産制論について
明主様御教え 「亡国的産制論」 (昭和24年7月2日発行)
「私は産児制限について、本欄で二回論文を出したが、今回三度目の意見を開陳しようとするのである、
というのは産児制限がいかに恐るべき結果を招来するかを述べてみたいのである。
それはこういう訳である、産制論者の多くが唱えるところは、子供は二人ないし三人が適当としている、
ところがこれは恐るべき事で、もちろん二人であれば、夫婦が二人であるからトントンという事になり、
三人とすれば一人だけ殖える、すなわち五割殖える場合である、
だから二人は零、三人は五割で平均すれば二、三割の増加となる、
ところが子供は絶対死なないとすればそれでもいいが、事実は日本人の現在程度の子供の健康から言えば、
まず二、三割は必ずといいたい程死亡するとみなさなければならない、
特に日本の幼児死亡率は世界一とされており、
アメリカと比較すれば同国の三十倍の多数に上るというのであるから、実に驚くべき実状である、
そればかりではない、全然子供のない家庭も相当出来るであろうから、
二人ないし三人を標準にするとすればマイナスは当然で、
案外早く人口減少時代の来るのは火をみるよりも明らかである。
今一つ軽視出来ない事は、産制論者が常に言うところの優生的見地からの解決であるが、何ぞ知らんこれは事実とは逆である、
なぜなれば一人か二人の子供の場合、特に親は大切に育てるものであるから、
甘やかす結果坊ちゃんや嬢ちゃん的の甘い意気地なしの人間が出来るのは当然で、
それに引換え兄弟が多いとどうしても親の愛は届かない勝ちであるからすべて自分自身の力で事を処するという訳で、
自力的独立性の強い人間が出来る、というのは単なる理屈ではない、事実が証明している、
今私の手許にある実例ではあるがこれは終戦前手に入れたドイツの統計である、
それによればベートーベンとビスマルクが六人兄弟、モーツァルトが七人目の子、
ワグナーは九人目、シューベルトは十人目、彼のロベルト・コッホは十三人兄弟の一人という、
これらの実例をみても天才や偉人は多数兄弟の中から出るという鉄則は外国でも認められている。
また二人や三人の子供では、全部死亡するという場合も実際上あり得る訳であるから、
不幸な寂しい家庭が方々に出来るであろう、以上のように人口は減る、
優秀な人間は出来ないとすれば将来の日本はどうなるであろうか、実に寒心に堪えないのである、
ゆえに強いて産児制限をするとすれば、まず五人を限度とし、
それ以上を制限するとして五人以上の子持に限って産制を許可するという方針が適当であろう。
次に、今日急に産制問題が喧かましくなったその原因は、もちろん急激な人口増加からである、
すなわち昭和二十二年が百六十万人、二十三年が百七十万人という増加であるからあわて出したのも無理はないが、
私の見るところではこれは一時的であって、決して永く続くものではない、
それは終戦後外地からの多数の帰還兵が長い間夫婦愛に飢えていたために妊孕率(にんようりつ)が高かったからで、
すべて夫婦生活が間隔を置く場合、妊孕率の高いのは事実が示している、彼の海軍軍人や船員等に多産者の多い事である。
前述のごとく百六、七十万の人口増加に驚いているが、
戦争数年前は百二、三十万増加の年は度々あったので、それに比ぶれば今は二、三割の増加である、
しかしこれが一時的増加であるとしたら数年ならずして、
戦前の状態に復帰するのは決して誤りのない観方である、否むしろ私は復帰どころではない、
このままにしておいても人口増加停止あるいは減少時代が来るかも知れないと、予想するのである、
何となれば昭和十二、三年頃は百万台割ろうとする趨勢にあったからである、
ところが始末の悪い事は人口動態なるものは一度減少時代に入ると、その挽回は容易なものではない、それについて好適例を述べてみよう。
彼の英国が数十年以前から人口増勢の鈍化であって大英帝国ともいわれた国が、四千数百万ではどうにもならない、
これについては彼のチャーチル氏なども人口問題について随分絶叫したものだが、五千万を突破する事は今もって実現しない、
またフランスの人口減退は世界でも有名であり、
今日英国が世界一の地位を他に譲った真の原因は、人口の落勢にあった事は識者の異口同音に言うところである、
そのため英国の唯一の宝庫といわれた印度(インド)を手放した事も、
印度を管理するだけの兵士が足りなかったからといわれている。
これにおいて我日本を省みる時、軍備撤廃と共に、将来戦争による領土拡張などは想いもよらない事だが、
経済的、文化的に世界平和に貢献しようとしてもある程度の人口数を維持出来ない限り不可能であろう、
