汚職問題について


明主様御教え 「汚職の母体」 (昭和29年3月3日発行)

「周知のごとく昨今次から次へと、芋蔓(いもづる)式に出てくる汚職事件には、誰しもウンザリするであろう。

恐らくこんなに汚職問題が一度に重なり合った事は、未だ嘗(かつ)て例がないように思う。

もちろん司直の厳正な裁きによって、いずれは白黒判明するであろうが、それだけで済まされないところにこの問題の重要性がある。

というのは今回のそれは別としても、昔から年中行事のようになっているこのスキャンダルは、現われただけを裁いても、根本的解決とはならない以上、どうしても徹底的根絶をしなければならないのである。

ちょうどゴミ溜に蛆(うじ)が湧くようなものであるから、そのゴミ溜の清掃であって、これ以外根本的解決はないと共に、国民も大いに要望しているに違いあるまい。

ただ困る事にはその原因である急所が分っていない事である。


ではその急所とは何であるかというと、それこそインテリ族の最も嫌いな有神思想であって、

実は汚職問題といえどもその発生の母体は有神思想とは反対の無神思想であるから始末が悪いのである。

言うまでもなく無神思想とは、ズルイ事をしても人の眼にさえ触れなければ済むとする怪(け)しからん考え方であって、

しかも人智の進む程それが益々巧妙になると共に、出世の第一条件とさえ思われている今日である。

これを実際に当てはめてみると、そうはいかないのが不思議である。

なぜかというとなるほど一時は巧くいったようでも、早晩必ず化の皮が剥(は)がれるのは今度の事件をみてもよく分る。

しかしながら彼らといえどもある程度は分っているであろうが、根本的観念がこの世に神は無いと固く信じている以上、

心の底から分らないため、たとえ今度のような結果になっても、真に悔い改める事の出来る人は果して何人あるであろうか、疑わしいもので、

大部分の人々はこうなったのはやり方がまずかったからだ、智慧が足りなかったためだ、

だからこの次の機会には一層巧くやって、絶対引掛らないようにしてみようと思うであろうが、これが無神族としての当然な考え方であろう。

従ってこの根性骨を徹底的に叩き直すには、どうしても宗教によって有神観念を培(つちか)う事で、それより外に効果ある方法は絶対ない。


しかも今日以上のような無神族が上に立っている限り、官界も事業界も古池と同様、腐れ水に溝泥(どぶどろ)や塵芥(ちりあくた)が堆積しているようなもので、

どこを突ついても鼻持ならぬメタンガスがブクブク浮いてくるように、今度の事件の経路をみてもそう思われる。

故に今まで分っただけでも、あるいは氷山の一角かも知れないが、これが国家に及ぼす損害や国民の迷惑は少々ではあるまい。

それどころか国民思想に及ぼす影響もまた軽視出来ないものがあろう。

言うまでもなく上層階級の人々は、陰ではあんな悪い事をして贅沢三昧に耽り、政党や政治家などが湯水のようにバラまく金も、みんな国民の血や汗の税金から生み出すとしたら、真面目に働くのは嫌になってしまうであろう。

従ってお偉方が口でどんなに立派な事をいっても、もう騙されてたまるものかという気になり、今までの尊敬は軽蔑と変り、国家観念は薄くなり、社会機構も緩む事になるから、これが国運に及ぼすマイナスは予想外であると思う。


以上によってみてもこの問題の根本は最初にかいたごとく無神思想のためであるから、何よりもこの思想絶滅こそ解決の鍵である。

それには何といっても宗教家の活動によって、神の実在を認識させる事であって、たとえ人の眼はごまかし得ても、神の眼はごまかし得ないとする固い信念を植付ける事である。

そうなれば汚職事件など薬にしたくも起りようがあるまい。

そうして今度の事件の立役者は、高等教育を受けた錚々(そうそう)たる人ばかりで、地位、名望、智慧など申し分ないであろうが、なぜアンナ事をしたかという疑問である。

これこそ無神思想のためであるとしたら、この点教育、学問と道義感とは別である事が分る。

そうしてこのような立派な人達が精一杯巧妙に企(たくら)んでやった事だから、知れる訳はなさそうなものだが、

蟻の一穴(いっけつ)で、ちょっとした隙からそれからそれへと拡がって大問題となったのであるから、どうみても神の裁きとしか思えないのである。


ここで今一つ重要な事は、日本は法治国といって誇っているが、よく考えてみると、これは飛んでもない間違いである。

何となれば法のみで取締るとしたら、法さえ巧く潜れば罪を免れ得て、悪い奴程得になる訳である。

というように法という檻で抑える訳だから、人間も獣扱いであり、万物の霊長様も哀れ片無しである。

これが文化国家としたら文化は泣くであろう。

私は常に現代は半文明半野蛮時代と言っているが、これを否定出来る人は恐らく一人もあるまい。

またこれについての一例であるが、今仮に目の前に財布が落ちているとする。

誰も見ていないとしたら、普通の人なら懐へ入れるであろうが、断じて入れない人こそ神の実在を信じているからである。

ところがこういう人を作る役目が宗教であるが、これとに対して当局もジャーナリストもはなはだ冷淡で、宗教を以って無用の長物視しているかのように、ともすればインチキ迷信扱いで、民衆を近寄らないようにする態度は実に不可解である。

