堆肥の使用禁止について


明主様御講話 「本当は堆肥もいけない」 (昭和28年8月27日)

「話は違いますが、自然農法も各地にだいぶ反響を起こして、その土地の有力者だとか、あるいは役人という連中がそうとうに研究をし始めたような話を聞きます。

それで稲の方はだいぶ顕著な報告を聞きますが、畑作の方はあんまり聞かないのです。

多少はありますが、もっとすばらしい成績が現われなければならないのです。

現われないということは、これを一言で言うと堆肥迷信が大いに災いしているのです。

金肥や人肥ではないが、堆肥迷信になっています。どうも肥料ということの迷信がまだ本当に取りきれないのです。だから堆肥などで騒ぐ人がやっぱりまだだいぶあります。


ところが本当は堆肥もいけないのです。堆肥なしの土ばかりがよいのです。堆肥が土を邪魔するのです。

前にも書いたとおり、土というものが肥料の固まりなのです。それで堆肥をやると、土の肥料がそれだけ減るのです。

それを、堆肥からも肥料がとれるように逆に考えているのです。

ただ堆肥というのは、固まりやすい土が固まらないようにするために混ぜるのですが、そのためにはできるだけ腐らせて、葉の繊維などがないようにしなければならないのです。

それで根が伸びる場合に、柔らかければ伸びますが、ちょっとでも固いものがあったら伸びません。

堆肥は固まらせないためのものですから、その必要がなければ、土が肥料なのですから、やらない方がよいのです。

そういうところが、なんでも反対になってます。」




明主様御講話 「本当は堆肥もやらない方がよい」 (昭和28年9月17日)

「それで今まであんまり言わなかったが、連作ですが、百姓は昔から連作はいけないという。

ところが一番の連作は稲です。これに気がつかなかったのです。もし連作がいけないものなら、米はだんだんとれなくならなければならないのです。それから以前私は米と麦との連作はいけないと言ったが、これもそうです。

土に稲を育てるような性能が出てくると、今度は麦になるから、今度は麦を育てるような性能に変化してくる。そうするとどっちも駄目になるのです。

それで土は、毎年同じ物を作っていると土にそれを育てるような性能が出てくるわけです。

ちょうど米を作らない土は素人とすると、毎年稲を作ると、土の方が熟練工になってくるのです。

それでだんだん良くできるというわけで、その理屈を知らなければならないのです。


ですから肥料ですが、たとえ堆肥でもやると、土が大いに熟練になるところを邪魔することになるわけです。

だから本当は堆肥もやらない方がよいのです。

だから気候の暖かい所は堆肥、藁などもやらなくてよいということを私は言いました。

ところが長い間の肥料迷信のために、信者で作っている人でも、それに囚われて堆肥を入れるのです。

ですから畑でも堆肥をやらない方がよくできるのです。

ただ土が固まったり乾いたりする所は、そのために堆肥をやるのです。

それもできるだけ腐って土みたいになった堆肥がよいのです。

ところが堆肥ということに囚われて、木の葉でもまだ筋があるような物を何貫、何十貫やった、ということを言ってますが、これではわざわざ、金肥人肥ではなくして、一つの妨害をしているわけです。

それからもう一つはこういう点があったのです。前には「無肥料」という名称をつけましたが、そうすると進駐軍の方で、一つの規則のようなものがあったのです。

作物は肥料をやれということがあるのだそうです。

そこで無肥料というと、それに引っ掛かるというので「自然栽培」という名前にしたのです。

ですからそれまでは無肥料と言っていたのです。

それでだいぶそういうことを邪魔しようとして、進駐軍に投書したりするのがあるのです。

本当いうと「無肥料」ですから、堆肥もなにもやらないのがよいのです。それでこそ本当に土の活動力が増すわけです。

それからもう一つは、無肥料と言うと誤解をするのです。

というのは、頭からぜんぜん肥料をやらなくてできるものかと言うのです。

今の自然栽培でも随分反対する百姓もありますが、自然栽培と言うときこえが良いからやっているのです。

ですからやっぱり自然栽培でよいのですが、堆肥迷信を減らすということです。」




明主様御講話 「堆肥使用は原則禁止、例外許容」 (昭和28年9月25日)

