自然農法について 3
明主様御教え 「農業の大革命 五カ年にして米の五割増産は確実」 (昭和27年1月30日発行)
(一)
「私は十数年以前から、自然栽培法といって、金肥人肥を用いず、堆肥のみの肥料を使って、
農作物の大収穫を得る事を発見し提唱して来たのであるが、
その当時農民に向かっていかに説得し信じさせようとしても、
仲々耳をかす者がなく随分努力をしたが思うようにはゆかなかった。
しかし最初からの私の信念は、これこそ絶対の真理である以上、
いつかは必ず分る時が来るに違いないと共に、
これによらなければ農民はいつになっても救われないばかりか、
国家の運命にも至大なる関係がある事を考え、たゆまず屈せず今日に到ったのである。
ところが幸か不幸か、私の憂慮した通りの重大なる事態となって来た今日、
農民諸君はもとより一般日本人にも分らせなければならない事を痛感するのみか、
この自然栽培の前途にもようやく光明が見え始めたので、いよいよ時機到れりと、ここに大宣伝を行う事となったのである。
そうしてこの農法に都合のよかった事は、私が宗教家であるだけに、
信者は不思議な説とは思いながらも、ともかく信じて実行に移った者も少なくなかったので、割合早く効果が分り、共鳴者もおいおい出来、
最近に至っては信仰者ならざる一般農民層も、ようやく注目を払うに至ったのである。
しかも今回別項のごとく農林技官金崎貞男氏が、職掌柄技術方面の見地から、数年に亘って熱心に研究の結果、
ここにいよいよ驚異すべき成果を認め、発表する事となったので、私としては喜びに堪えないのである。
それというのも一般はこの栽培法は宗教から出たという理由で、ともすれば迷信視せられ勝ちなのが、
同技官の発表によって、それを打消すに大いに力あると思うからである。
言うまでもなく現在日本における最大の悩みは、何と言っても主食の不足である。
何しろ終戦後狭くなったこの国土に対し、人口の方は増えるばかりで、
現在までに八千四百万というのであるから、ここに緊迫せる問題となったのである。
しかも本年のごときは、二千数百万石の不足となるので、
それがため各国からの輸入によって、辛くも安定を得ているに過ぎないと共に、
その輸入額に至っては、実に千数百億に上るのであるから、
国家経済の上からいっても、実に容易ならぬ事態となったので、
この解決が出来ない限り、我国の前途や全く寒心に堪えないものがある。
のみならず世界の状勢によっては、いついかなる事態が発生するやも分らないのだから、
全国民に対する絶対量の確保は、どうしても達成しなければならないのである。
そこで政府も農民も、あらん限りの手段方法を尽してはいるが、
仲々思うようにならないばかりか、ややもすれば減産の傾向さえ見える。
本年のごときは、昨年よりも約三百万石の減収であるに対し、
彼の産制も期待薄く、人口増加の趨勢は今のところ年百万以上と見ねばなるまいから、
この大危機を解決するには、何らか画期的大奇蹟でも現れない限り、どうしようもないのである。
しからばなぜ我国が全人口を養うに足るだけの米の産額を得られないかというと、これこそ私が言わんとするところの根本理由である。
それは現在までの農耕法に一大欠陥があったからで、
その欠陥というのは金肥、人肥のごとき人為肥料であって、それに気が付かなかったのである。
ではなぜそれ程の過誤が、今日まで分らなかったかというと、
長い間にしらずしらず一種の肥料迷信に陥ってしまったのである。
ところが私はそれを発見した以上、その迷夢を醒まし、農耕法の大革命をしなければならないと痛感し、この運動を起したのである。
ここでいよいよ本農法が、堆肥のみで大収穫を得られるというその原理と、方法を詳しくかいてみるが、
その前にまずこの自然栽培法の効果である。
それはこの方法を五カ年継続すれば、全国を平均して五割増産は易々(いい)たるものである。
としたら恐らく何人といえども到底信じられないであろう。
そこで現在の平年作六千三百万石とみて、五割増産は九千四百五十万石となるから、
日本人が鱈腹(たらふく)食っても、なお一千万石の余剰米が出来るから、
今度は反対に輸出しなければならない事になろう。
そればかりではない、肥料代も要らず、虫害は何分の一に減り、風水害も半分以下に減るから、
労力もまた半減するであろうし、実に驚異的農耕法である。
以上は米のみについてであるが、この自然栽培法は一般農作物に対しても同様であって、それらもザットかいてみるが、
まずいかなる野菜でも素晴しい実績が挙がるのはもちろん、
例えば薩摩芋なども驚く程巨大なものが出来、一個の目方五、六百匁くらいはザラであるから、総収穫量も有肥よりも二倍以上は確実である。
また豆類も粒が大きく、数量も増えるので、三倍くらいの収穫は容易である。
大根なども色白く、キメ細かく粘っとりとして、ザクザクなどは更になく、
すこぶる美味であり、菜類も色がよく虫喰がなく、軟かでこれまたすこぶる美味である。
その他、トウモロコシでも、かぼちゃでも、スイカ等、野菜と名のつく野菜は何でも好く、一々は略すが到底想像だもつかないのである。
そうして特筆すべきは、自然栽培で出来たものの素晴しい美味である。
米麦でも野菜でも一度味を覚えたら、有肥栽培の物は到底食う気にはなれなくなる。
現に私なども無肥のもののみを食っているが、幸いな事には無肥栽培者がますます増えるので、
現在は食い切れない程貰うのである。
また果実も同様人為肥料を廃めてから、年々収穫が増すと共に質も良好で、多収入となり、皆感謝している。
花卉(かき)にしても花は大きく、色鮮かで美しく、生花などに使う場合、長持がするとて喜ばれている。
次に自然栽培は、害虫が激減する事である。
元来害虫なるものは、人為肥料から湧くものであるから、廃止すれば湧かないに決まっている。
ところが現在は害虫を駆除しようとして、殺虫剤や消毒薬をさかんに用いるが、
実はこれが土壌へ浸み込んで、害虫発生の原因となるので、その無知なる哀れむべきである。
