真文明論について 5 (旧文明の模造性)


明主様御教え 「硝子製造人」 (昭和28年8月25日執筆)

「世間我メシヤ教をもって、他の新興宗教と同様のレベルに見てる人がそのほとんどであろうし、少しましな人の解釈でもこんなところかも知れない。

新宗教の中でもメシヤ教は、多少レベルを抜いているようだ。

何しろ僅(わず)かの間にともかくあれだけの地位を獲得したのであるから、どこか違ったところがあるに違いあるまい。

もちろん終戦後の社会混乱に乗じて、巧みに人心を捉えた教祖独特の手腕は、買ってもいいだろうくらいに見ている事は、私にも大体分るような気がする。

中には「アメリカを救う」とか、「結核信仰療法」など、社会をアッと言わせるような題名の著書を出した宣伝政策など、医学の医の字も知らない癖に、随分思い切った事をするものだ、というようにその方の怪物視しているらしい。

従ってこの医学が進歩した時代によくも思い切った非科学的な説を堂々と唱えるなどは、はなはだ怪しからんと癪(しゃく)に障(さわ)る人や、鼻の先で嗤(わら)う人もあるであろう。

これらが私という者の見方であろうが、この見方の見方をここにかいたのである。


これについて私は、今思うままをかいてみるが、右の見方は決して無理とは思わない。

仮に私が普通社会人としたら、ヤハリ同様の見方をするかも知れないからである。

そうしてブチマケていえば、まず私なるものの正体は、ちょっとやそっとでは分るはずがない。

本当に分る人はまず世界に一人もないといっていい。

恐らく人類史上私のような人間は未だ嘗(かつ)て生まれた事がないからである。

ゆえに私こそ謎の人間と思っている。

しかし自分から謎というのは可笑(おか)しな話だが、それが一番ピッタリしているように思う。

今までにも私の事をかいたり、噂をする人の言を綜合してみても、全然見当違いで、微笑(ほほえ)まずにはいれないのである。


ここで私は偉い人達の御気に障(さわ)るか知れないが、右の謎の意味を最も分り易いたとえをもってかいてみよう。

それは現在のどんなに偉い学者、政治家、宗教家でも、ジャーナリストでも、硝子(ガラス)製造人と私は思っている。

というのは今日までの世界は硝子で作ったダイヤモンド、すなわちイミテーションを有難がり、満足していたからである。

そこへ最近御膝元の日本に本当のダイヤモンドが生まれたのであるから、本物を見た事のないイミテーションに馴れた目には、サッパリ見別けがつかない。

何しろ数千年もの昔から、本物を知らない人間は、ダイヤモンドとは硝子で作るものとしか思っていなかったので、

そこへ私はこれが本物だと説明するんだから、疑いが先に立ってどうしても信ずる事が出来ないのである。

しかし中には親しく手に取上げてみる人もあって、硬度といい、光沢といい、今まで見た事もない素晴しさなので、

なるほど本物は異うという事がよく分り、欣喜雀躍有難涙で分けて頂き、珍重愛玩措(お)く能わざる事になる。


という次第で、いずれは誰にも知れ渡る時が来るに違いないから、その時になって吃驚仰天(びっくりぎょうてん)、これは一大事と急に随喜(ずいき)の涙を零(こぼ)して、世界中から続々頂戴に来る事になろう。

その様が眼に見えるようだ。ここに到って長い間の硝子時代が終りを告げ、いよいよ天然ダイヤモンド時代に移るという事になる。

以上のごとくで私は現在どれ程偉い人をみても、硝子製造人としか思えないのである。」




明主様御講話 「今までの文明はイミテーション」 (昭和28年8月25日)

(御論文「硝子製造人」発表)

