キリスト教について 3 (キリストの憑依)
明主様御講話 「キリストは磔の後遺症が長い間治らなかった」 (昭和29年3月23日)
「最近霊界がよほど変わってきたのです。
変わったということは、いろいろな霊が、だんだん昼間になってきたため、いろいろなことが分かってきた。
それで、大いに救われたいというわけで、あわてだしたのです。
あっちこっちに神懸り的のことがだいぶ始まってきたのです。
それはみんな別に悪い意味でなくて、良い意味のものです。
つまらない狐のいたずらとか、そういうことでなくて、まじめな、本当の神懸りなのです。
この人は一人ではないので、二、三人ぐらい、若い娘さんにいろんな霊が憑っており、
現界の人では、マレンコフ、モロトフ、アイゼンハウアー、毛沢東、ネールなどが憑ってきたのです。
これは今度の地上天国に出しますが、その中でごく最近、霊界のだいぶ偉い連中が憑ってきて、その興味ある所を選って、それを今読ませます。
(御報告 明主様に御救い願う霊界よりの通信)
今の中山ミキさんは、その当時話したと思いますが、私が留置所にいるときに、いろんな教祖を呼んで話したことがありますが、
そのときやっぱり中山ミキさんの霊を呼んでいろいろ話したのです。そのことなのです。
それから「明主」とありますが、これは私の代理なのです。
つまり私の身代わりです。それがある場合にはこういうことをされるわけです。
これについて、昨日非常におもしろいことがあったのです。
それはある若い女ですが、去年少し頭がおかしくなった若い妻君ですが、私が治してやったのです。
それでまだ少し頸のまわりに毒が残っているので、時々やってやったのです。
昨日やってやりますと、いろいろ不思議なことがあるので話を聞き始めたのですが、
ポロポロ涙をこぼして、後から後から出てくるので、口がきけなくなり、それで少し待って聞いてみると、キリストなのです。
やっぱり、磔(はりつけ)になって長い間それが治らなかったのです。
少しずつはよくなってきたようですが、すっかりは良くならなかったのです。
私が浄霊してやるのですっかり治ったのです。非常に嬉しいと言うのです。
それで「天の父にお目にかかれて、こんな嬉しいことはない」というようなことを言って随分ありがたがっていました。
その他二、三話がありましたが、たいしたことはありません。
ただヨハネですが、聞いてみると、この間中からヨハネは時々憑るのです。
それでやっぱりヨハネは救われたというので、私に礼を言ってくれということを言っていたそうです。
そのうちに、キリストが磔になった、あの霊が見えてきたのです。
時々部屋のほうぼうに見えるのだそうです。
そうこうしているうちに、キリストが、今言ったようなわけなのです。
さっき読んだのと今話したのとはぜんぜん違う婦人です。
だからぜんぜん連絡はないわけです。
そういうようなわけで、霊界におけるいろいろな偉い人たちというか、神たちというか、いよいよこれから活動するわけです。
今読んだようなわけで、総掛かりでやるわけだから、本当の線に発展して行くわけです。
つまり時節が来たわけです。
この前には現界のいろんな偉い人が憑りましたが、特に変わっていることは、スターリンは憑らないのです。
それで、スターリンは救われないというのです。
つまり地獄の下、根底の国に六千年苦しむのだそうです。
これは霊界の最高の罪がそうなってます。
現界で言うと無期徒刑です。
それで六千年後に滅びると言いますか、その先は必ずしも復活するということではないらしいのです。
マレンコフは、神様はいよいよ活動されるということがだいたい分かって、つまり改心したわけです。
ああいう人が改心すると、力がありますから、将来良い働きをするわけです。
そういうようなことが出ました。
勿論しかしマレンコフとか部下の者が良い働きをするようになると、それだけスターリンも救われるわけですから・・・。
またそこまでゆけば、どんな霊でも改心しますから、結局罪一等を減ずというような具合で、だんだんに救われてゆくわけです。
これは現界におけるそれと同じようなものです。
それで今霊界では救われたがって、いろんな霊にだんだん分かってくるのです。」
明主様御講話 「キリストの磔を治す神様がいなかった」 (昭和29年3月24日)
「それから最近霊界が非常に変わってきたのです。
つまり霊界における今までの神様や仏様、そういう霊たちが、だんだんメシヤ教のことが分かってきて、みんな、お手伝いしたいということと、
それにはできるだけ自分が浄まらなければならないというわけです。
神様仏様というと浄いお方のように思われますが、なかなかそうではないのです。
神様や仏様がたくさん罪を作りもし、犯してもきたのです。
けれども、ただ人間と違うのは、ああいう方たちは意識が悪ではないのです。
根本、動機は悪ではないので、善です。
しかし本当のことが分からなかったために誤ったのです。
善いと思っていたことが善くなかったということが、神様仏様の罪なのです。
だからその罪をお詫びして、メシヤ教のために大いに働きたいという気持ちにだんだんなってきて、
それで霊界においてはそういう働きが非常にさかんになってきたのです。
それで現界において今活動している人たち、アイゼンハウアーとかマレンコフとかネールとか、
そういう人たちの霊も霊界でいろいろ動きましたが、それは生霊です。
それで私の生霊も大いに活動したわけです。
それで私の生霊というのは、私の代理をやる神様がいろいろあるのです。
それでその神様がやられたわけです。そういう記録が出たのです。
これは今度の地上天国にもそうとう出しますが、その中で特に深い意味と興味と両方あるようなところを選って、いま読ませます。
