仇討ち思想の否定について
明主様御講話 「仇討ち思想は小乗的善」 (昭和29年1月2日)
「ジャーナリストに限らず、日本の多くの人は、まだまだ島国根性と言いますか、封建性が残っていると言いますか、見方が小乗的で小さいのです。
これが今もって分かるのは、忠臣蔵を芝居でもラジオでもやってますが、十二月十四日が討入りの日ですから特にやってましたが、それは聞いたり見たりする人が多いからです。
そうすると日本人の思想がだいたい分かるわけです。
私はお祭りの余興のときにも、すべて忠臣蔵をやってはいけないと言ってますが、あのくらい間違っていることはないです。
話は横道にゆきましたが、とにかく四十七人の人間が一生涯の生命を犠牲にして仇討ちをやるのですが、そうすると、それを非常に讃美するのです。
あの時代ならそれでよいかもしれませんが、今そういうことが行なわれるとしたら、いったい人間はなんのために生まれてきたかということです。
そうしたからといって、国民や社会に幸福のためにどれだけ役にたつかということです。
それで日本人の思想の中から一番に抜かなければならないのは仇討ち思想です。
仮に親が殺されると、伜(せがれ)が親の仇討ちのために一生を犠牲にして仇を討つ。
そうすると討たれた親の伜がまた仇討ちをする。そのまた伜が仇討ちをする・・・ということになり、せっかく人間として生まれたその命を、親の仇討ちのために犠牲にしてしまうのです。
それが少ないならまだよいが、それがだんだん多くなると、人間は仇討ちのために殺し合い、生命を犠牲にするということになります。
そのことを考えてみると、非常に悪いことが分かります。
ただ、あの時代はよかったのですが、それも本当によかったのではないので、小乗的善です。
その時代の大名とか将軍という主権者が、政権を維持するためですが、大名は自分の勢力と、そういったそうとうな地位、権力を維持するために忠義という道徳を作ったのです。
そうして命を犠牲にするまでに、大名の不利益をやろうという者をやっつけて、政権を維持するそのための精神を作る、その手段としての武士道ですから、武士道というのはけしからんものです。
それからまた大和魂というものはとんでもないものです。
だいたい日本があれだけの敗戦になったのも、大和魂のためです。つまり大和魂を看板にして、それを利用して国民をあれほどの目に遭わせたのですから、とんでもない代物です。というのは、やっぱり小乗的精神だからです。
そういう意味において仇討ち思想というものはとんでもないものです。」
明主様御講話 「明主様は忠臣蔵がお嫌い」 (昭和27年6月6日)
「小乗と大乗でも、そういうことが言えるんですね。
で、小乗大乗の場合に、一番もっともらしく聞こえるのは小乗ですよ。
これは日本が終戦前に国家に忠義を尽くせ、忠君愛国が本当だ、というその悲愴な理屈ですね。
よく勤皇なんかの伝記とか、いろんなやったことを聞くと、それは涙がこぼれるような忠誠ですね。
偉いと思いますね。
しかし私はその時分からそういうことが馬鹿馬鹿しくてね。
腹の中では笑ってましたがね。
ちょっと聞くと非常に理屈が良いですからね。
道理に合っているようにみえますからね。
それで感心してみんな命まで捨ててやるんですがね。
ですから私はいつでも、小乗的理屈と思ったのは、非常に日本は忠君愛国・・・日本人は忠義だと強調した時私は思ったんです。
それじゃ朝鮮人も中国人もそういう忠君愛国だったらどうだろう。
すると日本が人口が増える。
どうしても食いものが足りないので、どこかに拡がらなければならない。
するとお隣の国に拡がらなければならない。
ところがお隣の人間が忠君愛国だったら厄介ですよ。
他国の人間は一人でも入れるものか、国をやるものか。
そうするとそこに武力をもって入り込むでしょう。
防がなければならないとなる。
だから忠君愛国は、戦争を作るようなものだということになる。
戦争を作るものだとしたら間違っている。
