苦労人の実力について


明主様御講話 「苦労人の実力」 (昭和27年11月6日)

「アイゼンハウアーが割合良い成績でアメリカの大統領に当選しましたが、

この原因を良く考えてみると、なにしろアイゼンハウアーという人はごく貧乏人の伜で、子供のうちからさんざん苦労した人であるし、

それからスティーヴンソンの方は金持ちの息子で、子供のうちから非常にお坊ちゃん育ちだったのです。

ほかにもありますが、その点が一番だと思います。

だからアイクの方は実行力があるのです。

どんな問題でも、つまり実行力で解決づけてしまうという、

そういったやり方ですから、ああいった選挙のようなことでもそういう点は隙がなくやるわけです。

ところがスティーヴンソンの方は、どっちかというと理想派の方で、実にお上品でインテリがみると非常に良いが、アメリカの現実主義の国民性としたらアイゼンハウアーを支持するというわけです。

スティーヴンソンというのは、ちょうど日本の犬養健(いぬかいたける)に似ているような気がするのです。

ですから犬養健というのは、頭は良いしなかなか偉いのですが、

やはりお坊ちゃん育ちなので、そこにどこかナメられるという、そういう点があるのです。


世の中は、相手がインテリ階級もあるし労働階級もあるし中産階級もあるというわけですから、

その人たちみんなが大いに共鳴するといったようなことは非常に難しいのです。

私はそういう点は宗教でも大いにあると思います。」




明主様御講話 「苦労人の頭は非常に良いところがある」 (昭和27年3月27日)

「大祭もいよいよ今日で終わりになりますが、毎日同じような話をするんで・・・聞く人は変わっていても、こっちは変わらないからね。

今日は少しばかり変わった話もしましょう。

今年の課題としては、たびたび言う通り自然農法ですね。

二、三日前の晩のラジオで、広川農林大臣の話に、ちょっとこっちの・・・特集号を見て、だいぶ刺激されたと思うような点があるんです。

というのは、大臣が言うには、これから硫安は使わないようにした方が良い。

それで、自給肥料ですね。自給肥料を大いに利用しなければいけない。と、こう言うんです。

自給肥料というのは、つまり堆肥のことだろうと思うんですね。

それはオワイも自給肥料ですがね。それの意味じゃないと思います。

堆肥のことを、堆肥と、あまりこっちの説に共鳴するように見られるのも、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)して・・・それで自給肥料と言うんだろうと思います。

で、農林大臣とも言われる者が、硫安をやらないようにして、自給肥料をやらなければいけないと言うことは、よほど心境の変化がみられるんですね。

それから、もう一つは虫害ですね。虫害は、どうも薬剤が適切でない・・・と、だからこれから薬をやるにも、害虫駆除に適当したようなのを工夫してやらなければいけない。

と、こういうことを言ってますが、これも薬にばかり頼るなというような意味も含まれている。

それから、農林大臣の、この間の話があったんですがね・・・ちょうど十日ばかり前の話ですがね、なにかの機会に話したんですが、それは忘れましたが、これからはできるだけ地力を出さなければならない。

地力というのは、地の力ですね。

これを出さなければいけないということを言っている。

これも私が言っている、今まで土を殺していた。

だから土自体の力を出さなければいけない。ということと合っているんですね。

だから少なくとも広川さんはよほど共鳴しているということは認められるんですね。

もっとも、去年の特集号の時も、その後私の説に共鳴している点もあったんですがね。

それはごく微弱だったんですがね。今年はだいぶ強く言うんですね。

だから、なかなかあの人も頭の良い人だと思われるんです。

もっとも・・・まあ、提灯持つわけじゃないが・・・あの人は、元非常に苦労してますからね。

鉄道工夫までやったというんですからね。

だから、そういう人の頭というのは、非常に良いところがあるんです。

そうでないと、学問・・・大学を出て役人になっていると、どうも・・・一種の、心の中に捕らわれたものがついているから、解り悪いんですが、かえっていろんな苦労した人の方が、あらゆる方面に、かえって頭が働くというわけですね。」




明主様御講話 「苦労人は深みがある」 (昭和28年3月15日)

