奇蹟を生む宗教について 4 (盲目の治癒・被切断指の接合)
明主様御教え 「盲目は治る」 (昭和25年5月13日発行)
「昔から盲目はまず不治とされている、浄瑠璃(じょうるり)の壷坂霊験記にあるお里(さと)沢市の御利益談などは、一種の作り事としか思えないのである、いかに医学が進歩しても、こればかりは治らないと、長い間思われて来た、
ところが最近、死人の眼を移植して効果があったとの医学の報告であるが、これらの報告ははなはだ軽率といってもいい、
というのは治癒したとしても数年を経てみなければ確実とはいえまい、
何となれば吾らの見解によれば一時は見えても、暫くして見えなくなる事は必至であるからである、
しかし、万一成功し得たとしても死人の眼を手に入れる事は容易なものではない以上実用的には余り意味はあるまい、
ゆえに吾らからみればほとんど問題にはならない発表である。
ところが、本教浄霊によれば何ら死人の眼玉も機械も、薬剤も要せずして完全に健康眼と同様に治るのである、
最近この驚くべき生きた事実の報告が来たので左に掲載する事にした。」
体験談 浄霊一年半盲目ついに開眼す
島根県 天国大教会実生中教会 IK(58・男性)
「救世新聞紙上に、また「地上天国」誌上に拝見するおかげ話の数々は救世神様の御神徳を遺憾なく人々に告げ知らせる福音でありますが、
そのほとんど総てが難治の業病が奇蹟的に短時日で治されて行くものが多く、またそれ故にこそ感激のあまりの手記となって表れたるものでありましょうけれど、
病気が霊の曇りであり、その曇りの原因が敢て当人の事由にのみ帰すべからざるものもある関係上、
御浄霊により浄まりつつ、ある時期が来る迄は御恵みを戴けぬものもあるのは当然で、
当人及び関係者の信仰心のいかんが至大の影響ある事も申す迄もありません。
最後迄信ずる者は救われるとか、ここに涙ぐましい美談を御報告申上げます。
島根県美濃郡高城村のIK氏(二十歳・男性)は六歳の時不図した事から両眼失明され、あらゆる治療も空しく青春を暗黒の中に過されて居りましたが、
二十三年八月入信、爾来熱心なる信仰を続けておられます。
隣村の信者の柴田常太郎氏が石川氏に同情し、両人の信仰と熱意によりお蔭を戴こうと決意され、八月以来毎日御浄霊を為されることになりました。
一カ月、二カ月と経過しても眼には何らの変化もありません。
しかし御両人の信仰は高まるのみです。雨の日も風の日も、師走の寒さも何のそのお互に訪ねたり訪ねられたりして一日も休みなく御浄霊を続けられました。
一年は経過しました。
何らの変化もありません。村人の悪罵は嘲笑となり果ては狂信者として燐慈の的となりました。
しかし信者の方々は驚嘆と共に尊敬の念をもって陰に陽に声援の手を差伸べたのであります。
そして二十四年十月、さしも頑固な眼に御浄化が起き始めました。
充血し、目ヤニが出だしそして十一月には益々猛烈となるとともに、見え出しました! 見え出しました!