考えてもみるがいい、人口が減少するとしたら、国力は疲弊し、国民の意気は消沈し、
暗澹(あんたん)たる運命に陥らないと誰が言い得るであろう。
以上のごとくであるから現在行おうとしている産児制限のいかに誤っており
国民をして悲運のドン底に陥らしむる危険政策であるかは以上の事実によってみても明らかであろう。」
明主様御教え 「産制の愚」 (昭和24年8月20日発行)
「私は産制問題に就いて、この欄に三回出したが、未だ言い足りない点があるから、それを書いてみよう。
現在、日本は人口に対する食糧が足りないから、産制を奨励するというのだから、よく考えると、実に短見的である。
よしんば、今赤児が生まれるとする。
それが一人前になるには二十年を要するが、社会も世界も、今日の如き、目紛しい程の世相である以上、二十年先はどんな世界になるか、見当はつくまい。
否、五年先でさえ、夢にも思わない程の大きな変化が来るか分らない。
従って、今産制によって人口減少の方針を立てるとするも、数年先は人口増加の心配は要らない事になるかも分らないであろう。
と言って、以前の如き侵略によって領土を拡げるなどという間違った事は夢にも思われない。
従って、実際上平和的に人口問題解決の時代が来ないとは、誰が言い得るであろう。
例えば、今日米国の識者が唱える如き世界国家が実現するとしたら、
人口稠密の国家から、人口稀薄な土地へ移民を送るという、人口平均化方策が成立つかも分らない。
否、この方策が実現すべき可能性は充分ある。
何となれば、平和を破る原因としては、人口不平均の理由が多分にあるからである。
とすれば、産制論者はそれ等の点も大いに考慮に入れなければならないであろう。
そうして私の考えでは、世界国家は案外早く実現するかも知れないと思う。
その訳は、現在世界の脅威である米ソ問題が、和戦何れにせよ解決する暁は、次に来たるものは当然永遠なる平和時代の具現化で、ここに世界国家の誕生となるであろう。」
明主様御教え 「宗教からみた産制問題」 (昭和24年4月30日発行)
「近来、我国において産児制限問題がやかましく唱えられているが、
原因としてはもちろんこの四つの小さな島国に人口八千二百万というのだから、
これはどうしても何とかせざるを得ないという事である、ところが吾々宗教人として観る時、
現代有識者等の考え方が余りにも唯物的で、それ以外に一歩も出でないというのであるから困ったものである、これについて解説してみよう。
一体人間は何のためにこの世に生まれて来たかという事である、
この世界を構成している二十億の人類はその一人一人が生まれたいという意志の下に生まれて来たのではない、
無意識の間に女性の腹に宿り、無意識の裡に出産されたものである事に間違いはない、
そこで産出された嬰児が成人して、それぞれの業務に携わるのであるがその場合
個々人の賢愚、特質、優劣等の差別が自然に備わり、
社会構成に必要なそれ相応の職業にこれも自然に従事する事になるのである、
このようにして人類社会は原始時代から今日の絢爛(けんらん)たる文化時代にまで発展し来たったのである、
見よ大政治家になるもの、国会議員になるもの、教育者も芸術家も産業家も官吏も技師も労働者も、それぞれ専門的特性を備え、よく配分されている、
それがいつの時代でも一方に偏る事なく、洵(まこと)に普遍的であるのは不思議ではないか、
しかも優れた有能者は極少数であり、下級職業者に至る程ピラミッド型に数を増している、
これをたとえていえば植物にしても雑草類は到るところに繁茂しており優秀なる花卉類になる程その数が減っている、
樹木にしても杉、楢(なら)等のごとき一般的需要のものは多産であり、高級樹になるほどその数は少ない、
また金属にしても黄金のごとき貴金属は産額が極めて少なく、鉄、鉛、銅のごとき一般需要に必要なものほど多産であるにみても明らかである、
何よりも驚くべき事はいかなる時代においても人間の男女の数が大体半々である事である、
従って以上のような種々の自然現象を静かに観察する時そこに何を発見するであろうか、
ある人はこれを真理といい、またある人は自然といい、哲学者は宇宙意志の表現というであろう、
しかしながらこれだけでは単なる現象の説明にしか過ぎない、吾人はその内面に潜む神秘を突止めなければ満足出来ない、
しからばその神秘とは何ぞやという事を以下解いてみよう。
そもそも人類が棲息しているところのこの大地球といえどもその中心があり、
中心には主宰者すなわち支配者がなければならない、
それなら一体地球の支配者とは何者かという事であるが、
これが主の神すなわち天帝ともいい、エホバとも称えるところの絶対者であって、宇宙意志とはこの主神の意志である、
