国家論について 2 (日本再建の指針)
明主様御教え 「敗戦の教訓」 (昭和23年9月5日発行)
「日本が敗けたという事は、日本が救われたのである。
なる程一時は悲観のドン底に陥り、上下を挙げていまだかつて経験せざる混迷状態に陥った事は、吾々の記憶に新たなるところであるが、
実をいうと、それは一時的であって、将来を思う時は悲観するどころではない、大いに楽観すべき事と思うのである。
それについて私見を述べてみたいと思う。
そもそも、日本は彼の日清、日露の二大戦勝によって有頂天となり慢心をし、
しらずしらずの間に独善的国家観が生育し、他民族を軽侮するようになり、
ついに侵略戦争は開始されたのであった。
文明を破壊し、他民族を殺戮するのみか、自分らの国土と幾万の生霊をも犠牲にし、敵の空襲下に惨澹たる荒土と化せしめたのは、何たる愚かな事であろう。
それのみではない、終戦後の食糧飢饉、住宅難、インフレ、交通地獄等々、人民は全く塗炭の苦しみに喘ぎつつあるというのが、今日の実状である。
一切は原因があって結果がある。
日本が敗戦したという事は必ずその原因がなくてはならないが、それは余りにもあきらかである。
もちろん少数特権者の野望のために、怖るべき罪悪を重ねた事には違いないが、
敗戦という結末は、神がこれ以上罪を重ねる事を許さなかったからである。
大多数が期待していたところの神風が予想通り吹いたのである。
満州を、朝鮮を、台湾、琉球、千島を返還したという事は、他人の所有権を暴力によって奪いとったーそれを返還したまでであって、これが神風でなくて何であろう。
不正な富が長く専有を許容されるはず筈はない。
そんな都合のよい神国が地球上にありうるわけはない。
そして日本は敗戦によっていかに清浄化されたであろう。
しかも神は、今後再び罪悪を行なう事を不可能ならしむべく武器までも取り上げ給うた。
少数の罪悪張本人達は、気の毒ながら峻厳なる神の審判(さばき)をまぬがれ得べくもなかった。
それのみではない。
日本の人民も世界の一等国民として自惚れ驕りに耽りつつも、
アジアにおける他民族の困苦などは何等介意しなかった。
特権者は権力を濫用して人民の自由を束縛し、財閥は限りなき欲望のために政府と結託し、ますます富の増大を計り、
申し訳ばかりの慈善事業をもって社会を欺瞞(ぎまん)してきた。
二大政党はあっても財閥の傀儡(かいらい)にしか過ぎない。
無産者は働けども働けども食えない。
発言権も民権もなく、ただ機械のごとくその日を送っていたに過ぎなかった。
たまたま改革者が出でんとすれば、たちまち牢獄(ろうごく)へ投ぜられた。
このような状態のもとに特権者等は泰平を謳歌(おうか)し、歓楽を極め、大邸宅を占有し、数台の自動車をもち、あらゆる栄華に耽り、飢えに哭く者など歯牙にもかけようとしなかった。
このような不合理な状態が決して長く続こう筈はない。
果たせるかな、時は彼等をして没落という当然なる運命を甘受せざるを得ない事に立ち至らしめ、まことに気の毒の極みである。
その当時貧困者を救いたいと思ったと同様に、今日の没落者を救いたいと、私は痛切に思うと共に、
彼等に、その最も適切なる方法を知らしめたい、それがすなわち信仰である。
まず、彼等自身が境遇の大変化は当然神の審判による事であるを知るのが、救われる第一歩である。
悔い改め、信仰の道に入ってのみ真の安心立命を得る事を知るのである。
それによって以前の栄華時代よりも一層の安心と、幸福の生活に入るであろう事を、私は確信するのである。」
明主様御教え 「日本人の依存性」 (昭和25年3月25日発行)
「現在の日本人をみる時、その依存性のあまりに強い事である、
これを大にしては日本政府の貿易その他についての外国への依存である、
また民間においてもヤレ政府の補助金とか、ヤレ日銀の経済援助とかは元より、
中小業者は中小業者で、銀行の貸出がなければ窒息するなどといい、
一般個人にあっても親戚知人から金を借りないとやってゆけないと言うかと思えば、
