悪による損失について
明主様御教え 「悪の追放」 (昭和23年9月5日発行)
「悪とは何ぞや、言うまでもなく自己の利益のために他人を脅かし、苦しめ、社会を毒する行ないをいうのである。
この悪のために、個人はもとより、社会全般に損害を与える事は、けだし大なるものがあろう。
人事百般大なり小なり悪による被害者たらざる者は一人もあるまい。
たとえてみれば、盗賊を防ぐために空気の流通悪しきまでに窓を小さくし、厳重なる戸締りをなし、
暑熱の候といえども入口や窓を閉め切りにし、外出をする際も留守に番人をおかねばならず、
またうまい話を持ちこんでくれば詐欺ではないかと警戒し、何事も疑いの眼をもってみなければならず、
近所においての強窃盗の噂、新聞の記事等を見ては、夜も枕を高くして寝るあたわず、暗夜の一人歩き、特に婦女子の場合等は危険この上もない。
汽車電車に乗ればスリに注意せねばならず、また使用人の中にもずるい奴があり、商店なれば万引の警戒に眼を放せない。
これら数えあげればほとんどずるい奴に取り囲まれているようなもので、到底安心して生活出来得ないのが社会の現状である。
まだそれどころではない。伜や娘が年頃になれば誘惑の危険や、妻女にしてみれば、主人の遊興や二号などの心配、
また主人にしてみれば、妻女の貞操の不安、事業上予期しない悪の被害等もあり、警察裁判所等の防犯機関に要する国費の少なからざること、
商店会社等における店員や、社員に対する防悪手段として堅牢なる土蔵を造り、金庫を設置し、
必要以上の帳簿、伝票、受取等をつくり、一々の捺印等、それらに要する多数の人員や、
工場における原料窃取の警戒、製品の蔵出しの際や、金銭の払出等に対する不正の防止、製品の不合格、怠業や悪質ストの防止、
また資本家の度を超えたる利潤獲得等々も、悪が原因になっていないものはないのである。
また役人の「五セル」も、今日はほとんど公然と行なわれているということである。
学校に入学するにも、金銭の高によって成功不成功があるやに聞いている。
官庁の許可も、裏面工作をしなければいつになってもおりてこないとの話である。
その他、各方面にわたって公正が行なわれることは、すこぶる寥々(りょうりょう)たるありさまで、
世をあげて闇、ヤミ、暗によらなければ生存さえ不可能と思うほどの実情は、誰も知るところであろう。
このようにみてくるとこの世の中を善と悪とに立て別ける時、善より悪のほうが何倍多いか判らないであろう。
故に悪のための被害や損害、不安等数えあげれば、個人及び社会が蒙る損失は、いかに莫大であるか、計算はでき得ないほどであろう。
故に文化の進歩も、新日本の建設も、悪の多寡によって決定さるべきことはもちろんである。
ここにおいて私は思う。
あらゆる問題も、成功不成功も善悪の量によることで、この意味において為政者も、教育者も、知識人も、世をあげて悪を減滅することに専念すべきで、それ以外に良法のないことを、私は断言して憚らないのである。
しからば、その良法とは何ぞや。言うまでもなく正しき信仰である。」
明主様御教え 「悪の世の中」 (昭和27年9月17日発行)
「現在世界のどの民族もそうだが、戦争と病気の不安、思想問題、経済難等、何や彼やで苦しみ抜いているのは、誰も知る通りであるが、ここではまず日本の一々についてかいてみよう。
その中での大きな悩みである経済難からかいてみるが、政府は固より、民間においての経済的行詰りは事新しく言うまでもないが、この原因についてはほとんど誰も気が付かないところにある。
それは言わずと知れた悪の影響である。
まず政府事業であるが、これは官吏の悪の観念が大いに災いしている。
もし官吏諸君が出来るだけ悪を避けるとしたらどうであろう。
一切の支出は国民の血と汗で納めた税金である事を考えるから、無駄な金など費う気になれないし、また執務時間の浪費も慎むから大いに能率も上り、役人の数も今日の半分くらいで充分間に合うだろう。
しかも誠意をもって事に当る以上、万事スムーズにゆき国民の気受もよく、今日のように役人を恐れたり、軽蔑したりするような風潮はなくなるであろうし、親しみ深く尊敬も受けるようになるのはもちろんである。
その上御馳走(ごちそう)等の暗い面などもなくなるから汚職問題なども起らず、安心して委せられる。
