自然農法について 御講話 8
明主様御講話 「堆肥も使用禁止」 (昭和28年10月26日)
「自然栽培の特集号を出すについてちょっと書いてみました。今度はできるだけ徹底して書きました。これで分からなければしようがありません。
(御論文「日本農業の大革命 無肥料で初年度から五割増産」)
それからこの間のラジオの放送でちょっとおもしろいことがありました。放送局から原稿をとってきたので、今読ませます。
(NHK第一放送午後○時十五分「ひるのいこい」放送)
こういう事実が現われてもなかなか迷信を打ち破ることはできないのです。
つまり一家で子供が次々に死んでも、相変わらずお医者さんの厄介になるというのとよく似てます。
そういうわけで、この医学迷信と肥料迷信というものが人間の大敵です。
ですからこれは、共産主義などというのは、これに比べたら屁みたいなものです。
このくらいの大きな迷信による被害はないわけです。それを教えるのが一番肝腎だからやっているのです。
それで特集号は今月の末にできるつもりですが、一番よいのは、農家を一戸一戸まわって一枚売りをするのですが、あんがい売れるだろうと思います。
なにしろ今年はあのとおりの状態ですし、そこに大きな見出しで「日本農業の大革命 無肥料で初年度から五割増産」というのですから、これを見たら飛びつかない者はないだろうと思います。
今日の農家は経済的に非常に困ってますから、少しでも安い方が手が出しよいです。百万くらいは出したいと思います。
信者の人だけで五十万は確かですから、あとの五十万は一枚売りです。
それから講演会とか座談会を大いにやりますから、その時の聴衆に大いにたくさん売れると思います。
とにかく百万間配ればそうとう刺激して、とにかくやってみようというところまで行かないはずはないと思います。
そのつもりで普及会員の人たちは大いに努力してもらいたいと思います。これは改めて言うこともありません。
そうしてなにしろ日本を救わなければならないのです。
それで今年は非常に悪く、案外不作です。
分かっただけでも五千四百万石ですが、まだ減るかもしれません。
そうすると八千万からの人間で、半分が食うだけもとれないのです。
そうかといって外米を輸入しますが、その金がたいへんなのです。
どうしても今年などは三千億近く出しています。それだけの金を稼ぐといってもたいへんなものです。
どうしてもそれだけ貧乏になるわけです。それで今年だけで来年からはチャンとなるならよいですが、それが分からないのです。また再来年もあるのです。
それで人間のほうはドンドン増えるし、米のほうはだんだんそういうふうです。
この迷信に気がつかなければ、増えるということはないのですから、それこそ日本の一大危機です。
ですからなんとしてもこれを救わなければならないのです。これも、書いてあるとおり、神様がそういうチャンスを作ったわけです。
よほど困らして震えさせなかったら分かりませんから。
なにしろ神様は自由自在ですからなんでもありません。
それからもう一つは肥毒が稲作ばかりでなく、米にたいへんな影響があるのです。
その報告があったが、非常におもしろいと思います。
(御論文「人体と肥毒」)お蔭話(肥毒の恐ろしさ)
このとおりです。人体に対しても同じことで、近ごろはいろんな虫が人間にわくというのですが、だいたい人間の腹の中に虫がわくということがおかしいのです。
なんでもないのに、虫がわくようなそんなお粗末な体に神様が作るわけがありません。
ところがこの肥料の肥毒自体がこれだけ虫がわくのだから、この肥料の毒が体に溜まって虫がわくのはあたりまえです。
それで、虫にもいろんな種類があります。
回虫、十二指腸虫、蟯虫(ぎょうちゅう)といろいろありますが、これは肥料の種類と同じだけわくわけです。
ですから米になったものにさえこれだけ虫がわくのですから、田に虫がわくのはあたりまえです。
それでおかしく思うのは、信者の人でまだ肥毒に気がつかない人が今までにそうとうあったようですが、今年からはみんな目が覚めるだろうと思います。
古い信者はそういうことはありませんが、新しい信者などは「病気はなるほど明主様のおっしゃるとおりだ。
しかし肥料の方は、オレたちが先祖代々やっているので、明主様は百姓の経験はないし、どうもそこまでは」というように思っている人がだいぶあったらしいです。
私は知ってましたが、やっぱり時期が来ないといけないと思っていたのですが、やっと時期が来たのです。
