世界主義について 2 (御講話・御垂示)
明主様御講話 「キリスト教は小乗信仰」 (昭和26年8月25日)
(御論文「現代医学進歩の窮極」のあとの御言葉)
「これは二、三日前の外国映画のニュ・・・スですが、ボクシングをやっている所があった。
ところが黒人と西洋人とは比較にならない。片っ方は、まるで子供みたいです。
白人の方は弱々しいが、黒人の方は隆々たる態度です。あれで気がついたんですがね。
(御論文「信仰の自由」お蔭話「基督教徒なるが故に」の後の御言葉)
キリスト教信者の宗教的のいろいろな・・・喜びと苦悩をまぜこぜに書いてある。
こういうことはたくさんあることですがね。
私も昔そういう人に随分会ったが、根本から言うと小乗信仰です。
キリスト教でも・・・カトリック旧教でも、特に小乗なんですね。
そこで、やはり終戦前の日本ですね。
天皇陛下のために命を捨てるというのが最高道徳でしたが、今になってみると馬鹿馬鹿しいことだと思う。
そういうふうに教育されると、そうなっちゃう。
大体、キリスト教信者というのがすでに小乗なんです。
何教彼教と言うのがすでに小乗なんです。
だから何教だとか・・・非難したり・・・つまりメシヤ教ならメシヤ教に捉われてはいけない。
強いて言えば、世界教ですね。そこで世界救世教と言う。そうすればどんな宗教でもかまわない。
だから対立的にはならない。今読んだのは対立的ですからね。これが小乗の弊害なんですね。
ですから、私は日本人じゃいけないと言う。
以前終戦時に、私があんまり終戦について言わないので「先生、あなたは日本人ですか」と言うから、
「違う」と言うと、「ヘ・・・えどういうわけですか」と言うから、「世界人だ」と言ってやった。
「日本人だったから、あんな戦争を起した。世界人ならあんなことはしない。
土地を取ったり、人を殺したりしない。
日本人だったからあんなことをした」と言うと、ヘンに感心しました。
そんなわけだからね。
こういう人があります。
メシヤ教は他の宗教を非難しないからいい、と言う。
上流階級の人が言ったんですが・・・その宗教はメシヤ教の一部なんです。
それを非難するなんてね・・・自分のなんだから、自分の方を非難することになる。
そういう頭でやらなくてはいけないですね。
だから他の宗教でもなんでも結構、なんでも研究しなさいと言うのです。
メシヤ教になって良かったら、それでいいですがね。
ところが、メシヤ教以上のものはないという自信があるからね。」
明主様御垂示 「世界中の全部の人がよくなるのが真理」 (昭和23年6月8日)
信者の質問
「御浄め(註 浄霊のこと)により善人と思われる人が助からぬ場合があるのに、まったく悪人としか思えぬ人でさえも助かる場合がありますのはいかなる理由でしょうか。」
明主様御垂示
「人間が見て善人とか悪人とかきめるのであって、神様がご覧になると違うんです。
小乗で善人でも大乗で見れば悪人になることがたくさんありますよ。
なぜなら本当の善人は少ないのです。
ふつうの善人とは意気地なしでしょう。
世のため神のため大いに働きのあるのは悪人に見られがちです。
大善は小悪を伴い大悪は小善を伴う。
その場合小悪の面を見ると悪人に思えるのです。
例えば私のこの道が発展すれば医者は私のことを悪人呼ばわりするでしょう。
これはしかし、しかたのないことです。
悪人から見れば世の中の善人はすべて悪人ですよ。
なぜなら悪人のすることの邪魔をしている。
善人といってもいろいろあります。
意気地のない善人や、功利的に人の信用を得んとする善人もある。
こんな善人には悪への憤激がない。
この悪に対する憤激はなければならないものです。
が、これがあると悪人に見られがちです。・・・
善悪というものは時代で異なるのです。
いまから見れば、忠君愛国なんかはたいへんな悪ということになります。
