肥毒と病気について


明主様御教え 「虫 害」 (昭和26年1月15日発行)

「近来、農村の悩みは、肥料代の高価と虫害と風水害との三つであろう。

肥料については、前項に詳説したから、既に解ったと思うから、次の虫害について詳しく述べてみよう。

まず、結論からいうと、害虫は肥料によって湧くと思えばいい。

それは肥料によって土壌を汚すため、土壌は変質し、土の性能は退化されると共に不潔物が残存する。

あらゆる物質は不潔なるところ必ず腐敗するのは当然で、そこへ小虫が湧き、細菌が発生する。

これは物質の法則であるとすれば、作物も同様である。

何よりも肥料溜(こえだめ)に蛆が湧くのでも判る。そうして害虫にも色々の種類があるのは肥料に種類があるからである。

近来、新しい害虫が発生するというが、もちろん新しい肥料が出来るからである。

農民が肥料溜のある付近は、害虫の発生が多いとよくいうのでも判るであろう。


今一つ重要な事は、害虫発生の場合駆除の目的で殺虫剤を撒布するが、これがまた非常に悪い。

何となれば、殺虫剤とは虫を殺すくらいの毒薬である以上、これが土に滲透すれば、土はその毒に中(あ)てられ、不良土となるのである。

従ってその土へ栽培された植物は、肥毒以外別な毒分まで追加されるので、土はいよいよ弱るので、人間と同様抵抗力がなくなり、害虫は得たりかしこしと、繁殖の勢を増す。

全く鼬鼠(いたち)ゴッコである。この点においても今日までの農法がいかに誤っていたかが判るであろう。


そればかりではない、硫安のごとき化学肥料は劇毒薬であるから、それを吸収した米を食うとすれば、自然人体も影響を受け、健康に悪いのはもちろんである。

それは血液が濁るからである。何しろ主食は一日三度ずつ、年が年中食っているとすれば、たとえ僅かずつでも積りつもって相当の毒分となり、これがあらゆる病気の原因となるのである。

ここで伝染病の真因を簡単にかいてみる必要がある。

そもそも伝染病とは細菌の侵入によって発病するのは誰も知っている。

しかしながらなぜ、細菌が侵入すると発病するかの理由は判っていない。

また細菌侵入するも発病者と未発病者とが出来る訳も医学ではいまだ解っていないのである。

この意味は以前出した私の著書に詳しく記いてあるからここではザット説明するが、黴菌とは、血液の濁りの原素である微粒子を食物とし、それを食いつつ繁殖するのであるから、菌の食物を有している人は発病するが、無い人は菌は餓死するから発病しないという訳である。

右のごとくであるから、発病者と未発病者とが出来るのはもちろん菌の食物の有無によるのである。

また保菌者といって菌があっても発病しない人があるが、これは菌の食物が発病する程の量もなく、そうかといって死滅する程少なくもないという言わば中間状態である。

とすれば、濁血者は発病し浄血者は発病しない事になるから、化学肥料のごときは、血液を濁す事はなはだしいので、近来伝染病や、結核のごとき、細菌による病人が殖えるのもそれが原因である。

この説は自画自讃かも知れないが、世界的大発見と言ってもよく、この一事だけでもノーベル賞の価値は充分あると思うが、

いかんせんノーベル賞審査員の学問程度が、右の説を理解する程に到っていない以上、致し方ないのである。

この理によって自然農法が全般に行われるとしたら、いかに病人が減るかは想像出来るであろう。」 (「自然農法解説」より)




明主様御教え 「寄生虫問題」 (昭和26年1月15日発行)

