急所を発見せよ


明主様御講話 「急所の発見」 (昭和28年7月5日)

「なにごとでもそうですが、まず急所です。

浄霊の場合でも急所を発見することです。

急所を発見するということは、いま言ったようなことをだいたい知っていると急所が非常に分かりやすいわけです。


自分で自分の健康診断をする場合にも、

体中を触ってみて熱のある所に毒素があるのだから、

触ってみてずっと冷たければよいですが、どこかに熱がありますから、そこが急所です。

それから押してみて必ず痛い所があります。

人によってはまるっきり痛くない人がありますが、

これはなにかというと毒がなくて痛くない人はまずないでしょうが、

毒が固まりきって少しも浄化が起ってないのです。

それで痛いということは、固まりにいくらか浄化が起っているから痛むのですが、

浄化がぜんぜん起ってないと痛まないのです。

ですからこういうのはかえって危ないのです。

そういうのはかえって信仰にはいると、痛みのない人が痛みが出てきますが、これはそこだけが活動を始めたのです。

しかしそういう人はごく少ないので、たいていな人はどこか痛いのです。

そういう所を自分で浄霊するなり、後の所は人にやってもらうなりすると、それは健康になります。


それで自分で浄霊するにも一番は肩ですが、

肩で固い所がありますからそこをやればよいです。

そうしてごく小さい固まりがあることがありますが、

それを浄霊するには、指から霊を出すのです。

これはいつも言うとおり触ってはいけません。

二本の指でこうやって、中指から霊を出すようにするとよいです。

この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。


そういうようでなんでも急所です。

ところがこの急所を外れていることが多いのです。

これは病気ばかりではないので、日常のことや話や、いろんなこと、また宣伝の具合でも、

人が「信仰にはいろうか、どうしようか」と迷っているときに急所をピタッと言えば、

「では、はいろう」ということになりますが、

その急所を見つけるのがなかなか難しいのです。

しかしその人の智慧証寛が進むと、急所の発見が早くなります。

どんなことでもその急所をやることです。

それから急所が見つからないときに、あせってやってはいけません。

それはまだ時期が来ないとか、いろいろな事情があるのです。

ですからふだん心掛けていれば、時期が来さえすれば急所は見つかるものです。

ですから病気でも、どうも熱が冷めないというときに、ちょっと急所に来ると冷めることがあります。

これはあなた方でも経験することがあるでしょうが、

急所を発見するということが、人間人生の最大の条件です。


ですからいまの政治、経済、外交ということも急所を外れているために、

ずいぶん間抜けなことをやっているわけです。

私はよく新聞ラジオで聞いてますが、政治家が大勢で毎日いろんなことを会議したりしてますが、急所を外れてます。

とにかく偉い人たちが大勢寄って相談してますが、急所の他のことを相談しているのです。

ですからよい案が出ないのです。

というのは頭が悪いわけではないので、頭は良いのですが、ただその頭も外側が良いのです。

中身が悪いので、外側ばかりをいろいろ論議して、中身を論議する人はないのです。

やっぱり ☉(ス ○にチョン)のポチが分からないのです。

ですから人間は急所の発見ができるような頭を作ることです。

信仰もその修行です。

メシヤ教というものはですから、

いままではみんなこれが分からなかったのを、これを分かりこれを主にして救うということが根本なのですから、

そういった頭で物事をみたり、いろいろやったりするとすばらしいものです。

これはなかなか難しいですが、せめて急所に近い所がすぐ分かるようになれば結構です。」




明主様御講話 「何でもかんでも急所を見つけるべき」 (昭和26年11月18日)

(御論文「算盤と能率」の後の御教え)