だからああいう敗戦の結果こういうふうに変わったということは、実は間違ったことが訂正されて本当になった。
間違わないことになるんですね。
で、私は先から嫌いなのは忠臣蔵ですね。
あれは嫌いで、ですからこの前の春の大祭の時には、講談で忠臣蔵をやらないように、と注意させたんです。
私は大嫌いです。
なぜ嫌いかというと、君に忠義を・・・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の忠義のために自分の命を犠牲にして、苦心惨憺してやったんですが、それは感心です。
感心だけれども、本来仇討ち思想というのは、非常に間違っている。
伜(せがれ)なら伜が・・・親父が誰かに討たれたというと、どうしても親の仇だと言って、
一生を仇を討つことにのみ骨折っているとすれば、
人間というものは実に馬鹿馬鹿しいもので、
世の中を良くするために・・・神様が理想世界を造るために生まれたのに、
人殺しをやるために一生を棒にふるのは、いかに間違っているかが分かるし、
親の仇といって討つと、その息子がまた親の仇と言ってやる。
そんな馬鹿馬鹿しいことなんです。
だから仇討ち思想をなくするのが一番良いと私は思っている。
そこで仇討ち思想をもっとも偉く見せかけているのは、忠君愛国が代表的なものです。
だから私はあれはいかん、嫌いなのはそうなんです。
これは祖先以来仇討ち思想を押し込まれてきたためですが、実に厄介な思想です。
それでもう一つは昔の武家時代ですね。
武家時代は武家が自分に都合の良い道徳を作ったんですね。
その代わり一生食うに困らないだけの扶持(ふち)をやるから、殿様が不慮の災難が起った時、
あるいは誰かにやられた時には・・・というのだから、うっかりやれない。
だからその殿様が安全になりますからね。
そこで権力者が安全にするために武士道という自分に都合の良い道徳を作った。
その代わり一生涯困らないだけの扶持をやるというんです。
そこで忠臣蔵みたいにやるのは、あたりまえですよ。
あえて尊ぶべきことで値打ちを評価する価値はないですね。
それはふつうの人でも一生涯困らないだけのものをもらえば、そうするのは、あたりまえです。
一種の取引ですからね。
食うに困らないだけの扶持をもらって、生命を維持されたんですから、
君のために命を捧げるというのは、経済的に言えば一種の取引です。
だからそこに人類愛的な、なにもなければ、崇高な、なにもない。
それを崇高にみせたり、神に祀ったりするのは、いかにその時の道徳が間違っていたかが分かる。」
明主様御講話 「仇討ち思想を除らなければ世界は平和にならない」 (昭和27年10月6日)
「大本教のお筆先におもしろいことが言ってあります。
艮の金神は神代の時に人から嫌われて押込められたのです。
それで、「今に返報返しを致すぞよ」・・・仇討ちです。
それだけでは神様も人間みたいですが、けれども「艮の金神は喜ばして返報返しを致すぞよ」そういうのがある。
喜ばして返報返しをするというのが非常におもしろいです。
仇討ちといっても、忠臣蔵のように上野介の首を取るというのではないのです。
先方を喜ばすというのですから逆です。
これが本当です。
ですから私は大祭の余興の時に、講談の貞丈(ていじょう)に「忠臣蔵をやってはいかん」と条件をつけたのです。
これは喜ばせて返報返しをするのとは逆です。
私はそういうのは嫌いです。
仇討ちという思想は非常に悪いのです。
これを日本から絶対に除かなければいけないのです。
けれども日本人はそれに非常に憧れるのです。
曾我兄弟とか・・・と。
その仇討ち思想を除らなければ、世界は平和にはならないのです。
個人としても争いが絶えないわけです。
中国の言葉に「怨に報ゆるに徳を以てする」というのは非常に良いです。
それから蒋介石が終戦後日本に非常に好意をもっているのです。
日本に対しても良くしなければいけないというので、蒋介石は今もって日本から代償を取ろうとは思っていないのです。
