お任せする 2 (明主様御垂示)
明主様御垂示 「心配すると霊が地獄へ落ちる」 (昭和23年5月18日)
信者の質問
「現在会員の会費の一部をもって積立金として積立て、将来会員のための福祉、例えば旅館のごとき宿泊設備、教会、農場、学校、治療所等々の建設を考えておりますが、
大きな分会にはいろいろ福祉がありますが、私どもの分会はまだ小さく、従ってまだ見るべきものなく、会員に淋しい暗い気持ちを抱かせております。
この点につきまして大先生のお導きをお願いいたしとう存じます。」
明主様御垂示
「そういう問題は管長がやるべきです。渋井さんと相談してみなさい。
経営はすべて本部管長がやることになっている。
分会長もいるんだからみんなで相談してやったらよい。」
信者の質問
「先日も管長に会ってお話ししたところ、管長とは名ばかりで実際は五六七会の会長であるからそのほうのことをしていると言われてました。」
明主様御垂示
「いままでは私がやってきた、で、その習慣が残っている。
宗教の形を整えたうえは管長が全部やるべきです。が、そこまでまだ行ってないのです。
もうしばらく自然の動きに任せておけば定まることは定まる。
神様がやってられるんだから。私はこうすればよいと自分で考えても神様のお考えと違うことは始終ある。
この家は狭いので去年広い家を買うことになったが、どうもその後うまく行かない。
こいつはおかしいと思ったのでよく調べたら、箱根のほうを先にやらねばならないんです。
それは箱根は五で熱海が六で小田原が七ですから、箱根の寮ができあがり使ってからでなくては駄目です。
こういうふうに人間の計画と神様の御計画とはちょいちょい違うんです。
神にお任せして時を待つんですね。
この間も中島の所へ二百万円の税金を納めろと言ってきた。
中島はびっくりして「そんな金はない」と言うと「この家はだれのだ」「自分のだ」
「ではこの家を売って納めろ。君の所はたいへんな収入がある、駅を降りて人々がみんな来るではないか」と言われ、中島は青くなってボーとしていた。
で、私は「いったいあんたはなにを信仰してるのか、なにも信仰してやしないじゃないか。
くよくよ心配するのは神を信じてないからだ。
人間のほうでそんな態度をとれば神様としてもおもしろくないですよ。
そんなに気をもむのは」そう言ったんで中島も判り、いままでのは形だけの信仰だということを悟ったんです。
ところが税金のほうもちゃんとうまく行って運動してくれる人が出て十分の一くらいですんでしまった。
私も思うように行かんなと思うときは神様にお任せする。
始終ありますよ。私の所の税も五百万円だったが運動してくれる人が出て何分の一ですむことになってます。
霊的に言うと心配したりくよくよしたりすると霊が地獄へ落ちる。
始終自分の霊は天国にいなければ駄目だ。
どんなことがあっても気をもんだりしないならば霊は天国に行き、そこで神様はうまくやってくださる。
分会も文部省の命令で八つにした。
物を分ければ最初はうまく行かぬに決まっている。
滑らかに行かぬだろうとは思っていた。
しかし神様がやっておられるんだから日時が経てば円満になって行く。
ですからゆっくりと時を待つことです。
私は以前、治療士三訓を作り治療所へ貼らせた。
「いばるな、怒るな、早まるな」です。
三つのうちいずれか一つにでも該当したら治療士の資格がない。
結局こういうことにより自分が磨かれるんです。
神様の修行の中で一番大切なのはこっちを怒らせることです。
昔は私も神様からよく言われました。
以前は私も神様のことはよく判らず、はらわたが煮えくり返るように思ったこともあり、あまり癪(しゃく)に触って頭がボーとしてきたこともある。
私は二十年間借金で苦しみ、差し押さえも七、八回、破産したこともあります。
差し押さえられると箪笥(たんす)の引き出しに封印しますが、その紙をそっとはいで引き出しを開けたこともあります。