「人も知るごとく寄生虫問題は、今日非常に喧(やかま)しく言われている。

何しろ蛔虫(かいちゅう)保有者が日本人中、八○パーセント以上というのだから実に重大問題である。

蛔虫保有者が余りに多いため、反って世人はあまり関心をもたないが、実際上蛔虫によって死亡する者も、近来少なくないという事である。

普通蛔虫といえば数匹にすぎないが、人によっては数十匹ないし数百匹に上るものさえある。

こうなるとちょうどうどん玉のようになっていて、内臓機関へまで食い込んでゆくが、そうなると種々の苦痛が発する。

しかも人によってはその苦痛たるや、実に堪えられないものがある。

この原因は無論糞尿肥料によって、医学でも唱えるごとく蛔虫の卵が、野菜から人間の口を通じて胃に入り繁殖するのである。

ところがその他の蟯虫(ぎょうちゅう)、十二指腸虫、疥癬虫、水虫等々いずれも小虫の繁殖によるのであるが、医学ではいまだ病原不明とされているが、

私の研究によれば、実は人為肥料のためで、直接の原因ではないが、人肥によって血液が濁るから小虫が湧くのである。

この点パスツールの伝染説の誤れる事は、私は以前記いた事がある。

大体、人体に虫が湧くなどとは道理に合わないのである。

なるほど、死人ならとにかく、生きている人間に虫が湧くなどとは、不合理もはなはだしいと言わねばならない。

それは全く人間が天理に外れているからで、体内へ入れるべからざる不潔なものを入れ、血液を濁すからである。

この意味において、人間は新鮮な空気を吸い、清浄な水を飲み、不純物のない土から生じたものを食しかつ薬剤のごとき異物をなるべく用いないようにすれば、無病息災たる事はもちろんで、寿齢も百歳以上は決して不可能ではないのである。」 (「自然農法解説」より)




明主様御教え 「唯物医学と宗教医学」 (昭和27年御執筆)

「私は、これまで現代医学すなわち唯物医学の誤謬と宗教医学の透徹した原理を書いてきたが、

これを読んだ人で、既成医学に囚われていない限り、おそらく理解できない人はあるまい。

そうして医学本来の目的は、人間の病気を完全に治し、真の健康体を作るにあるとしたら、それが現実に現れなくてはならない事である。

今更言うまでもないが、真の健康体とは、一生涯病気の心配から開放される事であって、

そう言う人間が増えるとしたら、ここに人類の理想である病なき世界が実現するのである。

従ってその理想に一歩一歩接近され得る医学こそ真の医学である。

右によって今まで私が説いて来たところの、事実を根拠としての理論を精読玩味すれば、何人も首肯されないはずはないのであるから、この宗教医学こそ、真の医学でなくてなんであろう。

