大本教について 2


明主様御講話 「大本教発生の理由」 (昭和26年9月21日)

「これは「文明の創造」における「宗教篇」です。この前読みましたがその続きです。

これはみんなが分からないことをずいぶん書いてますからおもしろい点も大いにありますが、

また非常に参考になる点もありますから特別耳の穴をかっぽじって聞きもらさぬように。

(御論文「仏教の起源」「伊都能売神」「観世音菩薩」拝読)

これでまだいろいろおもしろいことがあるが、ちょっと書けないことがそうとうあるのですから、そういうのは話をするかしようと思っているが、

ここに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供で五人としてあるがもう一人ある。

もう一人というのは伊弉諾尊と言う神様は国常立尊になるんですね。

息子に国武彦尊(くにたけひこのみこと)と言うのがありそれが一番長男になる。

当時大将軍と言い勇猛でかなり勝手なことをやっていたその罪によって、言わば地獄に行かれたようなことになる。

一番末が初稚姫尊(はつわかひめのみこと)と言い、これが天理教祖の中山みきとなる。

そういうようにいくども生まれ変わっている。大将軍の妹になる。

そこで霊界で地獄と言ってもふつうの人間と違います。

修行するんです。修行した結果、大いに世の中のためになろうと言うので天理教祖の中山みきに憑った。

それで中山みきに最初憑ったのは夫の大将軍が憑ったんです。

そういう因縁なんです。

そこで最初のうちは力がありますから病気治しもさせたが、その力によって良く病気が治った。

それで最初は病気治しで世の中に出たんです。

それからもう一つ日本民族の霊的考察の中にありますが、そこにもっていってそれを出雲系・・・素盞嗚尊が利用した。

利用して、そうして、盤古神皇に取って代わろうとしたわけです。

それが徳川家康の系統なんです。

それは霊的考察にざっと書いてありますが、そういう意味です。

天理教の本体を書くことは天理教に悪いですからそこで書かなかった。

それからもう一つ書こうと思って止したことがある。


いまの稚姫君尊(わかひめぎみのみこと)ですね。

これがこの次に書きますがお釈迦さんですね。

ですから釈迦、阿弥陀というのは伊都能売神皇がインドに行かれて観自在天というお名前になられ、霊は釈迦と阿弥陀となった。

阿弥陀は素盞嗚尊です。

そこで稚姫君尊は釈迦になる。

そこで釈迦は変性女子(へんじょうにょし)と言われたというのは稚姫君尊だから女になる。

それで弥勒三会にあります「鐘の音」というのがありますが、三人の弥勒というのは釈迦が報身、報いるという字です。

阿弥陀が法身(ほっしん)弥勒、観音は応身弥勒、これが三尊の弥陀になる。

ところが弥勒三会というのは大本教になる。

大本教はそのために出た宗教です。

大本教祖出口なおと言う方は釈迦の稚姫君尊です。

大本教のお筆先にあるが「直の御魂は半分は国常立尊、半分が稚姫君尊である」というのはそういうことです。


出口王仁三郎聖師様この方が阿弥陀になる。

それで自分は月の神様で、瑞月(づいげつ)という名前をつけたんですね。

だから寂光の浄土と言いますね。月の天国と言うんですね。

そんなようなわけで、大本教の教祖さんが釈迦になる。

そうして聖師さんが阿弥陀となる。そこの二人に生まれたのが私です。私が応身弥勒ですね。

この三人が会った。これはだれも知らない。

私は知らせたくないと言うのは、大本教の信者がこっちに来てしまうからね、だから書きたいが書かないんです。

分かったらたいへんだからね。

そんなようなわけで応身の弥勒と言うのは観音です。

そこで観音会をつくった。観音を芯にしてやっていたからね。

つまり大本教は天理教と姉妹教になる。

それで大本教では天理教の教祖を祀ってやっている。

教祖さんの出口なおの妹になる。

で、その親が伊弉諾尊・・・国常立尊になるわけです。

なかなかここのところは不思議です。

すっかり分かればなんでもないが、なかなかね。

それで仏というのは神の化身です。