「今ので大体分かっただろうが、一番・・・人間が何かやる場合に肝腎なのは、急所を知る事です。

鉄砲玉みたいに・・・敵を倒すのに一発で・・・だから、一発で敵にぶつかるようにする。

そううまくは行かないだろうが、それを、あんまり無駄玉を打ち過ぎるんですね。


私はつい二、三日前に・・・鉱山をやってますが・・・山に行ったんです。

それで初めて分ったんですが、行って良かったと思ったね。

なんだか行ってみたくてしょうがなかったので行ったが、神様に行かされたんですね。

やっぱり全体から見て、全然見当違いをやっている。無駄玉やっている。

一カ所だけは、今月の月初めに急所をやる方法を指図したので、それはその通り準備してましたがまだまだ素晴らしい急所があったんですが、それは全然無頓着だった。

もっとも、そこの許可をうけたのは十日前だから、後回しにしていた。

私は許可を受けたらその日にやる主義ですね。それでそう言う素晴らしい所を発見した訳です。

段々・・・考えながら帰ってくると一刻も早くやらなければならない。

帰った晩に・・・十三日の晩に帰ってきたが、以前の坑道詳しく調べて帰れ、と言う電報を打った。

十四日の朝電報を打ったが、調べて昨日返ってきた。

私の思った通りで、すぐに行って、こう言う風にしろと言ったところが、二十一日まで待っていただきたいと言う。

私はちょうど映画があったので、聞きっぱなしであったが、映画を見て帰る途中、電話をかけて、明日行けと言った。

それで二十一日までに私が言った通りにして帰れと、すっかり指図したんです。

そう言う事が、世間並のやり方と異なる私の能率的な事です。私が昨夜言ったので、今朝行ったんです。

そうすると十八、十九、二十、二十一・・・四日間節約した訳ですね。

これが今言う能率ですね。私のやる仕事ですね。

だからそういう点が、見込みがついて良いと言う事になると、一刻も早くやるんですね。

そうかと言ってあせってはいけない。あせらないで、物の無駄がなく、急所急所をやっていくんですね。

十三日に行った時に、一番の山の急所を発見したんです。

だから、発見した以上は一刻も早く手を付けるというやり方ですから、うまく行くのは当たり前なんです。

そう言う事が普通の人は、割合のんきなんです。

今の論文と言うのは、そう言う意味なんですね。


私は随分仕事をたくさんしますが、一々細かい話は出来ないんですがね。

普通の人が十日もかかるような事が、大抵一日でやってしまいますがね。

一昨日、昨日も、東京に行きましたが、美術の事ですがね。

二日間で素晴らしい事をやりましたがね。

普通の人もある程度まねは出来るんです。

何でもかんでも、急所を見つけるんです。浄霊でもそうですね。それで、急所を見つけるとそこをやる。一つの主義としてね。癖としてね。

そうすると、案外早く行くんです。

しかし、無理にやってはいけない。どうして明主様はやらないんだろうという思うような事がありますよ。

それは、急所が来ないんです。それまではのんきにしておいて、急所と時期が来たら疾風迅雷、素晴らしく早い、だからほとんど失敗しないですね。」




明主様御垂示 「急所の発見法」 (昭和27年12月1日)