あいつをはがすと刑事問題になるんですから怖いですよ。
上野毛の家には木札にこの家は仮処分の家だと書いてある。
あまり人目につかぬ所に立ててますが、実際借金には苦しみました。
またGKもひどいことをしました。
離れを作ろうとして土台を作りすっかり準備したら建築停止をくわせた。
そのときも腹が立ちました。
ところがおもしろいのはね、箱根の観山亭を作るとき、その離れの材料をそっくりそのまま持って来たんで、観山亭はできたんです。
いまから考えればむしろお礼を言っていいくらいです。
計画を立ててやろうとしてもうまくできないときは、神様になにか思し召しがあるんだと考えることです。
熱海の家のことではいま両方とも困っている。
売ったほうでも困っている。税務署は時価で評価するから二千万くらいになる。
それから税百六十万円を引くと千八百四十万円、それを双方で負担すると、先方は家を売ったうえに九百二十万円納めねばならない。
私のほうは法律的にはできるんですが、しかし人情としてそんなことはとてもできない。
それでいまはそのままにほおっているんです。
そこで私はこれはきっと神様がなにか御計画になっておられるなと考えている。
ある時期にはっきり判ってきます。
ついそこの畑地もやっぱりYが持っているんですが、先だって「買わないか」と言ってきた。
私は「いらない」と言うと家内が「あすこに変なものでも建てると困るから買ってしまったら・・・」と言うので買うことにしたらもう売れてしまった。
私の所へ来たときは三十万円ほどだったが、後で聞いたら競り売りでだいぶ高くなったそうです。
ところがその買い手の人は熱海の請負師で渋井が仕事をさせてる人で「大先生が御入用ならいつでもお使いください」というわけです。
やっぱり必要なんですね。必要なものはとんでもない所から入ってきますよ。
宗教になることだって私がしようと考えてしたんではない。
進駐軍の中佐の牧師がある程度この道を了解して、これが将来発展すると必ず医者と衝突して禁止される、それには宗教になってなければ・・・というわけで宗教になったんです。
まったくなってよかったんです。
これで全国の医師会との間に起っていたいろいろな問題もなくなってしまったんです。」
明主様御垂示 「人事を尽して天命を待つ」 (昭和24年1月6日)
信者の質問
「人事を尽して天命を待つということと、天命の意味・・・」
明主様御垂示
「これは非常にいい言葉である。
人間はやるだけの事をやって後心配しない事である。
信仰生活に入ってある程度までは心配するが、後は神様にお任せする。
これは普通の人間としての考え方で・・・信仰人は神様にお任せするのが一番いい。
心配はある程度で打切る。
ある程度こうしてお任せすると非常に楽だし、うまくいく。
普通の世間的人間の心配を解決する方法としてこの言葉はよく言ってある。」
明主様御垂示 「取越し苦労や過越し苦労はいけない」
心の歪んだ人は相手にするな
信者の質問
「私が観音教を人に勧める場合に次のような事を言われました。
貴殿は貴家を挙げて観音教を信奉してもあなたの子の代、または孫の代に放任し、または無関心の場合を保証出来ない。
故に無関心無信奉が祟って観音教の御軸、御額が却って末代において障害とならないかと言います。これはどうした事でしょう。
それで教修を断り勝ちです。
正しい神様に断じてあるべきでないのが本教団だと言っても聞き入れません。」
明主様御垂示
「こういう事を言ったらキリがない。教団で救われた人は祖先になる。これから新時代の祖先になる。
そして祖先が徳を施すから、子孫は皆良い訳である。
悪い子孫が出るのは 祖先の徳が足りない訳であるともいえる。
物を悪くとればどんなにも悪くとれる。
悪くとる人は心にどっか違った所がある。
こういう人は、無理に奨めず、時節を待つ。
まず何より現在を救われたい、世の中を良くしたい、それだけの考えでよい。