(御報告 明主様に御救い願う霊界よりの通信)
こういうような工合で、これからそういう霊たちが大いに働き出しますから、よほどおもしろくなってきたわけです。
それについて一昨日、ある信者の若い妻君で、去年精神病的なようになって、私が治してやったのです。
それで時々浄霊してやっているのですが、一昨日来たときにキリストが憑っていたのです。
今まで磔(はりつけ)になっていて、それを治す神様がなかったのです。
それでそうとう長く苦しんでいたのです。
いくらかずつは良くなっていたが、なかなかすっかりは良くならないのです。
ところが私が時々浄霊するためにすっかり治ったのです。
それで、非常に嬉しいということと、キリストが言うには「懐かしい天の父にお目にかかれた」というようなことを言って、
ポロポロ涙をこぼして嬉し泣きに泣くので、口がきけなくなって、泣き止むのを待っていたぐらいです。
そういうような具合で、いまの神懸りとチャンと合っているわけです。
そういう時期が来たわけです。
私が前に歌で「神や仏を救わなければならない」ということを始終言いましたが、そういった救われる時期がいよいよ来たのです。
やはり神様仏様が元ですから、神様仏様が救われなければ、人間は救われないのです。
つまり今までの神様や仏様というのは本当のことを知らなかったために、間違った教えや事を説いたわけです。
バイブルにしろ経文にしろ、随分間違った所があるのです。
そのためにいくら研究しても本当のことが分からないからして、覚りを開けなかったわけです。
またそのために、人間が本当のことを知らなかったのです。
つまり文明というものが間違って、それで人間が苦しみ抜いてきたわけです。
例えば医学にしろ、ぜんぜん間違ったことをやっていたということなど、
そのために人間が病気で苦しんだり、早死にしたりするということなども、元は本当のことが分からなかったためです。
ということは、本当のことが分かってはいけなかった主神の経綸なのですから、それでよかったわけです。
それをもう本当に分からせて、本当の文明を作らなければならないという時期が来たということも、
やはり主神の経綸なのですから、やはりそれでよかったのです。
これからの人類、人間は、本当の幸福というものを得られるわけです。
その役目がメシヤ教です。ですから「来たるべきものが来た」というわけです。
今までの間違った世の中が続いてはいけない経綸からそうなったのです。
だからそれがどうこうということは人間には分からないのです。
今ちょうど、いつも言うとおり、夜の世界が昼間になる、その分かれ目なのですから、
実に重大な時期であるとともに、その役目に選ばれたるメシヤ教の人たちは、まずたいへんな仕合せなわけです。
人類始まって以来ない幸福と言ってもよいわけです。
そういうようなわけで、著しい霊界の変わり方が最近非常にはっきりしてきたわけです。(中略)
それから、さっきの霊の話で言い忘れたことがあります。
キリストが憑った婦人がこの間中、キトストの磔(はりつけ)の像、そういうのが部屋の所々に時々見えるのだそうです。ですからはっきりしているわけです。
その前にヨハネが憑ったのです。いずれヨハネのことも聞くつもりですが、一昨日のことですから私も急いでいたので、ただヨハネということだけを聞いたので、それ以上は聞かなかったのです。
ヨハネとキリストとは切っても切れない関係で、旧約聖書はヨハネが言ったことで、新約の方がキリストです。
それでヨハネはキリストが現われるという一つの予言が一番の中心です。
このことなども別にたいして詳しく知る必要はないが、いずれ知れたら地上天国に出します。
そういうようなわけで、ヨハネとキリストが本当に霊界で働き出したら、外国の方が分かりだすのが早いです。神様は抜け目なくやっているわけです。」
明主様御講話 「キリストはそうとう長い間地獄にいた」 (昭和29年3月25日)
「今年の初めに言ったとおり、霊界が非常に変わってきたのです。
ということは、霊界におけるいろいろな偉い、各宗教の教祖とか、その弟子とか、そういったような人たちの霊がだんだん分かるに従って、霊界が明るくなってくるので、
それとともに大きな世界の切り替えに・・・そういうことが分かってきて
「これはこうしてはいられない、ここで大いに考え方を違え、メシヤ教のために働かなければいけない」というわけで、
信者の人の中でやっぱりそうとう因縁のある人に憑って、私にいろいろ訴えるのです。
まあ救いを求めるのです。そういうことが数カ所に出てきたのです。
これはみんな正確なのです。いろいろありますが、その中でもっとも興味のある重要な所だけを発表しようと思ってます。
今読ませますが、この他にもあります。それは時期の関係などでもう少し発表できませんが、それは非常におもしろいことです。
今読ませるのは割合短くてはっきりしていることなのです。
それで、この神様の取り次ぎですが、それは若い女性で、だいたい二人です。
その他の手伝いのような人もありましたが、これをしゃべった人は若い女性二人です。
他に審神者なども二、三いるのですが、それは必要ないが、これだけ読ませます。
(御報告 明主様に御救い願う霊界よりの通信)
それから、ここに「明主」としてありますが、それは私の身代わりなのです。
私の身代わりをするのが、霊界に幾人かいるのです。
ですからここに「明主」としてあるのは、やはり私と同じと見てよいのです。
まだ他に、現界の偉い人たち、マレンコフだとかアイゼンハウアーだとか、そういう人たちのは、今度の地上天国に出すつもりです。