光が見える、道路が白く見える、御両人の喜びはいかばかりでしょう、想えば永い辛抱でした。
やがては完全に視力を恢復することも近い事と私共信者一同ただ感激あるのみで御座います。右謹んで御礼申し上げます。」
明主様御教え 「信仰療法の価値」 (昭和26年11月21日発行)
「よく医学では盲目が開眼したなどというと新聞にデカデカにかくが、注意しなければならない事は、
たとえ医療では開眼してもそれは一時的で、時が経てば必ず再発し、再び盲目になるのは間違いないのである。
ところが本教浄霊によれば割合簡単に開眼し、しかも再発は決してないのであるから大したものであろう。
ところがおかしいのはこれらの事を知っても、知らぬ顔の半兵衛で済ましているのだから、厄介な世の中である。
またこの感謝状を寄せた患者は危険の一歩手前で救われたので、その事実も涙なくしては読めないのである。」
体験談 死から光明へ
福岡県 南光中教会 OH(43・女性)
「おくれながら今日ある喜びを御報告させて頂きます。私は昭和四年ソコヒにて、両眼共一時は失明状態で、土地の専門医に入院しまして、
治療を受ける事四十日余り過ぎましたが変った事もなく色々と迷い、人様より地蔵尊が御利益が大きいとの事を聞き、
早速お地蔵様へ十四日間こもらせて頂きましたところ、
五日目頃より右眼が少々見える様になりましたが、それ以後は良くならず、帰宅致しました。
その後は右眼だけにて、左眼は失明のまま今日に及んでおりました。
その間二十二年、それがこのたび開眼の御慈悲を頂いたのです。
又昭和七年四月二十五日と思いますが、非常に胃が痛み苦しみ、のた打つ様なので、医者の診断を受けると、胃潰瘍並びに盲腸炎と診断され、
その手当として「イスウルクス」の注射を毎日やって貰い、約五十日余りも病床にあり前後二、三カ月にして少し働ける様になりましたが、
毎年春秋二回は再発し、痛む時は十日も連続する有様、痛む時はモヒ注射にて痛みを止め、薬は薬でのみ、
その様にして一、二カ月位にて又良くなるので別に気にもかけずにいる内、年々病気は悪化し、内臓部は全般的に悪い模様なので、
主治医より「大学病院に行け」と申され大学病院で診断を受けますと、「胃の外に腹膜炎、肝臓等も悪いから当分入院せよ」と申されたが、
何様何年も土地の医者にかかりたる後とて経済が許しませず、止むなく又帰りて地方医に手当を願いました。
以来十五年、発病より二十年過ぎるも、快方どころか益々悪化し、米食は食べられず、粉麺類を常食にするの止むなきに至りましたが、
益々腹部一面が悪くなり、主治医からは又、大学病院へ行く様勧められ、
九大病院にて診断を受けた結果は、何と腹部切開手術をするというのですが、
親兄妹の反対で「どうせ死ぬ病人なれば手術せずに家で死なせた方が」とて中止となり帰宅致しました。
私はいかなる事を申されても決して気を落すことなく、悲観したりしませんので、これだけの重病に打ち勝って働いておりました。
そして痛む時は注射で一時しのぎをし、その日その日を暮して来ました。
ある時は既に冷くなり、丸一昼夜死の世界をさまよい、納棺一歩前で生きかえる等、
又ある時は意識不明のまま、十日間も山中をさ迷い、気が付いて位置すらわからず、全く生けるしかばねでした。
病勢は益々強まり、思うように働けなくなりました。
その様な年月が過ぎ、二十五年十一月、稲の刈入れ時とて手伝に行きましたところ、
寒さの為、右足に凍傷を受け、紫色に変り、日々注射をうっておりましたが、ある日、足首より切断するとの事でありました。
この右足は二十年前より強度の神経痛の為、一時は松葉杖をつくあり様で、以来歩行にちんばを引きつつ動いておりました。
さていよいよ右足切断を申し渡された翌日、友人がS先生を御案内してくれ、御話を聞き疑いつつ御浄霊を受ける様になり、
