奇蹟を生む宗教について 3 (睾丸の再生)


明主様御教え 「超奇蹟」 (昭和28年7月22日発行)

「この御蔭話の奇蹟は奇蹟以上の奇蹟であって、恐らくこれ程の超奇蹟は人類史上空前であり、

医学関係者は固より、普通人が読んでもただ唖然として言葉も出ないであろう。

これこそ世界的大問題として取上げてもいいと思うのである。

私はこれを読みつつ驚きと共に涙が溢れて来てどうする事もならなかった。

もしこれが宗教でなく医学上に起ったとしたら、新聞はデカデカとかき、社会的大きな話題とし、問題になるであろう。

ところが悲しいかな、これほど偉大なる奇蹟も本教信者以外に知られないとしたら何としても残念である。

とはいうもののいずれ本教が世界的大宗教となった暁、この奇蹟が今更のように人類全般に知れ渡るのは間違いあるまい。

従ってこの一事だけにみても、本教は絶対力を行使される最高神が主宰されている事は一点の疑う余地はないであろう。


この報告にもある通り、医学では八時間以上尿が出ないと危険だという事になっているそうだが、

六日間一滴も出ないのに生命が保ち得たという事は、医学史上未曾有の事として記録に止めて置いていいと思う。

何となればこれほどの超奇蹟は科学と宗教の差別を超越して、顧みられないからである。

しかも尿が停止されたため、毬(まり)のごとく膨満したにかかわらず、意識不明にはなったが、尿毒症が起らないのも不思議である。

否起っても神の力で受付けなかったのかも知れないが、とにかく医学者であっても到底信ずる事は出来ないであろう。


この事実に対し、何人といえども批判の言葉も感想も浮ぶまい。

ただ驚きを超越して唾を呑み、目を閉じ、無念無想の時を費すのみであろう。

というのは彼の原子爆弾が現われた時、ほとんど考えられない程の奇蹟にただ唖然としたばかりであった時以上であろう。

もちろん原爆の方は科学的説明はつくが、この奇蹟に至っては科学でも宗教でも、恐らく説明は不可能であろう。

しかしたとえ説明が出来ても分り得まいから私は書かないが、神の業というものは、人智の世界を超越しているからである。


ただこれだけは言える。

それは全然無くなった睾丸と陰茎が元通り復活した事実である。

今これを説明してみるが、局部の無くなったのは体だけの事であって、霊の方は完全に治っている以上、

霊主体従の法則により、体は霊に追随するので、つまり霊の形のままに体的に充填した訳である。

それは患部の霊は全体の霊に直結しているからである。

この理によってたとえ腐蝕でなく、切れ物で切断しても、そのままにしておけば必ず還元するのが生物の原則である。

しかしそれとてもある一部であってこの奇蹟のような素晴しい事はあり得ないのはもちろんである。

今一つはこの病気の原因であるが、尿が出ないのは尿道口の周囲に毒素固結し、圧迫のためであったのを、

浄霊によってその固結が溶解し、排除されたから尿が通るようになったと共に、

その排毒の量が非常に多いのと毒が悪性のため睾丸や陰茎までも破壊消失したのである。」




体験談 ああ奇蹟なり!!奇蹟なり!!! (昭和28年7月22日発行)