この意味において一日も早くこの医学を世界人類に知らせその恩恵に浴せしむべきではあるまいか。

しかも本宗教医学は、一人人間の肉体のみを健康にするばかりでなく、あわせて精神をも健全にするものである以上、

今日最も人類の悩みとされている貧困も、恐怖の的である戦争も、必ず解決できるのである。

従ってこれこそ言語に絶するほどの、偉大なる福音である事は言うまでもない。

それについて最も困難な問題があるのは、何しろ何世紀の長きにわたって、根強く植え付けられて来た現在の唯物医学であって、

人類ことごとくはこれに幻惑され、無批判的に信じ切ってしまっていて、ほとんど信仰的と言ってもいいくらいになっている。

専門家はもとより、一般人の頭脳もそうである以上、生やさしい方法では、到底目覚めさせる事は不可能である。

これが吾々に課せられたる一大難事業であって普通なれば不可能に近いとさえ言えよう。

さらばと言ってこのままにしておいたなら、人間の苦悩は益々深まり、ついには文化民族没落と言う運命にまで及ぶか分からないのである。

としたら何がなんでも一日も早く、世界人類に知らせなければならないのである。

その結果一般人が分かったとしたら、ここに世界的一大センセーションを巻き起こすと共に、唯物医学の大革命となるであろう。

実に有史以来これほど大きな革命は、いまだかつてなかったであろうが、この事は戦争よりも、比較にならない程の重大な問題である。 

なんとなれば戦争は、よしんば第三次戦争が起こったとしても限られたる時と、限られたる地域で済むからである。

ところが医学のそれに至っては、永遠に全人類に関する問題である事である。


以上のごとく、何人も夢想だも出来なかったところの、病なき世界が実現するとしたら、一体人間の寿齢はどうなるであろうか。

言うまでもなく、百歳以上は可能となり、ここに人類の理想は実現するのである。

しかし歴史以前は分かりようがないが、歴史に現れているだけでも、一般人が百歳以上の寿齢を保った記録はいまだかつて見当たらないのである。

というのは災害は別として、ほとんどは病のために倒れるからで、人間病で死ぬと言うことは、決して常態ではなく、変態なのである。

もちろん病で死ぬと言うことは、自然死ではなく、不自然死であって、もし病なき人間となれば、ことごとく自然死となるから、百歳以上は、何ら不思議はないのである。

そこでまだ言い足りない事がある。


さきに述べたごとく、病気の原因霊の曇りが根本で、

曇りの発生源は、人間の罪と薬毒の二つであるばかりではなく、実はこのほかに今一つの重要な原因がある。

それは農作物に施す肥料であって、原始時代は知らないが、相当古い時代から使っていたことは想像できる。

日本においては糞尿と近来使い始めた化学肥料とであり、外国においても化学肥料とその以前にも何らかの肥料を用いたに違いあるまい。

元来人造肥料なるものは、人体にいかに有害であるかは、今日まで全然分からなかった。

というのは肥料は農作物が一旦吸収してしまえば、全部有効に働き、何ら副作用はないと思いこんできた事である。

ちょうど人類における薬と同様、効果のみで余毒など残らないものと思ったのと同様である。

ところが私は神示によって発見した事は、なるほど実になるまでに毒分は相当減るには減るが、絶無とはならないのである。

これについては最近米国の有力な酪農会社社長ロデール氏が、長年の経験によってその結果を発表したところによると、

化学肥料で栽培した草で、家畜を育てると健康も悪く、乳も不良であるに反し、

堆肥のみで作った草で育てると非常に健康で、乳も優良である事が分かったので、

この発見を熱心に宣伝したため、近来各方面にようやく認めらるるに至り、米政府もこれを支援する事となったというのである。

また各学者の研究も、実際家の実験もこれに符合したため、ようやく社会輿論とさえなってきたという事が、最近の米国の専門雑誌に出ており、

ついで同氏は人間の病気も、化学薬剤を用いるようになってから、悪性な病気が増えたと唱えている。

しかし右の二つとも、私は二十年以前から唱えてきたが、日本は米国と違い、新しい説は識者は見向きもしない傾向があり、

しかも私が宗教家なるがゆえに、テンデ見向きもせず迷信視されて来たのである。

もちろんこういう観方がいかに文化の進歩を妨げているかは、よくいわれるところである。


以上によって分かったであろうが、とにかく、罪と薬剤と人造肥料とのこの三つが病気の根本であるとしたら、

この三つの害を除く事こそ、人類救済の第一義であらなければならない。

ところが薬剤と肥料とは、今日ただ今からでも廃止する事が出来るが、

最も至難であるのは罪の問題である。

これだけはどうしても宗教によらなければ、解決できないのはもちろんである。

と言ってもこれが実現の可能性のある宗教は、今日まず見当たらないと言っても良かろう。

ところがこの条件にかなう宗教こそ、わがメシヤ教であるとしたら私の責任も重かつ大なるものである。

この意味において私はまずこの著によって、全世界の有識者に向かって警鐘を鳴らすゆえんである。

それについて前もって一つの重大なる一時を知らせなければならないので、それをこれから書いてみよう。」





明主様御講話 「肥料の毒は血を濁す」 (昭和29年3月27日)

「私が一番狙うところは、医学の革命です。これはまた一番難しいのです。

この自然農法が全国的に分かると、その医学に対する効果も、ちょうど自然農法と同じような理屈で、肥料というのは医学でいう薬です。

「肥料をやるために土が弱る」ということと、「薬を服むために健康が弱る」ということと、理屈は同じですから、この面から医学の方を分からせる上において、非常によいと思うのです。

そういうわけで、肥料のために、その毒素が人間の健康に非常な害があるということも分かるわけです。


おまけに特集号にあるような、米に穀象虫がわいたのを写真に大きく出してありますが、あれを見たら否も応もないと思います。

ですから今まで薬毒ということは、私は大いに唱えてきましたが、勿論薬毒も悪いが、それ以外に米に対する肥料の毒がまたたいへんなものです。

つまり肥料の毒というのは、やはり血を濁しますから、肥毒と薬毒との両方で、人間は今までいじめられていたわけです。

今度その論文を出しますが、「人間の体はいかに造物主が強靭に強く造られたかが分かる。

これだけの薬毒を入れながら、なおかつ生きているということは、実に人間の体は丈夫なものだ」ということを書いてあります。

こうなると肥毒まで加わって、食う食糧に対する肥毒があって、薬を飲まない人でも一日に三度ずつ肥毒を体に入れているのですから、虫がわくのはあたりまえです。

寄生虫の害というのは、みんな知っているとおりですが、これは別におおげさに言うわけではないので、私はいつもそう思ってます。

薬毒がウンと固まって、体に薬毒がいっぱいある人がありますが、「これでよく働けるな、実に人間の体というのは強くできている」といつも感心してます。

これは医学的の頭で考えたら面喰うだろうと思います。


そういうわけで、神様の方は着々と進展しつつあるわけです。

しかも今言ったとおり、各宗教の教祖やなにか、そういった偉い霊たちがこれからメシヤ教のために大いに働きますから、だんだん時期がたつに従って、予想もつかないような大きなことになると思ってます。

だんだん張り合いが出てきたわけです。今までは楽屋で支度をしていたようなものですが、これからいよいよ本舞台に上がって、檜舞台で世界人類を大いにうならせるというわけですから、ちょうど世界的の大芝居です。

これは大本教のお筆先にありますが、「今度は世界の大芝居であるから、今に世界は動くぞよ」とありますが、これはやっぱりそういう意味です。」




参考 体験談 肥毒の恐ろしさ (昭和29年1月27日発行)

静岡県 愛進中教会農事担当者 MK(33)

