民主主義について


明主様御垂示 「今のところアメリカ式民主政治がいい」 (昭和26年2月25日発行)

信者の質問
「独裁専制政治は優れた人の頭脳による政治ができるという長所がありますが、一面独善横暴という弊害を伴うを免れず、

また多数決による民主政治は衆愚政治に陥る傾向をどうすることもできません。

そしてこの独裁政治と、民主政治の矛盾相剋(そうこく)の悩みや弊害は、国家の政治の上にも、いろいろの団体政治の上にも遺憾なく露呈しております。

とすれば、これからの政治は、どうしても神主政治ともいうべき、神様の御意思をお受けして行なう政治になって行くほかないと思われます。

そうすれば、各政党とも駆け引きと議論に終始し、議員の頭数によって決定したことが、はたして正しいことであるかどうかも判らない、というような心配もなくなり、

政党や国会議事堂のようなものは必要がなくなると思われますが、いかがでございましょうか、お伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「右は少し極端な考え方である。

英雄政治は専制政治になるから、無論いけない。

やはりいまのところ、アメリカ式民主政治がいいのである。

帰するところ、人民が幸福になる政治がいいのだから、それには専制政治より、民主政治のほうがそれにかなうわけである。

神様の政治というものはない。

人民が神様を信じ、正しい信仰者になれば、今日よりいっそう優れた民主政治になるのは勿論である。」




明主様御講話 「民主主義が結局勝つ」 (昭和27年10月1日)

信者の質問
「朝鮮問題につきまして神様の御見解をお伺い申し上げたいのでございますが、中共やソ連の意向は私たちには分かりませんが、国連軍は休戦したいようです。

そこで困難なことは捕虜の交換問題ですが、中共に帰りたくないと言うのは帰さないほうが・・・」

明主様御垂示
「そんなことは屁みたいなことです。

つまり米国のほうは民主主義ですから、どうしても民主主義の意味で捕虜の自由に任せるでしょう。

それを中共では止めるでしょう。そうすると米国は引っ込むわけにいかない。

アメリカの民主主義は中共のために阻まれるから、体面に関わるのです。

ところが中共のほうは言うことを聞くと停戦になる。そして戦争をやめるでしょう。

そこでどうしてもアメリカを消耗させなければならない。

それで屁みたいなことでああいったように延ばしているのです。」


信者の質問
「民主主義といっても、日々ああいった犠牲を払っているので、それを活かすという・・・」

明主様御垂示
「いや、負けるのです。」


信者の質問
「捕虜を返すというのがいけないことなのでしょうか」

明主様御垂示
「いけないということでなく・・・数万のことだから大したことはないが、そこで本人の意志を政府が押えつけるということは、まったく民主主義に対するたいへんな脅威ですから、アメリカとしてはしようがないのです。」


信者の質問
「あれ以上は妥協のつけようがないのでございますか」

明主様御垂示
「すぐつきますが、つければ中共の政府を承認しなければならない。

今もって承認しないところに良いところがあるのです。

そこにいっては英国は腹の底では承認したくないが、承認したのは、支那の権益が非常に影響するのです。

そうでなければ香港なんかすぐにやられてしまいます。

というのはこういう政策というものは英国に力がないからです。

やっぱり今までは弱肉強食時代ですから・・・。」


信者の発言
「しかし民主主義をやり抜こうということは立派なことでございますので」

明主様御垂示
「立派です。」


信者の質問
「最後は御守護をいただけますのでございますか」

明主様御垂示
「それはそうです。民主主義のほうが正ですから御守護をいただけます。

その代わり一時は苦しむことはあります。

しかし結局勝つことになります。勝たなければ世の中は崩壊してしまいます。

正義はどんなことをしても蹂躙(じゅうりん)されないから世界というのはいいのです。

もし正義がちょっとでも勝たなければ、世界というものは崩壊してしまいます。たいへんなものです。

だからキリストだって、正しいから自分の身が滅びてまでやっぱり世界を何するだけの力を現したのです。

だから人間は正義が・・・これは形だけではありません。

正義というものを打ち通そうという信念だけが人間の値打です。

それの強いほど人間の価値があるのです。

それがなくして、ご都合主義や打算主義の人間は形だけです。骨のない人間です。

今はほとんどそういう人間ばかりと言っても良いでしょう。そこで人間の骨です。」




明主様御教え 「無 題」 (昭和24年御執筆)

「吾々は軍閥ファッショの桎梏(しっこく)から解放され、ヤレヤレと思う間もなく、今度は形を変えたファッショが今まさに台頭せんとしている。

しかも言論機関のほとんどがそれを支持している点に、すこぶる重大性がある。

ちょうど軍閥時代自由主義が影を潜め、軍国主義謳歌と同様の状勢である。

一例を挙げてみよう。

今回の食糧メーデーの参加者二十五万を人民の声として取扱い、論議を建てている。

もちろん彼らも餓死に直面している以上、藁をも掴(つか)む心境に在る事は議論の余地はない。

また彼らを援助すべくデモを行う指導者達も決して非難する点はない。

しかしながらここに問題とすべきは、指導者ではなく煽動者の態度である。

この際の飢餓を利用して大いに党勢拡張に資せんとする野心の包蔵を憂慮するものである。

街頭に赤旗を担ぎ声を嗄(か)らす民衆以外、黙々として生産に励しみつつある大多数の人民もあるはずである。

しかしながら飢餓突破の点のみからいえば、人民の誰もがはもちろん一致している。

しかしながら後継内閣の問題は別である。今や生れたばかりの保守内閣に対する反対の声は、街頭に躍る者のみを規準としては考えられ得ない。

何となれば、二十五万は今回総選挙の投票者二千八百万からみれば、百分の一にも足りない数であるからである。

この意味において真の輿論を確定的に観る方法としての総選挙であり、投票数の多寡によって知る以外最良の方法はないはずである。

ゆえに、第一党、第二党合同の保守内閣こそ民意を代表しており、民主主義内閣である。

あまりにも明白なる事実を無視し、第三党以下の少数党の内閣組織をサモ民主主義的なるかのごとく見せ掛けようとしている言論機関の態度はまことに解するに苦しむところであり、新日本建設に対し寒心に堪えざる所である。


