自然農法について 御垂示 


明主様御垂示 「二毛作は根本的に間違い」 (昭和28年5月1日)

信者の発言
「い草でございますが、反当たり一万円の肥料を入れており、裏作として米を作るそうですが、米は一俵か二俵ぐらいでごさいます。

そういう関係で少ないのでございますが、いかがいたしましたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「いかがも何もありません。

別々にするのです。

米は米、い草はい草にすればよいのです。」


信者の質問
「藁を切る必要はありませんでしょうか」

明主様御垂示
「根本的に違っているのだから、そういうことは考える必要はありません。」


信者の質問
「耕土を深くしますことは」

明主様御垂示
「深いも浅いもないので、根本が間違っているのです。

両方を一つ土に作るということが間違っているのです。

だから両方とも良くできないのです。

い草と米を一緒の土に作ってはいかんということを言って聞かせれば良いのです。

い草は無肥料でやれば太くなります。」


信者の発言
「熊本のほうで無肥料でいたしておりますのは、初年目でございますが、長さは短いが丈夫で、乾かしあげた時に非常に目方がございます」

明主様御垂示
「最初は短くても、今に長くなります。そうして太くなります。

それに畳にしても非常に丈夫で倍はもちます。」




明主様御垂示 「種の肥毒のほうが早く抜ける」 (昭和28年5月1日)

明主様御垂示
「それから私は今度試してみたが、無肥料について、種にある肥毒と土にある肥毒は、土にあるほうの影響が多いです。

種の肥毒のほうが早く抜けます。

だから一番良いことは、やっぱり客土です。

これが一番手っとり早いです。


私は今度チューリップを作って、土は少しも肥毒がない所でチューリップの球根だけが、肥毒と言っても、あれはオワイはあんまりないので、油カスというようなものだからうすいのです。

一年目は小さかったが、今年の二年目では倍くらいになって、枝が分かれて咲いて、二輪になったのです。

今度写真に撮って栄光に出します。

今までに二輪というのはありませんね。

それが二百本ばかりの中に四本出ました。」


信者の質問
「この間見ましたのは、来年の花を咲かせるというので、ツボミを切っておりました。

明主様のは昨年花をお楽しみになられたものでございましょうか」

明主様御垂示
「そうです。切って使ったのもありますが、大部分は立ち腐れのものです。

それで去年の倍くらいで、色が萌えるようです。

そうして枝から枝が出て花が咲いているのです。

今度写真に出ますから、見れば分かります。

ですから種の肥毒は一年で抜けてしまったわけです。」




明主様御垂示 「堆肥も本当は不要」 (昭和28年5月1日)

信者の質問
「カーネーションの温室栽培でございますが、棚に土を五寸程度においていたしておりますが、これは不自然でございましょうか」


明主様御垂示
「そんなことはありません。土さえ自然ならよいのです。

それで土にコヤシではないが、オガ屑とかいろいろ混ぜますが、それはいけません。

あくまでも土だけです。

ですから堆肥も、本当はやらないほうが良くできます。

ただ赤土のように非常に固まりやすいのは、それを防ぐために堆肥を入れるのですが、そのうちにだんだん固まらない土になって行きますから、そうなったら堆肥は必要ありません。

ですから堆肥というのは永久的な物でなく、一時的の物です。」




明主様御垂示 「田んぼの青ミドロ対策」 (昭和28年8月1日)

信者の質問
「稲作の場合に、水面に青ミドロという苔がつきまして」


明主様御垂示
「しかし雨が降れば取れるでしょう。取れなければ、それは水がよどむためです。川水ですか。

それならもっと水の排け口をよくするのです。

それは水がよどむからです。」




明主様御垂示 「堆肥も入れなければ収穫が増加する」 (昭和28年8月1日)