明主様御垂示
「話で分からせるのの上手下手と言うか、急所ですが、さっきも言った通り急所を見るのです。

この人にはこういうことを言えば分かる、しかしまた人によって違うのです。

この人にうまく言ったことを他の人に言っても分からないのです。

人を見て法を説けということです。

それは別に考えなくても自然になるものです。

その人の心が素直になって、要するに邪念がなくなると、自然にその人の急所に行くようになるのです。

それがそうならないということは、その人に我があったり邪念があって、自分が喋ろうということになるから、それでスーッといかないのです。

この教えは応身というのですから、先方に応ずるようにすると、ちょうど先方に触れるような話になってしまうのです。

これはなかなかやさしくて難しいのです。

それが一つの修行です。

そこに行くようにだんだんやることです。

そうすると急所にいくから、先方でなるほどと心が動くというわけです。

だから頭が良いとも言えるし、霊位が非常に高くなるとそうなるのです。

むやみに喋っても割合に効果がないのがありますが、

鉄砲打ちの名人みたいなもので、一発であたるのと、散弾などをバラバラ射って、やっと一つあたるというのと同じです。」


信者の質問
「やはり叡智(えいち)と濁智(だくち)でございます」

明主様御垂示
「そうです。そういった味わいはおもしろいものです。

あんまり喋ってはいけないし、喋らなくてもいけないし、時と場合によって千変万化自由無碍というわけです。

だから一つの学問みたいなものです。

ただこのほうの学問は世の中の学問とは違うわけです。

こっちは高級なのです。大学以上です。

だからそういうふうになれば、どんな学者や大学の先生でもちゃんと先方で頭を下げます。

私は高等小学だけみたいなものですが、先方は大学の先生でも頭を下げて来ます。

これはその一つの見本です。」




明主様御講話 「智慧証覚が進むと急所の発見が早くなる」 (昭和28年7月5日)

「そういうようでなんでも急所です。

ところがこの急所を外れていることが多いのです。

これは病気ばかりではないので、日常のことや話や、いろんなこと、また宣伝の具合でも、

人が「信仰にはいろうか、どうしようか」と迷っているときに急所をピタッと言えば、

「では、はいろう」ということになりますが、

その急所を見つけるのがなかなか難しいのです。

しかしその人の智慧証覚が進むと、急所の発見が早くなります。

どんなことでもその急所をやることです。

それから急所が見つからないときに、あせってやってはいけません。

それはまだ時期が来ないとか、いろいろな事情があるのです。

ですからふだん心掛けていれば、時期が来さえすれば急所は見つかるものです。

ですから病気でも、どうも熱が冷めないというときに、ちょっと急所に来ると冷めることがあります。

これはあなた方でも経験することがあるでしょうが、

急所を発見するということが、人間人生の最大の条件です。


ですからいまの政治、経済、外交ということも急所を外れているために、

ずいぶん間抜けなことをやっているわけです。


私はよく新聞ラジオで聞いてますが、政治家が大勢で毎日いろんなことを会議したりしてますが、急所を外れてます。

とにかく偉い人たちが大勢寄って相談してますが、急所の他のことを相談しているのです。

ですからよい案が出ないのです。

というのは頭が悪いわけではないので、頭は良いのですが、ただその頭も外側が良いのです。

中身が悪いので、外側ばかりをいろいろ論議して、中身を論議する人はないのです。

やっぱりの、ス(註 ○にチョン)が分からないのです。

ですから人間は急所の発見ができるような頭を作ることです。

信仰もその修行です。

メシヤ教というものはですから、

いままではみんなこれが分からなかったのを、これを分かりこれを主にして救うということが根本なのですから、

そういった頭で物事をみたり、いろいろやったりするとすばらしいものです。

これはなかなか難しいですが、せめて急所に近い所がすぐ分かるようになれば結構です。」




明主様御講話 「急所の発見が一番肝腎」 (昭和28年7月6日)

