キリスト教について 5 (聖書の誤謬等について)


明主様御垂示 「マリアの処女受胎は嘘」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「イエスが自分はキリストだと信じたのは神様からわざと思わせられたのでしょうか。」

明主様御垂示
「ええそうです。あんたはだれからこれを聞きましたか。」


信者の質問
「岡庭先生から伺いました。

明主様御垂示
「そうでしょう。ほかに知っている人はないはずですから。」


信者の質問
「マリアは処女受胎してイエスを生んだと申しますが・・・」

明主様御垂示
「これは嘘ですよ。もしあるとしたら世界は破裂しますよ。」




明主様御垂示 「聖書の嘘」 (昭和23年12月18日)

信者の質問
「「新約聖書」によりますと、イエスが一片のパンをもって何千人に飽(あ)かしめ、なお余った・・・という話がありますがこれは、いかがでございましょうか。」


明主様御垂示
「こういうことは一宗の開祖をよくするために後世の人がつけ加えた拵え事でしょう。・・・

キリストは偉い人には違いないが、力がなかった。

しかしキリストの教えと予言はたいしたものです。

もしキリストが出なかったら西洋はいまよりもずっと野蛮国だったでしょう。

キリスト教が西洋文化の発展に寄与した力はたいしたものです。・・・

同様に釈迦の教えである仏教により、東洋人がいかに大きな恩恵をうけたかは判らない。

仏教の「諦め」により気持ちを安らかにし得たことはたいへんなものですね。」




明主様御垂示 「聖書の嘘」 (昭和23年12月28日)

信者の質問
「キリストが十字架に上るまでの行動、心情はやはり不義への抗議と見られますが・・・」


明主様御垂示
「キリストは宗教家ですから不義への抗議ということは当たらないですね。

キリストはピラト王の命令で殺されたのですが、王は臆病で、偉い人が出て王位を奪われることを怖れて偉い人間を殺させたのです。

で、キリストは殺される前の日にあれを知ったのでしょう、もし以前に知れば逃げてしまっていたはずです。

「聖書」には前から知っていたように書いてありますが、あれは教祖を立派にするために後からつけ加えたものです。」




明主様御垂示 「聖書は旧新約ともに本当のことは書かれてない」 (昭和23年9月8日)

信者の質問
「大本の「霊界物語」に「国常立尊はヨハネ也」とありますが・・・」

明主様御垂示
「国常立尊がヨハネではなくヨハネの働きをするのです。

「靴の紐を解くにも値せず」と言ってキリストもヨハネも謙遜し合っている。

ヨハネは霊的には火でキリストは水です。」


信者の質問
「ヨハネが水の洗礼をいたしましたのはなぜでしょうか。」

明主様御垂示
「ヨハネもキリストも水ですが霊的には火です。

言霊ではヨは横、水で、ハは火、ネは根本、だいたいは水で水の中の火です。・・・

「聖書」は旧新約ともに本当のことは書かれてない。

ある程度までは本当だがその先はまだ発表の時ではない。
 
仏教でもそうですが、遠慮なく仏教を批判したら問題にならない。

旧約のモーゼも偉いが逃げるとき海を干して渡ったとあるのなんか嘘です。」


信者の質問
「キリストは本当は日本へ逃げて来たとの説もありますが。」

明主様御垂示
「ええ青森のほうへ逃げて来たというのですが一学者が唱えただけです。」




明主様御垂示 「旧約聖書の意義」 (昭和23年9月28日)

信者の質問
「旧約聖書はどのような意義をもつのでしょうか。」

明主様御垂示
「だいたい宗教は新旧二つになっている。

新約は経で旧約は経です。

「旧約聖書」は予言書で寓意的に書いてあるのです。

だから旧約は解釈することができない。

旧約の時代はあれでよかったのです。


もういまはそれほどの価値はない。

これによって救われることは難しいですね。・・・

既成宗教はだんだん時代と遠ざかっている。

現代生活や思想とかけ離れすぎている。

現代を指導するほどに進歩したものはこの教団だと私は思っているのですがね。

だから若い人が多く入っているのです。」


信者の質問
「観音様はマリアだとも言われますが・・・」

明主様御垂示
「マリア観音と言ってマリアを観音に擬(なぞら)えるが、これはぜんぜんでたらめでなくても本当とも言えない。・・・

しかしまあマリア観音と言ってもいいでしょう。」




明主様御垂示 「旧約聖書は暗示的」 (昭和26年12月8日)

