信仰の合理と再浄化について


明主様御教え 「信仰の合理性と再浄化」
 (昭和28年5月27日発行)

「そもそも信仰の根本は、合理の二字にある事を忘れてはならない。

いかに信仰上もっともらしい説を立てても、道理に合わないとしたら真の信仰とはいえないのである。

この意味において神様というものは、理屈に合えば何程でも御守護があるが、

理屈に合わなければいかに拝むとても、御守護はないのである。

この点が最も肝腎であって、再浄化の意味もこれに外ならないのである。


散々医療を始めあらゆる療法を受けても治らない結核患者などが、浄霊によってたちまち治ったので喜んで入信することとなる。

そして暫くしてから再浄化が起る人がよくあるが、これはどういう訳かというと、もちろん理屈に合っていないからである。

すなわち医者から見放された病気が、神様の御蔭で治ったとしたら、

神様から無い命を頂いた訳であるから、何程感謝してもし切れない程であるにかかわらず、

中にはその当時の感激もいつか忘れて、最早治った以上それで済んだと思ってしまう。

そうなると信仰前と同じでないまでも、感心出来ない生活態度となってしまうが、

それで何事もなければ万々歳だが、どっこいそうはゆかない。

というのは長い間散々薬毒を注ぎ込まれているため、健康恢復に伴い、溜りに溜っていた薬毒の排除作用が起る。

これが再浄化である。

しかしいつもいう通り右は体的面だけの事だが、実は霊的面の方に体的以上重要な問題があるのである。

しかしこの事については今まで少しも知らしていなかったが、最早それが許されない時となったので、その根本をかくのである。


ではなぜ今まで知らせなかったかというと、未信者や新しい信者などには、誤解を招く おそれがあるからで、出来るだけ言わないようにしていた。

ところが段々浄化が強くなるにつれて再浄化の人も増える事になるから、ここにハッキリさせるのである。

そもそも世の中の事は一切相応の理によって動き、道理に合うように出来ている。

特に信仰にあってはそれが顕著である。彼の釈尊のいわれた生者必滅、会者定離とは、これを一言に喝破(かっぱ)したものであり、

因果律(いんがりつ)とか因果応報などもその意味に外ならない。


これによっても分るごとく、死を覚悟し絶望的となった重病患者が全治したとしたら、

何をおいても力の限り、神様に御恩報じをするのが当然であり、これが合理であるにかかわらず、

忘れるとしたら御蔭の取りっ放しであり、恩知らずもはなはだしいのである。

この理を一層分り易くいってみると、例えば生命の価値を十とすれば、十の感謝ならプラスマイナスであるが、

十以上であればその余分だけはプラスになり、神様はその何倍にも当る御恵みを下さるものである。

それと反対に感謝が五とすれば、差引五だけマイナスとなるから神様への借金となる。

そこで一日も早く御返しすればいいが、それをおこたるとすると利息がかさんで借金は増えてゆく。

この点現界と少しも変りはないので、これも相応の理である。

そこで借金が溜ってある程度を越えると、神権裁判所から督促や差押えが来る。

これが再浄化であるから、それに気が付き心からお詫びをすると共に、元利合計御払いすれば助かるのは当然である。

ところが中には飛んでもない考え違いを起す人がある。

それは信仰で治ったと思ったのはヤハリ一時的で、本当に治ったのではないとして迷い始める。

そこへ周囲の者などが、それ見た事かと言わんばかりにしきりに医療を勧めるので、ついその気になって医者へ行く事になるが、

