

いかなる因縁で御座いましょうか。浄霊はあまり好みませんがどうしたら良くなるでしょうか。御伺い致します。」


明主様御垂示
「罪穢が沢山あるからで、乱暴して家人を困らすのは一の浄化作用である。

時を待つうち段々良くなる。

出来るだけ人助けをする。

自分の霊が浄まれば、霊線によって亭主の霊も浄まり、酒も飲めなくなる。」




明主様御垂示 「元夫に対する認知請求、養育費支払請求について」 (昭和24年12月20日発行)

信者の質問
「私は昭和二十一年に両親の反対を押しきって結婚、夫は妊娠中他に女ができ、生まれた子供を虐待し、正式の届出もしてくれません。

昨年暮れに別れることにいたしましたが、子供の認知をしてもらいたいと思いますが、本人にその意思がありません。

子供の認知と養育費のことにつき家事裁判所へ願い出るよう親戚ですすめますが、いかがいたしたらよろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これはどっちとも言えぬ。臨機応変である。

人が苦しむということは、すべて自分に罪穢があるのでその浄化作用である。

行者など難行苦行をするのはそれによって汚れをとる人為的浄化である。

人事相談所へ願っても願わないでも結果は同様で、根本は自分の罪の浄化であるから、できるだけ善徳を積んで浄めることが一番よい。」




明主様御垂示 「子供の不良化も浄化作用」 (昭和24年4月8日発行)

明主様御垂示
「不良になった子供の霊的原因およびその解決法。」


明主様御垂示
「不良児のために悩むのは親に苦しまねばならぬ罪があるためで一種の浄化作用でもある。

故に世のため人のため善徳を積むことによっておのずからが浄まるから相応の理によって不良児も良くなるのである。

すなわち心配すべき原因が減りまたは消滅するからである。」




明主様御垂示 「子供の勉強嫌いも浄化作用」 (昭和23年9月26日)

「子供に勉強する気のないのは親にも罪がある。一つには浄化作用である。

あまりやかましくいわず、親が信仰を熱心にして、自分自身反省して、神の守護を受ける。

叱っても逆効果となる。」




明主様御垂示 「手癖悪い子」

子供の異常化は親の罪と関連

信者の質問
「小供の手癖の悪いのはどうしたらよろしゅう御座いましょうか。」


明主様御垂示
「動物霊が憑いてやらすのである。

こういう事をするのは、親に罪がある。親と関連している。

親自身、自分の心を省みて大いに徳を積む事にする。

そして親に罪があると、霊層界の下にあり、霊層の下の下にあると、何か苦しみがある。

それで子供の盗みの苦しみがなくなるとしても他の何かの苦しみがある。

徳を積んで霊層界の上へ上ると、子供も親が心配するような事が出来なくなる。

その事をよく知らなくてはならぬ。

騙されるのもそれだけの資格がある訳である。

泥棒にとられたり、いろんな事で損をする等も、その物質が汚れてる。

間違った事があり、その罪をとられるための浄化で、これはあらゆる事にある。

日本で物の足らぬのも浄化であり、偉い人が小菅へ行くのも浄化作用である。

人間はどんな人も必ず悩みがある。夜の世界の間は仕方がない。動物霊が活躍するだけの余地がある。

修行を励んでいる人は、それが段々小さくなる。」




明主様御垂示 「子供の不良化の原因は親の罪と前頭部の熱」 (昭和24年7月)

