想念と農業について
明主様御講話 「冷害の霊的原因は愛の欠乏」 (昭和28年9月16日)
「今日の新聞にもデカデカと出てましたが、今年の不作の原因は東北地方の冷害だというのです。
もっとも昔からよく東北地方の冷害というのはありますが、今年はよほど酷かったのでしょう。
それでこの冷害というものはどういうわけかと言いますと、無論霊界が寒いのですが、ただふつうの寒いのとは影響が違うのです。
さっき藤枝さんから聞いたのですが、信者の田はふつうの人の田より二度高いそうです。
また今年の強羅の温度は鹿児島より高い時があります。今日でも鹿児島は二十三度で、ここは二十三度五分です。
平均したら、鹿児島や福岡には負けますが、東京よりは高いです。日本でも一番高い方でしょう。こういうことは今までにないことです。
それでここは避暑地ですが、そんなに温度が高いのに凌ぎやすいということは湿度が低いからです。
南洋などでも凌ぎやすいというのは湿度が低いからです。それで乾いているからです。
美術館などでも、ここは湿気が多いからカビが出るだろうと言いますが、ぜんぜんそうではないのです。
私はここで毎年試していますが、湿気を嫌うのは、一番は掛物類です。それが熱海ではカビが生えるのです。ところが箱根はそういうことはありません。
ですから箱根の方が乾燥しているのです。大体高山というのは乾燥地帯です。
それで霧があるから、見たところは湿り気があるようですが、霧は一時的のもので、晴れれば、あとはまた乾燥してしまいます。
だから強羅はそういった湿気は少しも心配ありません。
それで今言った「ここが高い」ということは私がいるからです。
つまり私の光は熱ですから、霊界が暑いから、そういうわけで影響するのです。
ですから信者の田が二度高いということは、やはり光明如来様から光が出ていることと、それから信者になると曇りが減るからして、それだけ霊に光が出るわけです。
ですからそこの霊界が明るくなるとともに、温かくなるわけです。
今年の信州辺りも非常な冷害でやられているそうですが、無論越後辺りもそうに違いありません。
そうするとそこにいる人たちに愛が欠乏しているということになります。
愛が少ないと、そこの気候が、気候といっても物質的の寒暖計で計るのより、霊の方の暑い寒いの方が影響がずっとはなはだしいのです。
そこで霊界がつめたいために作物が冷害を受けるという理屈になります。
ですから根本は霊界なのです。そこでそういう結果になるのです。
これはそういった作物に限らず、人間の生活でもよく気をつけると、そういうことがあるのが分かります。
そこの家に入ると、なにかつめたいような、さびしいような家がありますが、それはそこの主人公に愛がないからです。
つまり自分さえ良ければ人はどうでもよい、というつめたい心、要するに冷血動物です。だからそこの家がつめたいのです。
人間でもそうです。あの人に会うと、どこかしらつめたい、また温かい人だ、ということが分かります。
それは霊で、その人の霊が受ける感じです。ですから受ける感じが温かければ愛が多いのです。万事それで分かります。
支部でも、発展する支部と発展しない支部ということも、もっとも主要なる原因はそこにあるのです。
愛が多く愛が強いということは、光が多いということです。
そこで人は光に憧れて集まるという性質を持っているから、どうしてもそういう温かい所には足が向くということになります。
オレのしゃべり方が悪い、場所が悪い、家が狭い、ということも多少はありますが、根本的のものではありません。
根本はそこの支部長の愛が強く、そうして人を引きつけるということです。
それでこれは言霊からいってもおもしろいのです。太陽は火ですから熱で、また熱のことを火と言います。
その反対に月は、私の本に書いてあるとおりに、氷の固まりですからつめたいのです。
それで「ツキ」ということは「ツク」ということです。
ですから人が寄ろうとするのを寄らせないようにするのです。
それから「ヒ」は「ヒク」です。これは天理教でもーそこまで詳しくは言っていませんがーそういうことを言ってます。
「ヒ」は「ヒク」「ツキ」は「ツク」と言ってます。
だからつめたい働きは「ツク」働きになり、温かい者は「ヒク」働きということになります。それはチャンと言霊に出てます。
人間の話になってしまいましたが、作物も同じです。ですから作物が良くできるのも、愛が強く多いということが大いに影響するのです。
東北地方は気候も寒いのですが、そのほかに、つめたい人が多いからということです。
しかしそういった気候も関係するようです。
大体共産主義というのは、つめたいもので愛がありません。
スターリンがいる時分に、片端から人を殺してしまいましたが、中共もかなりまねをしたようですが、スターリンほどではありません。
