経と緯について 3 (天国会と五六七会)


明主様御垂示 「五六七会が全体の六、七割の成績を上げている」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「日本観音教の名称と五六七教との関係および仏教、キリスト教と対比した場合の名称について・・・」

明主様御垂示
「観音教の教というのはウソです。

お説教という意味になるから。

しかしふつうは金光教とか大本教とかいうように、ほかにいいのがないので教としているのです。

私は昭和九年、大日本観音会というのを作ったが、後弾圧されたので一時止め、今度復活したわけです。

今度は大日本とは言えないので、日本観音教ということにしたのです。・・・

五六七教は渋井が五六七会長としてやっているが、観音教団の中でやっては活動しにくい、というのはあの人が十のうち六、七の成績を上げている。

他の会は全部寄せても三くらいでケタが違いすぎる。

従って観音教団の中でなにかやると他の分会との相談やなにかでいろいろ掣肘(せいちゅう)をうけるため仕事ができない、

これは理屈に合わぬ、思う通りにやりたいというので一応もっともと思って別にしたんです。」


信者の質問
「別派と考えてよろしゅうございましょうか。」

明主様御垂示
「ええ別派です。

が「五六七」も観音も元は一つです。

キリスト教にだってカトリックもあればプロテスタントもあるんですから、これと同じです。・・・

観音様が縦なら五六七は横と思えばよい。

結べば一つなんですから。

もう少し先にはまた分派ができるかもしれないし、またその先には一つになるかもしれない。

名称だってそうですよ。また他の関係もあるんです。

例えば拍手(かしわで)を打って神道と見られるが、神道だと調査を要すという規定が進駐軍にある。

調査なんかされるのは面倒です。されないほうがいいです。

だから時勢に応じていろいろに変わるんです。」




明主様御垂示 「五六七教会と日本観音教団との関係」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「五六七教会は日本観音教団の中に含まるべきものでございましょうか。」

明主様御垂示
「どっちとも言えないですね。

時と場合によって中に含まれると言ってもいいし、別だと言ってもいいんです。

いまのところどっちとも定められないのです。

縦と横の関係ですから。

さらにもう一つ教団ができるかもしれません。

これがそれぞれ別の働きをして将来は一つになるんです。」


信者の質問
「信者から同じものかと訊ねられたとき困るのでございますが。」

明主様御垂示
「「同じものか」と、聞かれたら「同じだ」と答えたらいいし、「別なのですね」と言われたら「ええ、別です」と、言ったらいいですよ。(爆笑)・・・

人間はよく物事をどっちかに決めたがるものですが、中にはどっちともきめられないこともあるんですよ。」




明主様御講話 「教団内の経と緯」 (昭和26年10月18日)

「今日は教団に関した話をする前に、その参考として、これを読ませます。それから、その話をします。

(御論文「経と緯」のあとの御教)

これは今までよく書いてあるから知っている人はたくさんあるでしょうがね。

後で話しますけれども、それがやっぱりよく出ている。

それからもう一つ仏教ですね。「文明の創造」宗教編ですが、

仏教における大乗小乗も、ちょっと面白いですから参考のために読ませます。

(御論文「仏教における大乗小乗」のあとの御教)