取越し苦労や過越し苦労はいけない。
観音様にお任せするとうまくいく。
不安に襲われるのは霊層界の下にいるからで、段々救われると何となく不安はなくなる。」
明主様御垂示 「神様にお任せするということの意味」 (昭和26年10月5日)
信者の質問
「教導所で家が転々として変わるというのは、浄まりが足らないのでございましょうか」
明主様御垂示
「結構じゃないですか。
大いに変わったほうが良い。
変えなくっちゃいけない、と言うなら、それで良い。
だいたい、本部だってずいぶん変わりますよ。これからも変わる。」
信者の質問
「一部の人は、あんまり曇りがあるから落ち着けないのだ、というのでございますが」
明主様御垂示
「そうですよ。曇りを取るために変わるんです。だいたい、曇りがない人なんて、いないです。」
信者の質問
「信仰するその人にでございましょうか」
明主様御垂示
「信仰する人も、信仰しない人も、先生も、その家も、みんな曇りがある。」
信者の質問
「やっぱり良くないと、世間で評判されるのでございますが」
明主様御垂示
「かまいません。神様がそうされるんですからね。
新聞も、最初「光」それから「救世」それから「栄光」と、こんなに題名が変わるのなんか他にありませんよ。
神様がされるんだから、しょうがない。それは、こういうわけです。
今までの宗教とぜんぜん違うということは、今までのは夜の世界だから長くやっていたが、今度は千年くらいかかっていたのを、私は十年くらいでやろうと思っている。
神様がやられるんですが・・・と言ったほうが良い。」
信者の質問
「変わらずに続けてやったほうが良いでしょうか」
明主様御垂示
「神様にお任せすると良い。
というのは、変わったほうが良くいく「心配しなくて良い」と言う好条件の場合は変わっても良い。
神様にお任せするというのは、そういう意味なんです。
私なんかも、よくそういうことがある。
なにかにつかえて、こちらに来たほうが良いという場合があると、これは神様が・・・と、こっちに行っちゃう。
そういう場合に、馬鹿にゆっくりしているようで、馬鹿に早い。」
明主様御垂示 「神にお任せする気になれば信仰の門に入った証拠」 (昭和23年9月8日)
信者の質問
「先月二十八日○○○○子を御浄めいたしましたところ、先祖の霊が三人現われ
「お前達は信仰が足らない」「だれが一番足らないか?」「ほとんど全部足らない、みんなを呼べ」と申し
「お前達は神を信じない。頭を下げても心では信じていない」とて一家の信仰のないことを述べておりました。
狐霊を使って話をしているらしく、この信仰により救われたい様子に思われました。」
明主様御垂示
「ええ、それはその通りです。救ってもらいたいのです。」
信者の質問
「翌日同人が私の教導所へまいりましたので御浄めいたしますと泣き出しましたが、
じきに治り私と一緒に御軸に善言讃詞をお上げし「夜叉龍神も・・・」のところへきますと男の声になり
「国と国との・・・仁慈の御胸に抱かれん」のところはものすごく大きな声になり
「大光明如来守り給へ・・・」のところも大きくなりました。
そして気持ちよくなり便所へ行くと言って二、三歩踏み出したら倒れて霊が出まして
「私はここの家へたびたび来る○○というものだ。先生もよく知っているはずだ」
「自分はこの人を連れて行かねば仕事に差し支える。もともとこの人が好きだった」
そこで「悪いことだから止めるように」と申しますと
「悪いことは百も承知だ」「それでは自分はこれを連れて死ぬ」と言うので
「それはいけない」と申しますと「僕の負けか」と言って足のほうから出て行きました。
この○○という男は生きているかどうかと思い、それとなく下宿を調べますと元気で学校へ通っておりました。」
明主様御垂示
「ほー生霊がついたんですね。・・・
信仰の線に入るということは神にお任せすることです。
人間的な考えもいいが、それもある程度までです。