そうして近頃のごとく、毎年と言いたい程、風水害をこうむるが、自然栽培によれば、実に被害が少なくなる。
という訳は本来作物が人為肥料を吸収すると意外にも非常に弱くなるもので、それはこういう訳である。
すなわち人肥でも金肥でも、作物が吸収するやそれが有毒化し、
その毒が害虫の食物となり、繁殖するという理由を私は発見したのである。
また肥料によっては肥料自体から微生虫が湧き、それが作物そのものを食いつつ殖えてゆき、根に発生すれば毛根を喰い荒し、弱らしてしまう。
葉枯れ、茎折れ、花落ち、実の不熟、馬鈴薯の萎縮などの原因もそれである。
また毛根以外の場合にも、種々の微生虫が発生するが、
作物自体が健全であればそれを死滅させるカがあるが、
前記のごとく肥料のため脆弱(ぜいじゃく)となっている以上、微生虫に負けてしまうのである。
また風水害に遭っても無肥の方は強靭で、倒伏も少なく、倒れても直に起上るが、
有肥の方は倒れたままで、大きな被害をこうむるので、この理由として根を見ればよく判る。
無肥の方は毛根が有肥のよりも、ズット多くて長いから、根張りが強いためである。
また稲でも野菜でも、葉の短いのが特徴であって、
これはあらゆる作物について農民も知らるる通り、丈が低く葉伸びの少ない程、実が多く生るとしている。
これに反し有肥の方は丈も長く、葉も大きいから、見た目は立派だが実りは案外悪いものである。
次に蚕であるが、これも無肥の桑で育てると非常に健康で、出来た糸質も強靭で光沢がよく、極めて優良でもちろん増産になる。
それは病蚕発生がないからでもある。
以上のごとくあらゆる耕作物は、有肥栽培に比して無肥栽培の方が、比較にならない程有利であるかは以上の通りである。
それについて知らねばならない事は、第一土なるものの性能である。
そもそも土とは造物主が人畜を養うために、作物を生産すべく造られたものである以上、
土そのもの本質は肥料分があり余る程で、言わば肥料の塊りといってもいいくらいのものである。
それを今日まで全然知らず、肥料は作物の食物のように誤ってしまい、
色々な人為肥料を施した結果が、意外にも土本来の力を弱らせてしまったのである。
よく日本の土質は酸性だと言われるが全くそのためである。
としたら何と驚くべき錯誤ではなかろうか、この意味において作物を増産せんとするには、
土自体の力を出来るだけ強化させる事である。
ではどうすればよいかというと、それは土に対し堆肥以外いささかの不純物も混えず、
出来るだけ清浄にする事で、それだけで素晴しい成績を挙げられるのであるから、
今までの頭脳では到底信ずる事は出来ないのである。
右の理によって、自然栽培の根本理念は飽くまで自然尊重であって、それは自然がよく教えている。
およそ世界にある森羅万象あらゆるものの生成化育を見れば分るごとく、
大自然の力すなわち太陽、月球、地球というように火水土の三元素によらぬものは一つもない。
もちろん作物といえどもそうであるから、日当りをよくし、水分を豊富にし、土をより清くする事によって、作物は人間の必要以上余る程生産されるものである。
見よ地上には枯草も落葉も豊富に出来、年々秋になればそれが地上を埋め尽すではないか、
これこそ全く土を豊穣にするためのものであって、それを肥料にせよと教えている。
そうして耕作者は堆肥に肥料分があるように思うが、決してそうではない。
本来堆肥の効果は、土を乾かさないためと、温めるためと、固めないためである。
つまり水分を吸収し、熱を吸収し、土が固まらないようにするにある。
この理によって稲に与える肥料は、藁を出来るだけ細かく切り、土へよくねり混ぜればいいので、それが自然である。
藁は稲の産物であるからで、これは根を温める効果がある。
また野菜の方に枯草や落葉がいいのは、畠の近くには必ず林があり、落葉、枯草があるにみて、それを使えという意味である。
そうして地球の中心は巨大な火の塊りであって、不断にこれから地熱すなわち、地霊を放射している。
これが窒素であって、この窒素こそ神が与えた肥料で、地表を透過し地上ある程度の高さに達して滞溜し、それが雨によって地上へ降下し、地面に浸潤する。
これが自然の窒素肥料で天から降ったものであり、もちろん量においても過不足なくちょうどいいくらいなのである。
ではなぜ窒素肥料を使い始めたかというと、これには理由がある。
彼の第一次大戦の折、ドイツにおいては食糧不足のため、急激に増産せねばならず、
そこで空中から窒素を採る事を発見し、使用したところ大いに増産されたので、
それ以来世界的に普及されたのであるが、右は一時的効果であって、決して長く続くものではない。
いずれは窒素過剰に陥り、土が弱って減産する事になるが、その理がまだ判らないのである。
つまり麻薬中毒と同様であると思えばいい。
ここで注意すべき事がある。
それは自然栽培に切替えても、その水田の土と種子に残っている肥毒の多少が、大いに影響する。
例えば本栽培にしても、ある水田は一年目から、一割くらいの増収になるところがあるかと思えば、
一年目二年目共一、二割の減収で、ようやく三年目になってから一、二割の増収となり、漸次予期の成績となるのである。
従ってまず普通としては一年目従来と同様、二年目一割増、三年目二割増、四年目三、四割増、五年目から五割増とみれば、まず間違いはあるまい。
従ってもし余りに成績の悪い場合は、人為肥料が多量に残っているためであるから、一時客土によって緩和すればよい。
今一つ重要なる一事がある。それは硫安のごとき化学肥料は、稲が吸収する以上、
その劇毒がたとえ微量であっても、人間は一日三度ずつ腹の中へ入れるのだから、
しらずしらずの内に人体に害を及ぼすのは当然である。
近代人の罹病率が多くなったのも、そうした原因もないとは言えないであろう。
最後に自然栽培に対する経済的利益をザット挙げて見るが、
(一)肥料代が要らなくなる
(二)労力が半減する
(三)収穫が大増量する
(四)目方が増え、炊き減りがなく美味である
(五)虫害はほとんどなくなる
(六)現在最も悩みの種とされている回虫やその他の寄生虫問題も、完全に解決する