長崎県 明輪中教会 YH

「明主様日々の御守護誠に有難うございます。

省みますれば二十五年十月入信以来、ただただ感謝感激表現の言葉もございません。

絶大なる御守護の下に幸福な生活を送らせて頂いておりますが、

この度は又々罪深き身のお咎めもなく、長男T(満六歳)に賜わりました御守護の一端を御報告申し上げ謹みて御礼申し上げさせて頂きます。

余りにも絶大なる御守護の為筆舌に表現の術を知りません事を申訳なく残念に存じます。

今思い出しまして慄然肌に粟を生ずる当時の出来事、御守護の広大さにただただ明主様有難うございましたと申し上げますより外言葉もございません。


T(註 発表者の子供)は生来非常に病弱で何時も医薬の絶間がありませんでしたが、

私共お道に入信の御救い賜わりましてよりその心配もなく、すくすくと頑健に育って参りましたが、

去る十一月二十九日午後一時突然 家内の実家に遊びに行っておりましたTが、苦痛に悶えながら祖母に連れられて帰って参りました。

「Tが小便がつまって出なくなった」と祖母が心配顔でオロオロとしております。

私は生憎その夜は漁に出て不在でございましたが、使いが来て慌てて家に帰って見ますと、

「ただの小便づまりだから何も薬は使わず排尿の管だけ通して出して頂けば」と信仰の浅い祖父の単純な考えから

午後十一時半頃 医師を招き尿道から管を通して小便を取っている最中でございました。


医師は、「これは尿道の結石だからその石を溶かす注射をしておきますから、後は自ずから出るようになるでしょう。

万一出ない時には八時間以上経過すると危険ですから時間にくれぐれも注意して下さい」と特に注意して帰りました。

丁度その時は支部長先生も御出張中で御留守でしたから、

家族や付近の信者さん方にお願いして間断なく御浄霊させて頂きましたが、

子供の苦痛を見るに忍びず、又しても大それた大きな罪を犯して、

六時間目の明けて三十日の午前六時頃 二度目の医師を招きましたが、

その時も前回と同じ方法で排尿して頂きました。

医師は「今度時間が来ても排尿しない時には時間に遅れない様に入院して来る様に」と言って帰って行きました。


その時先生のお帰りが遅いので奥様がおいで下さいましたが、

医者にかけた事を大変申訳ないと非常に残念がって下さいましたが

「出来た事は最早致し方がないから、よく明主様にお詫び申し上げられます様に」と励まされ、

一同真剣にお詫び申し上げ、再び御浄霊させて頂きました。

五時間、六時間、医師の注意した危険な時間は切迫して参りますが一滴の排尿もありません。

子供の苦痛は次第に烈しさを増して参ります。

信仰の浅い私達の脳裡に次々と不安な影がさして参ります。

丁度その時 K先生がおいで下さいましたが、

奥様と同じ様に私共の間違った道を踏んだ事を「本当に申訳ない、とんでもない事をしてしまった」と非常に落胆なさいました。

「今更出来た事は致し方ないから衷心より明主様にお詫び申し上げ最後までお縋りさせて頂きましょう」と色々信仰的にお話や御注意を頂き、

今更ながら私共の罪の深さと信仰の浅さに愕然とさせられ、

早速 支部教会の御神前に参拝させて頂き、ひれ伏して罪のお詫びを申し上げさせて頂き、

引続き隣り合せになっております本家の御神前に先生を始め信者さん、家族、子供も一緒に一同揃って祝詞を奏上させて頂き罪のお詫びを申し上げました。

ところが何たる奇蹟でございましょう。

ああ何たる御守護でございましょう! 

この朝医者が危険な線だと言った八時間を過ぎる事まる四時間後の午後六時頃でございましたが、

お参りを終えたその瞬間タラタラと数滴の排尿の御守護を賜わりました。

ああ御守護だ! と一同感極まって再び御神前にひれ伏して御礼申し上げさせて頂きました。

この御守護に一同生気を取戻し一層お縋りの念を新に御浄霊を続けさせて頂きました。

その頃より子供の腹部は極度に膨満し、苦痛はその棲に達して参りました。

可弱い六つになる罪なき子供に、かかる苦しみを見せるのも、総て親たる私共の道を踏み誤った罪かと思えば、熱湯をのむ思いと申しましょぅか、実に断腸の血を吐く思いでございました。