これでは無神思想の味方となり、汚職問題発生の有力な原因でもあろう。


如上(じょじょう)の意味において、為政者はこの際豁然(かつぜん)として心眼を開き善処されん事である。

でなければこの忌わしい問題は、いつになっても根絶するはずもなく、これが国家の進運を阻害するのいかにはなはだしいかは言うまでもあるまい。

ところでこれを読んでも例の通り馬耳東風見過ごすとしたら、いずれは臍(ほぞ)を噛む時の来ないと誰か言い得るであろう。

そうして今日国家が教育その他の機関を盛んにして、人智の開発、人心の改善に努力しているが、

肝腎な無神思想を根絶しない限り笊水(ざるみず)式で、せっかく得た智識も善より悪の方に役立たせるのは当然であるから、その愚及ぶべからずである。

何よりも文化の進むに従い智能犯が増えるという傾向が、それをよく物語っている。

あえて世の識者に警告するゆえんである。」




明主様御教え 「再び汚職の母体」 (昭和29年3月10日発行)

「この題の下に前号に色々かいたが、まだ言い足りない点があるので、再びかいてみようと思うのである。

というのは目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、

各新聞に出ているのを見ると、もっともらしい理屈はかいているが、その実平々凡々、何ら新味はなく、

その言うところ相も変らず法規上こういう点を改めよとか、罰則を一層重くしろとか、選挙に金がかかりすぎるからだとかであって、

そのいずれもが的外れであり、これなら確実に効果あると思うような案は一つもない事である。

何しろ唯物観念が土台となっている以上、これより外に考えようがないからであろうが、

このような方策を何遍繰返したとて駄目なのは、すでに試験済となっている。

何よりも肝腎な無神思想を度外しての方法である以上、気の毒ながら徒労以外の何物でもあるまい。


ここで一層突進んでこの問題を解剖してみるが、

分り易くいえばこのスキャンダルはちょうど動物の智能が進み、法の檻を破ろうとしたのを番人に見つけられ、ついに大問題となったのである。

そこでこれを見たジャーナリストはこれは大変と今までよりも一層頑丈に、容易に壊されないようにと、

その作り方を工夫して教え、注意を与えたのが昨今の新聞論評であろう。

それやこれやを考えてみると全く文化国家としての一大恥辱ではないかと思う。

もちろんこの根本は全然見当違いである事はすでに述べた通りであって、原因は檻ではない。

檻を破ろうとする動物的本能にあるのである。

従ってその本能を抜いてしまえば、檻を必要としない真の人間になるのは当然であり、この役目としての宗教である。


以上を読んだら随分酷い言い方と憤慨するかも知れないが、これが真理である以上何人も否定は出来ないであろう。

つまり問題の核心は人間の魂にあるのであるから、この向上こそ真の解決法であり、これ以外にない事はもちろんである。

ここで今一つのたとえをかいてみるが、有神観念と無神観念と両方並べて、どちらの方が政界を腐敗させるかという事で、これ程明白な話はあるまい。

ところが遺憾ながら日本の指導階級のほとんどは、無神族で占められている以上、汚職問題や社会悪が絶えないのは致し方ないのである。


これについての例をアメリカにとってみよう。

すなわち同国におけるこの種の事件もたまにはあるが、日本と比べたら問題にならない程少いのは誰も知るであろう。

また社会批判の厳しい事も同様であるから、実に羨しい限りである。

その原因こそ同国におけるキリスト教のためであって、

これについて近頃私の所へ時々訪問されるアメリカ各社の特派記者にしても、

談たまたま信仰問題に触れるや、驚く程適切な質問や意見を吐かれる事で、

その信仰に対する理解や、神に対する敬虔な念は驚く程で、私はいつも敬服させられるのである。

同国政界の明朗な事や、政治家に対する人民の信頼感などにみてもなるほどと頷かれる。

これに比べると日本のそれは、アメリカに比べたら少くとも半世紀は遅れているであろう。

いつぞやマ元師が日本を十二歳の子供と評したのも宜(むべ)なるかなである。


という訳で失礼ながら日本のジャーナリスト諸君も、大いに発奮の必要ありと思うのである。

それは今度のスキャンダルに対する日本新聞の論調がよくそれを語っている。

というのは神の言葉など一言半句もない事である。

故にこの問題が、もしアメリカで起ったとしたら、どんなに物凄い輿(よ)論が捲起ったか知れないと思うのである。


これらによってみても日本文化の低さもそうだが、特にジャーナリストの無神観念が大いに原因している事も否とは言えまい。

何よりも今日の社会を見れば分るごとく、官公吏の汚職、一般的社会悪、政界の腐敗、派閥争い、労資の軋轢(あつれき)、危険思想、経済難、生活不安等々、数え上げれば限りがない。