以上によってみても、本栽培法がいかに画期的で一大福音であるかが分るであろう。
この実行によって日本の食糧問題は、一挙に解決するはもちろん、
それが動機となって他のあらゆる問題、特に人間の健康に対しても、好影響を与えるのはもちろんである。
この栽培法が日本全土へ行き渡るとしたら、日本の再建を早め、高度の文化国家として、全世界から仰がるる日の来る事は断じて間違いないのである。
この意味において私はこの特集号をもって、一人でも多くの日本人に読ませたい念願である。
最後に言いたい事は、これをもって宗教宣伝のためにする意志は毫末(ごうまつ)もない事で、
それは無信仰者でも実行すれば、右のごとき好成蹟を挙げ得るからである。」
(二)
「今度各地から報告された昨年度の成蹟をみると、時期が早いため収穫までに到らないものもあって遺憾ではあるが、
しかし大体は判ったので、これについて私の感想をかいてみるが、
何よりも自然農法は、今まで作物の生命と頼んで来た肥料を否定するのであるから、
最初は家族をはじめ、村人等から思わざる非難攻撃を受け、嘲笑の的とされるので、
実に血の涙で隠忍自重、黙々と頑張り通して来た事は、読みながら私は目頭が熱くなるくらいである。
全く信仰ならではという感が胸に迫るが、何しろ先祖代々肥料迷信になり切っている人達からみれば、反対するのも無理はない。
これについておもわれる事は、歴史上今日でも、人類に多大な貢献をなしつつある発明発見といえども、
その当初は例外なく誤解と迫害を浴び、苦心惨澹(さんたん)押切って来た幾多の記録は、吾々の魂を揺り動かさずにはおかないものがある。
そんな訳でこの自然農法といえども、一時は相当反対されるであろう事は覚悟はしていたが、
何といっても実際に驚異的成果を挙げる以上、ある時期までの辛抱と思っていた。
ところが予期のごとく、ようやく各方面の注目を惹くに至った事は、今度集っただけの報告をみてもよく分る。
しかし最初は何といっても周囲の事情も悪いし、本人でさえ確信がもてない事とて、思い切って堂々とやり始めた人は少なく、大部分はオッカナびっくり試作的に始めたのである。
しかも土地にも種子にも肥毒が相当滲み込んでいるので、
最初の年などは枯死するかと思う程の黄葉、細茎等で、これを見ては不安焦燥、ひたすら神様に祈るのであるが、
収穫時になると案外好成績なので、ホットするとは誰もがいう言葉であって、
この難境を切抜けてこそ、勝利の栄冠をかち得るのである。
しかし本当をいうと四、五年本栽培を続けて、五割くらい増産の各地からの報告を載せたかったのだが、
それまで待たれない程の目下の実状であると共に、最早今までの実蹟だけでも、本栽培の効果は充分判ると思うから、
とりあえずこの特輯号を刊行し、早急に農業者は固より、一般人にも知らせるのである。
右の意味において、この際目からも耳からも入れるべく、
この特集号は各大臣、国会議員、主なる新聞社、全国の農事試験場、農会、農事関係者等に、
あまねく配布すると共に、準備つき次第全国的に本部から出張講演する予定である。
従って農村の信者諸君は固より、一般信者諸君においても、大いに宣伝し、勧告されん事を望むのである。
次に最近の新聞紙上によれば、政府も思い余ったとみえ、本年度から莫大な費用を支出し、
あらん限りの方策をたて、一ヵ年三百万石増産の計画を実行するとの事である。
それもいいが今まで通り金肥人肥を使用するとすれば、他の農事改良や種々な方法を講じても、三百万石増産はまず夢でしかあるまい。
私の推測では旨くいって平年作か、下手をすると昨年のごとく減産になるかも知れないとさえ想えるのである。
ゆえに何としても肥料迷信を目醒めさせ、一日も早く自然農法に切替えたいと思うのである。
しかし幸いこの事が分って実行するとしても、日本全国を一挙に切換えることは無論不可能であるから、
慎重の上にも慎重を期し、まず一ヵ年一割ずつ十年計画で実行すればいい。
そうすれば全然減産の心配はなく一、二年は平年作とみて、三年も過ぎると漸次増産となり、
五、六年経た頃から五割以上は、太鼓判をおしても間違いないのである。
ここで特に言いたい事がある。
それは未信者ではちょっと分り難いが、元来人間の主食である米というものは、神が人間を養うがために造られたものである以上、
人口がいかに増えても必要量だけは必ず生産されるはずである。
ところが現在のごとく一ヵ年二千万石も不足するというのは、
全く間違った農耕法、すなわち、人為肥料を用いるからであって、
前記のごとく五割以上増産になるとしたら、日本経済はどうなるであろう。
借金王国の有難くない名は逆となって、国民は鼓腹撃壌(こふくげきじょう。世の中の太平を楽しむこと)という文字通りの時代が来るのは必定である。
こんな事をいうと余りに棚牡丹式で、反って疑念が起るかも知れないが、私は根拠のない事は言わない、
実績報告中にもある通り、自然栽培によって肥毒がなくなるに従い、稲は穂に穂が出る。
すなわち一本の茎から何本もの枝が出て、その枝にことごとく実が生るから、少なくとも一茎で三百ないし五百粒は確かである。
その上虫害もなく、風水害も激減するとしたら、昔から言われる豊葦原瑞穂の国の名に愧じない国となるであろう。
以上によってみても、今後日本の人口が一億になり、二億になり、三億になっても、
現在の耕地面積そのままで充分養える事は、断言してはばからないのである。
次に今一つ言いたい事がある。
それは報告中の随処に出ている浄霊の文字である。
これは未信者には分り難いだろうが、分かる分からないは別として、ザットかいてみるが、
つまり浄霊とは肥毒を消す方法である。
何しろ手をかざしただけで、素晴しい効能があるのだから、唯物思想で固まった頭脳では到底分りようがない。
しかしこれこそ本教の真髄であるが、ここでは略す事とし、まず土の解剖をしてみよう。
本来 土と言うものは、霊と体との二要素から成立っているもので、体とは土そのもので、
霊とは目には見えないが、土の本体である、言わば体は表で霊は裏である。