つまり今両方読んだが、根本は経と緯ですね。

これを結んだものが、今までないんです。


それで、救世教も最初観音教時代には、経と緯だったんですね。

経は・・・これはみんな知ってますが、天国会だったですね。

緯が五六七会だったですね。

ですから、信仰の状態も天国会の方は非常に厳粛だったですね。

簡単に言えば、厳しかった。窮屈でもあった。

それから、五六七会の方は、まことに自由で気安かったけれども、又だらしがないと言える。

両方とも極端と極端です。

これはやっぱり経と緯で、つまり結んでなかった。

伊都能売になっていなかった。

そこで、結局において、天国会は大きな手柄を残したけれども、失敗した。

五六七会の方も大きな働きはしたけれども、失敗した。

そうして去年の事件によって・・・事件と言うのは、とにかく五六七会の失敗なんですね。


五六七会は緯ですから、非常にどんどん発展した。一時は不思議なくらい発展しましたが、

これは緯の働きですから、いくらでも広がったんですね。

それが良く出ている。そうすると、経と緯の観音会と言うのはそうなんです。

今度メシヤ教になってから、緯が失敗する時期になったんですね。

で、以前はほとんど、五六七会と言うのは、教団の八割くらいに発展したんですからね。

ちょうど、五六七会が観音教団のような形になったんですね。

それが去年失敗すると、それから後は、経の方の観音会系統の人が・・・大草さんとか、安部さんにしろ・・・全てが経営の中心だった。

ですから、非常に教団はがっしりしてしまった。

堅実と言うような感じですね。

けれども、これではやっぱり発展性が乏しくなる。

ですから、どうしても発展性は緯の広がりでなければならない。

そこで、今度渋井さんが、その働きをしなければならない。

ちょうど事件当時・・・事件が起こるや否や・・・渋井さんが脳溢血で倒れた。

中風ですね。

普通だったら、今もしょうがないんだけれども、

何しろ一時はふらふらになって、やっと旭町から歩いてくるような・・・

ものにつかまって、やっと歩いて来るくらいだった。

口もきけなかったし、頭もぼっとして、どうにもならなかった。

最近は私の浄霊によってほとんど治ってきた。

この間京都に行って見たところが、どうやら活動できるようになったと言う事で、いよいよ時期が来た。

それで、渋井さんが大いに働く事になったんです。

この間、渋井さんが言う事には、自分が教修したのは十何万ー十万以上ある。

それが、あとがまことに育たない。

と言うんです。本当に順調に育っている人は、何分の一だと言うんです。

ところが自分がああ言うような病気だから仕方がない。

新しい信者を作るのも肝腎ですが、復活させるのも肝腎で、手っ取り早いと言うんです。

それで、私も大いに結構だからやりなさいと言った。


そうすると結局、どういう意味になるかと言うと、

天国会系の経と、五六七会の緯が、今度結ぶ事になる。

ですから、渋井さんも、以前の緯に経が加わる。

それから、天国会系の人も、今度は緯が混じる働きもすると言う事になって、

両方とも、ちょうど結ぶ働きになると言う訳ですね。

それで初めて伊都能売の働きになっていく、ちょうどそういう動きが来た訳ですね。

渋井さんと言う人は、発展する・・・広げる力は非常なものです。

なんというか、腕があるというか・・・そんなようなのがあります。

そうかと言って、広げるのを締めていくと言うのがない。

今までなかったですね。広げっぱなしなんです。

それで自分も懲りたと言っている。

以前には変な人間が入ってきて、色々かき回したり、

教団の金を、何とかうまい事を言って引き出したりする。

渋井さんは非常に良い人ですからね。

世間の人がそんな悪い事をしないと、気を許したからで、今後は絶対にそんな事はないと言っている。

結局は経の働きが出る訳ですね。

ですから、これからは本当の伊都能売になって来た訳ですね。


それから、散花結実ですね。あれは大体・・・教団の去年の事件までというのは、花を咲かせたんですからね。

花と言うものは、つまり体になります。霊ではない。

ですから、体だけは非常に花を咲かせた。

五六七会が花を咲かせた。

そうして、五六七会が散らした。

ですから事件の動機と言うのは五六七会が起こした。

これから実を結ぶと言うのは、やはり五六七会がやらなければならない。

これから実を結ぶと言う時期になります。

ですから体ですね。体の働きですね。

それから天国会は霊の働きです。

これからは、中島さんも霊界で活動します。

そこで霊、体の働きが出ますから、要するに伊都能売の力ですね。

ちょうどその時期になったので、それを知らせたんです。

ですから、これからは教団の色々な形も違ってきます。

どう違うかと言うと、非常に発展していく、広がっていく。


これで、色々詳しく話すると・・・なかなか色んな事がありますが、大体は今お話したようなのです。

ちょっとあれはどう言う訳なんだと言う、色々な疑問が起こったようですが、

それは今言ったような、神様の方の御経綸によって、色々な訳があるんです。

例えてみれば、こんなにお蔭があって・・・段々お蔭がひどく大きくなっていく。

病気も早く治り、感謝する人なども、前から見ると非常に違って来ている。

病気が早く治って、違ってきている。

感謝が強いですからね。その割に発展しないんです。おかしいですね。

それは何だと言うと、今言ったように緯の方が休んでいたからで、

これから緯の働きが始まりますから、なるほどと言うような事になっていく。

ですから、これからは経でもいけなければ、緯でもいけない。

伊都能売ですね。

そういう風になっていく。

だから、やる人も、どこまでも伊都能売式でやらなければならない。

教団全部がそうなるんです。

以前のように天国会と五六七会が一つの対立するような系統のものが出来て、

ああなったと言うのは、これはやはり仕方がないんです。

それが世界の型なんです。

で、型という事は、よく言いますが、そう言う事も、世界の型をやっている。

つまり、東洋文化と西洋文化ですね。

それが今まで別々だったんですね。東洋はどこまでも精神的に、西洋はどこまでも物質的と、両方偏っていた。

これからそれが結ぶんですが、その前に救世教が結んでそれが世界的になるんです。

ですからいわばこっちは、その模型をやっている。

又、地上天国の模型なんてのは、そう言う訳なんです。

将来世界はこうなる。

と言うその一番始まりをやっている訳です。

教団の今の型も、世界の型をやっている。

いずれ世界は結ぶんです。

神様が経綸しているんですから、その頭をもって見れば判ります。」




明主様御講話 「メシヤ教は東西文明を結びつける型をやる」 (昭和26年10月21日)