もうこうなったらお仕舞で、十人が十人悪化の一路をたどり、ついにあの世行となるのは常に経験するところである。


ではそうなる原因はどこにあるかというと、霊界においては悪魔は人間の心の隙を狙いつめており、

ちょっとでも油断があるとたちまち憑依し、その人をワヤにする。この点注意の上にも注意をしなければならないのである。


そうして感謝の誠を捧げる場合、仮に金銭にしても、多い少ないは問わない。

分相応の最大限度であればいいのである。

神様は何もかも御存知だから、無理をせずとも御許しになると共に、

その上一人でも多くの人を救い信者を作ればなおさら結構であって、要は実行である。

そのようにすべてが理屈に叶えば、まず再浄化は起らないはずで、たとえ起っても軽く済み、命に関わるような事は決してないのである。

話は違うが世間多くの宗教の中には、御蔭を頂かない内から、

これだけ献金すれば助かるなどといって、御礼の先取りをする事があるが、

これなどは欺瞞(ぎまん)行為であるから、御利益のあろうはずはない。

全く取次先生の考えが誤っているからである。

そこへゆくと我 メシヤ教は御利益があってから分相応の感謝をすればいいので、至極合理的であるにかかわらず、

それを怠るとしたら、全く人間の方が間違っており、お気付けを頂くのは当然である。

それでも気がつかないから命まで召上げられるので、どこまでも不合理は赦されないのである。

今一つ肝腎な事は、神様が命を下さる御目的はその人を御神業に働かせるためであるから、

それを覚って実行すれば健康は益々よくなり、幸福は何程でも恵まれるが、

それを裏切るとしたらせっかくの救いを自分から拒否する訳である。」




明主様御講話 「再浄化について」 (昭和28年5月15日)

「再浄化について、今までも話ししようと思ったが、あんまり話のしよいことではないので、つい言わなかったのです。

だんだんこれから再浄化が多くなりますから、そこでどうしても本当のことを言わなければ追いつかなくなってきたので、本当のことを言います。

本当は再浄化というものは起るべきものではありません。

しかし起るべきものではないと言っても、ある程度はやむを得ないが、再浄化で命がなくなるということはありません。

再浄化のあるのは、ほとんど結核ですが、医者から見放されてぜんぜん死ぬに決まったような者が助けられるとしたら、

その命の恩はたいへんなものですから、いかなるものを犠牲にしても、命の代わりとして感謝しなければなりません。

感謝するということは奉仕しなければならないのです。

それをボヤボヤしているから、神様は横を向かれるのはあたりまえです。

だから再浄化が起るということは、再浄化が起るようにしているのです。

それで今の人はやっぱり医学迷信のために、お医者でなおったのは非常にありがたがるのです。

ところが信仰でなおったのは有難味が少ないのです。

というのは、信仰でなおるべきものではないと思っているから、「なおったのは時節が来たのではないか」

あるいは「今までたくさんのんだ薬が効いてきたのではないか」というような解釈をする人があるのです。

ところがお医者の方でなおったのはじき忘れるが、神様の方は、そういう理屈に合わないことは絶対に許されないのです。

しかし、今までは和光同塵で、少しは許されてきたのですが、これからは絶対にお許しにならないのです。

大本教のお筆先に「神厳しくなると人民穏かになるぞよ」というのがありますが、うまく言ってあります。

それについてはっきり書きました。


(御論文「信仰の合理性と再浄化」拝読)