信者の質問
「子供の不良性は治りますでしょうか。」


明主様御垂示
「治りますよ。・・・

子供が不良だっていうのは、やっぱり親に罪があるんですよ。

子供が不良だといろいろと心配するでしょ。

その苦痛が浄化作用なんですよ。

すべて苦痛というものは罪穢れの浄化なんですから。

ところが、徳を積むとそれによって苦痛を受けるべき条件が減ってくるんです。

だから親が信仰を深くして、一生懸命に人を助けて徳を積めば、それによって子供の不良もよくなるんです。


また、もう一つ別の方面から見ると、この前頭部に熱があるんです。

反対に後頭部は感情ですがね。

前頭部が冷たければ、理性が充分に活動してやたらな感情の衝動を抑えますからね。

浄霊して前頭部が冷たくなれば不良も治りますよ。


いま、論文を書いてるんですが、私は戦争や闘争の元は不快感が原因だって言うんです。

人間は爽快な気持ちになると争えなくなるもんですよ。

怒るってのは感情であり、これを抑えるのが理性の力なんです、

欲望つまり仏語でいう煩悩ですね、この煩悩が起きる場合もそうですよ。

欲望も神様が与えてくださったんだから想念は自由ですが、

その想念をそのまま行動にあらわすと罪になることが多いんで、

そのとき行動に移そうとする感情を、前頭部の冷たい人は抑えることができるんです。

だから、前頭部の冷たい人は大丈夫ですが、まあ冷たい人はほとんどないですね。

前頭部の冷たい人ばかりになれば、戦争なんかなくなって平和になりますよ。

独裁者の煽動なんかにも、おいそれとは乗らなくなりますからね。」




明主様御垂示 「母親に対し反感をもっている祖霊の憑依」 (昭和24年6月26日)

母のみに反抗する子

信者の質問
「私が御導き申し上げたいと思っておりますある家庭の十九歳になる男子(健康体)、他人に対しては大人しく何とも致しませんが、家人、特に母親に対して当りちらします。

ガラスを毀したり皿を投げたり何でも手当り次第に乱暴致しますが、理解力もあり、仏壇やお墓参りもよくします。

(なおその人の兄もその通りで、お金を沢山使った上毒死して間もない家庭です)いかなる訳で御座いましょうか。

また御導き致すにはどのように致したら宜敷いでしょうか。」


明主様御垂示
「母親に対し反感をもっている霊・・・祖霊であろう。

母に罪あり、本人より母が徳積めば苦しめられぬようになる。

霊的向上である。苦しむ事により己が罪が減る。相手に感謝すべきである。

「汝の敵を愛せよ」というが、そこまでゆけば人間は磨けたのである。

祖霊である。祖霊の中に一人一人気に入らぬ事がある、母に対し反感をもってる霊で、査べれば母に必ず思い当る事がある。

本人を治すより母自体が徳を積む。すると母に力が出て、母を苦しめるような事はなくなる。

苦しめられるのもその理由がある。

霊的に向上すればひとりでに治る。結局どんな事も自分にある。

すると人を怨む事もなくなる。苦しむ事によって自分の罪がなくなる。

しかし本当からいうと苦しめる人に感謝すべきだが、なかなか出来ない。

キリストの「汝の敵を愛せよ」の精神もこれである。

磔の時キリストは祈っていた。隣の泥棒が何かときくと、磔にする人の救いを祈っていたという。」




明主様御垂示 「乱暴する半狂人」 (昭和23年)

子供の発狂で苦しむのも親の罪穢が原因

信者の質問
「普通の常識もなく精神病者ともつかざる私の兄、母親を見れば腹を立て殴ってかかります。

幼少の頃より変った男でありましたが、本年四十三歳になります。どうすれば救われましょうか。」


明主様御垂示
「よく精神病でもなく普通でもないのがある。私はよく正気の気狂いと言った。精神病者の軽いのである。

これは兄に祖霊が憑って母を良くするという意味である。

罪穢があってそれを除られる場合など霊的に種々訳がある。

こういう場合は普通ではない。

祖先の霊が親より位が上であり、生きてるうち暴力を揮う習性のある人は死んでもその癖が出る。

それで暴力によって矯めたりなどする。

信仰を熱心にすれば早く解決がつく。

本人が悪いのみでなく、親自身苦しみに遇うだけの罪穢がある。

悪口を言われる方はそれだけ罪をとられる。

悪口を言われるほどよい。だから、本当に分れば感謝してよい。

沢山の罪穢は急に除れぬから、気長に時期を待って、お任せすると、何かの機会に除っていただける。」




明主様御垂示 「間違ったことをすると必ず報いが来る」 (昭和24年8月23日)

