日蓮宗について


明主様御講話 「日蓮宗系の新興宗教は現界に華を咲かせている」 (昭和27年9月23日)

「それから今新宗教で目立って活動しているのは、ほとんど日蓮宗の系統です。

あとは大本教の系統です。大本教の系統は、メシヤ教と生長の家と、三五(あなない)教というのがありますが、あれも最近なかなかやってます。

それで日蓮宗の中でも、最近問題になったりした立正佼成会です。

あれなんかこの間日蓮の七百年祭のお祝いに、江ノ島の竜口寺・・・つまり日蓮上人の竜の口の御難の所にできたお寺で、竜口寺に信者が三万二千人ー大勢参拝したというのです。

とにかくそういう大きな団体が参加したのは、竜口寺始まって以来初めてということです。

バスなんかが五十台とか、そんなことを言ってました。

今東京日日新聞の宗教欄で投票を募集してますが、あの中で目立ってたくさん入っているのは、ほとんど日蓮宗の系統です。


そんなようなわけで、もう仏滅の世が来るというのに、日蓮宗だけがそんなに華やかに活躍しているのは、不思議なように思いますが、これはたいへんな意味があるのです。

その意味を今話しますが、その前に日蓮宗の派で活躍している・・・活躍していないのもあるでしょうが、とにかくもそうとうに働いている団体を書いてみると、随分あるのです。

日蓮宗、法華宗、中山妙宗、本化妙宗連盟、本門仏立宗、顕本法華宗、国柱会、霊友会教団、思親(ししん)会、立正佼成会、久遠妙宗、大日本獅子吼会、仏子道場、霊山会、妙智会・・・妙智会というのは、随分やってます。

仏所護念会、本門法華宗、立正観光協会、唱和本宗、浄風会、本門経王宗、孝道教団・・・孝道教団というのは、横浜に大きな家を作って、だいぶさかんな開会式をやってます。

観音閣教団、立正安国会、その他。

まだありますが、主なものがこれだけです。


ではなぜこういうことになるかと言うと、ここにたいへんな意味がある。

これは法華経二十八品の二十五番目ので観音普門品ですが、法華経は、これは私が始終言っている通り、華を咲かせるのです。仏華を咲かせるのです。花を咲かせると、実が生る。

その実が観音様です。観音様というのが、このメシヤ教の子供みたいなものです。

つまり観音教団で生まれて、それがだんだん育ってきてメシヤ教になったのです。

そうすると、以前に観音教団が生まれたのは霊界です。

今度は現界に仏華が咲いて、現界的に観音様が生まれるというわけです。

そこで日蓮宗が今さかんなのは、現界に華を咲かせているのです。

霊界に仏華を咲かせたのが日蓮上人です。

で、今は現界に仏華を咲かせているのです。

で、これは散るのです。花が散るとそこに現界の観音の実ができる。

こうなりますから、その意味で良くみていると、これからその通りになりますから、まあご苦労なお役目をしてくれるわけです。


ですからメシヤ教はこれから現界的にだんだん発展していきます。

実ですから、最初からそんなに大きくはなりません。

最初は花の中心にちょっとできます。

それがだんだん現界的に拡がっていくのです。大いに期待をもって良いわけです。

話はそのくらいにして、浄霊を非常に希望してますから、浄霊をします。」




明主様御講話 「日蓮系新興宗教の発展の理由」 (昭和27年9月24日)

