真文明論について 2 (☉の文化)


明主様御教え 「☉の文化」 (昭和27年9月10日発行)

「この標題を説くに当っては、まず最初☉の意味からかいてみるが、見らるる通り☉とは、○の真中にチョンが点いている。

ただこれだけなら別に大した意味はないが、実はこの☉の形程神秘偉大な意味はないのである。

それは何かというと、この○はこういう意味である。

つまり森羅万象一切の形は○である。

第一地球も太陽も、月もそうであり、人間も霊になると他へ移動する場合、○の形になって行く、

これは人魂がよく表わしているし、神様でも移動なさる場合、ヤハリ○になられるが、同じ○でも神様の方は光の玉となる。

だが人間の方は光がなく、ただ白色または黄色の朦朧(もうろう)体であって、

黄色は男、白色は女である。これは太陽と月に相応する訳である。


これらの説明はこのくらいにしておいて、肝腎な事をかいてみるが、

もちろんこの世界も○であるが、○だけでは輪であるから、中身は空虚である。

人間でいえば魂がない訳であるから、この真中へチョンすなわち魂を入れれば、生きた人間になり、活動が出来るのであるがら、

☉とは空ッポに魂が入った形である。

昔から美術家などがよくいう入魂という言葉がこれである。

この理によって今までの世界は、チョンすなわち魂がなかったのであるから、

以前私は外郭的文化とかいたのはこの意味である。

何よりもこの理はあらゆる文化面に現れている。

いつもいう通り病気に対する対症療法がそうで、痛みや痒みを外部から注射をして麻痺させたり薬を塗ったり、発熱を氷で冷したり、服薬で浄化を止めたりして、一時的苦痛を免れるのであって、

中心には触れていないから根治は無論不可能で、時が経てば必ず再発する。

つまり病気の延期でしかないのである。という訳で病原もチョンにあるのだが、それが今まで分らなかったのである。


その他犯罪にしてもそうだ、現在は刑罰の苦しみで懲りさせ、防止する手段以外方法がない。

医学と同様対症療法であるから、大抵は一旦犯罪を冒すと、二度も三度も犯すようになり、中には何十回も犯す奴さえ出来る。

酷いのになると一生涯の中、娑婆(しゃば)にいるより牢屋にいる時の方が多い奴さえある。

この原因もチョンすなわち魂がないからである。

戦争にしてもそうだ、軍備を充実させれば相手も勝目がないから、一時止めてしまう。

つまり延期手段でしかないので、いつかは必ず始まるというのが歴史上明らかな事実である。

こうみてくると今までの文化は○だけで、チョンがなかった事がよく分るであろう。


そうして私は九分九厘と一厘という事を常にいうが、○にチョンが入るとなるとこれが九分九厘を一厘で換えてしまう。

言い換えれば九分九厘の悪を一厘の善の力で往生させるという意味である。

ちょうど○全体が黒く塗りつぶされようとする時、チョン一の力で、反対に黒を消して白全体にしてしまうので、これを世界的にいえば空虚な文明に実を入れる。

すなわち魂を入れるのである。これによって今まで形だけで死人同様になっていた文明を生かす、すなわち新世界の誕生である。」




明主様御教え 「ヒトミを入れる」 (昭和24年御執筆)

