共産主義について 1
明主様御教え 「資本主義と共産主義」 (昭和24年御執筆)
「そもそも、資本主義の発生は何によるものであろうかという事から検討してみよう。
すなわち資本主義の根本観念は、限りなき利己からである。
ただ儲かりさえすればいい、従業員や労働者の幸福などはあまり考えない。
ただ生活出来るだけの報酬さえ与えればいいという、洵(まこと)に人情も慈悲もない冷たい考え方である。
愛といい慈悲という思いやりの感情はもちろん精神活動からであって、いわゆる唯心思想である。
それと反対に物欲一方に偏する利己思想は唯物主義であろう事はいうまでもないとすれば、資本主義なるものも全く唯物主義の産物といえるのである。
ところが、右のごとき資本家の利己一点張りは、到底長く許さるべきものではない。
遂に彼のマルクスやエンゲルスが現れて、共産主義理念を発表したから堪らない。
それまで虐げられて来た労働階級並びにその支持者等は、これなるかなとたちまち謳歌し、反抗的気勢は年をおうて強靱となり、
遂に共産主義国家を産むと共に漸次今日のごとく世界的に発展まで到った事は、現在までの共産革命の歴史である。
ところが、それだけならいいが、今度は資本家を打倒して、自分達がとって代ろうとする気勢さえ示して来た。
その結果労働階級の利益のみを考え、資本家や自分達以外の者は極力打倒して没落に追い込めようと、執念深く活動の手を緩めないというのが現状である。
これがため到るところ陰に陽に闘争に日もこれ足らぬという現状である。
かような共産活動の利己一点張である事は、資本家のそれと何ら異なるところはない、どちらも唯物主義である事はいうまでもない。
こう考えて来ると、今日世界人類苦悩の根原は、これら両極端の唯物主義者陣営の闘争である事は疑ない事実である。
ゆえに以上の原因を解決しない限り、何年経っても人類の幸福は決して実現しない事を断言出来るのである。
しからばその解決法はいかんというに、それはもちろん唯心主義をもって人類を同化する事である。
すなわち強力なる宗教である。ところが既成宗教がその役目を果すべきであるが、それは無理である事も今更説明の要はあるまい。
どうしても超宗教的の新しい力が生れなければならないとすれば、吾らは確信をもってその任に当るべく現在その方針をもって進んでいる。
それは何よりも人類をして唯物主義の誤謬に目覚めしむる事である。」
明主様御教え 「共産主義の将来」
「近時、世界は固よりわが日本においても問題の中心は、共産主義運動であろう。
事実共産党以外の人民は無気味な脅威を感じ、同運動の今後の推移に対し、重大なる関心を持っている事は、今更いうを要しないところである。
政府においても、昨今急にあわて出し、各般の対策に腐心しつつある事実は、これまた、国民に対し一面安閑(あんかん)たるを許さない警告ともみえるのである。
しかもマ元帥の鉄のごとき信念を吐露するあり、日本の各所に急に発生し始めた不穏の空気に対しても楽観を許さないものがある。
眼を転じて東亜の趨勢をみるも、中国の事態といい、朝鮮の現状といい、最後に日本を目標とするに至るであろう事は、日本人の誰もが予想せずにおれない程、それほど事態は急迫を呈している。
吾らはもちろん、政治家でもなし、操觚者(そうこしゃ)でもないが、国民の一員として、否宗教人として宗教を通して共産主義の将来を批判してみるのもあえて無益ではあるまい。
ここでマルクス、エンゲルス、レーニン等に関してはあまりに世間に知れ渡っており、いう必要はないが、ただ今誰も最も知りたいと思う事は、世界対共産主義の将来であろう。
共産主義が人民中の、最も数の多い勤労大衆の利益を擁護するという建前と、それによって地上天国出現を目ざしている事は看取されるところであるが、これについて公正なる批判を下す場合、
その批判の基本としては一体共産主義は、正か邪か、善か悪かという事であるが、
この正邪を決定するにはどうしたらよいかという事であるが、吾らから言えば至極簡単である。
それはその基本的観点をまず大乗、中乗、小乗に分類するのである。
すなわち世界全人類を対象するを大乗といい、人類の大多数であってもある範囲に限られたるそれを中乗とし、極めて限られたる小地域のそれを小乗とする。