もちろん一切は原因があって結果がありとすれば、その原因こそ無神思想であるのは言うまでもない。

しかも右の原因のそのまた原因がある事も知らねばならない。

すなわち無神思想をして有神思想に導くだけの力ある宗教は日本にない事である。

そこへゆくとアメリカはキリスト教一本で都合がいいが、日本は八宗九宗その種類の多い事も世界に例がない程である。

それというのも国民全体をリードする程の偉大なる宗教が出なかったからではある。

ではそのような立派な宗教はこれからも出ないかというと、決して左に非ずと私は言う。

それは今や現われんとする超宗教である。故にジャーナリスト諸君は炬眼(きょがん)を開いて、この宗教を見出されん事であって、

必ずや発見されると共に、あるいはキリスト教以上かも知れなのである。」




明主様御教え 「疑獄も浄化作用なり」 (昭和29年3月17日発行)

「標題のごとく今度の汚職問題にしても、病気と同様一種の浄化作用である。

信者は知る通り病気の原因は、溜りに溜った薬毒がある程度に達するや、ここに浄化作用が起り、その汚物排泄の苦痛であるから、

病気を除くには原因である薬毒を排除し、それと共に新しく入れないようにする事であって、

これが汚職問題と同様の理である。

故に被告に溜っている汚物排除の苦痛が裁判沙汰である。

ただ異うところは病は体的苦痛であり、事件は精神的苦痛である。


これについては大体かいたから、今度は別の角度から批判してみようと思うのである。

それはこの事件に限らず、あらゆる疑獄問題でもそうだが、これを根絶するとしたら、あえて難かしい事はない、誠に簡単である。

今日ただ今からでもその気になれば、効果百パーセントはもちろんである。

ところが孔子の言われたごとく“言うは易く行いは難し”で、実際上中々容易ではないのである。

要するにこの世に神が有るが無しがが問題の鍵である。

そこでよく考えてみて貰いたい事は、もしもこの世に神が無いとしたら、ズルイ事をするだけ得になるから、

たとえ国家に損害を与えても人々を苦しめても、法にさえ引っ掛らなければいいとして、出来るだけやる事になる。

つまり自分さえよければ他人はどうなってもいいとする利己的観念で金を儲け出世をする。

今日こういう人間が到る所にノサバっており、これが利口者とされているのであるから厄介な世の中である。

従ってその反対である正義や道徳など黴臭い事をいう真面目な人間は、たとえ儲け話や出世の道を聞かされても、ビクビクもので手を出さないから、

馬鹿か意気地なしに見られ、せっかくの運も逃してしまい、年中下積みになって碌(ろく)な生活も出来ないのである。

というように、今の世の中で偉いとか成功者とかいわれる程の人間は、三角流で腕もあるから、たちまち伸(の)して一角の地位を得られる。

またそれを見た野心家は俺でも出来ない事はないと思い、そのイミテーションも続々出来る有様である。

従って今度の事件にしても、手繰(たぐ)れば手繰る程いくらでも出てくるので、そういう人間がいかに多いかが分るのである。


そこで考えてみて貰いたい事は、どんなに巧妙にやっても虚偽は虚偽であるから、いつかは暴露しないはずはない。

というのはさきにもかいたごとく、人間の眼は塞げても神の眼を塞ぐ事は出来ないからである。

ところがそこに気が付かないのが無神亡者である。

それを今想像してみるとこうであろう。

俺は随分巧くやったつもりだが今度という今度は失敗した。

今まで随分危いところを切抜けて来たので大いに自信はもっていたが、到頭駄目だった。

実に残念だが仕方がない。そこでこの事件だけは何とか罪の軽くなるよう骨折ると共に巧くいって有耶無耶(うやむや)にでもなればもっけの幸いと思っているであろうが、そうは問屋で卸さない。