信者の質問
「旧約聖書を見ますと、昔の古い人の年が六百、八百となっておりますが、日月の運行が違うのでございましょうか」

明主様御垂示
「いや、そんなことはない。」


信者の質問
「ノアの洪水は、ノアが六百歳のときと・・・」

明主様御垂示
「それは嘘ですね。旧約聖書ね・・・あれは、実に荒唐無稽なものです。

しかし、ぜんぜん嘘ではないですよ。

実にすばらしいものがありますよ。

しかしいろいろな・・・一種の、あの時代のお筆先みたいなもので・・・

奇々妙々な、暗示的なもので、あれをそのまま信じてはいけません。」




明主様御教え 「天降説」 (昭和23年)

「キリストの再臨と云い、メシヤの降臨と云うが、これは肉体そのままをもって天から降るのではない。

それは特殊の神霊が天から降下し、選ばれた人間の肉体に宿るのである。

弥勒下生と云うも弥勒の御魂が下生、つまり下層社会に生れると云う訳である。

また胎蔵弥勒と云う言葉があるが、これは仏教の内に胎中の期間を言うので、実はすでに誕生されたのである。

従って、弥勒が生れた以上仏界は最早消滅期に入ったのである。

弥勒出現成就経に仏滅後弥勒が生れると云う事が書いてある。


今から三十数年前、私は当時ある有名な牧師に遇った時、聞かされた話であるが、実に奇想天外な説であった。

それは聖書の世の終りと言うのは、世界人類ことごとくが死滅する、しかしこれは仮死であって、

千年経った時、キリストが肉体を持って天から降り、全人類を復活せしめると云うのである。

私は余りの途方もない説に到底信ずる事は出来なかったが、これは聖書の文字通り直訳したためである。」




明主様御垂示 「ヨハネもキリストも水だが霊的には火」 (昭和23年9月8日)

信者の質問
「ヨハネが水の洗礼をいたしましたのはなぜでしょうか。」


明主様御垂示
「ヨハネもキリストも水ですが霊的には火です。

言霊ではヨは横、水で、ハは火、ネは根本、だいたいは水で水の中の火です。・・・

「聖書」は旧新約ともに本当のことは書かれてない。

ある程度までは本当だがその先はまだ発表の時ではない。
 
仏教でもそうですが、遠慮なく仏教を批判したら問題にならない。

旧約のモーゼも偉いが逃げるとき海を干して渡ったとあるのなんか嘘です。」




明主様御垂示 「キリストと十二人の弟子」 (昭和24年5月25日発行)

信者の質問
「キリストと十二人の弟子について。」


明主様御垂示
「キリストには十二人の弟子があった。そのうち一人はかのユダがイエスに叛いたため、実際は十一人の弟子である。
 
その当時、当局の圧迫がひどく、弟子たちはみな逃避し十年の間はひっそりしていた。

十年以上経ってみな寄り合って教えの元を作ろうというので、みなでイエスから聞いた心覚えを書いた。

それがバイブルであるから、キリスト御自身の書いたようなわけにはゆかないであろう。

旧約はモーゼが書いたもので夢みたいな謎が多いが、それは神懸りに因るものである。

ヨハネが作ったという説もあるが、これはモーゼが書いたというのが本当であろう。

圧迫のほとぼりの覚めるに従い、内密に書いたのが聖書である。
 
仏教のお経とても釈迦の説いたものを弟子が書いたものである。

釈迦はただ説くだけであった。
 
キリスト教徒にはなかなか偉い人があった。

アフリカ探検の有名なリヴィングストン博士の話を聞いたことがあるが、実に偉い人で私も感心した。

この人はアフリカ探検の際あらゆる危険を犯して伝道したが、土人の鉄砲に包囲された中を平然と通過した。

そのときの彼は「もし自分が現世に用事があれば、絶対に神は自分を殺さぬ」という信念であったとのことである。」




明主様御垂示 「偽キリストについて」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「「新約聖書」 の中の左の句、・・・

