選挙制度について


明主様御教え 「公明選挙について 1」 (昭和28年4月7日発行)

ズル族が多すぎる

「まだ半年経つか経たないうちに、またまた総選挙ときては、国民もやりきれたもんじゃない。

たった半年の間に、政府は、国民の信任が減ったかどうかを試してみるんだから、結局国民は試験台にされる訳だ。

この原因は、なんといっても、例の馬鹿野郎問題だろう。仮にも総理大臣たるものが、こんな野卑な言をはくのは怪しからんと、反対党の連中が、鬼の首でも取ったようにワイワイ騒ぎ立てた事と、

自由党は自由党で、按摩(あんま)の流儀じゃないが、内輪揉めは、吉田流でも始末がつかないと見え“エー面倒臭え、政権は解散だけのことさ”と脅したが、一向埒(らち)があかないので、とうとう引込みがつかず、解散総選挙となったわけだ。

こんどの総選挙の動機は、馬鹿野郎の一言なんだから、この馬鹿野郎の一言が政府を解散し、国民全部を動かすことになるから、政府を未だかつてない、大した馬鹿野郎と思うのはこの私ばかりではあるまい。

さて、ここで私がいいたいことはいわゆる公明選挙の看板の事だ。

前の選挙のとき、この看板を見たときこれははなはだ結構だ、この看板通り選挙をやってくれるなら、国全体が少しは良くなるだろうと思ったが、看板のなかった時よりも、更に悪いので全くアキレてしまった。

だから今度の選挙でも当(あて)にはならないから、まあただ見物をしているだけだ。こんなことをいうと、不思議に思うかも知れんが、つまり候補者も選挙民も、ズルイ奴が多すぎる。

このズル族の根性骨を叩き直さなきゃ駄目だ。

いくら新聞やラジオで面白くもない御説教をやっても効果がないし、街中大声で名前を怒鳴ったり、またチンドン屋式の大風呂敷宣伝をやってみたところで、うるさいだけの話で、なんにもなりゃしない。

こんな総選挙の方法だから、今いったズル族がばっこすることになる。

現ナマ御馳走攻めの魔薬で、善良な選挙民をナマコにする。」




明主様御教え 「公明選挙について 2」 (昭和28年4月8日発行)

食えない代物“運動員”お偉方には信心が足りぬ

「何故こんなことをするかというとズル族の根性は、麻薬を呑ましてもまた美味い汁を吸っても、巧くやりさえすれば、誰にも知れずに、済むと思うわけだ。

更にあの運動員と称する輩(やから)は酢でも蒟蒻(コンニャク)でも食えない代物なんだからまったく手に負えない。

こんな例はまだたくさんあるが、この汚いボロを隠すには、公明選挙の看板も、とんだところで役に立つらしい。

つまり肥桶(こえおけ)の蓋(ふた)になる訳だから、全くお臍(へそ)が茶を沸かすといいたい。

とにかく今の世の中は、人の目さえゴマ化せば、いいと思う小利口者が多いから、この料簡(りょうけん)にヤキを入れない限り、公明選挙も蜂の頭もない。

さてヤキを入れる急所はどこにあるかというとこの世の中には神様がチャンと御座るという事だ。

このことを肚の底に叩きこんでやると、たとえ人間の目はゴマ化せても、神様の目は御見通しだからゴマ化せないという事が、ハッキリ分るので、そこで始めて文字通り公明選挙となる。

こんな解りきった事さえ理解出来ないお偉方が、上に立って威張っているんだから“可哀想なのは正直末法の善人達”という次第で、

昔から上の好むところ、下これに習うという言葉通り上も下もろくでもない人間共が、ウヨウヨしているこの娑婆だから、

上は贈収賄、買収、ペテン、汚職等々、下は強盗、殺人、窃盗、詐欺、横領、空巣、掏摸(スリ)、万引など数え切れない程毎日の新聞を賑やかにしている。

しかもこれが氷山の一角なんだから唖然としてしまう。

これももとはといえば無神、迷信の為なんだからこれに気が付かない限り、公明選挙も口先だけの御題目になる。

最後に一ついいたい事がある。

アイゼンハウワー、トルーマン、マッカーサーなどの講演にしても、必ず神という言葉が入っている。

ついこの前、アイゼンハウワー大統領就任式の際、大統領が聖書の上に左手を載せて誓った光景を見た時、何ともいえない感に打たれた。

アメリカの繁栄と、平和維持のための、烈々たる気魄(きはく)はここから出たものに違いない。

とすれば少くとも、この人達は、神のあることを認めているわけだ。

これに比べ日本の御歴々は、いつの演説でも神の言葉など薬にしたくもいったことがない。

日本の政治家連も、神の言葉を口に出すようになれば、始めて公明選挙の実もあがるというものだ。」




明主様御教え 「選挙費用金一万円也」 (昭和24年3月1日発行)