「現在ちょっと不思議に思われるのは、新宗教がいろいろできましたが、

なんといってもさかんなのは、大本教系統・・・これはメシヤ教と生長の家です。

それから近ごろ三五(あなない)教というのができて、これもなかなかやってます。

あとは日蓮宗の一派の活動はたいしたものです。

立正佼成会なんかもなかなかさかんなものです。

日蓮宗の中の特に霊友会から分かれたのが、みんなさかんなのです。

この間立正佼成会で、江ノ島に竜口寺というお寺がありますが、

竜の口と書いた・・・竜口寺に記念参拝に行きましたが、今年は日蓮宗の開教七百年祭です。

で、たいへんな参拝者ですが、立正佼成会がこの間信者が三万二千人行ったのです。

竜口寺が始まって以来初めてだとか言ってます。

バスが五十何台とかだそうです。

なにしろ日蓮宗の一派というのがたいへんな活躍をしている。

これがたいへんな意味がある。

今日蓮宗の一派で活躍している主なものを書いてきたのです。

日蓮宗、法華宗、中山妙宗、本化妙宗連盟、本門仏立宗、顕本法華宗、国柱会、霊友会教団、

思親会、立正佼成会、久遠妙宗、大日本獅子吼会、仏子道場、霊山会、妙智会、仏所護念会、

本門法華宗、立正観光協会、唱和本宗、浄風会、本門経王宗、孝道教団、観音閣教団、立正安国会、その他。

主なものだけでこうなのですが、まだいろいろあるようですが、


なぜこんなに日蓮宗が活躍しているかと言いますと、こういうわけなのです。

法華経二十八品のうち二十五番目が観音普門品ですが、大体日蓮宗というのは、私の著書に書いてある通り、つまり法華といって、法の華を咲かせて実を生らせるというために生まれたものなのです。

そこでいわば観音を生むためです。ですからこういうことも言えるのです。

釈迦、阿弥陀というのは、観音さんに対して親になるわけです。

父と母によって、つまり観音という子を生むのです。

そうしてミロクの世というのは、一名実相世界です。

「実」というのは、実という字です。

ですから今までは、観音さんという実が生まれるまでは、仮の娑婆といって仮だったのです。

そこでつまりお釈迦さんの時代に観音さんを生んだのですが、これは仏教的だったのです。

ところが今度は最後の現界に世界的に観音さんが生まれなければならない。

それには法の華・・・法華経を大いに弘めて、パッと華を咲かせなければならないということで、今パッと華が咲いている形なのです。

ですからやがて・・・これはここだけでしか言えませんが・・・散るのです。

それから観音さんが生まれる。

そういう形をとりますから見ていれば分かります。

そうすると仏界に生まれるのですから、まずメシヤ教はこれから・・・仏界といえば、日本ですから・・・大いに日本中に発展するというわけです。


で、もう一つは日蓮宗というのは、仏教のうちで・・・仏教は全部月の教えだったのです。

寂光の浄土というのは月です。

南無阿弥陀仏というのも月です。

それが今から七百年前に日蓮上人が生まれたということは、初めて仏界に日が生まれたわけです。

ですからその時に霊界のごく奥の方では黎明になったわけです。

で、メシヤ教は昼間の世界を作る、あるいは昼の文化を造るということで、メシヤ教が初めて昼間の宗教です。

ところが仏教の方でも、日蓮宗が初めて日が出たのですから、つまりあれは昼の仏教です。

で、仏教全体としては、夜の宗教ですから月の教えですが、その月のうちの日が出たのです。

日蓮宗が今非常に活躍しているというのは、そういう意味からも言えるのです。」




明主様御講話 「華が咲けば花弁は落ちる」 (昭和27年9月25日)