としたら調査監督の必要もなく、裁判問題も起らないから、国家経済上どのくらいプラスになるか分らない程であろう。
また個人的にも御馳走酒の飲過ぎや、無意味な不衛生もないから健康も増し、生活も豊かに家庭円満となるのはもちろんである。
その他政府事業に付物の裏面運動もなくなるから、総てが非常に安価となり、この点の利益も予想外なものがあろう。
以上並べた事だけでも実現が出来たとしたら、政府の予算は今の半分でも余るくらいで、税金も大減額となるから、国民はどんなに喜ぶかしれない。
次に民間の事業会社にしてもそうである。
従業員全部が悪の精神から脱却出来ればどうなるであろう。
何事も誠意をもって仕事に当る以上、対外的にはコンミッションや御馳走政略、運動費等の支出もなく、掛引や誤魔化し等も極く稀になろうし、取引は円滑となり、余計な暇もかからず、気持よく商売が出来ると共に、
生産も増すからコストも低くなるので大いに捌(さば)け、殊に輸出方面は世界無敵となるであろう。
しかも最も喜ぶべきは今日のごとき労資の軋轢(あつれき)は影を没し、円満協調、和気藹々(あいあい)として楽しみながら生産に当る以上、
能率は素晴しくよくなり、その結果収入も大いに増し、生活の心配など消し飛んでしまうだろう。
そのような社会となったら、金庫番も要らず、帳簿にしても、今のように二重三重などの面倒もなくなるし、
五人も六人もの税務官史が毎日のように不快な交渉の必要もなく、一人か二人で二、三時間話合えば事済みとなろうから、双方の利益も大きなものであろう。
そんな訳で万事能率がよくなり、勤務時間も今より半分くらいで済むばかりか、儲けも多いから慰安設備なども充分に出来、生活の楽しみは今とは比べものにならないであろう。
また重役や幹部にしても社員の面従腹背などの不愉快は消えてしまうから、気持よく明朗となり、事業の繁栄は請合である。
次に政治の面を見てみると、これはまたいかに巧妙な悪が行われているかは、誰も知る通りで、心から国家本位、人民本位など考えている役人も党員も寥々(りょうりょう)たるものであろう。
なるほど国家人民の利益も考えない事もあるまいが、利己的観念が強く、何事も自己本位、自党本位であるのは事実がよく示している。
そうして反対党の意見となると是が非でも必ず反対する。全く反対せんがための反対で、その見苦しさは御話にならないが、今日は当然のようになっている。
また議場での反対党に対する弥次、暴言、喧燥等も浅間しいばかりか、果ては腕力沙汰にまでの醜態で、丸でナラズ者の喧嘩を見るようである。
ところで総選挙も一カ月後に決定したが、これについてもいささかかいてみよう。
今日まで大部分の議員は公明選挙ではなく、金銭や情実のためがほとんどであろうから、前記のような逆選良が多いのである。
従って民主日本となった今度こそ恥しからぬ人物を出したいものである。
もっとも今度は公明選挙などといって、大分自覚したようだから今までよりはよくなるであろうと思う。
政治面はこのくらいにしておいて、次は一般社会を見てみよう。
知っての通りどこもかしこも悪ならざるはなしの現状で、どこの家庭をのぞいても大抵は夫婦は固より、親子、兄弟の争い、朋輩同志のいがみ合いなどお定りで、円満な家庭はまことに少ない現状である。
その他親戚知人などとの仲違(なかたが)い、裁判沙汰等もよく聞く話であるが、近来流行の親身の殺傷沙汰に至っては、情ないのを通り越して、恐ろしい気がする。
その他空巣、掻払(かっぱらい)、強窃盗、詐欺、横領、万引、掏摸(スリ)、タカリなども毎日の新聞を賑わしている。
ザットかいただけでこのくらいであるから、世の中の悪ときたら底なしの泥沼のようなものであろう。
要するに今の世の中は、お釈迦さんの唱えた通りの苦の娑婆には違いないが、
その苦を生む因はことごとく悪であるから、現代は悪による被害者ばかりの社会といっても過言ではなかろう。
全く一日といえども安心して生活出来る人は万人に一人もあるまい。
その中で不安の一番大きなものは、何といっても病気である。
いくら泥棒が怖いといっても、戸締さえ厳重にすればまず防げるし、貧乏も健康で働きさえすれば解決出来るし、
処世上充分注意をしていれば、裁判沙汰などもまず起さずに済むが、ただ病気と戦争だけは今のところ絶対不可抗力である。