そういう人たちが他の百姓に対して説明しても、それは駄目です。自分が本当になってないから説明に力がありません。
それからまた肥料はやらないと言いながら、肥料に似たような物をやっているのです。
だいたい堆肥ですが、私は最初は「無肥料栽培」でやったのです。堆肥もいけないのです。
ところがぜんぜん無肥料でやっては法規に違反するというのです。
それは進駐軍の方なのです。それで投書か訴えをした者がいたのです。
やっぱりアメリカ人も、ぜんぜん肥料なしだったら米はとれなくなる、そういう宗教は禁止するということなので、これはなんとかしなければならないというので、名前を「自然栽培」としたのです。ですから前には無肥料栽培と言っていたのです。
そういうわけで堆肥はやってよいということになったのです。
それは金肥人肥よりはずっと被害が少ないです。
しかし今日になればもう本当のことをやらなければならないので、去年あたりからは堆肥もいけないということを言うようになったので、本当はいけないのです。
しかし赤土系の土は固まるから、それではいけないので固まらせないために最初の二、三年でよいから堆肥をよく腐らして混ぜるというそれでよいのです。
しかし肥料迷信にかかっているから、堆肥を肥料と思ってウンとやったので失敗した人が今までにもあります。
そういうわけでだんだん分かってはきました。この話はそのくらいにしておきます。」
明主様御講話 「肥料迷信」 (昭和28年10月27日)
「話の前にちょっと言いたいことがあります。今度の三日間に来た人は非常に少ないのです。いつものちょうど半分です。
聞いてみると、いま農村が一番忙しいときで、そのためだろうと言うのですが、これはたいへんな間違いです。
どんなに忙しくても、どんなことがあっても来なくてはいけないのです。
他の事情なら仕方がないが、農村の事情が忙しいから来ないということは間違ってます。
そのために一日か二日の暇をかいても、それでどうということはありません。
神様はそんなものではありません。神様はたいてい十倍ですから、一日のお参りで十日のお蔭をいただきます。
もしそういう考えで休むとしたらたいへん間違ってます。
そういうことを支部長や教師などの人がよく知らしてやるとよいです。
むしろ、そういう忙しいところを休んで来るほどかえってお蔭があるのです。そこが人間の考えと違うのです。
殊に今度の三日間は農事に関係した話をすることが多いのです。
私はできるだけ百姓に話したいと思ったところが、そういうわけで、どうも残念に思うので、今一言言ったわけです。
信仰の考え方が、まだなかなかずれている点があるのです。例えば肥料にしても、本当に私の言うとおりにやる人は少ないのです。たいてい中途半端が多いようです。
農民の人は「明主様は病気やなにかの場合は、それはよく治るし、確かにおっしゃるとおりに違いないが、作物の方は百姓の経験はないし、そのとおり言うことを聞いていたら、とんでもないことになる」というので手を出さない人と、また手を出しても徹底しなかったのです。
金肥人肥はいけないというと、それでは鳥の糞や馬や牛の糞なら良いだろう、油カスなら良いだろうとか、ヤレ灰をかければ良いだろう、ごくよいところで、堆肥をウンとやれば良いという考えなのです。
ところがそれはみんな土を穢すからいけないのです。これは私が言うのではないので、神様がみんなを助けるために言うのです。
どうも私の考えで言うように誤解するのです。これは古い人にはそんな考えはないのですが、新しい人に大いにあるので、その点をよく徹底するように教師の人などは教えてもらいたいと思います。
ところが昨日も聞いてみると、教師自身が実は無肥料栽培ということを信じてないのです。
だから言い方が弱いので、ウッカリすると百姓に言い負かされてしまうということを聞きました。
それは今まではそうでしょうが、今年はみんな目が覚めただろうと思うから、これからは大丈夫だろうということを言っている人がいました。
そういうわけですから、参拝日に暇をかくとか、いろんなことで来にくいときに来るほどお蔭があるのです。
これが遊び事なら都合のよいときにということになるが、そうではないのですから、こういうことを大いに心得ているべきです。
農事が忙しいから行けないということは、はなはだどうも当を得ていません。
理屈に合いません。この話はそのくらいにしておきます。
農業特集号は今月の末までにできますから、来月からは大いにこれを利用してもらいたいと思います。