「選挙といっても種々あるが、ここではまず代表ともいうべき国会議員の選挙について論じてみよう。

今日国会議員に当選するには一落二当といって、百万円では落選するが、二百万円以上なら当選するという訳で、実に驚くべき話だ。

従ってこの選挙費用の莫大である事が原因となって、どうしても闇によって運動費を獲得しなければならないという事になる。

周知のごとき辻や土建、昭電等々忌まわしい問題が次々起こり、ほとんど底知れぬ程であるのもそれがためである。

こうなっては国家の選良も大政党の幹部も何々大臣といえども国民軽侮の的となるところではない。

国家の体面にも関わり社会道義に影響するところも蓋(けだ)し鮮少ではないであろう。

しからばこの問題解決に当ってはどうする事が一番良いかという事で、それにはまず第一にその原因を剔〔摘〕出し、俎上(そじょう)にのせてみる事である。


総選挙に当って運動費の多いほど当選率が高い事は周知の事実である。

だからして彼らが運動費獲得のため法に触るるような事にまで立到るのである。

忌憚なくいえば運動費獲得の手腕いかんによって当落が決るという訳になるから大問題である。

仮に今度のような事件が起こらないとしたなら議会は実に不透明極まるものとなろうしこれでは善い政治の行われようはずがないから、

日本再建も国民の幸福もいつ実現するか判らないという事になる。


とはいうものの国民の側にも罪がある。

それを具体的にいえばこうである。

まず選挙の場合候補者を選ぶに当って何を標準にするかというと、

一、良かれ悪かれ名前の売れている人。

二、親戚知友から頼まれ義理や情実で投票する。

三、以前落選したとか、貧乏であるという事に同情する結果。

四、ポスター、立看板、印刷物等で再三姓名を見、頭に印象されているため。

五、議会で質問をしたり、暴力を揮ったりして新聞やラジオで名前が売れた人。

六、滑稽なのは名前が書きよいからという事。ー

等々、ザッと右のような事情が候補者選択の規準となっているのが現実である。

本当からいえば吾々の代表者たる国会議員である以上、立法上立派な成績を挙げ得る人でなければならないはずであるにかかわらず、

以上のような有様では善い政治、幸福な社会が生まれるはずがないではないか。

この判り切った道理が行われないという事はむしろ不思議でさえある。

従って選挙に当り主点とするところは候補者の人物選択の基準として、政見そのものにある事は言うまでもない。

しかるに以上列挙したような事柄のどれもこれも政見とは何の関係もないのであるから、

全くの浪費であってそのため自他共に苦しむというに至っては実に馬鹿馬鹿しい限りである。


しかしながら従来選挙法改正の行われた事はしばしばあったが、部分的のもので、思い切った抜本的の改正は行われなかったのである。

しかし、よく考えてみると無理のない点もある。

新聞や雑誌で人格識見の高い人物を選べとよく言われるが、これ程判らぬ話はない。

何となればまず候補者として名乗りをあげた顔ぶれを見た所で、一般人としてはほとんど未知の名前ばかりといってもよい。

特に近頃のごとき知名人は大方追放令にかかっている関係上、ほとんど新人ばかりといってもいいくらいであるからなおさら判りようはずがない。

それがためおよそ政見とは関係のない事柄によって投票するの止むを得ない事になる。


ここにおいて右の欠点を矯正し立派な選挙を行う方法として次のごとき試案を発表、大方の批判を乞いたいと思うのである。

まずこの案を発表するにあたっては多額の運動費を要しないようにする事と、候補者の政見発表を簡易にする事と、この二点であろう。

それについて参考のため運動費なるものの正体を検討してみるが、

以前のように買収主義は近来よほど減ったようだが、といっても物価高の今日容易なものではない。

まず多数の運動員を使役し、それに要する日当、車馬賃、酒食代はもちろん、ポスター、印刷物、立看板、五人か十人しか聴きに来ない演説会、当選御礼等々で、

さきに述べたごとき全く政見に関係のない浪費以外の何ものでもないものが主要条件となっている。

以上述べたように政見こそ候補者選択の絶対案件であるとすれば、何よりも政権を充分選挙民に徹底させる事である。


その方法としてまず今日の新聞紙大の四ペ-ジ一枚とし一ページは十七段であるから合計六十八段になる。

この二段分を一候補者の政見の記事にあてるとすれば充分で三十四候補者の政見を発表出来得ることになる。

仮に中選挙区として四、五十万人の有権者へ配布するとして、印刷及び郵便費を加算しても一万円とはかかるまい。

それを一回だけ配布すればよいのである。

有権者はそれを熟読し、その中から自己の意に適した候補者をえらび、選挙当日投票所に赴き投票する。ただそれだけである。

何と簡単ではあるまいか。

この簡単なる方法によって候補者はなんらの手数も運動費も要しないばかりか、

選挙民においても義理や情実に煩わさるることなく自由に選択し得るのであるから、公正なる選挙の目的は充分達し得らるる訳である。

否多数の運動費を要した今日までの選挙よりも良好な成果をあげ得らるることはいうまでもない。

とすれば涜職も疑獄も起こりようはずがないという、実に一挙両得の理想選挙である。

ただしかような小額運動費で済むとすれば、猫もしゃく子も候補者に出たがるから、これを防止する方法として供託金を少なくとも五万円ないし十万円くらいにする必要があろう。

