順序について 2


明主様御垂示 「何事についても神様のほうを先にしなければならない」 (昭和26年8月1日)

信者の質問
「お守様を袋にお入れしますとき、反対にお入れしまして戒告をいただきましたのがございます。

自分で袋の洗濯をいたしまして、反対にお入れしてありましたので、戒告を受け、浄化をいただき、ふと、それに気がつきお変えしましたら、すぐ治りました」


明主様御垂示
「神様は几帳面ですからね。それが法と言うものです。ですから、法は順序ですね。

ですからООさんは注意しなければならない。

あなたは、出し抜けに来て、お目にかかりたいと言う。あれはいけない。自分のご都合になる。

昨日来たけれど、今日は面会日なんだから、今日の面会が主なんだから、面会がすんだら会うと言った。

今朝も来たのでそう言った。というのは、今日は面会が主だからね。

そうすると、あなたの個人のほうが上になる。

そういう、順序が狂っている。それが、一つの法なんですね。

だから、なんでも神様のほうを先にしなければならない。

主と従が、なんでもある。神様のことはなんでも主にしてもらいたい。


奥さんの友達が私のお膳に来た。昨日も来てはいけないと言ったが。それで、私はサンルームで一人で食べた。

というのはね、その人は信者ではないから、霊的にいうと低いんですからね。

それと一緒にいると、私のほうが穢れて下がる。

それが苦しいから、私は別に一人で食べた。

そうかといって、あんまり、捉われるといけない。

あなた方は別ですよ。臨機応変にやる。

だから、心得るということは必要です。

私は、道具なんか見に行く場合、相手が信者でないからね、信者と未信者では、こっちの見方、扱い方が違うわけです。」




明主様御講話 「順序を乱すと気持ちが悪くなる」 (昭和27年4月26日)

(御論文「大いに注意すべき事」発表)

「もう一つはこういう例があったんですがね。

二十年近く前ですが、私は宝山荘にいる時分に、ある部屋の床の間の前に行くと、みんな気持ちが悪くなる。

どうも不思議でしようがない。それから調べてみると、床の間の柱に雲版が掛かっていた。

それに色紙がー誰かが書いたのをー色紙を雲版に入れて掛けてあった。

それは歌かなにか、発句だかーその人はそういうことをやっている人で、それが掛かっている。

それで、私がそれを取って見た。

すると、その下に私の色紙があった。

それでその色紙を取って、私の色紙だけを掛けた。

それからなんともなかった。そんなことがあったんです。」




明主様御講話 「順序を軽くみることはできない」 (昭和28年3月15日)

「今度のお蔭話で、栄光に出しますが、そういうようなことに関して九州の坂井さんの話ですが、いろいろな例があります。

病気で、浄霊でどうもうまくいかない、それで気がつくと、私の書いたものとか栄光新聞というものを調べると、ふつうの日刊新聞の下にあったり、はさまったりしているので、

これだなと思ってとると、病人が良くなるというので、実にはっきりしているのです。

それから私の書いたものですが、これはまた凄いのです。

その上にほかの物がのっていたりすると、とてもわけの分からない苦しみがあるのです。


昔、私が宝山荘にいる時分に、その部屋がどうも気持ちが悪いのです。私も気持ちが悪いし、誰でもがそうなのです。

それでその部屋に行くと、みんな病気みたいになるのです。それでおかしいと思ったが、どうも分からないのです。

ところがほかの人からもらった、ふつうの人間が書いた色紙が柱掛けにかかっていたのです。

それで気がついて、それをとってみると、その裏に私の色紙がはいっていたので、これだなと思ってそれを外したら、それですっとしたのです。

今度のお蔭話にいろいろ書いてありますから読めば分かりますが、これは大いに注意することです。

それで病気になって幾日もなおらないのですが、分かってみると、すぐなおってしまうのです。

よく子供の病気などであります。それはなにかというと、順序が違うからです。

ですから私は家にいても栄光新聞は決して下におきません。

それから私の書いたものとか写真は決して下におきません。

それは人ばかりでなく、私自身もなんだか気持ちが悪いのです。

ですから順序くらい軽くみることができないものはありません。」




明主様御垂示 「用事のついでに参拝するのは主客転倒」 (昭和23年12月10日発行)