子は親の力を借りなければ学校の勉強が出来ないなどという、
その他失業者や未亡人等にしろ、当局の援助や社会事業団体の救済を当てにしている等々、
どこを見ても他の援助なくしては、どうにもならないようで、これらをみる時、日本人の依存性に驚かざるを得ないのである。
しからば、この根本原因は何がためかというと、全く根強い封建思想のいまだ抜け切れないためとしか思われない、
それというのは、昔は国民の大多数を占めている階級としては、武士役人を主なるものとし一般町人階級である、
前者は殿様から支給される扶持(ふち)によって生活し、後者は少数の旦那衆は別とし、
信用人階級は何年間または何十年間薄給ながらも生活を保証されている、
そうして彼らが独立の場合暖簾(のれん)や得意を別けてもらう習慣になっている、
また労働者は今日のごとく団体権等はなかったから大名の御出入りや、町家の旦那方の引立によって生活しているという訳で、
ほとんどは独立対等的ではなく、強力者の恩恵によって生活していたので、生存権などはもちろんなかった、
この状態が何世紀も続いて来た以上依存心の容易に抜け切れないのも無理はないと言えよう。
また女性は女性で、年頃になっても今日のような職業婦人はないから、親に依存せざるを得ないと共に、
嫁しては夫の家を一生の墳墓として絶対服従であると共に、夫及び姑の命に背く事は婦道に反するとさえ思われて来たのであるから堪らない、
ちょうど蔓科植物のようなものでしっかりした物にしがみついていなければ生きてゆかれないという状態であった。
ところが右に引換え、彼の米国などを見ると余りに異うのである、同国建国の歴史を見ても分るが、
彼の英国の清教徒数百人が十七世紀の初め、徒手空拳アメリカへ渡航し、無人の山野を開拓し努力奮闘僅か二百余年にして、
今日のごとき絢爛たる文化的大国家を建設したのであるから日本人の思想との異いさは止むを得ないものである、
同国人が初めから依存したくも相手がない、いかなる困難にブッつかっても自己の力以外に援助者はない、すなわち自己依存である、
自力をもって無から有を生ずるより外に方法がなかった、このような訳であるから、今アメリカ国民を見る時実に羨ましい限りである。
従って、日本国民がこれほどブチのめされた結果、この国を再建するとしたら、何よりも米国民の開拓者精神を学ぶべきで、
むしろこの思想の導入こそ資本導入よりも効果絶大なる事を断言するのである、
そうして精神が物質を支配するという真理からみてもそれが根本的方法である、
ところが、日本の指導者中これに気のつくものはほとんどないと言ってもいいくらいで、
言論機関においても、その説くところは反って依存心の鼓吹である、
極端な言い方かは知れないが、依存心とは意気地なし的乞食根性で、人から同情心を買い、憐れみを乞う訳である、
しかも予期した要求が通らない時は愚痴を言い、不平を並ベ、はては多数の力を借りて、反抗的にまで出て相手を倒そうとするその結果、
自分も倒れるという事に気がつかないようで、その愚や及ぶべからざるものがある、
これでは日本再建どころか、現状維持さえ心許ないというべきである。
そうして、ややもすれば労資間の問題を解決する唯一の手段としてストに出るが、これも一面やむを得ない手段ではあろうが、深く考える時、こういう事になろう、
ストに出れば出る程、その事業は衰退するから結果は収入減となり自分達の給与も減るに決っている、これでは自分の首を自分で締めるようなものである。
言うまでもなく、労資双方とも目的は、幸福である、とすれば一方が不幸で、一方が幸福という論理は成立たない、
どうしても相互関係に立っている以上、相手を儲けさせなければ自分も多くの支給を受ける事は出来ない訳で、これ程判り切った話はあるまい、
従って、資本家が不当の利益を収得するのも間違っていると共に労務者が自己の利益のみを考える事もまた誤りである、
しかも、今日の事業界を公平に検討する時、もちろん戦争前は資本家は確かに儲け過ぎていたしまた国家経済も今日とは較べものにならぬ程の余裕があったが、