標題の選挙費用金一万円也は、ザッと件のごときものである。」




明主様御垂示 「選挙運動費は一万円あれば沢山」 (昭和23年11月1日)

信者の質問
「現在の世界情勢について御教えを御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「新聞を見れば判る。根本は米とソ連の衝突で、戦うか戦わぬかが問題の中心である。

ドイツの状態・・・東亜もひどい事となった。共産色に塗り潰されようとした。

国民政府は官吏が腐敗しているから、アメリカも中国の金の援助は出来ぬ。

武力援助をすれば、内戦へ干渉する事になる。

これはアメリカの政策に違う訳で、武力で世界征服する形になる。

結局始まるのはヨーロッパだと思う。

ドイツの奪い合いで、戦争は出来ないもので、戦争の起らぬ程度にやる。

いよいよ戦おうとする準備をしている。今両方で軍備をしている。

アメリカは今月十五日から半戦時状態となった。

ドイツをやる間に、支那をやるつもりらしい。

今非常に落着いている。満洲のハルビンよりやれば朝鮮は袋の鼠である。


日本の状勢は、解散か否か騒いでいるが、これは解散するのが順当で、民自党では吉田を投票し―百八十、白票(民主党?)二百何票で二百・・・で多い。

重要法案は沢山あり、これを決める時、可決がないと実行出来ぬ。

それには半数以上議員を獲得せねばならぬ。

それで解散によって民自党の議員を殖やすか、民主党の代議士を相当数引抜くかで、それには金が要るからとても出来ない。

そこで小党を作り分裂させる。その小党との話合い黙約する。

それが民自党を支持するとすれば解散の要はない。

解散すると非常に金が要るから金に困る。

結局は運動費問題が根本で、それには犯罪を構成せず、金をうまく作る事である。

民主党は、冒頭に解散を・・・。

つまり運動費を公平に作る手腕ある政治家でなくてはならぬ。

今迄の作り方と違うのでもっと巧妙になる。地下運動式に運動費を作る外ない。

選挙運動費は一万円あれば沢山で、一万円で出来れば・・・。

選挙に金をかけるのは、結婚に金をウンとかけるに等しく、全く無益の消費である。

金をかけて円満にゆくとか、子が出来るとかいうものでない。結局は同じ事で・・・。

政策を国民が知ればよい。全く愚かなやり方になったものだ。

化粧品、売薬の広告と同じようなもので、名を人に知らすだけである。」




明主様御講話 「二大政党制は政治的に一番弊害が少ない」 (昭和27年10月1日)

信者の質問
「今度の選挙で考えさせられましたことは、投票の心得ということで、よく新聞や何かを見ますと、政策と個人の人物ということが問題になりますが、

政治というものが観念でなく力ということになりますと、政党の首脳者が人格的で手腕があるということで投票するのはいかがでしょうか」


明主様御垂示
「良いですよ。しかし決めてはいけない。

政党の政策と候補者の個人の人格から意見、それを総合して一番良いというのを投票すれば良いのです。

その点において日本とアメリカは違うのです。英国も違います。

アングロサクソン系のああいうのは政策に重きを置くのです。

ですからどっちも党派は二つしかありません。

英国でも保守党と労働党です。それからアメリカも民主党と共和党です。そうしてその政策を主にしている。

だから個人の人物にはあんまり重きを置いてない。

日本はそこまで行ってないのです。

米国や英国も、以前は日本のようだったのです。小党分立でした。

フランスは小党分立です。ドイツはどっちにもなりません。ああいったように目茶苦茶だったのです。

で、米・英はそうなってます。

ところがアングロサクソンという人種がその点において利口なのです。

フランス、ドイツのほうが民俗的にいくらかレベルが低いわけです。

米・英の人間は、何というか、個人でいえば利口者と、そういったわけです。

だからああいった二大政党をやっていくということは、政治的に一番弊害が少ないです。


日本人はそう馬鹿ではないですから、米・英のアングロサクソンくらいにいくのです。

今まで封建政治のために日本人のそういった良い素質を押さえつけていた。

そうでしょう、封建時代には日本では利口な人ができると、そういった人はやっつけられるのです。

かえって中途半端な人間のほうが御(ぎょ)しやすいのです。

そういう政策をとっていたのです。だから偉い人間は封建時代には出られなかったのです。

それがつい終戦間際までそうだったのです。偉いと怖がられるのです。ただ軍人は良かったのです。

政治家では中野正鋼(せいごう)なんかはやっつけられたのです。

これからは日本人で偉い人がドンドン頭を持ち上げてくるのです。

だから我々だって、もし敗戦にならなければ駄目です。

今もって手も足も出ないです。それはそうでしょう、人間として偉い人はどうしても人が崇拝しますから、崇拝すると「天皇はどうした」と、こうなるのです。

病気が治ると、「これは天皇の御陵威(みいつ)で治るのだから治った御礼に二重橋に行って御礼をしろ」とこう言うのです。

だから手も足も出なかったのです。

これからは日本にも偉い人が出るのです。

そうすると政治家も良くなります。」




明主様御講話 「日本でも二大政党にもって行くよりしようがない」 (昭和28年3月27日)