足部切断は一週間で快くなり、又強度の神経痛も、近々二週間で全快しました。
今まで米粒一つ食べられなかったのが、一カ月にして何食に限らず食べられる様になりました。
胃や腹部の痛みは御浄霊に依り止り、その都度口からや下から虫がでて、日毎に全快の一歩をたどって居ります。
この間S先生には毎日自転車で二里余の道を雨の日も又冬の雪の日もお通い願い、時には千々和先生にも御足労を願い、
お蔭様で毎日の注射も不用になり、御浄霊のあまりにも有難い事がはっきりしましたので四月十八日入信させて頂きました。
今では先生方から「お守かけて病人に浄霊せよ。
そうすれば御先祖の霊も浄まるから」とお話を聞きましたので、御恩の万分一なりとも存じ、御手伝いを願っている次第でございます。
全く死から光明へお導き下さいました御明主様の御守護の有難さに感泣致しております。
右の次第つたなき筆もて御報告させて頂きます。
腹部切開、右足首切断、絶望の左眼立派に開眼。
なお虫は既に大小千匹以上出ていると存ぜられます。
御明主様有難うございました。」
明主様御教え 「此神力」 (昭和27年11月26日発行)
「私は常にキリストは、私の弟子に当るという事を唱えているので、信者以外の人としたら恐ろしい大法螺(おおぼら)吹きと思うかも知れないが、
何しろ神にある私として寸毫(すんごう)の虚偽りは言えないはずである。
何よりも日々各地において事実が示しているからである。
それについて最近キリストと同様な奇蹟が左記のごとく起ったので、これを読めば何ら疑う事は出来まい。
しかもこの奇蹟の御当人は智識人であって、長い間本教を勧められても、頑として応じなかったにかかわらず、
文中にあるごとく何物かに導かれるような経路で、浄霊を受ける気になった事で、明日から一年間眼科の博士と治療の約束までしたその日の朝であるから、全く祖霊の導いた事が分る。
なお事実を早速博士十二名にみせたところ、一同驚嘆したという事だが、この事も医師の頭脳に対し原爆的刺戟となったであろうから、喜びに堪えない次第である。」
神秘の開眼 完全失明浄霊五分間にて
東京都 晴風中教会(洋画家) YK(52・男性)
「私の眼疾は昭和二十四年に始りました。医学に頼る事満三カ年、少しも治らぬ医学というものに疑問を抱き、これを捨てた空白が一カ年、再び悪化失明の本年八月末まで、満四カ年にわたる暗く長い生活でした。
四年前、失明状態に陥り、尊き方面より博士を差向けられたのが、私がS博士に治療を受ける様になった最初でした。
病名は「脳神経より来る角膜実質炎」で、相当に重い方との診断でした。
S博士が世界的眼科の権威であられる事は世人の認むるところで、私も博士に開眼までの医療を安心して御任せした次第でした。
勿論、博士に治療を受ける以前にあらゆる手段を尽くした事は申すに及びません。一年、二年、三年・・・実に私は根気良く病院に通いました。
博士も献身的に良くやって下さいましたが、その結果は?
失明からはどうやら救われましたが、視力は現形は見るあたわず、ただボンヤリと色彩の区別が付く程度でありました。
しかもいかに治療を致しましても最早それ以上前進致しませんでした。
ここにおいて、私は医学というものに疑問を抱く様になったのであります。
と申すより、少々腹立たしさを感ずる様になったと申す方が強いかも知れません。
「三年にしてこの程度」と思うと、情ない気持にさえなるのでした。
丁度、外遊の事情が生じた折からでしたので、S博士には角の立たぬ様に外遊にかこつけて、満一カ年治療を断ってしまいました。
丁度本年八月二十八日の夜でした。
平常痛みを知らぬ目が急激に痛み出し、眼球が飛出るかと思われる程の激痛が二昼夜続き、遂に私の目は完全に失明してしまいました。
何を見ても白一色、黒い瞳は白色と化し、今までに嘗てない最悪の状態におかれてしまいました。