なぜなれば神様の御眼は厳然と光っているからである。

ところで反対派の側にしてもポチポチであろう。

いよいよ時が来たとばかり何とかして内閣瓦解にまでこぎつけなければならないと、

あの手この手の策略を考えているので、ここ当分は双方智慧比べといったところであろう。


ここでぜひ言いたい事は、最早そういう嘘はやめて、国家人民本位に心の底から悔改める事である。

何となれば神は正義に組するものであるからである。

ところがこれを読んでなるほどと感心はするであろうが、直に切替えられる人は果して何人あるであろうか、怪しいものであろう。

しかしこれは御説教ではない、事実が示している。

それは彼らが随分一生懸命にやったつもりでも、今回のように水の泡となり、骨折損の草臥(くたび)れ儲けとなってしまった事である。

しかも揚句の果てに社会的信用は落ち、仕事はやり難くなるばかりか、しばらくの間泣かず飛ばずで、手を拱(こまね)いて時を待つより仕方ないであろう。

もちろん起訴は免れまいし、いずれはヤレ公判、ヤレ証拠集め、ヤレ弁論等々、弁護料や雑費だけで相当な支出となり、オマケに無収入と来ては、その苦しみはお察しする。
しかもこの種の事件は案外長引くもので、恐らく数年はかかるとみねばなるまい。

その間毎日憂鬱な日が続くのであるから全くやりきれない事は、私の経験によってもよく分る。

それもこれも無神主義のための神罰であるから、往生するより仕方がない。

こうなった以上大低な人は目が覚めるであろう。

それは因果律の法則にある事である。

それは何事でも最初から有神観念を以って進んだとしたら、

すべては順調にゆき、苦しみはなく、楽しみつつ成功出来るから

天下は泰平、世間の信用は厚く、地位も向上するという訳で、

信仰抜きに算盤(そろばん)からいっても、そのプラスたるや予想外であるのは断言する。


これについても思い出されるのは、私が若い頃の政治家である。

その頃正義の士も幾人かはいたが、そういう人達は自己の利益など顧みず、国家本意によって断乎(だんこ)として正義を貫いたもので、

自然 社会の尊敬も大きかったのである。

当時毎日新聞社長島田三郎氏、足尾の鉱毒問題で有名な田中正造氏、万年議員の尾崎行雄氏などもその組であった。

しかしこの種の人は数は少いが、議会内の空気を清浄にした功績は、今でも忘れられないのである。

ところが知らるるごとく今日の政界と来たら、そういう人はほとんどないといっていい。

大部分の人は利口者で融通が利き、綱渡りや官界遊泳術の達人等が多く、政界の寂しさは誰も同じであろう。

というように今日最も不足しているものは、千万人といえども吾征かんの硬骨漢である。

しかもそういう人物こそ神から愛せられるから守護も厚く、失敗などあろうはずがない。

これについては今までの宗教にも罪がある。

というのは正直や正義は自分だけ守ればいいとしている一種の自己愛である。

その結果国家社会における不正不義なども見て見ない振りをしているかのようで、何事に対しても無抵抗主義的である。

この点私は大いに間違っていると思うのは、そういう消極的考え方であればこそ、社会悪はいつになっても減らないので、

これでは宗教の理想たる地上天国はいつになっても出来るはずはあるまい。

この意味において私は昔から悪に屈せず、随分悪と戦って来たものである。

しかし一時は負ける事はあっても、最後には必ず勝つ。

これは名前は発表出来ないが、社会的知名人や、財力、権力のある人達とも戦って来たが、一度も負けた事はない。

いつも正義を立(たて)通して来たのである。

もちろん神は善であり正義である以上、神が味方するからである。

従って私の過去は悪との戦いの歴史であり、勝利者でもある。

ところが一般人特に宗教家は、得てして悪に抗する事を好まない傾向がある。

そのため悪を許容する訳になるから、言わば善意の罪悪である。

これでは世の中は良くなるはずがなく、悪人は益々増長し、善人は虐げられ、頭が上らない事になろう。

それはとにかく、最後は至公至平な神の裁きによって、悪は厳しい愛の鞭が加えられるのはもちろんであるから、一日も早く改心されん事を望むのである。」




明主様御講話 「汚職問題について」 (昭和26年12月11日)

「それから、話は違うけれど、一昨日・・・日曜の日に、ラジオの放送討論会ですね。

この間、朝日講堂で三日の日に、汚職官吏は何故後を絶たないかというような題で・・・演説した人は、岡崎官房長官と阿部真之介、臘山(ろうやま)政道・・・この三人が担任者になって喋りましたが、色々な・・・根本はどうだ。