「私は前項のごとく、世界画について概略述べてみたが、今度は彫像にたとえて説いてみようと思うのである。

それは長い年月を費やして出来上った現在の文化を深く検討する時、そこに何ら統一がないのである。

見よすべての国家もあらゆる思想も、千差万別でその目標とするところはまちまちであって、歩調の伴わない事おびただしい。

国家間の戦争も階級闘争も、主義主張の摩擦も、主義による軋轢(あつれき)も意見の相違もその現れである。

これらはなぜであろうか、全く顔、頭、耳、鼻、口、手足、胴体等が個々別々に刻まれつつあったのであるが、実はそこまでに気がつかなかったのである。

それは吾らの常に唱うる夜の世界すなわち暗黒であったからである。

ところが最早天の時はここに熟し来った。いよいよ完成した彫像に眼を入れるのである。

すなわちヒトミを点ずる事となったのである。したがってヒトミを入れる事によって、生きた彫像否生々溌剌たる新世界生誕となるのである。

いよいよ地上天国の第一歩がはじまるのである。

ヒトミとは火と水である。火と水の密合が光であるから、この光の発現によって暗黒は滅消し、光明浄土の出現となるのである。

従ってこの世界的彫像に向かって最後のヒトミを入れるもの、それは何物か、いうまでもなく神の霊光でなくて何であろう。

輝く霊光を浴びつつ人類協力によって、永遠の平和確立の新世界誕生を祈るのである。」




明主様御教え 「九分九厘と一厘」 (昭和27年1月9日発行)