ところが肥料は毒素である以上、土の体を弱らせるから、それが霊へ映って曇らせる。
というのは霊主体従が万物の法則であるからで、言わば浄霊とは肥毒解消法である。
すなわち浄霊の場合掌から一種の強力な光波が放射され、霊の曇りは払拭されるので、それが体に移って肥毒は減るのである。
これが真理であって、この理を知らない科学は、半面である体だけを対象とする。
つまり跛(は)行的学問である。
このような不完全な科学と伝統的考え方のため、肥料によって土を弱らして来たのである。
この原理を私は発見し、ここに自然栽培法が生まれたのであるから、これこそ真の科学であり、世界的大発見であろう。
従って画期的増産の実を挙げ得るのも、何ら不思議はないのである。
最後に注意すべき事がある。
それは私の唱える五ヵ年にして五割増産というのは、普通量の人為肥料を施した田を標準としての成果であって、五年くらいで肥料分が全く消滅するからである。
ところが近来は収穫を挙げようとして至るところの農村は、硫安のごとき化学肥料を多量に用いるようになったので、
今日自然農法に切換えても、肥毒が全く消滅するには、それだけ暇がかかるから、五年以上と見ねばなるまい。
これは報告中にもある通り、自然栽培を実行してもその成績に相当差別がある事で、これこそ肥毒の多少によるのであるが、これもじき分る。
すなわち出穂の場合黄色を帯びている間は肥毒のあるためで、肥毒がなくなるに従い、初めから青穂となる。
従ってそのための浄霊であるから、五年以上経って肥毒皆無になれば浄霊の必要もなくなる訳である。
次に客土をすると、一時的成績が良くなるのは、肥毒のない土を入れるからであって、
この事だけでも肥毒の害が分りそうなものだが、分からないのは全く肥料迷信に陥っているからである。」
明主様御教え 「自然農法で三割増産・法話 四」 (東京日々新聞 昭和28年2月27日発行)
「次に自然農法の原理について簡単にいうと、土の偉力を発揮させることだ。
自然農法の名は人肥、金肥は一切用いず堆肥だけの栽培で堆肥の原料である枯葉も枯草も自然に出来るものだから私がこうつけている。
そもそも森羅万象どんなものでも大自然の恩恵に浴さないものはない。
つまり火、水、土の三原素によって生成化育するということがいえる。
三原素を科学的にいうと火の酸素、水の水素、土の窒素であって、どんな農作物でも、この三原素から成立っているわけだ。
大体神は人間をこの地上に造った以上、人間に食物を与えないわけはない。
国がその有する人口だけの食糧を保障することも出来ないなら、それは神の造った自然の法則にそわないものがあるからだ。
だから自然の法則を無視した人間が、人為的な肥料ばかりを使ってきて食糧不足に悩むのは当然である。
この意味から現在の農耕法は進歩どころか逆に退歩したといえるだろう。
なるほど農産物に肥料をやれば一時は相当の効果はあるが、しばらく続けると逆作用が起る。
つまり作物は土の養分を吸うための本来の性能が衰え、いつのまにか肥料を養分としなければならないように変質してしまう。
このことは人間の麻薬中毒にたとえれば一番よく解る。
最初麻薬を使うと一時は快感を覚えたり、頭脳明晰になるが、程度を越すと、その味が忘れられず、だんだんと深味に陥り、ついには抜き差しならぬようになるのと同様である。
農民は長い間肥料の盲信者になっているから中々目が醒めぬ。
わたしの自然農法は信仰が土台となっているから私のいう通り何の疑もなく実行して貰わなければ困る。
農民の中には私の説を信じて、最初は人為肥料をやめて農耕するのだが、数カ月して思わしくないとすぐやめてしまう。
これではだめだ。自然農法はまず最初苗代(なわしろ)から本田に移したとき、しばらくの間は葉色が悪く茎も細く、他の田より見劣りがするが、
二、三カ月過ぎると立直りを見せ、花の咲く頃には更によくなるという状態が続く。
いよいよ収穫の段になると数量は予想以上によく、品質が良好で、艶(つや)も粘着力もあり、美味で目方も有肥料米よりは五パーセントから十パーセントくらい重く、
特に面白いことは、コクがあるから二、三割くらい炊増しとなり、経済上からも非常に有利だ。
だから日本人全部が自然農法を行えば三割増しになって輸入米などの必要はなくなるということになる。
この経過を更に精(くわ)しくいうと最初の二、三カ月くらいは見劣りがするのは種子にも田地にも肥毒が残っているからで
時が経つにしたがって土も稲も肥毒が抜けていくので、本来の性能を取り戻し、だんだんと好転してゆくわけだ。
例えば洒水(しゃすい)したり大雨が降った後で不良田が良くなるのは多かった肥毒が洗われて減少するのである。
少し作物の生育が悪いと客土し、少し良くなると農民は長い間土の養分を作物に吸われ土は痩せたのだから新しい土を入れればいいというのは、間違った考えで、
実は段々と肥毒によって土が衰え痩土(そうど)となったためで、こんな考え方は農民が肥料迷信にかかっているからだ。
自然肥料実施をくわしく説明すると稲作に対しては稲藁を出来るだけ細かく切り、それをよく土にこね混ぜる。
これは土を温めるためでまた畑土の方は枯葉や枯草の葉筋が軟かくなるくらいを限度としてくさらせ、それを土にまぜる。
これは土が固まっていると植物が根伸びする場合、尖根(さきね)がつかえて伸びが悪いから固まらないようにするためである。」
明主様御教え 「腹の虫は人為肥料から・法話 五」 (東京日々新聞 昭和28年2月28日発行)
「また浅根の作物は畑土に草葉の堆肥をまぜるだけでいいが、深根のものは、特に畑土一尺くらい下の方に木の葉の堆肥の床を作るといい。
堆肥の効果は土を固めないためと土を温めるためと、もう一つは作物の根際(ねぎわ)に土乾きがする場合乾きを防ぎ得るということの三つだといえる。
自然農法の根本は土そのものを生かすことにある。土壌に人為肥料のような不純物を用いないことに主眼を置く。
そうすれば土壌は本来の性能を発揮することになる。土は作物を作れば作る程良くなるもので、人間でいえば働けば働く程、健康が増すのと同じ理屈。