何だかんだ・・・色々な事を話し合って・・・質問も相当ありましたがね。

それで、結局において、つまり道義の低下と言う結論になったんですね。

道義の低下・・・道義心の低下、それはどうすれば良いかと言うと、法律・・・法規をもっと厳重にしろとか、刑罰をきびしくしろというようなことを話し合っていたですね。

ところが、法規を厳重にしろなんて事は、今までに幾度となくやっているんですからね。

また、法規と言うのは、出した当座だけは馬鹿にきびしくても、段々時が経つに従って、グラグラになっちゃうですね。

また、それを狙って、また悪い事をする。それは、何よりも・・・熱海は忘年会の申し込みは一つもないですね。

東京の花柳界なんかも、昨今非常にさびしいのだそうですが、と言うのは何しろ、今は問題がやかましくなって煩わしいから、当分慎んでいた方が良い、と言うので行かなくなったんですね。

ところが、ほとぼりの冷めるまでは、行かない方が良いと言うわけで、ほとぼりが冷めれば、段々元の木阿弥になっちゃう。

だから、道義心の低下はどこに原因があるという事は、全然・・・宗教とか神とかに結びつけるのは、一人もないですからね。

だから問題なんです。


さっき読んだように・・・この間の「無神迷信」と今日の「悪はなぜ暴露するか」という事を書いたんですがね。

中々、こういう事を読ましたって・・・それでも、幾らかは・・・人によっては、これも理屈だなと言う人も、無論あるに違いないと思いますからね。

出来るだけ読ませようと思っている。

この論文なんかでも、最高裁判所、特審局、法務庁・・・そういう所にも送るつもりですがね。

何しろ今言う犯罪と言い、医学と言い、農業と言い、実に間違った事をやっているんですよ。

それで世の中が悪いとか、何だかんだ皆苦しんだりやっているんですが、実に我々から見れば滑稽なような、可哀想なような・・・悲喜劇ですね。

いたる所に悲喜劇が出ている。

だから、これを救うには、どうしても宗教よりない。

そうかと言って、ただ宗教でやればよいかと言うと、恐らく他の宗教で本当にそれを解決する力のあるものは、恐らくないだろうと思うね。

だから、どうしてもメシヤ教がやらなければならない。

そのために神様が私に力を与えられ、色々な事を知らされるんですからね。

結局解決はつくんですが、そこでつまり、神は在るかないか、神が在るという事を知らせれば良い。

神が在るという事を知らせるには、神が在る事を見せれば良い。

見せると言う宗教が何しろないからね。

私の方では・・・「神を見せる宗教」と言うのを書いたんですがね。

(御論文「神を見せる宗教」)」




明主様御講話 「汚職問題の原因は無神思想」 (昭和29年2月15日)

「次に今騒がれているのは汚職問題ですが、これについて書いてみました。

これは無神連中とすれば、汚職問題が出るのがあたりまえです。

神様がないとすれば、できるだけずるいことをして、自分が贅沢したり出世したほうが得です。

私でも、もし神様がないと知ったらそういうふうにします。

その方が得です。ところが神様を知ったらそういうことはできないので、損です。やっぱり神様の言われるとおりやっている方が得ですから・・・。

信仰を算盤上からゆくようですが、それでも結構です。結局人間は算盤上からゆけば一番よいのです。一番間違いないです。

日本が戦争に負けたのも、つまり算盤の失敗です。実に算盤上からいって合わないことをやったのです。

しかし、算盤と言うとたいへん卑しく聞こえますが、神様の方でも算盤です。

つまり大中小と比べて、やっぱり神様は大の方に一番力を入れるのです。

ちょうど医学や薬が悪いと言ってますが、それがために失業したりして苦しむ人よりも、病気がなくなって健康になる人がずっと多いですから、多数の人の方の利益を図った方がよいわけです。

「小の虫を殺して大の虫を助ける」というわけで、これもやっぱり算盤です。


(御論文 「汚職の母体」)

これは新しいお説教ですが、汚職問題などで騒いでいるのは滑稽なくらいです。

それで、汚職問題の原因は無神思想に決まっているのですから、その無神思想を少しもやっつけないで、結果である汚職だけを騒いでいるのです。

これを十二世紀ぐらいになったら、二十世紀の奴らはなんて馬鹿だったろうと・・・ちょうどわれわれが徳川時代の封建時代のことを見るのと同じような感じがするだろうと思います。

今よく歌舞伎芝居などを見ても、屁のようなことで腹を切ったりしてますが、ナンテ馬鹿馬鹿しいことかと思います。

しかしその時分はそれが立派な忠臣として讃美されたわけです。

ですから汚職問題も、もう五十年か百年たつと、やっぱりそれと同じように見られると思います。」




明主様御講話 「政治、経済の腐敗の原因は無神思想」 (昭和29年2月16日)

(御論文 「汚職の母体」)