家人の心配は勿論、私の苦悩こそ言語に絶するものがありました。致し方なく再びS博士を訪れました。一カ年の御無沙汰を詫びて・・・。
S博士のいわく「治療を一カ年も受けませんでしたので、全くの悪化、完全なる失明です。
なんとか手段は尽くしてみましょうが色彩の判別が付く様になるまでには早くとも一カ年の治療をしなければなりません。とにかく、明日から朝夕二回御来院下さい」
これが博士の御言葉でした。この日が丁度九月一日、病院通いは翌日の二日から始める訳です。
さて、お話はここで一寸中絶させて頂きまして、本文の「メシヤ教の御蔭で開眼に至るまで」の順序に入って参りたいと存じます。
元来私は、何宗に依らず、宗教と名付くるものには非常に興味を持っておりました。
それ故、あらゆる宗教に首を突込み、トコトンまでその宗教に就いての疑問に就いては正そうと努力したものです。
インドのガンジーをして「こざかしい理屈小僧よ」と呼ばしめたのが私が未だ三十一歳の頃でした。
インドくんだりまで出かけて行って一論戦やるところまではやるといった人間でしたから、宗教に就いては相当のコリ性であったという事は御分りの事と存じます。
しかしこの研究の結果は、どの宗教も信ずるに足るもの無しという結論で、以来如何なる宗教のお話にも一切耳を借さない人間と化してしまいました。
従って本「メシヤ教」に就いても十数年前から相当のおすすめを戴いたのですが、信ずるに足らずと、振り向きもしなかったのが、偽らざる私の告白です。
ところが私の友人で熱心なる信者に嵐知重画伯夫妻がおられます。
顔を合わす度に御勧めを戴きますが、どうも私はその気になれずにおりました。
ところが、ここに人間の不思議な運命があったのでしょう・・・
話は元に戻りまして・・・二日から病院通いをするという、その二日の朝です。
病院に行くべく家を出たはずの私の足は、何の考えもなく自然と嵐氏の御宅へ向いておりました。
バスと電車を利用すべき同氏の御宅へ、しかも徒歩で足が向いてしまいました(一言申し後れておりましたが、私の失明は左眼で、右眼も視力は完全ではありませんでした)。
眼帯を掛けた私を見るなり嵐夫人は「それは御困りでしょう。早速御浄霊をして差上げましょう」と申されます。
平素の私ですと「止しましよう。そんな非科学的な御浄霊とやらでこの目が見える様になる位なら四年の苦労は致しませんよ」とばかり、一言のもとに撥ねつけてしまったでしようが、その日はどうしたものか、私の心は非常に素直でした。
「御願いします」この私の言葉こそ、真に自己の信ずるに足る「宗教」を発見した幸福の言葉であり、「メシヤ教」に総てを救われた喜びの源言であったと信じます。
床の間にさげられた「大光明如来」の掛軸と、その上にかかげられた「明主様の御写真」に両手を合わせた時も、私の心は、何の反抗もなく、何の疑いもなく、総てが「信じて疑わぬ! 御縋り申し上げる!」というただそれだけの、自然の心であり、自然の姿でありました。
浄霊の位置に坐りました私は、合掌のまま目を閉じました。・・・
時間にして約五分!「目を御開き下さい」と言うA夫人の御言葉に、静かに開いたその瞬間!
万物がハッキリ明るく見える不思議さ! ハッと思って見える右眼をつぶり、失明の左眼で見た時、思わず私は「奥さん、見えます、見えます・・・」の狂喜乱舞の叫びでした。
御覧下さい、浄霊五分前の白色一面の瞳は、黒々とした見事な瞳と変り、一カ年にして色彩がボンヤリ見え出そうとS博士の断言した視力は僅か五分間の御浄霊によって見え出すという、世にも不思議な現実が、ここにハッキリと現われました。
嵐夫人も涙! 私も嬉し涙がとめどなく流れ落ちました。
この神秘の開眼という「事実」の前に、何を疑い、何を言いはさむ余地がありましょう?