現在はどうであろう、事実事業家らしい事業家も資本家らしい資本家もほとんど全滅したと言ってもいいではないか、
大財閥は解体し金持階級はほとんど没落してしまった、ゆえに以前のように共産主義者の敵とした地主も資本家も消滅してしまったので拳骨のやり場に困るであろう、
この現状によって考える時、今日の急務は大資本家は危険の存在としても、中資本家が相当出来なければ事業の繁栄は到底望めまい、
昨年米国は資本の蓄積方針を日本に慫慂(しょうよう)したのもこれがためであろう、
彼のソ連においてさえスターリン氏が最初資本家を打倒し過ぎたため、事業の運営が旨くゆかないので、中資本家育成の道を開く政策をとったにみても明らかである、
以上のごとくであるから、日本の現在としては労資協調どころではなく労資の固い握手である、
これによってのみ労働者の福利増進は望み得る事は断言し得るのである、
しかるに何もかも闘争によらなければ解決しないように思うのは恐るべき錯覚でしかあるまい、
これに気付かないとしたら労資双方とも自滅するより外ないであろう。
これによってこれを考える時労資問題といえどもストという手段は依存心の表われでしかあるまい、
というのは資本家に賃銀値上を要求するのは資本家依存であるからである、
もし自主独立心を発揮し仕事をするとすれば成績が向上し資本家の方が労働者に依存しなければならない事になろう、
従ってまず資本家に儲けさしておいて公正なる分配を要求するこそ本当であるから、資本家も否やは言えず応ずるのはもちろんで、
この方針をもって進めば労資の問題の解決など左程難事ではないと思うのである、
しかるに現在は逆の考え方で、事業不振を解決しようとしないで賃銀のみ値上しようとするのであるから無理を通そうとするとしか思われないであろう。
これを要するに、この際国民一般から依存心を思いきって除く以外、最善の方法はあるまい事を警告したいのである。」
明主様御教え 「日本再建の指針」 (昭和24年5月30日発行)
「私は今日本今後の国策を論じてみようと思うが、その前にまず日本という国の使命を語らなくてはならない、
そもそもこの世界において数多くの国があるが、いずれの国といえども神が世界経論の必要上、それぞれ本来の使命を与えてある、
元より日本といえどもそれに漏るるはずはなく、特殊の使命のある事も当然である、
しかるにその使命が今日まで判然としていなかったため、人間の勝手な解釈の下にはなはだしい間違いを行い
その結果現在見るごとき惨澹たる国家となった事は今更言うまでもない、
日本歴史を繙(ひもと)いてみれば明らかなるごとく、昔から英雄や豪傑が輩出し、そのほとんどは戦争と言う暴力を振って権力を掌握し、人民を塗炭の苦しみに遇わせ、国土を荒廃に帰せしめた罪悪は随所に見らるるのである、
これを一言にして云えば、日本歴史は権力者の権力奪い合いの記録でしかなかったと言ってもいい、
そうしてその最後の大詰が今次の太平洋戦争であった事は疑う余地のない事実である、
それがため、建国以来人民は権力争奪のためにいかに大なる犠牲を払わせられたであろう、
全く日本には人民の歴史というものが無かったにみても明らかである。
しかし右のごとき長い期間中に間歇的に平和時代もあった、飛鳥、白鳳、天平、平安、鎌倉、足利、桃山、元禄享保、文化文政、明治等でその間短いながらも平和文化の発達があり、
その遺産として今日僅かに残っているものもあるが、それはその時代を語る絵画、彫刻、美術、工芸品等であるが、
この僅かな平和期間にしてなおかつ今日見るがごとき素晴しい美術品が製作されたという事は、日本人がいかに卓越せる美的要素を有しているかが知らるるのである。
次に日本の風土である、日本くらい風光明媚なる国は他にないという事は外客の絶讃措かないところである、
また草木、花卉類の種類の多い事も世界に冠たるものがあり、四季の変化も他国にその比を見ないそうである、