この主神の意志の下に、人類社会をして無限の発展を遂げしめつつあり、
未来はいかに善美なる人類社会が出現するか到底想像し得られないのである、
ただ未来世界の幾分かは想像し得られる、というのは何千何万年前の原始時代と、今日の文化と比べてその進歩の道程を振り返る時、その著るしい発展ぶりにおよその想像はつくはずである。
以上のごとき事実とその推理から判断する時こうなるであろう、
すなわちこの人類はもちろん森羅万象は、主神の意図の下に生成化育が行われているという事である、
そうとすれば人間の生死といえども主神の意図以外にあるはずはない、
とすればある地域に多数の人間が出産されるとしても、それを養うべき食糧に不足を生ずるはずがない、
もちろん餓死などというような事は夢にも想われない訳である、
この意味において人口がいかほど増加しても、その人口を保育するだけの食糧は必ずその土地に生産されるに定まっている、
もし不足を来すような事があるとすれば、それは生産手段のどこかに誤っている点があるからで、ただそれに気が付かないだけの事である、
仮に人間老幼婦女子をも合せて平均一人一年の米の量が一石とすれば八千二百万の人口に対し八千二百万石の収穫はあるべきはずである、
ところが肝腎の根本に気付かないため、逆に産児の方を制限するという逆理を行うのであるから、
天理に外れ神に対する大いなる罪人となるので、実に恐るべき事である、
ゆえに産児制限主唱者のごときは、唯物的無神論者の戯言に過ぎないと言ってもいいであろう。
以上のごとく全人口に対し、食糧不足というのは農耕法の誤りであるから、
私の唱導する無肥料栽培にすれば問題はないのである、それに盲目である結果、
有肥栽培に専念し来った結果が、今日日本の土地は非常に痩土化したのである、
しかるに私のいう無肥料栽培に転換すれば三割ないし五割の増収は易々たるもので本年の米の収穫高六千三百万石であるから三割増とすれば八千百九十万石となり、五割増とすれば九千四百五十万石となり、いとも簡単に問題は解決するのである、
ゆえにその場合耕地を増加する必要はない、
何となればそれは稲苗の一茎に対する米粒が増加するからである、
面白い事は数千年前は一茎の米粒は数十粒であったのが人口増加に伴い漸次増加し、今日のごとく普通百五十ないし三百粒くらいになったので、
先年記録を破った彼の滋賀県のある農家は四百数十粒が出来たとの事である、
これによってみても栽培法によっては現在の二倍くらいは可能である、
これを古老から徳川末期より明治初年頃は、今日より米粒が少数であった事を聞いた事がある、
これらによってみても全く人口に必要だけの食糧は神から与えられるという事で、決して疑う余地はないのである。
これは別の例であるが、よく受孕(じゅよう)者が結核その他の病弱のため人工流産をしなければ危険であるとなし、せっかくの妊娠を無に帰する事があるが、
私の解釈によれば、妊娠するという事は胎児が成育し無事出産出来るからであって、
もしその力がないとすれば初めから妊娠するはずがないーという見解から流産に反対し来ったのであるが、
事実そのため数十の実例中一人の失敗者もなかったのである、
神は出産力のない者に妊娠させるというような不手際に人間を造ったはずはない、
造物主は人間の考えるような浅薄鈍智ではない事を信ずべきである。
以上の意味によって、吾らは産児制限には大反対である事を、ここに言明するのである。」
明主様御教え 「産制問題の別の観方」 (昭和24年6月11日発行)
「今、日本が切実の問題として論議の的になっているものに産児制限問題がある、
いうまでもなくこの問題の動機は敗戦による国土狭隘(きょうあい)になった結果として、
八千万人口を養えるだけの食糧が二割ないし三割くらいが不足する、
といってそれだけの不足分を補えるだけの国土を拡張する事は、現在のところ不可能である以上
どうしても人口を減らすという消極政策をとるの止むなき事情にある事は明らかである、
しかしながらこれに対し、宗教的立場や人道的見解からの反対者も相当あるにはあるが、
科学的常識的見解からすれば、産制論の方が実際的であり、
政府もこれを採上げざるを得ない事は自然の成り行きであろう。
ここで吾らは産制法によらない積極的な別な方法を提案しようとするのである、
もっともこの方法は大戦前、独伊や日本の一部の識者が唱えられてはいたから知る人もあろうが、
吾らはこの説を一層徹底した、しかも最も平和的なものに改変した案を提供し当局者に向かって注意を促さんとするのである。
つくづくこの広い地球上を見渡してみれば人口の配分があまりにも不均衡である事実を認めない訳にはゆくまい、
アフリカ、アメリカ、アジヤ等の中に幾百哩(マイル)に及ぶ荒野は到るところに散在しているかと思えば、