そういうのは生きている人ですから生霊です。
こういうような工合で、霊界ではなかなかたいへんなのです。
これについておもしろいことがあります。
二、三日前に、信者の若い妻君で、近所にいるのですが、去年ちょっと精神病的になって、私が治してやって、もうすっかり治ったのです。
それでまだ悪い所がちょっとあるのです。頸のまわりに固まりがあるので、時々やっているのです。
それで二、三日前に来たときに、浄霊を始めると涙をポロポロこぼして泣き出したのです。
たいてい分かってますが、聞いてみるとキリストだと言うのです。
それで「今までの苦痛をすっかり治していただいた。
しかも天の父様にお目にかかれることになったので、嬉しくて嬉しくて、話ができない」と言うのです。
なにしろ涙をポロポロこぼして話もできなくなったので、しばらく待っていたのです。
そのうちに話ができるようになって話を聞いたのです。
そうしてみると、磔(はりつけ)になったのが、今まですっかり治っていなかったのです。
多少は治っていたのでしょうが、その苦しみで、そうとう長い間地獄にいたのです。
それが私の浄霊によってすっかり治って、非常に嬉しいのです。
ですからこれから大いに働かしていただきたいということをしきりに頼んでました。
なお聞いてみるとこの間中、キリストが磔になった霊が、そこの家の部屋のほうぼうに時々見えるのだそうです。
そういうわけで、つまりキリストが救われたわけです。
それによって、これから世界的に外国の方へ大いに働くわけですから、非常に結構なわけです。
また本人に聞いてみますと、なんでも一カ月か二カ月前にヨハネが憑ったそうです。
それでやっぱりいろんな話があったそうですが、いずれ聞いてみようと思ってます。
そのときは急いだものですからそれっきりで止しましたが、とにかく今読んだ神懸りの人とはぜんぜん違うのですから、それがかえっておもしろいです。
それでキリストが憑った人は、クリスチャンでもなんでもないのです。
今まで別に信仰がなくて、メシヤ教には何年か前に信者になったわけです。
それから、最近伊弉冊尊(いざなみのみこと)も憑ったそうですが、それもいずれ詳しく聞いてみようと思ってます。
そういうようなわけで、霊界がいかに変わってきたかが分かるのです。今読んだように、マホメットとか釈迦、そういう霊がいよいよこれから、つまりメシヤ教のために働くわけです。
天理教祖のは昭和二十五年に静岡の留置所でのことで、これはあのとき話したつもりですが、
あの時に呼んで教祖にいろいろ話して、助けるからという約束をしたので、救っていただいたその礼を述べたわけです。
ですから、だんだん発展が著しくなるというわけです。
結局、これは宗教に限らずなんでも霊です。
霊界において霊が働かなければ駄目なのです。
ところがそれを知らないと、体だけと思ってやるからして、人間的にいくら骨を折っても、うまくゆかないわけです。」
明主様御講話 「偉い神様は現界で偉い人には憑らない」 (昭和29年3月26日)
「最近霊界が非常に変わってきたために、いろいろな霊があわてだしたと言いますか、非常に変動を起こしてきたのです。
いろいろな霊が救われたいことと、それから救世教の仕事をしたいと(もっとも仕事ということが救われる意味にはなりますが)因縁の人を通じて、
そういう救いの願いやら、罪を赦されたいやらの、そういうことが時々あるのです。
その中で非常におもしろいことがあったので、その記録を読ませようと思います。
この神懸りの人は娘さんで、二人ばかりあって、それから審神者(さにわしゃ)は別の人です。審神というのは調べるのです。
(御報告 明主様に御救い願う霊界よりの通信)
ここにある「明主」というのは無論私ですが、私の代理をする者もそうとうあるのです。
その代理の一番の大番頭という、そういう霊です。
それから今の天理教の中山ミキさんですが、これはあの当時話をしましたが、
留置場にいる時にああいう人たちを呼んでいろいろ話を聞いて、そのとき救われたそのお礼を言ったわけです。
これについて四、五日前にチョットおもしろいことがあったのです。
それは私の仕事をしている、ごく近くの信者の若い妻君ですが、去年頭が少し変だったのです。
それを治してやって、まだ頸のまわりにだいぶ毒があるので、時々やっているのです。
四、五日前に来て、これからやろうとすると、涙をポロポロこぼして非常に泣くのです。
もっとも、前からある程度は分かっていたのです。
というのは、キリストが憑るのです。
その時にもやっぱりキリストが憑って、私が質問しても、こみ上げて泣くのでしゃべれない。
しばらく待っていたくらいです。そうするとやっとしゃべれて、自分は長い間非常に苦しんでいたと言うのです。
それが私によって救われて非常に嬉しいというわけです。
それはなにかと言いますと、磔(はりつけ)になったのがまだすっかり治りきらなかったのです。
それで随分苦しんでいたのです。それが浄霊によってすっかり治った、その感謝です。
それからもう一つは、「ようやく天の父に会うことができた、それが非常に嬉しい」という、その両方の嬉しさで、つまり嬉し泣きです。
そのようなことがあったのです。それで聞いてみますと、近ごろその女の部屋に、キリストが磔になった姿の霊が時々見えるのだそうです。
それからその時の話に、ヨハネは一、二カ月前から時々憑ったようです。
それで詳しく聞こうと思ったが、私は忙しかったので、いずれそういう点も聞いてみようと思ってます。
この人はさっきの霊憑りの人とはぜんぜん違う人です。
キリストが自分の感謝の気持ちを早く知らしたいために、その婦人に憑ったわけです。