本当は毎年春なのですが、そういうことを言ってはおられないから、今年の凶作に対して一日も早く一刻も早く知らせなければならないとともに、また非常によいチャンスです。
神様がこういうチャンスを作ってくれたわけです。これを大いに利用して、自然栽培を宣伝するというそのために「特集号」を早くしたのです。
おまけにいろんなよい原稿が来ましたから、その点からもこれならばどんな者でも分からないわけはないと思います。
(御論文「日本農業の大革命 無肥料で初年度から五割増産」)
これを一枚売りにして農村をまわるとずいぶん売れるだろうと思います。
それでトップに大きな活字で「日本農業の大革命 無肥料で初年度から五割増産」と書いたこれを見たら飛びつくだろうと思います。
しかもなるべく安くして一枚でもよけい売るというようにします。これには私も経験がありますが、昔大本教の新聞を信者に売らしたことがあります。
その後観音会になってから「東方の光」という新聞を出して売らせましたが、割合に売れるものです。
ですからこれはあんがい売れるだろうと思います。それで信者さんだけでも確実なところ五十万は大丈夫だと思いますが、一枚売りの方も五十万は大丈夫と思って、百万刷るわけです。
農村などは近所付き合いが多いから、一枚を五人が読むとすると、五百万の人間が目を通すことになり、そうなると今度はそうとうの反響がなくてはならないと思います。
そして講演会とか座談会をするときに、こういうものを非常に欲しがるそうですから、そういうときに売ってみんなに読ませるという点でも大いに出ると思います。
各地で座談会をやってますが、随分来て片端から会員になるというような傾向ですから、これを大いに利用して、一遍に全国的に分からせたいと思います。
というのは、だいたい考えてみると今年が結局五千四百万石ですが、平年作よりか千万石は減ってますから、どうしても輸入米三千万石以上しなければならないことになります。
そうするとこれが代金としても二千億以上でしょうから、だいたいが輸入超過に苦しんでいる国が、この上また輸入超過になったらたいへんです。
それも、今年だけですめば来年から回復する方法もあるが、いったい来年またその翌年の作柄はどうかということを考えてみると、この問題はたいへんなものです。
それも日本の人口増加はどうしても年に百万です。今産制などで少し減らしているが、結局百万とみなければならないのです。
そのように、百万ずつ増えるのに米がとれないとしたらたいへんなことです。
またわれわれからみると、減るとも増すことはありません。
なぜならば、今も読んだように肥料で壁のようになっているうえに、殺虫剤をやり、殺虫剤をやるから虫がわくということになって、肥料で逆効果になっているのです。
ちょうど薬毒と同じことで、薬で病気になり、病気になるから薬をのむということになります。それでいずれは農林省も動かすつもりです。
ところが役人はなかなか頭が固いですから、この頭には、どんなよい材料を持って、よい説明をしても、急にはなかなか動かないのです。
ですからどうしても事実をもって示すということです。
たくさんの農民が自然栽培ということになって、しょうことなしに、それではよいのだろうというところに行くのではないかと思います。
そうしてみると、ちょうど医学迷信と同じように、なにしろありそうなことというようなことではないのですから、医学迷信も肥料迷信も今までとは逆で反対ですから、これをちょっとやそっとで分からせるというのは難しいので、
どうしても世論的に農民全体がそうなってくることになると、政府もいやでも黙っていられないということになるのです。
それでこれは本当は最初「無肥料栽培」と言っていたのですが、戦後進駐軍が占領中、進駐軍の方の規則で、作物には肥料をやれということがあるのだそうで、進駐軍の方でなにか言いそうな懸念がだいぶあるし、ー
また当時は観音教団ですがーその反対者の方で進駐軍を動かそうとしてしきりに運動しているのがいて危ないというので「自然栽培」という名にしたのです。
しかし本当は無肥料栽培という名にするのが本当です。
しかしもう日本は独立国になったのですから、いっこうにかまいません。
ところが長い間肥料迷信によって、さっきも言ったとおり無肥料になりきれないのです。
そこでそれを徹底させるために、今読んだ論文も、異物を入れては不純土になるからいけない。なにも入れない純土にしなければならない。