「前項に述べたごとく、戦争の原因は人間に内在する悪そのものであって、この悪なるものの本質は何であるかというと、

さきにもかいたごとく動物霊の意欲の表われであって、

その行為が動物的であるに見ても明らかである。

動物とはもちろん獣類が主で、次が鳥類、まれには虫類もあり、魚族もあるが、

いずれも人間の体欲をつかさどる必要から、神がそのように人間を造られたもので、いわゆる必要悪である。

ところがこの動物霊は霊線によって、邪神界の頭目に連繋(れんけい)しているので、

その頭目の思うまま自由自在に操られているのである。

そうして邪神界にも階級があって、人間個々の霊的階級に相応し憑依するので、上級から下級に至るまで差別があり、これも正神界のそれと同様の組織になっている。


このような訳で、人類は原始時代から今日に到るまで、善と悪が相対峙しつつ、現在まで何万何十万年にわたって来たのであるが、

もちろんその期間邪神の力の方が強いため、ともすれば正神の方が圧迫され勝ちであったが、

結局において悪の方が敗北し、善の方が勝ったのは歴史がよく証明している。

それはもし邪神の方が勝ったとしたら、世界は崩壊され、今日見るがごとき世界は、あり得なかったはずであるからで、

それというのも今日までは時が悪にある程度味方していたので、つまり夜の世界であったからである。

もちろん夜は暗黒そのもので、悪を制御する光が足りない以上、止むを得なかったのである。

右のごとくこれまでの世界は悪でも目的を達せられ、相当期間持続されたので、これを見た人間は悪で成功する方が早道と錯覚してしまうと共に、

その追随者も出来るという訳で、滔々(とうとう)として一般が悪に感染し、処世の常識とさえなってしまったのである。


これは歴史をみれば判るごとく、悪によって一時は成功したように見えても、いずれは必ず失敗するが、それに大部分は無頓着であったのである。

従って歴史とは悪による成功と、悪による失敗との交互連続の記録でしかないと言えよう。

右のように夜の時代は悪の力が強いため、その犠牲となった善者も少なくなかった。

特にそれが宗教家に多く、最大な犠牲者としては、彼のキリストであった。

私といえどももしその時代に生まれたとしたら、いかなる苦難に会ったかも分からないが、

いつも言う通り今や夜が終り、黎明期に一歩入った現在であるから軽く済み、予定通りの進展を遂げつつあるのである。


ところでここに注意すべきは、邪神の計画や行動といっても、戦争や暴力のみではない。

あらゆる分野にわたって、いとも綿密にして遠大なる計画の下に進んで来た事である。

その中で最も成功したものとしては唯物科学であって、この唯物科学こそ、彼らの最大なる武器であって、

これによって全人類に素晴しい恩恵を与えたと共にこれを利用して信頼させ、最後には絶対権を握ろうとするのが彼の計画であって、

その狙いは何と言っても、人間の生命を左右する事である。

その意味から進歩させたものが現代医学である以上、徹頭徹尾物質的方法によって、病気を治そうとし、

外面的には、いかにも治りそうに見えるが、内実は決してそうでないにかかわらず、

彼らの智能はすこぶる巧妙にあらゆる手段を尽して努力しているのである。

もちろん、方法としては機械、光線、新薬、手術等であり、また病理も微に入り細にわたって理論付けているが、

この真相を看破し得た者は今までに一人もなかったのである。

この意味によって、例えば病気に罹りその病原を質問しても御座なり的で、適確な説明は出来ないで、曖昧きわまる答弁をしている。

また病気に対してその見込を訊いてもだろう的で、断定は出来ない。

よしんば断定しても、十中八、九は齟齬(そご)するので、これは医家も常に経験するところであろう。

次は食糧問題であるが、これも医学と同様ほとんど科学的論拠によって作られた、彼の化学肥料である。

これも最初は一時的効果を見せられたので、人間は瞞されてしまい、今日のごとく各民族に行き渡ったのであろうが、これは別の項目で詳説する。

次は戦争であるが、これもさきに述べたごとくその時代の手腕ある野心家が、多くの人命を犠牲にして、覇者たらんと企てたものであるが、

これらも一時的成功の夢をかち得るに過ぎず、最後は必ず失敗し、歴史上の語り草に残るのみである。


以上大体悪についての検討をしてみたが、これによってみても、神は唯物文化の清算をされ給う時期が来た事は明白であって、

邪神の目的通りにならんとするその一歩手前に来た現在、神は私を通じて真相を明らかにさせ給うのである。

これを深く考えればその深遠微妙なる大神策は、実に端倪(たんげい)すべからざるものがある。

ここで別の意味からみれば、神の力は十全であり、邪神の力は九分九厘であるから、

神の方が一厘勝っており、この一厘の力をもって掌を反すので、この力こそ如意宝珠であるから、

私が常にいうごとく、現代文化は九分九厘までで切替えとなり、その時がキリストの言われた世の終りであるという訳である。

従って、この時こそ霊界においては仰天動地の一大異変が起こるのは必然で、この事を信じ得る人にして、永遠なる幸福者となるのである。

そうして、かの計画の唯一のものが現代科学であるから、医学の革命も当然起こるであろう。

それに代るべきものとしては、本教の浄霊法である。

というのは、幾人もの博士がてこずって、死になんなんとした病人が医学のイの字も知らない普通人が、数日の修行によって治し得る力を与えられるにみても多くを言う必要はあるまい。

従ってこの力をもってすれば、何十世紀も掛かって積み重ねた現代文化の誤れる点を解消するのも、あえて難事ではないであろう。

ここに至って、夜の帳(とばり)は切って落され、赫々(かくかく)たる太陽が現れるので、

その黎明期こそ今である。キリストの言われた信ずるものは幸いなりとしたら、信ぜざる者は、滅亡の運命となるより致し方ないであろう。」




明主様御講話 「主の文化について」 (昭和27年3月1日)

信者の発言
「一般では予防注射とかいたしておりますが、このことが一秒遅れますと、一秒間の損失でございますので・・・」

明主様御講話
「たいへんなものですね。実に、今の人間はかわいそうなものですよ。

何でも医学の犠牲者ばかりですからね。

昨日のラジオで、アメリカで肺病の結核菌を殺す、すばらしいのができたですね。

結核菌は全部短期間に死んじゃうのです。

その薬は、日本にくるには半年か一年先だろうと言ってますが、それは菌が死んじゃうから、肺病なんかじき治っちゃうと、こう言っているけれどもね。

副作用があって・・・何んとかがあるので、それがいけないんだとか言ってましたがね。

ところが、結核菌を殺すことができても、菌は湧くんだからね。

わかないようにしなくては駄目だ。そこが解らないのでね。


だから「主の文化」というのを、私は今書いてますがね。

今まではこれ(丸)だけだった。点が入ると主の文化になる。

今までは結核菌を殺すのに一生懸命だった。犯罪者が出ないように一生懸命だった。

これ(丸)だけなんです。これ(点)は黴菌の元をやっつけちゃうんです。だから黴菌は湧かない。

悪人とか不幸な人は、元をギュッとやっちゃうと、悪人は出なくなる。

それが主の文化ですね。中心の文化ですね。

今までは空っぽだった。ただ形だけで点がなかった。

それでメシヤ教は、つまり中心だね。ポチですね。ポチで救うんだからね。

そこで日という字ですね。日というのは、これ(点)だからね。これ(点)を主にしたものだからね。

だから、昼の世界・・・昼の文化というのは、そういったような意味なんですね。

主の文化・・・つまりこれ(丸)が月の働きなんです。

これ(点)が日の働きなんです。つまり日月になるわけです。

これ(丸)は緯の働きで、これ(点)は経の働きです。

だから明主というのは、日月の主(す)になるわけです。

これは伊都能売(いづのめ)になるのです。

日がイズで、月がミズだから、火水で伊都能売ね。」




明主様御講話 「主の文化について」  (昭和27年3月5日)