しかしこれも深く検討してみると、悪から発生したものである以上、帰するところ一切の災いは悪が因である以上、これを除くのは宗教より外にない事は余りに明らかである。
ところが世の識者たる者これが分っているのか分っていないのか、吾らには判断がつき兼ねるが、どんなものであろう。」
明主様御教え 「若しもこの世界から「悪」がなくなったら」 (昭和28年2月25日発行)
「およそ人間一切の不幸の原因を突きつめてみると、ことごとく悪にあることは今更いうまでもないが、
そこでも私はこの世界からもし悪が無くなるとしたらという仮定の下に、想像してかいてみたのである。
それはまず第一病人がなくなることで、誰も彼も健康に恵まれ、仕事を休むようなことはなくなってしまう。
いつもいう通り病人の出来る原因は医学の誤りにあるので、いわば善意の罪悪であるから、結果からいえばやはり悪に属するわけである。
なるほど昔から医は仁術なりといって、人の命を助ける立派な善の仕事と思っているのであるが、実はそれは大なる錯覚でしかないのである。
従ってこのことがハッキリ分り、是正されるとしたら、ここに病無き世界が出来るのは当然で、
人間は年中張切って働けるから、貧乏も争いもなくなり、幸福な家庭、平和な社会となるのは間違いないのである。
というとまるで牡丹餅(ぼたもち)で頬ペタを叩かれたようなうますぎる話だが、ここに困ることがある。
というのはそうなるまでには一時的ではあるが、
病気に関係ある一切の施設も機械も不要となり、
人的には医師も看護婦も、それに付随する製薬関係者を始め、各方面の従業者ことごとくは失業するから、この解決が容易ならぬ問題である。
しかしこの結果国家国民に及ぼす永遠な利益を考えたら、何としても我慢しない訳にはゆかないであろう。
その暁(あかつき)人間病気の心配がなくなるとしたら、現在のようにヤレ風邪を引くな、冷えるな、食物に注意しろ、栄養が肝腎だ、外出から帰ったら含嗽(うがい)をしろ、食前には手を洗え、衛生に注意しろ、黴菌を防止しろなどという面倒なことは一切なくなり、
人間は何ら心配なく、伸び伸びとして多人数の中でも、空気の悪い所でも薄着でも平気の平左(へいざ)で、いとも朗らかに生きていられるので、これこそ本当の自由人の生活である。
しかも毎月の生活費中医療費がなくなるだけでも、どんなに楽になるか知れないであろう。
また各家の戸締も要らず、汽車や電車に乗っても、掏摸(すり)や置引の心配もなく至極気楽な旅となるであろうし、
また金借りが来ても返すに決っているから、余裕さえあれば快く貸してやるから双方気持がいいのはもちろんであり、
何の取引でも判証文や受取なども要らないから、手数も省け苦情や裁判沙汰なども起りようがなくなるし、
家族一同健康であるから物質は豊かで、和気藹々たる家庭となり、家族連れの物見遊山なども大いに楽しみとなろう。
主人は主人で大酒を飲んだり外泊したりしないから、妻君の心配もなく、家庭争議など昔の夢と消えてしまう。
また子供も親に見習うから教えなくとも親孝行をするし、
こうなっては民主主義も封建思想もヘチマもあったものではない。そんな面倒臭いことは忘れてしまうからである。
それから警察や裁判所は、今の十分の一で事足りるであろう。
というのは悪といえどもそう早くなくなるわけにもゆくまいから、ヤハリある程度の争いや犯罪者も出るには出るであろうが、
今日のそれとは比較にならない程少なくなり、ほとんどは軽犯罪くらいで済むであろう。
しかも警察官も裁判官も、今日のような面目や感情などにこだわることなく、至極公平に裁くと共に、
被告も嘘や誤魔化しをいわないから、弁護士の必要もなくなり、簡単に迅速に運ぶのはもちろん、
贈収賄などもなくなるから、官公吏、会社員、学校教員なども、何ら気が咎めることなく、いつも明朗であるから、仕事の能率は上り、今までの何分の一の時間で片付くであろう。
ここで最も大きな幸は、戦争がなくなることである。
戦争こそ最大なる悪であるから、これがなくなるとしたら、世界はあらゆる面における好変は想像もつかない程大きなものがあろう。
第一各国民の経済的負担は今より何分の一に減るであろうから、いやでも人間は幸福となり、住みよい社会となるのはもちろんである。
以上悪のなくなった世界をかいてみたのであるが、まだ少しかき残したことがあるからかいてみるが、まず何よりも一切の労力が何分の一に減ることである。