それが山川草木の変化に現われ、春の花、夏の青葉、秋の紅葉、冬枯れ等それぞれの季節美を発揮している、
また建築においての木材その他の自然美を活用する技術も特有のものであり、
美術および美術工芸品においての淡白と気品に富んだ香り高い日本画や独特の蒔絵、陶磁器等に至るまで、外人の垂涎(すいぜん)措く能わざるところのものである、
戦争中、京都奈良の美を保存すべく彼のウォーナー博士の努力によって空襲を免れたという事も外人としての日本美術の理解によるためであった事はもちろんである、
その他食物においても魚介野菜の種類の多い事と、調理法のその一つ一つが自然の味を生かす技術も独特の文化であろう。
以上によって考える時、日本本来の使命が那辺(なへん)にあるかを窺い知らるるのである、
それはいうまでもなく、自然と人工の美をもって世界人類の情操を養い、慰安を与え平和を楽しむ思想を豊かならしむべき大使命のある事である、
これを具体的にいえば日本全土を挙げて世界の公園たらしめ、あらゆる美の源泉地たらしむる事である。
しかるに何ぞや、本来の使命とおよそ反対であるところの軍国主義をモットーとし、長い間それに没頭他を顧みなかった事で
以上の意味に目醒めて深く考える時いかに誤っていたかを知るであろう、
見よ、敗戦の結果、軍備撤廃という空前の事態も、全く日本の真の使命を悟らしむべき神の意図でなくて何であろう、
そうして軍備廃止について、日本人中無防備国家として憂慮する向も相当あるであろうが、それは杞憂に過ぎないと思うのである、
何となれば日本が世界の公園として、善美を尽くし、地上楽園の形態を備える事になるとすれば万一戦争の場合、敵も味方もこれを破壊する勇気は恐らくあるまいと思うからである。
本教団においても、ここに見るところあり、すでに着手しまたは準備中のものに、箱根熱海の風光明媚なる地点を撰(えら)み、庭園美、建築美の粋を尽くした小規模ながら将来における地上天国の模型を建造製作し、
それに付随して美術及び美術工芸品の海外紹介所ともいうべきものを設置し、また花卉栽培とその輸出を目的とする一大花苑を企画し、
熱海の隣接地に目下三万坪の土地を勤労奉仕隊の手によって開発中である、
これについて特に言いたい事は、日本の多くの輸出品中最も特色ある繊維品はある限度を越える事は困難であり、
機械類、造船、汽車、電車、自動車、自転車や雑貨等も、高度の文化国へは大衆向の普通品に限られ、
民度の低い国の需要をようやく満すくらいである、高級機械類、雑貨、文化資材等に至っては米国初め他の先進国に追つく事は前途遼遠であろう。
以上の意味によって、今後日本のとるべき国策としては観光事業と美術及び美術工芸品、花卉類の輸出を措いて、将来性のあるものはほとんど無いと言っても過言ではなかろう。
しかしながら最も関心事であるものとして日本人の健康問題がある、いかに観光施設が完備し、外客憧憬の的となったとしても、
伝染病や結核が瀰漫(びまん)していては、せっかく招待しようとしても美邸の門を閉しているようなものであろう、
また今一つは日本産の野菜である、日本古来の人肥のごとき寄生虫伝播の恐れあるものを使用する一事は、外客誘致上少なからぬ障害となろうから、
本教の主唱する無肥料浄霊栽培法を実施すべきでこの点実に理想的である、これによって右いずれもの障害は除去され得るのである。
大体以上の説明によって略(ほ)ぼ認識されたと思うが、日本の国土にこれら計画や施設が完成された暁、
吾らが唱える地上天国は如実に出現さるるのであっていかなる国といえどもこの事を歓迎しないはずはあるまいと思うのである。」
明主様御教え 「日本文化の特異性」 (昭和25年1月1日発行)
「日本人諸君に対(むか)って大いに言いたい事がある、というのは、日本の国柄と日本人としての特異性である、
これが心底まで判ったとしたら決して敗戦や亡国のような悲惨な運命にはならなかったのである、
よく自分を知るという言葉があるがそれを推しひろめて自分の国を知らなくてはならない、