(御論文「結核信仰療法、結核は感染しない」の後の御教え)

「それから、次のはこの前読みましたが・・・三項目読んで、次のをこれから読ませます。

最近米国で結核菌を非常に急激に殺してしまう薬ができたと言うんですね。

それを服むと、じきに全部の結核菌が死んじゃうと言うんで、結核を簡単に治るという説を唱えているんですがね。

で、これが日本に来るのは半年以上一年経ってから、日本に来るだろうということになっている。

けれども、まだはなはだ不確実のようで、はっきりは言ってないんですがね。

で、今も書いてある通り、結核菌は伝染するんじゃないんだからね。自分で湧くんですからね。

だから結核菌を殺しても、後々湧いてくるんじゃなんにもならないです。

元を殺さなければね。それが解らないんです。


今の犯罪者と同じです。犯罪者や貧乏人とね。犯罪者を警察や法律や刑務所や、いろいろなものでなくしようとしているんですが、ところがその元をなくさなければ、なんにもならない。

元をなくするというのは、人間の魂ですね。悪いことはしない。犯罪は犯さないというのを作らなければならない。

それは信仰によって神様を知るんですね。神様があるということを信じてこそ、始めて悪いことができなくなる。

その方法をぜんぜん閑却して・・・閑却どころじゃない。

そういうことを言うと、かえって迷信だとか言って弾圧する。

そうして結果である罪を一生懸命になくそうとしている。


これはなんでもそうです。今、食えない奴ができる、税金で苦しむ、ということを言っても、まじめで働いていれば困ることはないんだから、貧乏で困るのはないんです。

ただ、困るのは病気です。病気で金を使う。だから健康になれば、これは解決するんです。だから根本の、因を解決するんです。

しかし今は、根本というのは解決できないんです。

根本をはっきり解っても、どうすることもできないですね。

今も言った通り、結核菌・・・それを殺すということのみ医学は研究しているんです。


そこで今、私は書いているように・・・「主(す)の文化」というのを書いているんですが、今までは丸ですね。

ポチ・・・これが元なんです。というのは、今までの世界は主(す)の力が出なかった。

つまり主神は・・・人間で言えば親父が出なかった。番頭なんです。

だから今までの神様は、神様の番頭なんです。

キリストだって釈迦だって、番頭なんです。

キリストは天の父と言う。天の父というのは主神ですからね。

だから肝腎の中心は、みんな隠されている。丸だけしか見えないし、それだけしか解らなかった。

で、メシヤ教というのは、主神の力ということがあるんです。ポチですね。

だから、あらゆる人間の災い・・・その根本を解決していく力・・・その点がはっきり解れば大体解るんです。


病気の原因も・・・結核菌の発生するということは、霊の曇りですから、霊の曇りを取れば、結核菌の因がないから、あと発生しない。

というのは、あと発生しなければ、だんだんなくなっていくんです。

人間に寿命があるように結核菌にも寿命があるんです。

だから、だんだんなくなっていくんです。古いやつはだんだん死んでいくんです。

ところが後々できていくんです。子が生まれて、後々繁殖するように見えるので、医学は間違えたんです。

で、菌を本当に殺すことができるような薬なら、人間も殺すんです。

飲薬なら、胃に入りますね。

胃から腸にいって、それがいろいろな消化機能の活動で、薬は方々にいくですね。

身体中にいくとすれば、その時分には、殺菌の力はなくなってます。

また注射すると、血管をグルグルまわって心臓にいって、肺の黴菌の所までいくうちに、もう気が抜けちゃっているんです。

本当に殺菌するなら・・・肺なら肺にやればそれは死にます。

グルグルまわってもまだ殺菌する力があれば・・・毒の強いやつだと、それは人間の命がないです。

だから、結核を殺すように、人間を殺すことになる。

そうすれば徹底してますよ。

それを一生懸命にやっているんですから、哀れなものですね。

「結核信仰療法」は原稿ができましたから、最近出版するんですが、これで目覚ましをやろうと思っている。

(御論文「肺炎と肋膜炎 」)




