憎まれるなかれ 5 (悪銭身に着かず・金銭の怨み)


明主様御教え 「悪銭身に着かず」 (昭和24年6月25日発行)

「昔から悪銭身に着かずという言葉があるが全くその通りである、それについて私は霊的に解釈してみよう。

投機といえば、株式相場を初め、商品の上り下り、競馬の賭等々種々あるが、

その中の代表的のものとして株式相場について解釈してみるが、

私も無信仰者時代には株相場に手を出し、数年間売ったり買ったりしたが、ついに大失敗をした、

それが信仰生活に入る一の動機となった事ももちろんであると共に、

霊的方面を知るに及んで決して為すべきものではないという事を知ったのであるから、

この一文を相場に関心を持つ人に対し、ぜひ読まれん事を望むのである。


相場なるものは、まず百人損をして一人儲かるという事をよくいわれるがその通りである、

一時は一獲千金の儲けによって成金となっても、それが長く続く者はまず一人もあるまい、

しかも大儲けをする者程大損をするものであって、

儲かれば儲かる程その人の前途は断崖が口を開けて待っているようなものである、


まず霊的にみればこうである、損を蒙った大多数者は、口惜しい残念だどうかして損を取返したいと思うのは人情である、

従ってその怨みの想念がどこへ行くかというと、自分の金を吸いとった人間に行こうとするが、

それはどこの誰だか判らないので、自然取引所を目がけて集注するばかりか、

それが紙幣に集まるという事になるのである、

この際霊眼によって見れば取引所にある紙幣の面には怨みの人間の顔が何千何万となく印画されており、

その一つ一つの顔と、その本人とは霊線で繋っているから、

取返そうとする想念がそれを常に引っ張っているという訳で、

その紙幣は所有主の金庫には決して永く安定してはいない、

いつかは引っ張られるから大損をし一文なしになってしまうのである。


右は投機ばかりではない、金銭上のあらゆる事に共通するのである、

いわば不正によって得た富や与えるべき金銭を与えなかったり、

故意に減らしたり、借金を返さなかったりする場合、

先方は怨むから矢張り前述のごとく吐き出さざるを得ない事になるのである。


今一つ知らなければならない事は、昔から宗教上の建物が、火災のためよく灰燼(かいじん)に帰する事がある、

浄財を集めて建築された清き社寺や殿堂、伽藍等が焼失するという事は不可解に思われるが実は理由がある、

というのは、その基金を集める場合無理をする、例えば信徒または末寺に対し一定の額を定め強要する事があるが、これは自然ではない、

信仰的献金としては本人の自由意志によって任意の額を決めるのが本当である、

気持よく献納する事こそ真の浄財になるのである、今一つはその建造物を利用する上においても神仏の御心にかなうようにすべきで、

間違った事をしたり、汚したりするような事があってはならないに関わらず、そうでない場合火の洗霊を受ける事になるのである。


ただし、相場をとる目的でなく、金利すなわち配当をとる目的で買うのは結構であって、

これは何ら怨みを買うような事にはならないのみならず、むしろ産業発展のため有要な事であって大に奨励すべきものである。」




明主様御垂示 「相場で儲けたお金には怨みの人相が刻印」 (昭和23年8月4日)

「古い寺、堂宇などの焼けるのは、それを建てた時の金銭が汚れている。

それで物を買ったり造ったりすると、そのものが汚れる。

上げる物が汚れている。中には盗んだ金を上げるのもある。

相場の金など、札に沢山損した人の顔がある。

それが本人の所へ霊線により繋っているから、どうしても引っ張られ、懐から出てくる。

その金で造ったものはやはり出て行ったり、家なども焼けたりする。

それは移動するもので、損したり、人にとられたり、下らない事に使う。

その結果その時口惜しかったり、悲観して苦しむ結果となるから、結局悲しみや苦しみを買うようなものでつまらぬ。

儲ける程恐い。不動のものは・・・。

汚れてる・・・火事などで焼かれてしまう。

正しくない事で得た金を神様に上げると、その人の想念によりある程度浄まるが、全然は消えない。

「儲けさして戴きたい」などの目的で差上るのはよろしい・・・というより寧ろいい。

上げた金は大体十倍になって返る。」




明主様御垂示 「株取引で儲けたお金には人の怨みがたくさんついてくる」 (昭和25年2月)

