負けるが勝ちについて 3 (側近者の寄稿)


側近者の寄稿 随筆  IM (昭和26年5月9日発行)

「明主様はこの度マッカーサー元帥を評された小論を御発表になられたが、私は拝聴しながら、フト想出した事をかいてみる。

それは太平洋戦の初期、比島バターンの激戦で、敗軍の将マッカーサー元帥はコレヒドールを逸早く脱出したという、得意気なニュースが報ぜられれ時の事である、

丁度私は御側近に侍っていたが、この脱出に対し明主様は「マッカーサーは実に偉い、素晴しい人物だ」と激賞なされたのである、

私はこれを承わって怪訝な感がしたというより驚いてしまった。

当時、軍の独善偽瞞的宣伝報道に幾分誤られていた吾々は、彼等の圧制も忘れて日本軍の必勝を願望し、一面信じてもいた、

そして破竹の勢ともいうべき日本軍の進撃に涙ぐみ、濁った血を湧かしていた際とて、マ元帥の敗走を嘲笑するスピーカーの声に、訳もなく共感の歌声を挙げていたからである。

その後間もなく、アメリカ本国では、敗走の元帥を英雄として讃えたという嘲笑的新聞記事をみて、吾々は失笑する程の奇異を感じ、

やはり日本と外国は凡てがアべコベだという程度の見解しか持てなかったが、

誰よりも戦に御関心をお待ちになっていた明主様には、いささかもその様な軽侮の念を御示しにならなかったし、

その後 屡々(しばしば)アメリカの強さやマ元帥の偉さを口にせられたのを記憶している、

吾々としても、明主様の「日本軍の生命を軽んずるのは大間違いである」「戦は勝ち誇るのでなく、負けて勝つのでなくてはいけない」等々の平素の御教の御言葉によっても、御激賞の意味が幾分酌みとれぬでもなかったが、

全ての国民大衆の快哉(かいさい)の渦中にあっては、そのような高い識見のもちようもなかった、

そのような懸け離れた見識をもった人は、日本の知識人中でも、恐らくなかったに違いない。


又その頃、日本軍の騎虎の勢に逸る無暴を危ぷまれていたが、果して戦の第二段階に入って、

米軍の適切巧緻な作戦は、逐次日本軍の虚を衝き、悠々着々確実なる効を奏しつ圧倒し、終に終戦となった、

常時軍の報道によって、米軍の残虐性を徹底的に心に叩き込まれていた吾々は、恐怖に戦き色を失ったが、

明主様はこれは非常に結構な事だ、日本はこれから良くなる、いよいよ我が世の春が来たのだ、寧ろ敗戦の祝盃を挙ぐべきだと、非常にお歓びになられた、

それでもなお半信半疑であったが、その杞憂は、米軍進駐の現実によって見事に一掃されたので、

今更ながら、明主様の卓越せる世界観の的確さに驚歎の外なかった次第である。


かくて滞日五年半、明主様御言葉の如く、元帥は空前不朽の偉大な業績を残して、全国民惜別の涙に送られ、帰国せられたが、

前記の如く明主様は、最も元帥嘲笑の渦中にその偉大さを御認めになっていた、

この事は即ち世紀の両偉人の思想頭脳の高さを物語るものである、

そしてこの東西の両偉人は、新しく生れる人類愛を基調とした明日の思想の在り方を示され、

新しい世界を造らるべき偉大な指導者でもある、元帥の体的、破邪の性格に対し、明主様のそれは霊的救いの偉業である、

そして明主様の全人類救済の御業の展開は、正に今後にあるのである。


なお、終戦の時明主様は夙(つと)に、日本の敗戦を充分御見透しであった事、

それも既に日本の国威なお盛んであった十数年前に、神秘な出来事の証しによってもお悟りになった事を語られて、

今更ながら神の経綸の深さを沁々と感銘したのであった、

そしてその時初めて、昭和七年「一旦ふまれ叩かれ、真裸になって後、起ち上る日本」とかお詠みになられた新短歌を想起したのである。


しかしながら、戦争の期間中明主様はその様な結末については一言片句も漏されなかったのみか、

信徒に対しては常に、大奇蹟によって日本の勝利を確信せしめらるるような御話ぷりで時局を語られたので、

この様な国運の帰趨は信徒の誰も予想しなかった、もし当時、真実を語られていたとすれば、無論、軍の暴虐な圧制の下に無意味な苦難を甘受せねばならなかったであろうし、

永遠の平和を目標とする救業の育成は阻止されたであろう、

しかし明主様にはその半面において、特に大いなる神力を発揮せられ、如何なる戦争の被害や苦しみからも、信徒の悉くは画然として守られ、救業の飛躍的発展を達成されたにみて、経綸の妙を悟り得るのである。

戦勝の喜びは必らず正なる国民の上に輝くべき事は常に明言されていたのであるから、もし吾々が透徹せる世界観を有していたなら勝敗の帰趨は明かに観破し得ていた筈でもあった。

かくの如く、明主様の御胸中には常に時至るまでは明されぬ神秘を蔵されている事を窺知するのである。


信徒の中の一部の人々、特に当時のある幹部級であった硬骨漢の如きは、終戦の詔勅下るや、

逸早く明主様に御面会を求め「日本が勝つと仰せられていたに拘わらず、何故負けたのですか勝利を信ぜしめた所属信徒に合わす顔なし、信仰が判らなくなった」と凄愴な形相で抗議した、

この種の愛国的信徒は二、三に止まらなかったが、中には御真意を解し得ず信仰を離れる者さえあった程である。

卓越せる達観ほど、何時の世にも、多くは、大衆の目の赴きつつある指導の外にあった、本恭賀とかく一般から邪教視せられるのも、そういう一面の現象であるともいえるであろう、

混迷に喘ぐ大衆は今こそ、偉大なる達観者の言に従順に導かるべき、未曾有の時である。

「信ずる者は幸いなり」とは最も適切なる真理である。」