「浄霊をお受けになる方で付近まで用達に来たついでに教導所に立ち寄って御浄霊を受けることはいけません。

それは主客転倒、神様に対して失礼になるわけで充分なお蔭がいただけません。

さきに御浄霊を受けてから御用達をなさいませ。」




明主様御垂示 「用足しをした後に参拝することは順序を乱す」 (昭和29年3月1日)

「一切はそうなってます。

一番先に行く所が主になるのです。

その次の所は従になるわけです。ついでになるわけです。

だから仮に、こういうことなのです。

個々に会う、人も、事柄もそうですが、特に神様のことはそうです。

最初神様にお参りに行って、それからは何の用をしても構わないのです。

ところが他の用を先にして神様のお参りを後にすると、順序が違っているから決してうまくゆかないです。

物事も順調にゆかないです。

だから主と次のこととは、はっきりしなければいけないです。そうするとうまくゆくのです。」




明主様御垂示 「用足しをした後に参拝するのでは主客転倒」 (昭和24年6月25日発行)

信者の質問
「お葬式に参列の後で用足しをしたり、お墓参りをしてはいけないという理由。」


明主様御垂示
「お葬式とか、婚礼とかは人生の重大な儀式であるから、参列したらそのまま帰るのが死者に対する礼節である。

よく死汚れと言って死者のそばへ寄ると汚れると言うがこれはたいした意味はない。

礼節は大事なことで浄霊に行くにも、用足しを先にすると効果が薄い。

これは主客転倒であるからである。

神社参拝も同様でお詣りは先にする。

それから用を足すのが本当である。」




明主様御垂示 「弟子が師匠に浄霊してもよい」 (昭和24年4月20日発行)

信者の質問
「弟子が先生を、またはふつうの御守りの人が大光明の御守りの人を浄霊しても差し支えないものでしょうか。」


明主様の御垂示

「差し支えない、その人を浄霊する場合はおのずから位置が変わる。

されるほうは先生でも浄霊する場合は神様がそのように守るのであるから差し支えない。」




明主様御垂示 「病気療養のためなら子供が上座(御神前)に寝てもよい」 (昭和27年12月25日発行)

信者の質問
「御教えに精神病、癲癇、その他霊憑りの者は御神前に休ませるとよいとのことでございましたが、

主人夫婦が階下に寝て、病人である子弟が二階の御神前に休ませていただいてもよろしいのでございましょうか。右謹んでお伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「ふつうの場合はいけないが、病人の場合は差し支えない。」




明主様御垂示 「御神体奉斎の順序」 (昭和28年12月1日)

信者の質問
「以前に入信した人で、最近信仰が落ちている家庭を調べると、

最初から大光明如来様を奉斎し、それも間半(まなか)の床とか、立派でない床というのが非常に多いようです。

これが、順序として光明如来様を奉斎して現在にいたる家庭は、信仰も落ちず、順調に進んでおります。

そういうことがございましたが、これは順序が間違っているわけでございましょうか」

明主様御垂示
「そうです。それはよいことです。

そこなのですが、つまりいつも言うとおり順序があるのだから、最初の信仰が熟しないときとか、

いわばその人の霊的位ができなければ大光明如来様を祀ることはできないのです。

それからその家の床の間も相応しなければならないので、家があんまり粗末なときに大光明如来様は、かえって御無礼になるから、そういうのは光明如来様でなければならないのです。

それから信仰に入りたては光明如来様が本当で、入りたてから大光明如来様というのは嘘なのです。

ただ良くさえあればよいというのは嘘なのです。」




明主様御垂示 「御神体奉斎の順序」 (昭和28年12月1日)

信者の質問
「ただいまのことに関連しまして、支部は小さい家のために光明如来様を御奉斎しており、信者は立派な家である場合に大光明如来様をということはいかがでございましょうか」