「病気などは特にそうですが、急所の発見ということが一番肝腎なのです。

それからこの前も言ったとおり、理屈に合わないことはいけないと言ったが、

いくら一生懸命にやっても、その人を浄霊すべき条件が理屈に合わないと、いくら一生懸命にやっても治らないのです。


これはこの前話したから大体分かっているでしょうが、

その理屈に合わないことという一つの条件というのは、神様のことを知った人とぜんぜん知らない人とはたいへん違うのです。

知らない人はたいへん無礼なことをしても、これは知らないから許されます。

ところが信仰にはいってそうとうたって、知っているはずのところの人が、理屈に合わないとお蔭がないわけです。

そういうこともよく考えるべきことです。

やってみて、どうしても思うようにゆかないということは、自分の浄霊の霊力が弱いのだろうとかいろんなことを思うが、

そういうことはごく少ないので、本当は急所を外れていることと条件が理屈に合わないことが一番多いのだから、

そういうことに気がつくようにならなければならないです。


それはその人の智慧証覚です。

だからまず智慧証覚を磨くということが一番肝腎です。

智慧証覚が磨けると急所の発見が早いのです。

これはなにごとにも非常に関係があります。


だから信仰に関係のないことで、大きく言えば政治、経済のことでもそうです。

偉い人がいろいろやってますが急所を外れていることが非常に多いのです。

たとえば今度の木村保安庁長官などがさかんに言われていることなども、

最初にちょっと急所を打てばそれですんでしまうことです。

それは謝罪すればよかったのです。

「確かに自分が悪かった、謝罪して取り消す」と、それでよいのです。

それをしないでごまかそうとしたのです。

そうしていろんなことを言ったから他の人の感情を害したのです。

それで今もってやっつけなければ承知しないような具合になっているのです。

吉田首相の馬鹿野郎問題もそうです。

「自分はあの時実に不用意にああいうことを言って悪かった」と謝罪すればよいのです。

それをどこまでも覆い隠そうとするのですが、大勢の前で天下の公道で言ったことはしようがないので、あやまるよりしようがないのです。

それをグズグズしていたものですから、解散になって選挙までやったのです。

そのために多数党で勝つべきだったが落ちてしまったということなども惜しいことですが、どうも急所を見ることを知らないのです。

ということは智慧証覚が働かないからです。ということは、簡単に言えば頭が悪いということです。

ということは、頭に薬毒が溜まっているということです。


これは日本の政治家ばかりではありません。

世界の堂々たる政治家でも随分急所を外れているのがあります。

アイゼンハウアーは割合に急所を外れていないが、それでも少しまずい点があります。

今度の朝鮮でのことで李承晩(りしょうばん)が怒ってああいうひどいことをしても、アメリカの方でウンとやることができないのです。

というのは、トルーマンの時に「中共を侵略国とみなす」という国連の一つの宣言が非常にきいているのです。

なにかと言えば李承晩はあれを持ち出すのです。

アメリカは侵略国と宣言していて、それと妥協しているということは非常に間違っていると言っていばるのですが、あれをアイゼンハウアーが一言言えばよいのです。

すなわち「前に中共は侵略者とみなした、ということは事実だが、

その後世界の情勢が非常に戦争を嫌うということと、中共がスターリン歿後平和的に転換した。

だから以前はスターリンの意志であって、これは跡を継いだ人の意志ではない」ということを宣言すればよいのですが、それをやらないのです。

どうも急所を言わないのですが、おかしいと思います。


それから日本の再軍備に対する憲法改正も、肝腎なことを言わないのです。

その肝腎なことを言えばよいのです。

「あの憲法をやった時にはソ連が侵略行為をしてなかったという情勢によってあの憲法ができた。

ところがソ連のやり方が変わって、中共をおだててああいう侵略をするということによって、はじめて日本も考えなければならない。

だから憲法改正も必要だが、それをやろうとしても、まだ日本の世論が、特に選挙権をたくさん持っている婦人の方が理解してない、

だから今憲法改正をしても、国民投票の場合に成り立たない。

政府はそれが熟するまで待つ方針だ」と言えばそれでよいのです。

その肝腎なことを言わないのです。

そうして急所を外れたことばかりを言っているから、年中ゴタゴタしているのです。」




明主様御講話 「一切は急所」 (昭和28年9月5日)

