自然農法について 御講話 6
明主様御講話 「虫害をなくせば大変な増産になる」 (昭和28年9月15日)
「これは独り医学ばかりではなく、なんにでも言えます。今年などの米は、今日の新聞では五千九百八十万石といってます。それでいろんな対策を講じてます。
特に人造米というのを作ってますが、人造米は栄養がどうとか味がどうとかいっても駄目に決まってます。
これが米だからいいようなものの、ほかの物だったらおかしなものになります。
菜っ葉や沢庵とかを人造にしても、そういうのは・・・。
たとえ食えるとしても手数がかかってしようがありません。
それよりか土から自然にとれるのがどれだけよいか分かりません。
なるほど今年は水害がありましたが、しかしこれは全体からみれば一部です。
今年の不作の原因は、なんといっても虫害です。だから虫害をなくしさえすればたいへんな増産になるわけです。
それをいくら言っても・・・農業特集号などを全国の農家などに一万部以上配っても・・・ほとんど反響がないのです。
もっとも今までの迷信が急には抜けないから、首をひねらせるだけの効果はありますが、それがだんだん育っていって、だんだん分かるような時期が来ることにはなります。
そういうわけで「超馬鹿」は農業の方にもあるわけです。そういった原因というのは、やはり科学迷信です。それを破るのが根本です。
とすれば、有神思想を養うことで、というのは、神様が在るということを見せるよりないのです。
ところが神様を見せるということはメシヤ教よりないのです。
それには奇蹟よりないのですが、奇蹟というのは、ほかの宗教にしてもぜんぜんないのですから、どうしてもメシヤ教が救わなければしようがないのです。それについて書いてみました。
(御論文「理屈で人を救えるか」)」
明主様御講話 「肥料迷信」 (昭和28年9月16日)
「そういうわけで、今年などの米のとれないのはたいへんな問題です。それで最初の発表が六千百八十万石というのです。
私はそういう馬鹿なことはないと言ったのですが、これは陸稲を入れたのです。そうしてごまかそうとしたのです。
だから私はあの時に、「農林省は陸稲を入れてごまかそうとした」と言ったのです。
それには農林省内にもだいぶ非難があったので、今度は五千九百八十万石となったのです。
しかし五千九百八十万石としたらたいへんな不作です。
去年か一昨年かには六千四百万石までゆきましたから、五百万石の不足です。人口はドンドン増えているし、米はだんだん不作なのだから、昔だったら百姓一揆ということになります。
今は輸入ということをやってますが、これが自給自足だったら餓死するのがたいへんです。その点からいっても、実にたいへんな危機です。
それから土について前にも言いましたが、強く言ってないので、今度栄光にも出そうと思ってますが、土に対して連作ということがたいへんな意味があるのです。
米なら米を毎年作っていると、土そのものに米がよく育つような性能が自然にできてくるのです。
だから麦との二毛作はいけないということはそのためです。
せっかく土が米を育てるような性能になったところに麦をやると、ガラッと変わってくる。
そうすると今度は麦を育てる分子になる。というわけで、二毛作はいけないのです。
これは分かりやすく言うと、人間が仕事をするにも、一つ仕事をやっていると職工なら熟練工になるわけです。
毎年同じ土で一つ物を作っていると、つまり熟練工になるわけです。時間がかからずに良い物ができるというわけです。
新しい土というのは素人というわけです。そこで毎年やっていると土が熟練してきて、その性能が増してくるのです。
ところがせっかく熟練工になった土を、たまたま肥料をやったりしては元の木阿弥にしてしまうわけです。
ところが厄介なのは、信者の人でも肥料迷信から抜けきれない人がなかなかあるのです。
それで化学肥料などはいけないが、今まで使っている厩肥とか魚カス、油カスとか、そういう物ならいいだろうといっていくらかやるのですが、それがたいへんに影響するのです。
だから自然栽培になっても、どうもよその人のように成績が上がらないのはどういうわけでしょう、という疑問を起こしている人がよくあるそうですが、そういうのをよく調べてみると、必ずなにかしら使っているのです。
そういうように肥料迷信から抜けきれないのです。
ちょうど医学迷信と同じで、浄霊で治りながら、やっぱり「長い間のんだ薬が効いてきたのだろう」とか、「時節が来たのだろう」とか言っているのです。