信者の質問
「私の部落(三重県某村)で部落民が醵金(きょきん)して灌漑用の井戸を掘りました。

この井戸の深さは六〇〇尺で鉄管の太さは一二インチ、総重量は一五トンに及びました。

ところが最後の鉄管を入れようとする直前、あッという間に車の心棒が折れ二十四、五尺も下へ落ちてしまいました。

このため二カ月間の労力と七、八十万円の経費がまったく無駄になりはしないかと心配しております。

これは自然を無視した結果でしょうか。あるいは他になにか霊的原因がありましょうか。」


明主様御垂示
「こりゃあ、霊的になにかありますね。

こんなバカバカしい話ってあったもんじゃないですからね。

あるいはなにかが邪魔してるかな。・・・

ま、この部落にそうとうな罪穢れがあるんですね。

そこで、このくらいの損をしなくちゃどうしてもいけないんですね。

結局、こうして罪がとれるんです。

つまり、これにかけた金が穢れてるんですよ。

穢れた金をある程度とらないと水を出してもらえないんですね。

だからこれはやり直せばいい。そうすりゃ今度は水が出ますよ。

損したようで結局は損じゃないんで、それである程度罪が消えるんですからね。

それが判ったら罪の消えるのをむしろ喜ぶべきですよ。


よく神社仏閣が焼けるのもこれなんですよ。

大伽藍なんてたいてい二度目、三度目ですからね。

奈良の法隆寺だってそうですからね。

つまり、建立するときの金が穢れていて浄財じゃないからですよ。

払うべき金を払わなかったり、ごまかした金で建てたり、また、そういった金で維持してゆくから、

どうしたって浄化されなくちゃならないことになるんで、そのために焼けるんですよ。


私の所でも毎年不思議に必ずまとまった金が出て、そうとうな額になるんですが、

これはたくさん入って来る中にごくひどく穢れた金があって、

神様のほうじゃそれだけはどうしても使うことができずに出さなくちゃならないんですよ。

実際へンテコなことでひょいとなくなってしまうんです。

なくなるってよりも出さなくちゃならなくなるんですがね、そういう意味ですよ。


人間の解釈ってのには、まるでアベコベのことが多いんですよ。

いままではね、喜ぶべきことを悲しんだり、悲しむべきことを喜んだりして訳の判らないことをやってきたんです。

だからますます訳が判らなくなるんですよ。

金なんかにしたって、金ってばみんな同じだと思ってますが、霊的に見ると同じ金でもたいへん違うんです。

金銭にも曇りがあるんですからね。

どうしてかって言うと、人間の想念は金に非常に入りやすいからなんです。


いまは株が高くてたくさんの人が手を出して儲けたがってますが、

いまの株は・・・株ってものは本当は利益配当をとるのが目的なのに、

いまはそうじゃなくて、相場をとるのを目的にしてるから本当のものじゃないですが、

そのために株で動く金には相場で食ってる人の怨みがたくさんついてるわけなんです。

相場ってものは儲かるのは一人で、損する人が九九人ですからね。

だから儲かって取引所から持ってくる金には、損した人の怨みがたくさんくっついてるんです。

損してくやしがる、その執着や怨みや、あるいは儲けた人に対して羨しいっていう想念が、そのままやってきて、みんなおさつへ憑ってくるんですからね。

だから株のおさつはものすごいもんですよ。

執着がくっついてますからね。

霊の見える人が見ると紙幣に小さい顔がたくさんあるんだそうですよ。

みんな泣ッ面したり、くやしげな怨めしげな顔をしたのばかりがね。

そんなのを儲かったって喜んで懐へ入れてるんですからね(笑声)。

そんな金は決して長く懐に置かれないんで、みんな出ちゃうんですよ。

「悪銭身につかず」って言う言葉がありますが、まったくよく言ったもんですよ。

兜町の株屋でも二代、三代と続くのは決してありませんからね。


私も昔相場をずいぶんやったもんですよ。

自分で合資会社を作ったくらいで、とても相場が好きだったんでね。

けど、結局損しちゃいましたがね(笑声)。

儲かったから損したんですよ。

あれはね、最初から損するのはトクですよ。

儲かるとトクなようで結局損なんです。

なぜかって言うと、ちょうど女と同じでね。

最初ッから女にフラレちゃうともうそれで諦めますがね(笑声)、