嗚呼これがかわれるものならかわってやりたい。

「T 本当に申訳ない、許してくれ、お父さんが悪かった」と。


恐怖の一夜は明け、十二月一日朝依然として排尿なく、膨満した腹部は板の如くに硬化し、睾丸も陰茎も真赤に色着き、腫れて参りました。

腹部の数カ所に大小の水泡が出来、段々と膨れて参りまして痛みは益々烈しくなって参ります。

激痛に悶え苦しむ子供に「もう少しだ、もう少し頑張っておれよ」と力付け慰めてはおりましたが、

その頃より子供心にも「皆が言うことは気休めだけだ。最早助かる見込なし」と絶望し覚悟した様でございます。

同日午前八時罪深き身の恐れ多くも明主様に御守護御願いの電報を差上げました不遜を何卒お許し下さいませ。

そして苦悶に悶える子供に「今明主様に御守護の御願い申し上げたから直きに楽にして頂けるよ」と慰め力付けて参りましたが、

ともすれば心の中で先生に対しては、私共が間違った道を踏んだ為悲壮な思いをしておられるとは知りながらも、

現実にこの子供の苦しみを見るに忍び難く、先は何うなろうとせめて今だけでも医者にかけて小便だけを出して貰って楽にしてやりたい。

と恐ろしい考えが時々浮んで参りましたが、

先生を始め信者の皆様方の真剣な御浄霊を見せて頂いては

今更ながら自分の弱い迷いの心が恥ずかしく情なく感じられてなりませんでした。

こんな事をお尋ねするのは先生を益々お苦しめ申すとは存じながらも、

 「先生大丈夫でしょうか?」とお尋ね致さずにはおられませんでした。

しかし今思い出しましてもぞっとする過去の私のあの大浄化の時でも、

又他の多くの人々の常識では到底想像もつかぬ様な大浄化の時でも決して悲観的な事は申されず、「必ず御守護戴きますから」と力強く申された先生が、

今度ばかりは御返事が重く、益々心配せずにはおれない様な御返事しか頂けませんでした。

室内には信者さんや家族十数人が如何になり行くかと悲壮な面持で視線が子供一人に向けられ、咳一つありません。

ふと「この病気は外の病気と違って時間を争う恐ろしい尿毒症だからなあ」と溜息と共に囁く声が片隅より聞えて参りました。

と突然先生のお口より力強いお言葉があり、「医者では成程八時間以上経てば危険かも知れません。

しかし人間をお造りになられた神様のなさる御力です。

二日や三日の小便づまりがどうありましよう。

一升や二升の出血が何ですか、神様は大豆大のコリでも一升や二升の小便にして出して下さる御力がおありである以上、

その反対に一升や二升の小便でも小さくして楽にして下さる事も容易に出来るはずです。

しっかりお縋りして下さい」と泰然として言い放たれる御信念の強さ。

昼も過ぎ夕方になりましたが一滴の排尿もありません。

容態は目に見えて悪化して参ります。

その頃より沢山頂いてる玩具を恨めしそうに眺めながら「もうこんな物いらないよ」と投げ捨てる様になり、寸時も痛みが止む事のない様になりました。

恐怖の四日目も悲壮な思いで夜になりましたが、依然として排尿はありません。

食物は全然とらぬ様になりました。


五日目の十二月三日、夜明頃より表現の言葉もありませんほどの激痛に悲鳴を上げて悶え苦しむようになりました。

夕方「明主様の御写真を見せてよ」と申しますので、

明主様が日比谷公会堂でお写りなされました御写真を拝ませてやりますと、

あの苦悶の中から震える手で御写真に向って掌を合わせ、

「明主様助けて下さい、助けてよ、助けてよ」と礼拝し歎願している子供の姿に誰一人として泣かない者はありませんでした。

ただ嗚咽と畷り泣きの一大悲壮な場面でございました。

また「善言讃詞を奏げてよ、善言讃詞を・・・」と連続歎願いたします。

私はただただ断腸の思いでワッと子供に泣きつけば、

「お父さんなぜ泣くのだ、うろたえるなよう・・・」と子供の言葉とは思えぬ様な事を申しまして、ハッとさせます。

堪えがたい激痛が来る度に「善言讃詞を奏げて」「明主様の御写真を見せて」と申す様になりました


明けて四日、今晩で発病以来既に六日目の夜を迎えました。

容態は依然として悪化の一途を辿っております。

K先生には御多忙の身で丸五日、三度の御食事も満足になされず洋服の上衣をぬいで横に休まれる事もなく文字通りの不眠不休の御浄霊にお顔は目立って痩せられました。

私は又しても「大丈夫でしょうか」とお尋ね致しましたが、その時の先生のお気持は如何ばかりだろうかと今更ながら本当に恥ずかしく申訳なく存じます。

六日夜から段々と意識が薄らぎ最早苦痛を訴える力を失って参りました。

「神様にお任せして最後までお縋りするんです」と皆で善言讃詞を奏上させて頂きました。

皆の不安を尻目に状態は刻一刻と悪化し、深夜頃より完全に苦痛を訴える気力を失い呼吸も益々弱まって参りまして、

余程注意しないと生きているのか死んでいるのか全く判らない程になりました。

脈拍はほとんど感じられなく、全身の痙攣と同時に目を引攣り完全に仮死状態になりました。

部屋いっぱいに嗚咽の声が起り、私も最早臨終の状態にある我が子にとり縋り、これが親子今生の別れかと思えば堪えがたく、

つい我が子に取縋り、子供の名を呼び返し呼び返し恥ずかしくも皆さんの前で実に醜態を演じました。

その時先生から「皆さんのお気持はよく分りますが、絶対に駄目だという訳ではありませんから冷静に落着いて下さい。

取乱し騒がれると、反って子供さんが苦しまれます。

神様に対しても申訳ありませんから」との御注意がありましたが、

その時の私には実に残酷としか思えぬ程強いお言葉としか受取れませんでしたが、

続いて「皆さん御一緒に善言讃詞を奏上して下さい」と力強く申され嗚咽と取乱した空気は一人一人善言讃詞に唱和され三回、五回、十回ともなりますれば

最早一人として泣く者も涙を流す者もなく、実に崇高な神聖そのものと申しましょうか、

これが神人合一の境地とでも申しましょうか。