汚職問題というのは、今度知れただけではホンの氷山の一角で、これをホジクリ出したらたいへんな騒ぎになります。

昨日私はある人に会ったのですが、聞いてみると、一番最初ヤリ玉に上げられたのは山下汽船ですが、これが本当に拡がってゆくと、商船も郵船もやられてしまうわけです。

そうなったらたいへんだし、それからもう一つ、前の池田蔵相などが喚問されることになっていてゴテゴテして、さっぱりラチがあかないのですが、あれについても聞いてみますと、池田が喚問されると、どうしても重光に火がつくのだそうです。

そういえば最初改進党がいばって、大いにやるらしかったが、急に腰がくだけてしまったのです。

それでいま改進党は、その点はまるっきり自由党と同じようになってしまったのです。

自由党と了解し合ったようなことになってしまったのです。それは重光が危ないからです。

そうすると、この問題が拡がると政治家の親玉が片っ端からやられてしまうことになります。

そこで政府は非常に困って、これをなんとか骨抜きにして、グジャグジャにしてしまおうと思っているのです。

そこで社会党の方はそうはさせまいとして、だいぶ活動しているようですが、しかしこれは社会党は数が少ないですから、とうてい形勢を挽回することはできないですが、

しかしこういうことについては、さっき社会党を悪く言ったようなものだが、また良い働きもしているわけです。


政治界と経済界というのは、まったく腐りきっているのですが、この根本原因というものは、やっぱり無神思想です。

神はないというだけの話なのです。神がないとすればそうやるのが本当です。

私でも、神がないということを本当に知れば、できるだけずるく、うまいことをして出世をしようとします・・・出世をするかどうかは分からないが・・・。

ところが神様を知ってしまった限り、これはどうしようもないです。良いことをするよりないです。

それで、同じ良いことをするなら、できるだけ大きく良いことをする、つまり世界的良いことをするという、それがメシヤ教になったわけです。

そういうわけで、なんとしても、問題は神があるかないかという、それだけの話です。

ところが神があるかないかということを教えるのが宗教ですが、宗教と言ってもいろいろありますが、本当にしっかりした、そういう神様を認めさせる力ある宗教は、大いに援助するのが本当です。

ところがそういう宗教の本当の面が分からない点がありますが、分からないということは、本当に調査研究しないから分からないので、そういうことをしないで、頭から「宗教なんて迷信だ、いけない」と決めているわけです。

そうすると、悪いことをした方が得だということになりますから、悪いことをすることになるのです。

どんな偉い人でも、教育がある人でも、それを認めない限りそうします。

ただ偉い人は上手にやる、引っかからないようにやるというだけのものです。

それが天下の政権を握るというわけです。今天下の巨頭にしても、ただ引っかからないようにやるという、上手で智恵があるだけです。

それだけの智恵があれば、国際関係においてもうまくゆくでしょう。

ですから今の世の中としてはそういう人も必要は必要だが、ただそういう人が多いと世の中がうまくゆかないわけです。

うまくゆかないと人民が苦しむというわけで、日本などがうまくゆかない・・・とにかく現在としても金がなくなってしまって、どうしても緊縮政策をしなくてはならない、不景気になってしまうわけです。


その点においてはアメリカの方がずっと唯心思想が多いです。

それはなにがなんでも、日曜に教会に行くとか、あるいは日常でも神様ということを非常に口にしてます。

私はときどきアメリカのジャーナリストに会いますが、そういう点は実に日本人とはこうも違うかと思うくらいです。

ですからアメリカ人に宗教の話をすると、実によく分かるのです。特に私の話には共鳴するのです。私も先の話には大いに共鳴します。

日本はそう急にはなかなか思うようにはゆかないが、とにかくもう少し神様があるという有神思想がなくてはいけないと思います。

それによってどのくらい世の中の汚れを防ぐか、つまり浄まるわけです。

そうすれば一切がもっとずっとうまくゆくわけです。


今ストライキなどたくさん起こるが、これは共産党の手下ばかりでなく、幹部とか指導者的の人がやっているので、多くの人は食えないからです。

物価は上がるし、生活には困るとすれば、それによって悪い思想を注ぎ込まれるのだから・・・。

しかし生活が楽になれば変な誘惑には引っかからないというわけです。

その点においてアメリカは非常に日本の経済を助けるという態度に出てます。

昨日の新聞などにも、今度一億ドルの軍需物資を注文するということですが、これは確実のようです。

そういうわけで、とにかく日本人に、なんとかしてもっと神様の実在を信じさせることが一番肝腎です。」




明主様御講話 「汚職問題の原因は無神思想」 (昭和29年2月26日)

「今一番の問題は汚職問題です。

とにかく後から後から社会的にそうとう有力な人たちが引張られる・・・まだまだもっと大物が引張られそうなことが出てますが、

なかなか、自由党の方で防ごうと思っても防ぎきれないようなことになるのではないかと思います。

どうも問題はもっといっそう大きくなるのではないかと思うけれども、そういう偉い人たちの様子を見ると、あべこべをやっているのです。

これが本当から言えば、正直に「こうこういう悪いことをした、申し訳ない」と言って出ればよいのですが、それだけの勇気のある人は、おそらく今の世の中にはないと思います。