「自然農法については、まだ信者の人の中に迷信があるようです。それは堆肥迷信です。いつも言うとおり堆肥には肥料という意味はないのです。

ところがやっぱり肥料迷信が根強く入っているために、堆肥も肥料のように思ってやりすぎるのです。

ですから堆肥をやると、それだけ根伸びの邪魔をしますから成績が悪いのです。

本当いうと、なにもやらない方がよいのです。土ばかりがよいのです。そうすると一番よくできます。


ただ、ごく寒い寒冷地では温めるために使うという意味と、乾く土地の場合に乾かないように堆肥を厚くしておくとよいです。

そうすると湿り気があるから乾き気を防ぐということになります。

新しい土などは非常に固まりやすいのがあります。

特に赤土がそうですが、土が固まるといけないから、固まらせないために堆肥をやるのです。

その場合には堆肥を非常によく腐らした方がよいです。

あらかた土に変化したくらいに柔らかくして、それを混ぜるのです。

大体堆肥はそれだけの必要からやるのです。」




明主様御講話 「本当は堆肥もやらない」 (昭和28年10月5日)

「ところで信者の人の中にも、まだ肥料迷信から抜けられない人がだいぶあります。

それで無肥料だ無肥料だと言いながら、ほかの物を使いたがったり、それからまた堆肥に頼るのが非常に多いのです。

ですから今書いているのは「堆肥迷信」というのですが、堆肥迷信もやはり一つの迷信です。

だから本当は堆肥もやらないで、土ばかりがよいのです。

ただ新しい土などの固まりやすい土を固まらせないために、堆肥をごく腐らして土同様になった物を混ぜるということと、果樹などの、根元の土が乾きやすいのには、そういうのを防ぐために、腐らせなくてよいから生の堆肥をたくさんやると、雨が降った時には根元に湿気を含んで乾かないために、それが有利なわけです。

ですから果樹などにはそういった意味で堆肥をやると非常によくできます。堆肥というのはそれだけの意味です。

古い土などは、そのままで堆肥もなにもやらない方がよいです。

それから前にも書いたとおり、ごく寒冷地は、根があんまり冷えては悪いから、そこで温めるために藁を土とねり混ぜて、根の底の方に入れて、根を冷やさないというだけのためであって、ほかにはなにもありません。

そういうようなわけで、堆肥迷信も分からせなければいけないわけです。

近ごろはだいぶそれが分かってきたようで、土に重きをおくようになりつつあります。」




明主様御講話 「堆肥も使用禁止」 (昭和28年10月26日)

「それでおかしく思うのは、信者の人でまだ肥毒に気がつかない人が今までにそうとうあったようですが、今年からはみんな目が覚めるだろうと思います。

古い信者はそういうことはありませんが、新しい信者などは「病気はなるほど明主様のおっしゃるとおりだ。

しかし肥料の方は、オレたちが先祖代々やっているので、明主様は百姓の経験はないし、どうもそこまでは」というように思っている人がだいぶあったらしいです。

私は知ってましたが、やっぱり時期が来ないといけないと思っていたのですが、やっと時期が来たのです。

そういう人たちが他の百姓に対して説明しても、それは駄目です。自分が本当になってないから説明に力がありません。

それからまた肥料はやらないと言いながら、肥料に似たような物をやっているのです。

だいたい堆肥ですが、私は最初は「無肥料栽培」でやったのです。

堆肥もいけないのです。

ところがぜんぜん無肥料でやっては法規に違反するというのです。

それは進駐軍の方なのです。それで投書か訴えをした者がいたのです。

やっぱりアメリカ人も、ぜんぜん肥料なしだったら米はとれなくなる、そういう宗教は禁止するということなので、これはなんとかしなければならないというので、名前を「自然栽培」としたのです。

ですから前には無肥料栽培と言っていたのです。

そういうわけで堆肥はやってよいということになったのです。

それは金肥人肥よりはずっと被害が少ないです。

しかし今日になればもう本当のことをやらなければならないので、去年あたりからは堆肥もいけないということを言うようになったので、本当はいけないのです。

しかし赤土系の土は固まるから、それではいけないので固まらせないために最初の二、三年でよいから堆肥をよく腐らして混ぜるというそれでよいのです。

しかし肥料迷信にかかっているから、堆肥を肥料と思ってウンとやったので失敗した人が今までにもあります。

そういうわけでだんだん分かってはきました。この話はそのくらいにしておきます。」





明主様御講話 「土に不純物を入れてはならない」 (昭和28年10月27日)

「それでこれは本当は最初「無肥料栽培」と言っていたのですが、戦後進駐軍が占領中、進駐軍の方の規則で、作物には肥料をやれということがあるのだそうで、進駐軍の方でなにか言いそうな懸念がだいぶあるし、ー

また当時は観音教団ですがーその反対者の方で進駐軍を動かそうとしてしきりに運動しているのがいて危ないというので「自然栽培」という名にしたのです。

しかし本当は無肥料栽培という名にするのが本当です。

しかしもう日本は独立国になったのですから、いっこうにかまいません。

ところが長い間肥料迷信によって、さっきも言ったとおり無肥料になりきれないのです。

そこでそれを徹底させるために、今読んだ論文も、異物を入れては不純土になるからいけない。

なにも入れない純土にしなければならない。

それには連作によって高めるということを書いたのです。

それで肥料がいかに恐ろしいものかというよい報告が来たので読ませます。

それはつまり人間の健康に関係しているのです。そのことについて書きました。

(御論文「人体と肥毒」)お蔭話(肥毒の恐ろしさ)」




明主様御垂示 「堆肥も本当は不要」 (昭和28年5月1日)