「それから近ごろ日蓮宗の派ですが、特に霊友会から出た人が非常に活躍している。

立正佼成会なんかもなかなかすばらしい活動をしてます。

この間日蓮上人の七百年祭で、江ノ島の竜の口の御難を記念すべく竜口寺というお寺がありますが、

あそこに佼成会の信者が三万二千人お参りに行ったのですが、たいへんな騒ぎだったのだそうです。

こんなことは今までに初めてだそうですが、まだ他にもいろいろ日蓮宗で活動している団体がたくさんあります。

ですから他の仏教は寝惚けてますが、日蓮宗だけはえらい活動の形なのです。


これは大いに意味がなければならないが、その意味というのは、

法華経は法の華を咲かせる・・・咲かせるというのは、実を生らせることです。

で、法華経二十八品の二十五番目が実なのですから、そこで観音を生むために法の華を咲かせるというので、

メシヤ教の根本は観音ですから、現界的にいよいよ生むことになります。

そこで早く華を咲かせなければならないというので、日蓮宗が活躍しているのです。

ですからいずれ華が咲いてしまえば、花弁は落ちてしまいます。

はなはだお気の毒だが、そういうふうにお釈迦さんが決めているのです。

それから実が生るのです。

大体 日蓮上人が現われた時に、もうそうなり始めているのです。

で、私の方で言っている昼間の世界というのは、日が出るのです。


ですから今までの仏教の開祖の中で、日のやり方をしたのは日蓮上人が初めてですから、それで日蓮と言ったのです。

それまではみんな月の系統の仏様です。

そこで日蓮上人が、初めて仏教の中の日のやり方です。

日は月に含まれているのです。

ですから「月」という字は、下を取ると「日」になるのです。

そんなような具合で、それが開教・・・七百年前になるわけです。

七百年前に日蓮上人が出たということは、つまり仏界に日が現われて・・・霊界は何段にもなってますが、

一番上の方に現われて、それで明治からいよいよ日が現われるわけです。

先に書いてありますが、徳川は素盞嗚尊の系統だと書いてありますが、素盞嗚尊は月の系統です。

ですから明治になったということは、世が明け始めたということです。

それから大正、昭和となって、いよいよ現界に日が出るのです。

日が出るということは、日が生まれるのです。

日が生まれるということは、実がみのるわけです。

実が生まれるわけです。

だからちゃんと神様の方のプログラム通りに動きつつあるということは、良く分かるのです。

で、「真如実相」と言いますが、「真如」は月です。

「実相」というのは実の相としてありますが、実相というのは、つまり実の世界になるわけです。

今までは仮相世界です。

仮の世界です。

ですからそういうことが分かると、なんにでもちゃんと出てますから、

世界がどうなる、文明がどうなる、ということは大体見当がつくわけです。

そんなようで・・・話が長くなると・・・浄霊があるから、このくらいにしておきます。」




明主様御講話 「日蓮宗は昼の仏教」 (昭和27年9月26日)