以上を一そうくわしく説明すれば、大乗とはもちろん一階級、一民族、一区域に限る事なく、全人類を打って一丸とし、平和、幸福に浴させる事であり、
中乗とはいかに多数であっても限られたる範囲の民族を幸福にし、他を犠牲にするという事、
小乗とは小数範囲の民族にのみ幸福を与え、他の大多数民族を犠牲にして省みないという、終戦前の日本がそれであった。
この三乗を、宗教を通してみた場合、大乗は絶対善であり、中乗は善悪両様であり、小乗は悪そのものである事になろう。
とすれば共産主義は右のいずれに相当するかを検討する時いうまでもなく、中乗に当てはまるであろう。
右の論旨によって、共産主義の将来を卜(ぼく)するとすれば、今日までの功罪相半ばするやり方は主義実現のためとしてやむを得ないとしても、今後、中乗から大乗に推移する事を勧告したいのである。
とすれば、輝かしい将来を約束し得る事は言うまでもない。
万一今日までの中乗的政策を依然として続ける以上、その将来は楽観し得ない事を予想し得るのである。
従って、大乗圏に転換するとすれば、その表れとして第一、闘争の文字は和合の文字を置替えられ、親愛の精神が基本となる事はもちろんである。
その結果として米国との対立も消散するであろうし、全人類は共産主義を謳歌するに至るであろうし、ここに世界人類は初めて不安の脅威から解放され、平和を享楽するための、翹望(ぎょうぼう)する地上天国出現となるであろう。」
明主様御教え 「悪の追放」 (昭和27年9月10日)
「現在の世の中は、まだ文化の進歩が遅れているためではあろうが、どうも識者なるものは実に馬鹿馬鹿しい事に骨を折っている。
それは何かというと、ヤレ共産主義とか、社会主義とか、資本主義とか、何々主義などといって、
色々な主義を作り、一生懸命になっているが、
帰するところ団栗(どんぐり)の背比べにすぎないのである。
昔から主義なるものは現れては消え、現れては消えているだけの事である。
これは何がゆえかというと、ちょうど今日の結核新薬とよく似ている。
やれストマイ、パス、テラマイシン、クロロマイセチンなどといって、ヤイヤイ騒がれているかと思うと、
今度はヒドラジドなどという新薬が出来ると共に、最初はドエライ宣伝で、
これで結核問題は今にも解決出来そうに思わせられたが、
最近は余程怪しくなって来たようだ、このように嬉しがらせたり、失望さしたり、
同じような事を繰返しているのが文化的というものであるとしたら、実に馬鹿馬鹿しい話で、
迷わせられる人間こそいい面の皮である。
話は戻るが政治屋などもその通りで、何々主義、何々政策などといって、
映画館の看板じゃないが、客呼びに骨を折っているが、肝腎な中身はどうも空ッポーのように思われる。
だから本当をいうと、主義主張などという御題目は二の次で、
要はそれを扱う人間様の了見次第で、つまり善か悪かである。
たとえば今みんなが怖れている共産主義にしても理論は結構だが、
暴力や破壊手段などを用いたり、自分達の仲間だけがよければ、社会全体の不安など余り気にとめないという利己主義が悪いのである。
また資本主義にしてもそうだ、資本家ばかりが懐を肥し、贅沢三昧な暮しをしながら、
使用人や労働者は物価高で、喰うや喰わずになっていても、見向きもしないやり方が悪いのである。
また社会主義にしても至極公平なようだが、実はこのくらい不公平なものはない。
それは偉い人間も偉くない人間も、働く者も、怠ける者も、家畜動物のように一列一体の扱い方であるからで、
それがため社会の進歩は阻止され、天理に外れるから悪いのである。
ここで総選挙も近づいたから、これについても少しかいてみるが、
悪がなくて誠実の人は、世間からも信用されるから、
候補に出ても三当二落などという馬鹿気た金を費わずに済むはずだから、偉い人が出そうなもんだが、
今日のようではそういう人は出られないから引込んでいる。
その反対に誠実などは二の次で、大いに札ビラを切る人程出られる率が高いようであるが、
無論こういう人は名誉欲の亡者か、何か腹に一物ある人に違いないから、立派な議員とはならないに決っている。
日本の議員のレベルの低いのは、原因はこの点にあると私は思っている。
また重ねて言いたい事は、新薬については信者はよく知っているが、