「それについては、病気をなくし、自然農法によって主食を増産するということ以外に、

だんだん政治、教育、経済、社会制度とか、生活上のいろいろなことについても革命的に書いていくのです。

それで病気の論文を私は書いてますが、その次にはそういった論説を書きます。

政治にしても、政治というものは宗教と非常に密接な関係があるのです。

いくら宗教で人を助けようと思っても、政治が悪かったら壊してしまいます。

いくら病気のない犯罪者のない貧乏人のない世の中にしようとしても、政治が悪いとそれを壊してしまいます。

実際上、今は壊しているのです。

だから政治家は誰でも知ってますが、政治界というものは、特に日本のは酷いです。

つまり自分の名誉とか党を良くしようとして、人民のことはまるで忘れているのです。

最近の自由党の内輪もめでも、広川がどうとか、鳩山がどうとか言って、国民には直接になんの関係もないのです。

要するに国民は、そういうことはどっちでも良いので、本当に良い政治をしてくれれば良いのです。

ですからあの人たちが自分というものをなくして、良い政治をするということだけを頭においておけば、内紛というものはすぐ解決するのです。

あれを見ているとちょうど昔のヤクザと同じです。

あいつの親分はどうとか、あの親分は金を集めるのがうまい、だからあれについていれば間違いないというのです。

ちょうど昔の、群馬県地方にいた国定忠治、大前田英五郎というのが、ちょうど今の政治家と同じようにみえます。

清水次郎長となると、ちょっといませんが、笹川繁蔵、飯岡助五郎となるとおります。

ですからこういう面も大いにきれいにしなければならないのです。


この間、信者の、衆議院議員が三人と、参議院議員が一人と、幹部の人といろいろな話をした時に、

教団も信者で代議士が三十人以上できれば私は政党を作ると言ったのです。

そうしてその議員は決して悪いことや間違ったことはしないのです。

ですから選挙でも、本当の公明選挙です。

これについては、今「公明選挙を嗤う」という論文を書いてます。

栄光に出すか、ほかの日刊新聞に出すかは分かりませんが、とにかくおもしろく書いてあります。

公明選挙というのは看板だけではなんにもならないのです。

誰も公明選挙をやる者がないのですから、これは希望だけのもので、実際に行なわれるものではないのです。

なんとなれば了簡方が間違っているからです。

ちょうどずるい奴の、スリかなにかに対して神仏を拝ませるようなものです。

形は手を合わせても、今度はどういうようにして懐から盗ってやろうかということを考えているのです。

本当に正直に言えばそんなものです。


だから政治も、大いに浄化をしなければいけないのです。

それには今言ったようなやり方をして、党なら党というものは反対党ということはぜんぜん考えないで、

ほかのどの政党でも、国民の利益になる立派な良いことを言ったら賛成する、

私というものが少しもない政党を作る必要があると思います。

そうなるとかえって大きな政党になります。

なぜと言えば、国民一般というものは今度の総選挙についても、誰でも誰かに投票したいと思ってますが、この人は、と思う人はいないのです。

よく新聞などに「この人は、と思う立派な人に投票しろ」 と言いますが、

ではいったいどの人が立派な人かということは、実際には分かりません。

おそらく新聞記者も分からないでしょう。

実際立派な人ということが分からない証拠があります。

それは町の中で名前を怒鳴ってますが、

それは誰を投票してよいか分からないから、名前を数多く言うのです。

それで誰でも「分からないから、誰でもいいや」ということになるから、

名前をたくさん言ってあると覚えやすいから、それがはいるというわけです。

偉い人でも名前をたくさん言ってないと当選率が少ないのです。

ですから名前をたくさん言ってあるほど当選率が多いのです。

それをみても、誰を投票して良いか分からないという国民の心理が良く出てます。

あれをみると、名前をよけい言う人が偉いということになりますが、そんなことではしようがありません。

それでは演説会は、となるが、この演説会に人がはいらないことがおびただしいのです。

中には数人しかはいらないというのがあるそうです。

またこの忙しい時に聞きに行くというのは、よほどの暇人でなければ行きません。

まあ隠居とかでなければ・・・。

ですから政見を書いたパンフレットのような物を配れば良いのですが、それすらやらないのです。

ですから私も、投票しようとしてもどうしても棄権するということになります、誰を入れてよいか分かりません。


そこからみると、アメリカ、イギリスなどは政党は二つしかないのですから良いです。

アメリカなら民主党に共和党、イギリスなら労働党に保守党です。

そこで政見を発表しますから、あの政党はこういう政見を発表しているから、

オレは気に入ったから、あれに入れようとなって、誰に入れてもかまわないのです。

ところが日本は逆で、新聞などでは人物本位に投票しろと言ってますが、それは嘘です。

それで党の政策を言って本当にやっているのは改進党くらいでしょう。

とにかく五大政策といってはっきりしてますが、ほかははっきりしていないのです。

社会党や自由党も政策を出してますが、二つにも三つにも分かれているのですからしようがありません。

そこで政策といっても、ますます小党分離のようで、思いきった政策はできないのです。

ですからフランスのようになります。

フランスはかわいそうなものです。

昨日の新聞を見ても、それがために財政が困難になって、政府は破産しやしないかと言ってます。


根本がそういうようですから、日本でもどうしても二大政党にもって行くよりしようがありません。

それでは日本はなぜそうならないかと言うと、結局において人物がないのです。

多くの者を押さえるという人がないのです。

吉田さんはそうとう長い間そういうようにやってましたが、だいぶ盛りが過ぎたと見えて、それで馬鹿野郎ということになったのです。

こうなると吉田さんは隠退するのが本当です。

しかしまだ執着があって、なんとかしようとやってますが、かえってよけい悪くなります。

ですから今度自由党が第二党になるとかすると、目もあてられないことになります。

政治論のようになりましたが昨日は教育のことを話しましたが、それはいずれ話すとしましょう。」




明主様御講話 「人物本位の投票が一番いけない」 (昭和28年3月26日)