日本のごとく指頭大の地域に八千万もの入口が稠密(ちゅうみつ)して、
人道に反する産児制限を行わなければならないという悲惨な事実は洵(まこと)に不公平ではあるまいかとさえ思われるのである、
この意味においてこの不公平を是正し、日本の人口を適宜に配分すべき方策を要求するとしても、あえて不当ではないと思わざるを得ないのである。
理屈からいえば、以上述べた事は決して不合理とは思われないが、ここに問題がある、
それは日本が過去におけるごとき侵略戦争が禍いし今もって世界各国は警戒の眼を放たない現状である、
したがって日本が人口問題の悩みにぶつかっている事を知っても容易に解決に乗出さないという事も無理のない訳である、
しからばこの難関を突破するにはどうしたらよいかを考えてみるに、
それにはまず日本人が平和愛好の民族である事を心の底から安心出来得るようにさせる以外に方法のない事はもちろんで、
断然この政策を実行すべきであろう、しからばその方法はいかなるものであるかを以下かいてみよう。
今、日本が侵略主義の徹底的排除と共に平和愛好国民たる事を力強く示すとしたら何よりも宗教によるより外にない事である、
宗教こそは世界共通の理念である以上、これに異議を唱えるものは自他共にあるまい、
といっても御座なり的や政策的に表面だけの贋信仰ではいけない、
そういう欺瞞(ぎまん)はいつかは化けの皮が顕われるに決っているからである、
どうしても根本政策としては一大宗教運動を起すのである、
もちろん宗派を問わない事で、ある宗派に限るとすれば、大多数の信仰者を短期間に得る事は困難だからである、
ただこういう事は言える、
例えばキリスト教信者は白人の領域に、仏教信者はアジヤ、神道信者はその他の領域に、というように別ける事も一つの方法であろう。
以上述べたように、宗教人でさえあれば、戦争観念や侵略思想のない事はもちろんで、いかなる民族とも協調和合なし得るであろう、
それによって日本人が世界的信用をかち得る事である、
そうしていよいよ実行の段になるとすれば、各宗団から厳重なる人選の下に適当の移民数を選抜し連合国当事者と協調して決めればいいであろう。
右の方法を立案して連合軍総司令部に提出、協賛を求めるのである、
ここで知らなければならない事は、欧米における有識者の間にも、日本の旺盛なる人口増加については至大なる関心を払っている事は疑いない事実であるから、
日本が前述のような人口政策を提唱するとしても何ら疑念を挿む事なく、
むしろ当然事として案外容易に受入れられるかも知れないと想うのである、
もちろん重大問題であるから、急速に成果は得られないであろうが、根強く繰返し運動するとすれば、いずれは有利な結果を得る事は期待し得るであろう。
あえて、右のごとき国策を、政治家や有識者に向かって問う次第である。」
明主様御垂示 「産児制限は無駄」 (昭和24年5月22日)
信者の質問
「木星、火星、土星、金星、水星は何か特別の意味のある星で御座居ましょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「すべて五行といって、木火土金水はあらゆるものの種類である。物質に多い。人間に必要な種類が分けてある。
星は天地の合せ鏡になっている。
天と地の星は映り合っている。
五つの物質の代表的なものが天にもある。それが五星である。
この親玉が太陽と月である。故に太陽と月の分れといってもいい。
いくら産児制限しても駄目で、無限に殖えつつある星が人間になるものであるからである。
地球の人口は十倍二十倍になっても大丈夫で、今に南極北極でも住めるようになる。」
明主様御垂示 「人類は無限に増える」
信者の質問
「流の原因・・・」
明主様御垂示
「海でも土の中でも流れがある。
人体でも血管が流れているように。
南極、北極の氷が流れ、水となって海へ流れる。
また川の流れも海へ注ぐ。それで海流が出来る。
気候の暖かい所は流れが速い。冷たい所は重い。
雨量の多少によって動きが変る。
海が段々に深くなるに従い、川の流れが海へ流れるのが早くなるのと、川が浅くなる。
川の元の元の雪も溶けてくる。そして海の水は殖える。
また、南北極は氷が段々溶けると、今に陸地が顕われ、家が建つようになる。
即ち地球は拡がるから、いくら人が殖えてもいい。
川の浅くなるのは割合い早い。
そして地球は段々固まる。
いずれは地殻の収縮がなくなる。これが理想である。
瀬戸内海や日本海は陥没で出来たもので、日本は固い所だけが残った。日本アルプスなどに行くと一つの岩石層になっている。
人類は無限にふえる。
但し、切替え淘汰はある。(何千年か何万年かに一回)」