これはお蔭話によくあります。そういうようで、この迷信を打破するのは実にたいへんなものです。
最近の中部日本新聞で発行している雑誌に「農業日本」というのがありますが、これはなんでも四万くらい出ているそうです。
これに自然農法のことをだいぶトップに出てますが、それを読んでみると・・・メシヤ教信者の良い方の面は成績もずっとよいけれども・・・
最後の方に官吏の説が書いてありますが、それは「農林省でも今まで無肥料でいくども作っている。しかしどうも成績が悪い。だから駄目だ」というわけです。
これは前から聞くことですが、つまり彼らのやるのは種に肥毒があって土に肥毒があるのです。
そのためにうまくできないのです。これは最初の一年目には苗が黄色くなって針のように細くなって心配するというのがありますが、それなのです。
やっぱり麻薬中毒と同じで、麻薬が切れると、一時馬鹿みたいになってしまうのと同じで、根本を知らないから一年か二年の成績が悪いと、それで悪いものと決めてしまうのです。
つまり熱冷ましをのんで熱を冷ますと一時よい、それで熱冷ましを止めると、今度はもっと高い熱が出るが、それを通り越せばよいが、そこまで頭が働かないからそういうことになるのです。
それからもう一つ官吏の言っていることは「明治初年あたりには反当り一石くらいだった、それが化学肥料を使うようになってから俄然として成績が良くなった。だからそんな無肥料ということは絶対に駄目だ」ということを言ってます。
しかし明治初年には一石というのは少しおおげさな言い方で、肥料を使うようになってからとそんなには違わないが、しかし一時は違ったです。
それはどういうわけかというと、明治までが無肥料でやってきたのならそれは学者の言うとおりです。
しかしそれまでにさんざん人糞をかけていたのです。だからそれが妨害していたわけです。
それで化学肥料をやるようになってからは人糞の害から免れたので良くなったのです。
これはやっぱり病気と比べてみるとよく分かります。
つまり日本人の体力というものは、漢方薬によって非常に弱らせられていたのです。
というのは漢方薬は量が多いのです。ところが西洋の薬になると量は実に少ないのです。
漢方薬からみると、その百分の一か千分の一くらいなものです。
ですから西洋の薬がそうとうに毒があっても、量が少ないために一時は良くなったのです。
ですから最近言われている「日本人の寿命が延びた」ということはそれがためです。
近ごろになっては、みんな漢方薬をのまなくなって西洋の薬をのんでます。
そこで薬毒が減ったから寿命が延びたわけです。
さらに西洋の薬も止めてしまえば、もっと寿命が延びるわけです。
迷信というのは妙なもので、それに限ると思ってしまうと、理屈の多い方に理屈をつけるのです。
そういったような迷信を分からせるのだから、とにかく私の仕事というものは、それはたいへんなものです。」
明主様御講話 「本当は堆肥もやらない方がよい」 (昭和28年9月17日)
「それから自然農法についてですが、この問題はだいぶ注目されてきたようです。おまけに今年は非常な不作です。
最近の発表が五千九百八十万石というのですから、平年作が六千三百万石ですから、四、五百万石減っているわけです。
これは去年広川弘禅氏が農林大臣のときに五カ年計画で三割増産という案を立てて、予算なども組んだのです。
それで今年は二年目ですが、およそ逆ということは驚いたものです。
これも今の「超愚」の方でしょうが、困ったものです。
しかし今年は東北地方の冷害が一番の原因としてますが、確かに冷害も影響があったに違いないのです。
冷害のために虫害が酷くなるのです。天日にドンドン当てると虫は弱りますが、天日に当たらないと虫は増え放題になるのです。結局において根本は虫害です。
最近聞いた話で、栄光にも出しますが、こっちの人が調査に行ったときのことですが、信州辺りで、そうとう広い所ですが、朝起きて田に行ってみると稲が白くなって、ぜんぜんみのらないということが分かって、フラフラとなり夫婦心中したものがあるそうで、またそれから自殺したのもあるようです。
とにかく一年米がとれなかったら、税金は免除されたとしても、借金をしなければ食うことはできないことになります。
大体が農民は借金が多いですから、一年とれなかったら餓死するよりほかありません。
だから自殺するということはあたりまえで、馬鹿ではありません。われわれにしてもそうかもしれません。そういうことがよくあるのですが、秘密にしているらしいのです。