どんなに良い薬が出来たといっても、病気の治らない事は太鼓判を捺しても間違いない。
元来薬で病気はいささかも治るはずはない。
なぜなれば薬は全部毒であるからで、毒を服んで身体が健康になるなどは、石が流れて木の葉が沈むである。
つまり薬という毒で、一時病気を圧(おさ)え苦痛を緩和させるだけの事で、
その結果薬毒が病気を作り、年中鼬鼠(いたち)ゴッコをしながら、人間は段々弱まってしまうのである。
今日のように病人の多い事実がよくそれを証明している。
従ってそんな箆棒(べらぼう)な医学や、恐ろしい薬を何とか知らせたいと思って、
吾々は身を砕いて一生懸命になっているのである。」
明主様御講話 「社会主義は怠け者の天国」 (昭和27年1月3日)
「何しろ今ヨーロッパで統一軍を編成してますが、あれなんかに非常に金がかかるんですね。
ヨーロッパの・・・英国、フランス、イタリヤあたりにしろ、ほとんど金がないですね。
みんなアメリカから金を借りたり、材料を供給されたりしてます。
そうしてしばらく少しずつ、軍備をしているようで、全然アメリカの負担になってますね。
ですからして、今度チャーチルがアメリカに行ってトルーマンに会いますが、結局英国は金がなくなっちゃったんですね。
一年くらい前には相当あったんですがね。最近になって、急に英国は金がなくなっちゃったんですね。
これについて、あんまり人に言わないけれども、日本人が気のつかなければならないことは、英国が非常に疲弊しているわけですね。
何だと言うと、食糧問題にしろ、今もって、一週間に卵一個だとか、牛肉は足りないし、バターは足りないし、ちょうど日本の戦争中のような状態ですね。
ですから、今日の日本に較べると、日本の方がずっと食糧事情なんか良いですね。
金さえ出せば、どんな美味しい物でも食べられるという状態ですが、英国はそんなことは出来ないですね。
厳重なんですね。もっとも国民性にも因るんですがね。疲弊生活ですね。
だから、負けた日本の方が楽で、勝った英国の方が疲弊生活ですね。
チャーチルなんか、演説して警告してますがね。
英国が何であんなになったかという事は、あれは社会主義の為なんです。
労働党なんか随分続きましたがね。私は先から、社会主義はいけないと言っている。
というのは、社会主義というのは、一般大衆に対しては、そう苦しむ者はないし、大変良いんですが、
その代わり優勝劣敗があんまりないですから・・・大いに活動して欲望を満足させようとしても、ある程度制限されているから、そういった欲望がなくなるんですね・・・国民がね。
自由競争というのが制限されているんです。
だから、あんまり活動しない・・・働かない者が得なんです。
どっちかというと、怠け者の天国と言うんです。
だから英国は貧乏を救う・・・救貧施設というのが非常に出来てますよ。
大いに働いても、それほど面白くないから、そういった欲望がずっと減るんですね。
そこにいったら、アメリカは・・・ちょうど日本の豊臣時代のようなもので・・・腕のある奴は出世ができるというので、大いに活気づいて、国家が生き生きしてくる。
社会主義というのは、そういった・・・あんまり、一般的に公平にし過ぎるんですね。結局不公平なんですね。
で、私が前にも言った、公平が不公平で、不公平が公平だ。結果はそうなるんです。
働く奴は出世する。怠ける奴は駄目だ。それが公平なんです。
ところが、社会主義からいうと、不公平になるんですね。
要するに行き過ぎなんですよ。あまりに片っ方に行き過ぎるんですね。社会主義というのは行き過ぎなんですよ。
アメリカの資本主義も行き過ぎようとするのを、とにかくアメリカ人は中々利口ですから、うまく労働政策なんか採って、行き過ぎないようにしているんですが、あれは中々巧妙にやっている。
ところが英国の方は、資本主義の反対の行き過ぎがほとんどなんです。
先のアトリーという人は、何もないような平和な時は良いが、今日のような脅威な・・・ソ連なんていうものがある時は駄目なんです。
物質なんか非常に不足してますね。日本からも輸出して、それでポンドが増えて困ってます。
日本がちょっと・・・綿羊なんか、努力すると日本の方が英国より勝っちゃったですね。
ですから、英国で一番恐がっているのは綿羊ですが、日本の政策を考えているようです。