だから連作をいけないこととしているのは間違っている。
私が今年作ったトウモロコシなどは連作七年になり、しかも小石混りで、ものすごい不良土だが実行きも良く美味満点である。
土壌というものは、作物の種類によって、その作物に適応する性能が自然に出来るものである。
このごろの農村の悩みは、肥料代の高いのと、虫害と風水害の三つだともいえるが、害虫は、肥料によってわくと思えばいい。
それは肥料によって土壌には不潔物が残る。
不潔なところへ小虫がわき細菌が発生するのは作物も同じだ。
これは、肥料(こえ)だめに蛆がわくのを見ても判る。
また、害虫にいろいろの種類があるのは、肥料に種類があるからで新しい害虫の発生も新しい肥料が作られているからだ。
更に、もう一つ重要なことは、殺虫剤が虫を殺す程の毒性で土を不良土とする事だ。
だからその土に栽培された植物は、肥毒以外の別な毒分まで追加されるわけだ。
硫安肥料をよく使うが、これは劇薬毒であるから、これを吸収した米を食べると、自然人体も影響を受け、健康にも悪いのは当然といえる。つまり血液が濁るからだ。
次に寄生虫の問題だが、日本人の中で八十パーセント以上が回虫保有者なのだから驚く。回虫はふん尿肥料によってその卵が野菜から人間の口を通じて胃に入って繁殖する。
ところが蟯虫(ぎょうちゅう)、十二指腸虫、かいせん虫、水虫などは、いずれも小虫の繁殖によるが、医学ではまだ病源不明とされている。
これは私の研究では、人為肥料のためで、これが直接の原因ではないが、結局人肥によって血液が濁るから小虫がわくので、この点パスツールの伝染説は明らかに間違っているわけだ。
大体、体内に入れてはいけない不潔なものを入れて血液を濁すから、こういうことになる。
さて、わたしの自然農法を行う場合、浄霊による効果のことをちょっと話してみたい。
自然農法の原理は今までの人為農法によって骨折り損のくたびれもうけであったのを私は、神のお告げによって、この誤りを知り、今までとは反対に土を清浄にすればするほど、作物はよく出来るという原理を発表したのである。
つまり万有は霊と体で成立しており、土も作物も、やはり霊と体から成立っている以上、今までのように人為肥料によって汚されていれば土の霊も、その通り曇っているわけだ。
ところが一度浄霊をすると、土の霊の曇りが減りそのため土の方も不純物が減って清浄になる。
だから清浄になった土は、成育力が旺盛になるとともに、作物の方も残っている肥毒が減るから、霊主体従の法則によって成育が更に旺盛になる。
大分長い話になったが、これで大体お解りになったことと思う。(完)」
明主様御教え 「自然栽培に就いて」 (昭和28年3月4日発行)
「今までに本紙農業特集号を出したのは、一昨年と昨年と今回とをあわせて三回になるが、年々自然栽培耕作者が多くなると共にその報告も増え、今回のごときは付録(省略)として四頁も増したくらいである。
そこで報告書を一々読んでみると成績は益々よく、収穫が増すばかりか品質も良好となりつつある事で、これも当然とはいいながら喜ばしい限りである。
それがためこの実績を見て今まで迷っていた農民達も、次々自然栽培に切替えるようになり、一村で一度に三十一戸の自然栽培者が出来たという事である。
また新潟県佐渡ケ島での実績は揃って初年度から優良で、信者ならざる農民層がドシドシ増える状態で、この分でゆくと数年ならずして全島自然耕作となるのは、太鼓判を捺しても間違いはあるまい。
しかも別項のごとく東京食糧事務所業務第二課長農学士山川達雄氏のごときは自然栽培を知った二年前から、現地の状況をつぶさに調査の結果、予想外の好成績に、夢かとばかり驚嘆したそうである。
何しろ今までの学理とは全然反対であるから、直に理解が出来ないため、頭脳の困惑に悩んだとの話であるが、さもありなんと思われる。
以上によってみても、最早良いとか悪いとかの論議の時期は、すでに過ぎたといってよかろう。
従ってもしまだ疑念を持つ人がありとすれば、その人は欲のない変人としか思えないのである。
そこで大いに考えなければならない事は、現在我国における人口増加の趨勢である。
アレ程骨を折っている産児制限を尻目にかけて、益々増える一方である。
その上敗戦によって狭(せば)められたる国土の事をも思う時、到底安閑としてはおれないはずであるにもかかわらず、
私は昨年も一昨年もこの特集号を農林大臣始め各大臣、国会議員、新聞社、全国の主なる農事関係者に配布したが、余り関心を持たれないとみえて、相変らずの誤れる農耕法を続けているのである。
そのため一力年数百億に上る金肥は固より、農地改良費や奨励金等合計すれば、実に巨額な支出となるのはもちろん、増産何年計画などといって大童になっているが、サッパリ効果が挙らない事実である。
しかもこのような計画は余程前から何回となく繰返しているが、いつも計画倒れに終っている。
その証拠には昨年など豊作といいながら、平年作を僅か上廻ったにすぎないのであるから、最早従来の農耕法ではどんなに工夫し骨折ってみても駄目、との烙印を捺されている訳である。
それだのに確実に大増産が出来る我自然農法を知らしても、蔑視してか研究しようとする気振もない。
それというのも宗教から出たという取るに足らない理由からでもあろうが、まことに困ったものである。
そんな訳で政府は何だかんだと種々の対策を立てては失敗し、年々巨額の人民の税金を無駄に費消しているのであるばかりか米の輸入も年々増え、現在ですら年二千数百万石の輸入と、その代金一千億以上を払うのであるから、寒心に堪えない国家的悲劇である。
この悲劇の原因こそ長い間の肥料迷信のためである事で、別項多数の報告(省略)によってみても充分認識されるであろう。
そうして事実を目の前に見ながら、躊躇(ちゅうちょ)逡巡躊(ため)らう人も信者の中にさえ相当あるくらいであるから、その根強さは驚くの外はないのである。
何よりも思い切って最初から私の言う通り実行した人は、予期通りの好成績を挙げ得たので、なぜもっと早く実行しなかったかと後悔するくらいである。
