コツコツ主義について
明主様御講話 「一歩一歩成長するのが真理」 (昭和27年4月30日)
「なにごとも時期ですからね。
こんなに病気が治り、貧乏、争いが解決できる宗教が、
もっとどんどん発展しなければならないと、誰でも思うんです。
私始めそういうふうに思っているんですが、それはやはり時期ですから、
だんだんものが育って行くように、一歩一歩進んで行くんです。
神様の方は、突如としてパッとなるということはないんです。
それは、大自然の真理にはずれますからね。
どんなことでも、一歩一歩育って行くんです。
その代わり確実ですからね。
時期さえ来れば、ちゃんとその通りになるわけです。
ですから今度の京都に来た意味なんかも、やはり最初チラッとしたくらいのことが、
だんだん一歩一歩具体化してくると、こういうわけなんです。」
明主様御垂示 「コツコツ進むのが良い」 (昭和24年10月24日)
「本当の神様のやり方は非常に順序正しい。ジリジリ育つように進む。
失敗する人は一遍にパッとする人に多い。人の計画など聞くと大仕掛にやる。
コツコツ主義でなくてはいけない。樵(きこり)など、ゆっくりしている。
最初は威勢はいいが、すぐにクタびれてしまう。」
明主様御垂示 「遅いもの程よい」 (昭和24年12月27日)
信者の質問
「本年一反の同じ畑に麦種を三人で蒔きました。
教修を古く受けた人、最近受けた人及び受けてない人の三人です。
教修を受けない人の方が芽の出が一番早く、最近受けた人のが次で、古く受けた人の分が後という事実です。いかがなものでしょうかお教え下さい。」
明主様御垂示
「早く出ぬ方がよい。すべて早く出るのはいけない。伸びるようになってから違ってくる。仕事なども早呑込みをする人は駄目である。
英国の格言に「遅くとも確実に」とあり、至言である。
私なども熟慮断行である。あらゆるものにその真理は共通している。作物などもそうである。」
明主様御垂示 「始めは小さく徐々に大きくなるのが本当」 (昭和24年6月25日発行)
「神様のほうにもいろんな事情があって遅速があるのである。
私は最初のころよく「散花結実」という言葉を用いたがそういう場合もある。
これは花が散って実が実るということで、多くの場合一時さかんになるが花が散る時が来ると暇になるのであるが、実ができるのは時間がかかる。
人間は焦りたがるが、閑なのは一時的現象で決して長く続くものではない。
なにごとも始めからパッとするのはいけない。
実が実るように始めは小さく徐々に大きくなるのが本当である。
また発展をしない理由は、なにか神様のお気に入らぬことがあるわけもあるから、よくその心と行いを考えてみるべきである。」
明主様御垂示 「すべて物事は漸次進んでゆくことが良い」 (昭和24年10月25日発行)
「すべて物事は漸次進んでゆくことがよくそれが順序である。
突然に変わるのは本当でない。
例えば新しく教導所を開く場合、最初はできるだけ小さくする。
人間が赤ん坊から育ち一人前になるごとく、また草木の種子がだんだん二葉から大きく育つ。
それなら根が張り枯れたりなどしない。
これが大自然の実相だ。
私などこの仕事は六畳一間から始めた。
信仰も最初は種蒔きであるから話すだけにしておく。
それが育つに従い先方が耳を傾ける程度になったら雑誌新聞を見せる。
そのうちに教修を受けたくなり教修を受けさす。
そのうち病気が治ったりなどして光明如来様をお祭りする。
このようなやり方で入ったのは信仰に動揺がない。
急いで入信したのはいわゆる根が固まっていないから動きやすい。
これはいかなることでもそうである。
おもしろいもので最近新興宗教というと本教が一番目指されるが、決して一番になろうと思ったわけではない。
これも最初は目立たぬようできるだけ大きく見せないようにした。
この点世間とアベコベでその結果一番拡がったようだ。」
明主様御垂示 「一切のものは漸進的に行くのが真理」 (昭和24年11月14日)
信者の質問
「地上天国は急に出来ますか」
明主様御垂示
「そんな事はない。
すべて一切のものは一ぺんに行くものではない。
和光同塵は今迄大先生のなされた事である。
いろんなものは育つように行く。しかし停止する事なく進んで行く。気候とてもそうで、段々暑くなったり、寒くなったりする。
人間の方では一ぺんに変えようとする。