その中に先生だけが静かに御浄霊の手を翳しておられる姿は全く尊厳そのものの光景でございました。

二十分、三十分悲壮に引攣った目が段々と和らぎ完全に仮死状態にあった子供が徐々として危期を脱して参りました。

「ああ御守護だ、何たる偉大なる御神力だ」と一同感謝にうち震え御神前にひれ伏し、明主様に御守護の御礼申し上げさせて頂きました。


明けて十二月五日、今日は当支部の世話人会のため先生が六日ぶりに初めて教会へお帰りになりました。

今日は早朝より親類の人々をはじめ知人の方々がひっきりなしに見舞に来て下さいましたが、

この悲惨な状態を見て涙を流さぬ人は一人もありませんでした。

しかし当人はもはや何もわからず死線をさ迷っております。

昼頃より昨夜と同様な状態の痙攣が起り、キリキリと物凄く歯を噛み始め、目を吊り上げてまいりました。

午後二時頃、もはや快復の見込なしと、一同相談の上 死亡診断書の関係上、医師(K病院院長)を招きました。

医師は病人を見るより「これはもはや死の寸前です。

希望とあれば注射もしてあげますが、ペニシリンをうったとてこうなったら最早駄目です。

ここでは出来ないが病院にでも連れて来れば何とか方法もない事もないが、しかし責任は持てません。

お気の毒ですが夕方までとてももてません」と申します。

最早この時は家族を始め全部の人達がはっきりと子供の死を覚悟致しました。

明主様に誠に申訳ない事でございますが、万一の僥倖を望む希望もなく絶対助からぬと諦めさせて頂きました。

しかしただ一つ子供のこの身体を見ますにつけ「たとえ助からなくともこの浮腫のままでは死んでも棺桶に納める事も出来ないし、

せめて小便だけでも出して貰って送ってやりたいものだ」と思っておりましたところ、

母が医師にその旨伺いましたところ、院長は「たとえゴム管を通しても最早小便が凍っているから出ません」とそのままなす事もなく帰られました。

この時でももし明主様のお救いがなかったら医師の言う通り病院へ連れて行き、全身切り刻まれ戦慄すべき残虐な苦しみの果て一命を終えた事でございましょう。

お蔭様で私の心は不思議な程冷静にならせて頂きました。

最早 死亡診断書の心配もなく明主様の絶大なる御守護のもと、先生を始め多くの信者さん方から涙なくしては語れない程の親身も及ばぬ御浄霊を頂き、

これ以上の欲もなく今迄とまるで変って感謝と満足の気持にならせて頂きました。

信者さん方へも「例えTが死んでも思い残しはありません。

今後はなお一層精進させて頂きます」と申しまして、落着いた気持で御神前に額ずきひたすら子供の霊を浄めて頂きます様御念じ申し上げました。

安心した為か急に空腹を感じ子供の御浄化以来、丸一週間ぶりに初めて腹いっぱい御飯を美味しく頂きました。

丁度この頃親戚一同ではいずれにしても明日は葬式だから暗くならない内に

お米等を村の配給所へ行き事情を話して無理にお願いしたりなどして色々と準備をしていたそうでございます。

四時、五時、いよいよ死の寸前になりました。

又 一同で善言讃詞を奏上させて頂きましたが、最早この時には誰一人として助けて頂きたいとお願い申し上げた者はありませんでした。

ただ遊び盛りの六歳を一期として今この世を旅立たんとする不憫なこの子の霊を浄めて安らかに息を引取って下さる様お念じ申し上げるのみでございました。

呼吸も脈拍ももう感じられません。

段々と手足も冷えて参りました


ただ時々ピリピリと痙攣があるのみでございます。

その頃先生がまだ御用があるので奥様がおいでになり、

「神様の御力は最後の一厘ですから最後までお縋りさせて頂きましょう」と激励して下さいました。

こんな状態が二時間余り続きまして、七時頃非常に変な臭いが致しますので

子供の蒲団をめくって見ますと、発病以来一滴も出なかった小便が出ているではありませんか。

「ああ御守護だ、小便が出た小便が出た」と一同驚喜し感謝の涙に咽びました。

一同再び御神前に伏して厚く厚く御礼申し上げ共々涙を流して喜び合いました。

お蔭様であれ程膨満していた腹部は一度に小さくならせて頂きました。

しかし私共の気持はこれで助かったという喜びではなく

死後棺桶にも納めよくなりますし、又浮腫した悲惨な姿で葬式をせずに済んだという喜びでございました。

丁度先生が教会の御用を済ませ急いで来て下さいましたが、この状態をみて非常に喜んで頂きました。


省みますれば二十九日夜より御浄化頂きこんな子供の排尿不能は八時間以上は危険だといわれた状態が

丁度今日で丸六日、時間にして一四四時間の間一滴の排尿もなく絶大なる御守護を賜わりました事、厚く厚く御礼申し上げます。

思い起しますれば、もう少しだもう少しだ、今に小便が出るか出るかと、ただ一筋に排尿をいかに千秋の思いで待ちました事でございましょう。

しかしその期待は無漸に裏切られ全部の人が見込なしと諦めた時初めて執着より離れられましたが、

その時神様の御守護を賜わりました事につき今更ながら執着のいかに恐るべきかを痛切に覚らせて頂きました。

今迄私達のこの執着の想念がいかに子供に大きな苦しみを与えたかと思いますと本当に申訳なく存じます。

その夜はずっと昏睡状態が続き、はたの目にはいかにも楽しそうに見うけられました。


翌六日は一日中生後幾日目の赤ん坊の様な状態で苦痛は勿論、食欲なども全然要求する頭脳をもちません。

ただ口許に流動物を入れたサジを当ててやりますと、かすかに口を開き吸い込む事は出来ました。


七日の日は生後半年くらい経った子供の知識程度にならせていただきました。

その頃より部屋中に物凄い悪臭が感じられるようになり、

陰茎の根元あたりから盛んに濃い膿が排出いたしてまいりました。

陰茎から睾丸の周囲に丸く円形を画いた様に傷がついて参りましたが、

それが一日、二日と経つ内に次第に大きくなりまして八日の夕方頃には陰茎、睾丸諸共に半分以上も下にぶら下って参りました。