一般に神に任せるという気になる人が少ない。
心配事などあると私は「神様にお任せしろ」と言うのです。
神にお任せする気になれば信仰の門に入った証拠であり、それで安心立命を得られるのです。
またお任せすればうまく行くのです。
神様としても「俺をそんなに信頼するのならよくしてやろう」と思われる。
昔から「仏の心は凡夫の心、凡夫の心は仏の心」と言われるように、神様だってある程度は人間と同じです。
形だけの信仰はいけない。
つまりさ、一人でも多くの人を救えばいいんです。
いよいよ最後の時に来ている。
できるだけ人を救わなければいけない。」
明主様御垂示 「心配事は神様にお任せ」 (昭和25年1月1日)
「(一部のみ引用) ここでちょっと意外に思う事がある、
というのはなるべく頭を使う方がよいので、これは一種の健康法で頭脳を使う人は長命である。
しかし心配のため頭脳を使うのはこれはいけない。
面白く愉快に使うのでなくてはいけない。
この点にも信仰の価値を見出せる。
それは心配事のある場合神様にお任せするという気持になるのでこれで心配の大半は減る。
つまり神様に分担してもらうのである。
至極 横着な話であるがこういう横着は反って神様はお喜びになるのである。」 (全文は神示の健康法のページ)
明主様御講話 「面倒なものは何でも神様に任せてしまえ」 (昭和26年11月1日)
信者の質問
「京都で、これから土産(みやげ)をやるとおっしゃられました、あのことをお聞きまして、
自分のことを考え、人力と神力の差をお教えいただき、ありがたく・・・」
明主様御垂示
「さっき話すのを忘れましたが、割合に肝腎なことですね。
つまり、浄霊は力を抜くほど良いとしているが、あれと同じで、他のことにも共通している。
一番分かりやすく言うと、これを欲しいと思うでしょう。
欲しいが、どうしてもこれを自分のほうに引き寄せようと思うと、来ないものでしょう。
欲しい欲しいと思ったときは、必ず来ないものです。
病人でも、これを治したら宣伝力もあるし、ぜひ治したいと思うが治らない。
そんなことをぜんぜん考えないで、なーに、とやっていると治る。
それは、ぜひ治したい治したいと言うと、執着ですから人間の働きばかり出る。
そんなことを考えずに神様にお任せしようと、執着を取るでしょう。
すると神様のほうからくる。
人間の執着が・・・想念がそこにいくから、神様のほうを邪魔する。
病人でも、こんな病気に負けるものか、俺の精神力で治して見せると言うのは、たいてい死んじゃいます。
そうでなく、神様の御意のままだ。とあきらめると、助かります。
だから、よくもう駄目だ。あきらめなさいといってから、治るのがたくさんあります。
面倒なものは、なんでも神様に任せてしまえと言うんです。
そうすると、案外うまくいくんです。
私なんか、始終ややこしいことがありますが、ええい。と、神様にお任せする。
ややこしいのがあって、あっちを立てればこっちが立たない。
という場合に・・・お任せすると、うまくいきます。
思ったよりかうまくいく。
よく、「惟神の大道」と言ってね。
惟神と言う言葉は良いです。
「カミナガラ」ですね。
神様の思し召しのままに進んで行くというので、非常に良い言葉ですね。」
信者の質問
「ああいう場合に、教えていただきますと、自分でもゆとりが出てまいります」
明主様御垂示
「そうです。余裕・・・気楽になりますね。
一番は金がそうです。金が欲しい欲しいと思うときは、決して入ってくるものではない。
もう、金なんかどっちでも良いと思うと入ってくる。
ところが世の中のことは全て、人間の力を過信するんです。
戦争なんか、こうしたら勝つだろうかと、こうして一挙にやってやろうとか、
日本の戦争みたいに、いろんな計画を立ててやるのは、みんな駄目になったですね。」
信者の質問
「昔、自分を偉く思って、いつもあくせくして失敗しておりましたが、