昔のように鎖国時代ならともかく、現在のごとくすべてが世界的となり国際的となった以上、
どうしても自分の国を知る事が肝腎である、すなわち我邦(わがくに)としてはいかなる役割をなすべきか充分知る事である。
右のごとく日本の存在理由を認識出来なければ国家の大方針は確立されるはずはないのである、
何よりも終戦までの日本を見ればよく分る、それまでは国内的には、軍閥と称する特権階級が絶対権力を揮って少数者の意図の下に勝手放題な政治が行われたのである、
それがため一般民衆は権力者に対し、何らの発言権もなく、唯々諾々(いいだくだく)として奴隷化されていた事でこれは今なお記憶に新たなるところである、
なるほど明治以来憲法を制定し、代議政体を作り、民意を尊重するかのように見せかけて、実は政権は少数者の手に握られついに無謀な戦争を惹き起したのである、
ちょうど羊頭(ようとう)を掲げて狗肉(くにく)を売るのと同様である。
ここで、日本歴史を省りみてみよう、実にこの国は神武以来内乱の絶間がなかった、政治は全然武力に支配されてしまった、
武士道の美名に隠れて個人としては殺人行為の優れたものが勲力を得、戦争の勝利者が時代の覇者たり得たのであった、
以上のような暴力的太い線によって引きずられて来たのが、終戦までの日本であった、
その太い線が敗戦という一大衝撃にあって、もろくもたち切られたのである、
この意味を日本人全体が深く認識しなければ平和国家としての真の国策は生れないのであろう。
右に対し重要なる事は日本の再認識である、というのは元来日本という国は吾々が常にいうところの封建的武力国家とはおよそ反対である平和的芸術国家でなくてはならない、
それが日本に課せられたる天の使命である、したがって、再建日本という事をよく言うが、ただそれだけでは大した意味がない、文字通りとすれば軍備のなくなった民主的国家というだけである、
それももちろん喜ぶべきではあるが実は世界に対し日本の特殊的役割を自覚し全人類の福祉により貢献すべきで、
それが新日本としての真の役割である、吾らはその理由を順次かいてみる事にしよう。
まず何よりも日本国土の風光明媚なる点である、これは恐らく、世界に比を見ないであろう、外客が称讃の声も常に聞く所である、また気候においても春夏秋冬の四季が鮮明であるという事にも大きな意味がある、
それは山川草木はもとより風致における絶えざる変化である、この四季については、先年高浜虚子氏が、世界漫遊後の言に徴しても明らかである、
氏は「日本程四季のはっきりしている国は世界中どこにもない、俳句は四季を歌うのであるから日本以外の国では本当の俳句は出来ない」との事である、
その他、草木、花卉、魚介の類に至るまで日本程種類の豊富な国はないといわれる。
特に、日本人の特異性としては手指の器用である、という事は美術工芸に適しているという事で
何よりの証拠は前述のごとくほとんど戦国時代の続いた過去をもつ日本が幾多の優れた美術が作られた事で、今においてもその卓越せる技巧に驚歎するのである。
大体以上の理由によってみても日本及び日本人がいかなる使命を有するかはよく分るであろう、
これを詮じつめれば日本全土を打って世界の公園たらしめ美術に対する撓(たゆ)まぬ努力によって最高標準にまで発達せしめるべきである、
すなわち吾らの唱える観光事業と美術工芸の二大国策を樹立し、それに向かって邁進する事である、
この結果として全人類に対し思想の向上に資するはもちろん、清新なる娯楽と慰安を与える事である、一言にしていえば高度の文化的芸術国家たらしめる事である。
現在、全人類は戦争を恐れ平和をいかに欲求しているかは、今日程痛切なる時代はないと言ってもよかろう、
吾々が常にいうごとく戦争の原因は人間に闘争心が多分に残っているからである、
もちろん、闘争心とは野蛮思想に胚胎(はいたい)するのであるから、いわば口には文化を唱えながら実は野蛮性の脱皮はいまだしで
この解決の方法こそ人類の眼の向かうところを転換させる事である、
