肥毒と水害について
明主様御講話 「水害は田畑の肥料を流すためのもの」 (昭和28年9月27日)
「今度の台風もなかなか損害が大きいようで、今朝のラジオで聞いてみると、死者が六百五十人だそうです。
行方不明というのは、やっぱり死んだのです。つまり死骸の上がらないのが行方不明なのです。
田畑の損害が二十五万町歩というのですから、この前の台風と大体同じくらいです。
そういった数字に現われない損害もたいへんなものです。
橋とか堤防とか、そういうものの損害は数知れずで、そういう間接的な損害もたいへんなもので、また復興するまでの間仕事を休まなければならないし、なんだかんだと、いろいろな損害を計上したらたいへんなものです。
ところが水害対策といって、橋を直すとか堤防を築くとか海岸の防波堤を作るとか、いろいろやってますが、そういうことは膏薬張りでたいした効果はないし、それも、充分にやろうと思っても金がないのです。
なにしろそれだけの費用を計上して、その予算は実際において全部の十分の一だそうです。
大体の見積りが八百何十億というのです。それに対して予算が、一年の間に支出したのは八十何億というのですから、やっと十分の一になったくらいで、問題になりません。
ですからどうしても台風が起こらないようにしなければならないのです。
ところが、いつも言うとおり台風をつくっているのです。
やっぱり医学と同じで、対症療法で、根本的ではないのです。ただ表面に現われたものだけを一生懸命に工夫してやっているだけであって、発生の因をなにもしないのです。
ということは分からないからですから仕方がありません。
それを私は教えようと思っていろいろやっているのですが、なかなか急の間に合わないので、当分はやっぱり、まだ何年かはこういう台風の苦しみというのはなくなりません。
これは以前よりもよほど増えたようです。以前はこんなに毎年はあるものではありません。
昨日の余興の演芸の時に志ん生が「自分らの若い時分にはこんな台風というのは聞いたことがない。風が吹いて雨がジャンジャン降ってくると嵐になるんだな、と言って、それですんでしまう。今のように雨が降るというのは変だ」という話をしてましたが、
それを聞いて私も思いますが、以前はこんな死者何百人とか田畑の損害が何十万町歩ということはありませんでした。
それは人間の頭数が増えたからでしょうが、その数よりか被害の方がずっと多いです。
というのは、以前よりか汚す量が多くなったのです。
大体風の方は人間の想念の悪いのと言霊の悪いのが、霊界に曇りとなって溜まるので、それを吹き払うわけです。
それから水で洗う方は田畑の肥料を流すのです。
昔は人糞だけだったからまだ少なかったが、今は化学肥料とか人間を殺すホリドールとかいう凄いのができて、それが土に入って行くから、
神様の方ではどうしてもそれを洗わなければならないから、そこで大雨を降らすのです。
また近ごろの雨ときたら、馬鹿馬鹿しく量が多いのです。
この間の京都での、大正池という池が氾濫して何十人という人が死んでますが、
これは雨の量が多いためですですからつまり台風の起こる原因を人間がつくっているのだから、どうもしかたがありません。
そういうことを書いた論文をこの次に栄光に出します。
しかしなかなかそのくらいのことでは、たいした効果はないわけです。
けれども神様がだんだんうまくやられますから、別にそう心配はいらないが、ただそれまでの間みんなが苦しんだり、いろんな被害を考えると、まことにかわいそうなので、つい心を傷めるのです。
というのは、今日の文化というものは霊を無視しているのです。
因が霊界の方にありながら、因の方を無視して結果の、現われた方だけを一生懸命にやっているのだから、やはり一つの無知蒙昧です。
この前読んだように「超愚」「超馬鹿」です。だからなかなか厄介なのです。」
明主様御講話 「肥毒と水害」 (昭和28年8月16日)
「今日はいろんな話がありますから簡単に話しておきますが、昨日京都で百何十人か水で死にましたが、みんな知っているでしょう。
これで随分不思議と思うことは、大正池という池ですから、湖水ではないからそう大きなものではないでしょう。
それがちょっと大雨が降って、わずかの間にとにかく家が二百軒か流され、百何十人か死に、行方不明が二百人かありますが、行方不明というのはたいてい駄目ですから、三百人というのが瞬く間に流されてます。
他にもその付近でちょいちょいありましたが、こういうことはちょっと珍しいことです。