というのは、あんまり骨折って働いても、つまらないというので、沈滞してしまうんですね。
日本なんか、社会主義をやっていないので、ともかくも活気があるんですよ。
大いに腕を振るうというんで、ただ日本は税金で押さえられるんで・・・だいぶ何ですが、まだ英国よりずっとよいでしょう。
そんなような訳で、政治にしろ、何にしろ極端に走るんでいけない。
共産主義にしろ・・・あれも社会主義より、もっと極端にいってますがね。
共産主義というのは、一ぺんに、ひっくり返っちゃいますよ。
そんなような具合で、極端に走るということは伊都能売でないからです。
それで私は、大乗にあらず小乗にあらず、経と緯を結ばなければならない。
経と緯を結んだ真ん中が伊都能売だということになるので、伊都能売式にならなければならないという事を常に言ってますが、ところが、今までの世界というのは、経と緯と両方に偏っていたんですね。
そこで、それを結ぶと・・・結んでから初めて五六七の世になるんですからね。
五六七というのは、経緯結んだ形ですね。
一切がそうなるんだからして、とにかく宗教でもそうならなければならない。
宗教というのは思想的なものですからね。
だから精神がそうならなければならない。
私は「文明の創造」を書いてますが、そういった思想ですね・・・何々思想・・・それは伊都能売思想ですね。
両方に偏らない、極端に行かない・・・そういう一つの思想を段々世界の人類に教えるような方法を取るんですがね。」
明主様御垂示 「資本の公営化は国を衰亡させる」 (昭和26年2月25日発行)
信者の質問
「生産と創造に関する以外の商業のような業務は、主として営利を目的とする営業であるため、社会に対する利益よりも弊害のほうが多いようであり、
また生産創造に関する業務ほどの創意工夫を要しませんから、国営か公営が望ましく、
また土地には限りがありますから、土地、本来の目的に最大限に利用するため、私有でないほうが望ましいと思いますが、いかがでございましょうか。」
明主様御垂示
「この考え方は社会主義的であって、本当ではない。
これは競争がないから進歩は遅れ、国は衰える。英国などはいい見本である。
しかも人民の自由が拘束される憾(うら)みがあるから、世の中が無味乾燥になるとともに、不公平でもある。
なんとなれば、働く者と、怠ける者との結果に差別があまりなくなるからである。
こういう考え方は過渡期の時代であって、いずれ私はもっと進歩した経済機構を発表するつもりである。」
明主様御垂示 「共産主義は責任転嫁の思想」 (昭和23年11月3日)
信者の質問
「ユダとマルクスとは霊的な関係があるでしょうか。」
明主様御垂示
「ある。すべて大きな思想や事件は霊界から来ている。これは善い事も悪い事もある。
世界の資本主義が行われると段々偏りすぎる。
そして大多数が苦しみ金持だけ良くなる。それはいけない。
それを調節するためにマルクスが出た。
しかしマルクスが行われ過ぎると、労働者階級が権力を持ち過ぎ、今では資本家が苦しむ時代になった。
これはまた治ってゆき、真中へ来る。
丁度ブランコのようなものである。どっちかへ行き過ぎ・・・。
共産主義も必要だったが、行過ぎたために資本家が倒れ生産が衰えた。
その結果として、労働者もたおれる事になる。少し我慢して資本家も太るようにして・・・。
唯物的の考え方は、自分自身を省みない。
苦しみやいろんな原因は他にあるとする。
そして他人を怨み、社会を呪う。
日本人はその気持が強い。酒呑みや怠け者は困る。それを社会の機構が悪いからなどと、責任を他に転嫁する。
日本などでは、少し偉いのが出来ると倒そうとする。
出来ないうちにたおそうとするのがある。これは非常に悪い。」
明主様御垂示 「共産主義・社会主義・資本主義について」 (昭和23年12月1日発行)
信者の質問
「邪神はことさら正神らしく見せかけるように思われますがいかがでしょうか。」
明主様の御垂示
「これは無論そうであって、最初から邪神と分かられては人間のほうで警戒するから、
邪神の目的は立たぬ。
どこまでも正神と見せかけて間違ったこと悪いことを、善いこと正しいことのように思わせるものである。
邪神はいわば人間界の詐欺師のようなものである。
これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、よほどはっきりとした眼識をもたねばならぬ。
私の「信仰雑話」を書いたのも一つはそういうものにしっかりした判別力を植え付けるためでもあるから、
どうしてもこれによって智慧証覚を磨かねばならぬ。従って邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、
容易に見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙されるのである。
例えば共産主義のごとき、これは自己の階級だけを愛し、他を打倒しようとする間違ったものであるが、
主義者はこれこそ大衆を救う唯一のものであり、絶対の真理だと信じてやっている。それだけにまた非常に強いところがある。
また社会主義のごときもそうで、これが本当のやり方で、これによって社会は救われると信じ切っている。
(註 「本当のやり方」は、「信じきっている」にかかっている。つまり、社会主義は本当のやり方ではないということを教祖は言っている。)
この主義によると、賢者も、智者も、愚者も、偉人も平等に取り扱おうとする。
そこに不公平がある。
大自然を見てもいっさいにおのずから階級がある。
偉人とか智者は社会からそれ相当の地位を与えられ優遇さるべきが本当であって、
それによって社会の秩序が保たれる。
また社会主義は人間の競争心をなくそうとするが、これは文化の進歩を阻害することになる。
競争心があるので進歩発展するのである。
次に資本主義もはなはだ間違っている。
これは、金力をもって大衆の幸福を蹂躙することになるからである。
どうしても全体が幸福を得るという全体幸福主義というような新しい思想が生まれなくてはならない。
そこまで文化が向上することを念願として進むべきである。」
明主様御垂示 「自由経済が本当」 (昭和24年2月3日)
信者の質問
「今回の総選挙の結果は、国民の意志が右か左かに大きく分れて参りましたが、今後なお民意は左に大きく傾くやに考えられますが、今後の思想動向の見通しについて御教示下さい。」
明主様御垂示
「見方が買い被っている。
社民党があまりに政治が下手で、疑獄などを起し、嫌な事して国民も呆れ返り、社民には入れまいとした。
そして仕方なく民自か共産へ入れざるを得ぬ事となった。
労働者なども仕方なしに共産党へ入れたのである。
民自は統制経済徴廃に魅力があり、社会党はもっと統制しようとしたんで、愛想をつかした。
社会党はわざわざ嫌われる事をした。社会主義は滑稽である。
男女の煙草同配など大いに間違っている。
民自党が好かれた一番の原因は、吉田茂が大局を握って、政治家らしい人物の大きさで、片山などまるで朴念人で、国民感情など分らないであろう。
西尾、平野のごときは駄目になった。芦田は細かい人である。
自由経済が本当で、アメリカの発展はそうである。
共産党は税金を軽くするというので、これで一ぱい食った・・・税務署にも共産党が入っている。税金のために入れた。」
明主様御垂示 「社会主義は不公平」 (昭和24年7月27日)
「社会主義は、最も不公平なやり方である。
戦争のためにした統制経済を未だやっており、しかもなお強化せんとしている。実に頭が悪い。
これは共産主義が名を変えたもので、野菜などの値下りも(マル公)のために止めている。
米の配給も皆一様に決ってる。実に間違っている。多い人も少い人もある。
砂糖のごときも間違っている。」
明主様御垂示 「配給制度は社会主義」
信者の質問
「光明世界にして戴いた時、現界においての勝負事の遊戯は、いかなる程度のものに変り行くので御座いましょうか。」
明主様御垂示
「人間は出世したいという優越欲が大いにある。
この競争心はなくてはならぬ。
この点からいって社会主義は間違っている。
この競争心を制える。なくそうとする。
現在の配給制度は、戦争をするため止むを得ず変態的計画をとったもので、それを今以てやっている。これが社会主義である。
これは頭に欠陥があるといわねばならぬ。
本当のものでないが故に、終戦後は当然やめるべきである。
その統制に従わぬという事、即ち闇をやる事は悪でない。寧ろ善である。
二合五勺しか配給しないから闇をするんで、実際からいうと米は余るんで、余らないとすれば闇で売る訳がない。