親は幹、子は枝

信者の質問
「妊娠中に火事の夢を見ると痣のある子が生まれると言い、信仰するといい子が生まれると申しますが本当でしょうか。」


明主様御垂示
「妊娠中に火事の夢を見たって大丈夫ですよ、こんなことはありませんよ。

痣っていうのはこんな単純な原因じゃないんです。これは迷信ですね。


それから信仰すればいい子ができるっていうのは、これは決まってますよ。

信仰すれば心が神仏に向かい、悪い料簡を持たなくなりますからね。

子供は親の想念を受けるものなんです。

みんなではないけど、ある点は必ず受けるんです。

だから、親が心のいい状態のときにできた子供はやはりいいですよ。


親の罪穢れの多い少ない、心持ちのいい悪いが子供に非常な関係があるんです。

親が間違ったことをしながら、子供をいましめるっていうのは滑稽ですよ。

親は幹で、子は枝ですからね、幹がヒョロヒョロしていて、枝だけよくなるわけはないんです。

まず親が大いに徳を積むんですよ。

そうすりゃ子供の不良も出なくなりますよ。

親が妾を囲ったりしていながら、子供が放蕩するのを叱りつけるっていうのがよくありますがね、こんなのはなんにもなりませんよ。


だからね、人間っていうのは間違ったことはできないようにできてるんですよ。

間違ったことをすれば必ずそれだけの酬いがきて自分自身が苦しむんです。

しかも、苦しみには利息がつきますからね。溜まれば溜まるほど利息がついて、

それが一遍に返ってくるときにはひどい目に合いますからね。

だから早く解決しないと困るんですよ。」




明主様御垂示 「同情について」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「人に同情するということは難しいと存じますが実際に同情の気持ちをどの程度に行為に表わすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「そう難しくもないですね。

同情するったって自分の常識の程度で同情の心を具体的にすればいいんだが。

ただその場合判断が必要です。

同情はしてもそれを行為に表わしてはいけない場合がある。

苦しんでいる人もなにかその人に苦しむ必要があって苦しむことがあります、

こんなのはかえって助けてはいけないのです。

程度を超えて慈悲をすることも反対になまけ者を作るようになることもある。

例えば乞食に金を恵むのはいいことのようだがそうとも限らない。

道端で小さな赤ん坊を抱いてる乞食でも中には日当いくらでその赤ん坊を借りてくるのもあるんです。(笑声)

だからそういうことも知らなくてはいけない。


ただ、障害者とか廃兵は無条件で助けてやるべきです。

殊に軍国主義のため強制されて障害者になった人なんかは、これは実際かわいそうです。

そういう意味で助けたらいいのです。・・・

またもう一つは病人で苦しんでいる人はなにがなんでも助けてやるべきです。

私も家の者が苦しいと言えば寝てからでもまた起きてやってやります。」




明主様御垂示 「浄化が足りないため卑しい職業になった事例」 (昭和26年5月1日)

信者の質問
「金に換える物がぜんぜんなくなり、カツギ屋(註 ヤミ屋)になりましたが・・・」


明主様御垂示
「やっぱり、そういう男はそういう経路を経なければならない。

けれど、カツギ屋なんかすることはおかしいですよ。

そんなことをしなければ食っていけないということは、どこか間違っている。

浄化が足りなかったんですね。」




明主様御垂示 「死亡による漁獲高の増減」 (昭和24年8月7日)

信者の質問
「出産や死亡等が漁に影響すると申し、またそのような事を信じている漁師の中に出産のあった場合、出漁し他の舟が豊漁なのに不漁に見舞われ、

また水死人を引上げた舟、死んだ海亀を拾い上げて来て葬ったという舟が漁が豊かになった例がございますが、関係があるものでございましょうか。」


明主様御垂示
「関係がある。出産の場合はそんな事はない。

死亡の時はある。死亡の時は、その人の霊が萎縮しているから漁のない事もある。

しかし逆もある。死によって罪がとれるので、それだけ漁がある訳である。

だから悪い事があると善い事が生れる。

本人の気持のためであろう。(血汚れ)」




明主様御垂示 「兄弟浄化程度の差異」 (昭和23年10月28日)