階段を一ぺんに飛上ろうとするものが多い。そのために失敗する。必ず転落する。
(二、三段一度に昇ろうとするから)
(ヒットラーなどもドイツだけ治めていればよかった)
共産主義のごとき、一ぺんにスターリン一代でやろうとするが、これは嘘だからきっと駄目になる。
相場でも一ぺんにパッとする事がある。そこに穴が出来る。しかしまた漸次立直る。
一切のものは漸進的に行くのが真理であって、それに外れたものはない。
相場の動きは大したもので一つの真理である。
多勢の人間の想念等が一つのものに表われるものである。
一切の動きの反映が表われる。他の政治経済等すべてそうなっている。
ブランコのようなもので、この揺れが今迄は大きくあった。
(戦争など)その時に人間が苦しむ。
みろくの世には、そのユレが小さくなる。
しかし、この揺れがなければ、進歩発達しない。
(上ったものは必ず下る。多く上るものは多く、下る時は勢があるから、今に戦前よりもっと下る。暴落する。民主中道政治)」
布教もコツコツ主義で行く
明主様御垂示 「布教の発展も地道に行う」 (昭和25年)
「進歩発展するには決して一遍にやってはいけない。
地味に、真面目に発展しなければならない。
先月よりどこか殖えていなくてはならぬ。やがて大きなものとなる。
アメリカなどは決して一遍にやらぬ。日本の爆撃などでも少しずつやる。
北鮮に対してもじりじりやってゆく。すべては自然の原理である。自然を離れてうまくゆくものはない。
あらゆるものは自然を見習うべきだ。自然が先生だ。
新人にならなくてはいけない。特に多くの宗教家は古い。また、それをいいとしている。
故に他の宗教と反対で、今迄の文化は旧式である。
新しい人間になり、新しい文化を作る事である。
世間には徳川、平安時代などの人もいる。実に非能率的である。
人間は善い事でも一ぺんにやろうとする。それがいけない。
反って物事を壊す。焦らず、騒がずやらなくてはならぬ。
すべての仕事の要点、相手の気持をつかまえ、能率的に処理する、それが新人である。
巾着切りみたいにならなくてはならぬ。物をみるのが早い。目ざとくなくてはならぬ。
人の眼付や顔色ですぐに知らなくてはならぬ。心掛けると判る。
すぐに表わすと気味悪がられる。
世間では、ユスリなどあまくみる。それでいいと思っている。
正神は非常に鋭いものである。
メシヤ教の信者は最も新人にならなくてはならぬ。新しい文化世界を造るのであるから。
今の新人は地に足が着いていない。自分が作ったもので自分が破滅する。
というのは、それを使う人が悪いので、使用者の精神によるので、善人が使えばよくなり、悪人が使えば悪くなる。使う人間の心である。
医学、農業の革命が根本で、それが成れば政治、経済等すべて新しくなる。
神様が御経綸なされている。
今迄の宗教にはそういう力はなかった。
天国的文化人にならなくてはならぬ。」
明主様御垂示 「離信が多く発展しない理由」 (昭和24年11月15日)
信者の質問
「私の分会は福井市が中心になりますので、福井市を重点に分会長以下開拓に努めておりますが思うように発展致しません。
少数の入信者はありますが、初めは熱心であっても段々遠くなり「古きが消え新しきを生む」事を繰り返し、結局発展致しません。いかなる理由でしょうか。
これは私共の誠の不足からか、または土地の因縁によるのでしょうか。
先日、分会長は氏神様に参拝祝詞を奏上し、本教発展を祈りましたが、今後はいかにしたらよいでしょうか。御教示願い上げます。」
明主様御垂示
「信者を獲得出来ても離れるのは、一番の原因は土地にある。
真宗の勢いの強い所で、何百年の歴史を持ち、根強く入っているから、一朝一夕には転換出来ぬ。これでいい。
種を播くのであるから、いつか実る。
人間の眼には発展せぬ所もある時期へゆくとパッと発展する。芽が表われるのである。
であるから、そういう事は気にせずコツコツやってゆく。
神様には順序があって、種を播く所、育てる所、刈り入れる所といろいろある。気をもむ必要はない。
(新聞の妨害の事など、神様に聞くと・・・。
神様は絶対力があるとすれば、そういうのをちょっとつまむのは訳はないのに悪口などをやってるのは、発展し過ぎると外に準備が出来ぬからであると・・・)
すべて発展するものと衰えるものとある。