化身ということはインドは大自在天が支配していたとき、バラモンというのがインドですから、そこに仏教を弘めなければならないと言うので、

最初稚姫君尊と素盞嗚尊が行って仏教の基礎を作った、そこに伊都能売神皇が行った。

それを化仏化神と言う。そのとき天の八人のお子さんで五男三女と言う、これが八大龍王になる。

なぜと言ってそのとき五男三女というのは、自分はインドに行くのは嫌だと言ってどうしても日本にいると言う。

仏はいずれ仏滅の世になると言うので龍神になってそれを待たれた。

日本の近海ですね、越後と佐渡の間だとか、東北のほうにもあるし、房州と関東の間の海、九州の有明、そういう所に飛び込んで時を待った。

それが八大龍王です。そうして総大将が伊都能売神様ですね。

それが日本に帰ろうと思ったところ、いま読んだように帰れないので霊で日本に来て自分も仏滅まで隠れていると言うので、

先にも言った通り近江の琵琶湖に入り琵琶湖の底に龍神となられて、これが金龍ですね。

それで霊でも霊と体がある。霊の体のほうは木花咲爺姫(このはなさくやひめ)で、そうして富士山に祀られている。

それから琵琶湖のほうが伊都能売金龍として隠れている。

このことは先に書きましたが、そうして時を待たれた。

そうして約三〇〇〇年、本当言うと二六〇〇年ですが、これが最初三〇〇〇年のつもりだったが神様のほうで力を強くしたんですね。


それで邪神のほうも書きます。邪神のほうの活動ですね、たいへんなんです。

こういう宗教的なものはいままでなにもないが中味をさらけ出すわけです。

いままではこれを分からせることができない。

なぜ分からせることができないかと言うと時期が早いからです。

やはり成功しないからです。

と言うのはいろいろ夜の世界と昼間の世界の関係もありますからね。

邪神のほうの活躍ですね。

まだずっと先までやるつもりだったが、だんだん神様のほうでも強くなって、邪神のほうがこの辺で往生することになる。

邪神の活躍というのももうじきなんです。

それで五六七(みろく)の世ができるんですがね。

大本教のお筆先にありますが、「遅き速きはあるが一度神の申した事に違いはないぞよ」これは千変万化邪神に対抗していくことになるので、

いままでの私とメシヤ教に対するいろいろな手も邪神との闘いです。

いまもって続いているわけですがね。だんだんこっちのほうが勝って行くわけです。

もう一息ですね。もう一息でこっちが本当に勝って行く。

そこでその期限と言うのは来年あたりですね。

来年は勝って行く。しかし先でもいろんな妨害があるんです。五六七の世まで続くんです。

しかし先のほうでだんだん弱まってきますから、同じ闘いでも楽になってきますね。

ですからもうわずかです。もう一息です。

来年から再来年にかけて、すばらしいいろんなおもしろいことがある。

それから霊界もなかなか複雑ないろんなことがある。

ちょうどいま出てますがね。中共と連合軍との停戦協定ですが良く現われている。

邪神のほうでもなかなかね。それから神様のほうでも、つまり一挙にやってしまえば邪神が負けるんですが、

そうすると救われない者や亡ぶ者がたくさんできますから、神様の慈悲によってそういう者を救いながら分からせる。

そうして被害を少なくしようというのが神様の慈悲なんです。

そのためにまだるっこいようなことがあるんですね。

あんまりまとまらない話ですが、大本教との関係ですね。一つおもしろいことがある。


私が大本教にいるとき、東京の支部長というので羽藤という軍人ですが、陸軍の中佐かあたりで現役じゃなくて退役ですが、大本教でほうぼうに冠句の選に招ばれた。

これが中野の支部長をやっていた。そこで冠句の句を訂して書いたところ、この羽藤という人の魂によほど刺激を与えた。

これはたいへんだ、岡田さんは唯者(ただもの)じゃない。

そこでついに精神病になって綾部に行ったんです。

私が羽藤さんを発狂させたという噂がたった。

それで綾部に行って中野武営と言う人で熱心な信者で幹部になったが、そこの家は羽藤という家といくらか親戚で、すると聖師さんから私に電報が来てすぐ来てくれと言うので行った。