明主様御講話 「主の文化」 (昭和27年3月17日)

「「結核信仰療法」の続きを読ませます。

(御論文「栄養」)


最近米国で、結核に良く効くという薬ができたと言う・・・だいぶ評判にもなってますが、まだ疑わしい点もあるなんて説もあります。とにかくそれを書いてあるんです。

(御論文「結核新薬を嗤う」のあとの御教え)


今読んだ通り黴菌というものは馬鹿馬鹿しいもので、黴菌を湧かないようにしようと言うんじゃないですからね・・・今のはね。湧いたものを殺すようにしているんです。

文化というのは、みんなそうなっているんです。

罪人・・・犯罪者が起こる根本を無視して、起こる犯罪を防ごうとしているんですね。

ところが犯罪というのは結果なんで、犯罪をしようという人間の魂が根本なんだから、そこに気がつかないで、結果である犯罪をなくそう、なくそうとしている。

今の黴菌と同じですよ。それで、私は今「主(す)の文化」というのを書いている。丸にチョンですね。

今までチョンがなかった。チョンを知らなかった。それで丸ばかりを一生懸命に良くしようとしているんですね。

だからあらゆるものがそうですね。今までの宗教でも、大体そうなっている。

肝腎なそれが分からない。分からないということは、肝腎なことを神様が知らしてないんです。

それは経綸上知らしてはいけないから、知らしてないんですね。

従って力というものもなかったわけですね。

力というものは、いつも言う通り霊体が、つまり経緯ですね。経緯が結ぶんですね。

するとこの真ん中から力というものが出るんです。真ん中の力が主(す)ですからね。

この真ん中の主の力というものは、これもいつも言う伊都能売ですね。

伊都能売になるとその力が出る、それが観音力というものですがね。


結局、ですから力なんです。私はその力を神様からもらっているわけですね。

こう(御浄霊)して病気が治るということも、その力の現われです。今まではその力が出なかったから本当に救われなかったんですね。

そこで、こういう地獄のような世界になっているんです。

ところが力というものは、丸が九分九厘とすると、真ん中の力が一厘ですからね。

それで、悪の方の力が九分九厘あるから、そこでどうしてもやっつけられた。

真ん中の力というのが蔭に隠れていた。直接に現われなかったから、どうしても表面的には悪の方が勝っちゃったんですね。


悪の方が勝ったというのは、今の医学の方ですね。

あれは、医学のそういう間違ったことは、やはり必要があったんです。

これが大乗的見方ですが、大体薬というものは、あれは毒ですね。

毒をなぜ薬といって、人間にあれを服ましたり使ったりするかというと、必要があったんです。

あれによって人間を弱らせなければいけなかった。

そこで観音様は薬師如来となって薬を奨めたんです。

そこで、人間を弱らせれば文化が発達するんです。

人間が、原始時代から健康が続いていると、物質文明というのは発達しなかった。

ですから、つまり野蛮人ですね。野蛮人は非常に健康なんです。健康だと満足しちゃうんです。進歩性がなくなる。

というのは一番解りやすく言うと、身体が弱りますね。歩くのがつらい。じゃ、坐って遠くに行けるような物をこしらえるというようになる。

今自動車が発達したり、飛行機が発達したりするのは、結局人間が不精になったから、物事が億劫だからです。

早く寝てしまうのはつまらないから夜まで起きていたいから、というので電灯なんかを発明するね。

弱って不精になるので、発見発明があるんです。便利にしたり、組織を良くしたりする。

それからいろんな理屈を覚えたりするのは、結局そういうためです。

文化を発達させるためにです。文化を作るために人間を弱らせた。それは薬でなければ弱らせられないからね。薬で、人間を弱らせるのに、神様が人間を瞞したりね。


しかし、それが瞞しておくと、だんだん弱ってきちゃうんです。

その弱ってきたのはイギリス、フランスを見ると解ります。近来意気地がないですね。みんな、中央アジアにある植民地もだんだん離れて、仏印も結局離れます。仏印からビルマですね。