非常な間違いです。
日本が忠君愛国をやり、中国人や朝鮮人もそれぞれ支那や朝鮮のために忠君愛国をやったらたいへんなことになります。
よくいわれた皇道なんかも共産主義より下です。
なぜならロシアヘ行って皇道を宣伝しても広まりはしないが、日本に共産主義は広まっているんですから。
忠君愛国や皇道は小乗の善であり、世界的に見れば悪です。
一国や一民族がよくなるのでは悪です。
世界中の全部の人がよくなるのが真理であり、全人類が幸せになることでなければ駄目です。
御浄めで生命が助かるか否かはいろいろと原因があるのですよ。」
明主様御垂示 「世界的人類愛的であるべき」 (昭和24年6月23日)
信者の質問
「道徳はある程度時代と社会状勢に応ずるものと存じますが、
過去の戦時中に国家に尽くした政治家、将兵、戦時産業家などはそれが最善の道であると信じ、
また個人の意志にかかわらずそうせざるを得なかったと存じますが、
このことも神様からご覧になった場合やはり罪になりましょうか。
また他面、日本を敗戦に導きその結果日本を本来の姿に帰したことはかえって功徳とも考えられますが、この功罪はいずれをとるべきでしょうか。」
明主様御垂示
「これは小乗と大乗によって考え方が違うんです。
戦争中国家に尽くした人々は小乗の善人であり敗戦によって日本が救われたというのは大乗の考え方なんです。
それで、私は終戦の翌日来た人には、「本当はこの敗戦を祝うべきだ」と言ったんです。
あの時代の政治家も本当じゃなかった、日本さえよければ他国民は不幸になってもかまわないという考え方であり、非常に日本的だったんです。
これはたいへんな間違いですよ。
やはり世界的人類愛的でなければいけないんです。
例えば、日本の「皇道」をロシアへ持って行ったって、おそらく一人も信奉する人はないでしょう。
そこですよ、それでは世界は救えないんです。
ひとりよがりの思想はいけないんです。
軍人ってのは他国民を集団的に殺す練習をしてたんですからね。
だから東京裁判で絞首刑にされたのはあたりまえですよ。
産業家だって戦争で大いに儲けようとした、まあ、泥棒の提灯持ちをしたようなもんですよ。
これが敗戦によって日が覚めたわけなんですから、非常に結構なんですよ。」
明主様御垂示 「世界的人類愛的であるべき」 (昭和24年6月23日)
信者の質問
「道徳はある程度時代と社会状勢に応ずるものと存じますが、過去の戦時中に国家に尽した政治家、将兵、戦時産業家等は、それが最善の道であると信じ、
また個人の意志に係らずそうせざるを得なかったという事も、神様から御覧になった場合、やはり罪になるものでしょうか。
また他面、日本を敗戦に導き、その結果日本を本来の姿に帰した事は却って功徳とも考えられますが、この功罪はいずれをとるべきでしょうか。
将来起るべき世界大戦及びそれに伴う内乱の危惧は個人の意志に係りなく、社会状勢も左右いずれかに決定される事と存じますし、
世界が、国家が大試練、大浄化を受ける時、ただ要領のみで安易な道を行く事は許されないと存じますが、
この場合、左右いずれかに属さねばならぬ時、いかなる態度をとるべきでしょうか。
あるいはまた宗教人として内村鑑三氏等が取ったような反戦運動等を起こす事は正しいのでしょうか。右御教示御願い申し上げます。」
明主様御垂示
「小乗的、大乗的と両方の考え方がある。
戦時中一生懸命やった人は小乗の見方であった。
敗戦で救われたというのは大乗の見方である。
敗戦の時、本当は祝うべきだと言った事がある。これは大乗的見方である。
その時代の政治家の考え方は、日本さえよければ他国は不幸になってもよしとする。要するに日本的考え方で(これが大変な間違いで)世界的でなくてはならぬ。
日本の皇道をロシヤへ持って行ったらどう思うと言った事がある。(通用しない)
世界人類みんなが喜んで賛成する思想でなくてはならぬ。