そのために今も台湾だけでも地位を保っていられるというわけでしょう。
そんなような具合で、ただ信者は浄化作用というと、病気だけに限るように思うきらいがありますから、それで話したのです。
あらゆる苦しみというのは、全部自分にあるということを知れば良いのです。」
明主様御講話 「一方が勝てば負けた方は悔しがりまた勝つことを考える」 (昭和28年9月5日)
「これについて、昨日、元日活の社長をした人が来ての話で
「実は今度すばらしい計画をした。
それは東京に立派な娯楽場のような物をこしらえて、
そこでいろんな享楽をさせる計画をしているが、それに賛成してもらいたい」と言うのです。
その裏には援助してもらいたいということなのでしょう。
しかし私は「それは止した方がいい。
どういうわけかというと、それは罪を作るからだと言ったのです。
そうしたら非常に感心して「一言でピタッとやられて、どうも今までこんなにはっきり言われたことはない」と言って非常に感心していました。
その人はお寺の息子でお寺の出なので、仏教のこともいろいろ聞いているが、
確かに罪を作るということはいけないと言ってました。
それで「これからやるなら、良い事と悪い事があるが、
全部良い事は世の中にはないから、良い事がいくらかでも悪い事より勝っていれば、
差し引いて良い事の方がオツリが来るから、プラスになるから、それならよい」と言ったら、
「なるほど」と言ってました。
なおいろんなことを簡単に言ってやりましたが、驚いてました。
結局今の人は急所をつかんでないのです。
急所をつかめないのです。
急所をつかむほどに頭が良くないのです。
ですからいろんなことを見ていると、よけいなことをしたり、骨折って失敗したりして、カラカサ屋の小僧式が多いのです。
偉い政治家などはみんなそれです。
またその時共産主義の話も出ましたが、その人は右翼団体を作るというのです。
その人はなかなか覇気はあるのです。
そうとうに腕もあるようです。
けれどもやることがみんな見当違いや無駄があるので成功しないわけです。
それで右翼団体を作って共産主義と戦うというのです。
それについては次のように言ってやったのです。
すなわち「共産主義と戦うのもよいが、そうすると結局争いになるではないか。
争いでもよいから成功すればよいが、成功しない。
一方が勝ち、一方が負ければ、負けた方は悔しがってまた勝つことを考える。
つまり仇討ちと同じで、一度殺すと、その伜(せがれ)が悔しがって仇を討つ。
そうすると負けた方はまた悔しがって、そのまた伜がやるということになり、それではしようがない」と言うと、
「なるほど」と言ってました。
第一共産主義というものは失敗するに決まっているから、
私はよく共産主義のことを聞かれるが、気にしないでいる。
つまり共産主義というものはスターリン一代限りのもので、今にだんだんおとろえてゆくから、
問題にするにあたらないと言ったら、感心してました。
そして私はいつも仕事をするのに、ただ急所だけをチョッチョッと手を打っておくだけです。
ですから私は随分いろんな仕事をしているが、あせったりしないで、いつも悠々としているが、
それは肝腎な急所だけをちょっとやっておき、あとは人にやらせればよいのです。
人間は急所を見つけるのが肝腎だから、あなたもそういうようにしなさいと言ったら、非常に喜んでいました。
それを連れてきたのが日置という人で、いつかサンデー毎日に私のことを書いた人で、
この人もそれを聞いて、笑って感心したような顔をしていました。」
明主様御講話 「仇討ち思想は大名の権力維持のための手段」 (昭和28年11月26日)
「日本は、島国根性が抜けきれないで小乗的になってしまうのです。
それがなんにでも現われてます。話は違うが、今もって芝居やラジオで忠臣蔵をやってますが、
これも日本人の今もって囚われた島国根性から抜けきれない証拠です。
ですから忠臣蔵で、一生涯を犠牲にして自分の殿様の仇をうつというのですが、