命にかかわらない病気ならそうでもないが、命にかかわるような病気がなおれば、命をいただいたのですから、

なおってよいあんばいだと金儲けだとか相変わらずなことをしていると、

せっかくくださった命を自分のことに利用してしまうことになるので、

つまりいつも言うとおり、自分の命だと私有財産みたいに思ってしまうので、そこにたいへんなくい違いがあるのです。


以前に、鉱山をやっている人で、そうとうに年をとった人ですが、心臓病で命のないところを助かったのです。

それで自分は一生懸命に神様のために働くと口では言っているが、

いつの間にか山に行って、しばらく見えないからどうしたかと思っていると、

その人はそうとうの資本家で経営者であるから鉱山に行っていたが、

具合が悪くなってあわてて帰ってきて、治療をしてもらうと良くなって、

今度はよいだろうと思うと、また行ってしまうのです。

そういうことがたびたびあったので、とうとう私は「あの人は駄目だから方っておけ」と言っておきましたが、それからしばらくして死んでしまいました。


この人などはあんまり命を粗末にするのでもったいないくらいなものです。

こういう人はめったにありませんが、これに似たようなことはよく聞きます。

お蔭話などにもよく出てきますが、難病がなおって、そうして神様はたいしたものだと言いながら、この次再浄化で悪くなると医者に行くのです。

そうしてさんざんやってもらって、今度は前よりも悪くなって、やっぱりこれは神様にすがろうと来る、それで今度なおると、そこで初めて分かるのです。

実に世話がかかるのですが、よくそういう人があります。

だからそういった大きなお蔭をいただいて命を助かった人は、これから大いに注意してやるのです。

そうすれば再浄化はよほど少なくなります。

そこで万一再浄化が起った場合には、なぜ起ったかという意味を、今のようなわけだということを話してやるとよいです。

大体どんな病気でも、なおればそれよりか重い病気が起るわけはありません。

第二の起り方ですから、軽くすむわけです。

ところが再浄化の方がかえって重い場合が多いのです。

ということは人間の方が間違っているからです。」




明主様御講話 「再浄化について」 (昭和28年5月16日)

「信仰について一番肝腎なことは、今まで宗教ではあんまり徹底してなかったのです。

仏教にしても、仏教の「教」の字が間違っているのです。

お釈迦さんが作った時には仏法と言って「法」なのです。

それをどう間違えたものか、仏教という「教」になってしまったのです。

ですから、佛という字は人偏に弓という字を書いて棒を入れるので、弗(ふつ)という字ですが、弓というのは月の形になるのです。

弓をしぼった時、あるいはしぼらない時、これは月の形なのです。

佛という字は、人間の法なのです。ですから人偏に弓を書いて霊体二本で貫くのです。

それが法になるわけです。

それで法というのはなにかというと、文字の解釈から言うとサンズイに去(さる)というのです。

ですから水を去るのです。

それで法というのは火で経(たて)なのです。

ですから法は曲げられないと言います。

つまり法はまっすぐでなければならないのです。

そこで仏の「法」は月ですから水になるわけです。

そうして下の「法」が火になるわけです。

ですから水火ですが、これは逆になるわけです。

火水が本当だが、つまり夜の世界は水が上になって火が下になるわけで、逆になっているわけです。

ですからどこまでも「法」というものが根本になるわけです。

それを「教」の字にしてしまったということは、一つの間違いだったのです。

だからだんだん仏教がくずれてきたというのは、これは「法」の力がないからです。


それで「法」というのはなにかというと、つまり乱れさせないことです。

ということは、間違いはさせないということです。

ですからなにごとにも法があるのです。

日常生活にもチャンと法があります。

これは前によく言いましたが、人間の行でも言葉でも、小さい法があるのです。

ですからそれに合わなければいけないのです。

要するに理屈に合うことです。

神様のことは理屈に合えば良いのです。

ちょっとおかしく思っても、根本が理屈に合っていればそれでよいのです。

理屈に合わない点が一つの間違いになるわけです。

今話をしたのは再浄化についての一つの前提です。


再浄化というのは、いったんなおったのがふたたび悪くなるというのですが、

これをよく考えてみると、どんな重難病でもなおったとしますと、

今まで寝たきりだったり、なにもできなかったりした人が、普通人のような行動ができるのですから、確かになおったのです。

それで再浄化というのは残りの毒素が排除されるための浄化作用ですが、

そうすると最初の時よりもっと軽いのは決まってます。

ところが最初の時よりも重くなって死ぬことさえあるのは、これは理屈に合いません。

ではそれはどういうわけでそうなるかということを書きましたから、今読ませます。 (御論文「信仰の合理性と再浄化」拝読)




明主様御講話 「再浄化について」 (昭和28年5月17日)

「再浄化についてですが、せっかくなおって非常に喜んでいるのに、今度は再浄化で、マカリ間違うと命までやられるのです。

これはなんとかしなければいけないというわけですが、これは大体分かってます。

その原因は言いにくいものですから、今まで言わなかったのです。

しかしそんなことは言っていられないので、本当のことを知らせようと思って書いたので、今読ませます。


(御論文「信仰の合理性と再浄化」拝読)