大祭司いふ「汝はキリスト、神の子なるか」

イエス言ひ給ふ「なんぢの言へる如し、かつ我なんぢらに告ぐ、今より後、なんぢら人の子の、全能者の右に坐し、天の雲に乗りて来るを見ん」において、

イエスの言った言葉の一句一句には重要な意味があることと存じますが、右について御教示ください。」

明主様御垂示
「これはつまり大祭司がお前は神の子かと聞いた。

そこでイエスはお前の言う通りだ、いまから後お前たちは・・・「聖書」というのは文章がはっきりしない、どっちにもとれることがあります。

「聖書」はイエスの弟子が書いたものでありまたヘブライ語から英語、それから日本語に訳したんだから訳が完全でないところもあるのでしょう。・・・

お前たちの支配者の者、これは右に坐するのだから左の次、従って全能者の次の次の意味で月、女の働きです。

全能者というのはエホバで右に立つのはイエスでそれが雲に乗って降るのだからメシヤの降臨ですね。」


信者の質問
「実はキリスト教信者にこのお仕事のお話をいたしますと、たとえ信者でなくとも一度でも「聖書」をよく読んだ人ですと「聖書」の中にその・・・」

明主様御垂示
「偽キリストだっていうんでしょう。」


信者の質問
「はあ、それでそれが非常な差し障りになることが多いのですが、この点この疑を解いていただけるようなお言葉をいただけたらと思いましてお伺いいたしたしだいでございますが・・・」

明主様御垂示
「駄目です、疑いを解こうとしたって駄目ですよ。

いくらあんたがね、一生懸命に言ったってね、分かりませんよ。

言えは言うほどますます偽キリスト、巧妙極まる偽だと思うだけですね。

ええ。まあ時機が来なければ駄目ですね。・・・

それにね、もしあの時代に救世主が現われたとしても、あのころは交通が不便だったし、人もまばらであったし、世を救おうとしてもとうてい全世界を救うなどということはできなかったでしょう。

しかしいまは交通が極度に発達して国と国との連絡もすぐつくようになり全世界は一つになりつつあり、世界連邦という案さえ出ている。

まあこんなことから考えればだいたい分かるでしょう。」




明主様御垂示 「ミッションスクールに行くのは差し支えない」 (昭和24年3月13日)

信者の質問
「私の娘はミッションスクールに行っているのでございますが・・・」

明主様御垂示
「ええ、いいじゃないですか。」


信者の質問
「学校ではキリストを拝み、家に帰ると観音様を拝むことがなんだか・・・」

明主様御垂示
「キリストも観音様も同じことですよ。

キリストは西洋の観音様、観音様は東洋のキリストです。

だから、あんたの娘さんが洋服を着たり、和服を着たりするのと同じだと思えばいいんです。(笑声)

そのことを詠んだ歌がありますがね。

 観音も弥勒もメシヤもキリストも人の姿の神にぞありける

こういうんでね、同じことなんですよ。」


信者の質問
「その場合のキリストとイエスの関係はいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「それはいまはまだはっきり言えない。時期が来れば判るようになります。」




明主様御垂示 「キリスト教は先祖を祀らないから不幸」 (昭和23年2月18日)