信者の質問
「カーネーションの温室栽培でございますが、棚に土を五寸程度においていたしておりますが、これは不自然でございましょうか」


明主様御垂示
「そんなことはありません。土さえ自然ならよいのです。

それで土にコヤシではないが、オガ屑とかいろいろ混ぜますが、それはいけません。

あくまでも土だけです。

ですから堆肥も、本当はやらないほうが良くできます。

ただ赤土のように非常に固まりやすいのは、それを防ぐために堆肥を入れるのですが、そのうちにだんだん固まらない土になって行きますから、そうなったら堆肥は必要ありません。

ですから堆肥というのは永久的な物でなく、一時的の物です。」




明主様御垂示 「堆肥も入れなければ収穫が増加する」 (昭和28年8月1日)

信者の発言
「稲作につきまして、藁を入れ過ぎまして分蘖(ぶんけつ)が少なかったということがございました」

明主様御垂示
「それは入れ過ぎたのです。

臨機応変で、あんまりたくさんやると根伸びのときに妨げます。

だいたいは土なのですから。どうも土を軽視していけません。

本当は藁も何も入れないほうがよいのです。」


信者の質問
「寒い所においてもでございますか」

明主様御垂示
「そこですが、原則としては入れないのですが、寒い所は温めるために入れるのですが、そうすると土を邪魔するから、土を邪魔しない程度に入れるのです。

また種が肝腎ですが、お蔭話によくあるのは、農林何号とか、何の種ということを書いてあるが、それを書くようでは駄目です。

種の種類は何でもよいのです。

つまり自然栽培なら種がよくなるのです。」


信者の発言
「最初のときはその田から取れた藁の八割を入れておりました」

明主様御垂示
「それはいけません。百姓は藁で何か作ることがあるでしょう。それはどうしますか。」


信者の発言
「そういうことは考えずにいたしておりました」

明主様御垂示
「百姓は藁で作る物があるから、それを作って余った物を入れるのです。

そういったことも理屈に合わなければいけません。

根本はこれにあるのです。

すなわち信仰にはいってそこに光明如来様をお祀りしてあると、そこの霊界が温かくなるのです。

そこで以前はそれほどでなかったが、年々温かくなるから、それで作物が非常によく取れるのです。

だからだんだん藁とかそういう物を入れないで、土ばかりにしたほうがよいので、そうすればよく取れます。

今までは藁を入れ過ぎたためです。

そうすれば分蘖でも有肥田の倍くらいに増えなければならないです。

それはそうなります。

霊界の火素が増えますから、それが大きなものです。

だから今は私は、そういった藁を入れることを言いますが、いずれはそういう物は入れないで、土ばかりです。

田でも堆肥というのは入れないで土ばかりです。

そうするともっとよく取れます。」


信者の発言
「東北方面は非常に近植えでございますから、分蘖の余地がありません。

分蘖しないから近植えするというわけでもございます」

明主様御垂示
「そうですか。

では分蘖すれば遠く植えるわけですか。

さっきの話みたいなもので、信仰はお蔭があるから深くなる、深くなるからお蔭がある、というようなものです。

ですから原則は土です。

土によってできるということですから、その邪魔をしないということをよく心得ていればそれでよいわけです。」




明主様御垂示 「本当は田んぼに藁を入れないほうがよい」 (昭和28年10月1日)