ああ言うお言葉をいただきますと自分も楽で、うまくいきます」
明主様御垂示
「楽ですよ。それも、その人があんまり依頼心が強くて怠け者ではいけませんが、やるだけやってその後ですね。
人事を尽くして天命を待つと言うのは、うまい言葉ですね。
また、お任せする神様ですが、力のない神様なら駄目ですが、メシヤ教の神様は絶対の力があるからね。」
明主様御垂示 「面倒臭い、神様に任せちゃえと言うとうまくいく」 (昭和26年12月1日)
信者の質問
「お任せするとは、口で言いながら、実際はお任せしてなく、自力を引いております」
明主様御垂示
「そうなんです。だから、物事は楽にすることは結果は良い。
苦しんですることにろくなことはない。
それから、私がちょっと言ったことが、何でもなく思っていることがある・・・あれがたいへんなものです。
私がちょっと言ったことを、すると、楽にいくんです。
ちょっとでも自分の・・・我を出したりしたら、たいへんなことです。
だから、何でも楽にやれることでなければ駄目ですね。
私なんか、問題があったりしても・・・ちょっと割り切れないことがあるんですよ・・・こちらを立てればあちらが立たないということがね。
そういうことがよくありますが、面倒臭い、神様に任せちゃえと言うと、するとうまくいくんです。
信仰の妙味というのはそこにあるんでね。」
明主様御垂示 「行き詰まり」 (昭和23年11月8日)
信者の質問
「お弟子方につき「ああなればよい」とか、「こうなればよいのだが・・・」というふうにいろいろ考えがちですが、これも執着でございましょうか?」
明主様御垂示
「それは信仰がないからだ。神様を信用してないからです。すべて神様がやっておられるんですからね。・・・
神様にお任せするという気持ちになるにはよほど修行がいるんですね。
どうも世間の人々は人間的に考えては苦しんでいるんですよ。
私は問題に直面して適当な案がないときは神様にお任せするのです。・・・
また他の人がしたいということは間違っていてもやらせてしまうのです。
それはやりたいと思っているとき注意してもなかなか悟れない。
行き詰まって初めて気がつくのです・・・」
信者の質問
「行き詰まったか否かはどうして判断すべきでしょうか?」
明主様御垂示
「それはすぐ判りますよ、行き詰まったときは気がついて自分で苦しみますから。・・・
神様のほうだって「俺にそんなに任せるんならちゃんとしてやろう」ということになるのです。
だからすべてお任せしたらいいのです。」
明主様御垂示 「商売も神様にお任せせよ」 (昭和25年1月20日発行)
信者の質問
「私方は家族数六名で、私と長男の嫁がお光をいただいております。
商売はミシン屋で、毎日家中で一生懸命に働いておりますが、
「貸倒れ」が、多くて商売がうまく行きません。いかがいたしたらよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「一生懸命働くのは結構だが、焦ると無理が出るから、すべて神様にお任せしていると、自然にうまくゆく。
それが御守護である。
そうすると神様から教えてくださる。
客が来ても、貸して悪い場合、判るのである。」
明主様御垂示 「転業も神様にお任せすべき」 (昭和26年10月11日)
信者の質問
「この商売(註 水商売の経営)はすぐに止めるべきでしょうか」
明主様御垂示
「あわてて、止めなくても良い。
それは神様にお任せしておくと良い。
どうしても止めなければならないような時には、すべてがそういう事情になります。
例えて言えば、止めても食うに困らないような収入があるとか、それまでは両方になるとか、無理にやらなくても自然にしておけば、支障なく楽にいけるようになる。
結局はそうなりますが、それまではあわてなくても良い。」
明主様御垂示 「破産についても神様にお任せせよ」 (昭和27年8月1日)
信者の質問