いま羽藤が気違いになって私の所で治らないからあなた治してくれ、どうもあなたが原因らしいと言うので、とにかく会いましょうと言うので会った。

みんながいる所では話ができないと言うので別間に行ったところ、ふつうの精神病とは違う、まじめです。

私の御魂はこう言うんです。

私は世の中をもち荒らした邪神の頭目じゃないが、邪神の頭目にすっかり瞞されて世の中をもち荒らした。

それでどうしても霊界に行かなければならない。

そうしていままでの罪を贖罪しなければならない。

しかしあなたは霊界で長い間苦しまれていたが、私と交替になるのでしっかりやってもらいたいと言うんです。

気違いどころじゃない。つまり神様は気違いにさせておいて知らせるんです。

だから神様はなかなかうまい手段で知らせると思った。

国常立尊が閻魔大王で三千年の間霊界で観ていられた。

それが今度出たお筆先に、「今度は国常立尊がこの世の閻魔になり世の建替えを致すぞよ」というのがあり、建替えとは審判です。

だから今度は俺を使って国常立尊が審判をするんだと思った。

それからすぐに羽藤という人は死にました。

いろいろなことがあり、なかなか神秘です。本やなにかに書くことができないんです。」




明主様御教え 「大本教とは何か」 (昭和10年9月5日発行)

大本教とは何か
「それは世界の型であります。

教祖は絶対善で人間として又婦人としてこれ以上の人格者はありません。

間違ったことは絶対にしない人でありました。

これは東洋の善の型なのであります。

大本は私の生みの親であり、バラモンの善の型であるのが、教祖出口直子刀自であります。

出口王仁三郎先生は西洋の悪の型でありまして、悪事はしないが色々な事をやるのであります。

これは西洋の物質文化を建設する型であります。

善悪不徹底で世界を救う為には、悪も何んでも善いと言う人であります。」



三位一体
「この大本教の二人が私と共に三位一体となるのであります。

王仁三郎先生は西王母になります。三千年の桃の実を天皇に献じたのであります。

私は桃の実であります。

桃太郎は私で、王仁三郎先生は婆で、教祖は爺であります。

昨年私が生れたから母体たる大本教から離れたのであります。」



鬼ケ島征伐
「五月五日から鬼ケ島征伐となるのであり、五月五日は桃の実の節句であります。

三月三日は桃の花の節句であります。

私が桃太郎でありますから、信者はその従者である犬、猿、雉に当るのであります。

つまり臣であり、又桃太郎は千手観音であります。

出口王仁三郎先生の写真の中で二十年位前の写真に、お腹に日が宿っている写真がありますが、あれは胎臓の弥勒であります。
 
昨年私が大本を止める時、大本と大喧嘩をしたが、それは生みの大陣痛であり、

又その時の型が今度の伊太利(イタリア)エチオピヤ問題にからんで欧州方面のゴタゴタの型なのであります。

満州事変の時もその型をやりました。

私がいろいろ世界の型をやるので、これが全世界に拡がるのでありますから、私は予言が出来るのであります。

神界へ出た事は必ず現界へ出るのが原則でありますからであります。

今に観音会が非常に発展する事や、日本が世界的に発展を来す事も充分解っているのであります。」 (「観音講座 第六講座」より)




明主様御講話 「大本教は明主様を生み出すために生まれた」 (昭和27年10月1日)

