自然農法について 御講話 4


明主様御講話 「穂に穂が出る」 (昭和28年2月5日)

「これはお米のことですが、毎年朝日新聞社で、米の多作の日本一を決めるのですが、一日の朝日新聞に発表がありました。

今年の一番の人は香川県のOYという人で、六石三斗三升二合というのです。

俵にすると、十五俵三斗三升二合になります。ところが、昨日自然栽培の報告が来ましたが、これは岐阜県の伊野という人で、約十八俵くらい穫ったというのです。

これは座談会の形式で報告が来てますが、はっきりと調べてなかったのは残念です。

来年はぜひ朝日に出品するように言いましたが、とにかく断然すばらしいものではあります。

私は「五カ年で五割増産」ということを書きましたが、これはごく内輪に書いたのです。本当言うともっと増産できるのです。今の倍は確かです。

しかしあんまりそういうことを言うと、かえって信じないですから、信じそうな程度に五割としたのです。

ですから本当に肥毒がなくなると倍は穫れます。

というのは、肥毒がなくなると稲に枝が出るのです。今度もそいう報告がだいぶあるようです。

まあ、穂に穂が出るのです。だから枝が出るとすると、いくらでも増えるわけですからたいへんな成績になります。

病貧争絶無の世界ですからして、病気は浄霊で必ずなおりますし、貧乏の一番の因は農民ですから、農民は肥料代がいらなくなって、たくさんできれば、いやでも貧乏はなくなります。

それから争いですが、これは達者になって懐があたたかになれば、家庭の争いはなくなります。

家庭の争いがなくなれば、社会の争いもなくなります。」




明主様御講話 「土の清浄化を徹底せよ」 (昭和28年2月6日)

「毎年朝日新聞で米の成績を募集してますが、今年の一番は一日の新聞に出てましたが、香川県の大川義則という人で、反当り六石三斗三升二合というのです。

これは俵にすれば十五俵三斗三升二合になります。

ところがメシヤ教の方の今までの報告で一番多いのは、細かい数字は出ていませんが、約十八俵くらいだろうというのです。

そうすると断然日本一です。無論来年は朝日新聞に出すように言いました。

なにしろそんなに穫れるということは予想しなかったから、こういう所に出すということにならなかったわけです。

そういうような具合で自然栽培は、最初から私の言うとおりにした人はすばらしい成績をあげているのです。

昨夜来ただけの報告はみんな見ましたが、なにしろ薬迷信と同じように肥料迷信がしみついているので、私の言うとおりに思いきってしない人が非常に多いのです。

最初はオッカナビックリ廐肥(きゅうひ)を混ぜてみたり、ほかの物を混ぜてみたりして、思いきってできないのです。

それで年々減らしていって四年目にようやくぜんぜん無肥料にしたという人もあります。

それも無理はありませんが、つまりそういう不徹底さでは本当の成績はあがらないのです。やっぱりたいへんな迷信にかかっているわけです。

しかしだんだん方々の成績を見て、最初から信ずるという人もだいぶ出てきたようです。

それでもう二、三年たてば、これはたいへんな問題になります。
 

それからつまり指導者の人などで、まだ徹底してない人がだいぶあるようです。

説明の仕方がまだ弱いのです。これは断乎として、土を清浄にしなければいかんということを根本にして言わなければならないのです。

しかし地方によっては、信者以外の人で自然栽培に切り替えるという農民などもだいぶ出てきたようですから、年々拡がって行きますが、要するに時の問題です。

ですから最初は随分笑われたり非難されたりしたその苦しみをこらえるのが、なかなかたいへんなような話です。

随分涙ぐましいようなことを書いてありますが、それもたいして長いことはないのです。

一時的のものですから、そこで迷わず屈せず、たて貫くという、しっかりした決心を腹に固めなければいけないのです。

それで私は前に五割増産ということを書きましたが、あれはよほど加減して書いたのです。

本当は現在でも倍くらいは大丈夫です。

反十俵くらいの増収はなんでもありません。

最初にあんまり思いきって書くと、かえって信じないのです。

これで加減して、信ずる程度として五割としたのです。ですからそのつもりでやるといいです。

そうして近ごろはだんだん肥料の毒、つまり肥料によって虫が湧くとか、根張りが悪い、ということがだんだんはっきりしてきました。

これはやっぱり霊界の火素が増えるということがたいへんに関係があるのです。

つまり火素が増えると土自体の力が増すのです。そこで自然栽培なら良くできるということになるのです。

そこで肥料は土自体の力を弱らせるからよけい駄目だということになります。米の問題はそのくらいにしておきます。」




明主様御講話 「自然農法は御教え通りにやれ」 (昭和28年2月7日)