その転換の目標こそ芸術であらねばならない、言い換えれば闘争という地獄世界を芸術という天国世界に転換させるのである、
要するに恒久平和の実現は、武器の脅威で作るのは一時的でしかない、どうしても根本としては思想の革命である、
思想の革命とは宗教と芸術以外決してない事を断言するのである。
以上の意味において再建日本といわず再建新日本といいたいのであって、その国策としてはもちろん芸術化国家以外にないのである。」
明主様御教え 「蓬莱島」 (昭和26年5月30日発行)
「日本は平和文化的にみると、まことに優れた国であると常に思っているが、それについて気の付いた事を少しかいてみよう。
私は美術品が好きで、若い頃から機会ある毎に、そういう方面に事情の許す限り心を寄せて来た。
今日といえども見たり、娯(たのし)んだり、研究したりしているが、
驚くべき事は、世界中の美術品のほとんどの種類は、日本に集っているといってもいい。
その中で特に言いたい事は、中国の美術品が多く蒐集(しゅうしゅう)されている事である。
これは古い頃からその時代の好事家(こうずか)的権力者が蒐集したもので、
それが今日まで、よく保存されて来たのである。
これは見逃す事の出来ない業績であって、何よりも長い期間破損や散逸を防ぎ、よく扱われて来た事でこれは藤原期頃かららしいが、
それに加えて日本に生まれた名手、巨匠等の優れた作品も残され、
その上幕末頃から明治に入ってからも、名品、傑作が数多く生まれ、
しかも財閥、富豪等競(きそ)って蒐集した事によって、
日本は新古美術品、支那、朝鮮の名品を網羅し、豊富に蔵されており、
また西洋の物も相当ある。これは世界に比(ひ)なき国といってもよかろう。全く日本は世界の美術館である。
ところで、本元である中国はどうかというと、絶え間ない兵火の乱によって、美術品なども破壊焼失され、特に古い絵画などはほとんどなく、僅かに銅器、陶磁器の類が、残されていたに過ぎない。
これは土中物と称し、長く土中に埋められていたため助かったもので、相当残ってはいたが、
数十年以前から英米の富豪や有識者が、これに目を付け、買漁(あさ)った事によって、今はほとんどないそうである。
今日倫敦(ロンドン)博物館(同国の富豪ユーモー・ホツプレス氏の寄贈)と米国のボストン、ワシントン等の美術館には相当あり、
私は写真でみたが、右両者共ほとんど銅器並びに陶磁器で、もちろん優秀品のみである。
しかし絵画に到っては古い物はなく、近代のものが若干あるくらいである。
ところが日本には、中国、朝鮮の銅器、陶磁器、絵画などもどのくらいあるか分らない程である。
しかし、全国的に散逸しているので、英米のごとく一堂に集ってはいないから、観る事が出来ない。
言わば宝の持ち腐れである。
もっとも日本においても博物館はじめ、私設美術館も数カ所あるにはあるが、まことに物足りない感がする。
肝腎な博物館は歴史的考古学的の物が主となっており、私設美術館は、失礼ながら小規模すぎる嫌いがある。
美術方面はそのくらいにしておいて、今一つの重要なる事をかいてみたいが、外でもない人間の寿齢である。
神武天皇以前はともかくとして、以後でさえ普通一般の人間は、百歳以上の寿齢を保っていた事は、文献等にみても肯(うなず)かれる。
としたら病などなかったに違いない。
これは全く薬剤がなかったからでもあろう。
彼の有名な秦の始皇帝が、臣(しん)徐福に命じ、東海に蓬莱(ほうらい)島あり、
その島の人間は、非常に長寿であるそうだから、定めし良い薬があるに違いないから、調べて来いと言われ、
遥々(はるばる)日本へ渡来されたという事である。
ところが日本へ上陸し、どこを探してもそんな薬はないので、彼は失望と共に本国へ帰り得ず、
日本にそのまま滞留して生を終えたという事で、
今も四国にその墓があるにみて、確実であった事が判る。
以上簡単にかいてみたが、人民ことごとくが無病となり、百歳以上の寿齢を保つ事が出来、世界中の美術品、が豊富にあり、山水の自然美に富めるとしたら、