何しろ本農法は、従来のやり方とは全然反対であるから、容易に転向出来ないのも無理はないが、といってこれ程事実が証明している以上、信ぜざるを得ないはずである。
以下それらを一層詳しくかいてみよう。まず我国民が先祖代々長年月肥料を施して来た結果、我国農地全部は汚され切っており、そのため土は酸性化し、土本来の性能は失われ、人間で言えば重病人の体質と同様になっているのである。
その結果作物は土の養分を吸収する事が出来ず、肥料を吸収して育つように変質化してしまったので、全く麻薬中毒と同様である。
ところで今までとても農事試験場や農民の中にも、無肥耕作の試験をした事もあったが、何しろ一年目は非常に成績が悪いので、それに懲りて止めてしまったという話は時々聞くので、この事なども肥料迷信に拍車をかけた事はもちろんである。
そんな訳で耕作者は肥料をもって作物の食料とさえ錯覚してしまったのである。
事実自然栽培にした最初の一年目は葉は黄色く、茎は細く余りに貧弱なので、付近の者から嘲笑慢罵(まんば)、散々悪口を叩かれ、中には忠告する者さえあるくらいで、もちろん肥毒のためなどとは夢にも思わないからである。
ところが栽培者は信者である以上絶対信じているので、幸い我慢をしながら時を待っていると、二年日、三年目くらいからようやく稲らしくなり、収穫は増えはじめ、しかも良質でもあるので、
今度は嘲笑組の方から頭を下げ、自然組の仲間に入る人達も、近頃メッキリ増えたという事である。
そうして肥毒が全くなくなるのは、まず五年はかかるとみねばなるまい。
その暁(あかつき)私が唱える五割増産は確実であって、これが六年となり、七年となるに従い、驚異的増収となり、やがては十割増すなわち倍額も敢えて不可能ではないのである。
というのは分蘖(ぶんけつ)は倍以上となり、しかも穂に穂が出るのでそうなったら倍どころではない、一本の茎の実付き千粒以上にもなろうから、到底信ずる事は出来ないのである。
ここで米というものの根本的意味をかいてみるが、そもそも造物主が人間を造ると共に、人間が生きてゆけるだけの主食を与えられた。
それが米麦であって、黄色人種は米、白色人種は麦となっている。
それを成育すべく造られたものが土壌である事は、何人も否定する事は出来まい。
としたら人口がいかに増えてもその必要量だけは必ず生産されるはずである。
もしそうでないとしたら、必ずやどこかに大きな誤りがあるに違いないから、その誤りを発見し是正すればいいので、それ以外増産の道は絶対あり得ないのである。
この意味において我国の人口が現在八千四百万人とすれば一人一石とみて八千四百万石は必ず穫れるはずである。
ところが現在は平年作六千四百万石としたら、二千万石は不足している訳で、この原因こそ金肥人肥のためであるから、その無智驚くべきである。
ところが喜ぶべし私はこの盲点を発見し、ここに自然農法が生まれたのであって、これによれば五カ年で五割増産となるから九千六百万石となり、悠に一千二百万石は余る事になる。
しかも肥料も要らず、労力も省け、風水害にも被害軽少で済み、現在最も難問題とされている虫害はほとんど皆無と同様となるとしたら、その経済上に及ぼす利益は何千億に上るかちょっと見当はつかないであろう。
この夢のような米作法こそ開闢(かいびゃく)以来未だ嘗(かつ)てない大いなる救いといえよう。
私はそれを立証するため、数年前から多くの農民を動員し、実行を奨励した結果、予期通りの成果を得たので、ここに確信をもって天下に発表するのである。
しかも報告者の宿所姓名まで詳記してあるから、不審のある場合、直接本人に打つかって訊(き)けば何よりである。
以上のごとく理論からも実際からも、一点の疑問の余地はないのであるから、農耕者としたら何を措(お)いても一刻も速かに実行に取掛るべきである。
そうしてここに誰も気のつかないところに今一つの重要事がある。それは硫安のごとき化学肥料や糞尿を用いる以上、それらの毒分は無論稲が吸収するから、今日の人間は毒入り米を毎日三度三度食っている訳であるから、その毒は健康上どのくらい害を及ぼしているか分らないのである。
事実近頃の人間の弱さと病気に罹り易い事と、特に寄生虫患者が農村に多い事など考え合わす時、これが最大原因である事は考えるまでもあるまい。
以上によって大体分ったであろうが、この肥料迷信発見こそ国家国民に対し計り知れない一大福音であろう。
次に栽培法について誤謬の点が相当あるようだから、ここにかいてみるが、本教信者になって私の説を読んだり聞いたりしながらも、素直に受入れられない人もあるが、
何しろ先祖代々肥料迷信の虜(とりこ)となっている以上無理もないが、この際それを綺麗サッパリ棄ててしまい私の言う通りにする事である。
それについても種子であるが、報告中にある農林何号とか、旭何々などとあるが、これは何らの意味をなさないので、自然栽培においては一般に使う種子なら何でも結構である。
つまり肥毒さえ抜ければ、どんな種子でも、一級以上の良種となるからである。
要は肥毒の有無であって、信者中から何年か経た無肥の種を貰うのが一番いいであろう。
その場合種子も近い所程よく、県内くらいならいいが、相当離れた他県などでは成績が悪いから止した方がいい。
それと共に土の肥毒であるが、肥毒が無くなるにつれて快い青色となり茎は固くしっかりし、分蘖も数多くなり、毛根も増え、土深く根張るから倒伏も少なく、それらの点でよく分る。
そうして堆肥について、まだ充分徹底していないようだが、最も悪いのは稲田に草葉を入れる事で、これは断然廃めた方がいい。
稲作はいつもいう通り藁を短く切り、土深く練り込めばいいので、余り多くてもいけない。
というのはそれだけ根伸びを阻止するからである。
また度々言う通り藁には肥料分はない。
肥料は土そのものにある事を忘れてはならない。つまり藁を使うのは土を温めるためで、寒冷地には使っていいが、温暖地には必要はない。
これが本当の無肥料栽培である。
それから土の良い悪いであるが、これも余り関心の要はない。