故に、皇道思想のごとき、よろしく滅ぶべきであった。
その頃(軍人は)集団的に殺人を練習した。(産業家は)戦争で勝って金持が大いに儲けようとした。
故にああなるのは当りまえである。(泥棒的である。敗戦によって目覚めたのは大いに結構である)
左右いずれかに決定しない。(寸鉄にある)ブランコの両端のごとしといった。
両方で成功出来ぬ事を成功するように思って一生懸命やっているんでいい。
吾等のごとく、傍観者的に見ているのは、その上を行っている訳である。
内乱がどうこうの心配はない。極左の方は暴力革命などといっている。中国も蒋介石のやり方は悪い。
軍国主義でファッショ的な点があったし農民を搾取した。
毛沢東の方がよい。中共は百姓を苛めぬ。それが勝った原因である。
安易な道の方が許される。
霊に曇(罪)が少なければ、安易の道を行く。
罪穢があれば苦しい道を行く。相応の理で行く。
苦しんでいて、安易な道も行けぬ。好んで苦しんだ道を行く訳でない。(皆自分に原因がある)
触れる必要はない。酔払いが喧嘩しているようなものである。故に仲裁に入る要はない。傍観していればよい。
彼等は破壊の役、壊し屋であり、吾等は建設者で、建てる方の仕事で、今から木を削ったり、柱を作ったりして準備している。
ヒットラーは、壊し屋の親方と先に言った。」
明主様御垂示 「世界主義的な人格であるべき」 (昭和25年1月20日発行)
信者の質問
「行為は人格の表われであると考えられる場合と、その反対と考えられる場合とありますが、どちらが本当でしょうか。」
明主様御垂示
「そりゃあ、人格の表われってのが本当ですよ。
「その反対」ってのは本当じゃありませんね。
けれどもときによっては人格と逆のこともせねばならない場合もありますがね。
例えば人格が高ければヤミはやらないと言ってても、そのために体が弱って死んでしまった裁判官もありましたね。
だからそういうことは時と場合に応じて臨機応変にすればいいんですよ。
しかし、結局は何事も人格の表われですよ。
人格の低い人じゃ立派なことはできませんよ。
勿論、時には世渡りのために便宜的な行為も必要だけど、人格の高い人はそれが自然どこかに表われてきて人から愛されるんですね。
また、世の中には自分の人格が高いように見せる人がありますが、こんなのはね、偉いと思われたってたいしたことはないんですよ。
それからもう一つ大事なことは大乗と小乗の点ですね。
小乗だけでは本当じゃない、どうしても大乗でなくてはね。
例えば戦争中よく言われた天皇のためとか国家のためとかいうのは小乗ですよ。
やはり本当の人格は大乗的、世界主義的でなけりゃ嘘です。
全人類の幸福を願うといったものが本当なんですね。
いまの吉田首相なんかも戦争中はブチ込まれてたんですが、いまは光ってますね。
殖田国務相だってそうで、いまは法務総裁ですね。
ところが戦時中はこういう人たちは国家の逆賊のように言われてたんですからねえ。・・・
だから、どうしても大乗で行くやり方が本当ですよ。」
明主様御垂示 「世界人たれ」 (昭和26年11月1日)
信者の質問
「何事をいたしますときでも、神様を信仰して悪いことをするということはないと思いますが、スースーいくということは、良いと思ってやるのが・・・」
明主様御垂示
「いけない、スースーいっても駄目です。
なぜなら、邪神にやられてもスースーいくんです。
そこで叡智です。大乗ですね。
小乗でスースーいくのは危ないんです。
大乗というと・・・どうかと言うと、仮にこの人を助けると言う場合に、人間の力は限度があるから、両方助けることができない。
較べてみて、どっちが大きいか考える。
一番大きいことは世界人類を助けると言うことです。
それで良くなれば、決して間違いはない。
そこで、私は「世界人たれ」と言う論文を書いている。