これをもってこれを観れば、日本現下のジャーナリストは小児的新しきものへの憧憬か流行を追う軽薄心理か、悪意にみれば某国の提灯持ち以外の何ものでないであろう。
 
しかして今日の食糧危機はいかなる内閣が出現するといえども解決は困難である。

ただ最後の方法としては、国内の衆智を綜合し、最善の努力を尽すだけが残されている手段に過ぎないのである。

従って、吉田氏が各党に対し、総協力を懇請したのも当然である。

従って、それに反対した党は、国家人民よりも自党本位と見なされても反す言葉はあるまい。

この重大なる危局に対しなお自党の利益を考える政党こそは、非民主主義であると共に、正しく人民の敵である。

しかも吉田内閣は出現もせざる中から、非民主主義となし、極力反対を浴びせている態度は不可解である。

まず組閣後の成果によって批判すべきである。ここで特に言い度い事は、共産党が百七十万票、五人の代議土をもって、民意を代表しているかのごとく振舞っているが、これはあまりにも国民を愚弄している。

もしこれが幾分、政治に反映するとしたら、それは少数者が多数者をリードするという専制以外の何物でもあるまい。

共産主義専制は真平御免である。君らはマッカーサー司令部から警告を受けた政府を嘲笑したが、人の身の上ではない。

今日は君ら自身が同じ運命に置かれているではないか。

嗚呼、右に寄らず左によらず、時流におもねらず、絶対公平なる見地に立ち、毅然として堂々の論陣を張り、常に民衆をして正しき理念にリードするジャーナリストは日本に出現の可能性はないであろうかと、吾々は憂慮に禁(た)えないのである。

ちなみに私は、何ら政党に関係なく、官歴も肩書もない一平民である事を付け加えておく。」




明主様御垂示 「日本の民主主義と米国のそれとは違うはず」 (昭和23年6月18日)

信者の質問
「親鸞の罪はなんでございましょうか」


明主様御垂示
「親鸞のはあの時代の一種の共産的思想のためです。

師匠も弟子もなく、だれでもみな「御同行」と言ったのですがこれは間違いです。

よく言えば民主的だったんですが・・・


日本の民主主義と米国のとは違うはずなんです。

それは日本の霊界は縦で西洋は横ですから。

いままでの日本は縦が強すぎたのです。これは隣人愛がないことです。

もし隣人愛があれば中国へ遠征なんかしないはずです。

日本は神国であり他国なんかどうなってもいいという考えが悪くてついに逆の結果になったわけです。」




参考 明主様御教え 「頭を新しくせよ」 (昭和27年1月7日)

「今更頭を新しくせよなどといったところで、この言葉はもう言い尽され、古くなっているが、私の今言わんとするそれは、チト違うのである。

まず私から見た現代人の新しさは、本当の新しさとは言えない。

まず新しがる新しさ、新し振りである。どうみても古い物を新しい衣で包んでいるようにしか思えない。

というのは今日進歩したと言われる医学でさえ実に古い。

これは常に唱えているから信者は充分知っているが、その他農業にしろ、政治、経済、教育、芸術、労働問題等にしてもそうである。

何もかも古すぎて黴(かび)が生えているとしか思えない。

といったら私の頭脳を疑うかも知れないが、そう思う観念が既に古い頭のためである。


これを現在最も判りやすい例を挙げてみれば、かの民主主義である。

これなども民主主義の衣の袖から鎧(よろい)や刀がチラチラ隙いて見える。

しかもこの刀がともすれば人権を傷つけるから危ない話だ。

そうかと思うと口に男女同権を唱えながら、ちょっとしゃくにさわったり、酔払ったりすると、嬶(かかあ)の横面くらい殴り兼ねない亭主も、中々あるらしい。

また金銭で女性の貞繰を蹂躙する事など当り前のように思っている輩(やから)もある。

以上のように社会は上から下まで、道義の頽廃(たいはい)はもちろん、役人の汚職、殺人、強盗、詐欺など毎日の新聞に出ていない事はないくらいである。

またストばやりで、ヤレ停電、石炭不足、交通杜絶(とぜつ)等々、何だかんだと社会を脅かしている。

これなども全く文明の衣を着せた野蛮人の集合体としか思えない。   


このように見てくると、すべてが古くて黴が生えて腐敗し、埃(ほこり)で埋まっているといってもよく、手がつけられない有様だ。

これら一切の原因を考えてみると、全く唯物思想一点張の結果であるのは言うまでもないが、

この思想こそもう古いものであるが、仲々これに気の付く人が少ないので、わざわざ地獄文明を作って、その中で喘いでいるのであるから、

どうしても本当の新しい文明教育をしなければならないので、私はそれを信条として進んでいるのである。

そこで私が言う新しい思想とは、現代思想とはむしろ反対であるくらいだが、この思想こそ今後の時代における指導原理であるが、現代人の古い頭では不可解で、容易に信ずる事は出来難い。

殊に知識人程そういう傾向があるから吾々が言いたい事は、立派なものと思って、君らが懐へ蓄えている品物こそ、近き将来使いものにならなくなり、棄てる運命になる事を知らしたいのである。」