明主様御垂示
「それはまずいです。

それがやっぱり順序が違います。

それもお祀りしてしまったらしようがないが、これからは、最初はどんな立派な家でも光明如来様をということにするべきです。」


信者の質問
「支部が立派になって大光明如来様になるまでは、信者は大光明如来様は止めるということでございましょうか」

明主様御垂示
「そうです。」




明主様御垂示 「跡継ぎについて」 (昭和27年6月1日)

信者の質問
「長女は嫁に行ってもよろしいでしょうか。順序に反しないでしょうか」


明主様御垂示
「行ってもいいですよ。順序にはずれないです。(中略)

それから、それについて言うが、跡を継ぐのは長男でなくても、次男でも三男でも構わないですよ。

従って女でもそうです。日本は長男が跡継ぎになったのは、戦国時代に大将が打ち死にするでしょう。

その場合にすぐに大将の代わりを立てなければならない。

それでなければ統一がつかないからね。

日本はそういう ・・・系統を立ててますからね。

それで長男が一番年取っているから、それで長男が跡継ぎという伝統ができちゃったんです。

だから跡を継ぐ場合は一向差し支えない。


よくありますよ。長男は家督を継ぐのが嫌だ。芸術家なんかにありますがね。俺は自由にしたい。俺は親の商売が嫌だといって、弟に継がせるのがありますがね。

それを封建的の頭の人は、どうしても長男が継いでくれなければ・・・とそういう映画がこの間ありましたが、そういうことで悲劇がありますがね。馬鹿気たものですよ。

家を継ぐのに適当した子供・・・そういうのに継がせればいいんですからね。

まして女はそういうことは決してなおさら差し支えないんですからね。」




明主様御講話 「器物にも位の高下がある」 (昭和29年1月15日)

「昔からよく、なんにでも神様と言います。

井戸にも「井戸神様」と言い、それから便所にも神様があると、昔の人は言ってますが、それは本当なのです。

今そういうことを言うと、馬鹿な、旧式な考えだとけなしますが、そのけなす人のほうがよほどぼんくらです。

こういう点も分かると、すべてにおいてうまくゆくのです。

だから、生きたものでない、そういった無機物に対しても、それを人間がそういった扱いをするとよほど違います。

私は、部屋なら部屋にいろんな飾りつけをしますが、その器物にも位の高い物と低い物があります。

位の高い物は部屋の良い所におき、位の低い物ほど裾におくようにしてます。

そうするとその部屋に入るとなんとなく気持ちが良いのです。

私がそういうようにした部屋に、信者でない人が来ても、なんとなく気持ちが良いと言うのです。

というのは、霊界において霊の順序が良いから気持ちが良いのです。

こういうことを知るということは非常に肝腎です。


これを他のことにとってみると、

よく大勢の部屋で争いが起こったり、中には殴り合いが起こったりしますが、

そういう時には、坐る所が順序が違うのです。

ですから霊界が混乱状態です。

人間にもそのとおりに写ってしまうのです。

だからその部屋に入って順序がちょっとでも違うと、なんとなく気持ちが悪いです。

上の人が下座に坐って、下の人が上に坐ったりすると、そこの霊界が乱れてますから、なんとなく気持ちが悪いのです。

それでなんとなく腹が立ったり、喧嘩が起こりやすいのです。

実にそういう点は、割合大きなものです。

こういう話をすると切りがありません。」




明主様御垂示 「あらゆるものに法がある」 (昭和24年11月20日発行)