だから、世界中の人間が一国の人間になれば、戦争はなくなってしまう。
今までは、それほどでなかったが、これからは全て世界的にならなければならない。」
信者の質問
「今までは、どうしても会意識があり、あの御論文をいただきましてからは、世界のために立派な会にならなければならないと思いました」
明主様御垂示
「そこが小乗と大乗ですね。だから忠君愛国は間違っている。
人口が増えた国が一番で、他を侵略する。
どうしても、人口が広がるので、侵略しなければならない。
それで、武力ということになる。
自分の国だけ良くしようとするのが間違っている。」
信者の質問
「人を良くするというのと同じことで・・・」
明主様御垂示
「そうです。大きくすると国になるんだからね。
京都で、共産主義について話したが、自分の仲間だけをというのは、成功しっこない。
アメリカのほうが良い。
だから、どうしてもアメリカは一等にならなければならない。」
明主様御垂示 「小乗の善が戦争を起こす」 (昭和26年11月8日)
信者の質問
「布教上、執着がかえって障りになるようでございますが・・・」
明主様御垂示
「ところが、その執着が本当の執着じゃない。小乗なんです。
だから、小乗の善は大乗の悪になると言うでしょう。
一生懸命で、熱心な人がかえって危ないようなことが良くあります。
お邪魔になるようなことがね。それは小乗だからね。
ちょうど、終戦前の忠君愛国ですね。
楠木正成、吉田松蔭だとかね・・・ああいう祖先の思想を受け継いだために戦争を起こした。
してみるとああいうのは、小乗の善なんです。
そこで私は信者の質問「世界人たれ」と、論文を出したでしょう。
世界の人間みんなが同じように見なければならない。
そうすれば、そんな侵略戦争なんか起こす必要はない。
つまり今までの戦争や国際間のことは、世界中が小乗の善だったからです。
自分の国だけを幸せにしようとした。
自分の国民だけと思うから、みんな喧嘩になった。
中国人だって、そう思い、朝鮮人だってそう思う。
日本が人口が増えた・・・広がっていかなければならないから、中国が広いから入ろうとすると、入っちゃいけないと、武力をもって防ぐでしょう。
日本は、武力をもって入り込もうとする。これが戦争になる。
反対に三国のうちで、人口が増えたら、あなた方は人口が増えてお困りでしょうから、私のほうは空いているから、お入り下さいと言う。
それが、本当の大乗の善です。」
明主様御垂示 「神様にとって世界民族はすべて平等」
「人間が善としてやってる事で悪とみられる事もある。
悪にみえてもそれは仮のもので、批判は出来ない。
(戦犯者でも悪とは思っていない。
生命をすてて天皇のため国家のために尽したつもりであった。
それなのに絞首刑になるのはあまりにも訳が判らぬような事であるが、
神様から御覧になれば、悪だったかも知れない。
日本が戦いを起し勝ったとしても、日本はいいが、他の国の国民は、国を失い、国民の多くは死に、他国の自由にされる事になる。
神様は世界の民族を同じように見られている。
そして世界を支配されているが、皆その御分霊が支配される)
善だと思うのはいいが、それを決める事は出来ぬ。」
明主様御垂示 「真を行う」 (昭和24年5月25日発行)
信者の質問
「真を行なうにはいかがいたしたらよいでしょう。 」
明主様の御垂示
「自分のことを第二にし他人を良くするのが誠である。
すなわち人良かれの精神、利他的精神である。
世の中とか社会のためになることを行なうことである。
真とは嘘の反対で本当のことである。
しかしながらただ正直のみでも困る。
智恵が働かなくてはいけない。
常識的判断がよい。
自分の国家とか階級だけ良くするのは善いように見えて真ではない。
それは小さい真であるから突きつめれば真でなくなってしまう。
どうしても人類愛を本として判断しなくてはならない。 」