信者の質問
「大本教に入っていたとき、やっぱり理屈屋で変なことを考えておりました時分ですが、

大祭のときに聖師様(註 出口王仁三郎師のこと)に虎と熊が憑ったところが二日間動かないで床縛りになったことがございました。

私は神様だと思っておりましたが、神様がそんな馬鹿なことがあるかと思っておりましたので・・・」


明主様御垂示
「そうそう私が治してやったのです。

口が利けないので、これはいかんと霊で何したら二時間ばかりで口が利けるようになったのです。

それでずいぶん困ったことがありました。面会に行って治してやったのです。


大本教というのは、やっぱり私を出すために現われた宗教なのです。

つまり教祖様という人は、仏教的に言えば釈迦です。

聖師様という人は阿弥陀です。

それで釈迦と阿弥陀が観音を生むのですから、私は子になるわけです。

ですから私は大本教から生まれたわけです。

それで、父と母になるわけです。これは神秘なものです。

だから教祖様は「イズ」で聖師様は「ミズ」で、私が伊都能売(いづのめ)ということになるのです。

「イズ」と「ミズ」の両方の性格を総合密合させたものです。

それが私になる。教祖様や聖師様にしても、外のことは偉かったが力がなかったのです。

病気を治すということでも、力がなかった。なぜかと言うと、力というのは霊と体が密着して力が出るのです。

経と緯が組んで力が出るのです。

それが私です。「チ」は霊で、「カラ」は体だから、霊体が一致して「力」が生ずるのです。

つまり伊都能売というのは力です。


だから力を持っているというのは今まで世界に出なかったのです。

その力が世界的に広がっていけば良いのです。

ですから観音というものはそれになるわけです。

観音力というのは、ちょうど男と女、火と水、経と緯、それが一致したものです。

そこで観音力と言って、阿弥陀力とか釈迦力とかキリスト力なんてありやしないのです。

また、力というものは制限がないのです。

無限のものです。だからこの頃キリストと同じような奇跡を信者が行うが、

そうすると力という点ではキリストは私の弟子くらいしかなかったのです。

ところが力においては、日本中の立派な坊さんでも信者の足下にも追いつきません。

弘法大師でも法然上人でもその点においては、こう(御浄霊)やって病気を治すことはできなかったのです。

ところが信者が何千万何百万になっても、私が書いたものを懐に入れていればできるのですか

そうすれば私の力というものは無限と言っても良いのです。」




明主様御垂示 「大本教は明主様を生み出すために生まれた」 (昭和26年4月1日)

信者の質問
「最近大本の亀岡が燃えましたが、木造の尉(じょう)と姥(うば)が焼けずに出て来たそうですが、皆奇跡だと言っているそうですが、そのようなことがありますのでございましょうか」


明主様御垂示
「それは当たり前です。尉と姥は、私の親みたいなものです。

尉と姥が観音さんを生むんです。

尉と姥は伊弉那岐(いざなぎ)、伊弉那美(いざなみ)の神様です。

大本教の教祖様は尉で、聖師様が姥です。」




明主様御講話 「一厘というのは私」 (昭和26年12月6日)

「あくまで、善のほうが勝つという・・・抑えつける力があるということが本当なんですね。

そこで、やはり十字になるんですよ。

経は善ですからね。緯のほうが悪ですね。

どっちに偏ってもいけない。つまり経のほうが緯よりかちょっと長ければね。

それで、同じでも霊のほうが勝つ・・・霊主体従だからね・・・原則になっているから、それで良いには良いがね。

それで、私はいつか男女同権論ではいけない。

男女合憲論と書いたが、そこで男が五分五厘で、女は四分五厘ですね。


人間の簡単なことはそれで良いが本当の大きなことから言うと九分九里・・・神は一厘になっている。

悪のほうが一厘でも勝つとすれば世界は崩壊している。

そこで九分九里と一厘ーあるいは神は十全とね。


だから、大本教のお筆先に「大本は一厘の仕組であるから、一厘の御魂が出たら世界は引っ繰り返るぞよ」というのがある。

一厘で、手の平を返す。で、一厘というのは、つまり私なんですよ。

これは先にも話したことがあるが、ある人から古銭・・・天保銭を一枚、五十銭銀貨、昔の一厘銭を一枚と、三つもらったことがある。

天保銭は年号は書いてありませんが・・・大本教の教祖というのは天保年間に生れた人で、聖師様は明治四年に生れた。

そうすると、五十銭銀貨というのは、明治四年なんです。

私は一厘だから一厘をもらった。

そのとき神様は、おもしろいことを知らされたと思った。

だから、大本教の教祖は経の御魂・・・変性男子でね。

変性女子は聖師様で、聖師様は緯の御魂であるからとね。

経と緯を結んで、真中のポチだね。

つまり心棒みたいなものが一厘になるわけです。

で、一厘で手の平を返すというのはー私がやっていることは、一厘で手の平を返すことになる。

今までのあらゆる間違った文化ですね。・・・

それをはっきりさせるために・・・ひっくり返っちゃう。

ただ、理屈だけじゃ駄目だから病気は薬をなくして治して健康にしてしまう。

それから、食糧でも・・・作物でも、肥料を使わないで増産する。

農業をひっくり返しちゃう。

それから、犯罪は魂さえ神様と繋がれば犯罪はなくなる。

と、みんな一厘でひっくり返すという意味になるんだね。

夜の救いが昼の救いになる。つまり、暗(くらやみ)が昼間になるというわけですね。

神様のほうは、そういう風に決まっているんだからね。

そういうことも「文明の創造」に書いてある。」




明主様御垂示 「一厘というのは私」 (昭和26年10月5日)