考えるまでもなく、今日の社会は悪による労力の無駄は誰も気付かないが、実は大変なものであろう。
従って悪が一割減ったとしても、国家はそれだけ楽になる。
今年の政府予算九千九百六十億というのであるから、一割減っただけでも約一千億はプラスになるわけで、
その割で税金も減ることになるから税金地獄からも救われるであろうし、
その上二割となり、三割となるとしたら、金も物資もあり余って、人間は今までの半分以下の働きで充分であるから、
まず一日三時間働けば済むことになろう。
そこで後の時間はそれぞれ自己の趣味や勉強の時間に当てればいいので、
ここに初めて人間としての生甲斐ある人生となり、文字通り鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の世の中となる以上、
至る所壮麗なる大建築が出来、華麗な劇場やあらゆる娯楽機関の発達は固より、
百花爛漫たるパラダイス、山水を取入れた大国立公園や植物園、特殊の私的庭園等々も続々出来るのはもちろん、
半公園式街路も方々に出来、交通機関の発達と相まって、人間旅行の楽しみは今日の何倍となるであろうし、
壮麗な美術の殿堂は、各国競って設けることになるから、文化の光は地上に漲(みなぎ)るであろう。
そうして人間は健康と肉体美増進のためと、競争意識を満足させるため等でスポーツは益々旺(さか)んになり、大グランドは各地に設置されるであろう。
以上のごとき世界となるとしたら人間は今日のごとく機械的に扱われることなく、自己意識のままに働くからむしろ楽しみとさえなるのである。
また食生活においてもその進歩は素晴しく、豊富なる食料と調理の進歩と相まって、一般人民の食生活は現在とは比較にならない程改善されるであろう。
まずザットかいただけでこのくらいであるが、これを読む人はなるほどそうなったら結構には違いないが、
それは単なる夢であって、実現の可能性はあるわけがないから、絵にかいた御馳走にすぎないというかも知れないが、私はその可能を断言するのである。
それには前記のごとく悪の絶滅が根本条件であるから問題はそれ次第である。
ところがそれこそ今や正に来たらんとする最後の審判であって、これによって悪は全く追放されるのである。
ただそうなるまでには一大難関があるので、それを突破してこそ真の幸福者となるのである。
その救いとして現われたのが我 メシヤ教であるから、本教こそ幸福の門を開く鍵である。」
明主様御講話 「悪による損失」 (昭和27年7月27日)
「お医者が病気を作るということは始終言ってますが、これはあらゆる方面がそうなってます。
そういったような間違ったこと、そういうことのその根本は悪です。
ですからどうしても悪というものを、つまりなくしなければならないわけです。
で、この悪というものは、いろんな方面に現われてますが、今悪の根本を書いたのですが、世の中のいろんな人間の苦しみというものは、およそその因は悪です。
あんまり悪が多過ぎるために、割合人間は気易くなる。
ところがよく考えてみると、とにかく薬がいろいろな病気を作るということは、立派な悪です。
ところがこういうものは、やっている人が善と信じて悪を行なうのですから、これが始末が悪いのです。
人をやっつけたり、泥棒したり暴力を振るったりするのは、これは実際分かりきった悪ですが、こういった善と信じて行なう悪が一番恐ろしいのです。
医学は善と信じて行なう悪ですし、今の役人は善の仮面を被って悪を行なう。要するに法律を悪用してやるのです。
ですから法律の目的は善なのですから、つまり善を悪に利用するのです。そういう悪です。
政治でも、破防法案・・・これは悪を善が取り締まるというわけですが、しかしこれも大いに反対がありました。
なんだというと、反対の方にも悪いのと良いのとあります。
共産主義の方の活動の方は、これは悪の方であるし、また善の方は、治安維持法みたいに官憲の方で悪用して、罪なき人民を苦しめるということがあっては困るという反対です。
ですから反対の方にも善悪があるのです。
というのは、昔、治安維持法なんかで、大いに悪に利用するということを、人民は大いに経験させられているために、スラスラと行かなかった。
そういうことは、なにかというと、みんな悪です。