どこまでも、どうしたらうまくごまかせるかということを一生懸命にやっているわけです。

というのは、つまり「神が有る」ということを信じないからです。

だから人間の目さえごまかせば、うまくゆくと思っているのです。それについて書いてみました。

(御論文 「疑獄も浄化作用なり」)」




明主様御講話 「汚職問題も浄化作用」 (昭和29年2月27日)

「今の一番の問題は汚職問題ですが、今までにこんなに一度にいろんな種類の汚職が出たことはないでしょう。汚職インフレです。

それについて書いてみました。この前書いたのとはまた違う見方で書いてみました。

(御論文「再び汚職の母体」)


汚職問題も浄化作用ですが、おまけに霊界がだんだん明るくなるにつれて、ああいう問題が発見されやすくなるのです。それを書いてみました。

(御論文「疑獄も浄化作用なり」)


こういうようなわけで、綱をたぐってゆくといくらでも出てくるのです。

ですから造船問題にしても、全部と言ってよいと思うのです。

つまり言うと、腐った水に虫がわくようなもので、全体が腐っているからしていくらでも虫がわいている、それから、後から後からわくのです。

だから今いろんな世論を聞いてみても ー二、三日前の晩のラジオで町の声を街頭録音で聞きましたがー

みんな憤慨したり、それから新聞などにも出てますが、「こうしなければいけない」と言ったところで、結局肝腎な「神」というものを認めない限りなんにもならないのです。

人間は神を認めて、神様が見通しだということを知ればそれでよいのです。他のことは別に必要ないです。

それが、ややこしい、「ああしろ、こうしろ」と言っているだけでは、なんにもならないです。

肝腎な「神が有る」ということを唱える人は本当にないのです。

そういうことを言うのはメシヤ教だけなくらいでしょう。

他の宗教でもそういうことは言っていませんから・・・。

ですから九分九厘と一厘の仕組みと言いますが、世の中全体は九分九厘の腐り水みたいなものです。

そうしてメシヤ教が一厘でだんだん浄めてゆくわけです。

そこで神様は私に、それを浄められるだけの力を与えているわけです。

だから随分思いきったことを言いますが、それは言うだけの自信がこっちにあるから言うので、随分ひどいことを言いやがると言って突っ込もうと思っても突っ込めないのです。

それは、こればかりでなく、ふだんから医学のことも随分ひどいことを言ってますが、なにか突っ込んで来る人があれば結構だと思って待っているが、そういうのはないです。

突っ込めるような人があるとすれば、その人は気違いか、さもなければ、ものほど知らずというような人だろうと思います。

ですからこのメシヤ教なるものは、たいへんな存在ということになります。

今のところは一般に分からないでしょうが、だんだん分かってくれば、文明は引っ繰り返ります。

大本教のお筆先に「今度は手の平を返すぞよ」とありますが、ちょうど手の平を返したようになります。

つまり、こっちが本当だと思って一生懸命になっているのが、こう(反対)なってしまうのですから、今まで考えていたことが、ぜんぜん反対になってしまうのです。

信者さんはみんな手の平が返った人です。その目で見ると世の中の間違っていることが実によく分かります。

ですから私は前に「愚かなる者よ、汝の名は悪人なり」と言ったことがありますが、今のいろんな汚職問題などで苦しんでいる人を見ると、実に愚かというよりかやっぱり「超愚」の方です。それがよく分かります。」




明主様御垂示 「政治家の宗教心の欠落が疑獄の原因」 (昭和24年1月2日)