「政治も、今の政治界の有様を見ると、しようがないのです。

悪く言えばみんなお神楽でも踊っているようなもので、みんな馬鹿踊りを踊っているのです。

事実、吉田さんは「馬鹿野郎」と言ったのだから、馬鹿踊りに違いありません。

ところが「馬鹿野郎、良く考えりゃオレのこと」で、吉田さん自身がやっぱり、 「オレのこと」だったのです。

今度の総選挙にしろ、不信任案が因ですが、不信任案の可決というものは、馬鹿野郎問題によって起ったのです。

あれまではそうなかったが、あれからがうんと騒がしくなったのです。

そうすると、それも前の総選挙から半年たつか、たたないうちにやるのですから、

国民の迷惑から国家経済から言っても、その費用も何百億というのですからたいへんなものです。

少なくとも三百億はいるだろうと言われてます。

その三百億というものは、みんな国民の税金です。

その税金は楽に出せるものではないのです。

その負担もたいへんなものです。

だからどっちが良いかは分からないです。


そういうようですから政治も改革しなければならないのです。

この間、衆議院議員が三人、参議院議員が一人と、幹部の人がいましたが、その時言ったことですが、

信者で代議士が三十人以上できれば、私は政党を作ると言ったのです。

三十人以上なら交渉団体になりますから、発言権があります。

その代わりこっちの方針は本当の公明選挙です。

看板だけではなく、やることも公明選挙です。

爪の垢ほども不正はやりません。

本当にやるのです。

そして今のようなだらしのないことはしません。

それでちゃんとこっちの政党の方針なり、候補者の意見なりを詳しく印刷した物を選挙人に配ります。

それでもし場合によれば、大新聞でなくも中新聞をこっちの機関紙とするのです。

昔は機関新聞というものがありましたが、今の政党ではぜんぜんないのです。

それはいろんな事情があって経営できなかったりするのですが、本当は新聞に出さなければいけないのです。

それで今新聞を機関紙としてやれないのは、本当のことをやってないから、思いきって新聞に書けないのです。

人のアラを探してやったところで、御自分の方も同じなのだから、堂々と意見を書くことができないのです。

それでどうしても新聞で政治教育もしなければならないのです。


日本で一番困るのは個人個人になっていることです。

人物本位で投票しろというが、これが一番いけないのです。

第一、人物本位にしろと言っても、どの人が一番偉い人かということは分かりません。

道路で自動車の中から「岡田茂吉、岡田茂吉」というように言うが、

そういうように数多く広告する人が偉いかというと、むしろそういうことをするのは偉くないでしょう。

そうすると誰が立派な人物かということは分かりません。

また分かるはずがありません。


そこでアメリカのように政党第一主義で、政党に投票するとなると、

「わが党はこういう政見である」ということを言いますから、そこでその党の誰に投票しても良いのです。

日本のように人物本位というと、国民に対する罪です。

そうかといって、政見発表といっても、この忙しいのに聞きに行くのはたいへんです。

それなら政見発表を文章に書いて出せば良いのです。私は前にこのことを書いたことがあります。

ですから誰がどんな意見を持っているか、誰が偉いかということは見当もつかないのです。

そこで名前をたくさん呼ぶというやり方になるのです。

またそういうのが効果があるのです。

名前をたくさん言った人は票数がたくさんはいって、たいてい当選するのです。

しかしこんな馬鹿馬鹿しいことはありません。

そういうことも、大いに政治の革命をしなければならないところです。

だからいくら宗教が良いことを言って、国家社会に良いことをしようとしても、権力は政府にあるのだから・・・。


このごろは民主的になったためにだいぶ良くはなったが、それでも宗教は政治に干与すべからずという不文律があるのです。

前に注意されたことがあります。

政治的のことを光新聞のころに書いたことがありますが、「にらまれますから、これはやらない方が良いです」というのです。

それで私は寸鉄に書いたのです。論文ではいけないが寸鉄なら一種のユーモラスでごまかせますから・・・。

そういうようで政治というものは世の中を良くし人類を救うには肝腎なのです。

しかしこれはローマ時代からずっと宗教の方が権威を持っていたために、

たいへんな弊害があったので、それに懲りて政教分離という政策をとったのですが、

日本などにはそういうことをする必要はありません。

それはローマ法王というような人がいばった時代には、コペルニクスやガリレオの地動説は、宗教のためにやられてしまったのです。

そしてその時分には宗教裁判といって、裁判も宗教の方でやったのです。

そこで憲法政治になってから、宗教はくちばしを入れられないようになったのです。

しかし今日はそういう心配はないのだから、そうとうに宗教家に口を出させるのが良いのです。

また宗教家は間違った変なことをしたり、変なことを言ったりすることはありません。

ところで今宗教家に干与させないのは、宗教家は正しいことをやるのに、自分の方は正しくないことをするからという意味ではないかと思います。

政界演説のようになりましたが、信仰するうえにおいて、そういうことも知っておかなければなりません。

今にだんだん信者が増えるうちに、代議士や参議院議員の希望者が増えるようになりますから、そうなったらその人に投票すれば結構です。

早くそうなれば良いと思います。」




明主様御垂示 「二大政党制が良い」 (昭和24年9月3日)

信者の質問
「政党の小党分派があることと、保守、進歩の二大政党のあることでは、どちらが良いものでしょうか。

勿論世界各国小党の立っている例は沢山ありますが、その役割と言うものは実際は余り役立っていないように存じますが、どうでしょうか。

右御教示御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「どっちもいけない。

過渡期のものとしては二大政党がいいが、全部一丸となるのが理想政治で、年中一つになってやるのが本当である。

ミロクの世になると政党がなくなる、必要はなくなる。警察などもなくなる。

偉い政治家がないと、小党分裂する。

争いのない政治が本当である。」




明主様御垂示 「政党本位の選挙が一番良い」 (昭和28年4月1日)