「時局談を少し話します。とうとう吉田内閣も解散になりました。

これについてちょっと変に思うのは、吉田という人は年もとっているし、そうとうに世の中の経験もある人ですが、私はよほど前からおかしいと思っていたのです。

というのは、もうだいぶ前からガタついてきているのですから、とうに辞職なりして明け渡すべきなのですが、一生懸命に齧りついているところが分かりません。

肝腎な、運命と時期ということに気がつかないらしいのです。

大体吉田という人の花の盛りは、講和の時にアメリカに出た時なのです。

その時が一番の盛りなのです。ちょうど桜の花がパッと咲いた時なのです。

だからその後になってだんだん花が散っていって、もう葉ばかりになるという一つの運命ですが、そうなりつつあるのですから、齧りつけばつくほどだんだん悪くなるのです。

そうして最近の「馬鹿野郎」問題では、あそこできれいに謝罪して引っ込むというのが利巧なのです。

それをまだまだ齧りつこうとしているのです。

だからますます醜い最後を遂げるようになるのです。

それから今度の不信任案の可決となり、民同の脱退・・・分党という名前ですが、これはうまい名前をつけたと思うが、そこまで行ったらしようがありません。

これから総選挙ということになると、自由党はずっと減ります。

あるいは第二党になるかもしれません。

そうしてみれば、当分内閣をつくる見込みもありません。

これから野党ということになったところで、見込みのある野党ならいいが、まず吉田さんの生きているうちは難しいでしょう。

そのくらいならば、もっと早いうちにきれいに引き下がった方が将来においてもいいのです。

そういうところが分かりません。


ちょうど戦争の末期になって、二進も三進も行かなくなってから降服しましたが、

こっちは庖丁かなにか変な物を持って、先方は刀を持ってきたら、斬られるに決まってますから、斬られないうちにお辞儀をするといいのです。

一斬りされてからでもお辞儀するのはまだいいが、二斬り三斬りされてからお辞儀をするということが分かりません。

日本の戦争の時の末期と、ヒトラー、ムッソリーニなどの運命を見ても、つくづく見通しがつかないというか、ほかの点は馬鹿にいいのですが、そういう点においては悪いのです。