でも御守護のもとに五日夕、排尿以来苦痛は少しも感じませず日増に元気を快復させて頂きました。

その頃より完全に諦めておりました生命に再び希望と安心を覚える様になりましたが、今度は陰部の状態が非常に案じられる様になりました。


十二月九日食欲も大分旺盛になり、排尿も好調になりましたが、

皆の恐れていた陰部は睾丸諸共ドロドロに腐って流れる様な形を呈して参りまして、

上向きに休んだ子供が敷蒲団につかえる程までに落下して参りました。

それと同時に下腹部にも二、三カ所直径五糎程度の水泡が破れ排膿が始りました。

この悲惨なと申しましょうか、凄惨な状態は二目と見られない様な、いかなる人でも目をそむけずにはおれない様な状態になりました。


それから一週間後の十六日未明、陰茎は根本より睾丸はわずかに線状の白い筋様のものを残し、原形も残さず完全に根元より取れてしまいました。

取れた後の傷口はちょうど大人の握拳程度のものになり、

今にもそこから腸が飛び出すのではないかと懸念させられるほどで、

その無気味さはたとえようもございませんでした。

身体の方はお蔭様で一日一日目に見えて元気にさせていただきます故、

身体の方を見ますと、誰でも元気に快復させていただけると思いますが、

下の方の傷口を見られた方は「こんなんではとても」と不安を感じられたそうでございます。

お蔭様で生命はお救いいただきましたが、将来この子が大きくなった時の事を考えますと、

男として大切な生殖器がないとすれば・・・親として何とも言えぬ淋しい気持にならざるを得ませんでした。

先生に伺いますと「何もかも神様がよい様にして下さいますからお任せしてお念じなさい」と申されます。

しかし信仰の浅い私には、いったん取れたものが、又元通りになるという事はどうしても信じられませず、

何れ小便だけが出る口が小さくどこかに開き、他はそのままだろうと思えば子供が不憫で堪らぬ思いが致しました。

しかしそれより十日も経ちます頃には、排膿も非常に少くなり、一分のフクラミもなく完全に取れてしまいました。

睾丸の両端より皮がつめより一日一日と目について原形に復して参りました。

陰茎の方も先端の方が一寸出て参りまして、小便はその先より排尿させて頂ける程
にならせて頂きました。

その後日増に快復させて頂き今日で御浄化以来丸三カ月になります。

お蔭様で陰茎も睾丸も大体原形のままにならせて頂きました。


明主様本当に有難うございました。

この度、長男、Tに賜わりました御浄化の御報告申し上げ謹みて御守護の御礼を厚く厚く申し上げさせて頂きます。

今後共何卒罪の万分の一のお許しを賜わり御用にお使いさせて頂きます様、伏して御願い申し上げます。」 (昭和二十八年三月十五日)




明主様御講話 「睾丸の再生について」 (昭和28年8月16日)

「昨日、睾丸が落ちて後から元通りに生えたという子供を招んで、医学博士が七人、岡田道一さんの骨折りで来て、すっかり診察したのです。

その前に私が見ましたが、どういうふうに生えたかよく見たところが、なにしろまだ元通りといったところで、やっぱりそうとうに引き吊りみたいな凸凹になって、後から生えたということがよく分かるようになってます。

かえってあんまりきれいだと疑いが起こるが、あれなら無論後からできたということが分かります。

それでお医者さんが見た結果、この部屋でいろいろな説明をしたのです。ところがなかなか説明ができないのです。実に気の毒なくらい苦しんでいました。

それで博士が一人一人批判をしましたが、小便が止まったというのは、腎臓結石だとか膀胱がどうだとか、そういうことはなかなか詳しく話しましたが、さて落ちた睾丸と陰茎が後から生えたという説明にはとても骨が折れてました。

それで結局二人ばかりの医者が、一人は睾丸は吊れて奥の方に引っ込んでいた、一人のお医者さんは陰茎まで引っ込んでいたと言うのですが、それがなかなか苦しそうなのです。

この問題の重点というのは「陰茎と睾丸が落ちて後からそれが新しくできた」要するに新生ということが重点ですが、どうもそこにゆくとはっきり言えないわけです。

それで結局において「不思議だ、奇蹟だ」ということになったのですが、奇蹟だということを言う時には、ほとんど聞こえないような小さな声で言ってました。

だからたぶんそう言ったのだろうと、私は推察したのです。もっともこれは医学的説明は無理なのです。

だから「医学では分からない、実に奇蹟だ」と言えば簡単にすんでしまうのですが、それを言うことができないらしいので、そこになんとかかんとか理屈づけようとする、それが実によく分かるのです。

それから教団の幹部の人との質問応答が二、三あり、最後に私がその説明というわけですが、説明して分かるはずはありません。

これはなんでもないことで、霊主体従の法則さえ分かればなんでもありません。

それで私もかなり皮肉に言ってやりました。この問題の重点は睾丸と陰茎が落ちて、それが新生した。

それでお医者さんの方では「なくなったものができるということは、睾丸を包んでいる袋が伸びることはあり得る」というのです。

それから「陰茎の皮も新生するということはある」というのです。「けれども睾丸の玉と陰茎の棒、おまけに亀頭は新規にはできない」というわけなのです。

「だから外にある程度皮などができる間、奥に引っ込んでいた」というのです。

ところが中の棒、亀頭の方がずっと伸びているのです。

そうして皮の方が足りないのです。だから私は聞いたのです。

子供というのは皮の方が長くて包んでますが、もっかあべこべなのです。

だからそうとう皮肉に言ってやりましたが、結局私の方から見ると新生だ、医者は新生ということはあり得べからざることだと言うが、あり得べからざることだから奇蹟というわけなのだ、私の方ではあり得べきことになっているのだから別に不思議ではない。