そういうような考え方として、結果はいったい日本人の幸福に対してどれだけの役に立つかということを言いたいのです。
もし役立つとすると、その当時の権力者、大名などに対する忠義ということは、
その大名が権力を維持するうえにおいての一つの手段です。
それがために一般民衆はなんにもならないので、少しも幸福の役に立つわけではないので、
それをたいしたように思い、また思っている考えがあるので、
それだから興行師がそういう物を扱うようになるのです。
ですから今の本当の民主主義の思想と、くい違いもはなはだしいです。
日本人のこういった小さな思想を、もっと世界的に人類愛的に拡げるのが一番必要なわけです。
そこで宗教も、ただ日本人だけを信仰させるというのでは、およそこれからの世界とは違っているわけです。
世界メシヤ教として、一番にアメリカ人を救おうと思ってます。
そうすれば、世界を天国の世にするにはこれが一番効果的であるし、手っ取り早いです。神様は勿論その御心なのです。」
明主様御講話 「普通の仕返しは恨みを残す」 (昭和28年1月15日)
「社会的にそうとう立派なある人が、この間の判決をみて「なぜ控訴しないか」と言うのです。
それで私は「控訴してもどうせ勝てるわけではないし、勝ったとしたところで、たいしたおもしろ味がないから止した。
私はもっと大きく仇を討ってやろうと思っている」と言ったら
「いったいどういうわけですか」と言うから
「私が今に大いに出世して世界的になれば、あれほどの人をどうしてあんなに酷くいじめたのだろうと言って、大いに煩悶するだろうから、
その方がかえって深刻な仇討ちではないか」と言ったのです。
これは昔から例があります。
松島に瑞巌寺というお寺がありますが、その和尚の話で有名な話ですから聞いているでしょう。
その人は若い時分に伊達の殿様の足軽になって、いわゆる草履取をしていたのです。
そうして雪の降った寒い日に、草履が冷たいといけないと思って、懐に入れて温めたのです。
それを殿様がはいたところが温かいので「貴様はいていたのだろう」と、けとばしたのです。
それで悔しくてしようがないので、そこを飛び出して死のうと思って、首をくくったか川にはいったか、どうかしたのです。
するとそこを通りかかった坊さんが助けて「お前はどうして自殺をするのか」と言うので、
実はこうこういうわけで悔しくてたまらないから、自分の気持ちを分かってもらいたいために死ぬのだと言ったのです。
そこでその坊さんは「お前の考え方はごく小さい。
それでは殿様に対する恨みを晴らすといったところで、わずかなもので、すぐ忘れられてしまう。
それよりももっと大きな仇を討て」と言ったので、
「どうしたらいいか」と言うと、「お前がうんと出世をして殿様を見返してやるのだ」と、懇々と諭したので、
自分もその気になってうんと勉強して、日本でもそうとうな坊さんになったのです。
その結果 中国に渡って、中国でまた修行したのです。
その時分に中国に行くというのは、今外国に行くのより、もっとたいしたものなのです。
それで中国から帰ってしかるべき寺の住職になったのです。
なにしろ学問はあるし、立派な人格者としてたいへんな評判になったのです。
それで故郷が仙台だということを仙台の伊達の殿様が知って、そういう立派な坊さんならぜひ招待したいというので、呼んで初めて会ったのです。
そこで殿様は、よく来てくれたとたいへんに喜んで歓迎したのです。
それでたいへん優待され、帰りに、ぜひお土産を上げたいと思って持ってきた物があると言って、
懐から立派な包みにつつんである土産物を、恭しく殿様の前に出したのです。
見ると草履なので、殿様はアッケにとられていたのです。
それで坊さんは「不思議に思われるのはあたりまえです。実はこれには謂れがあります」と、その謂れを話したので、
殿様は恐縮して「そのお詫びの印にあなたに寺を寄進しよう」というので建ったのが松島の瑞巌寺です。
その人は瑞巌和尚というのです。その仇討ちですが、非常におもしろいと思います。