闇の根本は主食である。
従って闇は政府が闇を作っているのである。
配給制度は社会主義理論である。それに気づかずやっている事はよほど頭がわるい。民自党の方があたりまえである。
共産主義は、人民を苦しむだけ苦しめて自暴自棄となる。
そこを狙って宣伝するやり方である。
闇は犯罪ではない。闇をせねば生きていけないような政治をしておいてそれを取締っている。政府の方が犯罪である。
またすべて官営にしようとしているが、官営とは昔からいう士族の商法であって、すべて物には理外の理がある。
やはり商法は、丁稚から上ったものでなくては役に立たない。
相場なども全然理屈に外れるもので、理屈とは逆にするものである。
理屈通りにすると必ず外れるものとしてある。
世の中には理屈に合わぬ事が沢山ある。
いわゆるニニンが六も七もある。
理外の理を知らなくてはならぬ。
今の学問は理屈を教えるが、理屈だけでなく、次の理を知らなければならぬ。」
明主様御垂示 「世界平和と社会主義、共産主義、資本主義」 (昭和26年5月20日)
信者の質問
「世界平和への途(みち)は社会主義、資本主義によるべきでしょうか。」
明主様の御垂示
「どっちでもないがどっちも加味される。
食物は砂糖だけで味をつけるか、醤油だけで味をつけるかというようなものである。
両者をちょうどいい具合にまぜ合わせればいいものができる。
いままで資本主義が甘すぎた。
それで社会主義や共産主義が起きた。
社会主義は実に不公平な政治であり、
共産主義はピラミッドを逆さに立てたのと同様である。
資本主義は福助政治で頭だけ大きくて、身体や足がやせている。
すべて片寄った主義は全部駄目でいまに理想的なものができる。」
明主様御垂示 「資本主義と社会主義について」 (昭和24年7月発行)
信者の質問
「資本主義で行くべきか社会主義で行くべきか、世の中はいかがでしょう。」
明主様御垂示
「資本主義のみでも駄目、社会主義でもいかぬ、両方を都合よく塩梅配合して行くのが一番よい。
いわゆる中道である。これが政治の要諦である。社会主義で倒れたのである。
資本主義は頭デッカチの福助であり、社会主義、共産主義は逆立のピラミッドであり、いずれも不安定なものである、
共産主義は理論は公平のようでもその内容は実に不公平なものである。
統制経済はナチスが始めたもので、ナチスはこれにより滅亡したではないか、それをいまだ日本では実行している、その為政者の頭の良さ加減が判る。
料理にして、塩味と甘味と適当に配合して色々な美味な料理が出来上がるではないか。」
明主様御垂示 「引揚者の共産思想」
信者の質問
「最近ソ連より多数引揚て参り、共産思想が熾烈となって来て、今後日本の思想の動向が心配されます。いかようになり行くでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「共産主義の信用を落すために、反っていい。八割転向したという。そんな心配した事ない。」
明主様御垂示 「共産主義は煙のように消えてしまう」 (昭和23年3月8日)
信者の質問
「食養生の桜沢如一(さくらざわゆきかず)さんも東洋に大偉人が出ると言っています。」
明主様御垂示
「まア一部の人に一部分わかっている。
マルクスも一部の真理がある。
絵でも種々な色を塗っていい絵ができる。
しかし赤い色がいいからといって全部赤く塗ってしまったんではなんだか判らなくなってしまう。
マルクスもエンゲルスもとても貧乏で苦しんだんです。
いまの人々はそれを見てありがたがっている。
共産主義もいまが一番さかんでしょう。
いまに煙のように消えてしまう。
こんなバカバカしいことが世界の人々をだましているというのはたいしたことですよ。
私はその点大いに感心しています。
野口英世なんかも黄熱病研究のため途中で死んでしまったんですが、世界の人々は彼のことを立派だといって賞めている。
そういう人は自分では満足でしょうがね。
実際よくもいろんなバカバカしいことが世界的に拡がり、また人々がよくもだまされているもんですね。
これこそまったく世界の謎ですよ。」
明主様御垂示 「共産党に崩壊する」 (昭和24年7月5日)
信者の質問