ですから再浄化もあるにはありますが、最初の病気よりも軽くすむわけなのです。

一番最初、浄霊を受ける時が一番重くて、それがいったんなおるということは、それだけ一番大きな峠を越えたわけです。

もしその次に再浄化が起るとすると、最初よりいくぶんか軽くなるのがあたりまえです。

ところが軽くならないというところに、人間の間違いがあるわけです。

それは借金があるからなのです。

なにしろ医学迷信で固まっているのですから。

よくお蔭話にありますが、いったん良くなって、その次に自分がまた悪くなるとか家族の者が悪くなる、そうするとお医者の方に行くのです。

そうして さんざんやられているうちに悪くなって、二進も三進も行かなくなって、

これはやっぱりメシヤ教に行かなければならないと、そこで初めて分かって、

神様の方でなければならないということが分かるのです。

そういう人が随分あります。

これはつまり医学迷信がいかに人間の心をとらえてしまったかというわけです。

だからこの点なかなか難しいです。

なにしろこっちはぜんぜん今までと反対の意味ですから、

何百年も教育されたそれを一朝にして覆すのですからたいへんなわけで、それだけ骨が折れるわけです。

その代わり覆すだけの力を現わすのですから、たいへんと言えばたいへんですが、訳ないと言えば訳ないというわけです。

実に今までに例のないことですから、不思議なようなあたりまえのような、その点なかなか変なようなものです。」




明主様御教え 「神徳斯くの如く験かなり」 (昭和28年8月12日発行)

「本教の信仰は昔からあるあらゆるそれとは大いに異っている。

というのは既成宗教においては、神と人との関係が余りハッキリしていないのである。

といっても彼のキリスト教始め数ある宗教の中には、なるほど熱烈な信仰を捧げる時、驚くべき奇蹟が現われ、神意が明らかに感得される例もすくなくはないので、

そのためにこそ何百何千年にわたって、多くの人達に魂の糧を与えて来たのである。

しかも今日大を成してる宗教程そうであるのは言うまでもない。

ところが本教においては、神と人との結び付きが余りにもハッキリしている。

何しろ現在のごとく紀元末ともいうべき地獄世界を救うとしたら、既成宗教以上の超宗教的力をもっていなくてはならないはずである。

従ってこの救世の力を発揮する基本条件としては、神と人との関係が非常にハッキリしていなければならない訳である。

なるほど難病が救われ、無い命が恵まれた以上、無限の感謝が湧くのは当然であって、それを具体的に表わしてこそ、神は第二の恵を与えられるのである。

そうしてそれに酬ゆると共に、恵まれた命は何がためかという事を考えてみるべきである。

もちろん御神業の御役に立てんがための神意である。

これについては先日も神様の事は、一切理屈に合わなければいけない。

理屈に外れるから再浄化が起ったり、命まで失くすのである。

それに引替え戴いた命は最早自分のものではない、神様の御手(みて)にある以上、救世のため力限りベストを尽くす。

そうしたなら再浄化などは消し飛んでしまうので、反対に歓喜幸福な境遇になるのは、絶対間違いないのである。

従って不幸になるのも幸福になるのも、自分の心掛次第で、この点一分一厘も違いないのである。

それは左の御蔭話がよく表わしているから、読んだ人はなるほどと思うであろう。」



体験談 再浄化による喉頭結核を救われて
 
島根県 隆光中教会 TS(31・男性)

「明主様の御救いにより九死に一生を頂きました御礼を申し上げます。

私はかつて年少の頃特に健康に恵まれ、十八歳の春、満蒙開拓青少年義勇軍に加わり、

昭和二十年八月の終戦まで元気に軍務に従事し、同年十一月復員、翌年三月親のすすめに従ってさる農家へ婿養子として縁付いたものであります。

生来の健康のおかげで日々農業に精出し、つらい中にも又楽しい日を過ごし夫婦の仲にも二人の女児を恵まれ何一つ不自由のない生活を送っておりました。

ところが二十四年五月の農繁期頃より体に異常を感ずる様になりましたが、養子の事とて無理に無理を重ねていましたが、

我慢しきれず医師の診察を受けましたところ「風邪がこじれたのだから大した事はない」との事でしたが、

病状は益々悪くなる一方で、某病院にての珍斬の結果は「肺結核二期」との事で、それは二十四年十二月の事でありました。

ああ、難難辛苦の果ての復員後の幸福も束の間、業病中の業病、肺病に侵されようとは・・・

その時医師いわく「あなたの病気は大分進行しているから治るかどうかは判らないが、現代医学は非常に進歩しているから、あらゆる療法を試みたらあるいは治るかもしれない。云々」と誠に頼りない言葉でありました。