もし悪というものがなかったら、世の中は簡単な良い世の中になります。
やれ食い物が足りない。不景気だとか、働いても働いても食えないということは、その根本はみんな悪です。
肥料によって米が穫れないということも、これはつまり悪を善と信じてやっているわけです。
それを分からせようと思って、われわれは骨を折っているのです。
そうしていろんな・・・税金が高いとかなんとか言う。
政府で、金のいる・・・歳出なんかでも、悪による歳出の方がずっと多いのです。
大体、今伝染病が非常にはやる。それを防止するために・・・一人赤痢が出るとかいっても、それに対する係が何人いるか分からないし、で、そのために自動車で行くとか消毒するとか、いろんなことを言って、たいへんなものです。
ですから結核が増えるというと、療養所を作らなければならない。
ベッドを作り、いろんな施設から予防とかいろんなことをする。
これはなんだというと、元は悪を善と信じてやっている結果ですから、やっぱり因は悪です。
そういった・・・警察制度とか裁判所、社会施設・・・そういういろんな・・・数えあげたらきりがないが、不幸な人間ができる。
社会事業とか未亡人問題だとかいろいろあります。それ相応の結果苦しみが出る。
そういう・・・戦争の結果は、その因は悪です。
人の国を占領するとか掠奪するとか、そういった悪が因でできたものです。
悪による人間の被害と苦しみは、細かく勘定したらたいへんなものです。
もし悪というものが、半分に減り三分の一に減るとしたら、税金だってそれ相当に減ります。
だから悪をなくするということは、どうしても宗教でなければならないのです。
悪というのは心の問題ですから、心の問題を解決するには、これはやはり信仰より他にないのです。
これは、理屈はそうだが、ただ力のないところの信仰、お説教のようなものでは・・・それはないよりはましだが、とても悪の方が力が強くて、それをやっつけることはとうていできない。
だからいろいろな機関や組織はうまくできているのですが、それを悪が利用するから、どうしても悪というものを減らす・・・ぜんぜんなくすということより他にないのです。
ところがそれに気がつきそうなものだが、あんがいそういうことに気がつかない。気がつかないはずです。
その、気がつくべき人の中にやっぱり悪があるから、やっぱり都合が悪い。
それで悪というものはしようがないと諦めているのです。
諦めているというのは、なにかというと、あらゆる宗教が諦めている。
で、今まではどうしても善の方が悪にかなわない。
そういうことをこれから書いていこうと思って、最初の所をちょっと書いておいた。
(御論文「天国建設と悪の追放」発表)」
明主様御講話 「国家の浪費」 (昭和10年8月1日)
「本当の人間の行いで、そこまで人間は行くべきもの、発達すべきもので、そこまで行くのは、今までの道徳など教えなければならぬ。
伊都能売に至って本当に人間としての行いができる。
今日文化とか文明とかいうけれど、実はまだまだ四ツ足から離れていない。
いまの人間は警察や軍隊などなかったら、どうなるでしょう。
泥棒、強盗、殺人などで、とうてい生きて行かれぬ。
そこを考えると、まだ人間でない。
サーベルだの捕縄のようなもので取り巻かれていなかったら、悪いことをする。
それが怖さに悪いことをしない状態で、みんな本当でない。
そんなものなくても悪いことしない人もありますが、悪いことをしようとする人がずっと多い。
人間の眼に見えぬ所でごまかそうとする人が、どのくらいあるか判らぬ。
立派に学問した人で、宗教をやってる僧侶にしても、ごまかして、臭いことしようとする人がどのくらいあるか判らぬ。
政治家などの立派な人でも、ちょっとしらべると疑獄など必ずある。
こういう人達が日本の国家を犠牲にする。
なんとなれば、官吏など賄賂をとる。
役所などに物を入れるにも、すべて品物に対し賄賂がつき、品物はそのため賄賂の分も入ってる。
百円につく品物も二百円くらいのも同じよう高くなってる。
おのれの賄賂のために商品の物価を高くしている。
人間はもっと立派でなければならぬ。
最近こういう話を聞いた。
市役所だけを狙っている脅喝の偉い奴がある。
それは十年間に三十万円もとったという。
市会議員など大名旅行をするのをつけてゆく。そしてその土地へ行く。