「それから今度のお蔭話の報告に、岐阜県の方の人で反当り約十八俵穫ったという人があります。

しかし細かく何斗何升ということを調べてなかったのは残念でした。

ところが朝日新聞で毎年日本一の米作りを募集してますが、四、五日前の新聞に今年の成績が出てましたが、一等が十五俵三斗三升二合なのです。それが日本一です。

これは今までにもないくらいのように書いてあったと思います。

来年は朝日新聞に出すように言っておきました。こういうことが日本一になると、自然栽培の効果というものが一遍に知れますから、非常にいいです。

まだいろいろあったようですが、これは今度の農業特集号に出しますから、それを読めば分かります。


それでお蔭話を見ると、やっぱりいろいろ迷ったり、中途半端な人は、やはりそれだけの結果しか得られないのです。

私の言うとおりに断乎としてやった人はみんな成績が良いのです。

これは、はっきりしてます。それで、一番肝腎な点は、肥料迷信は無論ですが、土を清浄にするということです。

これがどうも分からないらしいのです。

だから無肥料にしたとは言いながら、廐肥(きゅうひ)は差し支えないだろうと思って入れたり、ほかの変な物を入れるのですが、それがたいへんな災いをして成績が悪いのです。


それから、まだ迷信が抜けきれないので、藁をたくさん入れたり枯れ草を入れたりしてますが、これがかえって邪魔するのです。

本当言うと土ばかりが一番いいのです。混ぜただけいけないのです。

ではなぜ堆肥をやるかというと、土地によって固まりやすい土があるのです。これは赤土系統が多いのです。

それで土が固まるのがいけないので固まらせないようにするためと、稲などは温かい所はそうでもないが、東北のような寒冷地の所は、土を温めるほど良いから、そのために藁を切ってやるのです。


ところが私は随分書いているのですが、粗く切り過ぎていけないのです。五分や一寸くらいに切っては粗過ぎていけないのです。

それに稲の根伸びの時に妨害になりますから、一分か二分に切る方がいいのです。

ただしこれも、その土地によっては、非常に水が氾濫したりするのは浮いて流れるから、これも困るのです。

そういうのは三分か五分にしてもいいです。

それから、土に混ぜてなるべく浮かないようにしなければならないのです。

上っ側の方でなく、芯の方に深く藁を混ぜた方がいいです。


それからもう一つは、土地によって、気候の関係もあるし、水の多い少ないがあるし、それから水でも、高い山から流れてくるのと、低い山から流れてくるのは、まるで水の温度が違います。

それから日当たりの良い所と、山陰の所といろいろありますから、その状態によってそれに合うように工夫していくということが肝腎なのです。

それで根本は土を穢さないということです。

そうすればまず今までよりか倍は穫れます。ふつう反収五俵として、たいていな所で十俵は穫れるようになります。よほど条件の悪い所でない限り十俵は穫れます。これを頭に入れておくといいです。