信者の質問
「浄化の程度が兄弟で異るのは、祖先の罪穢の流れ方の不平等で御座いましょうか。

あるいは各々が現世で作った曇りの差異によるものでございましょうか。」


明主様御垂示
「両方である。誰かが一家の罪を除る役になる。

その人のズーッと前の世に非常な罪を犯した場合など、贖罪的に引受ける事がある。

自分が先祖自身になる事もある。

キリストとても自らの犯した罪を贖罪した。

素盞嗚尊が政治を悪くしたため、世の中は堕落し紊れた。

万人を過らした罪により、万人の犠牲となって贖罪した。

過らした人間を今度は自分が救うというのは当然である。

霊的な事は複雑した事情があり、単純な見方で解釈はつかぬ。」




明主様御垂示 「浄化の前知と夢 (神は予知せず)」

土地に汚れが溜ると人間が苦しまなければならない

信者の質問
「教習生です。十一月三日に判然とした夢を見ました。

来年の三月、五月、七月に台風、大火事等が起る状態の夢ですが、また霊界に起りつつある事象を承ります。」


明主様御垂示
「不明である。恐らく正夢ではない。

重大な天災地変でも、神様は知らせぬものである。知らすといけない。

その土地などに汚れが溜っているので、人間が苦しまなければならぬ。

人間が苦しまなければ、浄霊が出来ない。

それを前以て知ると、折角の浄化が効薄くなる。」




明主様御垂示 「病気が治れば貧も争もなくなる」 (昭和26年11月1日)

信者の質問
「御浄霊は病気が治るばかりでなく、心が浄まるに従って、貧争もなくなると解釈してますが、それでよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「良いでしょう。」


信者の質問
「そのとき自分の意識を働かしてはいけないが、治してやろうというのは・・・貧をなくする場合は、貧をなくするという想念で・・・」

明主様御垂示
「結構です。そういう執着は結構な執着です。

ところがね、病気が治れば貧も争もなくなる。

メシヤ教で病気を治すということは・・・貧乏も貧苦もでしょう。

だから、そういった浄化すべき曇りがなくなるから、貧の苦しみも争いの苦しみもなくなる。

広く解釈すれば良い。

根本は浄霊ですから、霊を浄めるんです。

霊を浄めれば、貧もなくなる。

だから私はいつも、人間ばかりじゃない。

国の病気、世界の病気だと言うんです。

日本が病気なんです。貧乏しているんです。また、世界の病気なんです。

共産主義の苦しみというのは、結核みたいなものですからね。」




明主様御垂示 「少しずつくらい怪我したほうが罪が消えて良い」 (昭和26年12月8日)

信者の質問
「最近、箱根の御造営の奉仕者がちょいちょい怪我をしますことがございますが・・・」

明主様御垂示
「この前だけじゃないんですか。」


信者の質問
「その前にもちょっとございましたが、ああいう場合には、浄まらなくて早く御奉仕に上げるからということで・・・」

明主様御垂示
「そんなことはありません。

しかし、やっぱりわけがあるんですよ。偶然じゃないですからね。

怪我するのは、皆んな怪我する原因があるんですからね。

少しずつくらい怪我したほうが、罪が消えて良いですよ。」




明主様御垂示 「病気が治っても罪穢が残れば別の苦しみが襲う」 (昭和24年1月6日)

信者の質問
「私共夫妻は三年前御光を戴き今日に到りましたが、私のみは泌尿器関係の浄化激しく、連続的で御手伝いも十分出来ず、

加うるに父が反対して、やる瀬ない日々を送っております。

度々先輩諸先生に御指導を願っておりますが、その通りに実行出来ません。

どうしましたらよろしゅう御座いますか。」


明主様御垂示
「罪穢が未だある。訳があって苦しむのである。

入信してまず第一段は救われたが、未だ家の中までは入れぬのである。

まず健康になったが、罪が病気で除れないとなると、罪穢をとるため他の事で苦しむ。

であるから、反対者があって苦しむのは悪い意味に解すべきでない。

(泌尿器関係は治る。手術しない人なら必ず治る。自分で浄霊する)」




専従者の寄稿 「霊主体従の御教えを頂いて」 恒慈 (昭和29年9月15日)

「いやしくも、メシヤ教信者として「一切の不幸は浄化作用なり」という事を知らぬ人は、ほとんどないと言ってよかろう。

「病気」も「貧乏」も、「争い」又しかりである。ところが、単に「知っている」ということと「解っている」ということとは、決して同じではないのであって、それとこれには大変な隔りがある。

