悪人判別法について


明主様御教え 「悪人を見別ける法」 (昭和24年7月9日発行)

「私は長い間、随分いろんな人に接近したが、まず世渡りの必要上悪人か善人かを見別ける事が一番肝腎だと思った、

しかも近来は強請(ゆすり)が非常に多く来るので特にそう思う、

ところがこの強請連中にもそれぞれ特徴があるから面白い、それをかいてみよう。


第一彼らは非常に口が巧い、彼らの話振りには警戒しながらも魅せられてしまう事がよくある、この点ほとんど例外はない、

次に大声を発する非常にしつこいこと、

今一つ注意すべきはこわもての奴もあり、

それと反対に非常に優しくもって来る奴との二種あるから面白い、

総じて悪事をする奴は恐ろしい顔付のように想像されるが、これは反対の場合が多い、

それはすこぶる優しく人なつっこいものである、

なる程考えてみれば恐ろしい顔だと相手が警戒をするから成功率が低い訳で、優しいとどうしても引っ掛りやすいという訳である、


次は善人であるが、私の長い経験上、話の上手な人より、下手な人の方が多くまた仕事の結果も良いのである、

それもそのはずで、話が巧いから人が騙されるという訳で、自然人を騙す事によって世渡りをするようになる、

ところが話下手だと人を騙し得ないから、腕で成績を挙げようとするから、前述のような結果になるのであろう。」




明主様御垂示 「ユスリは話すのがうまい」 (昭和24年10月25日発行)

「よく、しゃべるのが下手で、信者ができないと言う人があるが、話がうまくて信者ができるものなら講釈師でも頼んだほうがよい。

むしろしゃべるのが下手な人に多く信者ができる。

私は常に思うがユスリなどは実に話がうまい。

それで効を奏するからますます弁舌が発達する。

嘘が進歩する。

誠の人はどうしても実行的で話は下手である。

虚勢は嫌味である。

人間はアク抜けなくてはならない。

自己を卑下するのは下座の行で、ある程度はよいが、卑下しすぎることはあまり感心できない。」




明主様御垂示 「ハンサムで優しい男は大悪党」 (昭和23年11月18日)

信者の質問
「よく睨むような目の人もありますが・・・」


明主様御垂示
「それは目つきが悪いんでしょう。

本当に悪いことをする人は目つきが柔らかいですよ、帝銀事件の平沢なんかそうです。

これは御婦人に言うのですが、いい男でやさしいのは気をつけることですね。

またしゃべることがうまい人も気をつけたほうがいい、話のうまい人はつい人を騙すことが多い。

話が下手なのは言葉でゆかず実行に表わすからたしかです。」




明主様御垂示 「職業と霊的地位」 (昭和23年11月18日)

信者の質問
「現在の職業でその人の霊的高下が判るものでございましょうか?」


明主様御垂示
「これは判らないですよ。

神様には勿論判るが、人間には職業だけでは判断できません。

まあ常識的にその人の言行で判断するのなら大差ないでしょうね。

いっぽう世間には功利的善人もよく見られますから注意が必要です。」




参考 明主様御垂示 「伊勢屋はケチだから駄目」 (昭和24年6月13日)

信者の質問
「大先生様(註 明主様のこと)は「江戸ッ子はいけない、伊勢屋になれ」とおおせられる由他の方から伺いましたが、これはどのような意味でしょうか。」


明主様御垂示
「こんなこと、私は言ったことないですよ。(笑声)

むしろ「伊勢屋はいけない」って言うんですよ。

なぜかって言えば、しみったれてて金を出すべきときにもケチケチしてるから。(笑声)

それから江戸ッ子のほうは浅薄ですね。熱がなくてあっさりしてる。

だから物事によっては江戸ッ子じゃいけません。

しかし、江戸ッ子にはあまり悪人はないようですね。

その反面意気地なしで悪いこともできないような人も多いですね。・・・まあ、結局程々ですよ。」

(註 伊勢屋の意味・・・1.伊勢出身の商人が多く用いた屋号。2.けちな人(伊勢出身の商人には勤倹の人が多かったところから))