スターリンはちょっと疑わしい者は、それこそノミでも潰すように簡単に殺してしまいましたが、それはつめたいからです。
感情があり、愛があったら、とてもそういうことはできません。
そういうのも気候から受ける影響もあるわけです。」
明主様御講話 「冷害で不作なのはその土地の人に愛の熱がないため」 (昭和28年9月17日)
「それから冷害ということは、つまり熱がないのですが、
これをふつうの人は知らないのですが、
霊界はー霊界には限らないが、熱いのは火の物質です。
そうすると火の霊は肉体には・・・少しは熱いですが・・・それほどは感じないのです。
しかし少しでも熱いということは、たいへんな力があるのです。
これは物質の熱よりかもっとずっと力があるのです。
ですから一番分かりよいことは、今年の強羅の暑さは、東京と同じか、強羅の方が勝っている時の方が多いかもしれません。
今日もここは二十三度で、鹿児島が二十四度で、鹿児島を除いたら二十三度が一番高いのです。
ですから強羅が、ちょうど福岡とか和歌山の辺と同じなのです。
東京も今日は二十三度でしたが、そういうような具合で、高いということは私がいるためです。
それで私から出る熱というものは霊の熱が出ますが、これがいくぶん物質化するために暑いのです。
田で試験したのですが、信者の田は他の人の田より二度高いのです。
だから米もよくできるわけです。
これは霊の物質化です。
ですからこう(浄霊)やって出るのは火素ですが、これは霊にある曇りを焼くのです。
ところがふつうの火や電気の熱でやっても、霊の曇りを焼くだけの力はありません。
ですからこの力というものは霊主体従の法則によって、つまり体的よりか強いわけです。
そこでレントゲン写真に写らないということは、霊の光がレントゲンの光よりか強いからです。
そこで冷害ということは気候が寒いということ以外に、霊の光が足りない、少ないのです。
それで霊の光といっても、人間は曇りの少ない人は霊的光が強いから、そこで温かいわけです。
人間でも、つめたい感じの人と温かい感じの人がありますが、
温かい感じのする人の方が霊に火素があるわけです。
だからそういう人は愛がある人です。
それで愛というものは心臓から出るもので、これが愛の熱です。
だから恋愛もやっぱり心臓ですが、恋愛のシンボルはハート形になってますが、
しかしこれは限られた熱です。恋している人に対する熱で、一般人にはゆかないのです。
つまり利己的の熱だから問題にはならないが、
そうでなく、多くの人を愛するという愛のある人の側に行くと温かい感じがするということは、その人に火素があるからです。
だから冷害で不作ということは、その土地の人に愛の熱がないからです。
つまり人はどんなことになっても、オレさえ良ければよいという了簡の人が非常に多いわけです。
それで東北の人は、気候の関係のほかに、そういう人が多いわけです。
しかしこれはまた一面には気候の影響も受けるのです。
ですからソ連は寒い国ですが、そこでああいう寒い国の人は愛が少ないのです。
だからスターリンが在世当時、まるで虫ケラ同様にやたらに人を殺しましたが、これはつまり愛がない証拠です。
まあ愛がない親玉です。
これが少しでも愛があったら、かわいそうで、そうやたらに人を殺すということができるものではありません。
それが平気なのです。
そういうような具合で、人間の愛の熱というものは非常に影響するものです。
これはそこの家庭に入っても分かります。
玄関に入ってゆくと、主人公に愛のある家だと、なんとなく感じが良いですが、
入って行ってつめたいというのはーつめたいと実にいやなもので、
それがありありと分かりますがーそれはやっぱり主人にあるものです。
そういうことが農作物にまで非常に影響するのです。
だから信者になった人の作物がよくできるということは、無肥料のためと、もう一つは主人公の愛です。
それで畦(あぜ)一つでチャンと区切っていて、隣の田とはまるで違うそうですが、それはそういうわけです。霊界が違うわけです。」
明主様御講話 「天災地変は人間が造る」 (昭和10年8月11日)
「今日号外などで出たんですが、またまた大阪、神戸などに水害があった。
先刻の号外によると、京都では十人くらい死んだということで、そうとう大きな洪水と思われる。
先刻二、三人の人にも話しましたが、どういうわけで洪水になるか、その原因の話をしましたが、
すべて天災地変は人間が造るので、陽気が悪いとか、不順だとかいうのも、みな人間がその原因を造る。
去年は非常に不作だったんですが、ある人に私は言ったことがありましたが、私は一昨年これを知っていた。
一昨年は豊作で米がたいへん安くなったんで、豊年飢饉ということを言っていた。