しかしあり得べきことを、あり得べきことと言えないのは、科学がそこまで進歩していないからだ。

それについて私は今「医学革命の書」という本を書いているからして、それができたら、お送りするから見てもらいたいということを言っておきました。


結局においてこの原理というものは、つまり湯川博士が唱えられている物性論というのは、中間子のことで、中間子からヒントを得たのです。

そこで物性論というものは、つまりまだ目には見えないということを言われてますが、これは細胞の霊なのです。

つまり黴菌の霊です。だからこの物性論がもういっそう進むと、科学はまた深い所に行くわけです。

それからまた進み進みして、ごく深い所に行き、そこまで私は書くから、それを読めば、この子供の道具が新生したという原理は分かるから、というように話したのです。

だから今信じられない、つまり奇蹟だ、理屈がつかないということはちょうど「原子爆弾を発見する前にそれを説明しても、誰も本気にする人はない。しかし一つ落とせば一度に分かるようなものだ」と説明したのです。

この睾丸について説明しても分かるはずがないから、いっそ、そういった大所高所から、根本的のことだけを言うより他にないのです。

そういうような意味のことをちょっと話してやりましたが、後で聞いてみるとお医者さんも分かってはいるのでしょうが、分かったとは言わないのです。

そこに傍聴に来ていた産業経済の記者などはよく分かったそうです。

お医者さん以外の他の人たちはよく分かったらしいのです。

お医者さんも分かったらしいのですが、分かったとは言いにくいので、分かったとは言わないのでしょうが、とにかくそういったお医者さんが、ここに来て私の話を聞くということだけでもたいしたものです。

以前に私は「とにかく今に大学の講堂に行って、少なくとも五、六十人の博士を集めて、その前で私が医学の講義をするようにならなければ駄目だ」ということを言ったことがありますが、昨日のは、その小さい最初の型だと思います。

ですから非常に結構なことだと思ってます。結局お医者さんが分かるということが根本です。

それからこういうふうにしておけば、これから思い切って医学のいろんなことを書いても、当局にしてもよほど見方が違うわけです。

こっちによほど自信がないと、それだけのお医者さんを相手に、ここまで集めて、一つの奇蹟的の効果を検討させるということはできないので、その点十分昨日の収穫はあったわけです。そういうようなわけで、これからもいろんな奇蹟が出るでしょうが、とにかく進んでゆくわけです。」




明主様御講話 「睾丸の再生について」 (昭和28年8月17日)

「それから睾丸が取れて生えた子供がいましたが、それについてOさんの骨折りで一昨日、

いろんな病院の院長とか、厚生省の技官とか、みんなで七人の博士が見に来たのです。

本人が来ていてよく調べたのですが、昨日の産業経済新聞の夕刊にその時の部屋の様子が写ってます。

その時に、その感想と医学的の見方を一人ひとり話したのです。

ところが公平にみて、非常に苦しそうなのです。

「最初尿が六日も出なかったということは、腎臓結石が尿道につかえたのだ」と言うが、そんなことはあたりまえのことです。

そういうことは非常によく説明しているが、肝腎な睾丸と陰茎がなくなったということを詳しく徹底しては話ができないので、はなはだ苦しい説明なのです。

それで二人ばかり滑稽なのは「睾丸と陰茎が中にはいっていたのだ、沈んでいたのだ。それが後に出てきたのだ」 という説明でしたが、これは噴飯(ふんぱん)ものです。

それから父親と支部長に聞いてみると「睾丸の取れた所がほとんどすっかり落ちて、残っていなかった」と言うのです。

そうするとお医者さんは「いや、つまり陰茎、特に亀頭と睾丸がすっかり取れたものは、後からできることはない、つまり新生することはない」と言うのです。

「ただ、袋と陰茎の皮だけはできる」と言うのです。つまり伸びてくるわけです。

つまり、吊れているのが伸びるような具合になるのです。

だから「他の中身の固い物は新生することはないのだから、たぶん袋の方は縮まっていて、中身の方は奥に押し込まれていたに違いない」と言うのです。

それからそう言いながらも、少し苦しいことになると「不思議だ」とか「奇蹟だ」と言うのですが、そのことだけはばかに小さく、聞こえないくらいに言うのです。

ですからそれを率直に思ったとおりに、「これは新生だ、奇蹟だ、あり得べからざることだ」と言えばそれですむのです。

そういったところでそれで別に値打ちが下がることはないのです。医学上にはないことなのですが、

医学上でなんでも解決できると思っている手前から、医学で説明するような説明は、できないのでなくて、やらないのです。

やると、沽券(こけん)に障るとか、つまり医学というものが非常に遅れているというような理屈になりますから、

そういうところがさぞ苦しいだろうと思って、お気の毒なように思います。

それがすんでしまってから、二、三の幹部の人の質問応答がありましたが、最後に私が話しました。

どうせそれを説明したところで分かるはずはないのです。

というよりか、分かっていて分からないというわけです。

腹の底は分かっているが、上面が分からないというわけです。

それからそれに触れないで「とにかくこれは新生だ、いったん取れた物が、あと快復するまで睾丸や陰茎が引っ込んでいて、外がよくなってきたので出てきたというものではない。