ここで知っておかなければならないことは、偉い神様は決して現界で偉い人には憑らないのです。
人からごく注目されないような、なんでもないような人に、かえって偉い神様は憑るのです。
これはあべこべです。現界的に偉い人と思っていると案外違います。
またどんなつまらない人でも決して馬鹿にできません。
どんな偉い神様が憑っているか分からないです。
かえって逆です。大本教祖なども紙屑屋のお婆さんです。
赤貧洗うがごとしで、見る影もない、ごく貧乏なお婆さんだったのです。
それがとにかくあんな立派なことをされたのです。国常立尊(くにとこたちのみこと)というすばらしい神様が憑られたのです。
それから出口王仁三郎先生も百姓の息子です。
そういうわけで、その点をよほど心得ているべきです。
それからこの婦人も去年あたり頭が悪いときに狐が随分憑ったのです。
狐も見えますし、私が浄霊した時も狐がいたのです。
それで怖がっていたのです。
今度なども狐が時々憑っていたのです。
ヨハネやキリストが憑ったことも、狐に瞞されると思って、恐れをなして私に知らせたのです。
ところがその点も心得ておかなければならないことは、善い神様ほどかえって狐を使うのです。
というのは、ふつうの人間に神様が憑ろうと思っても憑れないし、しゃべらせようと思ってもしゃべれないのです。
それで狐に命令して狐にしゃべらせるのです。
そうして本人のしゃべり具合によって、これなら大丈夫だという時立派な神様がお憑りになることがあるのです。
だから狐だからといって悪い意味に解釈して馬鹿にすることはできないです。
祖霊などもよく狐を使うのです。
狐は非常に人間に憑りやすくてしゃべりやすいのです。
そのために祖霊が直接憑ってしゃべれない時は狐にやらせることがあります。
だから、よしんば狐が憑っていても、どんな立派な人間か、神様か分からないから、そのつもりでこっちは、軽蔑しないでまじめにやった方がよいです。
よく狐のやつといって、それを押さえつけようとか、離そうとするのですが、それは悪いです。
前にも私は書いたことがありますが、いばって出てきたり、いたずらすることがあります。
また立派な神様を装ってきますが、そういう時は瞞されるのです。
狐は「オレは何神様だ」とか言うから、「ああそうですか。御苦労様です」と言っておくのです。
そうしているうちに必ず化けの皮をはぎます。
狐を押さえつけようとしたりすると、かえって狐が怒っていろんないたずらをするのです。
そうして正体を現わすのもかえって暇がかかります。
そういう点なども、素直にするということは、なにごとにもよいということが分かります。
だから「狐、こいつ瞞しやがるな」といって警戒心を起こす、それが神様の方ではいけないのです。
瞞されているとかえって暴露して、狐の方で頭をかいて謝るということになります。」
明主様御講話 「私にいる神様は一番最高」 (昭和29年3月27日)
「最近霊界にいろんな変わったことがだいぶ出てきたのです。
というのは、霊界が昼間になるについて、霊があわてだしたのです。
だんだんメシヤ教というものがはっきり分かってきたので、自分たちが救われたいことと、それから働かしてもらいたいということで、いろいろな方法をもって私に頼むのです。
そうして因縁の人の霊に憑って、話をしたりいろいろするのです。
それで最近信者さんの中の若い女性にいろんな霊が憑って知らしたわけです。
この間は現界で活躍している人たち、モロトフとかアイゼンハウアーとか毛沢東とかネールとか、いろいろありますが、そういう霊が憑って、私に罪をお詫びしたり、今後のお手伝い、それに対する念願とか、そういうことがあったので、現界の人たちの分は今度の地上天国に全部載せましたから、読めば分かります。
実に詳しく書いてあります。その後にあったことは、非常におもしろいし、しかも重要なことですから、今それを読ませます。
(御報告 明主様に御救い願う霊界よりの通信)
この中にある「明主」というのは、つまり私の代理なのです。
それで私の代理になって仕事をする私の部下の神様が幾人かいるのです。
それでなにかの重要なことに私として出るのです。
ですから私と思って差し支えないわけです。
それから天理教の教祖のことは、いつか話をしたことがありますが、静岡県の留置所にいるときにいろんな霊を呼んでいろいろ話をしたときに天理教の教祖とも話をしたのです。
それで救ってくれ、よろしいと言ったそのことを言っているのです。
こういうような具合です。
ですから私にいる神様は一番最高なのです。
ですから私は神様を拝んだことはない、と前にも言ったことがありますが、私より上の神様はないのだから、別に拝む神様はないわけです。
それで私は拝まないわけです。けれども、こういうことが時節によってはっきり出てくるので、私は自分で 「オレは救世主だ」とか、そういうことは言いたくないのです。
つまり事実で見せる、事実によって「なるほど」、力と結果において「そうだ」ということを分かって、それが本当なのです。
それについてお祭りの前の日の二十二日に、私の直接の仕事をしている男の若い妻君で、去年頭が少し変だったので、私がすっかり治してやったのです。
しかしまだ少し残りがあって、頸のまわりに固まりがあるので、時々来いと言って、月に二、三回ぐらいやっているのです。
そこで二十二日の日に浄霊しようとすると、ポロポロ涙をこぼして泣き出して、後から後から涙が出て、なかなか口がきけないのです。
しばらくたってからふつうになったから聞いてみると、キリストなのです。
それでキリストが長い間非常に苦しんでいたのが、その婦人に憑っていて浄霊してもらったので治ったのです。
つまり磔(はりつけ)になった時の傷の悩みなのです。