あまり米が安くなったんで、百姓は食えなくなった。それ故に半産運動など起って作るのを加減しようとした。
それで、今度は不作だなと思ったんです。
なぜならば、神は豊作にしてくだすったので、豊作ならば人民は非常にありがたいことで、それを昔はありがたがったものを、いまは怨むようになった。
それで神様としては、こんなに豊作にしてやっても、怨むなら不作にしてやろうということになる。
それはきまったことで、これが去年不作になった原因と思う。
そういう人間の間違った言葉、人間の間違った心で、天災地変を造るんであります。
天災地変のみでなく、いっさいの人事も人が造る。
俺はどうして信用されないのかという人があるが、それはされないのでなくて、されるようにしないからで、
信用されない人は、信用されないようなことをしているんであります。
人からよく思われないのも、よく思われぬようなことをしてるので、ただ自分で気がつかぬだけのもので、
天地の法則というものは、そこは厳として犯されぬようにできている。
今年の八月は十日ほど前から涼しいというより寒いくらいで、こんなことは実に珍しい。
毎年いまごろ一番暑いときで、寒いということは人間の心が冷酷だからで、
すべて陽気は人間の想念、天気は人間の言葉によって造られることを、私は知らされているんであります。
陽気の不順なのは人間の心が不順で、変動が激しければ人間の心の変動が激しい。
それがそっくりそのまま天気に出る。
人の悪口を言ったり、悪いことを言ったりすると霊界が曇る。
ある程度曇ると掃除されなければならぬ一つの法則ができている。
従ってそれは風によって吹き払い、あるいは大雨によって水で流し、火によって浄化したりされる。
もしそれが浄化されなかったら、ある程度まで人間は弱る。
従って人類は栄えない。衰亡する。
そうならないように掃除されるわけであります。
それですから、水も火も風雨もありがたいわけであります。
去年の大阪方面の七十メートルの台風があったのも、あのくらいひどい風がなくては曇りがとれない。
今度の水もそうで、水は物質、火は霊ですから、物質の出すべきものも出さず貯めていて金儲けしてる。
自分の懐だけ肥やして世のため人のためには使わないで貯めるから、水が溜まることになる。
そのために水が溜まって苦しむ。あげくの果てはその金を出さなくてはならぬことになる。
たいへんな損害だということであります。
いままで間違った金を貯めていたのを吐き出して、水が出て失って、生命は助かったんで、もし水がなかったら生命は助からなかった。
それで人間は金を貯めるのもいいが、程度を越えると罪穢となって、その苦しみによって出さなければならないことになる。
昔からあっちの人は金を貯めることが好きですから水が出る。」
明主様御垂示 「天候の不順も人間が作る」 (昭和25年2月28日発行)
信者の質問
「その年の農作物の豊凶は熱田神宮の御神示によって判ると言われておりますがいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「さあ、熱田神宮には判りませんよ。
もし判るとすれば、それを気象台なんかが利用しなくちゃいけない。(笑声)
外れることもあるんですよ。だから気象台も利用しないんです。
本当は神様は当たるはずなんですが、けどまた、ぴったり当たってもいけないんです。
だから、いかなる立派な神様でも当たらせないんです。
ただ、これだけはたしかですよ。
豊年だとか凶作だとかになるのは、みんな人間がそうするんです。
日本中の人間が立派な心を持ち、農作物に対して感謝の気持ちでありがたく頂戴し、物を粗末にせず、ずるい心を起さずに正しい行いをすれば、とても豊作になってとうてい食べきれないくらいできますよ。
ところがいまの人間はそれとは丸ッきり反対の間違った料簡を持ってますからね、
ですから不作になるんです。
いま言ったことは絶対で、これは真理ですよ。
いかなる災難でも天候の不順でもみんな人間が造るんですよ。」
明主様御垂示 「栽培と気候 (人の心行と気候)」
信者の質問
「水稲栽培のため、早生稲にしようか、中手か、晩生か等と悩んでいます。気候の点どうすべきでしょう。」
明主様御垂示
「寒いのは、最初暖かすぎたのが平均がとれる。
気候が逆になっている。
人間の心がそうなっているから、そっくり表われている。
心や行ないが正しく、理屈に合えば、気候も順調にゆく。
寒いのが過ぎると普通になる。」
想念と虫害について
明主様御教え 「大三災と小三災」より (昭和24年8月13日発行)
「(一部のみ引用) 昔からいわれている風水火の大三災、飢病戦の小三災とはいかなるものであるか、これについてその根本義をかいてみよう。