そうして、この隔りを段々に縮めるべく努める事が、我々毎日の修行であるとも思う。

そうして、一日も早く「知っている」から「分っている」人とならなければならぬと思う。

修行とは、いつも御教え戴いているごとく、行いを修めるということであって、禁欲的な荒行をするという意味ではないの、である。

昔からよく「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、これは実に至言だと思う。

そうして、この言葉が我々信者に当はまらぬことを念願するものである。

しかし有難いことには、我々信者には、人間処世上万般にわたり、微に入り細にわたって、余すところなく御教え戴いているのでおるから、不可解な事は何一つないようになっているのが当り前のはずである。

ところが、実際にはどうであろうか。

公私いろいろと、教導師諸兄や信者の方々に接するとき、あまりにも隔りがありすぎることを感ずるのである。

と言っても、それは私との間の隔りを言うのではないのであって、それらの人達の言うことと実際の行いとの隔りを指しているのである。

有名な、彼の中国の名僧烏巣禅師が、樹上での坐禅中、通りかかった旅人が、「修道の目的は何か」と問うた際「それは改過遷善にあり」と答えたところ、

旅人は「さようなことは三歳の童子といえども知れり」と言ったので、

禅師は即座に「三歳の童子もこれを知れりといえども、行うは八十の老人といえどもなお難し」と言ったとのことであるが、

この名答に、旅人返す言葉更になしーとの話を聞いたことがある。


御歌に

愛を説き 慈悲諭すとて行ひの 伴なわざれば 浜の松風

とあるように、言行一致、もって御胸に応え奉るべきやあると思うのである。


さて、上記「霊主体従」の御教えをいただいて、誰しも思うことは、病気は霊の曇りが原因であり、争いも貧も又霊の曇りが原因であるということである。

そうして、この事が本当に分ったならば、我々の日常のすべてにわたって、どんなにか楽な気特にさせていただけるか、測り知れないと思われるのである。

勿論「霊主体従」という事は、万有の法則であり、真理である以上、その全部が我々に分ろうはずのないことは当然であるが、それぞれに感じるものがあるはずである。

そこで私が感じたことを少し述べてみたいと思うのである。


例えば、今私の子供が通りに出た途端、驀進して来た自動車にはね飛ばされたとする。

子供は交通規則を守っており、その車は反則であったとすれば、世論は勿論子供の死に同情が集まり、法は運転手を罰するであろう。

しかしそれは外面から見た場合の事であって、「霊主体従」という万有の法則で解釈してみる時、これは大変なことになるのである。

即ち、私の子供は轢き殺される資格があったということであり、それだから轢き殺す資格を持った車が、当然来なければならなかったーということになるのである。

その資格とは何かと言えば、真因は霊の曇りの持主であったからということになり、その曇りの持主の子供は親の枝である以上、曇りの本家本元は私であった。

ということになる訳である。そうとすれば、私は誰を責めることもできないので、つまるととろ、ただ「我を怨むより仕方がないぞよ」という事になる。


ところが、ここまでの理が分っただけでも大変な御蔭であるが、我々は今一つ大事なことを忘れがちなのである。

というのは、この不幸と思われる事件こそ、実は神の大愛である「浄化作用」の一つであるーということである。

この「浄化」ということが分れば、すべては解決となるはずであると思う。

なぜなら、風邪を引いて、熱が出て、咳が出、痰が出て、それで健康を恵まれることになるのと同様に、

この不幸な事件によって曇りはそれだけ減るわけで、減っただけは幸福となり得るのであってこの事件が不幸を生むという事は絶対にないのである。

しかし、世の人々は、この「浄化作用」という真の道理に不明のため、不幸の真因が霊の曇りにある事等は夢にも思えず、

社会万般にわたり対症療法に日もこれ足らずの有様であるから、これでは、不幸から不幸へ・・・更に不幸が続くという訳で、「禍転じて福となる」とはならないのである。

全く不幸と人間とは、影と形のそれのごとしで、正に地獄絵そのままの社会の現状である。


ところが、ここに天の時来って神様は真理を知らせ世の中の一切の不幸の因である曇りを絶無にすべく、絶大なる御力を秘めて出られたのであり、

その救世の機関として御作り遊ばされたのが、メシヤ教である以上、我々信者たる者は、一日も早く曇りをなくし

「幸福者とはかくのごときものなり」という事を、身をもって示すべきで、この事を強く唱えて筆を擱(お)く次第である。」