明主様御垂示 「愛世界精神」 (昭和26年10月8日)
「昨日はラジオで、愛国の討論会があったですね。
新しき愛国とか、なにかそんなようなので、以前の愛国・・・終戦前の愛国とは違うとか、こういう愛国でなければいけないとか、いろんなことを言ってましたがね。
ああいうのに「世界人たれ」というのを読ませてやりたい。
愛国精神というが、愛世界精神なら良いですがね。」
明主様御垂示 「大和魂ではなく世界魂たるべき」 (昭和24年10月23日)
信者の質問
「本当の大和魂はどういう心でしょうか。」
明主様御垂示
「今迄本当の大和魂はなかった。これから出来る。大いに和すると書く。
それなのに戦争をするがこれは大いに争う魂である。
やはり各国に魂があり、アメリカにはアメリカ魂、ドイツにはドイツ魂がある。
今迄の大和魂では危険である。これはあまりに・・・。
武士道など、権力者がその地位を維持するために作った。
親子一世、夫婦二世、主従三世といい、主従は一番関係の深い事にしている。
君の馬前に死すなどという。それは一生食わしてもらっているから当然の理屈はある。そこに偉さも何にもない。
寧ろ仇討などは悪い。循環的でしかも仇討のために一生を終る。
それは殺人の犯罪を犯すために一生を棒にふる訳で、こんな間違った事はない。
仇討思想をなくさねば平和にならぬ。それを最高の道徳のごとく思わされた。
国でも同様で、そういう事に利用されたのが大和魂で、鼓舞激励させられるために利用された。
忠臣蔵や楠木正成、吉田松陰など私は嫌った。あまりに馬鹿馬鹿しい。
楠木などいいが、結果において非常に悪い。結果は既に分っている。
忠義としても智慧の足りない忠義である。
これからは世界魂でなくてはならぬ。今迄は日本の通貨と同じようなものである。世界共通でなくては・・・。」
明主様御垂示 「神の愛は人類全部、禽獣虫魚にまで及ぶ」 (昭和23年12月18日)
信者の質問
「神の愛についてお伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「神の愛は絶対愛です。
人間の愛は小さいが神の愛は大きい。・・・
人間の愛の中で自分だけよければよいというのは利己愛であり一番小さなものです。
それから少し大きくなって夫婦、子供など家族愛になり、もう少し大きくなると一族一党に対する愛になるが、
ふつういいと言われるのはこの程度で、さらにもう少し広くなると他人のためを考え、その次は自分の階級を考える。
共産主義者が下層階級だけよくしようとして中・上層階級を攻撃するのはこれであり、やはり限定された愛です。
次は一国に対する愛で戦争犯罪者はそれです。
彼らは日本だけよくなれば中国人、朝鮮人はどうなってもいいと考えるもので、
戦時中に言われた「忠君」も同様であり、これもまた限定された愛です。
これに対して神の愛は人類全部・・・人類だけでなく、獣や虫けらまでよくしてやろうとするのです。
神様にもいろいろ階級があるから国家だけの小さい神はやはり限られた愛になるのです。
従って私のは人類愛だから無限に大きい。
だから目安をそこへおいてみれば、あとのことは小さくなってしまうのです。
それにはまず利己愛を次にすることが大切です。
自分が天国に救われたいというようなことは後まわしにすることです。
他の人を救わんとすればかえって自分が救われるのです。
そこが難しいところで、ふつうは「自分は大きな愛だ」と思っている間に小さくなってしまっているのです。」
明主様御垂示 「人類全部が救われるように祈願すべき」 (昭和25年4月3日)
信者の質問
「他の教会に負けずに発展するように祈願いたすことはいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「これは少しケチくさいですね。