明主様の御垂示
「神道では神さへ祀れば仏はどうでも良いとしているが、これはいけない。

特にキリスト教は先祖を祀らないから不幸です。

病人や死人がよけい出ます。

山室軍平なんかはいい人でしたが不幸だったですね。

実に哀れです。

祖先を祀らないから祖先が怒るんです。

西洋は霊界も東洋と違っており、また生きているときからそういうふうに教育されているからかまわないが、

東洋の霊界は縦で層をなしています。西洋は横です。」


信者の質問
「最近 家族制度が変化しましたが、霊界も変わるのでしょうか。」

明主様の御垂示
「家族制度が変わっても大したことはない。

今までは家長が一人で威張っていた。

これは間違いですよ。」




明主様御垂示 「クリスチャンは不幸になる」 (昭和24年1月28日)

信者の質問
「日蓮宗はいけないのでしょうか。」


明主様御垂示
「いいえ、そんなことはないのです、ふつうの信者の程度ならいいんですよ。・・・

クリスチャンのところへ婿にゆくのは考えものです。

クリスチャンはいいんですが、先祖を祀らない。

これがいけないので、山室軍平なんかは実に立派な人で救世軍のために大いに尽した人ですが、家庭的には不幸だったのはこのためです。」




明主様御教え 「プロテスタントとカトリック」 (昭和23年9月5日発行)

「私はキリスト教について少しく話したい事がある。

それはプロテスタントの無教会主義と、カトリックの教会主義との意見の相違である。

無教会主義とは読んで字のごとく「教会を必要としない、聖書一本で進むべきである」というに対し、

教会主義は「キリスト昇天後教会が先に出来、聖書は後から出版されたものであるから、教会は重要である」というのである。

これについていずれが是か否か、私の見解を述べさしてもらいたいと思う。

この問題に対し、いずれにも理由があるが、私は霊的方面から解釈してみよう。


霊界においては、霊体一致の法則に従って、霊と物質の一致が原則である。

すなわち霊が何等かの目的を遂行せんとする場合、物質を利用しなければならない事がある。

例えば神仏を招聘し、その御霊徳を授与されたい場合、

出来るだけ清浄なる土地へ、教会又は神社堂宇(どうう)を建立し、

祭壇又は御神体、仏像等を安置し、香華(こうげ)を手向け、御饌御酒(みけみき)を献供し、うやうやしく礼拝祈願すべきで、

それによって高貴なる神仏も降下又は鎮座ましますのである。

そうして危急の場合は、いついかなる場所にいて祈願するとも、一瞬にして神仏の霊は身近に来たりたま給い、御守護下されるのである。


しかしながらプロテスタントのごとく、物質を介せず空間に向かって祈る場合、その誠は神霊に通じ、ある程度の御加護のある事は間違いないが、

相応の理によって、どうしてもその御加護は薄い訳になるのである。

これについて、霊と物質との関係をかいてみよう。


霊界においては神仏の霊はもとより、人霊も、動物霊も、すべて何等かの物質に神憑り、又は憑依するものである。

例えばキリストは十字架へ、諸神諸仏は文字、御鏡、絵画、彫像等へかかり給い、

人霊は多く文字へ憑依され、

動物霊は人体又は文字、稲荷なら狐の形状したもの、お札等へ、

龍神は文字又は蛇形のもの、石塊等である。

右の場合高級の神霊仏霊は、その作者の人格に関係するので、昔から名僧智識や名人等の絵画彫刻は貴重な物とされた訳である。


こういう事もある。外国の霊が日本へ渡来する場合、霊のみにて空間を渡来する事は出来ない。

それは霊の往来する範囲は階級によって限定されているからで、そこでやむなく物質に憑依する。

即ち共産主義の霊などは多くマルクスの著書に憑依して渡来し、その霊が各大学の講堂の壁面に並んでいるそうで、その姿を霊視した人から私は聞いた事がある。

又中華民国の霊なども種々の品物に憑依して渡来するそうである。

同様、日本の霊も品物に憑依して海外へ渡航するのであるが、

神仏の霊は高位になる程往来する範囲が広く、地球全体に及ぼし給うのは最高貴の神仏である。

以上の理によって、彼の偶像説の誤りである事を知るであろう。」