信者の発言
「稲作につきまして、藁を入れ過ぎまして分蘖(ぶんけつ)が少なかったということがございました」

明主様御垂示
「それは入れ過ぎたのです。

臨機応変で、あんまりたくさんやると根伸びのときに妨げます。

だいたいは土なのですから。どうも土を軽視していけません。

本当は藁も何も入れないほうがよいのです。」


信者の質問
「寒い所においてもでございますか」

明主様御垂示
「そこですが、原則としては入れないのですが、寒い所は温めるために入れるのですが、そうすると土を邪魔するから、土を邪魔しない程度に入れるのです。

また種が肝腎ですが、お蔭話によくあるのは、農林何号とか、何の種ということを書いてあるが、それを書くようでは駄目です。

種の種類は何でもよいのです。

つまり自然栽培なら種がよくなるのです。」


信者の発言
「最初のときはその田から取れた藁の八割を入れておりました」

明主様御垂示
「それはいけません。百姓は藁で何か作ることがあるでしょう。それはどうしますか。」


信者の発言
「そういうことは考えずにいたしておりました」

明主様御垂示
「百姓は藁で作る物があるから、それを作って余った物を入れるのです。

そういったことも理屈に合わなければいけません。

根本はこれにあるのです。

すなわち信仰にはいってそこに光明如来様をお祀りしてあると、そこの霊界が温かくなるのです。

そこで以前はそれほどでなかったが、年々温かくなるから、それで作物が非常によく取れるのです。

だからだんだん藁とかそういう物を入れないで、土ばかりにしたほうがよいので、そうすればよく取れます。

今までは藁を入れ過ぎたためです。

そうすれば分蘖でも有肥田の倍くらいに増えなければならないです。

それはそうなります。

霊界の火素が増えますから、それが大きなものです。

だから今は私は、そういった藁を入れることを言いますが、いずれはそういう物は入れないで、土ばかりです。

田でも堆肥というのは入れないで土ばかりです。

そうするともっとよく取れます。」


信者の発言
「東北方面は非常に近植えでございますから、分蘖の余地がありません。

分蘖しないから近植えするというわけでもございます」

明主様御垂示
「そうですか。

では分蘖すれば遠く植えるわけですか。

さっきの話みたいなもので、信仰はお蔭があるから深くなる、深くなるからお蔭がある、というようなものです。

ですから原則は土です。

土によってできるということですから、その邪魔をしないということをよく心得ていればそれでよいわけです。」




明主様御垂示 「自然農法原理の各論は各自が適宜考えるべし」 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「自然農法のことでございますが、肥毒が抜けて来ますと従来の耕作法では合いません。

例えば今までの耕作法では近過ぎるので遠植えにするということはいかがでございましょうか」

明主様御垂示
「遠植えは結構です。

それは分蘖(ぶんけつ)が多いから、間隔は広くしてよいです。

それは便宜上どうにでも、よいようにすればよいのです。

耕作法はよいようにすればよいのです。

私は根本原理を教えたので、株の植え方や間隔を教えたわけではないのです。

そういうことは適宜でよいのです。

それに土地により、また気候が違うから、それに合わしてゆけばよいのです。」


信者の質問
「すべての作物にそれでよろしいのでございますか」

明主様御垂示
「そうです。熱帯地方に行けば裸でいてもよいし、寒帯地方に行けばウンと着るというように適宜に、適してやればよいのです。」




明主様御垂示 「干拓事業で圃場を作るのは根本的間違い」 (昭和28年9月1日)

信者の発言
「自然農法のことでございますが、岐阜県の伊能さんの所で、今年は朝日新聞の農業コンクールに参加しました。

これは三反以上ないと参加できませんので、二反しかありませんため、更に一反を買い受けました」

明主様御垂示
「というと肥毒のある土地でしょう。それはどうも・・・あまり・・・。」


信者の発言
「それで御浄霊をいたしたりしまして、今日では自然農法五年目の田とあまり見劣りのしない立派なものができまして喜んでおります」

明主様御垂示
「それはよかったです。

今年は一般はよほど減収でしょう。

六千万石割るかどうかということが問題になってますが、広川弘禅が農林大臣のときに五年で二割増産という計画を立てて、今その実行中です。

ところがその時分は六千三百万石のときだったのですから、増産計画が逆に減産になってしまったのです。

あのとき私は笑ったのです。

それで最近は干拓事業とか言って、湖水を埋めたり海岸を埋めたりする案を立ててますが、それはぜんぜん根本を間違っているのです。

やっぱり新薬を作って病気を治そうとするのと同じことで、逆結果になるのです。

どうもこの迷信を打破しなければしようがありません。」