信者の質問
「この度の総選挙で、あまりに汚なかった解散のこともあり、棄権しようかと迷うこともありますが、信者としてどのようにすべきでございましょうか」

明主様御垂示
「その人の気持ちでやれば良いです。」


信者の発言
「保守陣営では鳩山も吉田も改進党も五十歩百歩ですから、これをまとめて一つとし、あとは社会党の左派とすればいいと思いますが」

明主様御垂示
「そうすればはっきりします。

やっぱりアメリカ式のほうが良いです。

今のような人物本位では分かりません。

だから党本位が一番良いのです。

これなら誰でも分かります。

アメリカのように共和党と民主党というのなら確かです。

日本はちょうどフランスのようです。」


信者の発言
「左派は共産党のようでございますが」

明主様御垂示
「共産党です。だから鈴木茂三郎はソ連の支配下になれと言うのです。

そうすれば再軍備の必要がないというのですが、それはそうでしょう。」


信者の質問
「霊的には向こうのほうがはいっているのでございましょうか」

明主様御垂示
「はいってます。だから結局においてアメリカにつくかソ連につくかのどっちかです。

しかしソ連よりはアメリカのほうが幸福です。

われわれにしろ・・・今こういう世界では植民地にはなりませんが、ソ連は植民地ということを宣伝に使ってますが、アメリカのほうが幸福です。」


信者の発言
「それはソ連などにやられたら、日本には処女はいなくなります」

明主様御垂示
「そうです。金持ちも処女もいなくなります。

ところがそれが分かっているから左派があるのです。

処女のほうはいやですが、処女でなくするほうの側になればおもしろいからです。」


信者の質問
「もちろん宣伝もあるでしょうが、中共の内部も良くはなっておりますようでございますが」

明主様御垂示
「それは良い所もあります。だからソ連と中共は違います。

どっちかというと中共はソ連を利用しているのです。

毛沢東というのは、また上の人物です。

だからソ連と中共は離れるということは前に言ったことがあります。

ただそれまで中共が持つかどうかということですが、おそらくアメリカにやっつけられて、中共というものはなくなるわけです。

けれども毛沢東や周恩来は利巧ですから、クルッと変ってアメリカと手を握るかも分かりません。

そうして中国を民主政治にして、朝鮮を合併して、蒋介石には国民政府として一国を与えるというように、そのくらい利巧ならちゃんと行きます。

けれどもそうはなりません。

何となれば中国のいろいろな罪穢れがたいへんで、この大掃除をしなければならないのです。」


信者の質問
「蒋介石は写真の感じはあまり強くないようでございますが」

明主様御垂示
「それは蒋介石は善人であって、悪党ではないからです。

やっぱりみんな神様がやっているのです。

つまり悪魔を使うわけではないが、結局悪魔のやることを許してあるのです。

なにしろ今に中国に世界メシヤ教中国支部、あるいは中国本部というのができます。

それは北京と天津(てんしん)にできます。

神様のほうではそれまでにすっかり掃除をされます。

掃除というのは戦争でぶち壊すことです。

それで朝鮮の南北を合併して、ここにも支部ができます。

無論そのときの首班者は決まっております。

それで私は会って、時節を待てと話してあるのです。

それはもう大したもので、神様のほうではすっかり準備してあります。

人物を言うわけにはゆきません。知れると危ないですから・・・。

それは信者になっているかも分かりません。」




明主様御垂示 「二大政党が良い」 (昭和28年5月1日)

信者の質問
「昔から(註 社会党左派は)二大政党ということを言っておりますが、そこを目指しているようでございます」


明主様御垂示
「それは何十年も前から目指してます。

それで二大政党になりかかったことがありますが、それは壊れたのです。

ですからできたり壊れたりしてきたのです。

二大政党というのは理想です。

それで二大政党になると比例代表になります。


ところが日本は今度の選挙では人物本位ということを言っており、二大政党にはしないのです。

アメリカのような二大政党なら、民主党なら民主党に、共和党なら共和党にということだから、人間はどうでもよいので、その党の人間ならよいのです。

だから楽です。

ところが日本では、自由党の政権が良い、改進党の政策が良いと言って投票するよりか、人物本位なのです。

だから今のような国民の感情であり政党の考えでは、二大政党にはなりません。

一時比例代表ということが言われてましたが、これでは二大政党になるはずはありません。

とにかく二大政党というのは今のやり方より良いのです。

アメリカの民主党に共和党、イギリスの保守党に労働党というので、アングロサクソン系だけはうまく行ってます。

しかしフランスは日本と同じようにでたらめですから、内閣も次々と変って、国家も疲弊してます。

だから二大政党というのはよいのですが、日本ではどうもやらないのです。


というのは日本人というのは大局を見ないのです。

日本人は小乗的国民です。

それでアメリカ、イギリスは大乗的国民です。

どうも日本人は大局を見ないで部分的に見ているのです。

だから理想より感情が多いのです。

ですから政党のことでも、すべて感情です。

あいつは悪い、やっつけてやれということになるのです。

今度の解散でも感情がよほど混じってます。

だから自由党でも、シャクにさわるから解散してやろうとなったのです。

みんな金がないから困るだろうというわけでやったのです。

吉田の「馬鹿野郎」と言ったことはいけないということは、感情もいくらかありますが、純粋理論としてもいけないことです。

そこでみんな金がないから困るだろうから、解散でおどかしてやろうとしてやったが、

あんまり乗って来ないので、それではと解散をやったのです。

しかし国家的見地から言って、解散したほうがよいかしないほうがよいかということは、それはしないほうがよいです。

そういうように自己の感じ、考えによって、大いに大局が動かされるのです。

そのことからゆくと二大政党が良いです。」




明主様御垂示 「比例代表制のほうが本当」 (昭和23年11月18日)