これは日本人は特に多いようですが、意地を張るというのが非常に悪いのです。吉田などは意地っ張りなのです。


今度のことなども、解散をしなくても辞職で結構なのです。

そうして結局直接の問題は「馬鹿野郎」問題です。

あれからガタガタしてきたのですから、それをきれいに謝ればいいのです。

「自分はたいへん間違っていた、たいへん恥ずべきことをした」と言って謝罪すればいいのを、単に取り消しですから、取り消しでは承知しません。

事柄の性質によっては取り消しでも良いが、「馬鹿野郎」では、人の横っ面を張り倒したようなもので一つの暴力ですから、謝罪するのが本当です。

人をぶんなぐりつけて「今のは間違いだ」というのは間違いです。

そこなのです。あの人は偉い人ですが、ちょっと変なところがあるのです。


広川問題にしろ、去年の福永問題でもそうですが、きれいに引っ込んでいればいいのですが、昔のわがままの殿様とか、ヤンチャ坊主というようなところがあるのです。

言い出したらきかないというところがあるのです。

それも良い時はありますが、悪い時の方が多いのです。

というのは、あの人は本当の苦労をしてないからです。


近ごろの政治家というので、一癖あるというような人間はまことにありません。

平々凡々として後生大事に齧りついているというのです。

与党の方は寄りつき主義で、野党の方はなんでもかんでも反対するのです。

要するにドングリ連中です。

一人でも頑張るというような人間はいません。

これは政治家に限りません。


以前の明治、大正のころは、今でも忘れられないくらいの偉い人がおりました。

というのは、あの時代の人はみんな苦労をしているからです。

それはみんな牢にはいったり、貧乏したり、それこそ爆弾を投げつけられたりして、随分危ない所をくぐってきましたから、それだけにどこか深みがあるのです。

ところが今のああいった大臣などは、たいてい大学を出て官吏になって順調に来たというのですから、本当の社会の苦労をしてないのです。

本当にお坊ちゃんというような甘いところがあるのです。

ですから本当に苦労したというのは広川和尚くらいです。

これは労働者から酒屋の親父をして、それから政治家になったのですから、ほかとは違った点があります。

今度の広川問題もそうとう恐れられた問題でした。

今でもあの人を支持する二、三十人の部下がいるのですから偉いですが、あまりにやじり過ぎて今の人としては教養が足りない点があります。

だからやじり過ぎて少し下卑てます。それをとったら将来大物になります。

政治談のようになりましたが、このくらいにしておきます。」




明主様御講話 「わがまま坊ちゃんは自分の言い出したことを通そうとする」 (昭和28年3月17日)

「今度吉田内閣がああいうことになって、ちょっと思い出したことは、笑の泉にありますが、古い笑い冠句で「馬鹿野郎、良く考えりゃオレのこと」というのがありますが、今度の吉田さんによく合っているのです。

なんといっても「馬鹿野郎」問題が直接の動機となって不信任問題から解散となったのですから、「馬鹿野郎」という言葉はたいへんな役目をしたのです。

ところが後がまずいのです。少なくとも、神聖なる議会において、総理大臣が馬鹿野郎と言うのは、どうした魔がさしたのか知らないが、総理大臣がそういうことを言うのは珍しいことです。

それで相手が議員ですから、議員は国民が投票して出した代表ですから、それに馬鹿野郎と言うことは、国民を罵ったということにもなりますから、国民感情としては我慢はできないわけです。

昨日、毎月ああいう人たちの会をするのですが、現代議士が三人ばかり来て、それについて話をしたのですが、ああいう人たちは、さのみ思っていないのですが、あのくらいのことはたいした問題にするに足りないというような意見でしたが。

しかしあの人たちは、議場はべつにたいして神聖とは思ってないらしいです。

なにしろ取っ組み合いの喧嘩をするのですから、馬鹿野郎くらいなんでもないと思っているのです。

しかし国民感情から言って、国民はどうしても我慢ができないのです。

その結果、内紛問題が起り、ああいう結果になったということはまずかったのです。

それも後で「自分はうっかり間違ったことを言って確かに申し訳ない」と言って謝れば良かったのですが、ただ取り消しだけですから、それがおもしろくないのです。

吉田さんという人は政治家としては立派な人です。今でも一番偉いでしょう。

けれども言い出したことはどこまでも通そうというのが毀(きず)です。そのためにいろんな問題を起しているのです。


去年の福永問題にしろ今度の広川問題にしろ、言い出したことはどこまでも通そうとするのです。そこに非常に損なところがあるのです。

だから例えば「馬鹿野郎」と言ったところで、確かに悪いのですから、悪いことについては謝るというのが本当です。

しかしそういうことがなくて単に取り消しというだけでは、「べつにそう悪いことを言った覚えはない」という意味が良く現われてますから、それではやっぱり駄目です。

ですから問題は大きくなったのです。

ところがそれがために民同派の分党ということになりました。


それから広川和尚の変なやじり方も、実にどうもお話になりません。

あの日に急に謝って復党しようとした。ところが、民同派の方ではああいうことを知らなかったらしいのです。いかにもだらしがないです。

ところが党の方では、承知できないと言って除名になってしまったということは、そのいきさつは実にまずいです。

これも昨日代議士たちと話したのですが、とにかく今の政治家はみんな、昔の政治家と違って実におもしろ味がないのです。

それはどういうわけかと言うと、みんな大学を出て役人になって、とんとん拍子に大臣になり、また国会議員になるというわけで、本当の民間の苦労をしてないのです。


ですからそれに比べると、昔の政治家は苦労をしてますから、どこかに味があるのです。

それで民間の苦労をしているのは、広川などは苦労してます。

しかしこれはいかにもレベルが低いのです。

なにしろ鉄道の工夫から酒屋の親父をして、それからだんだん来たので、それが残っているので野卑な点があり、それでは困るのです。


そういうようで今の政治家で、例えば今度の総選挙の結果、吉田さんが駄目になって、第二党、第三党とかになって、そうすると吉田さんが首相になるわけにはいかないが、さてほかにと言ってもいないのです。