信者の質問
「お筆先にあります「天が六、中界が六、地が六」というのは、どういう意味でございましょうか」

明主様御垂示
「そうですね・・・つまり、夜の世界だったんですね。天も夜、地も夜というんですね。おもしろい比喩ですね。

一厘の御魂が天から降りて、天が五になり、地が七になるというのは嘘じゃないんだからね。

一厘の御魂というのはおもしろいものですね。

昔、二十年くらい前・・・大本教にいた時分にある人から古銭をもらった。

一厘銭と天保銭と金貨をもらった。金貨が明治四年なんです。

それでみると、大本教の教祖様が天保生まれですからね。

聖師様という人は、明治四年生まれなんです。

それで、金貨ですね。

私が一厘で、ちょうどその通りになったんです。

あのときは神様がお知らせになったのだなと思って大事に取っておいたがね。

お筆先に信者の質問「九分九厘と一厘」と書いてありますね。

邪神のほうで九分九厘成功したんですからね。

一厘でひっくり返すんですね。

医学が九分九厘ですね。医学を信じない者は世界中にないでしょう。

それを私が、一厘でひっくり返したんですからね。

まったく、九分九厘と一厘ですね。」


信者の質問
「一厘の御魂と申しますのは、この地上が始って以来初めてでございましょうか」

明主様御垂示
「いや、そうじゃない。二度目なんです。

だから、お筆先に信者の質問「二度目の天の岩戸開き」とありますね。

だから、すべて二度目の形式をとってます。なんでも二度目になりますね。

前の一厘の働きは本当じゃなかったから失敗した。

二度目が本当なんです。」


信者の質問
「大本教のほうでは、一厘の御魂は誰だと思っているのでございましょうか」

明主様御垂示
「分からないんですね。人によっていろいろありますね。

三代様と思っているのもあるだろうし、日出麿(ひでまろ)・・・と思っているのもあるでしょう。

「力のあるのは東から出るぞよ」とか「悪の隠れ場もなくなるぞよ」とある。

いまに大本教で頭を下げてきます。

それで、お筆先にちゃんとあるんです。」


信者の質問
「三代様がいらっしゃったということで・・・」

明主様御垂示
「そうですね。一歩近づいたんです。

力というのは・・・力は今まで・・・本当の神様の力は出なかったのですからね。」


信者の質問
「朝は曇っていて、帰るときは降りましたが・・・」

明主様御垂示
「あれは教祖さんの霊が憑いてますからね。

今度は本当の力が出るんです。

経と緯を結ぶと言うでしょう。結ぶ所で活動が起こる。

だから、経と緯が本当に結ぶときが本当に左進右退の動き出しです。

今までは右進左退だった。それが左進右退になる。

それではじめて邪神のほうが、手も足も出ないようになる。

今までは結んでなかった。別々だった。」




明主様御垂示 「緯と経を結ぶのが明主様」 (昭和26年5月1日)

信者の質問
「出雲系統が宗教にかかって、天理教を動かしていたというのでございますが、

大本教のお筆先は国常立尊ということになっておりますが、いかなることになりましょうか」


明主様御垂示
「教祖様は国常立尊であった。

経(たて)のやり方で、経ばかりじゃ永遠の救いは現実にできない。

そこで、聖師様という方は緯(よこ)なんです。

そこで緯でやって、経でもいけないし、緯でもいけない。

結ばなければならない。結ぶ役が私なんです。

東洋文明が経で、西洋文明が緯です。どっちもいけない。

今の世界の文明は、緯の文明の失敗を現わしている。

伊都能売(いづのめ)の文明が、完全な文明なんです。それを私がやっている。」




明主様御講話 「神様は世界の変化を型で見せる」 (昭和26年10月18日)