なまじ好かれちゃって熱くなってしまうと、今度はその女と別れても「俺はモテる」と思ってウヌボレて(爆笑)、

結局まじめな生活ができなくなってしまうんです。


これと同じで最初から損すると非常にいいんです。

儲かるとおもしろくなっちゃって、儲かれば儲かるでもっと儲けようとするし、

損したら損したでそれを取り返そうとするし、どっちにしても離れられなくなるんです。

たとえ儲かったにしても、みんな怨みの金ですからね、決して身につきゃあしないんです。

そういぅ霊的なことが判ってから、私は絶対にああいうことはやらない。

いや、やらないんじゃなくてやれませんよ、バカバカしくてね。

儲けたところで人の怨みを手に入れるようなもんで、じきに出ちゃいますからね。

出るにしても、いいことで出るんならいいけど、病気だとか災難だとか必ず悪いことで出ちゃうんですよ。


そういうようなもんで、病気ばかりじゃなく、あらゆるものにすべて霊的な解釈をしなくちゃいけないんですよ。

実際、株屋の大きいのは二代目で駄目ですからね。

いま伊豆山にO別荘が売り物に出てますが、あれはOという人が欧州大戦のとき郵船株で儲けて、

その儲けた金をそのままにしといちゃ危いって言うんで、

O信託を作りこれなら大丈夫っていうようにしといたんですが、

親父は死んでいまは息子の代ですが、だんだん没落して次々といろんなものを売り、

とうとうあの別荘一軒になってたのを、それも今度売り物に出たんです。

ところがそれも思うように売れなんで分割して売ることになったんですよ。

中へ入ってるブローカーに騙されて巻き上げられちゃうんじゃないかと思うんですがね。

結局、いくら用心しても駄目なんで、株の金ってものは雲散霧消しちゃうものなんですよ。


兜町で一番儲けたMね、あの人は以前浄化療法時代に講習を受けたんですが、

儲けた金を株のままにしとくからいけない、

土地にしておけばいいだろうってわけで土地を買ったんです。

そのうちに土地がたいへんな値上がりで、戦前にはなんでも一億近い財産だったんですが、

ところが財産税でみなとられちゃったんです。

隠すにしても書画骨董の類ならまだ隠蔽のしようもあるけど、土地じゃどうにもしようがないですからね。

まるっきりなくなったって話ですね。

それから、あのKも駄目になっちゃって、いま天国会の家はあの人の家だったんですがね。

この人も郵船株で儲けた人ですよ。

そんな具合でね・・・ま、株屋の話ばかりたくさんしたってしょうがないから(笑声)・・・

そういうもんでね、みんな駄目なんですよ、「悪銭身につかず」の通りでね。

株で儲けた金でも神様の御用に立てるんならちっともかまわないんじゃないかと思いやすいんですが、そういうこともいけないんで、そう思う人もあるだろうと思ってお話したんですがね。


そして、こういうこともあるんですよ。

教団で金がいりますね、そうすると一〇〇〇万や二〇〇〇万なら使ってもらっていいって言ってくるのがときどきあるんですが、

私はいつもそんなの真平御免だって断わるんですよ。

どうしてかって言うと、神様は多くの人を救わなくちゃいけない、

そして大勢助かるには一人でも多くの人が神様の御用をして徳をいただいて浄化されなければいけないんで、

その徳によってそれだけ罪がとれるんですが、

一人だけ御用をすれば一人だけ徳を積んで、他の人は救われないことになっちゃうんです。

どっちも一〇〇〇万円なら同じものでありそうだけど、たいへんな違いがあるんですよ。


またね、本当にそんな多額な金を寄付するなんてことは、まあ、ありゃしませんよ。

もしあるとすればきっとそのかげになにか野心があるんです。

その金でなにかやろうってね。

この前も請負の成金がやってきて一〇〇〇万や二〇〇〇万なら御用するって言うんですが、

これなんかも将来観音教団や五六七教会の建築を請負って寄付した金を差っ引いてとろうとかなんとか野心があるんですよ。

それくらい判りますからね。

だから、そういった金は寄付してもらわないほうがいいんですよ。

本当は寄付してやるって言うんじゃなくて、寄付をさせていただくんです。

寄付をさせていただき、神様に金を使っていただくってことがありがたいことなんですよ。」




明主様御講話 「株取引で儲けたお金には怨みの霊がついてくる」 (昭和23年2月8日)