私はここに初めて、偉大なる明主様の心にふれ、偉大なる宗教にふれた思いが致します。
人間は常に迷い、常に何物かを求めております。しかし、信ずべき何物もない現世であってみれば、どこまでもこの迷いから抜け出る事は出来ぬものです。
幸いに私は「開眼」という事によって、信ずべき「メシヤ教」というよりどころを得た事を限りなく喜びます。
医学は百五十五万六千八百分の長年時を費し、十万余円の治療費を消耗しても、なおかつ私の目を開く事が叶いませんでした。
しかるに御浄霊は僅かに五分、しかも無料でこの白目を黒目に変えて下さいました。
この事実の前には非科学云々の理屈も要りません。ただ無条件・・・信じて疑わぬ・・・の六字あるのみです。それが信仰への道であり、信仰であります。
敗戦日本ばかりでなく、恐らく地上の人類総ては、今地球の黄昏を感じていることでしょう。
強いて申せば今日人間は、あくまで人間たらんと欲するか否かを決定すべき所を求めて、その根源の最も狭い場所に逆もどりし様としております。
その狭い場所、即ち信仰の場所において、自己の信じ得る宗教を掴み得て、初めて広い場所に出られ、人間たらんと欲する意欲に満足するのではないでしょうか。
そうした意味において、私は私の体験を通して、大方の未信の皆様に対し、明主様の御心にふれられん事をおすすめ致します。
人間の基源が想像の域を一歩も出ぬと同様、大自然の中には医学や科学で割り切れぬ、不思議な事実のある事を信じて頂ければ、信仰へ一歩近づいた幸福の人と言うべきでしょう。
私も「メシヤ教」に対する信仰は未だ日浅く皆様に対して云々する資格もありませんが、本教の「治病」は、本教精神の枝葉、言い替えれば副産物でありまして、本流は人間の幸福と善導が主の様な気が致します。
従って治病はその根源であるというところから、この御浄霊なるものが生まれ出たものと拝察します。
いずれにせよ、結構な事であり、有難い事であります。
「喜びを分ち合う」意味で、感謝に満ちながら、開眼の次第を申し上げましたが、なお後日物語りを最後に付記してこの稿を終る事と致します。
この日はS博士を始め学界の権威者が集う研究会の日でした。集る博士十二名。その席上へ、未だ一滴も使わぬ目薬を持って入って行ったのが私です。
「S先生、この目を見て下さい」
S博士は私の目を見てピックリされました。
「おや?一昨日の白目が・・・黒く? 見えますか」
「ハイ、良く見えます。先生は一年後と仰せられましたが、昨日五分で開眼です」
並いる諸博士は一様に皆驚かれた様子でした。
私の目は一時、「朝日」、「毎日」、「読売」等に騒ぎ書き立てられた問題の失明だっただけに、諸先生方は皆御存じであったのです。
「これは不思議だ、なんとも不思議だ!」
S博士始め諸先生方の口からは、ただ不思議だ不思議だの連発でした。
私は事の次第を話し、「決して開眼を、皮肉の意味で御目にかけに来た訳ではありません。
長年御心配して下さったこの目の開眼を、喜んで頂きたいためと、今一つは、宇宙には目に見えぬ一つの力、何物にも支配されぬ不思議な神の力というものが厳然として存在するという、この事実を見て頂きたい為です」と申し上げました。
「全くです。吉井さんのその目が一日にして開くという事は、医学的には不可能な事ですからな」と、S博士の不思議は又繰返されました。
他に三博士の口からこんな言葉が出ました。
「薬もメスも捨てて、信者になるか・・・」と、ユーモアとも受け取れぬ、悲痛なお声であったかも知れません。」
「おかげばなし批判」 (昭和25年5月27日発行)
体験談 切断された指が元通りに治癒す 包帯したままがよい
岡山県 大成大教会 光之道中教会 MT(女性)
「それはちょうど津山市徳守神社の例祭の日、昭和二十三年十月二十三日の事です。
私宅の近所に住みウドン製造所に勤めている岩崎孝(一九歳)がいつもの元気な顔にもにず幽霊のごとく青ざめた顔でふらりと入って来たのです。
そして右手に真赤なものを巻き付けているのです。