「そういう、世界の色々な変化する型というのは、私は始終神様から見せられているので見当がつくんです。

以前には小さな型ですが、この頃の型は大きくなった。

今お話した天国会、五六七会なんかは、今までの教団の流れを見ていくと、やがて世界はこう言う事になっていくという事が分かる。

この一番元と言うのは、大本教なんです。

大本教はメシヤ教が生まれるために出た宗教です。

お筆先の中に「この中は、世界の型であるから、この中を見ておいたらありやかに分かるぞよ」と言うのがある。

非常に面白い。

その一つの現われとして一番分かるのは、大本教が最後に弾圧されたのが昭和十年の十二月八日です。

それから、日本が太平洋戦争を始めたのが昭和十六年十二月八日ですね。

ちょうど六年目ですね。同じ十二月八日というのだから、不思議なんですね。

ところが、神様の方でちゃんと大本教でそれをつくらせて、

日本が太平洋戦争を始めると言うような意味があるんですね。

こう言う事は、実に神様は甚深な綿密な経綸をやられている。

それを、差し支えない事だけは話しますが、あんまりは言えないんです。

残念なんだが、これは仕方ない。


もう一つ面白い事は、以前にも話したが、私が大本教を脱退する前に、

大本教の東京の分院と言うのが、今の和田堀にあった。

あそこで、世界の型をやった。

それは人間でやったんです。

その時の幹部の者で、そこの会長がTIと言うアメリカの型の人で、大変な人気だった。

また一方にはTSと言う元東京の石屋組合の会長があって、この人がソ連の型だった。

それまでと言うのはTIと言うのに、方々にあった支部が皆集まった。

そうすると、TSと言う人は、相当力のある人で落ち着いていたが、

ある動機により「俺の時期が来た」と、ある支部を獲得した。

と言うのは、ソ連が鉄のカーテンを作って、獲得したと言うのと似ている。

東島と言うのは、海軍大佐でその人が会長になっていた事が英国の型になっていて、

その人の長男で、海軍少尉でしたか、逗子の海岸で高い所から飛び込んで、どこか打って即死した。

その時、私は英国が植民地を失うんだなと思った。

植民地というのは、子供を生んだようなものだからね。

今英国が植民地を失いかけてきたのは、その型なんですね。


もう一つ面白いのは、石屋組合長のTSと言うのは、最近今年の夏箱根にいる時に金を借りに来た。

尾羽打ち枯した、実に見る影もない。

洋服もヨレヨレになってね。

温泉事業を静浦の付近でやるのに、資金を借りに来た。

私は断りましたがね。

そう言う事は教団として出来ないと。


私はつくづく思ったが、結局ソ連の最後はこれになるなと思った。

KMという人は、今、茨城県に引っ込んでいて、古い信者から支持されて気楽にやっているそうですが、

これがまたどうなるかと言う事が、アメリカの運命になってくる。

しかしこの人は立派な人ですから、いずれ復活するだろうと思っている。

と言うのは、大本教がいずれ変わりますからね。

その一つの現われが出てますからね。


と言うのは、先月箱根にいる時、三代様が私の所に来て、庭を見せてやって、色々話してやった。

非常に喜んで、今度は、今月末京都に行った時、家内だけ、茶席の会があるから招かれて、

ぜひ来てくれと言うので、家内だけ行くつもりですが、

これは神様が、意味があってやっている訳です。

そう言う点なんか、一つの世界の経綸の型になって来る訳です。

そんなような訳でなかなか色々な意味もあるし、興味もあるんです。

今日はそれだけの話です。

これは大宅壮一と言う、あの人は別に問題にならないのですが、霊写真について、けしからん事を書いてありましたから、

信者でも見たら首をかしげる人があるかもしれないので、そう言った事を書いたんです。」




明主様御講話 「大本教の三代教主の来苑」 (昭和26年9月11日)

「一昨日、大本教の三代教主・・・女ですが、これは現在大本教は愛善苑と言ってやっているが、古い大本教信者も相当残ってますから、その人達が・・・新しい人も幾らか入っているでしょうけれど・・・とにかくやっている。

三代様と言うのは、教祖の出口直というお婆さんの長女が出口スミと言うが、この方が出口王仁三郎先生の奥さんですね。

その娘さん、やはり長女で、その方が三代様です。

一昨日ここに来た。前からの約束で・・・春からの約束で・・・来られた。

庭もすっかり案内して、二時間くらい色々お話したが、これは立派な方です。

それで、いずれあそこも私の方でちゃんと色々世話を焼いてやる様になってますからね。

そんな事言うと、先で誤解するといけないから言いませんが、立派なものをこっちで拵えてやるんです。

綾部にね。それで、あっちに、こっちとは違った、一つの・・・あっちの経綸の中心が出来るんです。

これは以前からちゃんと定まっている事で、ただ時期だけの問題ですね。

そんなような訳で、あの辺も綾部を中心とした所が大変変わる。

お筆先にもありますがね。お筆先によりますと「十里四方は宮の内、綾部は真中にあり」というのがありますがね。


伊勢の大神官さんは、伊勢の山田にありますが、その前は丹波の亀岡で、その前は綾部です。

天照大神様が祀られた中心です。その前が丹後穴太(あなお)神社ですね。

幾度も移ったんです。

私の書いた「日本人の霊的考察」の中で、天照大神様が信州の水上山に逃げられ、戸隠山に籠(こも)られたと書いてあるが、水上温泉と言うのがありますが、

あそこに、私の方で鉱山を買ってやり始めておりますが、やはりそう言った因縁があるんです。

で、水上山にも立派なお宮が出来るでしょう。

そんな訳で。これから神様のことは段々進展の兆しが見える。」