風水の原因は天地間の浄化作用であって、なぜ浄化作用が発生するかというと、
霊界における曇りすなわち眼に見えざる汚濁が堆積するのである、
それを風力によって吹き払い、雨水によって洗滌される、それがための暴風雨である、
しからば右のごとき曇りとはいかなるものでいかにして堆積するかを解説してみるが、
それは人間の想念と言霊によるのである、
すなわち想念の悪に属するものとして不平、憎み、呪い、嫉(そね)み、個人的怒り、偽り、復讐心、執着等が、霊界を曇らせるのである。
次に言葉であるが、気候が悪いとか悪天候とか米の不作とかいうような自然に対する不平や、
人に対する非難攻撃、怒号罵声、秘密欺瞞、咎め、愚痴等、すべて悪から発するものは想念界の次位である言霊界を曇らすのである、
それら種々の曇りの堆積の量がある程度を超ゆる時一種の毒素が発生し、人間生活に支障を来すことになるので、
その自然浄化が発生する、それが天地の法則である、
前述のごとく霊界の曇りは人間の健康にも影響すると共に
草木特に農作物にも悪影響を与える結果凶作の原因ともなり、害虫の発生も旺盛になるのである、
ゆえに今日日本各地における松や杉を枯死させる害虫の発生もこの理によるのであるから、
人間が大いに向上しない限り、これを防ぐ事は難しいのである、
言い換えれば日本人自身の過が、自分の国の松や杉を枯死さしているという訳であるから、
人間の悪念と言霊は大いに慎まなければならないのである。」 (全文は「微熱」のページ)
明主様御垂示 「人心と病虫害」 (昭和24年11月17日)
信者の質問
「柑橘園の無肥料・無消毒栽培でどうして病虫害が絶無になるのでしょうか。
また絶無になるには何ケ年位かかりましょうか。
私は本年無肥料で少しやりましたところ、型が大きくて味のよいみかんを穫ましたが、表皮のガサガサしたのや形の悪いのが混っております。
これはいかなる理由でしょうか、御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「長年の肥毒がとれないのである。
肥毒がすっかり除れても虫はいくらか湧く。
人間の心がよくなれば初めて虫はなくなる。
虫の湧くのも霊界に曇りがあるからである。
その一部に肥料が残っている。」
明主様御垂示 「漆葉使用と所有者身魂と作物 (虫発生の原因)」
信者の質問
「苗代へ漆の葉を堆肥に使用致しますと、「ゆりみみず」が湧かず、成績をあげていますが、無肥料栽培におきましては連続使用致しますと漆の毒が溜って悪くなるのではないでしょうか。」
明主様御垂示
「無論そうである。漆で湧かさぬのは本当でない。普通の堆肥がよい。
すべて土を汚さぬ事である。虫は汚れたところに湧く。汚れていなければどんなにでもよくとれる。
それと同時に所有主の身魂も浄まっていなければいけない。
そうすればどんなにでもよく出来る。」
明主様御垂示 「主人の性格、徳が庭木の生育に影響する」 (昭和24年6月13日)
信者の質問
「動植物の病気もやはりそれぞれの霊の曇りの浄化作用なのでしょうか。」
明主様御垂示
「この「動物」ってのは人間以外のことでしょ。
学者ってのは仕末が悪い、人間も動物の中へ入れるから。(笑声)・・・
これは動物と植物で違うんです。植物には病気・・・浄化はないんです。なぜなら罪がないから。
だから同様に下等動物・・・犬や猫にも罪はないんです。
罪があるのは人間だけですね。
つまり人間には自由が与えられている、自由が与えられているからこそ地上の経綸ができるんですが、畜生やなんかを人間が使うことができる、そこに人間が罪を作る余地があるんです。
そこで植物には浄化というものはないはずなんですが、虫が湧いたりいろいろするのは人間の罪が植物に発生するんです。
いま、全国的にさかんな松の木の松食い虫なんかは、だから人間が作って、しかもそれを嘆いてるってわけなんですよ。
人間が霊界を曇らせると害虫が発生するんです。すべて人間本位です。
だから地上をよくするのも悪くするのも結局すべて人間なんです。」
信者の質問
「邸内の木なんかが枯れたりする場合はいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「そこの主人公の性格で木が弱ったり、枯れたりするんです。
その家が栄えてるとき、徳を積む人が住んでるときは木の勢いなんかも違うもんですよ。
だから庭の木や草を見れば、そこの人の性格が判りますよ。」
信者の質問
「樹木の種類によってもその感受性が違うものでしょうか。」
明主様御垂示
「ええ、違いますよ。松なんか一番感受性が強いでしょう。・・・
だから、植物には霊の向上なんてことはないんです。
いっさいは人間のためにあるんですから。」