それから種が非常に肝腎です。無肥の種と有肥の種とではたいへんな違いです。

今度の報告では、無肥の種ですと初年度から増収になってます。

それからこのごろは良く分かったでしょうが、最初のうちは黄色い穂が出るのです。

有肥の方は青いのが出るのに、こっちは黄色い、細いのが出るというのですが、これは肥毒のためなのです。

ですから、肥毒が抜けてしまえば、黄色いのも細いのも出なくなります。

それで二年も三年もやっていてそういうのが出るというのは、種と土地にまだ肥毒が残っているのです。

ですから少しでも黄色くなるうちは、うんと増収にはなりません。

最初から青い穂が出るようなら、これは肥毒が抜けているのですから増収になります。

それで肥毒がまったく抜けると枝が出るのです。穂が出るのです。ですからいくらでも増えるのです。

この穂に穂が出るようにならなければならないのです。

これは肥毒が抜ければ、よほどの寒冷地でない限りはそうなります。

それを心得てやれば、すばらしい成蹟が上がります。


それから二毛作、特に麦と交代でやりますが、これが非常に悪いということが今度実験によって分かりました。

ごく暖かい所なら二毛作で良いのですが、それはよほど条件がいい所でなければ二毛作は考えものです。

ですから今度も二毛作より一毛作の方がかえってよけいできている所があります。

麦と交代でするということも、いけない理由がまだ分からない人がだいぶあるようです。


それから連作です。この農民の考え方が、土というものをどうもおろそかにするのです。

だからして連作が良いということは、たとえて言えば、茄子なら茄子でいうと、土というものは茄子が良く育つように変化して行くのです。

ですから連作にすると、そのものに対する土の働きがだんだん強くなって行くのです。だから連作がいいのです。

そこで麦と混ぜると、土の性分は米が良く育つようになりつつあるところに麦を入れると、今度は麦の方の性分に変わって行きますから、それをチャンポンにやれば、土の性能は両方とも充分発達しないのです。

発達しかけたものが、パッと変わってしまうのです。

ですから連作もやはりそういう理屈なのです。連作するほど良くなるのです。

こういうことは今までの考え方とあべこべです。

今までは百姓は連作を非常に嫌いましたが、あれは肥料のためにああいうようになったのです。


そういうわけで、私の書いたものを見て、そのとおりにやることです。ほかのことをちょっとでもしてはいけないのです。

ところがどうも今までの習慣や言い伝えに捉われがちなのです。

だからよく書いてありますが「病気は浄霊でなおるが、なるほどそうだ。しかし作物の方は違う」というように考えているのですが、これは同じことなのです。

そのことも今度書きますが、今気がついたから話したのです。」




明主様御講話 「肥料迷信」 (昭和28年2月25日)

「自然栽培の報告がたくさん集まったので、今度特集号を作ろうと思ってます。

大体のことは今までにいくども説明してありますが、まだいくらか肥料迷信がぬけきれないというわけです。

ちょうど作物の肥料がぬけきれないように、作る人の頭の肥料迷信もぬけきれないわけです。どうも土に対する認識が薄いのです。

土というものの地力を出さないほどできが悪いのです。

それから、土だけを当にして、土だけを尊ぶ心を持っている人は非常に成績が良いのです。

だからこれも薬毒と同じで、今までと反対に考えてくればいいということになります。

お蔭話の中で一人だけは、ちょうど六年目で六割以上増産になった人がありますが、これは私の言うとおりにやって、言うとおりの結果になったわけです。

そうしていい原稿もだいぶ集まったので、今までは試験時代としていたが、これからは本格的に大々的宣伝をしようと思って、今そういう陣立てをしているのです。

今度の特集号に出す論文を読ませます。これは現在のやり方に対して、気のついた点を書いたのです。

根本的のことは今までに書いてありますから必要ないが、細かい点を書いてあります。

(御論文「自然栽培に就いて」)


それからお蔭話の中で、技術的のことがありますが、これはあんまり必要ありません。今までのやり方でいいのです。

それから土地によって非常に良く育つ所、つまり暖かい所、それからごく寒冷地という所は、種をまく時期も早くするとか遅くするとか、それは適宜に土地の状態に応じてやればいいのです。

よく、あそこではこういうやり方だから、それに習おうといったところで、長く作った所は肥毒が非常に多くしみ込んでますから、そういう所は無肥にしても、肥毒をとるのに年限がかかるわけです。