それには連作によって高めるということを書いたのです。
それで肥料がいかに恐ろしいものかというよい報告が来たので読ませます。
それはつまり人間の健康に関係しているのです。そのことについて書きました。
(御論文「人体と肥毒」)お蔭話(肥毒の恐ろしさ)
こういうわけだからして病人を作らない病なき世界を造るにも、この肥毒を止めさせるという自然農法が間接に病をなくする大きな原因になるわけです。
それからこの間のラジオでおもしろいことを言っているので読ませてみます。
(NHK第一放送午後0時十五分「ひるのいこい」放送)
そういうようなわけで、ドジョウやエビガニが死んだというのですが、いったいドジョウやエビガニはなにかというと、農村では海に遠いから、そこで神様はたまには魚も食わせなければならないというので、ドジョウやエビガニというものが自然にできるようになっているのです。
タニシなどもそうですが、それが近ごろはまことになくなってきてます。
これは化学肥料を入れるから死んでしまうのです。ですからいかに間違っているかということが分かります。
やっぱり「超愚」です。」
明主様御講話 「自然農法書籍の販売による農村啓蒙」 (昭和28年11月1日)
「今年の自然農法は馬鹿に成績が良いです。特に岐阜県が良いです。早くも成績が分かりました。いつもは佐渡方面が成績が良いのですが、もっとも、はっきり分かるのは春になってからでしょう。
「昨日見ました所で、まだ稔っていないので、延ばさせるように交渉いたしました」 (註 茶色の文字は信者の発言)
できるだけ長く置いておくほうがよいです。稲というものは充分に稔らしたほうが本当なのです。つまり育つだけは育たせたほうがよいのです。
だから子供でも、教育を早くするのはいけないのです。
今の人間が馬鹿になるのは、学校教育を早くしすぎるためです。
幼稚園などでも、まだ六つか七つですが、それで学校に上げるというのですから、脳はまだ発達しないのに教育するために、今の人間は上面(うわつら)は利口だが中は馬鹿というわけで、育ってから超愚になってしまうのです。
今の人間は、稲で言えば早稲(わせ)なのです。
「今年のように悪いようですと、稲の名前も変えなけばならないことになりまして、「イイネ」というのは一つもないことになります」
悪いね(悪い稲)になります。しかしよくもここまで迷信を叩き込んだと思います。
何でもなく分かることですが、実際、間違ったことや悪いことを、よくも信じさせたもので、その腕前というか、それには感心します。
「最近肥料会社の宣伝のようでございますが、三俵か五俵しかない田に、刈った稲を持った人を入れて、写真をとって、十何俵穫ったということで、たいへんにお祝をくれるそうでございます」
やっぱり超愚のほうです。今に病気がこのとおりになります。片端(かたはし)から病人が出て来てバタバタと死んでしまいます。それが恐怖時代です。農作物のほうが先になったのです。
「やっぱり御浄霊が霊で農作物が体という、霊体の関係がありますのでしょうか」
そうでもありません。
「人間のほうは月(にくづき)の入りました膿作物で、膿の固まりでございますから」
そうです。
「いろいろと御教えをいただいておりますので、こう言って笑えますが、もしこのことを教えていただいていなかったらたいへんなことと思います」
たいへんなことです。つまり人間は薬をのみ、農作物に肥料をやるというその理屈は同じなのです。
今年は外米の輸入やいろいろなことで誤魔化しておくが、来年のことを考えたら、実にいても立ってもいられないと思います。
この間気象台の藤原博士が「今年から三年間は凶作型だ」と言っていますが、これほどでなくも、来年、再来年がまた不作としたら農家はもうやって行けません。
それで国としても、輸入すればそれだけの金を払わなければならないから、金がないから、どうしてもなんかかんかと金を借りる算段をしなければならないのです。
そうしてだんだん条件が悪くなると利息も高くなります。そうすると結局インフレの因になります。
ですからこれ以上貿易が悪いとインフレの可能性が非常に濃厚になります。
それで日本の経済界でおかしいのは、借金すると成功したと喜んでますが、借金したら必ず返すので、そうして利息が出るのですから、悲しむべきことですが、いよいよ外資導入をするとか言って喜んでます。
今の金詰りとか中小工業家が苦境に陥っているというが、原因は結局借金です。