「そういうようで、信仰でもなんでも一切は急所です。

ですから急所を見つける能力を養うわけです。

それには頭が良くなくてはならないのです。

頭が良くなるということは、頭の薬毒を早くとるということです。

ですから熱が出て頭が割れるほど痛いということは非常によいのです。

それは頭の深い所の毒が溶けて出るときは非常に痛いのです。

神経の側だからです。

頭の外側の場合はそうでもありません。

そういう割れるように痛いのは頭の奥の方だから、それは非常によいのです。

それを知らないから医学の方は氷で固めるので駄目になるのです。

だから日本脳炎というのは、このくらい結構なものはありません。

子供などで日本脳炎をやったら、必ず学校の成績が良くなります。


そういうようなわけで、浄霊でも急所です。

やっぱり病気にはみんな急所があります。

またその急所がとんでもない所にあるのです。

これなども意外なのですが、ロレツがうまくまわらないで舌がつる、という原因はどこにあるかというと、

鼻の奥(アデノイド)のまた奥にあります。

ですからそういうのは鼻のそこを目掛けて浄霊すると治ります。

それから鼻に関係したことで、臭覚がないとか、始終風邪ひいて水っ洟(ぱな)が出たり、

鼻がつまりますが、それはここ(小鼻の両側)をやればよいのです。

前からやってもよいですが、その場合そこを押すと痛いですが、蓄膿などはここが原因です。

鼻から出ようとしてここに来るのです。

鼻がつまったときにはここが多いです。


それから他の鼻はここ(後頭部)です。

ここから前の方を目掛けてやると霊が通ります。

そういうようで、思いもつかない所に原因があります。

だから急所といっても、分かりやすい急所と分かりにくい急所があります。

また病気ばかりでなく、いろんな事情も、意外な所に急所がありますから、それを発見しなければならないのです。


それにはやはり智慧証覚です。

智慧が働かなければならないのです。

この智慧が働くということは、頭の中の毒素と、その人の精神状態にあります。

ちょっとでも不純なおかしな野心でもあると智慧が曇るから働かないのです。

その人の考え方にそういった不純がなく本当に世の中人のために尽くすという気持ちだと智慧も働くのです。

だからやっぱり心の悪い人は必ず失敗しますが、それはそういうわけです。


だからさっき言ったように共産主義は必ず失敗するということはそういうわけです。

それは不純だからです。

本当に世の中のためになり、多くの人を幸福にするという考えはないので、

自分の利益のためには人を殺すのはへでもないのです。

粛正といって非常に多くの人を殺してます。

中共などもやってますが、中共もそういうようで必ず倒れます。

もう長いことはありません。

ですから朝鮮問題にしても結論から言うと中共の大失敗で、アメリカの大成功です。

韓国がまさに風前の灯(ともしび)ということになった時に、もう一息で成功するところだったのですが、

ドッコイとアメリカが遠くから援軍をよこして間に合って、とにかく押し返して封じ込めたということは、

アメリカの方が正義があって、中共の方が不正義だったからそういう結果になったのです。

だから共産主義を恐ろしがってますが、共産主義は恐れる必要はありません。

そういうのは決して成功するものではないので、ある時期までなのです。

だから先が本当の正義でやればそれは恐ろしいです。


といってもこっちは恐ろしくはないので、悪人には恐ろしいのです。

そういうようで、悪い奴はそんなに恐ろしくありません。

そういうような見方も、やっぱり急所です。

どっちが不正義かということです。

日本が戦争に負けたのも、日本が正しくなかったから負けたのです。

それで日清日露の戦争は日本の方が正しかったから勝ったのです。

ですから日本は神国とかいったところで、

これは人間の都合のいいように解釈したので、つまり正義の方が勝ったわけです。

だからそういうように考えてゆけば、

正義の方が勝ったとすれば、正義は神様だから神国には違いないです。

つまりそれが物事の判断の急所です。」




明主様御垂示 「急所をやれば非常な能率増進になる」 (昭和26年11月5日)