「破産寸前になっておりますので、良いほうと悪いほうと両方に考えて気持ちが悪がっております。」
明主様の御垂示
「破産しても良いです。
そのほうがかえって罪が早く取れて、それから良くなります。
私だって破産したことがある。
かえってそれから救われるものです。
ですから破産についてそう苦労しないで神様にお任せしておく。
そうすると、後で結果が良いです。」
明主様御垂示 「納税苦も神様にお任せせよ」 (昭和24年8月18日)
信者の質問
「私は時計貴金属小売商人ですが、一般社会情勢が悪いためどこも同様でありますが、
納税に追い立てられ、日もこれ足らず努力しておりますが、仲々完納はむずかしく困っております。
ところが私は長男(六才)が病気のためある人の世話にて入信させて頂き、家の中が明るくなり、また他人をも次々御導き致しておりますが、
浄霊と商売上の事とを調和させるのに時間が足らず、税の方はいつになったら解放せられるのか判りません。
今営業をやめるにも止める訳にも参りません。いかにしたらよいでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「納税で苦しむのも浄化である。
人を助け、徳を積むうち税の方も完納出来るようになるし、商売もうまくゆく。
アクセクしても必ずしもうまくゆかぬ。神様にお任せせよ。
去年の税問題などびっくりしたが、神様に伺うとお笑いになったので安心した。」
明主様御垂示 「納税苦も神様にお任せせよ」 (昭和24年2月15日)
信者の質問
「私は最近入信戴いたものです。商人でしたが昨年より膨大な税金のため、本年になって特に営業困難となり、
現在のところどうにも法が付かず休業のやむなきに至る事を予想されますが、今後時局と商業との関係について御教示下さい。」
明主様御垂示
「時局の事は予言になる。
税金は近き将来緩和される事はない。益々苦しくなろう。
本当に御利益を戴けばうまくゆく。先の事は心配せずお任せする。うまくゆく。」
明主様御垂示 「講演会の心得 準備しないほうがよい」
信者の質問
「十二月十二日、中六人部村大内青年会の常会に「青年と宗教」に関するお話をして頂きたいとの依頼を受け参加させて頂きましたが、どういう事を話して良いやら分らず、
まず皆さんに「この世に神が在ると信じますか、また何か宗教に入られた方がありますか」と質ねました所
「神はなし。また宗教も入らない。しかし仏はあると信じます」と答えました。
即ちここの青年は皆無神論者ばかりです。
故に一応神があると言う事について簡単にお話して第一回を終りました。
今後こんな場合いかようにお話すればわかって頂けるでしょうか。右、御教示お願い申し上げます。」
明主様御垂示
「何にも前から用意せぬ方がよい。
神様が導いてそこへ行かすのであるから、自然に言いたい事が出てくる。
その座に合うような話をする事になる。
用意の必要はない。
唯物科学教育には宗教は不可。
人により時期があり、臨機応変に話すとよい。」
明主様御垂示 「自力他力両方で行くべき」 (昭和23年)
「向上しようとする気持はいいが、短時日にしようと思うと焦りになる。
焦りになると霊はそう高くならぬ。
指導は他力である。
自力他力両方で行くのである。
バラモンは自力一方である。
『最善を尽して時を待つ』態度が一番良い。」
明主様御垂示 「最初からお任せするのは間違い」 (昭和24年10月23日)
信者の質問
「重大なる事に当面した場合にでも、刹那心でうまく解決出来るでしょうか。」
明主様御垂示
「智慧を働かす事が必要である。
自分より他人が善くなる事を前提として考える。
最初から神様にお任せするのはウソである。よく熟慮すべきである。
事件や問題などは叡智を働かす。観音様の妙智力という。
智慧は非常に肝腎な事である。信仰の要諦は智慧と誠である。
世の中をみると智慧がなさすぎる。指導者に智慧がない。