「つまり今までの文明というものは、全部と言いたいほど間に合わせものです。

つまりイミテーションです。

だから医学というものも、病気が治りそうに見えて治らないのです。

それはイミテーションだからです。

ダイヤモンドほどの硬度がないからガラスを切ることもできないし、切れそうに見えていて切れないというわけで、本当のダイヤモンドなら切れるのです。

そういうようなもので、本物がなかったのです。それをお釈迦さんはちゃんと言ってます。

「真如」ということを言ってますが、「真如」というのは、真理ではないので、真理のごとくというのです。

だからやっぱりダイヤモンドが真なら、ガラスで作ったものは真のごとくです。

うまい言葉をつけたと思います。

仏教の方で「実相真如」と言いますが、これは逆様なので、「真如実相」が本当なのです。

つまり真のごときものが出て、それから後に実相が出るのです。

仏教の方ではたいてい逆になってます。

私が善言讃詞に「大千三千世界」ということを書いてますが、仏典の方では「三千大千世界」となってます。

これはあべこべです。「大」という字は「一人」と書きますが、つまり「一人」とは「主」ですから、これが元です。

それで「三千」というと「三界」です。現幽神、あるいは天地人で、三つに別けてあるわけです。

最初は一で、それが三つに分かれるのが本当です。

ですから三つの方を上につけるということは間違いです。

それで一は太陽で三は月、一は火で三は水ですから、大千三千世界というのが本当です。

ですから私はそう書いたのです。

ところがそれを見て質問したり疑問に思ったりするのです。

この間信者でない人から手紙が来て、「大千三千世界」というのは間違っている、けしからん、ということを言ってきましたが、

そういうようで、今までのあらゆるものはみんなあべこべになっていたり、仮のものです。

だからお釈迦さんは「仮の娑婆だ」と。

今読んだ中に「病」が生病老死の四苦の中にはいっていて、四苦だけはどうにもならないとお釈迦さんは言ったのです。

ところがこれが解決され、しかも百歳以上生きるとすれば、どうにもならない方には、入らないわけです。

病気は勿論なくすることができるのです。これが「真如」ではできなかったが、「実相」ではできるのです。

そういう意味を書いたものです。他の発明発見にも、人間に害を与える方が多かったのです。

これは使う人の善悪にもよりますが、すばらしい発明だと言った原子爆弾が、あのとおり恐るべき殺人器です。

そういうようなわけで、逆になっていたわけです。

それの一番肝腎なのは人間の生命ですから、そこでこれを根本として一番主力をそそいでいるわけです。」




明主様御講話 「今までの文明は逆様」 (昭和27年11月26日)

「私が今書いているのは、文化的文明人と文化的野蛮人と両方を書くわけですが、文化というものは文明とは違うのです。

それは字で見ても、片方は化け物の「化」で、片方は「明るい」というのですから違います。

それで今は文化的野蛮時代です。すべては文化的になってますが、実際は人間の命の保証ができないのですから野蛮時代です。

それでこっちの目的は文化的文明人をつくるのです。

だからややこしい言い方ですが、それでなければピッタリしないのです。

それから愛国心について時々問題になっているようですが、私の見方の愛国心は、つまり新しい愛国心、忠君愛国でない民主的愛国心です。

(御論文「新しい愛国心」)

(御論文「医学療法と信仰療法」) (中略)