(昔相場を研究したが、その結果「上げる時はパッと上り、下る時はジリジリ」これは上げ相場で、「ジリジリ上りパッと下る」のは下げ相場である。
即ち上げる時には勢いがあり、下る時には上げる力がないのである。
事業でも宗教でも同じ理屈である。
本教も税金問題で暴騰した訳だ)」
明主様御垂示 「明主様にも布教の種まきの時代があった」 (昭和24年)
信者の質問
「自分のいる村の人々は観音様の話をしても分らず、御利益を見せ付けられても疑い、かつあざけり笑い、悪しきは反対をも致します。
さりとて開拓に出かけても芳しからず、金は要る、日は進むし、進退きわまったとさえ思う時があります。」
明主様御垂示
「これはある。大先生様(註 明主様のこと)も信者が一人もなかった。話しても分らず、困った。それが段々拡がって・・・。
気長にゆっくりやる。時期が来ると必ず生きる。種播きである。
その人の魂へ種を蒔く。無理に作ったのは挫ける。」
専従への転換は漸次的に行うべき
明主様御垂示 「御神業への転換も徐々に」 (昭和25年1月25日)
信者の質問
「四十歳の男子、目下小学校教師ですが、危機迫るこの時、本人は本教によりあくまで救世一方で行きたい、
それについてはどうしても現職たる教師を止めなければ種々の支障があるので困っていますが、
今教師を止める事によって妻とも意志の疎通を欠き、家庭不和を来す懸念もあり、
またたちまち生活上にも困るようになるので本人は迷っておりますが、何か良い方法はありませんか。御教示願います。」
明主様御垂示
「いきなりやめずに準備する。
そのうち段々浄霊を受ける人が殖えて、教育をやめても生活に困らぬようになって、初めてやめるとよい。
パッとやめるのは乱暴である。
何でも転換する場合は徐々としてするのでなくてはいけない。
無理なく、苦しみなく出来るのでなくてはいけない。
そして目立たず支障なくゆく。気を焦らず落ついて移る。
大自然がそうである。寒い時から暑い時に一度にはならぬ。段々になる。そのようになるのが大自然の姿である。それを習わなくてはいけない。」
明主様御垂示 「御神業への転換も徐々に」 (昭和24年9月7日)
信者の質問
「私は屑物行商をしておりますが、前途の見通しが解りません。
現在手持の品物は処分しこの御神業に専心すべきでしょうか。
経済界のいかんによっては職業はこのままでお手伝いさせて頂いて差支えないでしょうか。」
明主様御垂示
「これは智慧が働かぬ。最初は両天秤でいい。両方やればいい。
そのうち大勢信者が殖え、立派に生活してゆけるようになればやめてもよい。迷う必要はない。
私なども最初からそうやっている。
今の家業をやりながら、信仰している者は徐々に移るべきで、急に一遍にするのはいけない。
反って徐々にするのが早い。
アメリカのやり方はそれで、決して一遍にしない。
ヒットラーのようなやり方はいけない。
日本の空襲の時でもそうである。
だからアメリカには失敗がない。」
明主様御垂示 「御神業への転換も徐々に」 (昭和25年4月27日)
信者の質問
「私は綿打加工業を開業致すべく準備致しましたが、近頃入信させて頂き、御用の偉大さを知りました。
綿打加工業は中止して御用に専念致したがよろしいでしょうか。
また、開業して双方共に進んだがよろしいでしょうか。御教示願います。」
明主様御垂示
「勿論御用に専念した方がよいが、この人の懐具合である。
一年位食える蓄えがあればよいが、最初から収入を得られる事は出来ぬ。
故に、綿打業をしながら浄霊をする。
そして、収入を得られるようになったら漸次替えてゆく。綿打業の現状による。」
明主様御垂示 「御神業への転換も徐々に」 (昭和24年6月23日)
決心と智慧が必要
信者の質問
「京都の一会員(祇園の貸座敷業)中風と肺を御浄霊にて御救い頂きました。御守護厚く御礼申し上げます。
本人も大変喜び、今後積極的に御道に御奉仕させて頂きたいと念願致しておりますが、
今の職業を続ける事が申し訳ないように存じ、今後の進む方向に迷っております。
いかが致したら宜しいでしょうか。御教示お願い申し上げます。(本人は本日参上させて頂いております)」
明主様御垂示
「迷う要はない。よす外ない。迷う事はない。よすと決心すれば何でもない。
よすとしてもなるべく損害や被害のかからぬよう智慧を働かせる。
急がなくとも漸次やってゆけば、神様の守護が加わり、うまくゆく。」