それからもう一つは、これも有名な話ですが、当時たいへん有名な坊さんで白隠禅師という人がいました。
ところでその当時のそうとうな商人の娘が妊娠したのです。
それで娘は、本当のことを言うと親がなんと言うか分からないというので、それを怖れて口から出まかせに白隠様だと言ったのです。
それで親父が怒って、あんな立派な名僧がこんなことをするとは、とんでもない生臭坊主だというので、
檀家を集めて相談の結果追放したので、白隠は寺から出て宿無し坊主になって、さんざん苦労をして流浪したのです。
ところがそのうちに娘が本当のことを言ったので、それはたいへんだというわけでふたたび鄭重に迎えられて、以前より偉い坊さんだということになったのです。
ですから人間はごく酷い目に遭わされた時には黙っているのです。
そうしてこっちが偉くなればいいのです。
そうすれば相手は「こんなたいした人をあんな酷い目に遭わして、自分はなんたる愚かだったか、実に申し訳ない」という心の煩悶を起すのです。
この仇討ちが一番いいのです。
ですからふつうの仕返しというのは、ごく小さいことで、またそのために恨みを残すということになります。
私がその話をしたところが、その人は非常に感心して「なるほどそうです。宗教家らしいお考えです」と言ってました。
結局キリストを磔(はりつけ)にしたヘロデ王も、霊界に行ってどんなに後悔しているか分かりません。
それからお釈迦さんに対する提婆(だいば)とか、日蓮上人に対する北条時政という人たちは、無論生きている時はそうでもなかったが、霊界に行ってどんなに苦しんだか分かりません。」
明主様御講話 「出世をして見返すのが正しい仇討ち」 (昭和28年1月16日)
「それからこれはおかしな話ですが、ある偉い人が「この間の裁判の判決で控訴しませんか」と言うから「控訴はしない」と言ったのです。
すると「控訴した方がいいではありませんか」と言うのですが、
「控訴しても、先では決めているのだから勝てるはずはありません。
またよしんば勝ったとしても、たいしたおもしろ味はないし、それよりかそのままにしておいて、こっちが世界的にうんと有名になって、それを先生たちが見たら、あんな立派な人をあんな酷い目に遭わせたということは、自分は実に間違っていたと言って、そこで非常に後悔しますから、その苦しみの方がかえって大きいのではないか。
ですから私はその考えで、勝つならもっと大きく勝つべきだと思っている」と言ったのです。
「なるほど宗教家らしいお考えですね」と言ってました。
それについて有名な話があります。松島の瑞巌寺というお寺をこしらえた瑞巌和尚の伝記がちょうど同じようなものです。
あの坊さんは若いころ伊達様の足軽になって、ある雪が降った寒い日に草履を懐に入れて温めたのです。
すると殿様は非常に怒って「貴様がはいたのだろう、けしからん」と言って、けとばしたのです。
それで悔しくて、そこを出て自殺しようとしたところが、通りかかった坊さんが助けて、お前はどうして死ぬのだと聞いたところが、
こうこういうわけで悔しくてしようがないから、死んで恨みを晴らすのだ、自分の心のきれいだったということを見せるのだと言ったら、
その坊さんは「それは嘘だ、死ぬ気になればなんでもできるから、偉い人になって見返してやりなさい。それが立派な仇討ちだ」と言うので非常に感激して、
その坊さんの弟子になって修行して立派な坊さんになって、支那に渡ってあっちでまた修行して帰ってきたのです。
それは今の洋行帰りよりも、当時の支那から帰ったということはもっと箔がついたのです。
それを伊達様が聞いて、出身はなんでも仙台地方のようだというので、招待の使いを出したのです。
それで快く承知していよいよお招きにあずかったのです。
そうしていろいろ優遇されて、帰りがけに殿様にぜひ上げたい土産を持ってきたと言って、恭しく紫の袱紗(ふくさ)に包んだかして出したのです。