また日本ぐらい借金の好きな国はありません。
日本人というのは、ただ目先だけを考えているのです。
十年、二十年先のことは考えないで、その場限りのわずかの時間、良い思いをすればよいというのです。
ですから薬もそのとおりで、先はどうなろうが一時良ければよいというのです。
「人造米のMというのが特許をとりましたが、全部の米をつぶして人造米にすれば助かるだろうと言っております」
情けないです。本当の目先だけだから苦しいのです。借金して一時良い、その先の考えはないのです。
この一番極端になったのが泥坊して一時の間女を買ったり酒を飲んだりして享楽するという心理状態と同じです。
つまり人間が三年か五年で命がなければ、それは確かによいでしょう。
しかし六十、七十までも生きるとすると、それはどうもピッタリしないわけです。
つまり目先ばかりを考えるという、こういう日本人の考え方が治らなければ駄目です。
だから借金しても、一時楽になることばかりを考えて、先の苦しみと言うことを頭に入れていないから、金詰まりとか、いろいろと苦しむということは、自分で作っているようなものです。
政府のいろんな政策にしても、みんなその場限りのことであって、ちょっと良いことだと喜び、少し悪いことだと悲観しますが、だいたい日本のすべての考え方というものがフワフワしていて、つまり超愚になってしまうのです。
それで一時気持が良いからというので麻薬が流行るのでしょう。
今私が書いているのは、普通の薬と麻薬との違いは、時間の遅い早いがあるだけで、結局同じだということを書いていますが、一切が麻薬中毒になってます。それで至急特集号をこしらえます。
「日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産」という題です。これを農家に一枚売りをするのです。これが一番良いと思います。
私は前に大本教にいるときに愛善新聞というのを、私が東京で一番主になって売らせたのですが、なかなか売れるものです。
それから観音会になってから「東方之光」という新聞を出して売らせましたが、これも割合に売れるものです。
それで今度のこの表題だけで飛びつくだろうと思います。
これも妙なもので、ただで配布してもよさそうなものだが、ただというのは読まないのです。
それでいくらかでも金を出したものは読むのです。
これも前の愛善新聞、東方の光で経験がありますが、ただでくれてやったのは読まないが、いくらかでも出したものは読むのです。
これは人間の人情で、そういうものなのです。今の日本の農家は約六百万だそうですが、一枚売りと方々での座談会のときに、聴衆が喜んで買わないわけにはゆかないから買うというわけで、相当数出ると思います。
それで私は百万出したいと思います。そうすると六分の一ですが、普通の新聞でもたいてい五人は読むとしてありますが、五人が読むとすると五百万で、たちまち全国的に知られるだろうと思います。
おまけに今農村で一番苦しんでいるところに、これをやったら一番の魅力です。
腹の減っているところにごちそうを口に入れてやるようなものですから、飛びついて喜ぶだろうと思います。
百万を目標にして大いに活動してもらいたいと思います。
やり方のいろいろはみんなで相談してしかるべき方法をとるでしょうが、だいたい今年の凶作というのは、神様は実にうまくやられたわけです。
しかもこっちのほうは深掘りを発見したために初年度からすばらしい成績なのです。
昨日伊野さんの最初からのことを見ましたが、大沼さんが書いたのですか、なかなか文章が上手です。
あれなら小説ぐらい書けます。たいしたものです。小説を読むぐらいの興味があります。
今度単行本を作りますから、栄光では長過ぎますし、あれだけの本では魅力がないから、もっとしっかりした本を作って大々的に新聞広告をして、一般が読むようにしたいと思ってます。
その中の記事としては非常に良いと思います。
なかなか苦労してあれまでやったということは、つまり伊野さんという人の経路は非常によいです。
あれで見ても反二十俵というのはそう困難ではありません。普通になると見てよいです。そうすれば今日の四倍ですからたいへんなものです。
「本当に日本は救われたと思いました。「アメリカを救う」などのように、ポスターに「日本は救われた」と標語してやってはと思います」
よいです。「アメリカを救う」は救うだけで、今度は「日本は救われた」のだから、序幕と終幕との違いさです。