「それから最近日蓮宗が非常に活動しているのです。

メシヤ教は別で、これはナンバーワンということになってますが、新宗教のなかでとにかくさかんなのは、日蓮宗です。

日蓮宗の霊友会一派です。そんなような具合です。

それも近来に至って急激に日蓮宗が活動し始めたのです。

それはなにかわけがなくてはならないが、ところがわけは大ありなのです。

仏教のなかで日蓮宗だけは変わっているのです。

他の仏教は全部月の系統です。大体仏教は月の教え・・・夜の教えです。

ところが日蓮宗だけが昼の教え・・・昼の仏教になるのです。

それで日蓮と名前をつけたのです。

それで日蓮宗は非常に陽気です。

だから仏教のうちでは昼の仏教に入る。


ところで、仏教の方でいうと、法華経・・・法の華です。

法華経二十八品のうち二十五番目の観音普門品・・・これが実になるわけです。

そうすると、実が生る前に・・・実ができる前には華を咲かせなければならない。

というわけで、今華やかに活動しているのは、華を咲かせているのです。

そうして大体メシヤ教は元は観音さんだったのです。

そこで現界的に観音さんを生むという、一つの経綸になっているのです。

だから今非常に骨折って華を咲かせているわけです。


大体日蓮上人という人は、非常に観音信仰なのです。

これは法華経の行者ですからしかたがないです。

この間、江ノ島の竜の口に竜口寺というのがありますが、あそこで竜の口の御難の記念祭で、今年がちょうど日蓮上人の開教七百年祭にあたる。

それは安房の清澄山で日の出に向かって妙法蓮華経を唱えたその時から七百年になるのです。

そこで日蓮上人は自分は天照大御神の生まれ変わりだということを言っておられたのです。

徹頭徹尾日の方の人なのです。

そこで法華経・・・つまり仏の華を咲かせるというわけで、非常に観音信仰が強かった。

それで竜の口の御難で刀で切ろうとした時に雷が落雷して、刀の刃が雷火があたって折れたのです。

それで助かったという謂によってできたのが竜口寺ですが、

そこに立正佼成会という、近ごろ有名になった会の信徒が三万二千人お参りしたのです。

バスが五十何台とかいうので、こんなことは初めてだそうです。

で、今年が七百年祭で、身延なんかもたいへんな準備をして随分お参りがあったようです。


日蓮宗が急にそういった活動を始めたというのは、現界的に観音様が生まれられる、

要するに現界的にメシヤ教が生まれるという意味になるのです。

ですから非常に御苦労なわけなのです。

華ですから、咲けばやっぱり散りますから・・・。

それはどういう点で散るか、どういうふうに実が生るか、それは言えないが、そういったようなことが今後出るわけなのです。

そんなわけでそういう点を見ただけでも、これからメシヤ教はどういうふうに発展していくかということはだいぶ見当がつくわけです。

それで、神様の方はちゃんとプログラムはできているので、ただ時節によってそれが現われてくるのですから、結局コツコツやっていれば良いわけです。

神様の為さることは、ちょっと見ると遅いようでまだるっこいが、それでいて非常に早いのです。

というのは、やり損ないがないからです。やり直しがないからです。

ちゃんと予定通りにいくからです。そこであんがい早いのです。」




明主様御講話 「日蓮宗が法の華を咲かせる」 (昭和27年9月27日)

「それから新宗教もいろいろありますが、新宗教といってもメシヤ教は別です。これはナンバーワンとされてます。

それは断然切り離してますが、あとは日蓮宗の派が最近非常に活躍しているのです。

これは少し目立つようなものは、みんな日蓮宗の一派です。特に霊友会の分かれが非常に多いです。

で、今までこういうことはなかったのですが、近ごろ日蓮宗の一派の活躍というのはものすごいです。

ところがこれは非常に意味がある。というのは、法華経二十八品ある、その二十五番目の観音普門品・・・これは法華経・・・法の華を咲かせて実を生らせるというので、実が観音さんなのです。

そこでメシヤ教の元は観音さんです。元といっても始まりですが、観音さんから始まった。

そうすると今度現界的に観音様が出られるという意味において、日蓮宗で法華経の法の華を咲かせるという、そういうお仕組みになるわけです。

ですからある時期までは非常にさかんですが、それから今度は華が散りますから、そうして実が生まれるという順序になるのです。

ですからお気の毒ですが、そういうような時が必ず来ますが、それによって日蓮上人も大いに救われるわけです。

詳しく話をするとなかなかおもしろいのですが、その話はそのくらいにしておきます。」




明主様御講話 「日蓮系の新興宗教の発展は日蓮上人がやっているのではない」 (昭和27年10月1日)

信者の質問
「本日の幹部会で話が出ましたが、最近力が強くなってまいり、その御力をいただき奇跡があるのに、教修がどちらかといえば低調でございますが、何か霊的の関係があるものか、あるいは資格者が御経綸に添わないためでございましょうか」