信者の質問
「政治家の資金獲得のための不正が次々暴露されておりますが、現段階においてはそれほど責むべきことではないと存じますがいかがでございましょうか?」


明主様御垂示
「それはね、今日二合五勺の配給だが、どうしても五勺は足りない。

足りない分はどうしてもヤミで買わねばならない。

だからヤミの売り手もなければならないんです。

もし配給通りに守ってては腹が減って仕事はできませんよ。

これがいまの政治の実際です。これと同じに代議士になるのだって十万や二十万の金では駄目で、どうしても百万、二百万なければ当選できない。

当選できなければ自己の信ずる経綸を行うわけには行かない。

ところがそんな大金を持っている人はたんとない。

金持ちから出してもらうとしても、このせちがらい世の中にただで金をくれる人なんかありはしない。

そこで必ずなんらかの権利が伴うのです。

権利が伴えば検察庁に上げられるというわけです。

故にいいとか悪いとかは言えませんね。」


信者の質問
「大乗、小乗の立場から見たらいかがでございましょうか?」

明主様御垂示
「当てはまりませんね。ふつうの大小乗ではなく別のほうですね。

だから神様に許されるもなにもない、法律が許しませんよ。

いまは間違いが間違いを生む世の中です。

だから神様が正しい世にすべくお仕事を始められているのです。・・・

いいか悪いかと聞かれても、私としては自己を偽わらなければいい悪いは言えません。・・・

以前軍隊では、兵隊がいくら空腹で卒倒しそうでも命令がなければ、たとえ食糧を持っていても食べられなかった。

これは変な話で腹がすいたら食べたらいいのですよ。・・・

ヤミはいかんという規則を出している人もヤミの物を食っている世の中だからどういうふうに批評していいか判りませんね。

それが現実なんだから、そういうふうになっているんだから、・・・今度出す本にも書くのですが、代議士の選挙資金は一万円もあればたくさんです。

選挙も中選挙区にすればよいがそうすればポスターも演説会もいらない。

ただ政見を印刷すればよい。

ふつうの新聞紙なら一面十七段として六十八名分の政見がのせられる。

それを有権者に配り、有権者はその中の気に入ったのに投票すればよい。

アメリカは比例代表制だがそのほうが本当ですね。

第一そのほうが金がかからない・・・


代議士が選挙民に黙って他の党に入ったりするのも変ですが、まあたいていは金で動くんでしょうね。

内幕は権利、金だと私は見てます。・・・一番いけないのはいまの機構が悪いんです。

いまのでは正しい人は代議士にはなれない。・・・

いまはみんなヤミですね。

だからヤミで上げられるのはふしあわせか、やり方が下手なんですね。

まあ実際たいへんな世の中ですよ。

その点アメリカなんかうまく行ってるようですね。

いまさかんに大臣級の人が引っ張られるのは進駐軍の指令ですね。」




明主様御垂示 「政党制は過渡期のもの」 (昭和24年9・10月)

信者の質問
「政党に小党分派のあることと、保守進歩の二大政党のあることとではどちらがよいものでしょうか。」

明主様御垂示
「これはどっちも駄目ですよ。