あの地方はぜんぜんフランスの勢力がなくなったからね。

そこでホーチミン軍に攻められて、一生懸命に維持しようとして、うんと金使ったんですね。

たいへんなものですよ。うんと金を使ったために、貧乏になった。そこにアメリカからヨーロッパ統一軍を作るんで、ヤンヤ言われるんで、なるほどソ連の方も危ないから、軍備をある程度しなければならないが、金がない。

それがフランスの政変ですよ。総理大臣ができてもできてもすぐに駄目になっちゃう。今度三度目の、変な名前のあれも怪しいものです。

結局因の因はフランスの国民が弱ったからです。活動力がなくなったからです。

イギリスとくると、もっとひどい。

イギリスは戦勝国・・・勝った国ですが、かえって日本、ドイツの方がありますね。老人のようです。活動力がないから生産がうんと減ったんです。

日本が戦後五、六年経って・・・去年ですね。去年でも、日本の綿糸・・・木綿ですね。生産が世界一になって、イギリスの方が負けちゃったんです。

そんな具合に、軍備とかそういった勢力がなくなった。

無論元気もないから、そこでおかしな話だが、中共政府をイギリスは先に承認しちゃったですね。今じゃ後悔してますがね。


ところが米国は承認しないからね。そこが米国とイギリスの違いです。

というのはイギリスは香港を失うのが恐いんです。

そこで中共を承認せざるを得ないんです。

今イギリスではポンドがなくなっちゃって、財政危機はたいへんなものですね。

アメリカが助けているから、どうやらやっているようなもので、実に危ないものですね。

随分アメリカから金を貸すんですが、じきにそれがなくなっちゃう。

日本からも、一億円買おうとしているが、日本じゃポンドが多過ぎちゃってね。

ポンドはうっかりすると、価格が下がる憂いがあるので、そうなるとたいへんで、日本でもポンドを増やさないようにしているが、そんな具合で、ポンドが非常に頼りないということは、生産が減ったからです。

生産が思うようにないというのに、国民の力が弱ったんです。

弱ったというのは、医学のためです。薬のためです。

この根本が種痘ですからね。イギリスが一番最初に始めた。イギリス、フランスと、そういう順序になっている。

そこで種痘が一番行なわれていないのは、ソ連なんです。

米国はどうかというと、米国も遅いんです。あれはほとんど移民ですからね。

最初にイギリスのピューリタンが渡航した。あれが先祖ですからね。二百人ですかね。増えたと言っても、たいしたことはない。

ですからソ連、米国は威勢が良いんですよ。

そんなような具合で、神様の方は、薬で弱らせるのは、このままでいったら世界の人類は駄目になるから、で、これ以上やらない・・・私がメシヤ教であばいているのは、神様の弱らせ方法を打ち切りにするというのが本当なんです。

これほど文化を発達させて人間の智識をこれほどにしておけば、今度健康にしてやれば、鬼に金棒になりますからね。

それで初めて地上天国ができるんですね。

これは根本的の理由なんですがね。

で、その力ですが、力を・・・神の力を現わさなければ、目が覚めない。その力を見せているんですね。

力について、ちょっとおもしろいことを書いてある。

(御論文「力」)」




明主様御講話 「今まではからっぽ文明」 (昭和27年8月16日)

「今読んだ通り、私は今「☉(ス)の文化」というのを書いてますが、今の社会事業のようなものは結局において、今までのやり方は現われたものを抑えつけるとか、それを一時的良くするとかいう、そういうやり方ばかりですから、

やっぱり医学の対症療法と同じで、痛いからそこを注射で痺らして一時苦痛を取る。熱が出るから冷やしたり熱冷ましをやるというようなやり方です。

ちょうど社会事業は、不幸な人が出るからそれを救うというのと同じです。

ところがそれは因があるのです。その因の方にさっぱり気がつかないということは、気がつかない一つの癖がついたようなものです。そういった因を考えるということもしないのです。