この道は世界を救うんだから、他の教会も発展し、自分のほうも発展するように祈ることが本当ですよ。
負けずに発展しようってのはいい意味の競争だけど、しかしまだ小さいですね、小乗ですよ。
だからそれよりかも、この教団全部が発展して人類全部が救われるように祈願すべきですよ。
他の教会なんか目に入らないくらいになるのが本当ですね。
どうも日本人の悪い癖としてケチな根性があるんですね。
例えば、どうか日本がよくなりますようにってのは悪くはないけど、やっぱり小さいでしょ。
日本だけよくなればって気持ちから今度の大戦が起きたんですからね。
もっと大きく世界人類を救おうと念願すべきですね。
以前、大本時代に「どうか自分は天国に救われたい」って言う人がありましたがね。
その人に対して私は「自分はちっとも天国に救われたいとは思わない。
むしろ一人でも多くの人を天国に救って上げられますようにと願ってる。
そのためには、たとえ私は地獄へおちてもいい」って言ったことがありましたがね。
人間はどうしても自分を主にし、自分のことにとらわれてしまうんです。
勿論ぜんぜんとらわれないってことはできないけど、自分にとらわれてはいけないんだってことを知ってれば、目先がきき腹が大きくなるんです。
そして腹の大きい人のほうがどうしたって大きく発展しますね。
小さい人はやっぱり駄目ですよ。」
明主様御垂示 「布教も世界主義の精神でゆくべき」
信者の質問
「教導所の発展するのとしないのとの根本原因と、大いに発展して御奉仕の出来る道を御諭し下さい。」
明主様御垂示
「これはいろいろあるが、根本としては極く簡単なんで、その人の目的というか、心の持ち方というか、それが大きい方が発展する。
以前、冠句で「泡くって持ってるものを探してる」というのがあったが、正にそうである。
皆それぞれ持ってる心に原因がある。
治療時代に、私は、治療士(今の教導師)には治療屋と治療士とあって、治療をして安楽に食っていればいいというのは治療屋であり、大いに多くの人を助けなくてはならぬという愛の気持で従事するものを治療士といった。
世界人類を救わなくてはならぬという考えでやってる人は、その人の教導所はドンドン発展してゆくし、小成に安んずる人はいい加減な所で発展が止っている。
要するに世界人類を救うという気持の薄い人は発展が鈍い訳となる。
中にはそんな事は到底出来ないと思ってる人もある。
しかし、この教団は世界人類を救う力を持っているのである。
そして五六七の世は造らねばならぬし、また造り得る時期になっているし、また明主様(私)はそれを造るべき力を与えられている。
だから決してこれを危うんだり、心配する必要はないのである。
真理というものは、世界人類がみんな救われるものでなくては本当のものではないのである。
日本は忠君愛国思想のごときものを真理と思っていた時があったが、それは国家的利己主義で日本さえ良ければ他国はどうなってもよいという思想で、これじゃ神様が許される筈はない。
そういうやり方は一時的のものであって、永久的のものではない。小乗的である。
世界中の人が全部救われるというものでなくてはいけない。
でないと、虐げられた国民は皆怨む。世界的大きいものでなくてはいけない。」
「自観大先生との対談」より (昭和24年5月30日発行)
記者の発言
「宗教による平和運動について御所見いかん。」
明主様御発言
「日本だけよくなってもしようがない。
世界全体がよくならなければならない。
そのためには宗教的に、霊的に、世界の人々の心がつながれねばならない。
私の念願しているのはこの世界平和の大理想にほかならない。
観音教の宗教活動も、いわば世界平和運動の一環とも言えるのである。
その行動の第一歩はまず日本の大浄霊である。
悪霊を除いて清新溌剌たる誠心を喚起せねばならない。
そのために私は日夜救世に身を砕いているのである。」