「一、金詰りの経済状態はいつ頃解決出来るでしょうか、御伺い申し上げます。
二、ソ連の引揚げに伴い共産党の運動、国鉄の首切等に関連、吉田内閣の打倒が叫ばれておりますが、将来の平和日本のためにいかなる内閣を必要と致しますでしょうか。御伺い致します。」
明主様御垂示
「共産党は、どの内閣が出ても打倒を叫ぶ。
彼等は、嘘をつくのと、人が苦しむのを何とも思わぬ。
だからある程度拡がってもいつか崩壊する。
労働階級は・・・。
わるい事を治さなくてはいけない。」
「自観大先生との対談」より (昭和24年5月30日発行)
記者の発言
「大先生(註 明主様のこと)は社会主義についてどういうお考えか。」
明主様御発言
「社会主義はいまは時勢に遅れている。
一部特権階級と庶民階級の間隔がひどかった封建時代は勿論必要であったが、
あらゆる階級が全部一列にならねばならないという思想は悪平等だと思う。
働くものも、のらくら者も一緒の境遇におかれるということは、かえって不公平なことだ。
まあ資本主義も必要であり社会主義も必要であり共産主義も必要であるが、
それらをうまくあんばいしてゆく、それが民主主義だと思う。
同じ絵を書くにしても、赤ばかりでは絵にはならない、いろんな色の配合があってこそ美しい絵が完成するのである。
食べるものでもそうである。あまいもののあとには辛いものもときには必要である。
なんでも一列にしたり、一色にしたりしては妙味というものがなくなる。」
「自観放談」より (昭和24年6月15日発行)
記者の発言
「蒋介石はどうなりますか」
明主様御発言
「駄目だな。生きる道は一つしかない。
下野して外遊する、アメリカ文化をじっくり見ること、そして帰ってきて中共に屈服する他ないだろう。
中国は毛沢東にいっさい任すほかないだろう。
人物としても手腕からしても、いまでは蒋介石より毛沢東の方うが遥かに上だ。
ここで注目すべき点は、中共の共産化とソ連の共産化とは違うことだ・・・
中共軍の今日の勢力は、決してソ連式共産主義そのものではないので、農民を背景として立ち、農民の正義感に訴えて発展したこと。
従って、農民の大きな支持を得たためで、いっぽう国民政府には農民の支持もなく正義感にも訴えなかった。
むしろ反感さえ抱かせた。これは、中国の国情から察して、いまの蒋政権は当然没落する運命にあったわけだ。」
記者の発言
「ではそうすると、中国はいよいよ共産化しますか?」
明主様御発言
「その点が、今言うソ連の共産化と中共のそれと違うという見解からすれば、今直ちに中国が共産化するという結論にはならない。
その意味は、こういうわけだ・・・
資本主義と共産主義とはブランコの両端だ。
どっちへも行きそうで、どっちへも行かない。
あっちへも行ったりこっちへ来たりしている。
といって真ん中にも止まらない、それで文化は進歩するんだ。
この真理が判った者が、一人前さ。どうだい、君に判るかい?」
記者の発言
「こうでしょう。ブランコそのものは変わらない、その振動して現われる状態、ブランコの両端ーそこに左右両極端が発生する、だが、ブランコそのものであること。」
明主様御発言
「そうだよ。そんなところだろうな。
その両極端で対立している、これはいつか解消するさ。
つまり振動が静止し、まっすぐに停止したときは、両極端はない。
この辺に、真理が潜んでいる。
だから、中国が共産化するか、という論は、現実には共産化を呈するだろうが、と言ってそれが真理とはいい得ないね。」
「NHKアナウンサーとの御対談」より (昭和24年7月17日放送)
アナの発言
「他の宗教に対して、例えば踊る宗教とかPL教団などとかに対しては、どうお思いでしょうか?」
明主様御発言
「ああいうのもみんな必要があって生まれるんです。
が、必要があると言っても、人にも大きい仕事をする人、中位の仕事をする人、小さい仕事をする人などいろいろあるように、宗教にもそれがあるんです。」
アナの発言
「別に悪いとはお思いにならないんでしょうか?」
明主様御発言
「悪いなんてことは言えませんよ。
もし悪ければ自然に消滅するんですから。
だから共産主義だって必要なんですよ。
もしあれがなかったら労働者は資本家に搾取されてしまいますから、労働者の権利を守るために必要なんです。
しかし出すぎてはいけない。