「「文明の創造」も、だいたい三分の二か、四分の三くらいできましたからね。

今度は天国篇ですね。五六七の世のいろいろなーすべての機構ですね。

なにしろ新聞、雑誌から御守り書いたり、御神体を書いたり、それから地上天国の指図をしたり、

それから美術品を研究し、多少集めたり、いろいろする。

だからして仕事が多過ぎるんですよ。

よく八人芸と言うが、私は十人芸くらいしているんですからね。

ただ、私は仕事が早いですからね。

ですから、この間、京都の博物館で屏風を見ましたがね。

六脚の屏風をね。それで五、六本見るのに五分くらいですね。


それから、やっぱり仕事をするにも、人間は急所があるからね。

だから急所を発見するのが早くなる。

このテーブルを切るのに、どれが急所かを見ると、これだけやれば良いんだからね。

急所をやるのに、早く見つけるようになれば良いんだからね。

だからみ魂を磨くということはそうですからね。

それが非常な能率増進になる。

病人でもこの病人の急所はどこにあるかという、急所の発見だね。

そこだけをやれば良い。

だが、よく急所をはずれていることは多いので、幾日もかかったりする。」




明主様御垂示 「急所を狙っていると無駄が省け仕事がはかどる」 (昭和28年9月7日)

「一昨々日、前の日活の社長をしていた人で、なかなかやり手ですが、

その人が私の意見を聞きに、他の人に連れられてきたのです。

その連れてきた人もそうとうな人です。

それで最初言うには「銀座辺りにモナコのようなビルディングをこしらえて経営しようと思う、それに賛成してくれ」と言うので、

私は「賛成できない」と言うと、「どういうわけか」と聞きますから、

「そういう仕事は罪を作るからいけない」と言ったところが、

その一言でハッと思ったらしいのです。

もっともその人はお寺の生まれで、仏教のこともそうとう知っているので、

罪を作るという一言で目が覚めるように分かったのです。

いろんな話をしましたが、私が一々、急所急所を言ってやったところが、

非常に恐縮して、自分も大いに覚りを得たと言って喜んでいました。

そういうような具合で、急所を見つけるということがやはり智慧証覚ですから、

そういうような人間になれば、なにごとでも急所の発見が早いです。

だから無駄がないわけです。


それからその時にも言ったのですが、私はこれだけ大きな仕事をしていても、別にそうワサワサと忙しそうにしていない。

始終割に悠々として、美術を楽しんだり庭を楽しんだりいろいろしている。

それでいて仕事は十人前くらいやりますが、それはなぜかというと急所をやるので無駄をしないからです。

それで急所をやるということは、急所を発見するからです。


この間の論文にも書きましたが、今の人はつまらないことや簡単に分かることを、大勢で毎日会議をして結論が出ないというのは、それはつまり急所の発見ができないからです。

できないということは曇りきっているからです。

この間も読んだとおり、今の人は毒塊人間だからして、霊の方もやっぱり曇りの固まりみたいなものですから、そこで今言う急所の発見が少しもできないわけです。

しかしだんだんそういう人間が増えているのです。

つまりだんだん薬毒が多くなってくるからして血が濁る、そこで霊が曇る、ということになるからして、

たとえてみれば、政治家にしても昔の政治家の偉い人は、一人で随分目覚ましい仕事をしたものですが、

今の政治家というのは年中ゴテゴテと始終相談したりしてますが、さっぱり成績が上がらないのです。

ですからどんな相談でも、まとまりというのがつかないらしいのです。

鳩山自由党と吉田の方とが、昨日は合同することになるだろうというようなことだったが、

私もそうなるべきだと思っていたが、さっきのラジオで聞いてみると、今日は駄目だというのです。

そういうことが最初から分かっていれば相談もしないのですが、それが分からないのです。

それで年中、くっつきそうで離れるのです。

これは改進党と自由党も同じです。

それから社会党の右派と左派もそうで年中くっつきそうで離れているのです。

これを見てもいかに智慧証覚がないかということが分かります。

見込みがあればやり、見込みがなければ最初からやらないというのがよいのです。

もっとも、そういうことがあって料理屋に行って酒を飲む、その方が、あてかもしれません。

中には恐妻病かなにかで、うまく口実をつけなければ怖いから、毎日相談とか会議ということを言って、料理屋に行くのもあるかもしれません。」




明主様御講話 「肝腎なことは急所に触れるべき」 (昭和26年11月15日)