信者の質問
「昨日、神光中教会関係の岐阜の自然農法を見学いたしましたが、たいへんありがたいと思いました。

私も五年ばかりいろいろやってみましたがどうも結果が上がらなかったので・・・」

明主様御垂示
「五年もやって結果が上がらないというのは、やり方が悪いのです。」


信者の発言
「地力の養成とか苗の取扱い方がたいへん間違っておりました」

明主様御垂示
「どういうように間違っていたのですか。」


信者の発言
「耕土を深めにするほうが結果がよいということを知りました」

明主様御垂示
「耕土を深くするということは別に新しいことではありません。

近衛内閣のときに、耕土を深くしろと、日本中に触れを出しているでしょう。」


信者の発言
「間隔を広くして、非常に楽な植え方をしておりました」

明主様御垂示
「しかしそれは技術上の問題で、自然農法の根本的な問題ではありません。

つまりあんまり接近すると日当りが悪いので、間隔を離したら日当りがよいから、ずっとよくなります。肥料はどうしてます。」


信者の発言
「ぜんぜん入れておりません」

明主様御垂示
「最初からですか。」


信者の発言
「さようでございます。藁を入れ過ぎていたようです」

明主様御垂示
「それです。

やっぱり肥料迷信です。

だから藁も入れないほうがよいのです。

ただ、寒い所だけは温めるために入れるのです。あなたはどこですか。」


信者の発言
「豊橋地方です」

明主様御垂示
「豊橋なら藁はぜんぜんいりません。

あなたが一番間違っていたのは藁を入れたことです。

それで私は最初一分か二分と言ったのですが。

それを五分ぐらいにした人がいるのですから、まったく頭が悪いのです。」


信者の発言
「五年目よりも三年目のほうが良くできていまして・・・」

明主様御垂示
「それがおかしいではないですか。

五年目より三年目が良くできるということは理屈にあいません。

それはやっぱり間違ったことをしているのです。」


信者の発言
「やっぱりいろいろと方法を変えてきた結果ではないかと思います」

明主様御垂示
「とにかくこういうことは今まであんまりやかましく言わないが、土を良くする、土の活動力を出させるということです。

土の活動力というのはどうすれば出るかと言うと、連作のためなのです。

だから稲でも豆でもよいから、同じ物をそこで年々作るに従って、土のほうではだんだんそれを育てるような機能が出てくるのです。

ですから無肥料にしてやると、肥料が減るし、それから土のほうが活動力が旺盛になるということだから、年とともに非常に増えてゆくのがあたり前です。

しかしそうばかりではなく、そこの気候もあるのです。

雨の多いときと天気の多いときと、それによってもやはりそうとうに影響するから、もしも去年よりも今年のほうが悪いときには、そういうこともあります。

しかしそれが他の土地の田よりも、そういった悪い影響が少ないということは確かです。」


信者の発言
「成績が上がらないということは、過去の古い肥毒が停滞しているためでありますから、

一冬耕して風化させるという方法があるのではないかと思われます。

そういたしますと雨で洗われて肥毒が減り、それからはドンドン増えるようでございます」

明主様御垂示
「それは確かによいです。よい参考になります。それをおおいに奨励するとよいです。」


信者の発言
「私のほうで、全部を天地返しをして風化させましたところ、去年は五俵半でしたが、

今年が初年度ではありますが十俵は間違いなしのようで、

初年度で八割増産でございました。ありがとうございました」

明主様御垂示
「それはたいしたものです。」




明主様御講話 「堆肥の使用を許容したのはGHQとユスリからの妨害を避けるため」 (昭和29年1月27日)

「次に藁を使う事は廃めた方がいい。

何よりも土以外の異物は決して入れないようにすべきである。

では何故藁を使ったかというと、これには訳がある。

日本が占領当時、占領軍の規則の中に、農作物は肥料を施すべしとの条項があったそうで、

それを利用し当時無肥料栽培の名称があったのを種に、

金銭を強請ろうとした奴がいて、あわよくば本教を潰して信者を獲得しようとする企みも背後にあったようで、

危険であるから、私は自然農法と改め、肥料として藁を使わせたのである。」(栄光245号昭和29年1月27日)






堆肥使用が例外的に許容される場合


明主様御講話 「赤土の場合には数年、堆肥の使用が許容される」 (昭和28年10月26日)

「赤土系の土は固まるから、それではいけないので固まらせないために最初の二、三年でよいから堆肥をよく腐らして混ぜるというそれでよいのです。」




明主様御垂示 「寒冷地でのみ藁の使用が許容される」 (昭和27年4月17日)

「藁が肥料になるんでなくて、唯根を温める丈だと言う事が書いてありますね。

だから、極く寒い所ですね。東北地方のね。そういう所は、温めるのに藁をやる必要がありますがね。

その他の所はやる必要はないです。」




明主様御垂示 「日当りの良い所では堆肥の使用が許容される」 (昭和28年8月27日)

「土が天日で乾きますが、日当りの良い所は土が乾きますから、

土の湿気を保たせるために堆肥をやりますが、

これは木の葉でも何でも、湿気を保たせる目的でやるのですから、腐らせなくてもよいのです。

果樹などは特によいです。

水分を保たせるために落葉を厚くやりますが、それはよいです。

堆肥というのはただそれだけのものです。」(御教え集25号 昭和28年8月27日)



(管理人の注釈 昭和28年10月26日・昭和27年4月17日・昭和28年8月27日の御教えは、赤土・寒冷地・日当たりの良い場所といった例外的なケースについて、堆肥使用を認めるものである。つまり、それ以外の一般的な場合については、堆肥の使用は許容すべきではないという理解につながるのである。)