重光さんが、順序でしょうが、この人は大公使の経歴を経てきただけで、政治的の苦労はありません。だから結局お坊ちゃんです。結局吉田さんもお坊ちゃんです。

ですからわがまま坊ちゃんの気があるので、自分の言い出したことを通そうという点があるのです。


それからもう一つは、多数党だからオレの方で思ったことはなんでも通る、頭数で押して行けばなんでも通るという考えがあるのです。

ところが最初のうちはそれでも良かったが、だんだん減っていったので、今度はそういうわけにはいかないのです。そういう欠点も大いに災いしていたのです。

だからして野党がどんなことを言ってもぜんぜん取り上げないのです。野党に了解をさせようという努力が足りなかったのです。

そういうようで、ただ頭数を頼りにしていたので、そこにつけこんで民同派の鳩山を立てようという連中がきわどいところでやったのですが、なかなかずるいようです。

こういう話をしているとニュース解説のようになりますから、このくらいにしておきます。」




明主様御講話 「経験豊富な人間の判断力は信用できる」 (昭和27年10月1日)

信者の質問
「解除組が進出したようですが、日本の民主主義の行き方と逆行するということはございませんでしょうか」

(註 解除組とは戦犯等として公職を追放されていた者のうちで、追放を解除され公職に就けるようになった人たちのこと。)

明主様御垂示
「ありません。解除組と言っても、みんな政治家です。ところがあの時分の政治家というのは、自分が戦争を企んだのではないので、軍人に引ずり込まれたのです。」


信者の質問
「頭が古いということは・・・」

明主様御垂示
「ありません。今の政治家よりかえって良いです。私は解除組が出たということは良いと思ってます。やっぱり世の中のそうとうの経験を得てますから、まず確かです。

かえって学校を出た若いほうが危ないです。」




明主様御垂示 「東大出の政治家は器が小さい」 (昭和24年2月18日)

信者の質問
「いままでの歴史的な古典などを研究することはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「ええいいですとも、大いにやったらいいです。古いものもある程度必要ですからね。

これから変わるといっても全部変わるのではなく、古いものからいいのを引き抜くんです。」


信者の質問
「「古きを温(たず)ねて新しきを知る」という態度ならよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、そうです。研究はいいんですよ。研究はいいのだがそれに溺れてしまってはいけないんです。・・・

いまの政治家の政治が下手なのは腹のある人がないからで、それは、いまの大臣はほとんど大学出、殊に東大です。

で、だんだん人物が小さくなり、理屈だけは知っているがどうにもならない石頭になってるからです。

昔の政治家はあまり学問なんかしなかった。

トルーマンは一九二一年には小間物屋の小売りをやっていたそうですね、デューイのほうは大学を出てますが。

私も以前は小間物屋をやっていたので大いに意を強うしているんです。(笑声)」




明主様御垂示 「始終かわいがられる子は偉くならない」 (昭和25年2月)

信者の質問
「「総領の甚六」と申しますが、夫婦が年も若く愛情もこまやかなときの子が甚六で、年を取り愛情も落ちついたころの末子によい子ができますのはいかなるわけでしょうか。」

明主様御垂示
「そうじゃないんですよ。

つまり、最初の子が生まれるときは夫婦ともたいていまだ若いから人生の経験も少ないんです。

だから、どっちかって言えば親のほうが甚六なんですよ(笑声)。

そしてだんだん苦労して経験もたくさん積んでからできる末子はいい子になるんです。

それに、最初の子はどうしてもかわいがりすぎますからね、それがいけないんですよ。

ところが、だんだん子供がたくさんできてくると、かわいがることが薄くなるってわけじゃなくても、たくさんいて届かないようになるんですね。

しかし、そういうほうが子供には独立心ができるようになるからいいんですよ。

だから先に新聞に書いたように、偉い人ってのは兄弟が多い中からできるんです。

兄弟が多いために甘やかされないからですね。

要するに独立心ができるんです。

自分で自分を助ける、その信念が強く養われるんです。

一人っ子にはあまり偉いのがありませんね。

だから始終かわいがられる子は偉くなりませんよ。

むしろ愛されないほうがいい。」


信者の質問
「そういたしますと、親はたいへん助かりますが。」

明主様御垂示
「ええ、そうなんですよ。

いままで言われた親の愛情にも間違いがあるんですよ。

例えば、子供が転ぶと日本ではすぐ親が起してやるけど、西洋では自分で起きるように言いますね。

これなんかも西洋のほうが本当の愛情ですよ。」


信者の質問
「では子供には厳格に躾(しつけ)をしたほうがよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、そのほうが本当は愛情が深いんですよ。」