だからあんまり肥毒の多い所は客土したらいいのです。

客土ということも、客土すると一時良くとれますが、これは肥毒がないからとれるので、そういうところの考え方が今までの農民は非常に間違っていた。

今の農民は、一つ土を長くやっていると作物が肥料分を吸ってしまうので、それでできが悪くなる。

だから新しい土を入れれば、つまり土の肥料分が多いから良くできると考えているが、それはまるっきり違うのです。

つまり肥料がだんだん多くなって、土が死ぬからとれなくなるのです。ですから肥料をやらないで、一つ作物を作れば、だんだん土の力は増えるのです。

土の力が増えるということは、土の肥料分が増えるというのと同じことです。

その解釈のしかたが非常に違います。結局肥料迷信です。肥料を本位にする迷信です。それを破らなければならないのです。


とにかく日本は米が足りないために非常に輸入しなければならない。

ところがおもしろいのは、今までの輸入元であったビルマ、タイ、インドという所でも非常に足りなくなってきたのです。

そのためになかなか輸入に骨が折れるのです。

今度も黄変米とか言って、それを食べると、あてられて酷い目にあいましたが、そういう米でも、とらなければならないようになったのですが、中央アジアの方でもとれなくなったのです。

というのは、ああいう所も硫安を非常に使うようになったのです。

だから肥毒の害は日本ばかりでなく、ああいう所も非常に増えてきました。

そればかりでなく、結核もだいぶ増えてきたので、結核の薬も、ああいう所にだいぶ売れるようです。

だから自然農法は日本ばかりでなく、むしろ世界的の救いになるわけです。

まったく人間の考えというものは非常に浅いものです。

やっぱり硫安などをやると、一時何年間か非常に良くできるので、すっかり惚れ込んでしまうのです。

ところがそうしているうちに、だんだんとれなくなるのです。

それで、とれなくなったことに気がつかないで、最初の一時良くなったことがすっかり頭にしみ込んでいるのです。

ちょうど麻薬と同じことです。最初は美人なので惚れているうちに、それがカサッかきになっても、それに気がつかないというわけです。


昨日、熱海から出た元代議士でKYという人が来て、ぜひ御相談したいことがあるというので聞いてみると

「自分の知人でたいへん良い肥料を発明したから、自分も大いにそれをやるつもりだ」と言うので、

よく聞いてみると「薩摩芋を腐らせて、それをやると四、五割増産する」と言うのです。

それで私は「それはよしなさい。一時増えても、いずれは駄目になるのだから、なんにもならない」と言ってやったのです。

その人は、農業部門に非常に興味を持っているので、ぜひやりたいと言うのです。

「それでは私の方の自然農法をやりなさい」と言ったら、だいぶ分かって帰りました。

それで芋の方は止めると言ってました。先方もいろいろ聞きますから、根本を話してやったのです。


大体薩摩芋というものは、神様は人間の食物として作られたので、それを腐らせて肥料にするということはたいへんもったいないことであり、ぜんぜん理屈に合わない話だから、それで反対するのだと言ってやったのです。

そういうようなわけで、すべていかなるものでも、その用途というのは神様が決めてあるのです。

それを人間が人間の智慧でほかのところに使うというそのことが非常に不自然なのです。反自然です。だから一時は良くても結局駄目になります。

そういうことの解釈がみんな違うのです。これは唯物科学の間違いです。

そういうようなわけで、根本を知ればいいのです。

だから土というものは、米を育てるために神様が作られたのだから、そのままでやればいいわけです。

それをいろんなものを入れるということは、それだけ土を穢すということになります。

ということは邪魔をすることになります。土が働こうとするのを働かせないようにして、とれないようにするのですから、これほど間違ったことはありません。
 

それで私が自然農法の根本を知ったということはそこにあるのです。

私が宝山荘にいた十年の間研究した結果少しも間違いがないので、そこで作らして今日に至ったのです。

とにかく信者の人だけは大体分かったので、これからは世間的に分からせなければならない。

とにかく未信者が実行するようになると非常に早いです。

そこで「信者にならなければいけない」ということになると普及が非常に遅くなるから、そうすると日本の現状を救うということが遅くなるのです。

だから私は信仰に関係なく、肥料なしでかえって良くできるということも知らしてあるのです。

その点においても、信者の人で間違った考えをしているのです。

浄霊も、大勢に見えるようにしてやっているのはいけないのです。

というのは「あんなことをしなければ良くできないとすると考えものだ」ということになりますから、

だから「浄霊もなにもしなくて、ただ肥料がなくなれば良くできる」ということを知らせるのです。

だからこの無肥料栽培を、信者をつくる目的のために利用するということはいけないのです。

そんなことよりも、日本が困っているのを早く良くするということを根本にしてやるといいのです。

ですから浄霊も、それはぜんぜん秘密にしなくてもいいが「信仰でこうやれば、こんなにとれる」ということをみせびらかすという考えはやめるのです。

それについて、今度会を作ろうと思って、その会の趣旨を書いてみました。

(御論文 自然農法解説書 序文)