そういうわけですから、よけい自然農法というのに騒ぎ始めたのです。
それから昨日聞いた話ですが、中京の方で座談会や講演会をすると、聴衆のうちの九割が未信者で、そのうちの一割くらいが信仰に入るそうです。それですばらしい勢いだそうです。
それで岐阜県で一番の篤農家の人が今度県の地方本部長になって大いに活躍することになってますが、その人はどうしてそうなったかというと、最初信者の人がそこから種をもらったのです。
そうして今年で五年目ですが、こういう稲ができたといって見せたのです。そうするとその篤農家の人は驚いたのです。自分の種で今までこんなに立派な稲ができたことはない。
それで聞いてみると、こうこういうわけで、自然農法でやったと言うと、非常に驚いて、それでは自分はこれに一生を捧げようというので、会長になった由です。
そういった人では一番信用があるのだそうですから、すばらしい結果をあげ得ると言って喜んでます。
そういうようで最近は信者でなく、そういった信者以外の人がだいぶ刺激されて、会員になる人が非常に増えたそうです。
そういうような具合で、神様は如才なくやられるので、どうしてもこっちの自然農法にならなければならないようにし向けるわけです。
あるいは今年の不作も神様がうまくやられているのかもしれません。
そういうようなわけで、非常におもしろくなってきました。
それで今まであんまり言わなかったが、連作ですが、百姓は昔から連作はいけないという。
ところが一番の連作は稲です。これに気がつかなかったのです。もし連作がいけないものなら、米はだんだんとれなくならなければならないのです。それから以前私は米と麦との連作はいけないと言ったが、これもそうです。
土に稲を育てるような性能が出てくると、今度は麦になるから、今度は麦を育てるような性能に変化してくる。そうするとどっちも駄目になるのです。
それで土は、毎年同じ物を作っていると土にそれを育てるような性能が出てくるわけです。
ちょうど米を作らない土は素人とすると、毎年稲を作ると、土の方が熟練工になってくるのです。
それでだんだん良くできるというわけで、その理屈を知らなければならないのです。
ですから肥料ですが、たとえ堆肥でもやると、土が大いに熟練になるところを邪魔することになるわけです。
だから本当は堆肥もやらない方がよいのです。
だから気候の暖かい所は堆肥、藁などもやらなくてよいということを私は言いました。
ところが長い間の肥料迷信のために、信者で作っている人でも、それに囚われて堆肥を入れるのです。
ですから畑でも堆肥をやらない方がよくできるのです。
ただ土が固まったり乾いたりする所は、そのために堆肥をやるのです。
それもできるだけ腐って土みたいになった堆肥がよいのです。
ところが堆肥ということに囚われて、木の葉でもまだ筋があるような物を何貫、何十貫やった、ということを言ってますが、これではわざわざ、金肥人肥ではなくして、一つの妨害をしているわけです。
それからもう一つはこういう点があったのです。前には「無肥料」という名称をつけましたが、そうすると進駐軍の方で、一つの規則のようなものがあったのです。
作物は肥料をやれということがあるのだそうです。
そこで無肥料というと、それに引っ掛かるというので「自然栽培」という名前にしたのです。
ですからそれまでは無肥料と言っていたのです。
それでだいぶそういうことを邪魔しようとして、進駐軍に投書したりするのがあるのです。
本当いうと「無肥料」ですから、堆肥もなにもやらないのがよいのです。それでこそ本当に土の活動力が増すわけです。
それからもう一つは、無肥料と言うと誤解をするのです。
というのは、頭からぜんぜん肥料をやらなくてできるものかと言うのです。
今の自然栽培でも随分反対する百姓もありますが、自然栽培と言うときこえが良いからやっているのです。
ですからやっぱり自然栽培でよいのですが、堆肥迷信を減らすということです。」
明主様御講話 「害虫の影響が一番大きい」 (昭和28年9月23日)
「今日は珍しく雨ですが、雨が降るということは、光が強くなるほど降るのです。
光が強いということは、やっぱり熱が強いのです。今日はここは二十度で、東京は十七度なのです。
ですから東京より三度高いのです。大体今年は平均して東京よりも強羅の方が暑いのです。こういうことは今までにないのです。
けれどもその割には東京よりも涼しいということは、空気が乾燥しているためです。