金がなければ借金すれば良い、金を借りれば良い、と・・・経済界もそうなってます。

なにか事業をするとか、なにかというとすぐ銀行から借りるのです。その大きなのが外資導入です。

どうしても自分で稼ぎ出すということは、まことに乏しいです。

で、犯罪者ができる。そうするとそれに刑罰を喰わして酷い目に合わして、懲りさせてやろうという、そういうようなことや、とにかく外殻・・・外側だけのやり方です。


ところが中心があるのです。今言う魂です。それを閑却している。

ですから丸の、ポチが今までなかったのです。ポチが隠れていた。ですからこの輪(○)・・・つまり言わば、からっぽです。

ですから今までは、からっぽ文明です。

そこでポチですが、ポチは一厘なのです。これ(○)が九分九厘なのです。九分九厘と一厘というのはそういうわけです。

で、一厘の仕事をするのが私の使命なのです。

今の社会事業にしろそういった肝腎な魂、それから病気なら薬というような、そういったものですが、今薬については根本から書いてます。

そうすると薬も必要だったということも分かります。

キリストが言った「禁断の木の実」ということは薬なのです。

禁断の木の実を食べると人間に悪が生まれる。悪が発生する。悪の発生源というのは薬なのです。

薬を人間が使わなくなれば悪がなくなるのです。これも今細かく書いてます。

今までそういうような肝腎な中心だけが隠されてあった。それがつまり夜の世界だったのです。

暗闇だったからして見えなかったのです。

これはちょっとおもしろいもので、今のお医者と薬の将来はどうなるかということです。

(御論文「医学関係者に警告する」)」




明主様御講話 「一厘で手の平を返す」 (昭和26年12月6日)

