正直主義について 2 (御講話・御垂示)
明主様御講話 「嘘の種々相」 (昭和28年9月7日)
「またよく嘘をつきますが、嘘をつくというのは偽るのですから、一つのずるさですが、これも趣味です。
それでどうも嘘が止められないという人がたくさんあります。
それでいつか聞いたことがありますが、君は嘘をつくが、いったいなにがおもしろいかと言うと、
嘘を言うと相手が驚いたり、耳を傾けたりするのがおもしろいというのです。
嘘といってもいろいろありますが、一番始末が悪いのは人を喜ばせる嘘です。
「今度こういう信者ができて、この人が信者になったら、一度に信者ができる。
こういう勢力があって、こんなに金がある。こんなに仲間を集める」というのです。
それで私を喜ばせようというのです。
その時分には私も、それはたいしたものだなと言って喜ぶのです。
そうするといつかしら煙になってしまうのです。
そういうことがいくどもありました。
それは喜ばせる嘘です。
これは喜ばせる代わりに、嘘ということが分かると、こっちはよけいガッカリします。
さらにまたびっくりさせる嘘があります。
「今度はこういう方面でメシヤ教をやっつけようとしている、こういう計画をしているというから、よほど気をつけなければならない。
しかし私にはこういう手があるから、この方から手をまわせば押さえられないことはないが、
とにかくお気をつけになった方がよいです」というようなことを言うのです。
ですからこっちは言葉どおりにウッカリ信ずることがあるのです。
それで私がそれに耳を傾けると、それに興味を持っているのです。
それも一つの大きな罪悪です。
それらはなにかというと、つまり副守護神がおもしろいのです。
新聞などにいろんなことが出てますが、みんなそれです。
ですから詐欺師とか、いろんなインチキでウンと金を集めたりして、
おもしろおかしく遊ぶ奴がよく出てますが、みんなそれです。
ところがそれは副守護神がのさばっているからなのです。
それをキューッとやってしまえば、そういうことがつまらなくなり馬鹿馬鹿しくなります。
そうすると頭がはっきりしてくるから、そういうことをしていてはつまらないということになって、
それよりか人の信用を得てよい地位になった方がよいという、算盤ということがはっきりしてきます。
ですからそういう人間に限って算盤をとらないのです。
ですから私はいつか「算盤をとれ」という論文を書きましたが、算盤を正確にとれる人は、やっぱり曇りが少ないわけです。」
明主様御講話 「日本人は嘘をつくのが習慣になっている」 (昭和26年11月15日)
「それからこれは関連した話ですけれども・・・嘘ですね。
日本人の特徴のように思いますが、日本人は実に嘘をつくんです。
嘘をつくのが、意識的に嘘をつくんじゃない。
嘘をつくのが習慣になっている。
自分で嘘つくのが分らない。
それほどに嘘が身についているんですね。
色々、人の話を聞いていると、本当に正直に言うのは、おそらくないと言っても良いですね。
必ず嘘があるんです。
その嘘が・・・本人は嘘と思わないで、本当だと思っている。
その場合に私が、この点が嘘で、これが本当だと言うと・・・それでも解らない人がありますね。
そうすると、こう言う場合に、これが本当で、これが嘘だと言うと、なるほどと言う。
簡単な事を、わざわざ嘘を言ってややこしくする。
これは偉い人に多いですね。何か問題が起こる。
すると・・・正直にすると簡単に解決する。
それをややこしくしている。
私に、こういう事を言った人がある。
この場合にこう言った方が良いですよと言うが、嘘なんです。
そのご忠告通りにやってみると、成績が悪いんです。
何か、そこに・・・スラスラ行かないんです。