明主様御垂示
「そうではないのです。神様のほうではそれで良いのです。先に「散花結実」と言ったでしょう。

実が生るまでは暇がかかります。花のほうは早いでしょう。ツボミができるとパッとできるのです。

実のほうは、昨日と今日は同じようなものです。

そんなようなもので、つまり実の生る形だからそれで良いのです。

見ていてご覧なさい、今に素晴らしくなります。」


信者の発言
「御教えをいただきました通り、確かに日蓮宗の霊友会関係の大きくなり方はたいへんなもので、先日孝道教団の落成式に通り遭いましたが、

二万五千人くらいの人出だそうでして、飛行機を飛ばしたり稚児の衣裳代もたいへんだそうです。

よくも二年か三年であれだけ増えたものと感心いたしました」

明主様御垂示
「信者が増えたと言うが、霊友会の信者が集まったのです。」


信者の発言
「しかし急に増えたそうでございます」

明主様御垂示
「立正佼成会とか他の日蓮宗は、それが集まっているのです。

新規にできるのも少しはありますが、大したことはないです。

あれはみんな霊友会の信者が散ってしまったのです。

それを母体として大きくなったのです。

池上本門寺とか身延山、中山本門・・・みんな寝ぼけでいるのですが、

どうしてもそういうところにいかなければ、しっかりできませんから、それがたいへんなものです。

で、あれは日本では仏教は桜の花です。

インドは蓮の花です。

日本では桜の花ですから、桜の花が咲くようにパッといくのです。」


信者の質問
「あれだけの組織を持っているということは・・・」

明主様御垂示
「今 日蓮宗があれだけやっているのは、日蓮上人がやっているわけではない。

神様がやっているのです。

メシヤ教の神様がやっているのです。

むしろ日蓮上人は申しわけなかった、助けてくれと言っているのです。」


信者の質問
「日蓮宗が橘の紋を使っているのは特別の意味がありますのでしょうか」

明主様御垂示
「ないこともないでしょう。

だいたい日蓮宗は狐がやっているのですが、その奥は龍です。

それで「タチバナ」の「タツ」という言霊(ことたま)は、龍ですから、龍の花ということです。

ですから立正安国論というのは「立」は「龍」です。

ですから立正佼成会とか、「立」という字を非常に使うものです。

私はいつか書いたことがありますが、「主」という字の中の「十」をくずして、こう(//)すると「立」という字になるのです。

ですから「十」が神の形ですから、陀の形はホトケと言って、ほどいてそれを龍神が世の中を支配するのです。

つまり神を解いて、神はほどけて、そうして龍が天下を掌握するというわけです。

そうして「正」・・・これは一を止(とど)めるということですが、

龍が一を止める安国というのは、暗黒の世界ですから、

立正安国というのはたいへんなものです。

やはり悪龍の仕組なのです。

で、日蓮上人は狐になっていたのです。


この間多賀さんの奥さんに日蓮上人の他の坊さん・・・日蓮上人の弟子か何かが狐になって困っているから人間にしてもらいたいと、そんな願いを出していましたが、

日蓮上人も一時狐になっていましたが、その部下が狐になっていて、それがたくさんいる。

で、日蓮上人はもう救われましたが、高頭さんの信者さんに、この間お詫びしてくれと言ってます。

だから仏教のほうの教祖なんかもしばらく地獄で苦しんでいたのです。

地獄に行ってないのは弘法大師くらいです。

あとはほとんど地獄に行っている。


これから私がみんな救ってやりますから、それからメシヤ教のために活動します。

みんな神様がやっているのだから・・・神様がやっているということは、やはり時です。

時期が来れば素晴らしいことになる。

けれどもさっき言った通り、人間が思うようにいかないということは、思うようにいっているのです。

「思うよう」が違うのです。そうでしょう、この八月で五年でしょう。

五年でこのくらい発展したのは恐らくありません。

新宗教と言っても、断然メシヤ教が王様です。

他のものは知れたものです。孝道会とかで、いろんな派手なことをやってますが、

こっちがやればもっと素晴らしいことをやりますが、ただやらないだけのことです。

やればもっと気の利いたことをやります。

稚児を出したり飛行機を飛ばしたり、そんなことは一日か二日でおしまいでしょう。

それよりかメシヤ教はこうして美術館を造ったりするのです。

ですからそれは思う以上に発展しているのです。

思うようにいかないのではない。

思う以上にいっているのです。

ところが人間という奴は思うことが少し桁外れに思いたがるのです。」




明主様御講話 「日蓮上人が日蓮宗をつぶしてしまう」 (昭和28年11月1日)