この間、アメリカに三十年もいる人の話を聞いてみると、

アメリカ人のスポーツの選手になる人ですが、

アメリカ人も今度のオリンピックではだいぶ良いレコードをつくりましたが、

結局そういったのはみんな黒人の血が混っているそうです。

純粋のアメリカ人はほとんどないそうです。

もし医学が人間の体力を強くするものなら、医学衛生を子供のうちから守っている白人の方が強くなりそうですが、そうではないのです。

映画を見てもそうです。

白人と黒人が駆け出しているのを見ると、子供と大人のようにまるっきり違います。


ですからとにかく恐るべき迷信に陥ってしまったのです。

医学ほど大きな迷信はないのです。

ですから私が、医学が世界的迷信の親玉というのは、そういうわけです。

ところが先様の方ではこっちの方を迷信と言っているのですから実に逆様です。

大本教のお筆先に「世は逆様になりておるぞよ、神様本様に直すのであるぞよ」とありますが、やっぱりおもしろく書いてあります。


こういうことは霊的にみても非常におもしろいのです。

霊的というが言霊です。

言霊からいうと、仏教は夜の教えだということを言ってありますが、

夜の教えで、つまり西から東に来たものです。

ですから仏教はインドで興っても、西の方には行かないのです。

西の方はマホメット教です。

みんな東に来ているのです。

中国からビルマ、タイ、日本と東に来ている。

だから逆になっている。

ですから「シャカ」という言霊は、「サカ」といって「逆様」ということです。

「逆」ということです。

この言霊も非常におもしろいと思います。


ですから今の医学も逆になっていたわけです。

毒が外に出ようとするのを出さない。

ところが出ようというのを出そうというのが浄霊で、

医学の方は出さないように押し込めている。


ですからどうしても今度は逆様が本様に直るという時期が来ないわけはないのです。

この図案(アメリカを救うの表紙)も逆様を直す図案なのです。

これが本当はこう(日本が上に)いくのが本当ですが、

それでは今は具合が悪いですから、こういうようにしてあるのです。

だから本当はこれが真っ白になって、真ん中になるのが本当ですが、

まだまだ時期がいかないからこうしてある。

そういうようで、いろんなものを見るとほとんど逆になっている。

ですから写真がそうです。西洋の写真はみんな男が右になっている。

女が左になっている。夫婦でも必ずそうなってます。これは逆になっている。

ですから外国の方は体主霊従です。

それで日本は霊主体従です。

それを日本が外国のまねをして、天皇陛下の御真影もあべこべになってます。

陛下の方が右で皇后様の方が左になってます。

これは今まではしかたがなかったのです。

それで霊主体従になれば初めて本当に平和な世界ができるわけです。」




明主様御講話 「大千誤魔化し世界」 (昭和10年2月11日)

「「光明世界」でお読みになったでしょうが、阿呆文学は長く続ける心算(つもり)ですが、この次は、「目下罪障消滅中」というのであります。

その次は、「大千誤魔化し世界」だから、本当のことを言うと自分が暴露されるから、言うことができなかったので、

あらゆる世の中のことがみなごまかしになっているから、迷いを生ずるのであります。

仏教でもなんでも、判った人がないから山へ籠もったり、断食をしたりして、難行苦行をしてもやや近いところまで行くが、

結局は今一歩のところで判らないことになってしまったのであります。

坊主の堕落は、物が判らない半(なか)ばやけになるから、あのようにだらしがないこととなります。

今度は判らないことを世の中に知らせるのであります。

私が、これから話をするのが、第一歩であります。

阿弥陀様が一番偉いという人と、また、お釈迦様が一番偉いという人がありますが、みな間違いで、ごまかしであります。

東氏の言われた奉仕的大安売りも、高いものを売りつけようとする手段より他ならないのであります。

仏教に限らず、すべて世の中のことがみなその通りであります。みなごまかしであります。

私がだんだん世の中のことを暴露いたします。

それには、第一に怒らんように滑稽に言うのであります。

滑稽に言えば笑いながらその人達が改心いたしますことになります。

観音様は世の音声を観ると解釈しているようですが、世の音声を見てすべてを悟って済度すると言うが、観音様はつんぼではありませんから、音を見ないでもよろしいのであります。