それで私は思った通りにやるようにした。
思った通りにずばっとやる。すると良い。正直が一番良いですね。
正直にしていると、何も頭に残らないから・・・気が咎めないから良い考えが浮かぶ。
嘘の執着ですね。
だから嘘か本当かが、自分ではっきり分れば、そこではっきり標準ができる。
頭の居所が上になるんですね。
特に信者は、正守護神からいろんな事がある場合に、頭を空っぽにするというのは、嘘をつかないんですね。
また、自分に不純な心がなければ・・・誠意があれば、いくら本当の事を言っても、いっこう差し支えないんですからね。
よく・・・以前なんか、家内なんかが私に、そんな事を言っちゃいけませんよと言うんです。
しかし、私は何でもありのまま言うんです。
すると案外先方は好感を持つんですね。
私なんか、随分ひどい事を言う事があります。
今はそうでもありませんが、以前の・・・駆け出し時分にですね。
はっきり言うんです。
すると、先方が怒りそうなもんだが、怒らないで笑い出したりします。
この点アメリカは非常に正直だと思いますね。
映画を見ても、言葉が書いてあるが、あれを見ると、実に正直で、日本人には見られないようですね。
だから、アメリカ社会が明瞭だというのは、そういう事ですね。
もっとも、日本人は封建時代から押さえつけられていたから、
はっきり言うと誤解されるからで、これは政治のためですね。
以前はすべて曲げなければならない。
最初の、「明日の医術」「天国の福音」・・・「明日の医術」なんか、随分曲げて書いてある。
ぼやかして書いてある。徹底しないというが、徹底して書けないですね。
「天国の福音」になると、余程違っている。
この頃になると思いきって書くから、徹底してますがね。
でもまだ、お医者や何かに気兼ねして書いている。
今度の「文明の創造」なんかは、全然そんな事なく思った通りに書いてある。
世界を相手にするので、ややこしい書き方の必要もないし、それじゃ徹底しないからね。
それから、言論の自由からいうと、何ら差し支えないからね。
どうせ今に出るから、見るとよく分りますがね。」
明主様御垂示 「日本人は嘘が常習」 (昭和24年3月8日)
「それから、心配するというのはたいてい自分が間違ったことをしているから心配するんです。
もし間違ったことをしていなければ心配する必要はないはずです。
私もいろんな情報が入ってきても、別に悪いことをしてないから心配なんかしないのです。
だから肝腎なことは人間嘘をつかないことですね。
嘘をつくとバレやしないかと思って心配する。(笑声)
だからね、私は嘘つきの心配はたいへんだろうと思うんですよ。(笑声)
私も嘘はできるだけ言わないようにしてるんです。
言わなければならないときはしかたがないが(笑声)・・・
だから、大先生が嘘なんか言われるはずがないと言われてかえって困ることもあるんです。
日本人は一般に嘘が常習になっています。
以前使っていた人に一人よく嘘をつくのがいたんですが、
嘘つきを少し治してやろうと思ってあるときその人がいろいろ話をしたとき、
「あんたのいまの話の中でこれとこれが嘘だ」と言ったら、目をキョロキョロさせていましたが、
それから少しよくなったようでした。
そういう人のは計画的ではないからつい不用意に出てしまうのです。
まあ、慢性の嘘つきですね。(爆笑)」
明主様御垂示 「日本の封建制とウソをつく習慣」
「日本人は封建性が長く続いたから、嘘吐くようになっている。
圧迫されているから、物を捻じ曲げて話す。
日本人はよく笑うという、そういう習慣が日本人に着いている。
曲げたり、色つけたりするんで、本当の事が判らぬ点がある。」
明主様御垂示 「嘘つき迷信」 (昭和25年)