それでどんなことをしても二、三年中には日本人全部は頭を下げます。下げないわけにはゆかなくなります。
そうするとこれが浄霊のほうに良い影響が行きます。
メシヤ教の奴は医学であんなことを言っているが、自然農法を見ると夢のようなことが実現した、そうしてみると医学のほうも本当かもしれない、ということになりますから、そのほうに対する一つのよい影響も見逃せないことです。
とにかく信用ですから、全般的にメシヤ教を見る目がぜんぜん違ってくるわけです。それがこっちの一番狙うところなのです。
そこにちょうど、二、三日前の読売に「救世教奇跡集」の広告が出るし、同じ日の新聞に霊友会事件が出たが、あれも偶然ではないので意味があります。
あれは日蓮上人が、静岡問題のときに私が留置場にいるとき私に憑かって来て、非常に謝って
「自分がたいへん間違ったことをしたために、許してもらいたい。それでこれからは日蓮宗を、日蓮宗は自分のほうで、できるだけ早く分からせるようにして、大いにメシヤ教のために尽くす」というようなことを言って約束したのです。
あれもその一つの現れです。日蓮上人が日蓮宗をつぶしてしまうということになるのです。
もっとも日蓮上人が地獄で苦しんでいるのを私が救ってやったのだから、そのお礼がてらです。
いつか栄光に出しましたが、天理教の教祖も憑かって来ましたから、今に天理教にもそれが現れます。
人間と違って、神様の約束というものは決して間違いがありません。」
明主様御講話 「中京方面が好成績」 (昭和28年11月8日)
「時間がないので簡単に話します。もう一つは自然栽培ですが、これは名古屋付近の人は今一番関心を払われてます。
それでまたこの自然栽培の成績が近来になってから中京方面がすばらしい成績をあげたという、これも意味があります。
これはいつも言うとおり、とにかく中京ということは東と西の真ん中です。
真ん中というのは、東は経で西が経ですから、やはり経と緯の中心です。
そこで始まるということは、これは根本的の問題です。
やはり神様の経綸はそういうふうな形で、順序ということになるのです。
自然栽培もまず中京から始まるということはあたりまえなのです。
それについて思い出されるのは、私が東京で観音教団をやった時分に、渋井さんが地方をやるようになったときに、やはり中京から始まったのです。
中京という所は重要な所です。
そこで自然栽培の成績がどうしても来月にならなくては確かなところが現われないのです。
特集号を出そうと思って、もっと早くするつもりだったのですが、どうも予想が多い。
しかし予想ではおもしろくないので、やはり数字が現われなければならないのです。
反に何石何斗何升というようでなければいけないのです。
それには来月にならなければどうしてもはっきりしませんから、それを待って、はっきりしてから農業特集号を編集するつもりです。
それでもって全国的に大宣伝をやってもらいたいと思います。
そうすると、ちょうどと言ってははなはだ気の毒ですが、今年の凶作でこれを解決する方法があるかというとないのです。
今年はこれでよいが、来年はどうするといっても、こうすればよいというその方法がないのです。
それでこうなると心が暗くなって、農民諸君が生きてゆくにも、どうしてよいか分からなくなります。
そこに自然農法の今年の成績をもって大宣伝をするのです。
これは開いた口にボタモチということになります。
そこで急激に自然農法が伝播するということは確かです。
そうなれば政府も動いてくるでしょう。だいたい農民層が大勢ワッと来ますから、これは文句ありません。
ですからそうなると、全国的にメシヤ教はたいしたものだ、ありがたいことだ、ということになって、一ぺんに分かります。」
明主様御講話 「天地返しをすると初年度から好成績」 (昭和28年11月10日)
「次には自然栽培ですが、これもだんだん進んできまして、今年は初年度からすばらしい成績をあげられる技術が進みました。
これは最近たびたび言うとおり、日本の水田の表面というものが肥毒のために壁のようになっているのです。
だからそれを深掘りによって壁をつき破って純粋の土を浮かび上がらせるというわけで、つまり天地返しをすると、初年度からよけいの収穫をあげられるということを中京方面で発見といいますか、始めたわけです。
それであの辺が非常に注目をあびて、普及会員になる人が、それこそものすごいほどできるのです。