これは小冊子に作って、できるだけ多くの人に見せようというわけです。

地上天国の半分の大きさで百五十頁くらいにして、できるだけ安くして手の出しいいようにするつもりですが、細かい規約のようなものは幹部の人が相談して作ることになってます。

できたら読めばいいですが、私の考えとしては一村一支部というようにして、支部長は救世教の教会の支部長というような人が兼任してはいけないのです。

これはぜんぜん別にして、信者でなくてむしろその土地の篤農家のような人がなるといいのです。

それを中心として座談会とか指導ということをやるようにして行くと非常に普及が早いのです。

この方は医学革命と違って、現実にたくさんとれるのですから分かり良いのです。

今言ったような方針でやっていくつもりです。

ですから農村の人を早く分からして、一村一カ所の支部を作るように大いに活動してもらいたいと思います。」




明主様御講話 「自然農法と浄霊」 (昭和28年2月26日)

「自然栽培の報告が集まりましたが、やっぱりだんだん良くなってきて、今年の成績をすっかり集めてみると、もうなにも心配のない成績が確実に現われたわけです。

特に昨日来た佐渡の報告ですが、それはまた非常に良いのです。

最初の年からみんないくらかずつ増えているのです。おまけにあんまり浄霊しないのです。

ですからただ肥料をやらないで良くできるというので、未信者の百姓がどんどんまねしているのです。

大きな村でしょうが、今度村長もきり換えることになりましたが、その状態をみますと、まず数年で佐渡の島全部が自然栽培になりそうな形勢なのです。

それについていろいろ総括して書きました。

それから自然農法普及会という会もつくることになりましたが、そういうことを詳しく書きましたから今読ませます。

(御論文「自然栽培に就いて」)


最後にも書いたとおり、ちょっと考え違いをしている点があるようです。

それは、信者にならなければ良くできないということを知らせようと思っていることがたいへんな間違いです。

「信者にならなければならないとすると、面倒臭い。だからもう少し見合わせよう」と躊躇しますから、そうするとそれだけ普及が遅れますから、日本の増産を妨げることになります。

それで佐渡では浄霊しないのですが、一番良くとれるのです。それは神様の御趣旨に合っているからです。その点が大事です。

だから浄霊すれば、肥毒を消すから良いには違いないが、しかしそのために未信者の農民が見て「あんなことをしなくては良くとれないなら、面倒臭いからよそう」ということになって拡まらないことになる。

そうすると「日本が現在困っている食糧問題を解決して、食糧増産をしよう」という神様の御趣旨に反することになる。

そこで佐渡では浄霊しないで、最初の年から良くとれたということは、神様の御趣旨に合うからです。

だから根本的の考えでなければならないのです。上っ面でなくて、この目的はどこにあるかという、つまり大乗的考えです。

ところが中には、大いに信者をつくる一つの手段にしようと考えている人があるようですが、それは考えなければならない。

日本の大勢の人が困っているのを救うには、どうすればみんなが一番実行するようになるかということが肝腎ですから、それに合うようにしなければならない。

だから浄霊してもいいから、人に見えないように、夜にでも浄霊するのです。つまりできるだけ人に見られないようにやるのです。それで浄霊も日に二、三度でたくさんです。あんまり浄霊にこだわってはいけないのです。