信者の質問
「建築の場合、棟木を継ぎ合わせるとき、頭と頭を継ぎ合わせると長男に障ると申しておりますが、なにかわけがありましょうか。」


明主様御垂示
「これは尾と頭、尾と頭と繋ぐのが本当で、切った木でもなお霊が残っているからである。

すべて逆は不可である。だから私など部屋に品物を置くにも法にかなった置き方をする。

よく神様の本の上に小説などを置くとなにか障りがある。すべてに順序がある。

以前宝山荘にいたころ、ある部屋へ入るとだれでも気持ちが悪くなる。

これも調べてみると私の色紙の上に普通人のかいた色紙がのせてあって、順序が間違っていたので、取り除いたらなんともなくなった。

よく階段の上から目下に挨拶されるときは困るので、私は急いでその人の位置まで上って挨拶をする。

あらゆるものに法がある。

言葉でも仕事でもそうである。

木なども格のある木とないのとあり、格のあるのは庭の上座に植える。

私の造る庭はそういう点に注意してあるから、気持ちがよいのである。

言葉に順逆がある。心得ていると自然人に好感を持たせる。

「法にかなう」とはそのことを言うのである。

いまの世の中で政治でも人事一般がうまくゆかないのはそういう点がでたらめであるからである。」




明主様御垂示 「上座と下座」 (昭和27年11月1日)

信者の質問
「屋敷内の艮(うしとら)に女松男松を植えます場合に、右近の橘左近の桜という意味で植えるものとして、御神前とは反対のほうになりますが、どちらを上座と考えて植えましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「それは男のほうが上だから向って右です。

神様がこうあると、こっち(神様に相対して左)が男松、こっち(右)が女松です。

例えてみれば、人間が歩いているときに、男が左、女が右です。

ここ(御神前)に人間が坐った場合は、こっち(左)が男、こっち(右)が女です。」 (中略)


信者の質問
「ただ今の上座下座のことでございますが、常に御神前に向いまして神様の左側が上座と思っておりましたのでございますが」

明主様御垂示
「神様のほうはそうです。しかし神様と人間は違います。

向うと神様と人間はあべこべになるわけです。

あなたが妻君と二人で御神前に向う場合にはどう並びますか。」


信者の発言
「右が上座だと伺っておりました」

明主様御垂示
「そんなことはありません。何でも左が上座です。

それでなければ霊主体従になりません。

霊主体従は知っているでしょう。

「ヒ」というのは霊です。

「ヒ」は霊で「タリ」は満ちです。

「ミギ」というのは、「ミ」は体です。

「ヒ」と「ミ」です。」


信者の発言
「一般は御神前に・・・」

明主様御垂示
「ですから御神前は人間とあべこべだと言うのです。

簡単です。ややこしく考えるといけないのです。真理は簡単なものです。

神様が御神前に御夫婦で御並びになると、向って右が男神様、左が女神様です。

人間のほうはあべこべになるのです。

一緒にするからいけないのです。

分離すれば良いのです。

何でも考えるには一番簡単な考え方です。それが真理です。

ちょっとでもややこしいものなら、それは真理ではないのです。

だから真理というのは一番やさしいのです。

それをゴチャゴチャにするのが邪神です。

それで一番ややこしいのは共産主義です。」


信者の質問
「祭官が坐りますときは、上席はこちらに坐りますが」

明主様御垂示
「祭官と普通の人とは違います。

つまり霊と体の考え方がはっきり分かればわけはないのです。

どうも人間の習慣で簡単に考えないのです。

ややこしく考えるくせがある。特に日本人は昔からそういう弊害が多いのです。

自由意志だとか自由主義だとかを抑えられて来たので、考え方が単純でなくどうも複雑です。

今の世の中はみんな体主霊従の世の中だから体主霊従になっているのです。

天皇陛下の御親影でも、皇后様のほうが上です。

それから恵比須さんを置くのも体主霊従に置いている。

大黒さんが霊で恵比須さんが体です。」




参考 明主様御垂示 「主師親」 (昭和24年11月13日)

信者の質問
「主師親と道法礼節とは・・・。」


明主様御垂示
「主は主神、最高神、本当は神の事。

終戦迄は天皇の事をいった。

一番有難い偉い方という事。

道法礼節・・・信仰雑話の順序・・・の中にある。」




参考 明主様御垂示 「主師親に仕え奉るとは」 (昭和23年)

信者の質問
「主、師、親に仕えるにつき、その心得の相違につき御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「これも悟りより外ない。はっきり言えぬ。

人間として最高の御方という事になる。

今迄は天皇をそう称していた。

主師親(おや)は、神が人間に生れたという言葉である。」