京都府下で、ちょっとの間にそういう水で死ぬということは、これはやはり九州も和歌山もそうですが、わずかの間にこう頻繁にあるということは、いかに浄化作用が激しくなってきたかということの現われです。
この浄化作用は汚れた所を洗うわけです。その一番汚れたということは肥料で土を汚すということですが、これはどうしても水で洗わなければしようがないからです。」
明主様御講話 「肥毒と水害」 (昭和28年9月26日)
「今年の六月十五日の時に「これから浄化が本当になるから、なにがあるか分からない」と言いましたが、それから間もなく九州の水害があり、それから今度の台風も、その掃除がなかなか念入りになってきました。今年のようにしつこい台風はないでしょう。
やはりいろいろ汚いものが溜まるからですが、土は肥毒が溜まり、人間は薬毒が溜まるのだから、どうしても神様は、だんだんきれいにするについては、いろんな方法で掃除をしなければならないのです。 (中略)
自然農法ですけれども、だいぶ注目されてきたようです。
今年はいろんな害がありますが、特に病虫害、冷害、水害と、主な害が三つあります。そこであのとおり不作なのです。
いろんな数字がありますが、結局七、八百万石の減収は確かだと思います。ですから一割ではきかないです。とにかく大問題です。
それでまたこういう事情になればなるほど、自然農法の方が分かりやすいのです。
そんな影響で各地とも、その土地の篤農家とか有力者というのがよほど分かってきたのです。
ですから会員もドシドシ増えてますから、この分でゆくと、全国的に普及されるのはあんがい早いと思ってます。」
明主様御垂示 「水害にあうと肥毒が流され豊作になる」 (昭和29年2月1日)
明主様御垂示
「結局去年の水害というのはいくらも被害はなかったです。
農林省の統計を見ると、去年一番できたのが九州で九十七%です。
その次が四国で九十四%です。他はガタ落ちです。
ところが一番水害があった所が一番良くできたのですから、ずいぶん皮肉です。
一番の不作の原因というのは虫害です。
ところが冷害で、もしいけないとすれば、自然栽培のほうは冷害の被害はあんまりなかったから、結局虫害です。
それで虫害というのは肥毒のためだから、結局肥料で凶作にしたのです。
それに目覚めない限り年々悪くなります。」
信者の発言
「水害に遭った所は、そのために肥毒が流れることと、新しい土が入りますのでよくなるのでございます」
明主様御垂示
「そうです。それで良いのです。
それを間違えて、洪水の水に肥料があるのだと言うのですが、そうではないので、肥毒が消えるからです。
今度のお蔭話に、九州の水を被った所で、しようがないとて、新規に種を蒔いて、新規蒔き直しにやって平年作以上穫れた所があります。
いつかも書いたとおり、水害というものは神様が肥毒を掃除してくれるためのものです。
また水害があるためにどうやら稲ができるわけで、水害がなかったり大雨がなかったら、米はほとんど穫れなくなってしまいます。」
信者の質問
「自然栽培につきまして、今年は会員がみんな深耕をし、肥毒を吸っている土を上にあげ風化作用をしておりますが、
それにつき 聞きましたことは、流し水をすると非常にきれいになり、
よいといいうことを聞きまして奨励するようにしておりますが、よろしいものでございましょうか」
明主様御垂示
「よいです。人口的水害、洪水というわけです。
肥毒の減る方法なら何でもよいです。
それから今度の大分の十三俵三斗穫った件ですが、尾崎さんは来てますか。
あれは何升何合と書いてないので具合が悪いのです。
というのは、朝日新聞のコンクールでは何升何合と書いてある。
報告書には大雑把に書いてあるので、今の人間は正確でないように思うから・・・。
また五石五斗と決まりがよいわけがないので、その端数も出さなければいけないです。」
信者の発言
「申しわけございません。ただ今問い合せております」
明主様御教え 「台風禍」 (昭和28年10月14日発行)
「(一部のみ引用) 今一つは全然物質的原因である人肥金肥等の肥料、病虫害防止の薬剤等によって土を汚すため、自然はこの浄化のため大雨によって水で洗い流すのである。
といったようにすべては人間の無智が作るのであるから、この事を知って原因を作らないようにすれば解決するのは当然で、大災も小災となり、小災も無災となる。
これが宇宙の真理であるから、これを守る以外根本的効果のない事は断言するのである。」