これがだんだん拡がったらたいへんなことになるでしょう。
とにかく今年は結局五千三百四十七万石というのですから、去年より千二百万石ぐらい少ないのです。
そこでそういった不作というのは、神様がいいチャンスを作られたとしか思われないのです。
そういうようで、日本における今一番厄介な問題がメシヤ教によって解決されるとしたら、みんな手を合わして拝まないわけにはゆかないと思います。
これだけでもたいへんな救いです。それこそ日本始まって以来、これほど大きな救いはありません。
それについて最近聞くところによると、なるほど肥毒が固まってコチコチになっているそうです。
肥毒の固まらない所とか気候や土質の関係もありますが、ごく酷い所になるとコチコチになって層になっているそうです。
だからそういう所に稲を作ったところで、できるわけがないのです。
今年の凶作の原因には冷害や風水害がありますが、それよりも肥毒の壁を作ったということでしょう。
そういう肥毒を稲が吸うからして虫がわくのです。
またそれに対する消毒薬からまた虫がわくというわけで、一生懸命に凶作の因を作っているようなものです。
今日はなにからなにまで「超愚」です。超愚だらけになっているのです。
ですからこれは科学が根本ですが、科学は一方においては人間を助けながら、また一方に酷い目に遭わしているのです。
一方で撫でて、一方で拳骨で叩いているようなものです。
この科学の良い所ばかりを見て惚れてしまったのですから、この迷信を打破するのが大仕事なわけです。」
明主様御講話 「天地返しと客土」 (昭和28年11月16日)
「自然栽培のことですが、いろいろの報告や今までのやり方からみて、結論としては、この間中言った、つまり天地返しが必要ですが、それだけでは少しまずいところがあるのです。
というのは天地返しをしても、壁のようになっている肥毒の層が、やはり壁土が混るようなもので、肥料壁の土が混りますかち、初年度ではそれが影響するのです。
ですから天地返しをするとともに客土をできるだけするということが一番理想的です。
これなら初年度から何割という増産になります。
それで種に肥毒があるとやっぱりなんにもならないのです。
よく農事試験場などで無肥料を試験してみて駄目だということは、種に肥毒があるからで、それを知らないからです。
それと、肥毒の壁があるからして、ちょうど麻薬中毒の人間に麻薬を止めさせるようなもので、一時馬鹿になってしまうのです。
そのために種も土も肥料をやらないと馬鹿みたいになるから、それで結果が悪い、それで無肥料は駄目だということになったのです。
やっぱり今まで熱冷ましをのんでいたのが、止めると急に熱が高くなる。
それは押さえつけていたものを離すからですが、それと同じ理屈です。
その点を十分に分からせなければならないわけです。
経験者は分かってますが、世間一般の農民などにその点を十分分からせるように話してやるのです。」
明主様御講話 「火素の増加により自然農法は好成績になる」 (昭和29年1月6日)
「自然農法の報告がだいぶ来ましたから、もうじき特集号は出せると思いますが、だいたいを見た具合ですと、初年度からたいてい二、三割の増産になってます。
だからこれは前年までと比べてみると随分違ってます。前年までは、最初は増減なしというのがほとんどで、せいぜい一、二割ぐらい増えたのがたまにあるくらいで、どうもあんまり芳しくなかったです。
去年は一般が非常に悪いのと反対に自然栽培は良い成績です。
今までよりもだいぶ良くなったということは、いったいどういうわけかと言いますと、霊界が違ってきたためです。
つまり霊界に火素が増えたわけです。それで火素が増えると、やっぱり浄化作用が強くなりますから、肥料のような間違ったことに対する影響が著しくなるわけです。
それと反対に自然栽培の方は道理に合ってますから、そこで良くなるのですが、良くなるということは火素が増えるからですが、これはやっぱり一つの熱ですから、熱のために、肥料の妨げがなければ育ちがよいという理屈になります。」
明主様御講話 「二毛作はいけないが二期作はいい」 (昭和29年1月6日)
「それからもう一つ特に注意することは、前に二毛作はいけないと言ったのは、米と麦をチャンポンにすることはいけないので、米だけの二期作なら、かえっていいくらいです。
しかしこれは気候が暖かい所でなければ無理ですから、気候が暖かい所で可能な所ならしてよいです。農業のことはそのくらいにしておきます。」