まあ、いまは過渡期だからやむを得ませんがね。

しかし、本当は全部が合同すべきなんです。

反対のないのが理想ですよ。

いままでは人間が間違っていたからこれがいいと思ってるんです。(お煙草二本お持ちになられて)

こっちが積極的でこっちが消極的とすると、まあ陰陽ですね・・・それで、こっちが間違ったことをするとこっちがやっつける。

それがいままではいいことだと思ってきたんですよ。

しかし、やはりこの二つがこうして一本になるのが本当ですよ。

まあ一つになっても永くやってるとくたびれるから、ちょっと代わってくれってのはいいですがね。(笑声)」


信者の質問
「現在過渡期といたしましてはどちらがよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「そりゃあ、二大政党のほうがいいですね。

けれど、二大政党と言ってもめいめいに限られた檻を作って、お互いに、「あいつはいけない、いけない」と言ってるようなもんで、まったく馬鹿馬鹿しいもんですよ。

「五六七の御代」になれば政党なんかなくなりますよ。

そうでしょ、警察と同じなんだから、悪い奴がいるから警察が必要なんで、悪いのがいなくなれば警察は必要ないんですからね。

それからもう一つ、偉い政治家がいないとどうしても小党分立になりますね。

「俺は俺でやろう」ってことになりますからね。」




明主様御教え 「非常時と宗教」 (昭和10年1月23日発行)

「今日誰しも言葉を吐けば非常時と言う。

この非常時にも国際的と国内的との区別がある。今ここでは国内的非常時について宗教との関係を少しく説いてみたいと思う。


国内的非常時にも経済問題即ち農村及び中商工失業問題等多くあるがその根幹を成しているのは何と言っても政治問題であろう。

彼の血盟団及び五、一五事件等に因って醸(かも)し出された事は何人も否めない所であろう。

その目的とする所は政党政治の弊害即ち特権階級擁護政治、多数決政治の誤謬をして改革するにあるのであるが

仮りにその改革なるものが成功した所で果して完全なる政治が行われるであろうか。

これは大いなる疑問であらねばならない。

なぜなれば立憲政治の根元は投票者と被投票者の両方から成立っているもので被投票者の集団が政党なのであるから

政党のみを責め、改革した所で片一方の投票者たる民衆の方もあわせて改善されなければ真の効果は無いはずである。

腐敗の原因が投票買収にありとすれば買収される民衆も罪は同罪でなければならない。


故に政治形体は第二義的であって要は運用する者の正義の分量にあるんで、

この意味において吾々はこの民衆をして投票買収に断然応じないだけの正義感を植え付けなければならないと思う。

それは教育の力では効果のない事は現在事実が示している通りで、どうしてもこの点に向って宗教の力を以てするより致し方がないと思う。

故に今後の宗教家は宜(よろし)くこの民衆の政治的正義心を喚起すべく大いに働きかけなければならない。

宗教家が社会から重要視せられない原因はこの辺にあるのではあるまいか。

余りに実生活に遠ざかり時代意識に目醒めない点にあるのであると思う。」