それがすっかり治ったので非常にありがたいと言って、つまり嬉し涙です。
さらに、自分のもっとも懐かしい天の父様にお目にかかれたということは、これほど嬉しいことはないという、この二つのことの嬉し涙で、それが出たわけです。
そうしてみると、あれほどの人でも、そういった一つの肉体の障害を治されなかったわけです。
そういうわけですから、これから外国においてキリストも大活躍されると思います。
これは信者の人はよく分かるが、キリスト教信者とか仏教信者が聞いたら、狐につままれたように思うだろうと思います。
自分の拝んでいた目標が、そんなようなわけかと思うだろうと思います。
しかしこれはすぐ分かるわけです。
なぜと言えば、今までのキリスト、釈迦、マホメットなどは、こうやって(手をかざして)病気を治すことができなかったですし、
しかもこうやって病気を治す人を作れなかったのですから、そこにおいて、力において想像できるわけです。
それで私は自分自身ああこうと、ドエライことは言いたくないですから言わないのですが、
だんだん時節に応じてそういうことが証拠立てられ、分からないわけにはゆかなくなってくるのです。」
明主様御講話 「マリアの憑依」 (昭和29年4月1日)
「例の神憑りの人で、最近ちょっと面白いことが出たので、今読ませます。
(御報告)
時期が近寄ってくるに従っていろんなことが出てくるのです。
こういうことは今まで詠(うた)で、露骨には書かなかったが、だいたいは書いてあるつもりです。
昨日キリストが憑った女が浄霊に来たのでやったところが、マリアが憑っていて、自分の伜のキリストが救われたので、自分として嬉しくてしようがないと言って非常に喜んで、繰返し繰り返し礼を言っていました。
そういうようなわけで、霊界のほうが今非常に変化始めて来たわけです。
それで、これがいずれ体的に写ると、すばらしい発展の時期になるわけです。いよいよ本舞台に近寄ってきたわけです。
ただ、今のところは霊界のことだけに、人間の目や耳にはさっぱり分からないが、近づいたということは確かなのです。
霊界が大いに変るということは、火素が増えるわけです。
光が増えるわけだから、去年の凶作みたいな具合に病人が(凶作でなくて凶人ですか)増加する場面が近づいて来たわけです。
自然栽培の宣伝なども、各地とも非常によく、開いた口にボタモチという具合で、大いに歓迎されつつありますが、いずれ医学のほうもそうなるわけです。
そうなればもうしめたもので、根本から変わってくるわけです。
霊界が変わって来たのでいろんな面白いことがあるわけです。
話はそれだけにして、質問に入ります。」
明主様御講話 「キリストは自分を神と言われるのが苦しい」 (昭和29年4月5日)
「この間のキリストが憑った婦人に、三月十三日から数回神懸りがあったのですが、これはなかなかおもしろいことと、割合正確なので、ほとんど違ったところはないのです。それを読ませます。
(御報告)
この中にある、マホメットの言った「火の地獄」とは、原子爆弾のことです。
この後に出た各地の龍神ですが、ほとんどヨーロッパ方面が多いのです。
そこの大きな湖水とか海とか、そういう所の龍神ですが、これはなかなかおもしろいです。それはこの次に読ませます。
それで、キリストが言われたその言い方が、バイブルによく似てます。
非常にくどいような、敬語などの表わし方とかです。キリストの一つの特長です。
それからもう一つおもしろいのは、「神ならぬ神」という言葉が入ってますが、これは実にうまく言っているのです。
実際今まで神様といって拝んでいたのは、本当は神様でなかったのです。
よい意味で言えば代理であるし、悪い意味で言えば誤っていたのです。間違えられたのです。
そこでキリストが自分を神と言われるのは苦しいと言ってますが、これは本当にそうなのです。
つまり、よく神様といっていろいろ崇められても、実際の値打ちよりも過ぎた待遇を受けると、かえって苦しいのです。
これは人はあんまり知らないことです。
しかし霊界は順序が正しいのですから、順序がちょっと違うとかえって苦しいのです。
順序どおり、順序相当のお粗末にしてもらったほうが楽でよいわけです。
ですから祖霊さんなども、あんまり分不相応な祀り方をすると、かえって苦しいので、そのためにお気づけがあるのです。
ですから稲荷様とか天狗とかを立派にお祀りすると霊は苦しいので、かえって、気をつかせるために災いがあるのです。
一生懸命に信仰して崇めているのに災いがあるということは、霊の方で苦しいのです。
こういうことは今まであんまり気がつかないのですが、やはり実際の価値と相応しないとそういうことがあるのだから、やっぱりその点注意する必要があります。
だから今キリストが言った、歌もあんまり自分を讃えすぎる歌は苦しいために、こういう歌詞で歌ってくれと、その歌詞も言いました。
歌詞もなかなか良くできてます。これはいずれはキリスト教信者が歌うべきものになるでしょう。
それからこの中でおもしろいのはエジプトの神ですが、これは少なくとも五千年以上前の神様です。
こういう神様たちも救世教に対して分かったわけです。
それで私があっちへ行ったらぜひ寄ってもらいたいと言うのですが、まだずっと先でしょう。
それで、霊界は時間空間を超越しているから、今霊界中が残らず分かったのです。
あっちの龍神なども非常によく分かっているのです。
それでこれから大いに働きたいと言うのです。
おもしろいのは、この次に読みますが、龍神の中に壊す役があるのです。
龍が、これから大いに壊す役をさせていただきますというのがあります。
戦争やなにかで破壊したりするのは、みんな龍神がやっているのです。