なぜなれば悪土でも無肥なれば年々良くなるからで、連作を可とするのもこの意味である。
また浄霊であるが、これは肥毒を消すためで、肥毒がなくなれば必要はない。
以上大体気の付いた点をかいたのであるが、その他の事はその場所の風土、気候、環境、位置、日当り、灌漑(かんがい)、播種(はしゅ)と植付けの時期等適宜(てきぎ)にすればいいのである。
最後に特に注意すべき事がある。
それは自然栽培と信仰とは別物にする事である。
というのは信者にならなくとも予期通り増産されるからである。
それが信者でなくてはよく出来ないと誤られると、せっかくの本農法普及に支障を及ぼすからである。
事実信者未信者を問わず効果は同様である事を心得べきである。従って浄霊も余り度々行わなくともよい。
なるべく人に見られないよう日に二、三回くらいで充分である。
つまり出来るだけ信仰と切放す事を忘れない事である。」
明主様御教え 「日本の危機」 (昭和28年9月2日発行)
「現在我国民の主食である米穀の不足は、国家としての最大悩みである。
平年作でさえ二千万石も足りないというのに、それを割るとしたらこれこそ大問題である。
特に本年のごときは、知らるるごとく風水害、虫害等例年にない程の被害であるから、吾々国民として到底安閑としてはおれないのである。
何しろ人口増加の趨勢(すうせい)は、産制くらいでは到底追いつけそうもない程プラスが勝つとしたら、一体どうすればいいかという事で、これを考えれば前途暗澹(あんたん)たるものである。
もちろん政府においてもその対策に苦慮し、ヤレ五カ年計画で何割増産だとか、本年などは六カ年計画で、三千億の予算を組んだとかいう事であるから、相当効果は挙(あが)りそうなものだが、
今までの例に徴(ちょう)しても、天はそれを笑うがごとく実績は逆であって、今年のごときは平年作を相当割るのは今から分っていて、未だその予想さえつかない有様である。
ところがその根本原因こそ、いつもいうごとく肥料迷信のためであるから、私は数年前から政府始め国会議員、新聞社、農事関係の各方面に、本紙特集号一万数千部を配布し、警告を与えているが、糠に釘で今日まで余り反響がないのである。
もちろん天災も虫害も根本は天理に外れた点があるからであって、これについても常にいっているごとく、台風なるものは神の浄化作用であり、何しろ清浄な土地を人肥金肥によって汚すからで、神は止むなく若干の犠牲を払っても、肥毒を洗い浄めなければならないからである。
従ってその際犠牲となる土地も物件も人間も、汚穢が満ちているから、共に浄められるのであるから、気の毒ながらこれも自業自得というより外はない。
これが厳然たる天地の法則であるからである。
そこで私はこの理を知らせ、現在以上の収穫量を確実に得られる自然栽培法を教えているのであるが、それがため年々実行者は増えつつあるが、
何しろ長い間の肥料迷信に捉われている農民の事とて、目覚めさせるには中々容易な事ではない。
しかしながら我国における食糧危機は年々深刻になりつつあり、今や溺(おぼ)れんとする農民に藁(わら)ではない、太い綱を出しているので、
いずれは気が付き掴む事になるのはもちろんであり、しかもその時が刻々迫りつつあるのである。
次に今一つ言いたい事は、医学に関してである。
現代医学がいかに誤っているかは事実が示している通り、年々悪性の病気が増えており、例えば脳溢血、結核(これは死亡率は減ったが罹病率はいささかも減らない)小児麻痺、心臓病、喘息、胃病、精神病、各種伝染病等々であって、
本年のごときも日本脳炎が昨年の二倍という事で、その他赤痢、チフス、猩紅熱(しょうこうねつ)、ジフテリヤ等も相変らずのようである。
原因はもちろん薬剤のためであるから、これについても私は二十年以前から筆に口に最大級の努力を払っているが、これも肥料と同様長い間の医薬迷信のため分らせるには容易ではない。
この医学迷信が生活難や、犯罪の原因となるのはもちろん、頭脳衰弱のため近来のごとき事故の頻発、自殺、殺傷沙汰等、社会不安は募るばかりである。
以上のごとき趨勢をもって進めば、日本の将来はいかなる危機に直面するや、逆睹(ぎゃくと)し難いものがある。
しかしながらこれを根本的に救う事も敢(あ)えて難事ではない。
つまり私の言う通り実行すればいいので、それ以外にない事は断言するのである。
というと大言壮語と思うかも知れないが、これは私が言うのではない。
神が私をして言わしめるのであるから、絶対信じて間違いはない。
とはいうもののこの文を無神論者が見たら、鼻の先で嗤(わら)うであろうが今後の推移を見れば驚きと共に、今更のように私の言を思い出し、頭を下げざるを得ない時が来るであろう。」
明主様御教え 「日本農法の大革命 無肥科で初年度から一割乃至五割増産」 (昭和29年1月27日発行)
「「日本は救われた」と私は叫びたいのである。その訳は現在我国における最も重大問題としての、米作多収穫の一大福音が生まれたからである。
衆知のごとく、終戦後我国土は四分の三に狭められたばかりか、人口増加の趨勢は産制など尻目にかけて、相変らず一カ年百万以上というのであるから、到底楽観は許されないのである。としたら今日これ程痛切な問題は他にあるまい。
というのは国家は年々多額の予算を計上し農地改良は固(もと)より、あらん限りの施設方法を立て官民共に大童(おおわらわ)になっているにかかわらず、予期の成果どころか平年作維持さえ精一パイという有様である。
そこへ昨年のごとき台風、冷害、虫害等の災厄続きで、アノような大凶作となったのであるから、我国農業の前途を考える時、全く寒心の外ないのである。
もっとも昔と違い、今日は外国からの米麦輸入の道もあるが、これとても一時凌ぎであって、そう長くは続けられないのはもちろんである。
というのは近年のごとく貿易の逆調はなはだしく、経済界の危機さえ叫ばれている今日、緊急対策を立てねばならないところに来ているからである。
そのため政府においても相当思い切ったデフレ政策に転向すべく、その対策を練ってはいるようだが、これも無理からぬ事であろう。