これはぜんぜんなくなったものが新規に新生したものだ。

しかしそれはあり得べからざることがあったのだが、まだ科学はそれを説明するだけに進んでいないのだから、

今私はそれを「医学革命の書」というのに書いている。

できたらお送りするから、それを見てくだされば分かるわけだ」と言ってやりました。

それで科学の方で今一番進んでいるのは、物性論なのです。

湯川博士がノーベル賞をもらったのは、素粒子つまり中間子の発見でなったのです。

最近は湯川博士も物性論というのを重要視してます。

物性論というのは一歩進んだものです。

それほど詳しくは話さなかったが、そのことを言っておきました。


つまり素粒子というものは細胞のごく細かいものなのです。

ですから顕微鏡とか写真とかで試験はできるのです。

これは宇宙線撮影の時に七つかポツポツが見えて、それが素粒子ということになったのです。

だから写真とか顕微鏡で見えるのです。

ところが、見えなくても確かにあるというのが理論物理学で、物性論として唱えているのです。

それは霊なのです。ですから物性論からもう一歩進むと霊界の方になるのです。

しかしこれから先へは科学では行けないのです。

それで物性論からその次があって、またその次があって、その一番の奥まで私の本には書いてあるから、

それを読めば「睾丸が新生する、ということはあたりまえのことで、なにも難しいことはない」と話してやったのですが、

野蛮国に行って今の文明国の説明をするようなものだろうと思います。

また「今私の言ったことは、原子爆弾を落とさない前に原子爆弾を説明するようなもので、おそらく誰も本当にする者はないだろう。

ちょうどそれと同じようなもので、今は信じられないけれども、その本を読めば大体は分かるわけだ」と、そのくらいの話をしてやりました。

それについて論文を書きましたから読ませます。

(御論文「神と硝子玉」) 


つまり医学の本性というものは、顕微鏡で細かい菌が見えるということです。

だから今医学でなにか分からないものがあると、みんなウイルスにしてます。

近ごろ流行している日本脳炎にしてもなんでも、つまり顕微鏡で見えにくいものはみんなウイルスにしてます。

ところがウイルスよりもっと細かいものということに気がつかないのです。

それを見るには顕微鏡の進歩よりないのだから、結局根本はガラス玉なのです。

それでこっちの方は顕微鏡で見えないような細かいものでも、別に見るわけではないが、分かります。

つまり科学の方よりももっと細かいものをこっちは把握できるというその違いさが、

片方はいくらやっても治らないが、こっちは簡単に治るというように、実際的結果によって分かるのです。

それをお医者さんに言っても分からないから言わなかったが、睾丸ができるということは、なんでもないことで、霊主体従の法則によってできるのです。

睾丸が取れても、霊の方は取れてないのです。

そうすると霊の形だけはだんだん埋めてゆくわけですが、これはあたりまえのことです。

ところが医学の方は、そういう場合に薬をつけますが、そうすると埋めて行こうという作用を遮断してしまうから、押しつけてしまうから駄目になるのです。

それともう一つは、医学の方で切っても、その後できるものもあるのです。

指くらいは切っても必ず元通りになるのはなんでもありません。

ところが医学の方では薬をつけるから、そこで止まってしまって片端になるのです。

というのは霊があるので埋めてゆくのですから、埋まるに決まったものですが、埋めるには霊の力がそうとうにいるのです。

ですから普通方っておくと暇がかかるのです。

そこで浄霊すると霊の力が出るからして埋めるのが早いわけです。

ですから睾丸が落ちても、自然に方っておいてなにもしないでいると、十年も二十年もしてできるのですが、

それを浄霊したために十分の一、二十分の一も早くできるのです。

それを説明すれば分かるのはあたりまえですが、そういうことをお医者さんに言っても無駄だから言わなかったのです。

一番分かるのは、手を切りますが、肉体の先の方の、なにもない所が痛む人があるのです。

私は以前よく患者から聞いたのですが、それは霊があるからで、霊があるからつながっているのです。

睾丸が取れた人に聞いてみると、白い細い物が残っていたというのですが、それは神経なのです。

しかしその神経が取れてしまってはちょっと難しいですが、簡単なものはできます。重要なものはちょっと難しいです。

それが医者が切断したものだと神経も切断してしまいますからできないが、そういうのは神経が残っているからできるのです。

指などは神経を切っても埋まってくるものです。それが霊主体従の法則です。

その原理さえ分かればなんでもなく分かります。」




明主様御講話 「睾丸の再生について」 (昭和28年8月25日)

「次もちょっとおもしろい論文です。

(御論文「神と硝子玉」)

今のはやはり「医学革命の書」の中にはいる論文です。

睾丸が落ちてしまって、それが元通り生えたというお蔭話がありましたが、その子供を呼んで十五日の午後から、方々の病院長とか博士が七人来て、最初に復活した子供の睾丸、陰茎の状態をよく見て、それからその感想を一人ひとり話をしたのです。

それが実に苦しい話し方です。なぜならば分からないからです。

そうかといって分からないと言っては、お医者さんも立場に困りますから、それを医学的に一つのこじつけをするのです。

なにしろお医者さんの言うには、医学上睾丸を入れてある袋と、陰茎を包んでいる皮だけは脱落しても復活する、元通りになる。

しかし陰茎と亀頭、睾丸のいったん取れたものは新生しないと言うのです。

だからこれは腐ったようになって脱落した時に、陰茎の皮と睾丸の袋だけが脱落して、陰茎と睾丸は腹の中にはいっていた。

それが、袋ができたので、腹の中に引っ込んでいたのが出てきたと言うのです。実に馬鹿馬鹿しいことです。

結局お医者さんの意見は、みんな大体それと大差ありません。医学では分からないと言ってしまえば、それで簡単にすむのです。

ところが実際は、分からないと言えば、立場上具合が悪いし、おまけに宗教の前で分からないと言っては恥ですから、分かったらしくしているのですが、その言い方が苦しそうなのです。