焼いたりいろいろするのもそうです。
日本に対する広島、長崎に原子爆弾をやったのも、龍神がやっているのです。」
明主様御講話 「ヨハネは2750年間地獄にいた」 (昭和29年4月6日)
「昨日おもしろいことがありました。この間の春季大祭のときに「「今まで五六七のミロクだったのが、今度は三六九になる」と言いました。
ところが昨日の参拝者が三百六十九名なのです。
春季大祭の後は昨日が初めてですから、そこにそういう数字が出たということは、実に神様は自由自在ということが分かるのです。
神様はよくこういうことをやられるのですが、これは神様の茶目です。
つまり「神様の力はこんなものだ、どんなことでもわけなくやる」ということをばお見せになるわけです。
だから、あなた方が参拝するのも、神様の方で、今日は誰、今度は誰、ということはチャンと決まっているのです。
それからこの間ちょっと話した、若い婦人でキリストが憑ったという話をしましたが、
今までのことを書いてこいと言ったものですから書いてきたので、それを読ませます。
(御報告)
これは別になにかのいたずらなどは入ってないので、本当です。
この中にいろいろな意味がありますが、私が一番感じたのは、キリストの言うことがおそろしくくどく、ちょうどバイブル的に言われているのがおもしろいです。
バイブルは弟子が書いたのですが、キリストのふだんのお説教やなにかが、こういったような言い方だとみえるのです。
それで一番おもしろいのは「神ならぬ神」と言ってますが、これは非常におもしろい言い方と思います。
実際、今まで神様と言っていたのは、本当は神様ではなかったのです。
神様の代理とか弟子とか、そういう意味だったのです。
ですから、キリストも「自分は神だ」とは言わなかったのです。「神の子だ」と言ったのです。
そこであの時代に一部の者はキリストを救世主と言ったのです。
いよいよ待望の救世主が現われたと言ったのです。
ところが実は救世主ではないのです。
そこでかえってそれを誤るといけないから十字架にかかったという意味もあるのです。
そこでこれは人間でも神様でもそうですが、特に神様は厳正ですから、そのくらいにピッタリしないと苦しいのです。
そこで今読んだように、自分をあまりに讃えた歌は苦しい、だから歌う歌を自分が作って、そうして言わせたのです。
なかなかよくできてます。これを今度のメシヤ会館に使おうと思ってます。
曲はヘンデルの「救世主」ですが、歌詞はこれにしようかと思っているのです。
ここにやっぱりたいへんな意味があるのです。私が作ってみんなが歌うということは嘘なのです。
つまり私についている神様自身が作って、自分を讃えるということは理屈に外れているのです。
そこで歌う人の一番偉い人が作って、そうしてみんなが歌うということが本当です。
それが合理的です。キリストがこういうふうに歌ってくれと歌詞を作ったわけです。
なかなか良くできてます。
神様を讃える気持ちが実によく出てます。
これを歌詞にしようと思ってます。
まあ、私の方で助かったわけです。
御讃歌などもそうですが、あれはみんな私が作ったけれども、お蔭をいただいてありがたいというようなことを、私が作るということは本当ではないのです。
まあ、信者さんの代わりになって作ったようなものですが、ああするよりしようがないからああ書いたのですが、本当から言うと、今言ったとおりが本当なのです。
それから右に関することは、この間京都のある婦人が、やはりキリストやその他いろいろな人のことについて出たのと、同じようなのです。
それが東京と京都と、こんなに離れて、別に話しあったこともない知らない人が、同じようにチャンと合うのですから、これらもおもしろいと思います。
それからその後まだいろんな霊が出ました。
なかなかおもしろいのです。ヨーロッパ方面、アフリカ方面の各湖水、池、海というような所にいる龍神が、それぞれお詫びやら、大いに働かしてもらいたいという願いやら、いろいろありました。
神様でも仏様でも全体の霊が、一番に光を欲しがるのです。
ですからいまも読んだとおり、マホメットなども非常に光に憧れているのです。
またその後出た龍神やいろいろな神仏も、少しでも光に浴したい希望です。
というのは、今までの人間で神様の光というものを持った人はなかったのです。
そこでヨハネなどが二千七百五十年間地獄におられたわけです。
それからキリストでさえも、そういった人でも、つまり救われなかったのです。
というのは光なのです。光に浴することができなかったのです。
ところが私が出て、霊界が明るくなり、それからまた光に浴することができたために救われたわけです。
だから理屈は簡単なのです。
つまり罪穢れにより・・・しかしああいう神様が罪穢れというのはおかしいですが、
だいたいキリストが十字架にかかったというのも、前の世に非常に大きな罪をしたその犠牲になっての贖罪です。
そこで十字架にかかったわけなのです。
それだけではすっかり救われないのです。
そこで長い間苦しんでいたのが、光に会うとその罪である曇りが溶け、消えるのです。
それで救われるのです。
だからとても光を憧れているのです。
それともう一つは、今度罪を消されないと永遠に残るのです。
それは軽い罪は昼間になると消えますが、しかし軽い罪の人はほとんどないので、みんな重い罪の人です。
ちょうどあなた方が浄霊して、いくらでも毒があるようなもので、チッとやソッとのものではないのです。
重い罪の人は永遠に消えないのです。今のうちに早く光に浴して助からなければならないというので、あせって急いでいるわけです。
というのは、霊界がドンドン昼間になりつつあるからです。