「日本人の無欲性。
隠し果(おお)せるという迷信。
立派な人と信用されれば・・・。
一時的うまい事で誤魔化す。
タッタ一つの嘘で全部が崩れる。そういう人間が多い。教団にも沢山ある。
信用を受けてからなら、どんなうまい事、良い事でもある。
それを大局からいうと、ヨクない、欲ない。」
明主様御垂示 「正直が一番いい」 (昭和23年8月4日)
「嘘吐くのもいる。日本人は特にそうである。
私は二十五歳の時独立して商売を始めた。
その創める前「お前なんか成功するか」と言う。
「きっと成功する」と言うと、「世の中で成功するのは皆三角流で行かなくてはならぬ」と言う。
それで、最初はいろいろ手段を使ったが、うまく行かず、正直にやったらうまくゆくし、信用された。
絶対正直に言えない事があり、止むを得ず嘘をいうと、それをまた信用する。
正直が一番いい。それを決して駆引きなく書いた。
アメリカがそうで・・・。
政治でも何でも、どこまでも本人の納得する事でなくては決して言う事を聞かず、結果が悪い。
表面聞いてもいつかは必ず背く。
既成宗教は非常に嘘が多い。仏典でも聖書でもはっきりせぬ。
二つにも三つにも解釈出来るようにしか書かぬ。
そういう書き方をせぬのが新形式である。」
明主様御垂示 「ウソをつくと布教は発展しない」 (昭和23年9月26日)
「教導師でも嘘を吐くのは発展しない。
何にもしない事は怠けの罪になる事を知らない。
仕事が済んでの休養はよい。
頭があり、手があり、足がある以上、使う程よい。
頭を使うと健康になり、長生きする。使うほど発達する。頭のわるいのは使わない点もある。
予定を作ってその通りやらぬと恐怖感のごときものを覚える。
これは一つの地獄である。」
側近者の寄稿 「嘘の寸言」 (昭和26年5月16日発行)
「明主様はある日つくづく仰せられていた。
明主様御垂示
「今の世の中の人間は実に嘘をよくいう、アメリカなどは少いようだが、特に日本人は殆んど嘘つきといってよい、
毎日訪問に来る客でも、全く嘘をつかぬ人は少い、
一頃は私を誤魔化そうとするものが毎日来たものである、
ひどいのは私をまるでお人好しのお大名のようになめ切つて巧くハメ込もうとして、
誠しやかに見え透いた嘘を並べるので呆れてしまう、
私にはどんな巧い嘘でも分り過ぎる位判るんで、
いつも程よくあしらってはボカしてしまうので終に諦めてしまうが、
寸鉄で「あまくない者を甘く見るあまさ」と言ったのはそれである、
そういう人間は嘘をつくのが習性になっていて、
平気で嘘を言うし、又自分で嘘を言ってる事さえ気がついていない、
中には自分の嘘に陶酔している者もある、
私の部下の中でも、よくありのまま答えればすぐに出来る筈の返事を言い渋っている事があるが
これは「どういう風に誤魔化せば叱られずに済むか」と言訳を考えているからである、
私はそういう場合よく言ってやる
「嘘を言うのはやめよ、お前達に誤魔化されるようで、世界人類の救済が出来ると思うか」と・・・(中略)」(註 明主様の御垂示は以上)
私が御側にいる頃、屡々経験したが、右様な場合、正直にお答えする時は、
可成りひどい誤りでも、意外な程お尤めはなく御慈悲の御心を泌々感ずるが、
言い逃れの態度は絶対に許されぬ、言訳をすればする程益々立場に窮してお叱りを戴く結果となる、
それは誤りの粉飾に過ぎぬからだ、間違いはお許しになるが、
偽りは徹底的になくさしめんとせられる、有難い思召しからである・・・
明主様は又言葉をお続けになる。
明主様御垂示
「最もひどいのは神様を誤魔化そうとする極悪な奴である、
もし神様が誤魔化せるとすれば、人間が神様より上だという事になる、
どんなに巧く誤魔化しても嘘は必ずバレるもので、