「神様は・・・本当の神様は実に簡単なものです。

無駄がないんですね。

ですから、人間も本当に信仰が徹底してくると、そういう風になるべきものですね。

それは、他愛ない・・・普通はいくら喋っても、面白くても、うなっても良いですが、

肝腎なことは急所急所に触れる。

それが神様のやり方です。

よく・・・女に多いですが、のべつまくなくべらべら喋るのがありますが、これは狐が喋るんです。

何を喋ったか解らないような・・・それが良くありますがね。

まくし立てて、人に喋らせないですね。」




明主様御垂示 「人心を動かし信じさすには急所がある」

「頭の悪い人は非常に多い。頭の悪い人は話がクドイ。

これは旧式である。自分も幾度も言われないと判らぬ。

私に判り切った事をよく質問する。

で、『お前ならどうする』と言う。すると「私も同じくする」と言うのである。

神様を拝むのも人を助けるのも結構だが、頭を良くする事が大事である。

今の人はどこか悪いというときっと頭である。

頭の悪いのは首の周りに毒があり、貧血している。

人の心を動かし信じさすには急所がある。(急所がどこか、先方をみる)?

どういう話をしたら興味を持つかを知る。

頭をよくするには出来るだけ使う。本を読むとか文を作るとかする。

信者に頭の悪い人があるが、信仰でも狙いがわるい。

分らない・・・というのは、自分に能力がない。自分の方にまずい所がある。当方に罪があるのであるから、自分を省みよ。

根本は誠だが、急所を外している事が根本である。

迷信とよく言うが、迷信は宗教に限るように思うが、何にでもある。

現代の人は結果を見ないで経路を見たがる。

理屈も本当の理屈ならいいが、学校で教えるのは唯物主義の理屈である。

迷信打破運動。松平俊子、李○公・・・。」

(註 松平俊子・・・秩父宮の叔母に当る人物。宮中の女官長を務めた。)