信者の質問
「総選挙を前にして各党の宣伝盛なるも相当警戒を要すべき内容を感ぜられます。

国家的に危機を叫ぶ際、国民の選挙に対する中心観念をどこに置くべきでしょうか。」


明主様御垂示
「本当に清廉潔白な人はない。もしありとすれば政治家になれない。

ただ上手にやるか、下手にするかの違いだと思う。

今は五当二落である。そういう金は普通じゃ手に入らぬ。

財産税隠匿か何かせぬ人は、日本に数名しかいないであろう。

必ず不当な所得者に違いない。清廉なら、代議士にも大臣にもなれぬ。

そういう事で出来上っている日本の政治界であるから、政党などには希望はもてぬ。

今の吉田内閣など正道を履んでいるからいいとしなくてはならぬ。

社会党や民主党は、その点面白くない。

吉田が出るのが本当なのに、無理押しに芦田がなった。

という事は金を使って口を塞いだりなどする。その金が祟って小菅行きとなった。

政界は本当の歩みをしていない。一日も早く政治家に信仰心を培いたいと思う。


政治家の宗教心、日本にはこれが一番必要だと思う。

アメリカ、イギリスなどは不正は全然ない。疑獄は起らぬ。それは宗教のためである。

アメリカの政治家は殆ど宗教家である。マ元帥の宣言など殆ど宗教的見方である。戦犯者に対する意見や見解など宗教的である。

トルーマン、デューイなども皆クリスチャンである。

日本の政治家には殆ど宗教心がないといってもいい。

キリスト教でも何でもいい。もっと宗教心あるものにならなくてはいけない。といって今の神主や僧では駄目である。

それで政治家が宗教心を起すべき活動を起したい。

しかしうっかりすると問題になる。政治家に接近して宗教心を起させようとしたが駄目であった。外の方法で行きたいと思う。

彼等は宗教団体を利用しようとする。土建などでは問題を起した。

民主党など天理教へ多く行った。天理教などそれを利用した。

教団では知名の士を利用しない。偉い人など宣伝に利用するのは、その宗教に力がないからである。」




明主様御垂示 「比例代表制のほうが本当」 (昭和23年11月18日)

信者の質問
「政治家の資金獲得のための不正が次々暴露されておりますが、現段階においてはそれほど責むべきことではないと存じますがいかがでございましょうか?」


明主様御垂示
「それはね、今日二合五勺の配給だが、どうしても五勺は足りない。

足りない分はどうしてもヤミで買わねばならない。

だからヤミの売り手もなければならないんです。

もし配給通りに守ってては腹が減って仕事はできませんよ。

これがいまの政治の実際です。これと同じに代議士になるのだって十万や二十万の金では駄目で、どうしても百万、二百万なければ当選できない。

当選できなければ自己の信ずる経綸を行うわけには行かない。

ところがそんな大金を持っている人はたんとない。

金持ちから出してもらうとしても、このせちがらい世の中にただで金をくれる人なんかありはしない。

そこで必ずなんらかの権利が伴うのです。

権利が伴えば検察庁に上げられるというわけです。

故にいいとか悪いとかは言えませんね。」


信者の質問
「大乗、小乗の立場から見たらいかがでございましょうか?」

明主様御垂示
「当てはまりませんね。ふつうの大小乗ではなく別のほうですね。

だから神様に許されるもなにもない、法律が許しませんよ。

いまは間違いが間違いを生む世の中です。

だから神様が正しい世にすべくお仕事を始められているのです。・・・

いいか悪いかと聞かれても、私としては自己を偽わらなければいい悪いは言えません。・・・

以前軍隊では、兵隊がいくら空腹で卒倒しそうでも命令がなければ、たとえ食糧を持っていても食べられなかった。

これは変な話で腹がすいたら食べたらいいのですよ。・・・

ヤミはいかんという規則を出している人もヤミの物を食っている世の中だからどういうふうに批評していいか判りませんね。

それが現実なんだから、そういうふうになっているんだから、・・・今度出す本にも書くのですが、代議士の選挙資金は一万円もあればたくさんです。

選挙も中選挙区にすればよいがそうすればポスターも演説会もいらない。

ただ政見を印刷すればよい。

ふつうの新聞紙なら一面十七段として六十八名分の政見がのせられる。

それを有権者に配り、有権者はその中の気に入ったのに投票すればよい。

アメリカは比例代表制だがそのほうが本当ですね。

第一そのほうが金がかからない・・・


代議士が選挙民に黙って他の党に入ったりするのも変ですが、まあたいていは金で動くんでしょうね。

内幕は権利、金だと私は見てます。・・・一番いけないのはいまの機構が悪いんです。

いまのでは正しい人は代議士にはなれない。・・・

いまはみんなヤミですね。

だからヤミで上げられるのはふしあわせか、やり方が下手なんですね。

まあ実際たいへんな世の中ですよ。

その点アメリカなんかうまく行ってるようですね。

いまさかんに大臣級の人が引っ張られるのは進駐軍の指令ですね。」




明主様御垂示 「五セル (役人は迷信家)」 (昭和23年10月12日)

信者の質問
「信仰雑話「悪の追放」(十四頁)に「また役人の『五セル』も今日は・・・」とあります。この「五セル」の意味を御説明願います。」


明主様御垂示
「飲ませる、掴ませる、威張らせる、勝たせる等・・・。」

(註 第二次世界大戦後は、汚職の数が戦前に比べてはるかに多くなり、汚職の「民主化」拡散が行われ、社用族(業者、企業側)と公用族(役人側)の癒着による贈収賄行為「飲まセル、食わセル、握らセル、威張らセル、抱かセル」の「五セル」などの流行語も生み出した。)