私は生まれてから未だかつて音を観たことはありません。

この次は観音様のお話をいたします。

いままでの世の中のあらゆることは判らなかったから、みなごまかしで終わっておったのであります。ごまかされて感心して随喜の涙を流しておったのであります。

仏教の解脱もみなこじつけてあるばかりであります。

そういうことをよほど暇な人があったとみえて、さかんに奨励していたのであります。

禅宗の坊さんや信者達がよく言う、「隻手(せきしゅ)の声を聞く」なんてまじめになってやっているんですから、人間も馬鹿馬鹿しいものであります。

この隻手の声にはいろいろ解釈がありますが、私は、隻手では音はない、双手で音がするのであります。私は隻手では音はないと解釈いたします。


それから、よく聞くことでありますが、肉体はあるのでありますが、ある人は肉体はあるが事実は空だと言います。

あの生長の家の谷口正治氏は大本時代に、私も知っておりますが、やはりこれと同じ説でありますが、

この谷口氏は病気は仮のものであるから心で健全だと思えば癒えるというのでありまして、

これなどがごまかしの第一等のものでありまして、こういうふうに、いまに至るものを変てこに、曖昧にしてゆくので判らなくなります。


親鸞の言った、「善人は救われる、況んや悪人をや」と言うことがあるが、これを聞いて信者がみな喜んでおりますが、これがごまかしの傑作であります。

これ故に霊界にたくさんいる悪魔が、世の中を悪化するように出てきて、この連中に憑って活動するのでありまして、世の中を悪くする悪魔の仕組みであったのであります。

この通り阿弥陀の悪の働きをやったのでありますが、それも天地経綸の重要なる悪の役割をしたのでありますが、結局、これも善になるのであります。

阿弥陀の陀の字が非常に悪の働きとなるのであります。

陀の字のこざと偏を虫偏にすれば蛇になります。

これをもって悟れば良いのであります。

今度は阿弥陀様が改心するのであります。

マッソンをこしらえたのは、奥の院に阿弥陀様が祭ってあったのであります。

いままでは、観音様より上にいて人々に拝ませていたのでありますが、阿弥陀が下に降って観音様より下になれば、五六七の世となるのであります。

このような例はなにほどでもたくさんありますが、善悪を判らないようにしていたのでありまして、

南無阿弥陀仏を称えさえすれば、悪も救われるというが、これが悪人を作ることが多くなるのであります。

できた悪を救うよりも、悪を最初から作らんようにするのが、本当の教えであります。

このように根本がたいへんに違うのであります。


救世軍が年の暮れに鍋を出して、正月の餅を配ることをやり、また、不仕合せの者、罪人などを救うというが、

その根本にさかのぼり、不幸な者ができんようにするのを考えないで救うと思っても根本から出ぬようにしなければ、これは根絶することもできず、

いつまでやっても際限のないことになるのであります。

救うのも必要だが、このような不幸な者のたくさん出ぬようにするのが一番良いのであります。

社会事業は箆棒(べらぼう)だ、いっぽうで不幸な人を造り、それを救うのであります。

それが出ぬようにするのが本当なのだ。これがごまかしの世界なのであります。


悪の出る根本はどこにあるか、これは、支配階級が正しい行いをするのが根本であります。

宗教家や政治家は、良いことをせねばなりません。上流が濁れば下流が濁るのがあたりまえであります。

すべて源にあるのであります。源の人間が本当の働きをすれば善いのであります。

ところが、いまの上流は、それをやるのが嫌なのだ。

妾を置いたり、芸者買いをやったり、女子に手をつけたりする、こういうことが止められんのであります。

根本を良くするのが嫌なのであります。


政治家も神様を祭り、政治を行なう前に、まず神を拝んで、しかるのち行なえば良い政治ができるからよいが、待合や料理屋でやらなければ、会議ができん。

乱れているから本当のことができません。自力更生、農村救済などといろいろなことは言うが、農民が気の毒だから救わねばならんとすれば、

まずもって料理屋で食っていたのを三十銭くらいの弁当にするとか、まず第一に、自分らが率先してこれを実行すればよいのであります。

世の中の人も競ってこれをまねるのであります。凶作地の話を待合でやるのでは問題になりません。

何千坪かの邸宅を構え、祖先の関ケ原の戦の功名で公爵になり上がっている人達が、教化運動の総裁でやっているが、

自分の行いを改めずに、人に行なわしても駄目であります。悪人ができるのはあたりまえであります。

支配階級の人が、自分達の行いを見せてくれて、世の中の人も見習うことで、納得するのであります。

国際連盟の問題の時、満州を日本が武力で取ったと言ったが、

国際連盟の人達は、自分の国ではたくさんの植民地を持っているのはなんだ。

みんな武力で取ったのではないか。

日本は満州が日本の生命線であるから独立させたのだ。

また、現在でも武力で圧えつけているではないか。

インドなどでも少し騒動すれば、たくさんな軍隊がどんどん虐殺する。

日本で取れば文句をいう。実におかしいではないか。

日本の満州を取ったお手本はだれだと聞きたいのであります。

悪人の出る根本はだれだ、やはり自分達の行動からではないか。

これがごまかし世界のごまかし世界たる由縁であります。」