そしてドンチャン騒ぎなどしてるのを写真に撮る。
東京へ帰るとその写真を見せて、いくら金をよこすかということになる。
それでそうとう金を出す。子分などたくさん使っているでしょう。
そういうふうに市会議員など襲って、大口になると一遍に五千円くらいもとった。
そうして、妾を五人くらいもち、自家用の自動車を持っているそうであります。
これだけをもっても、いかに市役所だけでも不正が行なわれているかが判る。
東京の市役所では年々赤字で、年々富が減って行くのは、不正なことが赤字になって行くわけです。
これが社会の上層に立ってる人達で、こういう人間をわれわれと同じ仲間とすればいい。
われわれの仲間へ入れて人間らしくしなければならぬということになる。
でありますから、今日、国家が二、三年前から毎年八億くらいの赤字が出ている。
なぜ赤字が出たかというと、これを観音様から知らされたんですが、
これだけ国家の人が不正なことをしていることになるんで、
国家の財政はいるだけは必ず上がることになっている。
官庁など十人ですむ仕事でも、二十人も三十人も使っている。
そんなにいらない自動車を買って乗ったり、すべてそういう人達のやってる経費を約す・・・そういうことをやめれば赤字はなくなる。
軍器を造るにもコミッションなど闇から闇へ行く金、それに奥がある。
気がつかぬのか、それを言う人はない。
いま、いいことを言ったり、いいことをしたりすると危いから、よほどうまく書かねばならぬと思う。
日本は毎年輸入超過ですが、これほど日本商品が出て輸入超過とはおかしい。
ドイツとか他国のものはしかたないが、今日これだけ発展しているにかかわらず、輸入超過とは不思議であります。
これも観音様のお知らせによると、今日国民は不経済している。
もったいないことをしている。
労力を惜しんでる。もっと産業開発しなければならぬ。
国民の怠惰、あるいは好きすっぽう贅沢なことしてるのや、あらゆるいっさいの不正がこれだけ輸入超過するわけで、
そういう無駄がなければ、輸出は超過することになります。
農民としても今日の農民は苦しむのが当然で、以前の農民と今日の農民とを比べてみると判るんですが、今日の農民は自転車を持っている。
そして電気を使っている。肥料も金を出して買う。
農民の食物は非常によくなっている。
至る所にカフェーがあり、紅茶屋など、どんな僻地でもできている。
こういうことはみな浪費になっている。
それで売る品物もそれほど高く売れぬ。
好景気の時代の贅沢の癖がやまず借金する。
そして、その利子に苦しむことになる。
それはどうしても苦しむに決まってる。
そういう点がすべて、貿易のバランスがとれぬことになる。
それほど身分はなくとも、やたらに子供に高等教育を受けさす。
日本は特にそれがはなはだしい。
英国の大学生は非常に暢気だという。
それは富豪の子弟ばかりで豊かだから暢気なんで、英国などは中流くらいの家では大学までやらない。
日本ではやたらに高等教育を受けさす。
そのために立派な人になる者が少ない。高等遊民がたくさんできる。
これは国家からいうとたいへんな不経済です。
大学にいるときはなにもできぬ。
大学を出てもなんら生産的なことができない。
学校にいるうちはいろいろの洋書も読むんで、どうしても一万円くらいはいる。
それだけ国家の浪費になっている。
あまりにも学問を崇拝しすぎた点、これももっと訂正して、ちょうどいいくらいにならなければならぬ。
そう考えると、あらゆる方面が間違いになっていて、未だ人間社会と思えぬ半獣半人というのが文化人と思う。
少なくとも法律刑法がなく、ほっぽらかしておいても人の見ない所で不正をやらぬという世界にして、初めて人間の世界になると思う。」
明主様御垂示 「日本には国家公務員が多すぎる」
「近頃の青年は天皇を拝むか、マルクスを拝むかであるが、天皇は既になくなった。
それで焼糞になっている。それに生活苦が襲いかかっている。
今の政府は、規則の改正とか変更とかが多すぎる。これは役所が多過ぎるためで、役人が退屈するから規則を作る。
政治は自然でなくてはならぬ。
インフレ抑制の規則を作るとインフレは益々悪化する。
規則を作ったらまず一年位そのままにしておくべきである。
といって規則も一ぺんに廃止すると、労働争議など起るから、まず他に仕事を与える用意が必要である。」