「明主様より肥毒の恐ろしさについて御教えいただきまして、皆様にもその害毒を話しておりながらこの度程ハッキリその恐ろしさを見せつけられた事はありません。

昨年暮、信者の多々良武夫氏が自然栽培一年目(品種白菊)の玄米と有肥栽培の玄米の標本を作られ、教会へ持って来られました。

自然栽培の玄米は丸々として粒張りがあり実に力強い感を受けるに対し、有肥玄米は細長く弱々しい結核患者を思わせる様で、自然米と有肥米の対照がよく分り、いい標本として皆様にも説明して驚かれたものでした。

ところが今年になってからいつか忘れて事務室の片隅に置忘れられてしまいました。

最近になって事務室の机や畳の上に時折穀象虫を見受ける様になりました。

最初の内は別に気にも止めませんでしたが毎日数が増えて来ますので「穀類のないはずの事務室にどうして穀象虫が出るのだろうか」と漸く不審を抱く様になりました。

それから数日後、フト気付いて「そうだ昨年米の見本を置いたからもしや」と思い早速棚の隅に忘れられていた二つの標本函を探し出しました。

二つの函が重ねられてそのままになっており、上が自然米、下が有肥米でセロファン張りの自然米の函は何の異常もなく昨年見たのと同じでした。


ところが下の有肥米の函を見てハッとしました。函の上面に張られたセロファンは真黒に見えました。

よく見ればこの僅か十糎足らずの函の中に幾十の穀象虫が右往左往してうごめいております。

昨年見たスマートな有肥玄米の姿はあのグロテスクな穀象虫に化けてしまったとしか思えません。

密閉したセロファンの各所に、穴をあけ、三匹、五匹と這い出しております。

そして手といわず畳といわずたちまち穀象虫は散開してゆきます。

その姿はあたかも自分の使命を完うして引揚げてゆく勇姿に見えて私もこの時だけは、無気味な穀象虫に対し「御苦労様でした」と呼びかけたい気持でした。

実に惨憺たる有様にて、ほとんど八〇%以上が見事な防空壕が掘られ、トンネルが貫通し、中にはほとんど空ろになって紙より薄い外郭のみを残した妙技には感歎させられます。

殆んど満足な粒はなく、虫糞にまみれて精白された様な有肥玄米の姿に比して一方自然玄米は昨年と少しも変らぬ瑞々しさ、肥料によってかくまで違うものだろうかと慄然と致しました。

その後試みに穀象虫を数匹ずつ何回か自然玄米の中へ入れて見ましたが、何時か姿を消してしまいます。

穀象虫に言わせたら「こんな自然玄米は真平だ、肥毒気のない米に用はない」と言うに違いありません。


この事実を見るにつけ、自然米の腹もちのよい事も頷け、保存のきく事も証明される訳です。

又近年農作物に病虫害の多発する事も肥料の種類の増加に比例するとの御教えもよく分らせて頂けました。

なおあの穀象虫が米粒の芯から自然発生して中身を食べながら大きくなる事も、まだ穴のあいてない米粒をすかして見ると中に白線が出来ていて、穀象虫の幼虫の姿が不透明な影となって見られます。

こうした事からも汚れた所に黴菌が自然発生する事も自明の理であります。


自然栽培を実施している方達も異口同音に、虫が湧かなくなったと申しております。

数年前より麦の自然栽培を実施している相馬茂雄氏は「今年はカマス(藁で織った袋)の中へじかに麦を入れておいたがほとんど虫は湧かない」と言われております。

ちなみにこの標本の玄米一勺の目方は自然が四匁、有肥が二匁二分で(昭和二十八年十月十八日計量)自然百に対し有肥は五十五%となり、一升の重量は、自然四百匁に対し有肥は二百二十匁という驚くべき結果となり、

従って日常の食事の約半分が栄養分のない、反って人体に有害な肥毒分とも考えられ、今更ながら有肥米の恐ろしさに戦慄を禁じ得ません。

近年増加した医診に言う「千人に一人」とか「万人に一人」という奇病の発生も、日常無関心に食べる米や野菜に含まれた肥料の毒がその要因とも考えられ、日頃御教え頂いております明主様の御言葉が他に求む由もない絶対の真理の顕彰であられる事が殊更に胸に迫り感涙がこみ上げます。


今後「自然農法普及会」の発展に伴ない、既成農法の誇る手中の玉、肥料こそ、実は農作物の生産と尊い人命を刻々蝕んでゆく悪魔の玉である事が白日下に晒され、肥料万能に盲信、陶酔する近代農業の大革命が行われ、この地上に恐るべき肥毒の消滅する日も遠くない事を確信して、拙稿を結ばせて頂きます。」