信者の説明
「本当に日本は救われたと思いました。

「アメリカを救う」などのように、ポスターに「日本は救われた」と標語してやってはと思います」


明主様御垂示
「よいです。

「アメリカを救う」は救うだけで、今度は「日本は救われた」のだから、序幕と終幕との違いさです。

それでどんなことをしても二、三年中には日本人全部は頭を下げます。

下げないわけにはゆかなくなります。

そうするとこれが浄霊のほうに良い影響が行きます。

メシヤ教の奴は医学であんなことを言っているが、自然農法を見ると夢のようなことが実現した、

そうしてみると医学のほうも本当かもしれない、ということになりますから、そのほうに対する一つのよい影響も見逃せないことです。

とにかく信用ですから、全般的に救世教を見る目がぜんぜん違ってくるわけです。

それがこっちの一番狙うところなのです。

そこにちょうど、二、三日前の読売に「救世教奇跡集」の広告が出るし、同じ日の新聞に霊友会事件が出たが、あれも偶然ではないので意味があります。

あれは日蓮上人が、静岡問題のときに私が留置場にいるとき私に憑かって来て、非常に謝って「自分がたいへん間違ったことをしたために、許してもらいたい。

それでこれからは日蓮宗を、日蓮宗は自分のほうで、できるだけ早く分からせるようにして、大いに救世教のために尽くす」というようなことを言って約束したのです。

あれもその一つの現れです。

日蓮上人が日蓮宗をつぶしてしまうということになるのです。

もっとも日蓮上人が地獄で苦しんでいるのを私が救ってやったのだから、そのお礼がてらです。

いつか栄光に出しましたが、天理教の教祖も憑かって来ましたから、今に天理教にもそれが現れます。

人間と違って、神様の約束というものは決して間違いがありません。」




明主様御講話 「霊界が救われなければ人間界は救われることはない」 (昭和29年4月16日)

(御報告の後)

「日蓮 日蓮上人は狐になって、狐の親分になったわけです。

それを私が救ってやったのですが、前にちょっと話したことがあります。

日蓮宗の信者はみんな狐が憑くのです。

今でもやはり狐がやっているのです。

一時は非常に発展しますが、それは本当の発展ではないから、結局いろんな問題が起こったりするのです。

いまでも日蓮宗の内部にいろんな派があって、だいぶいろんな軋轢(あつれき)があるようですが、

そういうわけですから、いずれは狐が・・・狐といったところで、みんな人間が畜生道に落ちて狐になるのですから、ふたたび人間に返るのです。

そこで日蓮上人は非常に感謝してますが、これは時々そういうことがあるのです。

というのは、つまり人間になるということが一番嬉しいことなのですから。


それから、つまり龍神もみんな人間が龍神になったのです。

だから人間の言葉も使えるし、人間の感情、智恵、そういうものがあるわけです。

そこでその救いというものは、畜生道に落ちたものを人間に復活させるということは、畜生道に落ちるべき罪穢れ曇りが溜まってそうなるのだから、光に会うとそれが消えますから、消えると霊的に位が上がるのです。

ということは人間の位になるわけです。

メシヤ教の救いというものは人間ばかりでなく、霊界が救われるのです。

やっぱり霊界が根本だからして、どうしても霊界が救われなければ人間界は救われることはないのです。

しかし今までのいろんな宗教はそういうことができなかったのです。

人間を救うことさえなかなかできなかったのです。

というのは、霊主体従ですから、霊が救われなければ体は救われないのです。

体だけ救われて大いに苦しんでいて、表面だけの救いで、根本ではないから駄目だというわけです。」




明主様御講話 「狐は浮かれるような太鼓が大好き」 (昭和29年4月17日)

(御報告の後)

「これは一つ一つ解説するとおもしろいのですが、主なものだけを言います。

狛犬(こまいぬ) 狛犬というのは、よく神社仏閣の前に両方に主従みたいにありますが、

あれは「天犬(あまいぬ)」「狛犬」と言って、天と地になっているわけです。

男、女・・・陰、陽というわけです。あれは霊界では門番というわけです。

それが立派にこういった御用をしているのです。それで自分の状態を知らせたわけです。


日蓮 日蓮は以前も言ったとおり、畜生道に落ちて狐の親玉になったわけです。

ですから日蓮宗の信者は全部狐が憑くのです。

それを私が日蓮上人を狐から救って人間にしたわけです。

それで狐と言ったところでみんな人間なのです。

人間が畜生道に落ちて狐になるのです。

龍神は執着によって龍神になるし、狐は人を瞞す、嘘をつくという、それをたくさんやると狐になるのです。

それからまたふたたび人間に還元するのですが、しかしそれはそうとうの苦しみや信仰上の関係でなかったら、容易には復活しないのです。

日蓮上人は私がよほど前に箱根で救ってあげました。

それから留置所にいるときもやっぱり御礼に来て、それからいっそう良くなって、いまメシヤ教のために働いているわけです。

そこで今言っていたとおり「全部狐を救ってもらいたい」ということは人間にしてもらいたいというわけです。

これがみんな人間になると、日蓮宗というのは崩れてしまうのです。

今まであれまで盛んになったということは、狐がやったのです。

ドコドンドンと叩きますが、ああいう浮かれるようなことは狐が大好きなのです。

一種の浮かれたようになって太鼓を叩きながら歩いていますが、あれは狐がおもしろくて嬉しくてしようがないのです。

人間のほうは狐の入れ物で、やっているのは狐がやっているのです。

そう言うとはなはだ形無しになってしまうが、もうこうなったら早く分かったほうがよいわけです。」




明主様御垂示 「日蓮や親鸞は地獄に堕ちている」 (昭和23年6月18日)

