悪口を言われると罪が消える


明主様御垂示 「悪口を言われると罪が消える」 (昭和23年11月28日)

信者の質問
「個人的または団体的悪宣伝に対し、私どもは宗教人としてよい宣伝をもってこれに報ゆるべきでしょうか。」

明主様御垂示
「間違いに対して説明するのはかまわないが、

うっちゃっておいたほうがいいです。

それに災いされて萎縮するようではまだ駄目ですよ。

悪口を言われるのは結構なんです。

悪口は浄化で、それでこっちの罪が消えるんです。」


信者の質問
「悪宣伝の結果、悪い支障が次々と起ってくる心配がありますが・・・」

明主様御垂示
「起って結構です。

これはいままで世間で言われていたこととは反対です。・・・

大森時代、私は人から悪口を言われると笑ったものです。

大本のお筆先に「悪く言われてよくなる仕組み」とありますがうまく言ってますね。・・・

いろいろな宗教がありますが初めからよく言われた宗教はありません。

いまは世界的なキリスト教だって初めは十一人しか弟子がなかったし、

しかもキリストが死んで十年くらい経ってから心覚えを書いた、それがいまの『聖書』なんです。

それからだんだんに広まってきたんです。

釈迦だけは違うがあれはインドの皇太子だったからです。

天理教の中山みきだって二十何回留置場に入れられ、四回検事局送りになったのです。

ともかく最初は悪く言われるものです。

もっともいまでも天理教を悪く言う人はありますが・・・」


信者の質問
「悪宣伝に対して言い訳をすることはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「いけない、いけない、言い訳を言うようでは野暮ですよ。

悪口を笑って通せれば人間が一段できた証拠です。

なにか勝負事のようなことでも負けたほうがよい。

勝った場合には「あいつは負けたんで俺を怨んでやしないか」などと思うが負ければこんなことはない。

だから結局人間は、怨みの霊の来ないように、感謝の霊の来るようにすることが肝腎です。

決して人の怨みを買ってはいけない。

これくらい霊的に損をすることはないんですよ。」




明主様御垂示 「悪口を言われると罪が消える」 (昭和23年11月8日)

「私も以前はさんざん人から悪口を言われたものです。

大本時代にも、人々を信者にして大本の本部の亀岡へ送るとそれっきりなんとも言ってこない。

でよく調べたら、亀岡へ行くと「岡田は邪神だから近寄ってはいけない」と言われるのでみんな離れてしまったのです。

こんな理屈に合わぬことはないですよ。

向こうはこっちが邪神だと思ったかもしれないが、

こっちは向こうが邪神だと判ったので大本を離れたのです。・・・

人から悪口を言われるのは、霊的にはこっちの罪をその人がとってくれるのです。

だからむしろありがたいのです。

その代わり悪口を言うほうは罪を着るのです。」




明主様御垂示 「悪口を言われると罪が除れる」

「悪口を言われた方はそれだけ罪が除れ、言った方は罪が殖える。

故に何かやっても勝ってはいけない。

負けた方が罪がとれ、勝った方は殖える。

であるから、勝って天下を取ったのは駄目である。」