空気の乾燥ということは、暑さによほど違います。五度以上は違います。
箱根は霧があったりするので、たいへん湿るように思ってますが、実は高山地帯というのは乾燥しているのです。
それからまた今年は方々に水害があって非常に雨が多いですが、これも霊界に火素が増えたわけなのです。
今日は時間があまりないのに、お話しすることの項目が多いので、簡単に要点だけをお話しします。
自然農法のことですが、普及会の会員も大いに増えて、だいぶそういった方面の注目を引いてきました。また今年ぐらい不作の年はありません。
昨日の発表でみると五千八百五十万石というのですが、そうすると最近一番とれた年が六千六百万石ですから、七百五十万石の減収です。
それがヤレ農地改良だとか、いろんな施設をしたり、肥料なども今年は今までで一番多いそうです、それにもかかわらず、かえって逆になるのですから、やっぱり私の言う説のとおりになっているわけです。
なるほど九州の水害はそうとう影響しましたが、しかし全体からみるとそれほどでもありません。
むしろ東北地方の冷害の方が大きいです。この冷害というのは、ただ冷えるだけでなく、冷害のために害虫が死なないのです。
天候やなにかで害虫が弱ったり死んだりしますが、この冷害のために虫が弱らないのです。その害が大きいのです。
ですからただ寒いだけでとれないものなら、昔から有名な越後や信州や秋田でもとれないわけです。
寒いためにとれないということは、結局虫が減らないからなのです。そういうわけで害虫の影響が一番大きいのです。
ということは、肥料がわかせるわけです。それから、こういうふうに不作にすれば早く分かるという、神様の一つのお仕組みと思ってもよいのです。
しかしどうも、神様は随分ひどいと思うかもしれないが、本当に知らせるには、やはり病気と同じようなもので、人間苦しまなければ分からないのです。
だからこの苦しみは一時的で、結局将来は非常に大きな良い結果になるのですから、これもやむを得ません。」
明主様御講話 「今年の不作の最大原因は病虫害」 (昭和28年9月24日)
「今年のお祭りは珍しく雨が多いですが、これはやっぱり光が強くなった関係なのです。
これはここばかりではなく、今年になって全国的に雨が多いのです。
それは霊界で火素が多くなった関係なのです。
この分で行ったら今に雨ばかりになってしまうことになるが、そんなことはありません。
今年は光が特に強くなり始めたというわけで、つまり火素が多いということは水が動くのです。
溶けやすい、流れやすい、つまり活動が強くなったというわけなのです。
人間なら心臓が強くなるので肺の活動が旺盛になるという意味なので、これは当然な話ですが、しかし光が強くなったということは、確かです。
それから今年は驚くほど米が不作です。なにしろこの数年のうちで一番とれたのが六千六百万石です。
今年は農林省の発表では五千八百五十万石ですから、約七百万石違うわけです。というと大きなものです。
それが毎年農地改良だとかなんとか言って、非常に増産になるような方法をとりつつあるにかかわらず、結果の方は馬鹿馬鹿しいマイナスになっているのです。
ちょうど病気を治そうと思って大いに医療や薬をやるほど、だんだん病気が重くなるというのと同じです。
農業も、肥料をやらず、なにもしなければもっとずっと豊作にもなるし、また人間は健康にもなるわけです。
この間「超愚」という論文を書きましたが、つまり超馬鹿・・・馬鹿を通り越しているわけです。カラカサ屋の小僧と同じで、骨折って叱られるというわけです。
ですから懐手(ふところで)していた方が、よほどましです。
それが文化が発達してみんな大いに教養を得て、一般的の知識なども向上したというわけなのですから、いかに見当が違っているかということです。
本筋を行ってないのです。それだからわれわれが大いに救う必要があるのです。
しかしみんなが超愚でなく利口だったら、あえて救いの必要はないかもしれません。
とにかく今年の不作ということの原因は、東北地方の冷害、九州、近畿の水害、あとは病虫害ということになってますが、このうちで一番影響しているのが病虫害です。
これはいつも言うとおり肥料が作っているのですから、それを分からせるためにみんな一生懸命になっているのですが、
しかし今年のこの不作のために自然農法が注目されて大いに拡がるという、いい結果、いい効果がありますから、
われわれの方から言うと、今年の不作ということは、やはり神様が如才なくおやりになったということがよく分かります。