(問題に対して最善の方法をとる。
なるべく軽くすむよう神様にお願いし、それ以上は神様にお任せする。
民主党のごときも、吉田に投票すればよいのに山崎に投票してあんな結果となって、片山の平野言説問題など全く智慧がない。
吉田が一番智慧があり、無駄しない)」
明主様御垂示 「人事を尽して天命を待つ」 (昭和23年12月28日)
お任せするにも程度がある
信者の質問
「利己主義者が悪宣伝、悪行為をなした場合、それを見逃してやっては、その人に対し無慈悲でもあり、
また他面、社会的には悪の風習を助長することにもなると存じますが、
その場合、慈悲または正義はいかに行使すべきでしょうか。」
明主様御垂示
「これは信仰のない人が考えることです。
神様が人を使って悪宣伝をするのかもしれないのです。
今度の税金の問題も私は邪神かと思って神様に訊いてみたら、
そうではなくて神様がやっておられることが判りました。
だからあれによりかえっていい影響があっちこっちで来てるんです。
いままで迷っていた人もどんどん入ってきている。
だから信仰のある人なら、これ(お伺い事項)と反対になっていいはずです。
悪を助長すると言っても人間が抑えたりすることはできないんです。
それよりも自分の悪、自分の間違いを訂正することです。
人の悪なんか訂正することはできない。
人をどうしたいという希望はいいが、行為によってどうするということはできないのです。・・・
物事にはその物と事と大小などによって、やるべきこととやってはいけないこととあるのです。
やれと言うとやりすぎるし、やってはいけないと言うとぜんぜんやらない。
味でもそうで、砂糖が少ないと言えば甘すぎてしまい、甘すぎると言えば今度は辛すぎてしまう。
ちょうどよいというのは難しいのです。
だからその程度をよく考えることです。
それが智慧です。
神様にお任せすると言っても、お任せすることにも程度があるのです。
人事を尽して天命を待つということがあるが、これはいいことです。
人間としてすべきこと、できることをやって、その先は神様にお任せすべきです。
だからそれは時所位に応じて変わってくるものです。
やはり実篤の言葉に「神の如く強く神の如く弱し」という言葉がありますが、いい言葉ですね。
神様も強い場合もあり弱い場合もある。
観音様でも馬頭観世音は火焔を吹いて目はランランと輝いてます、が、
これは畜生道を救うお働きを表わしているのです。
いろいろなことをうまく使うところに智慧があるんです。
一番効果のある方法がいいのであって、これをみつけるのが智慧です。」
明主様御垂示 「人間の力も最高度に発揮しそれ以上は神様に渡す」
「こういう事は誰しもある。どっちか決めてはいけない。
人間の力を頼り、神様を忘れがちでもいけない。
人間の力も最高度に発揮し、それ以上は神様に渡す。
少しずつでも出来るよう心掛けるのが修行である。
自分の所は発展しない。いろいろ欲求がある。
一番効果のある事は思う事である。
大きくなろうとか思う事で、思っても行ないが伴わなかったり、思い方が足りなかったりすると出来ない。
カーネギー曰く「成功とは成功せんと思う心そのものなり」と言った。
信仰も強く思う、それが一番いい。」
明主様御垂示 「神様に惚けるな」 (昭和26年11月1日)
「神様にお任せすると言うことは良いんですが、神様に惚けると言うのはいけないんです。
これは神様の思し召しだろうと思うと、そればかりじゃ失敗してしまう。
そこにおいて叡智と言うのが必要になる。
結局において、一つのことにとらわれてはいけない。
また人間力にとらわれてはいけない。
あらゆるものを総合調和させるというんです。
それが、一つの伊都能売というのは、経にあらず緯にあらず、経であり緯でありというので、
そこに言うに言われない一つのものができ上がるわけですね。
それが一つのー仏教のほうで言うと、妙智と言うんですね。」