それはタオルが血まみれになっているのでした。
驚いていると力の無い声で「おばさん、ウドン切断機に巻込まれ、右の人差指を半分位切り落してしまったから助けて下さい」と言うやその場に倒れ意識を失ってしまいました。
よく見れば血糊はタオルを浸しなお溢れ出ています。
私は一時あまりの大怪我に茫然とし、戦慄を覚えましたが、側で見ていた妹の励ましにより、
漸く吾に返り一心に光明如来様を念じつつ早速御浄霊にかかりました。
妹はタオルを取り除けました。
傷口が露出されると出血は正に噴水のごとき物凄さで
指は本人の言葉通り半分位の所からプッツリ切断され、見るも無残な重傷でした。
今から考えるとよくも医療的行為の経験のない私達二人に出来得たと、思い出して身慄いを感じますが、
すらすらとやられたのは全く光明如来様の御導きと御守護によるので御座いましょう。
そして傷口に御霊紙を貼り終え本人に元気を付けるべく口からも飲ませました。
約十五分間位御浄霊と緊張との息づまるような沈黙の時間が流れました。孝さんは目を見開きました。
ああ! 意識を回復したのです。本人をはげましずーっと御浄霊を続けました。全く痛みの止ったのは一時間後でした。
何という不思議な御力でしょう。
これ程の大怪我ではどんな止痛法を試みても数日間ないし数十日間の痛みは免れないでしよう。
それが全治まで二度と痛みを訴えるような事はありませんでした。
出血が完全に止まったのは二、三日後で御座いましたが、指が非常に浮腫んで来まして約三倍の太さにまで腫れましたが、
奇蹟というか傷の日以来その重傷の指で丁度農繁期の関係もあって、ただの一日も休まずずーっと農業の手伝いを続けるので、
私達は「無理してはいけない、仕事をするなどとんでもない」と再三注意するにもかかわらず本人は一向平気で仕続けるのです。
御浄霊は毎日致しましたが包帯は一度も取り替えずに続けました。
というのはあまりの重傷の為本人がそれを恐れたからでした。
四週間程経過しいよいよ完全に腫れもひいたので包帯を取って見る事になりました。
本人は指がどうなっているか生れも付かぬ障害者になってはいないかと戦々兢々として包帯をだんだんはがして行きました。
ところがどうでしょう、指は切断以前の何等異常のない状態でちゃんとあるではありませんか。
夢ではない幻覚でもない血のかよったぴんぴんよく動く指があるではありませんか。
爪も節も一つも異常はないのです。ああ! この奇蹟この御利益、本人も私達姉妹もあまりの事にただただ言葉もなく粛然として感謝の涙を飲んだのであります。
昨年の八月IT先生が私に御光をお授けになる時「明主様のこのお守の力は造り主の力ともいうべき神秘極まるお力なのです」といわれた事がまざまざと私の頭によみ返って来ました。
「造り主の力、造り主の力」と何回も口ずさみながら全く造り主の力でなくてどうして半分も切断された指を元通りにする事が出来ましょう。
全くだ全くだとたとえようもない幽玄神秘なる御浄霊の御力に陶酔したので御座います。
本人が申しますのに傷の指が初め何とも言えないいい気持のような熱感があったそうです。
私のごときつまらぬ者にかくのごとき偉大なる妙智力をお恵み下さる明主様本当に本当に有難う御座いました。
本人に替り厚く厚く御礼を申上げ御報告させて頂きました。」
明主様御解説
「この報告を読む限りの人は、到底信じられない程の、奇蹟と思うであろうから、説明をしてみるが、
これは機械に巻込まれ指半分程切断されたに違いないが、そのまま包帯したのがよかったのである、
それで元通りの指となったのは全く神霊の力である事は間違いない。
ここで知っておくべき事は、人体は肉でも骨でも、切断された場合、離さないでそのままにしておけば、必ず元通りになるものである、
ただ浄霊をすれば、すこぶる早く治癒するのである、
ところがこれを知らない世人は、薬剤を用いたり、手術などをするから治っても長引くと共に時には障害者等になる事もある。」