そういうすぐにバレるような嘘で固めて成功すると思う所に、彼等の頭は大きい欠陥がある、
散々努力して築き上げては一挙に崩れてゆく、
そんな精出して笊へ水汲むような事を始終繰返している悪人の愚さは、言うべき言葉もない」と。
(註 明主様の御垂示は以上)
叙上の御言葉を承わって現代社会の真相をはっきりと判らしていただけたような気がした、
よく自分に聞いてみると、熱心な信仰をしていると思っている吾々の心にさえ必要な嘘以外の多分に偽りの分子がある事を否定出来ない、
時に御神書に照す時、自ら嘘と思わぬ嘘も多々発見する、
せめて自分から嘘を無くそうと努めて来たが、抜けそうでいてなかなか抜けないものである、
明主様はよく「嘘をつくと頭が曇るから、頭の働きが悪くなる」と仰せられたが、
自分の頭の悪さから考えると、未だ余程嘘があるのかと思うが一面又祖先伝来のものでもあろう。
由来日本歴史には権謀術数に織りなされた、支配者の歴史はあっても、大衆の歴史は殆んどないといはれるが、
長い間の封建制の桎梏の中で、庶民もまた保身の道を身に着けて来た、
それがいわゆる伝承の処世術即ち嘘吐き術であったろう、
そしてそれは遂には尊重さえされて来た結果一つの国民性となって、今もなお陶汰されずにいる所か、
文化と共に進歩悪質化して行きつつあるのではあるまいか、
誰が考えても今の世の中は悪質な嘘で囲まれ、固められていて油断もスキもあったものではない、
勿論必要な嘘もあるが、醜悪を蔽わんとする本質的な嘘はいよいよ倍々悪を醸成している。
又文化の面においても人間の力で解決のつかぬ事も解決出来たように見せかける嘘の、恐るべき偉大な進歩を遂げつつあるものもあるし、
その嘘に気づかぬ現代人の頭脳も又嘘で固っている、
全く三千誤魔化し世界とでもいいたいのである、
もし嘘のない世界、否せめて嘘より真実が過半を占めたとしても、
この世の中はどんなに明るく住みよいものになるであろうか、それだけでも天国といえる、
本来住みよく明るい気楽な世を人間の嘘がわざわざ暗く、住みにくい憂世にしている訳で、何という馬鹿げた事であろう、
そういう一切の嘘を明かにし、真実の世を造らるるのが明主様の御本願の基本であり、本教の仕事である。
明主様は、実に驚く程正直な御方で、
人の言う事は何でもそのままお受けになるが、
それでいて絶対に誤魔化す事は出来ぬ、
それは御自身光明を放射され給うているのは勿論、
正直に徹せられた鏡の如き真そのものの御心境は、
正邪、善悪、真偽を直ちに映破されるからである、
嘘で充満した汚い社会を、大愛と絶対力をもって浄めらるるは、
全く想像もつかぬ御事であると思うのである
新興宗教は、とかくユスリタカリの如き嘘つき業者が蝟集し易いものである、
何と言っても見えざる神を信ずる程の人は邪念薄く人の言葉を信じ易い嫌いがある
そこが彼等の乗じ易しとする所であろう、
本教とてもかかる人種の策謀によって思わぬ被害を蒙ったが、
本教においては他に類例を見ぬ程大仕掛深刻で、
従来幾多の危機に見舞われたその深慮遠謀と策の巧緻なる、
まことに心胆を寒からしむるものがあったが、
ことごとく明主様の御眼力に見破られるのである。
しかし彼等の妨害は常に神業の新たな展開を結果し、
神の御眼には必要の為利用さるる具である事を知る時、
経綸の深さに讃歎久しうする次第である。
過去において如何なる望みも成し遂げ来った、
悪魔もただ一つ明主様の放たれる御光の力は如何とも抗し得ぬ空前の脅威である。
人類のすべてを動員し、偽瞞し、混乱し、破壊に導いた大詐偽師悪魔の横行に艮(とどめ)さす、
神の大御光の出現し給うた以上、この世の偽りはここに終息し、真実の行わるる世の成就するは必然の理である。」