それで殿様はどんな物かと思って開けてみると、草履が一足出てきたので、これはいったいどういうわけがあるのですかと言うと、実は私は若い時分に殿様の草履を温めておいたところが、逆解されてそのために自分は叱られて追い出された。
それが悔しくて、そのために自分はこれだけに出世したのだから、この草履は自分にとってはたいへんな出世の動機だ。
それでそういう酷い目に遭わされた殿様のために出世をしたのだから、そのお礼をしたいと言ったので、殿様も非常に感動したのです。これは有名な話です。
それからもう一つは白隠禅師の話ですが、当時の立派な名僧智識としてたいへん崇拝されていた坊さんです。
それが土地のたいへんな豪家の娘に恋人ができて妊娠したのです。それで本当のことを言えば、親にどんなに酷い目に遭うか分からないというので嘘をついて、相手は誰だと言われ、白隠様だと言ったのです。
それで親父は、白隠禅師といってたいへんに偉そうにしていてそんなことをするとはとんでもない、あんな者を寺の住職だなんてとんでもないと追放したのです。
それで乞食坊主になって、その辺を托鉢(たくはつ)していたのです。
ところがなにかの動機で娘が本当のことを言ったのです。
実はこういうわけで苦しまぎれに禅師様に罪をきせたので、申し訳なかったと言ったのです。
それから親父は無論のこと村中の評判になって、いよいよ名僧として有名になったという話ですが、これはみんなよく知っているでしょう。
そういうようで酷い目に遭って仇を討つ場合に、すぐに仇を討とうとしないで、
時期を待って、逆に出世をして見返してやるという態度に出るのが一番いいのです。
どうせ良いものは良いし、悪いものは悪いのですから、いつかは知れるに決まったものですし、
まして神様を信ずるものとしたら、神様がほうっておきません。
私はそういうように思っているから控訴もしなかったのです。
それは向こうの方が、話にならないくらいの酷いやり方ですから、かえってそういうようにした方が、
仇討ちといっては変ですが、向こう様は苦しむに決まっているのです。
ただ時だけの問題です。
大本教のお筆先に「艮(うしとら)の金神は大勢から押し込められて、あるかあらぬ苦しみをいたして居りたが、
今度は喜ばして返報返しをいたすぞよ」というのがありますが、
その「喜ばして」というところに神様らしいおもしろいところがあります。
やはり神様も知情意は人間と同じなのです。ただ人間は返報返しをする場合に、先方を傷つける、先方を酷い目に遭わせる、というのが人間のやり方です。
ところが神様は喜ばせるのです。
向こうに被害を与えないで仇を討つというやり方なのです。
その点が人間の考えからいくとちょっと違うわけです。」
明主様御垂示 「仇討思想をなくさなければ平和にならない」 (昭和24年10月23日)
信者の質問
「本当の大和魂はどういう心でしょうか。」
明主様御垂示
「今迄本当の大和魂はなかった。これから出来る。大いに和すると書く。
それなのに戦争をするがこれは大いに争う魂である。
やはり各国に魂があり、アメリカにはアメリカ魂、ドイツにはドイツ魂がある。
今迄の大和魂では危険である。これはあまりに・・・。
武士道など、権力者がその地位を維持するために作った。
親子一世、夫婦二世、主従三世といい、主従は一番関係の深い事にしている。
君の馬前に死すなどという。それは一生食わしてもらっているから当然の理屈はある。そこに偉さも何にもない。
寧ろ仇討などは悪い。循環的でしかも仇討のために一生を終る。
それは殺人の犯罪を犯すために一生を棒にふる訳で、こんな間違った事はない。
仇討思想をなくさねば平和にならぬ。それを最高の道徳のごとく思わされた。
国でも同様で、そういう事に利用されたのが大和魂で、鼓舞激励させられるために利用された。
忠臣蔵や楠木正成、吉田松陰など私は嫌った。あまりに馬鹿馬鹿しい。
楠木などいいが、結果において非常に悪い。結果は既に分っている。
忠義としても智慧の足りない忠義である。
これからは世界魂でなくてはならぬ。今迄は日本の通貨と同じようなものである。世界共通でなくては・・・。」