そういうわけで信者以外で自然農法の普及会の会員になる人が各地とも非常に増えつつあるようです。
ですからもう二、三年もたつと、たいへんな勢いになるだろうと思ってます。
医学の方と違ってこの方はあんがい早く全般的に知れ渡ると思います。」
明主様御講話 「火素の増加により肥毒の害が現れる」 (昭和28年9月25日)
「今年の秋は珍しく毎日のように雨ですが、霊的には大いに理由があります。
とにかくこれも浄化作用ですから、浄化が強くなったということが最大原因です。
今年の農作物の虫害が多いということも、霊界における火素が増えたために、善いものと悪いものとの区別がはっきりするわけです。
ちょうど今までは薬をのむと一時固まったものが、だんだん固まらなくなるのと同じように、農作物に肥毒の害がはっきりと著しく現われるわけです。
それで今年は非常に雨が多いということも、やはり雨で洗うべき汚いものがたくさん溜まるということに対する、当然起こるべき浄化作用です。
そういうように、いろいろな形で浄化作用が現われるわけです。なにしろ今年から本当に世界的大浄化の活動が始まったわけです。それを知っていて見ればよく分かります。
そういうわけで、今年の不作というものは予想外に酷いのです。そこで自然農法の理由がよく分かります。
今年ほど虫害の多い年はありません。それから今年ほど肥料と害虫駆除の薬の量を多く使った年はないそうです。
ですからそういった薬や肥料と、不作ということがちょうどつり合ってますから、非常によく分かります。
だから各地方とも信者以外の農民で自然農法普及会に入会するのが非常に多いようです。
こういうような結果が現われるということは、神様の方で如才なく「これでもか、これでもか」と、分かりよいようにいろいろやられているのだろうと思います。
つまり浄化作用ということは、神様はどうしても、間違ったことは正さなければならない、汚いものは掃除しなければならない、ということと、一人でも人間を助けようという両方なのです。
「大慈大悲」ということを昔から言われてますが、「大慈」というのは助けてやろうという大いなる愛です。
それから「悲」というのは、それにはどうも犠牲者が出る、かわいそうだ、そういう御心の現われが「悲」です。
ですから「大慈大悲」というのは、意味からいうと逆のようですが、そういうように考えてゆくとよく分かるわけです。
だから観音様に「大悲菩薩」というお名前があり、大いに悲しむというわけです。
これからは犠牲の方が多いから「大悲菩薩」のお働きというわけです。」
明主様御講話 「堆肥使用は原則禁止、例外許容」 (昭和28年9月25日)
「自然農法については、まだ信者の人の中に迷信があるようです。それは堆肥迷信です。いつも言うとおり堆肥には肥料という意味はないのです。
ところがやっぱり肥料迷信が根強く入っているために、堆肥も肥料のように思ってやりすぎるのです。
ですから堆肥をやると、それだけ根伸びの邪魔をしますから成績が悪いのです。
本当いうと、なにもやらない方がよいのです。土ばかりがよいのです。そうすると一番よくできます。
ただ、ごく寒い寒冷地では温めるために使うという意味と、乾く土地の場合に乾かないように堆肥を厚くしておくとよいです。
そうすると湿り気があるから乾き気を防ぐということになります。
新しい土などは非常に固まりやすいのがあります。
特に赤土がそうですが、土が固まるといけないから、固まらせないために堆肥をやるのです。
その場合には堆肥を非常によく腐らした方がよいです。
あらかた土に変化したくらいに柔らかくして、それを混ぜるのです。
大体堆肥はそれだけの必要からやるのです。
ですからあくまで土を生かすということを考えるのです。それから土を生かすということについて、こういうことを考えなければなりません。
それは連作をしなければならないのです。よく連作がいけないと言っているが、おかしいのです。
昔から一番連作をしたのは稲です。それで連作はいけないと言いながら一番肝腎な米だけは連作をやってますが、これには気がつかないのですから滑稽なくらいです。
その場合に、連作をすると土の方にその作物に適当するような力が出るのです。
ちょうど人間の仕事と同じで、一つ仕事をやっていると熟練してきます。
商人だと年々御贔屓(ごひいき)が増えてきて、商売のコツも覚えてくるというようになります。
土も同じです。豆なら豆を育てるような性能が出てくるのです。
そういうようで、連作をするほど良くなるのです。
