奇蹟と魔術について


明主様御講話 「奇蹟と魔術」 (昭和27年1月5日)

「ただ、ちょっと面白い事を・・・奇跡といいますが、奇跡にも二色(ふたいろ)あるんです。それを、ここに書いてあります。

(御論文「奇跡と宗教」の後の御教え)


結局、奇跡というものは、人間の利益になる事ですね。

それが、幸福になるとか、得をするとか・・・それが奇跡なんです。

あと・・・不思議な事をして見せるのは魔術なんですね。

それを、良く混同するんです。

ちょっと不思議な事をして見せると、すぐ有難がって頭を下げるんですが、

そういう時に良く考えて・・・こういう事を人に見せて、どれだけ人が救われるかという事を考えるんです。

そうすると、一つの見世物的になります。

それではいけない。

宗教を看板にするなら、それに救われなければならない。

よく、神霊会でやりますが、こういうのもそれですね。

救わなければならないんです。

霊があるという事が分かっても、自分の病気が治らなければしようがないですね。

その区別もよく知っておかなければならないですね。

また、その区別を、よく説明してやらなければならないですね。

話はそれだけにしておきましょう。」




明主様御垂示 「人間に利益のない奇蹟は単なる興行師と同じ」 (昭和23年11月28日)

信者の質問
「神国思想はあまり口に出さぬようにとのお言葉でございましたが、

大先生様(註 明主様のこと)の御神格について会員にはどのようにお話ししたらよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「神国思想はいけません。・・・私のことは思った通りを話したらいいですよ。」


信者の質問
「日本は神国だから大先生様がお生まれになられたということは・・・」

明主様御垂示
「そんなことはありません。神国思想と私とは関係ありません。・・・

これは難しいところで、大切なのは私の仕事を考えることです。

例えばいままでは人間の生命はどうにもできなかった。

私はそれを延ばすことができるのです。

だからその「事実」ですよ。

いままでにもキリストの再臨なんていうのがときどき出たが本当の「事実」がない。

三十年ほど前にもインドにサンダーシングという三十歳くらいの男が水の上を渡ったりしたので、キリストの再臨とまで称されたが若死にしてしまいました。

しかし水を渡ったりしたって人間になんの益もない。

単なる興行師にすぎない。

つまり病気が治ったり、貧苦が解決したりなど、実際の効果がなければ駄目です。

私は言うのですが、釈迦やキリストも偉いが人の病気を治せなかった。

キリスト自身は多少治したりしたが弟子にはその力がなかった。

釈迦の死だって行き倒れです。釈迦がなくなられたとき獣が集まって来て泣いたなどというのはあとからのつけ足しです。」