親切さについて


明主様御垂示 「同情しても行為に表わしてはいけない場合がある」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「人に同情するということは難しいと存じますが実際に同情の気持ちをどの程度に行為に表わすべきでしょうか。」

明主様御垂示
「そう難しくもないですね。同情するったって自分の常識の程度で同情の心を具体的にすればいいんだが。

ただその場合判断が必要です。同情はしてもそれを行為に表わしてはいけない場合がある。

苦しんでいる人もなにかその人に苦しむ必要があって苦しむことがあります、こんなのはかえって助けてはいけないのです。

程度を超えて慈悲をすることも反対になまけ者を作るようになることもある。

例えば乞食に金を恵むのはいいことのようだがそうとも限らない。

道端で小さな赤ん坊を抱いてる乞食でも中には日当いくらでその赤ん坊を借りてくるのもあるんです。(笑声)

だからそういうことも知らなくてはいけない。

ただ、障害者とか廃兵は無条件で助けてやるべきです。

殊に軍国主義のため強制されて障害者になった人なんかは、これは実際かわいそうです。そういう意味で助けたらいいのです。・・・

またもう一つは病人で苦しんでいる人はなにがなんでも助けてやるべきです。

私も家の者が苦しいと言えば寝てからでもまた起きてやってやります。」


信者の質問
「御礼金が出せないような場合はいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「本当に出せないのならしかたがないが、出せるくせにケチで出さない人もある。これは勿論いけない。」




明主様御垂示 「浄霊の際、親切にするほどいい」 (昭和24年3月8日)

信者の質問
「御浄霊の際、患者に対してはどの程度親切にすべきでしょうか。」

明主様御垂示
「これは程度がないですよ。すればするほどいいです。」


信者の質問
「よく、先生によっては威厳を示す方が見られますが・・・」

明主様御垂示
「そんなことはありません。威厳なんか示す必要はない。

私自身だって別に生神様に見せたいとは思ってません。」




明主様御垂示 「統率力について」

信者の質問
「いかにして進めば人はついて来るでしょうか。」


明主様御垂示
「ついて来なくちゃおれないような行ないをする。

その人を敬まう・・・この人について行けば将来間違いない。

中心は誠で、その人を幸せにしたいという・・・

一番の幸福は人を幸福にする幸福で、懇切に指導して、親切にしてやる。

言ってしまえば訳ないが、なかなか行なうのは大変である。

一番簡単になれるのは、人がついて来るようにしたいという心持である。

すると自然に行ないに出る。

すると神様に気に入られ、可愛がられ、特別御守護があり、思った事を実現してくれる。

それはとても可愛がられる。

弥勒様は大変な御力で、どんな御力でも出る。」




明主様御垂示 「親切・順序・公平」 (昭和24年8月30日発行)

信者の質問
「御浄霊の際患者に対しどの程度親切にすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「親切にすればするほどいい。

程度はないが順序は大事で、神様第一でなくてはならぬ。

しかし人によって区別するのはいけない。

どこまでも公平であるべきだ。」




明主様御垂示 「公平に親切にしろ」 (昭和24年3月8日)

「それからまた、人に対しては公平でなければならない。

あの患者は金があるから親切にしてやろう、あの人は土百姓だからあまり親切にしてやらない・・・というのではいけません。

以前使っていた女中は、「他の人は自分の話を聞いてくれないが、大先生だけは私の言うことを聞いてくれる。これが一番ありがたい」と言ってたことがありました。

大本教の教祖にある人が「あなたはどの人にも同じように応待するが、あなただって人により好き嫌いはあることと思うが、見ていてちっとも判らない」と言ったところ、

教祖は「勿論好き嫌いはある。しかし神様は公平なんだから神様のことをしているとき、好き嫌いを表わすことは間違いである。

だから私はそれを表わさないようにしている」と言ったことがありましたが、なかなかいい言葉ですね。」