今まで連作を嫌ったのは、肥料の害を受けている土だから連作はいけないと言っているのです。
これが一番分かりいいのは、薬です。特に胃の薬ほど分かりますが、一つ薬をのんでいると効かなくなります。そこで薬を変えると一時効くのです。
というのは、その成分に対して体の方が、つまり抵抗力というか、慣れてしまうので効かなくなるのです。
それで今 「肺病で死ぬのが延びた」それから「寿命が延びた」という、これがその理由なのです。
最近ストレプトマイシンとかパスという新薬は、抗生物質といって、今までとはぜんぜん違った成分の薬なのです。
それで抗生物質が非常によいという学説になっているようです。
というのは、今までのんだ薬とはぜんぜん違った成分だから効くのです。
効くということは浄化停止の力が強いのです。そこで浄化が弱るからして死ぬのだけは延びるわけです。
だからこれを続けて何年か後には、抗生物質に人間の体の方が抵抗するというようになるから、そうなると元の木阿弥になります。
そこで今は、肺病などにストレプトマイシンをやると数カ月後には菌の方の活動力が非常に強くなって、これをどうしたらよいだろう、というのが、今の医学界の問題なのです。
そういうようで、作物に対する肥料というのも同じです。そこで土の力を増すようにすれば、いい意味のそういった働きが出るのです。」
明主様御講話 「肥毒と水害」 (昭和28年9月26日)
「今年の六月十五日の時に「これから浄化が本当になるから、なにがあるか分からない」と言いましたが、それから間もなく九州の水害があり、それから今度の台風も、その掃除がなかなか念入りになってきました。今年のようにしつこい台風はないでしょう。
やはりいろいろ汚いものが溜まるからですが、土は肥毒が溜まり、人間は薬毒が溜まるのだから、どうしても神様は、だんだんきれいにするについては、いろんな方法で掃除をしなければならないのです。
昨日の演芸で柴田早苗という有名な人が来ましたが、夜眠られないと言うので、頸(くび)をちょっとみてやりましたが、その薬毒の固まりというものはたいへんなものです。
それで 「あなたは今日本では国宝みたいなものだから、治してあげるから月に二、三回来なさい」と言ってやりました。
それから堤真佐子という人が、私もついでにみてもらいたいというので、みてやったところが、早苗ほどではないが、ものすごいのです。
ああいう人は始終いろんな薬をのんでいるので、本当に浄化が始まったら命はありません。
だから柴田早苗にも言ってやりましたが、非常に喜んでました。
ですから現代人での少し新しいような、気のきいたような人間は、みんなこういうようだと思えばよいです。
そういうようなわけで、土は肥毒が固まっていてどうにもならないし、人間は薬毒の固まりみたいなものですから、前途が思いやられます。
自然農法ですけれども、だいぶ注目されてきたようです。
今年はいろんな害がありますが、特に病虫害、冷害、水害と、主な害が三つあります。そこであのとおり不作なのです。
いろんな数字がありますが、結局七、八百万石の減収は確かだと思います。ですから一割ではきかないです。とにかく大問題です。
それでまたこういう事情になればなるほど、自然農法の方が分かりやすいのです。
そんな影響で各地とも、その土地の篤農家とか有力者というのがよほど分かってきたのです。
ですから会員もドシドシ増えてますから、この分でゆくと、全国的に普及されるのはあんがい早いと思ってます。」
明主様御講話 「本当は十割増産」 (昭和28年10月5日)
「昨夜自然農法の報告を見ましたが、すばらしい成績で、ちょっと良い所は十五俵ぐらいとれてます。ですから五割増産というのは嘘になってしまったわけです。三倍増産です。
もっとも私は三年前に十割以上は増産になるということを書きました。本当は最初からそう書きたいが、そうするとかえって信じないと思ったのです。
五割でもなかなか信じないのですから、倍とか三倍と言うと、かえって逆効果になって、馬鹿馬鹿しくて信ずる気になりませんから、それで遠慮して五割としたのです。
ところが今度は、中京の渡辺さんが方々を調査した結果、去年十八俵とった伊野という人も、そのくらいはとれそうだということを言ってます。
そういうようなわけで、あっちの講演会などには人がたくさん来るようですし、会員もドンドンできるようです。ですから三倍増産は確実です。
ごく内輪にみて二倍としても、今の六千万石の二倍とすると一億二千石ですから、余ってしようがないことになります。