そして数日後是非と入院をすすめられましたが、その日の帰途大愛の御手は私如き者にもさしのべられたのであります。

それは車中にてフト実兄がこのお道の事を聞かしてくれたのであります。

私は早速途中下車して木次町のS先生を訪ねました。

先生より種々のお話を承り又御神書等も拝見さして頂き、なぜかその時心に深く打たれるものがあり、長年求めていたものに今こそ掴ったという様な感が致しました。

早速御浄霊をお願いしましたら、先生は私の頭に向って手を翳しておられるのです。

こんな事をして病気が治るものかと思いましたが、黙って御浄霊を頂く内に、やがて全身の御浄霊を終る頃には何とも言えないよい気持が致し

一時でも疑った事が恥ずかしくなり、そして心から一日も早く健康にして頂けます様にと御祈り致しました。

先生がおっしゃるには「あなたの病気は必ず治ります!」とはっきり申されました。

その時の嬉しさは今なお忘れる事は出来ません。


この日を境に私のすべては一変し出しました。

先ず何よりも心に大きな希望が湧き、医学その他の療法はすべて捨てて御浄霊一すじにお縋り申し上げたのであります。

毎日雨の日も雪の日も五里の道を汽車で通いました。

はじめは反対であった舅達も私が次第に快くなってゆくのを見て少しずつ信ずる様になりましたが、

肝腎要の医学の誤謬、薬毒の恐ろしさという事が分らず度々注射をすすめるのにはホトホト困りました。

翌年二月五日待ちに待ったお守様を拝受致しましたが、この日の感激は一生忘れる事は出来ません。

その後健康状態もどんどん良くなって行き、私の信仰熱もいやが上にも高まって行き、入信四日目にはもう、二女Mの急性肺炎を救わせて頂き、いよいよお道に絶対的信念を持つ様になりました。


それから二、三カ月続けて御参りして御浄霊頂く内に病気症状はどこへか消えてしまいすっかり元気になり、時あたかも農家は田植の準備で多忙となり、まだ重作業は早すざるとは思いましたが、

村でも大百姓であり、家でも一番働かなくてはならぬ体であり、又養子というひけ目もあり、無理と知りつつも毎日鋤鍬を持って働きました。

幸いにも御守護により無事田植を終りホッと一息ついた頃より再び咳と痰が猛烈に出始め、剰え喉頭が痛み、声はかすれ、熱も三十八、九度以上もあり、食欲は衰え、あの忌わしき病の床に再び就く様になりました。

それを見た舅達はそれ見た事かと早速医者にかかる様に勧めましたが、私は医療は絶対断り、ただ一人自分で自分を御浄霊しておりましたが、病勢は徐々に進行し本格的な喉頭結核となってしまいました。

私はつくづく吾が身の不運を思い暗憺の涙にくれました。

それは実兄が二年前シベリヤより帰り間もなく胸を煩い、あらゆる医療の甲斐もなく喉頭結核で亡くなっていますので、絶望感は余計に強かったわけであります。

そして最愛の妻子を残してこの壊死んでゆくのではないかと不吉な予感が次から次へと湧いて来るのでした。


この悲観のどん底に喘いでいた私に、あたかも雲を破って輝く太陽の光の如くに、頭に閃いたものがあります。

「そうだッ、自分は己に命のないところを、明主様によって御救いを頂きながら、何ら御神業の御手伝いをするでもなく、ただ一途に自己の為に汗して働いて、これがどうして御神意に添い奉り、大変の御守護を頂く事が出来ようや? 