と言っても、病気の場合にその考えを起されると、それは困ります。病気の場合は浄霊するに限るのです。

ですから自然栽培の場合と一緒にしないようにすることです。別々に考えなければならない。

病気をなおす場合はできるだけ信者にした方が早くなおります。そういうように別々に考えるということにするのです。


一昨日、熱海から出たこの前の代議士で小松勇次という人が来て、今度自分の友達で茨城県かどこかにいる人でたいへんな肥料を発見した、と言うので聞いてみると、

薩摩芋を腐らして、それを肥料にすると非常に良くできるというので、ぜひ賛成して力を貸してくれと言ってきたのですが、

私は頭から「それはよしなさい。それは一時的には何割か増産するが、しかし何年かやっているうちに元のとおりになる、あるいは元より悪くなるから」と言ってやりました。


それはどういうわけかと言うと、芋というものは、神様は人間の食物としてこしらえてあるのだから、それを腐らして肥料にするということは神様の御意志にぜんぜん反することになり、良いわけがないのです。

だからすべて、これは神様の御趣旨、目的はどの点にあるか、どういう御意志かということをはっきり分からなければならないのです。

それですべて一時的に良くなるものはいけないのです。

薬でも、今言う肥料でも、一時的ですからいけないのです。

それは硫安などをやると一時うんとできます。

そこで「これはいい」ということになって、反対に悪くなってもそれに気がつかないのです。

ちょうど猫が屋根の日の当たる所で日向ボッコをしてますが、ところが日の当たらない時にも、日が当たると思ってやってます。それと同じことです。

その時だけ良いと、ずっと良いと思って続けるのですから、猫を笑うことはできません。

それも、猫ぐらいならなにも損はいかないからいいが、人間の方はたいへんなことになります。


今米の輸入で払う金が一千億以上です。ところがビルマ、タイ、インドという所でもだんだん米が足りなくなってきたのです。

それは人口が増えるためもありますが、あっちの方もやはり硫安を使い始めたからです。

日本からもだいぶ輸出してます。それで一時良くなるから、それに迷わされてやっているうちに悪くなってきたのです。

だから最近は向こうから輸入するのもなかなか骨が折れるのです。

それで、向こうでも苦しまぎれに黄変米などを出してますが、それを食べたらみんなあてられましたが、この損も二億何千万というのですからたいへんなものです。

それは虫を防ぐためかなにかで、薬をつけたのでなくて、蒸すか、煙でやったのではないかと思いますが、なにしろあの毒というものは薬毒です。


そういうようで自然栽培というものは、ひとり日本ばかりでなく、他国の間違ったことも救うことになるのです。

そういうようなわけで、今度はできるだけ早く日本を救わなければならないというので、自然農法普及会という会を作ろうと思っているのです。

それは大体一村一支部という目標です。調べてみると、日本の村の数は一万いくらあるのです。

その中でいろんな事情から、支部を作ってもいい村が一万はあるわけです。

それで大体一万を目標にして、これから支部を作るべく運動をするつもりです。

細かいことは教団の幹部会でいろいろ案を練って作るわけですが、支部長というのはぜんぜん信仰と関係のない人で、信者でなくていいのです。

なるべく村の篤農家とか村長というような信用のある人が一番いいです。

そうしてそこで毎週座談会をやるとか、指導者がいて指導するとかして、急速に日本全国を自然耕作にしてしまうということです。これは割合に早く行きます。

なにしろ佐渡などの状態をみると、十年かからないうちに佐渡は全部自然農法になってしまいます。

それで今度の報告の中にこういうのがありました。

その人は一番早くからやっていて六年目です。それで六年目に、まわりの田からみると六割以上増産になってます。

これは今度の特集号に出てますが、それは毎年だんだん増えて行って、ちょうど六年目に六割以上増産の数字が出てます。

それから今年のお蔭話にはなかなか優良なのがたくさんあります。

質でも、一等賞、特等賞の賞状を県の農協や知事からもらった人があります。

そういうようにいよいよ安心して大々的普及宣伝をしていい時期が来たわけです。

ですからこれが本当に拡まったらたいへんなものです。

まず肥料代でも何百億というのですから、それがなくなると一千億以上の輸入代がいらなくなるし、そのほかに労力も軽減するし、いろいろな虫害がなくなるから、一カ年間何千億の得ということになります。

それだけ税金が減ったら、税金地獄からもぬけられることになります。

ですからこれは一つ大々的にやりたいと思ってます。

病気の方を分からせるのはなかなかたいへんですが、この自然栽培の方はとても楽ですから、これを早くやった方がいいと思ってます。」