これを一度に世の中に知らせるため、なにかの方法をしようと思ってます。
なにしろ今年の不作は、新聞やラジオで言っているとおり、実に馬鹿馬鹿しいくらいのものです。ところがあくまで迷信に固まっているのです。
この間のニュース映画にもありましたが、虫害のためだと言って消毒薬、殺虫剤をさかんに撒いて、殺虫剤が足りないと言って、それを得ようとしてたいへんな騒ぎです。
そうすればするほど逆効果になって悪いのですが、それに熱中してやっているのですから、この間書いたとおり「超愚」です。
この超愚到る所にありで、これをなんとかして早く知らせなければしようがないのです。
今までのやり方、現在のは酷過ぎるし、またこっちでやる自然農法はあまりに良過ぎるのですから、両方の違いさというものは天と地ほどの違いです。まったく天国と地獄です。
というのは、つまりものすごい迷信です。医学迷信の方は、直接それほどはっきりはしないわけですが、今の米の方は実にはっきりしているのですから、非常にやりよいわけです。
この方は手っ取り早く分からせられるわけです。
二、三年たったらすばらしいことになると思ってます。」
明主様御講話 「本当は堆肥もやらない」 (昭和28年10月5日)
「ところで信者の人の中にも、まだ肥料迷信から抜けられない人がだいぶあります。
それで無肥料だ無肥料だと言いながら、ほかの物を使いたがったり、それからまた堆肥に頼るのが非常に多いのです。
ですから今書いているのは「堆肥迷信」というのですが、堆肥迷信もやはり一つの迷信です。
だから本当は堆肥もやらないで、土ばかりがよいのです。
ただ新しい土などの固まりやすい土を固まらせないために、堆肥をごく腐らして土同様になった物を混ぜるということと、果樹などの、根元の土が乾きやすいのには、そういうのを防ぐために、腐らせなくてよいから生の堆肥をたくさんやると、雨が降った時には根元に湿気を含んで乾かないために、それが有利なわけです。
ですから果樹などにはそういった意味で堆肥をやると非常によくできます。堆肥というのはそれだけの意味です。
古い土などは、そのままで堆肥もなにもやらない方がよいです。
それから前にも書いたとおり、ごく寒冷地は、根があんまり冷えては悪いから、そこで温めるために藁を土とねり混ぜて、根の底の方に入れて、根を冷やさないというだけのためであって、ほかにはなにもありません。
そういうようなわけで、堆肥迷信も分からせなければいけないわけです。
近ごろはだいぶそれが分かってきたようで、土に重きをおくようになりつつあります。」
明主様御講話 「深く耕すのが良い」 (昭和28年10月5日)
「それからもう一つは、今年の成績でよく分かったのですが、深く耕すということが非常によいのです。
それは今まで長い間たくさんやった肥料が、ちょうど稲の根が行くぐらいの所に固まっているのです。
というのは、今までは肥料をやるほど良いと思っていたから、なるべく根を肥料に近くするというやり方だったのです。
それで今度は肥料からの悪影響を受けないために深く耕すのです。
そうすると肥料の固まりの所が散らばりますから、つまり肥毒が薄くなるわけです。
そのために非常に成績がよいのです。
そういう具合に深く耕した所は、最初の年から三割くらい増産になってます。
初年度からそういうふうですから付近のふつうの農民にはすぐ分かるので、オレもワレもと、ドンドン増えるのです。
だから堆肥はなるべくやらないことですが、絶対にやらなければ、なお結構です。
ですから深く耕すということだけで初年度から増産になります。」
明主様御講話 「地霊について」 (昭和28年10月5日)
「それから土を穢さないようにということは、だいたい肥料というものは、地霊・・・土からは始終霊気が発散してますが、地球の真ん中は火の固まりで、それが始終上昇しているのです。
そこで地霊には非常に熱があるのです。熱といっても体的の熱ではなく霊的の熱です。
やはり浄霊と同じようなものですが、その熱が非常に強いのです。
それで肥毒がないとその熱が始終通るから、それが肥料になるのです。
それが地から上昇して空中にだんだん溜まって行くのですが、それが雨によってまた土にしみ込むということになり、それが窒素肥料です。
だから土から肥料となる霊気が絶えず上昇しているということを知っていればよいわけです。
そこで土を穢したりすると、それを妨げるわけですから、これもやっぱり「超愚」の方です。」