共産主義が共産主義以外に出ては神様からとめられるんです。
つまり、これは神様が霊界で操っておられるんだから・・・。」
「神仙郷緑蔭縦横談」より (昭和24年9月3日発行)
記者の発言
「最近の社会不安および世相観をどう御批判されますか」
明主様御発言
「社会不安の主なる原因は思想的対立に端を発していると見てよい。
左とか、右とか、とにかく激しい衝突を演じているが、
しかしこれはいわゆる過渡的な現象で、すべて時が解決するであろう。
だいたい日本の共産党がやっていることに非常な無理がある。
人間の心というものは、そんなにたやすくつかめるものではない。
無理な手を使って、そして無理矢理に人の心をつかもうとしても、
それは結局においてみずからの破滅を招くことになり、最後の勝利とはならない。
人間というものは腹から共鳴し合わねば真実の結合とは言えない。
共産党のやっていることは言わば小児病的で、大人らしさがない。
こんなところに共産党が滅亡する原因があると思う。
すでに共産党はさかりが過ぎている。下り坂だネ」
記者の発言
「ではこうした世相は共産党の勢力減退に伴って好転するでしょうか」
明主様御発言
「思想の対立が世の中を酷くしているのであるから、対立が弱くなれば漸次世間は明るくなる」
「明主様とブレーデン博士 御対談」より (昭和27年7月9日発行)
ブ博士の発言
「共産主義に対する御意見をうけたまわりたい。」
明主様御発言
「共産主義の根本は人類愛と相反するものです。
ある特別の階級だけのことを考えるのは神の大愛・・・平等の愛にもとるものです。
戦争中八紘一宇といってた連中の考え方と同様偏愛ですから、神威の前にはやがて消え去るにちがいありません。
神を信ずる私としましては問題にしておりません。」
ブ博士の発言
「あなたの信者で共産主義者がありますか。」
明主様御発言
「信者で共産主義者はありませんが、共産主義者であった者で、奇蹟を見て神を信じて、信者となった人はあります。
神を信ずれば共産主義者はなくなります。」
ブ博士の発言
「あなたの教団が陰謀を画策したといわれたことがありますか。」
明主様御発言
「終戦前にはそんな噂をする者がありましたが、戦後はそんな噂はありません。」
ブ博士の発言
「もっか日本の議会に提出されておる、破壊活動防止法案について、どうお考えになりますか。」
明主様御発言
「乱暴な行為を防止することは、やむを得ないことだと思っています。
共産主義者は、日本人でありながらソ連を援助するのだから、
日本人の姿をしたソ達人のようなもので、そんな日本人があってはなりませんし、
それに暴力によって革命をやろうとするのですから、これを防止する法案は必要だと思います。」
ブ博士の発言
「この法案が教団に影響を与える心配はありませんか。」
明主様御発言
「それは運営の問題ですが、民主主義が発達していけば、この法案が悪用されることもなかろうと思います。
とにかく、暴力で社会を破壊しようとするものを取り締まることは先決問題ですから必要でしょう。」
ブ博士の発言
「共産主義者が日本で天下をとるというようなことはないでしょうか。」
明主様御発言
「絶対にありますまい。日本はそれほど文化が低いとは思われません。」
ブ博士の発言
「世界には共産主義を怖れる人があります。アメリカ人の中にもあります。」
明主様御発言
「共産主義が世界各国にある程度の脅威を与えておることは事実です。
その脅威を防ぐために防止法案も必要でしょうし、
またある程度の軍備も必要でしょうし、神の存在をはっきり示すことも必要でしょう。」
ブ博士の発言
「どうか、そのことをトルーマン大統領にも言ってあげてください。」
明主様御発言
「私の出版物がたくさんありますから、お持ち帰りになってあなたから大統領に渡してください。」
ブ博士の発言
「残念なことに、私が世界旅行から帰るのは来年の春になります。
そのころはトルーマン大統領はその地位にいないかもしれません。」
明主様御発言
「ははあ・・・、それでは私のほうから直接、早く送り届けることにしましょう。」
ブ博士の発言
「今日はいろいろ有益な話をうかがってありがとうございました・・・さようなら。」
明主様御発言
「どうか無事に世界各国の宗教御視察をおえられますよう・・・さようなら。」