信者の質問
「今度の帝銀事件の家も代々質屋でだいぶ怨まれてましたが、

この前に入った夫婦も変死し、空家になっていたのを帝銀が借りたのだそうです。」


明主様御垂示
「私は前に相場が好きでよくやったんですがね。

まあ損ばかりでしたが、兜町辺りには怨みの霊がたくさんいて、あすこから持ってくる紙幣についている。

悪銭身につかずとは本当ですよ。

だから私は損ばかりしていたんです。

それが判ってから相場はやめて鉱山を始めました。

こうして信者の持ってくる金は浄財ばかりです。

霊はなんにでもつき作用します。

怨みの霊が家に入ると家の霊が曇る。

松下の家にはその家を作った大工・・・まだ生きてるんです・・・白い髭の老人の霊が来たそうです。

自分の作った家に執着を持っているからですね。

だから人を苦しめてはいけないんです。


私はよく言うんです。

偉い人になってはいけない、ありがたい人にならねばいけない。

偉い人になると敵から怨まれる。

英雄の末路哀れなのはそのためです。

明治天皇がおかくれになったとき、みな二重橋で御平癒を祈った。

全国では何万という人が祈ったでしょう。それでもおかくれになった。

これは明治天皇は日清日露の戦いをやったので、中国人やロシア人から怨まれる。

その怨みは日本の中心の天皇に集まるんです。

なにしろ人間はときどき思い出しては怨みますから始末が悪い。


馬鹿馬鹿しいことでも先方の言うようにしてやるのがいい。

災難とか運が悪いとか言うのはみんなこれです。

偶然なんていうのは絶対ないんです。

それさえ判れば苦しいときには、ああこれは自分が種を蒔いたんだと考えることができるんです。

いまは世の中がみんな怨みっこです。

愛するなんてことは少しもない。

自分だけいい子になろうとしている。

こういう目で政治を見るとなっていないです。

また国民もこれが判らないんで苦しめられるんですよ。」




参考 明主様御垂示 「お金には霊がよくつく」 (昭和23年11月18日)

信者の質問
「生命保険はいかがなものでございましょうか?」

明主様御垂示
「この教団に入りある程度判ったら生命保険はいりません。

早死にしないから。

だいたい九十歳までは生きますからね。

だから八十過ぎてから保険をつければまあ少しは得でしょうがね。

しかし保険屋のほうで受けつけないでしょうね。」


信者の質問
「火災保険のほうはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「私のはね、家屋までは引き受けませんよ。

正しい金で作った家なら大浄化が来ても大丈夫だが汚れた金で建てたのは浄められます。

なにしろ金には霊がよく憑きますからね。

私が建てた家だって燃えてしまうことがありますよ。


信者の質問
「そのために花柳界なんかよく焼けるのでしょうか。」

明主様御垂示
「ええそれもありますが、しかし花柳界にはもっと他にいろんな汚れがありますからね。」




参考 明主様御垂示 「紙幣は生きている」

信者の質問
「養狐場で狐を殺して毛皮を取っていてもあまり狐霊の障りを聞かないのは、狐に霊がないのでしょうか。」


明主様御垂示
「人間が皮をとるためにつくるのだから、狐の個性はない。

植物のようなものである。

祟ったり怨んだりする狐のような感情はない。

しかし全然なくはない。多くなると、殺生の罪になるから、いくらか祟る。

沢山になると怨みなどの祟りになるから時々供養する。


人間の使うものは無機物でいて霊が出来る。

御神体と思って拝むと、物体でも神の働きをするようになる。

だから札供養もいい。


紙幣などは生命を捨てたり生きたりする事がある。

殆ど生きてるようなものである。

この位人間の霊の入るものはない。」