だからそれを知った人はよいが、知らない人は実にかわいそうなものです。
それでおもしろいのは、この次に読ませますが、いろいろな龍神の中で「自分は破壊の役だからして、それを一生懸命やる」というのです。
これは破壊といったところで、悪ではないのです。
つまり掃除です。掃除というのが破壊なのです。
悪いものはブチ壊して片づけてしまうというわけです。
大掃除の時に壊れかかった物や役に立たない物はブチ壊してハキダメに捨ててしまう、という役の龍神があるのです。
自分は破壊の役の龍神だから、それを一生懸命にやるということがありますが、そうしてみると、大いに破壊の時も来るわけです。
どういうふうにして破壊するかということは神秘です。
今大問題になっているのは水素爆弾ですが、これらにしてもたいへんな役をするのだろうと思います。
あれくらいの物ができなければ、地球の掃除はできないでしょうから・・・。
とにかくその大掃除に助かるには、光をいただいて、そうして穢れをなくさなければならないというわけですから、
とにかくメシヤ教信者になった人は、その幸福たるや、とてもたいへんなものなのです。
それもだんだん分かってきます。
だからキリストやマホメットなども救われたということは、先に述べた婦人を浄霊しているうちに、キリストやなにかが助かってしまったわけです。
だからとにかく浄霊ということが、いかに偉大なものであるかということは、霊がみんな証明しているわけです。」
明主様御講話 「光を受けなければ救われない」 (昭和29年4月7日)
「そういうわけで、最近いろんな霊的の事柄が出てきたのです。
この間は、キリストやいろいろな偉い開祖、教祖などの神懸りのことを言ったけれども、あれは京都の方の若い女性ですが、今度は熱海にいる若い女の人が、やはり霊憑りでいろいろそういうことを言われたのですが、それが京都の人とよく合っているのです。新しい点もありますから今読ませます。
(御報告)
これをみると、キリストはキリストらしい、バイブルの書き方みたいなことを言われているので、おもしろいと思います。
バイブルのいやにくどい所などがよく似てます。そういうわけで、今までは光を持った人間が現われなかったのです。
つまりヨハネが二千七百五十年地下に苦しんだということは、光というものがなかったからです。
それで、光を受けなければ救われないのです。
神仏も、つまりこの光をいただきたがって、今霊界ではたいへんなのです。
それで今度奈良に行くについて、あっちの各海、湖水、池などの龍神が次々と京都の人に憑って、その報告が来ました。
そういうようなわけで、まあ、光を憧れているわけです。
それで、今読んだ中に「神ならぬ神」ということを言ってますが、これは非常におもしろいと思います。
実際今まで神といって拝んでいたのは、実は本当は神ではなかったのです。
ですから「神ならぬ神」というのは、うまく言いまわしたものです。
そういうわけで、「聖夜」といって、キリストの聖歌でしょうが、これはあまりにキリストを讃えたので、かえってキリストとしては苦しんでいるのです。」
明主様御講話 「キリストは長い間 霊界で非常に苦しんだ」 (昭和29年4月11日)
「つまり光のある宗教、光のある教祖なり宗教家というものは、今まで地球上に出なかったのです。
その出なかったということは、なにによって分かるかというと、これもはなはだ大きな話ですが、ちょっと信じられない話です。
けれども、本当のことですから言わなければならないわけです。
メシヤ教の人たちは分かりますが、そうでない人が聞いたら「ああいう大きなことを言うのは、あいつは山師か頭がどうかしている」と言うでしょうが、これは本当です。
それはなにかというと、最近キリスト、釈迦、マホメットという偉い人たちがみんな私に救ってくれと言ってきているのです。
その一例をあげますと、最近キリストがある若い婦人に憑ってきて、この間私は浄霊をしてやったのですが、
浄霊するかしないうちに、涙を潸然(さんぜん)と流して、実に感謝に堪えない態度です。
長い間霊界で非常に苦しんだのです。
しかし「今度はお救いいただいてありがたい、嬉しくて嬉しくてしようがない」 と言ってシャクリあげて泣くのです。
しばらく話ができないので、その間待っていたのです。
そういうことが二度ありましたが、聞いてみますと、キリストが憑った時には、やはり磔(はりつけ)の苦しみがあって、
そうしてよくキリストの磔の像で、こういうように首を曲げておりますが、やっぱり首を曲げるのだそうです。
どうも首をなにかで押さえられたような、非常に苦しいそうです。
それは、つまり磔に遭ったから苦しいのです。つまりその苦しみがすっかり取れないのです。
取れないということはなぜかというと、光がないからです。
それで、この婦人は去年頭がおかしくなって私が治してやったのです。
それでまだ固まりがあるので、時々来いということで、時々やってやったのです。
するといつの間にかキリストがそれに憑って、いつの間にか良くなったというのです。
それからマリアですが、マリアは、自分の息子が救っていただいたというので二、三度出てきましたが、非常に感謝してました。
それから順々に出てくるのです。
ヨハネも出てきましたが、ヨハネは二千七百五十年霊界で苦しんでいたが救われたと言って、非常に感謝してました。
最近はキリストの弟子でなかなか偉い人でヤコブというのが憑ってきました。
そういうわけで、マホメット、孔子、お釈迦さん、日本では弘法だとか親鸞などが憑りました。
続々憑ってくるのです。
そしてなにが欲しいかというと、光が欲しいのです。
私がちょっと浄霊をしてやると、光を受けますから救われます。