結局二、三人のお医者さんが、これは奇蹟だ、あり得べからざることだと言った人もありましたが、それを言う声がばかに小さいのです。

ほとんど聞こえないくらいに言ってました。ですから一度は聞き損なったくらいですが、実におかしかったです。

それで最後に私としての立場から言ったのです。あの人たちに説明しても分かるはずはないから、大所高所からズバリと、これは新生だ、あり得べからざることだ、だから奇蹟だ。

それでこれを分かるまでに科学はまだ進歩していないのだ。

結論として、今の物性論というのはなぜ唱えたかというと、中間子、素粒子というのは細胞のまたごく微小なもので、それから物性というのはウイルスでもない、顕微鏡にもはいらないものだが、あるという推定です。だからこれは霊なのです。

そこまでは言わないが、とにかく物性論にその奥がある。それからそのまた奥があり、その奥がある。

そうしてそのごく窮極のものが科学で分かるようになれば、この「新生する」ということが分かる。

だから今は科学がそこまで行ってないということだけを言ったのです。」




明主様御講話 「唯物科学は科学宗教」 (昭和28年7月25日)

「いつも言っていることですが、新宗教に対しての「科学的でない」ということについてですが、この間の子供の睾丸ができたことなどは、たいへんな奇蹟ですから、世界の医学界に知らせたいのです。

あれを知らせないということは非常に惜しいのです。

医学の方では、心臓の手術ができたとか、われわれから見ればつまらない、へみたいなことを、たいしたもののように新聞などにデカデカと書いてます。

だからこっちの、それの百倍にもあたる奇蹟を新聞に出したらよいだろうと思って、毎日、読売にも言ったのです。

毎日ではいろいろ協議したそうですが、まだ出ないところをみると結局出さないように決まったのでしょう。

それで本人を調査に行くとか言ってましたが、それもやらなかったようです。

ところで新聞の方には、法規的ではないのでしょうが、一つの不文律のようなものがあるのです。

それは日刊新聞、ふつう新聞では宗教の宣伝にわたるようなことは書かないということになっているのです。

このことは前から聞いてますが、おそらくそのためだろうと思います。

結局 メシヤ教の宣伝になるからというのです。

しかし宗教の宣伝になるとかならないとか言うが、この間の奇蹟というのはそんなチッポケなことではありません。

それこそ医学的どころでなく、世界的の大問題になるべきことです。

子供の睾丸から陰茎がすっかり取れてしまったのが、自然に生えて元どおりに育ったのですから、人類始まって以来の奇蹟ですが、要するに宗教宣伝になるというために出さないのでしょう。

そうすると文明というものは、宗教とか科学とか言って一つの城廓をつくって、その中に閉じ籠もって、敵視しているようです。

新聞社の方は科学の城廓に閉じ籠もって、宗教という敵の利益になるようなことは絶対にやらないことになるからして、考えてみるとおかしな話です。


けれどもそれもあながち全面的にケシカランとは言えません。

というのは、宗教そのものが実に科学以下のものがたくさんあります。

だから科学の方で軽蔑して、かえって宗教よりも以上の科学を微力なようなことを言ったりすることはけしからんと言うのです。

要するに科学も宗教であって、ただ形が違うだけです。

ですから自分の方の科学宗教を守らんがために(科学といっても唯物科学ですから)唯物科学の城廓を固守し、唯心科学の方を葬ろうとしたり、それから軽蔑して、それに乗るなということを警告するというので、この間のラジオはそれなのです。

ところが本当から言うと唯物科学も宗教もないので、あらゆるものを冷静に批判して、良いものをとって悪いものを捨てるというのが本当ですが、まだ人間の頭脳がそこまで行ってないのです。

まだ小乗的文化の殻に閉じ籠もって、そうしてアップアップやっているのですから、われわれからみれば実にかわいそうなくらいです。」




明主様御教え 「第二の超奇蹟」 (昭和28年御執筆)

「第一の超奇蹟は六歳の子供で、前記の通りであるが、この患者は年齢が五十七歳なので、

しかも経過が余程違うので、これも素晴しい奇蹟である。

そうして、子供の方は六人の医師が説明の際、異口同音に一旦消滅した軟睾は新生する事は、医学上絶対ないといわれ、

子供の軟睾が失くなったように思われたのは、実は下腹部に近い所に潜んでおり、皮膚が出来たので、下って元通りになったといわれたが、

この患者の写真を見ても分る通り、全部新生したものに違いない。

としたら医師は何というであろうか、訊(き)きたいものである。


これによっても分る通り、浄霊の奇蹟は医学で分ろうとするのは全然無理である。

というのはこの奇蹟の根本は霊であるに対し、医学は霊を知らず、体のみで判断するからである。

これにみても分る通り、医学の革命とは、唯物一辺倒である医学の盲点に対し、病原は霊にある事を知らせるので、

それが分ればこの患者の奇蹟なども、至極簡単に分るのである。つまりこれが霊主体従の真理の事実の表現である。」 (体験談省略)