明主様御垂示 「話し方と急所について」

信者の質問
「指紋には何か意味が御座居ますか、御尋ね致します。」


明主様御垂示
「すべて人間の身体は皆意味がある。

運命、性格等のしるしになっている。特に指紋には意味がある。出口氏は皆流紋である。

人間の肉体はどれでも研究すればある程度まで運命、性格等が判る。疣(イボ)、ホクロ等によっても判る。

信仰によれば人相等も影響しなくなる。

信仰の深い人は人相見と殆ど逆のように変ってしまう。

人相は入信すると逆になる。故に人相を覚える要はない。

天源術など割合い判る。


一番人間の性格の判るのは言葉と態度・・・話の仕方・・・である。

正直にいえば、どっか破綻のない・・・、一番分るのは嘘である。

人を見ると共に自分が要領よく話する癖をつけるを要する。

着物の柄でもネクタイの柄などでも性格が分る。失敗するか成功するかも判る。

話がしつっこくて要領を得ぬ人もあり、簡単に喋って物の真相に当る人とある。

大本信者の時分、出口師の子が「お父さん火事だ」と言った。

すると師は「遠いから行ってみる要はない」と言った。

「どうして判るか」と聞くと「近い火事ならお父さんという事は言わぬ」と言った。成程理屈だ、と言った事がある。

言葉の節々に注意すればある程度判る。

初対面の挨拶などでも智と不智を知る。法に叶うか叶わぬかである。

自分も急所を言うようにする。

日本人はそういう点一番下手である。

日本人は封建性が長く続いたから、嘘吐くようになっている。

圧迫されているから、物を捻じ曲げて話す。

日本人はよく笑うという、そういう習慣が日本人に着いている。

曲げたり、色つけたりするんで、本当の事が判らぬ点がある。


信者は世の中の俗界と掛離れる傾向がある。

新時代に合ってゆかなくてはならぬ。

出来るだけ新聞雑誌を読む、ラジオを聞く、映画をみる。

時代の空気と掛離れぬようにしなくてはならぬ。

今迄の宗教は世の中と掛離れる事をいいとした。あれでは現代人を救う事は出来ぬ。宗教臭くない事である。」




明主様御垂示 「話し方と急所について」

「私も人相を覚えようとしたが、信仰に入るとアベコベに変る。

以前芝の石龍子にみてもらった事があるが、実によくアベコベに当っていた。

そこで覚える必要がないから覚えなかった。

一番人間の性格の分るのは言葉と動作である。

よく信者以外の人で私を欺そうとするが、どこか話の中に辻褄の合わない所がある。


以前こういう話があった。

出口王仁三郎氏がある時、その子供が「お父さん火事だ」と言ったが、その時先生は「遠い火事だから行く必要はない」と言った。

近いならただ「火事だ」と叫ぶ。「お父さん」というのは余裕がある。

すべて法があるから注意していれば判る。


話でも、しつっこい人と要領を得ない人がある。急所を突く事が大事である。

日本人は特に下手だ。映画をみていつも感ずる。

映画のタイトルなど実にその表現がうまい。

日本人は封建的であるから下手である。

それは嘘を吐く事を教えられて来たから、私もいろいろの人と話すが、外国に永くいた人の話は要領を得ている。


信仰者はどうも俗界、世間から掛離れてゆく。これはいけない。

映画、ラジオ、新聞を出来るだけみる。

そうして時代の空気に離れぬようにする。

大本教、日蓮宗、天理教、皆仙人臭くなってくる。

本教は宗教臭くない。」




明主様御垂示 「布教も急所をつけ」 (昭和24年2月14日)

信者の質問
「人をなかなか導けないのは導く人の四魂の働きが鈍いためでしょうか。

それだけの因縁なのでしょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「人を導けぬのは両方である。因縁とまた導き方の悪い場合もある。(分らない場合もある)

話は下手でも、誠であれば向うへ通ずる。喋り方はまずくてもよい。

こちらの想念や気持が動かすのである。

また、相手によって違う。同じように持って行くのは違う。

菓子の好きなものには菓子を、酒の好きなものには酒をやる。

相手の気持を察するのである。

やはり智慧が働かなくてはいけない。

浄霊でも、急所を外れるようなものである。」




明主様御垂示 「布教に行き詰まった人への御言葉」 (昭和24年12月)

話し方の急所について

信者の質問
「私は入信以来一心にこのお道を人にすすめておりますが、いま少しのところでどうもはかばかしくまいりません。これはいかなる因縁でしょうか。」


明主様御垂示
「これは焦らないことですよ。

この人はまだ入信して間がないようですから、まだまだ人を信仰に入れるだけの力がないんですよ。

だんだん年限が経ってくるとコツを覚えてくるんです。

最初のうちはむやみにやりますがそう効果はありませんよ。

ところが甲羅を経てくると狙い打ちをするようになるんです。

ちょっと話してみてその人が耳を傾けるようだったらさらに突っ込んで話をするし、先方にそれほど気がないようだったら話をやめる、

そういうふうにすると無駄がなくなり効果があるんですよ。

そして話をするにしても、先方の心が動くような話と、心が動かない話とありますからね。

経験を積むとその急所が判ってきて、ちょっと急所を衝くだけでいいようになるんです。

それから、先方が字の読める人ならこの道の本を貸して読ませるとかね、とにかく一つのコツが判ってくるんです。

そうなるとスラスラおもしろいように信者ができるんです。

この人もまだ新しいんだから、焦らずにいま言ったようなことを注意してやってくことですね。」