だから光を求めて世界中からやってきているみたいです。
光を受けることによって悪を制御することができるのです。
そういうわけで、今のような偉い、人たち・・・でもないですが、神たち・・・でもない、そういう聖者たちがメシヤ教のために大いに働くというのです。
今までも働かしていただきたかったけれども、穢れがあるので、曇りがあるので働けなかったが、
今度曇りを取っていただいたから大いに働けるというので、みんな勇んでいるのです。
ですからそういう、つまり八百万の神様と言いますか、束になって活動しますから、いかに世界中に大きな発展ができるかということがよく分かるのです。」
明主様御講話 「人を救うには光」 (昭和29年4月12日)
「ところで、もう一つ話したいことは(これはぜひお話ししなければならないし、非常におもしろいことです)、信者なら分かりますし信じられるが、信者でない人は、おそろしく手前ミソのように思われるのです。
なぜかというと、今度私が奈良に来るについて、奈良の各山の龍神さん、神社、仏閣の、尊、何の神様、何の如来といぅ、神、仏の霊たちと、それから守護の龍神と、龍神になっている神様、そういう方々は非常に喜んで、今日は霊界では歓迎しているのです。
これはいずれ「地上天国」にも出ますが、さっき天候でチャンと挨拶したのです。雨が降ってたのが止んできたのです。ちょうど奈良に来るときに日が照ってきたのです。
あれは挨拶です。今日は雨が降るに決まった日ですが、龍神さんの歓迎の意を大いに表明するには天候よりしようがないので、「ああ、やったな」と思ったのです。
近ごろあらゆる神、仏が非常に喜んで、キリスト、マホメット、釈迦、ヨハネといろいろな神様が出てきます。
ここに来るちょっと前にもいつもの婦人に、マリアとキリストが出ましたが、実に喜んで、口から出る言葉のあらゆる讃詞を呈しているのです。
実にその喜びの情というものが溢れているのです。
他のあらゆる神、仏も、みんなそういうふうです。
とにかくみんな、私が出るのを何百年何千年前から待っていたのです。
だから奈良の各地の龍神が喜んで、私がここに来るときに御挨拶に伺うと言ってましたが、なにしろ霊ですから始末が悪いのです。
私に感じるだけで形がないのですから。
けれども間違いないということは分かるのです。
そういうわけで、これからメシヤ教は目覚ましいものがあるのです。
そうするとあなた方も忙しくなりますから、いつも言っているとおり、大いにフンドシをしめなければならないと思ってます。
そういうようなわけで、霊界はだいたいほとんどミロクの世になったのですから、これから現界に写ってゆくわけです。
その中でおもしろいのはマレンコフです。さっきの話に関係があるというより根本ですが、マレンコフ、モロトフというああいう連中も、自分が今まで間違ったことが分かったと言っています(これは生霊です。生霊と死霊と両方ありますが、生霊の方は自由に呼ぶことができるのです)。
私が静岡の留置所にいるときにだいぶ呼びました。その時スターリンを呼びましたが、スターリンはどうしても駄目です。
他の人は「そうなります」とか「時期を待ちます」とか言ってましたが、スターリンはガンとして駄目でした。
スターリンは最低地獄に落ちて何千年もいなければならないのです。
結局そこまでゆくと改心しますが、一番遅いでしょう。
というのは執着が強いですから。そういうわけで、世界が、悪を制御するだけの善の力が増えるという、そういう魂の人間が増えますから、そこでさすがのスターリンも「駄目だ」と言って改心するのはしますが、一番ドンジリになります。
いよいよ本当の地上天国、ミロクの世の圏内に入るわけです。
これは事実がこれからドンドン現われますから、いよいよ本舞台になったわけです。
それからこれはおもしろい話ですが、「東方の光」ということになってます。
結局人を救うには、人ばかりでなく霊にしろ一切を救うには、まず光です。
いろんな霊というものは光を求めてくるのです。御光をいただきたいと言って求めてくるのです。光で救われるのです。
キリストでさえ今まで随分苦しんだのです。キリストが憑ると首を曲げるのですが、十字架の絵にあるように、首を曲げるのです。
それはその時になにかで縛られたか、あるいは死んで下に落ちて、その上になにか物がのったとかしたものです。
つらいそうです。
そして十字架の磔(はりつけ)になったときの痛みはほとんど取れたが、まだ首が曲がっているのは、少しあるようです。
最初はだいぶ痛かったようですが、それも取れて、キリストが非常にありがたがっているのです。
マリアとしても、自分の息子ですから、伜(せがれ)が助けられたというので、非常に喜んでいます。
時間がなくなりましたから、このくらいにしておきますが、今お話ししたのはあんまり大きな話ですから、よほど信仰がしっかりしていないと信じられないです。
信仰のない人が聞いたら馬鹿馬鹿しくて鼻の先で笑うかもしれませんが、本当なのです。
あなた方はそうでもないでしょうが。これからそれが形に現われてきますから、それをある程度まででも信じさせるのがたいへんです。
今まで何億という人類が拝んできたキリスト、釈迦を私が助けたというのですから、「そんな人間が現われることはない、頭がどうかしている」と言うかもしれません。
あなた方はふだんから知っているでしょうが、それを「これだ」という所までゆけば、魂がすっかり固まったのですから、そうするとそれによってその人の力が強くなるのです。
それこそ私の代理として立派に力をふるい、仕事ができるわけです。
だから今言ったことをよく心に入れて大いにやってください。」