善悪の総体的評価について
明主様御垂示 「善事と悪事の差し引き計算」 (昭和24年11月14日)
清貧に安んずるのは大間違い
信者の質問
「貧を清貧と称して甘んじて霊界に行った者の霊界における苦悩はどのようになっているので御座いましょうか。」
明主様御垂示
「貧乏でも金持でも第二義的のもので、善い事をしたためとか、怠けてとか、意気地がなくて、智慧が足りなかったりなどして貧乏になったのなどいろいろある。
いずれも違う。いずれにしても世の中で善い事をした人が霊界でいい。
金が不正な事をして入り、善い事をしたところが、差引き悪い事が多ければいけない。
故に正当な手段で金を儲ける。今迄は不正手段でなくては儲からぬとしている。
これは欲があって智慧のない人である。
いい手段で金を儲け、世の中のために金を使う。これが一番いい。
よく清貧に安んずるのは大いなる間違いである。アメリカにはいない。
日本にはこの精神があるから発展しない。
悪い奴が栄えているが、こういうのは働きがある。
少し悪い事があっても、他に社会を裨益してあると大いに得になる。
(悪に強いのは善にも強いから、その徳が光る)
大いに儲け、大いに善い事をする人間が殖えなくてはいけない。
アメリカはそうである。ソ連流のやり方はいけない。不正の手段である。
(日本人はソ連や英仏の真似をしてアメリカの真似をしない。これはやはり封建的の故である)
清貧に安んずる者が多いか、または金儲け一方になるかで、いずれもいけない。どっちにしても国は亡びる。
国際競争のない時代は清貧に安んずる事もあっていい。」
明主様御垂示 「商売における善悪の差し引き計算」 (昭和24年6月23日)
大善は小悪を伴う
信者の質問
「宗教的に観た商法について御教示をお願い申し上げます。
商売をしておりますと、騒け引きをしたり商売敵ができたり、また現在の登録制では商戦のためどうしてもそうとうの怨みがくると存じますが、
この曇りを消すためには大いに社会的善事をすればよろしいでしょうか。」
明主様御垂示
「これはこの通りですよ。無論、ある程度の駆け引きはしかたないですよ、儲けるんですからね。そこは程々にすればかまわないんですよ。
敵ができるってことも競争だからしかたないですね。
だから、積極的に同業者を倒そうとすると罪を作るから、そういうことはしないほうがいい。・・・
例えば、私の教えが拡まって行くと他の宗教にも影響して、あるいは潰れてしまうのも出てくるかもしれない。
しかし、それはやむを得ないことであって、そう言ってたらなんにもできない。
だから私は「大善は小悪を伴う」って言うんですよ。
これはどうにもしかたのないことです。
つまり、九十万人救われて、十万人はそのために救われないっていうことはしかたがない、いいんです。
ま、いいってこともないけど、差引してよければいいんです。
そして、商売してて時間や金に余裕があったらいいことをするんですね。
一番いいことはこの信仰のためにそれを使うんですよ、そうすればいいんです。」
明主様御垂示 「商売における善悪の差し引き計算」 (昭和24年6月23日)
全部いい事はない
信者の質問
「宗教的に観た商法について。
商売をしておりますと駆引をしたり、あるいは商売敵が出来たり、また現在の登録制では商戦のためどうしても相当の怨みが来る事と思いますが、
この曇りを消すためには大いに社会的善事に尽せば宜しいでしょうか。
二、現在ある面におきましてはデフレの傾向があるようですが、もし米ソ戦が近き将来に起るとしますと、インフレの準備を今の中にしておくべきでしょうか。右御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「ある程度の駆引は仕方ない。罪になる程度でなく程々にする。競争であるから仕方ない。
こちらが繁昌すれば先方が倒れる。積極的に倒すんでない。
例えば、観音教団が発展すれば他の医者や宗教は倒れる事となる。
そう考えたら手も足も出ぬ。大小である。
全部いい事はない。差引して善い事が多ければ、存在理由がある。差引悪い事が多いから苦しむ。
商売もそういう意味でやり、一方で余裕が出来るので善い事をする。
すると少し位の罪など帳消しとなる。(人助けなど)」
明主様御垂示 「自己の生存による社会への善悪いずれの影響が大きいか考えろ」 (昭和24年12月27日)
布教上の病気の話
信者の質問
「開拓に際して病気云々は言わず、ただ御利益を主として説明致しますがピンと来ません。
どういたしましたら信仰に入るようになるでしょうか。具体的に方法を御教え下さい。」
明主様御垂示
「開拓は、病気の事を言っていい。嘘を言うんでない。病気の治る事を言っていい。(医学の悪口は言わぬ)これが一番の御利益である。
病気が治り生命が完全になる。生命を戴く。これが一番高級な宗教である。
それを低級などというが、低級という言葉がそもそも低級である。
御利益が欲しいから信仰するので、商売して金が入らぬというようなものである。
(既成教は治らぬからこんな事をいう)
何でも常識で間違いないというのが本当である。
(今の世の中は理屈ばかりが多い)
人間は善い事をしなくてはならぬという誠が根本である。不正な事して・・・。
正しい手段でどんな善い事をし、治しても差支えない。
禁欲生活をいいとしているが(苦しむのは大変な間違いである。豪奢な生活をしているというが、そればかりを見、いい面を見ない。これが役人である)
人間はとかく悪い面のみを見ようとする。
しかし善い面を見なくてはならぬ。善ばかりという事は出来ぬ。
(またこういう事を考えなくてはいけない。自分が生きていて社会のため善悪どちらが多いかをみなくてはいけない)
(例えば無肥料は肥料会社からみれば罪になり、医学もそうである。「大の虫を生かし、小の虫を殺す」と昔から言う)」
明主様御垂示 「善悪の見分け方」 (昭和24年2月8日)
信者の質問
「龍神の働きについて」
明主様御垂示
「龍神にはいろいろな働きがありますが、だいたい天文現象が主で風雨雷霆を司り、また小さくは沼、川の守護をします。
山は天狗が支配してますが川は龍神です。大中小いろんなのがいるんです。」
信者の質問
「龍神から化した人間にも善悪はあるものでしょうか。」
明主様御垂示
「ええ、ありますよ。」
信者の質問
「その善悪はどう見分けるのでしょうか。」
明主様御垂示
「それはちょっと人間には分かりません。
例えば十のうち七だけいいことをしても三だけ悪いと世間の人々はその三の悪い部分を見てその人の全部を悪いとしてしまうのです。
小乗的な信仰はこういうふうですね。
しかし神様から見た場合、七から三引けば四残り四だけ善が多いからいいわけです。
だから人間には善悪は判りません・・・
龍神系は強いものでまた信仰に入る人には龍神系が多いですね。
あんまり狸だの他の動物、馬や犬なんかは少ない。
龍神のほかに天狗も多いですが、どちらかというと龍神系のほうが強いです。」