ああ、悪うございました、明主様どうぞお許し下さいませ。

今度こそは凡てをなげうち一意専心御報恩をさせて頂きます。今一度御救い下さいませ」とハラハラと両額伝う涙を拭いもせず、

東の方を向い、明主様に心からお詫びとお誓いを申し上げた私でございました。

「そうだ一切を捨てて救世の大御業に馳せ参じよう」と四年有半にわたり住みなれたこの家、この財産すべてを捨てよう。

それにもまして断腸の思いがするなれど、最愛の妻子との愛着の絆も断ち切ろう。

そして未だこのお道を知らない我が郷土の人々を救おう。

小乗愛を捨て、大乗道に生きようと決心しました時は、さしも心の曇りも晴れ晴れと、さわやかな、全く生まれ変った様な光明に全身が包まれるのをまざまざと感じました。


その夜妻に一切の覚悟を話し了解を求めましたが、いかに病気を治す為とはいえ二人の子供まで生ました仲を簡単に別れられましょうや。

「そんな事を言わないでもう一度思い直して下さい」と声涙共に繰返し繰返し申しましたが、一旦神にお誓い申し上げた決心は固より変るはずはありません。

義父は農協へ勤めておりましたが全くの無神論者で、今更何をか頼まんやとその翌朝実家へ静養に行かして頂く様お願いして歩くのも漸くの体を休み休み実家に辿り着きました。

兄に一切を話し了解を求めましたが中々承諾はしてくれませんでしたが、病気の為なら致し方ないと一切を許してくれました。

その後浄化は厳しくなり兄は心配しましたが、私は「このお道で必ず救われるから」と話し、かつ又信じ四、五日静養の後、再びS先生を訪れ私の決心を申し上げ、再浄化についてお伺い申し上げましたところ

先生は藷々と「肺結核の様な命に関わる病気を御浄霊で治して頂いたのは御神業にお使いになられる為に神様が新しい生命を下さったのだから、現在の如き浄化が来るのも貴方のあの後の信仰状態では当り前の事です。

しかしそこ迄よく決心して来られましたね。ただこの上は一心にお縋り申し上げましょう。

神様はキットキットお許し下さいますよ!」と力強くおっしゃって下さいました。

以後出張所で朝夕S先生より御浄霊頂き五日に一度支部へお参りし御浄霊を受けました。

御守護により一日一日と元気になり、さしもの喉頭の痛みの声喋れも全く快くなり、一カ月半後には自転車で病人の所へ御浄霊に廻れる様にもなり、実に思いがけなくも早く御蔭を頂き、本当に本当に、明主様有難うございました。

当時私は御恩返しに布教さして頂きたい気持に矢も楯もたまらず、体の元気は未だ未だ本当ではありませんでしたが、

先生に「自分と同じ様に世間には病苦に呻吟している者が沢山あると思います。

それらの人々を一人でも多く、一日も早くお救いさして頂きたいと思います」と申し上げましたところ

「それは大変結構です。あなたが誠をもってお道に専心御奉仕すれば休もキットよくなられ、必ず多くの人をお導き出来るでしよう」と奥様共々心から喜んで下さいました。


私は早速御神前にて御奉仕をお誓い申し上げ、御守護を御願い申し上げました。

昭和二十五年八月七日大望抱き単身布教の壮途に上りました。

そこは出雲の最も奥地に当る中国山脈の中央の山村でした。

爾来御浄化を戴きつつも御守護の下微力ながら毎月三名五名と入信者も作らして頂き次第次第に発展し、

遂に本年一月には有難くも、明主様より隆光中教会八川支部責任者のお許しを賜わりましたが、この時の感激は生涯忘れる事が出来ません。

それより二カ月後は又々大変な御神徳を頂きました。

それは夢の間も忘れる事の出来なかった三年前生別した最愛の妻子と再び一緒にして頂けた事でございます。

私は神様の大愛の限りも知らぬ深さ大いさに、後から後から止めどもなく溢れ出る涙をどうする事も出来ませんでした。

心中ある思いは「明主様有難うございます」の一語でありました。

省みますれば昭和二十四年不治の難病にとりつかれ、二十五年二月入信、一時御恵み頂きつつも感謝報恩を忘れ私事に従事した為六月再浄化を頂き、

かてて加えて骨肉の妻子と生別れ、生ける屍の身が絶対力の御加護により百人が百人、千人が千人、必ずダメになる喉頭結核を癒され、御神業従事のお許しまで賜わり、

今年一月には支部長の光栄をかたじけのうし三月妻子と再会し、夫婦共に地上天国建設の御用をさして頂く今日を賜わりました事は、ひとえに明主様の御聖恩の賜物と、衷心感謝感涙の外はございません。

明主様本当に有難うございました。厚く厚く御礼申し上げます。」