これが東海の蓬莱島と言わずして何であろう。
といって喜ぶのはまだ早過ぎる。
何となればその上に犯罪者がなくなり、食糧の自給自足が出来、戦争の心配がなくなってこそ、初めて真の蓬莱島である。
しかしそれは難しい事ではない。
本教が日本人の大多数に知れ渡るようになれば、間違いなく実現するのである。
何と有難い宗教ではなかろうか。」
明主様御教え 「観光日本について」 (昭和28年7月22日発行)
「私は去る五月二日アメリカから来た日本系の観光団の感想をラジオで聴いたが、その中で異口同音にいう事は、
日本は景色は素晴しいが、
便所の構造の悪い事、
宿屋の便所にタオルのない事、
電車などで男性が不親切で、老人や女性に対し席が空いても、男が慌(あわ)てて腰掛けるのは、
アメリカでは見られない光景である事、
京都を除いて他の都会は道路が狭く悪い事等の話であるが、これについていささか思いついた点をかいてみよう。
というのは私は箱根美術館を造り、次は熱海美術館、その次は京都美術館というように、各所に美術館を造ると共に、
日本独特の庭園をも造る計画であるが、その目的とするところはもちろん日本人を楽しませると共に、
国策上 観光外客誘致に貢献したいとの考えからである。衆知の
ごとく日本の風景は世界に定評のある素晴しさであり、今後交通機関発達と相まって、観光外客の数も益々増えるに違いないから、
右のような欠点は何を措(お)いても、急速に改善しなければならないと思うのである。
それについて吾々としても、せっかく立派な地上天国の模型を造っても、他の諸々の条件が具わらないとしたら、遺憾この上もないので、この点 朝野(ちょうや)を挙げて努力して貰たいと切に念願するのである。」
明主様御教え 「日本の誇り」 (昭和29年1月1日発行)
「これは衆知のごとく、昔から日本には世界に誇り得る程のものは、遺憾ながらほとんどなかったといっていい。
強いて求めれば人間が造ったものの内、絵画、彫刻のごとき美の文化財くらいなものであろう。
言うまでもなく宗教や学問、その他の無形文化財にしても、外国を凌ぐ程のものはなかったのは確かである。
それが日本人の物真似好きの原因となり、劣等感の原因ともなっているのであろう。
ところが喜ぶべし、私が神示によって創成した神霊医学なるものは、恐らく有史以来未だ嘗(かつ)てない偉大なものであって、
これこそ初めて世界に誇り得るものが日本に生まれたといっても過言ではあるまい。
従ってこの真相が分った暁、世界を挙げて愕然とするであろう。
そうしてこの発見がいかに素晴しいものであるかは、これが動機となって世界文明はここに百八十度の転換となり、新文明生誕となるのは断言するのである。
故にそうなった暁、日本国民は今更のように驚き、手の舞、足の踏む所を知らざる一大歓喜の渦に巻かれるであろう。
ここにおいて我民族のいかに優秀性であるかを感得せずにはいれまい。
何しろこの事たるや全人類が何千年も前から要望し、念願していた最大悩みである病気が追放され、
人間の寿齢は百歳以上は易々たるものであるという夢の実現であるからである。
というように、むしろ余りに破天荒、意想外な福音に、唖然として、本当に信じ得るまでには相当の時を要するかも知れないと思う。
という訳でいずれはこの真相が一般に分り出すに決っているから、そうなったらまず最初日本人が狼狽するのは目に見えるようである。
次いでいよいよ世界に分り出したら、いかなる民族も何を措いても飛びついて来るのはもちろんである。
その結果二十世紀後半に至った今日、世界の歴史はここに書き変えられると共に、
日本は一躍世界の救世主として仰がれると共に、釈迦、キリストをはじめ、幾多聖者の予言の裏付がここに実現した事によって、その教の信仰者の歓喜もまた大変なものであろう。
その結果ここに苦悩の世界は一転して歓喜の楽土と化し、人類の理想世界は実現の一歩を踏み出す事となるのである。
しかもこれは単なる夢ではない。現に着々として進行しつつある事実を見れば、絶対確信していいのである。」