信者の質問
「日蓮や親鸞が地獄に堕ちておるやに聞きおよんでおりますが、この真相はいかがでしょう。」

明主様御垂示
「私の弟子で日蓮信者があり、身延へ行って日蓮が住まっていた建物で拝んでいたら日蓮が淋しい青い顔で現われたと言ってました。

これより前から私には判ってましたが・・・彼の肝腎な点は法華経を弘通した点ですが、法華経とは法の華です。

日蓮以前は南無阿弥陀仏でありこれは月の教え、陰なのです。

川なぞへ飛び込んで自殺するときは「ナムアミダブツ」と言うように、これは陰気なものです。

それに対して日蓮は法華経こそ本当の教えであり、釈迦七十二歳にして見真実となり説いたものだということを発見したのです。

法華経とは仏教の華を咲かせることであり、その中の普門品二十五は実の髄なのです。


また華は咲いてすぐ枯れるから昔から一代法華と言って一代限りがよいとされてるのです。

日蓮は仏教の陰を陽に変えたのです。だから日蓮宗は威勢がいいのです。

それから四ケ格言と言って念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊として他宗をみな排斥したが、あの排他性はいけない。あの態度はおもしろくない。

法の華が散りその実が育って実相真如になると言われている。

しかしこれは逆で真如実相が本当です。

真如とは月のことで、釈迦は仏法を一言で言えば真如だと言ったが、これは夜の世界のことで、昼の世界は実相世界です。

またすべては空に帰すとか仮の物だとか言ったのも夜の世界のことです。

実の髄の仕事を私がするわけです。だから私が実相世界を作るわけです。


親鸞が地獄だとは私の師匠の出口王仁三郎先生から聞いたのです。

あの人はそうとう霊覚のある人だったが、あるとき親鸞が乞食坊主の姿をして現われたそうです。

弘法大師や法然上人は極楽に任しているそうです。

釈迦は勿論さらに一段高い所にいてとてもふつうは行けぬそうです。」


信者の質問
「日蓮はあの排他性がいけないのでしょうか。」

明主様御垂示
「ええそうですね。」


信者の質問
「自分が上行菩薩であると言ったこと・・・」

明主様御垂示
「それは死ぬ前に誤りだと悟り、あと六百五十年して本当に上行菩薩が世に出ると言ったのです。

日蓮のいい点はたいへん自信のあったことと、仏教の陰気になり隠遁的になったのを救ったことですね。」


信者の質問
「親鸞の罪はなんでございましょうか」

明主様御垂示
「親鸞のはあの時代の一種の共産的思想のためです。

師匠も弟子もなく、だれでもみな「御同行」と言ったのですがこれは間違いです。

よく言えば民主的だったんですが・・・


日本の民主主義と米国のとは違うはずなんです。

それは日本の霊界は縦で西洋は横ですから。

いままでの日本は縦が強すぎたのです。これは隣人愛がないことです。

もし隣人愛があれば中国へ遠征なんかしないはずです。

日本は神国であり他国なんかどうなってもいいという考えが悪くてついに逆の結果になったわけです。」




明主様御垂示 「日蓮の憑依」 (昭和27年9月1日)

信者の質問
「十九年に入信の三十二才の男。六月十五日に憑霊状態となり、その後支部の月並祭の帰りに、

日蓮のような様子で『前に明主様から御救いいただき、天国に行かしていただき御礼を申し上げて下さい』と言い

『御救いいただいたが、明主様より赦すという御言葉がないから霊界で働けないから、ぜひ赦すというお言葉をいただきたい』と・・・」

明主様御垂示
「その人は何という人ですか。」


信者の質問
「MK(男性)と申します」

明主様御垂示
「一度聞いたことがあります。憑ったときに、明主様にお願いしたら赦すとおっしゃったからお取次する、と言ったら良いです。」