「ちょっと話しておきますが、私がいつも言う通り、経と緯ですね。

これがやっぱり色々な事に現われているんで、これは私の本にも書いてある通り、

大きく世界を見ると、今までの東洋文化と西洋文化ですね。

東洋文化は経で、西洋文化は緯ですね。

経は、霊的・・・精神的で、緯は物質的・・・現代の科学ですね。

そう言うような具合で、世界と言うものは、最初経の東洋文化で失敗し、それから今度は緯の西洋文化で失敗した。

私が現代の文明と言うのは、そう言う訳ですね。

それで経と緯の両方を結んだものが伊都能売です。

経にあらず緯にあらず、これは始終言っている事です。


そうすると教団もそうなっている。

最初天国会が経で行った。

それで天国会の中嶋さんがああなった訳で、結局失敗に終わった。

その次の五六七会が緯の働きですから非常に発展した。

ほとんど教団を背負って立つくらいに発展したが。

これも結局渋井さんが病気になり、いろんな事件が起こったりして失敗に終わった。

そうすると今度は伊都能売にならなければならない。

ちょうど、その時期が来た。

渋井さんの病気もほとんど治って、試験的に今度京都の方に行ってやってみると、

立派に働ける事が出来るまでに、立派になった。

そうすると、随分ひところ信者をつくった。

十何万かつくったのですが、それが渋井さんの病気のためや、いろんなために固まらないで、

要するにまだ「なまこ」みたいな・・・硬いような軟らかいような・・・ふわふわですね。

そう言う信者がかなりいる。

それで渋井さんとしては、そう言う信者をちゃんと生かしてやる事が一番手っ取り早くて良いと言うようなわけで、

そう言う方針で、これから大いにやる事になった。

と言うのは、去年の事件以来、この教団の組織を改めて、

今日までやったという事は、こんなに緯になるというか、ただ広がりっぱなしになっていたのを

キュッと縮めて、いったん経で締めたんですね。

今度は経と緯を結ばなければならない。

それが今度渋井さんが、そうやろうと言う状態になったのがそれなんです。

経と緯を結ぼうと言うんです。

今度は緯が活動されると、初めて経、緯になる。


以前は天国会と五六七会が対立していた。

両方が一致しないで、一種の競争的であった。

これも神様の御経綸なんです。

競争させるというのは、大いに発展させる刺激になりますからね。

あの当時急激に発展させるためにうまいやり方をされた。

それだけでは本当のものではないから、結ばなければならないという事はこれからなんです。

そこで今の経の堅実なやり方ですね。

今度は緯の軟らかい水の当たりで広がるのと両方になる。

その結果としては天国会の系統の人のやり方は、つまり緯が足りなかった。

それから五六七会のやり方は経が足りなかった。

今度は両方が、そこで結合密着して伊都能売の働きになる。

それがこれからです。やはり、神様の大きな経綸なんです。

だから、人によっては、天国会のああいった堅苦しいやり方ではいけない。

と言う人もあり、五六七会はただ広げる一方で、だらしがないと言う事を、

暗に私に注意めいた事を言った人がありましたが、

それはそれで良いという事はないが、それをやらなければ、どうしても経綸がいかない。


世界が、東洋文明が一時発展して、次に西洋文明が発展している。

西洋文明の爛熟期になっている。

そこで両方相一致した結びの文明・・・伊都能売の文明が出来るんです。

つまり、メシヤ教はその型をやるんですね。

大本教のお筆先にある「大本は世界の型であるから、この中を見ておれば、世界の事はどうなるか分るぞよ」と言う事は、私はよく見てましたからよく分かる。

大本教の最後の弾圧が昭和十年十二月八日で、それから六年目の十二月八日に、日本が太平洋戦争を始めた。

ちょうど六年先の同月同日になる。

ここに神様の経綸が非常にある。

やっぱり、五六七になる訳ですね。

三が二つで五六七になりますから、やはり五六七の経綸です。

そう言うようないろんな事がありますが、大本は、つまりメシヤ教の準備ですね。

準備のために現われたんですね。

それだからして、今度私の方・・・メシヤ教がやる事がやがて世界に写る訳です。

これが大きな神様の経綸と言うのは、そういう意味もあるんです。

ですから人間がああだこうだと、平気で批評なんか決して出来るものではない。

お筆先に「神界が分らないと思う人は分りたるのであるぞよ」とある。

分ったと言うのは、分らない。分らないと言うのは、分かったという意味ですね。

それからまた、お筆先にこうある「神の奥に神があり、その奥に奥のある仕組みであるぞよ」というのがあるが、うまく言ってある。

そう言う訳で、神様の御経綸は深いんですからね。

段々時日が経つに従って分ります。

あれはあれで良いんだ。あれがこの準備だとね。

ただ上っ面を見て、ああだこうだと言うのは、上っ面の・・・ただ上の上です。

こういう事を話しているときりがないが、そう言う訳ですから、

皆さんも、これからの教団の動きを見ていくとよく分るはずです。」




明主様御垂示 「メシヤ教の新機構」 (昭和26年5月25日発行)

信者の質問
「メシヤ教の新機構は、経緯結び、融合した理想の型でありましょうか。」


明主様御垂示
「勿論である。」