「今はそこまで行っていないが、神様も一日増しにメシヤ教のために働くということになって、今に総動員になる。

神様が、メシヤ教でなくちゃ救われないんだからね。

だから、今度地上天国に出すが、私が京都に行ったとき、方々の神様がご挨拶に来たり・・・いろいろしたが・・・そういうようなもので、神様が救われなければね。

というのは、その神様というが、それを支配している神様があって、その神様が、位が低かったりあるいは邪神のほうの系統になったりしてね。

だから、罪の裁きを受けなければならないから、早く最高の神様に御用をして救われたいと、こういうわけだからね。

だけどやっぱり、そういった人間が間違ったことしたり、知らないで・・・良いことと思って悪いことをやったりするというのも、今まではやはり必要があったんだからね。


一番おもしろいのは、世界の二大長流としては、アメリカの資本主義と、ソ連の共産主義ですね。どっちも反対のものだがね。

つまり資本主義ができるから共産主義ができるんだね。

つまり資本主義は、共産主義が作ったものです。

だから、封建主義が人民の自由を奪うからして自由主義ができる・・・こういうことになる。

善というものは、悪が生むようなものなんですね。

生むというよりも、悪があるから善がある。

だから、善悪というものは、人類がある限りあるんですよ。

しかたがないが、今まで悪のほうが力があり過ぎた・・・勝ち過ぎた。

善のほうが圧迫されたり、苦しまされた。

そこで不幸というものが生まれる。

五六七になると、善のほうが強くなって、悪のほうはある程度以上はできなくなる。

そこで、幸福の世界になる。人間だってそうですよ。

仏さんのような人なんて、初めからありませんし、もしあるとすれば、何にもならない。

「沈香(ちんこう)も焚かず屁もひらず」というみたいになる。

つまり、悪を抑える善の力が強ければ、立派な人間です。

仏教のほうじゃ、生き物を殺すのは、すべて殺生だからと言うんで、地べたを歩くと蟻を殺すから、地べたも歩くことができないということになっちゃう。

それから、今でもアジアの・・・東南アジア辺りは、フイフイ教辺りは、ずいぶんそういうやり方ですね。

こういうのは、つまり善が無抵抗主義になるんですね。」


信者の発言
「その場合、ちょっと見は良いように見えますので・・・」



「そうです。それは確かに良いですよね。

良いけれども、結局滅びたり悪が跋扈(ばっこ)したりするからね。

この頃インドなんか、気がついてきたんで、だいぶやり方が変ってきたがね。

あくまで、善のほうが勝つという・・・抑えつける力があるということが本当なんですね。

そこで、やはり十字になるんですよ。

経は善ですからね。緯のほうが悪ですね。どっちに偏ってもいけない。

つまり経のほうが緯よりかちょっと長ければね。

それで、同じでも霊のほうが勝つ・・・霊主体従だからね・・・原則になっているから、それで良いには良いがね。

それで、私はいつか男女同権論ではいけない。

男女合憲論と書いたが、そこで男が五分五厘で、女は四分五厘ですね。

人間の簡単なことはそれで良いが本当の大きなことから言うと九分九里・・・神は一厘になっている。

悪のほうが一厘でも勝つとすれば世界は崩壊している。

そこで九分九里と一厘・・・あるいは神は十全とね。

だから、大本教のお筆先に「大本は一厘の仕組であるから、一厘の御魂が出たら世界は引っ繰り返るぞよ」というのがある。

一厘で、手の平を返す。で、一厘というのは、つまり私なんですよ。


これは先にも話したことがあるが、ある人から古銭・・・天保銭を一枚、五十銭銀貨、昔の一厘銭を一枚と、三つもらったことがある。

天保銭は年号は書いてありませんが・・・大本教の教祖というのは天保年間に生れた人で、聖師様は明治四年に生れた。

そうすると、五十銭銀貨というのは、明治四年なんです。私は一厘だから一厘をもらった。

そのとき神様は、おもしろいことを知らされたと思った。

だから、大本教の教祖は経の御魂・・・変性男子でね。

変性女子は聖師様で、聖師様は緯の御魂であるからとね。

経と緯を結んで、真中のポチだね。

つまり心棒みたいなものが一厘になるわけです。

で、一厘で手の平を返すというのは・・・私がやっていることは、一厘で手の平を返すことになる。今までのあらゆる間違った文化ですね。・・・

それをはっきりさせるために・・・ひっくり返っちゃう。


ただ、理屈だけじゃ駄目だから病気は薬をなくして治して健康にしてしまう。

それから、食糧でも・・・作物でも、肥料を使わないで増産する。農業をひっくり返しちゃう。

それから、犯罪は魂さえ神様と繋がれば犯罪はなくなる。

と、みんな一厘でひっくり返すという意味になるんだね。

夜の救いが昼の救いになる。つまり、暗(くらやみ)が昼間になるというわけですね。

神様のほうは、そういう風に決まっているんだからね。

そういうことも「文明の創造」に書いてある。

今「文明の創造」の天国編というのを書き始めてね。

最初の所を時間があったら読ませるつもりだったが、これは非常におもしろいんです。

今日読ませようと思ったのは、国際関係とか議会とかね。そういうものの変り方ですね。

しかし、何しろ非常な大変わりですからね。

ただこのままで行くなんて、そんな生易しいことじゃ、手の平をひっくり返すなんてできない。

つまり今までのやり方では、二致も三致も行かなくなるんですね。

病気なんかも非常に増えて、これは今信者の人でも、古い人でも、幹部の人でも非常に浄化が起こるがね。

それが世の中に・・・一般にそうなってくるね。

医学で・・・医者が治そうとすると、逆になってくるから、いよいよいけないということになる。

メシヤ教に縋らなければ助からない・・・病気は治らないということがだんだん分かってくる。

そこで、一遍にひっくり返っちゃう。

浄化を止めよう止めようと努めている。

浄化が起こると、熱が出て、注射やいろんなことで浄化を止めているので・・・わずかに肩でフラフラしてね。

この間新聞にあったでしょう。

一時病気を止めている、その後が怖い、とね。

今度出るがB・C・Gで一時浄化が止まるから、それで良いと思っているが、

今度は、それで止まらなかった悪質な病気がうんと増えると書いてます。

何しろ、私が書いた通りに、段々出てくるから・・・大本教のお筆先に「神の申したことは一分一厘も違いはないぞよ。髪の毛筋の横幅ほども違いないから・・・」ということがありました。」