信者の質問
「しかし、親の愛情を知らぬ子供はどうも片意地の所があるように存じますが。」

明主様御垂示
「それはまた極端ですよ。

いくら独立心がいいからって、愛情がぜんぜんなくちゃいけませんよ。

そんなふうだと、子供によっては親の愛を知らない子供になってしまいますからね。

結局ね、「猫かわいがり」がいけないんですよ。

だから兄弟の多い子供が偉くなるって言うんですよ。

愛情にも大乗と小乗とがあるんです。

そして、ただ大事にするっていうのは小乗の愛ですよ。

子供が苦しんでいても、それを見て見ないふりをする、それが大乗なんです。

だから、私だって信者が間違ったことをやってても、ちょっと注意するくらいしかしませんよ。

間違ったことだときっとしくじりますからね。

そのとき自分の頭をあっちこっちへぶつけて苦しみ、そのあげく、

ああ自分のいままでのやり方は間違ってたんだな、と気がつく、それが本当なんです。

そういうのを途中で注意したって駄目ですからね。」




明主様御垂示 「兄弟が多いと磨かれる」 (昭和24年3月13日)

信者の質問
「子供は上の子より末子のほうに優秀な子ができる場合が多いようですが、これはいかなるわけでしょうか。」


明主様御垂示
「子供は親がうつるんです。

長男なんかを産むころに較べると末の子を産むころは親のほうが経験も積んで智慧もついているから、これがうつって利口になるんです。

それからもう一つはどうしても最初できた子供は刺激がないのでボーッとしている。

それで総領の甚六だなんて言われるんです。

日本ではこんな統計は出てないが、西洋では兄弟の多いほど傑出したのができるという統計があります。

それは兄弟が多いと待遇も悪くなったりしてそのためかえって磨かれるんです。」




明主様御垂示 「可愛がられた子供は独立性に欠ける」 (昭和24年6月25日)

信者の質問
「産児調節の身体に及ぼす影響につき御教示下さい。」


明主様御垂示
「産児調節の仕方によって異(ちが)う。

陰陽の霊気交換で非常にいい。

器具を使うと霊気の交流を妨げられ、活気がなくなる。

半分自涜行為的になる。長くやるとよくない。

故に今にやめるようになる。

産児制限すると多産者がなくなる。

優秀な人間は多産者中より出る。多産児は優秀である。

大切にすると偉いのは出来ぬ。

(一人や二人では可愛がられるから独立性に欠ける)

産制すると坊ちゃん嬢ちゃんばかりとなり、その国が衰える事になる。

今、急に子供が殖えたのは、戦争に行っていたのが帰ったためで、夫婦別居したのが暫くぶりで一緒になり、精力旺盛で受胎し易い。

船員や海軍々人など子供が多い。外地引揚者などもそうである。

(今の政府は目先だけに捉われている)」




明主様御垂示 「可愛がられた子供は独立心に欠ける」 (昭和24年6月19日)

信者の質問
「メンデル遺伝の法則は、霊的にいかなる意味があるでしょうか。」


明主様御垂示
「メンデルの法則はあるにはあるが、唯物的解釈で、学者は人間も動物とし、物質的に考えるから間違っている。

兄弟が多いと頭がわるいというが、偉人は兄弟が多い所から生れる。西洋の統計にある。

兄弟が多いと可愛いがられぬ。独立心が起る。それで偉くなる。

故に産児制限などすると偉い人間もなくなる。

一人など可愛がられるから偉い人は出ぬ。

遺伝は一代おきにするようになっており、この点は合っている。

ハンセン病など病気も一代おきである。」