というように事態は容易ならぬ段階に来ている。しかしこの問題解決の鍵は、何といっても米の増産である。
率直にいって全人口を養い得るだけの絶対量確保にあるのは言うまでもないが、今のところそんな夢のような希望の実現は到底不可能であろう。
ところが驚いてはいけない。
この危機を打開すべき画期的農法が生まれたのであって、これが自然農法である。
これによれば必要量の増産どころか、それ以上の収穫も可能であるとしたら、余りに棚牡丹(たなぼた)式で反って信じられないであろうが、事実は飽くまで事実であって現在全国各地において驚くべき実績を挙げつつあるのである。
昨年のごときは到る所減産の悲鳴の中に、ひとり自然農法者のみは一人の減産もなく、ことごとく増産の歓喜に輝いているので、これを見る今まで迷っていた近隣の農民達もたまらなくなり、慌てて各地共入会者続出という有様である。
従って私の予想である数年ならずして日本全国の大半はこの農法に切替えられる事となるのは、最早間違いないと思う。
これについては三年前から、毎春前年度の実績を資料として特集号を出して来たが、漸次実行者が増えるに従い、その報告も増え、従来の八頁ではどうにもならないので、今回活字改良と共に四頁を増し十二頁にしたのである。
しかも幸か不幸か昨年のごとき全国的大凶作に対し、本農法は反対に一斉大増産としたら、全く神が与えた好チャンスとして、この際大々的会員獲得運動に活躍する事となったのである。
そのため百万部増刷の準備も出来たので、会員諸氏もその方針を以って奮闘されん事である。
自然農法の原理
この原理を説くに当って徹底的に分らせるためには、どうしても既成科学の頭脳では無理であるから、私が神示によって知り得た唯心科学を以って説くつもりである。
従って最初は相当難解であるかも知れないが、熟読玩味するに従い、必ず理解されるはずである。
もしそうでないとしたら、それは科学迷信に囚われているからで、これに気付けばいいのである。
そうして私の説くところ絶対真理であるのは何よりも事実が示している。
故に、これに従えば、初年度から一割ないし五割増産は確実である。それに反し現在の農法は知らるるごとく伝統的方法と科学的方法とを併(あわ)せ行い、大いに進歩したように思っているが、結果はそれを裏切って余りある。
昨年の大減収によっても分るごとく、その直接原因である種々の災厄に対し、それに打克(うちか)つだけの力が稲になかったからで、つまり稲の弱体である。
ではこの原因は何によるかというと、これこそ肥料という毒素のためであると言ったら、唖然として開いた口が窄(すぼま)らぬであろう。
何しろ今日までの農業者は、肥料を以って農耕上不可欠のものと信じ切っていたからでこの考え方こそ農民の低い知識と科学の盲点とのため、肥料の害毒を発見出来なかったのである。
これについて重要な事はなるほど科学は他の物に対しては結構に違いないが、少くとも農業に関する限り、無力どころか大いに誤っている。
例えば土の本質も肥料の性能も今以て不明であるため、人為的方法を可とし、自然の力を無視している点にあるからである。
見よ長年に渉り政府、篤農家、学者が三位一体となって努力しているにもかかわらず、何らの進歩改善も見られない事実にみても分るとおり、昨年のごとき大凶作に遭えば手も足も出ず科学は自然に一溜りもなく敗北したのである。
としたら今後打つ手は何もあるまい。全く日本農業は壁に突当ってどうにもならないのである。
ところが喜ぶべし、神はこの壁を突破る方法を教え給うた。
これが自然農法であって、これ以外日本を救う道のない事は断言するのである。
では一体この農法はいかなるものであるかを、以下詳しく説いてみよう。
そもそもこの問題の根本は土に対する認識不足からである。
というのは今日までの農法は肝腎な土を軽視し、補助的である肥料を重視したところに原因がある。
考えてもみるがいい、いかなる植物でも土を離れて何の意味かある。
これについての好い例は、終戦後米(べい)の駐屯兵が水栽培を行い注目を引いた事はまだ記憶に新たであろうが、これも最初は相当の成績を上げたようだが、最近聞くところによれば漸次退化し、ついにやめてしまったという話である。
これと同じように今日までの農業者は土を蔑視し、肥料を以って作物の食料とさえ思った程であるから、驚くべき錯誤であった。
その結果土壌は酸性化し、土本来の活力の衰えた事は、昨年の大凶作がよく物語っている。
それに気付かない農民は、長い間多額の肥料代や労力を空費し、凶作の原因を作っていたのであるから、その愚及ぶべからずである。
ではこれから土の本質に向って神霊科学のメスを入れてみるが、その前に知っておかねばならない事は土本来の意義である。
そもそも太初造物主が人間を造るや、人間を養うに足るだけの食物を生産すべく造られたものが土であるから、それに種子を播けば芽を出し、茎、葉、花、実というように漸次発育して、芽出度く稔りの秋を迎える事になるのである。
してみればこの米を生産する土こそ実に素晴しい技術者であり、大いに優遇すべきが本当ではなかろうが。
もちろんこれが自然力であるから、この研究こそ科学の課題でなくてはならないはずである。
ところが科学は飛んでもない見当違いをした。それが自然力よりも人為力に頼りすぎた誤りである。
ではこの自然力とは何であるかというと、これこそ日、月、土、すなわち火素、水素、土素の融合によって発生したXすなわち自然力である。
そうしてこの地球の中心は、人も知るごとく火の塊りであって、これが地熱の発生原である。
この地熱の精が地殻を透して成層圏までの空間を充填(じゅうてん)しており、この精にも霊と体の二面があって体の方は科学でいう窒素であり、霊の方は未発見である。
それと共に、太陽から放射される精が火素で、これにも霊と体があり、体は光と熱であり、霊は未発見である。
また月から放射される精は水素で、体はあらゆる水であり、霊は未発見である。
というようにこの三者の未発見である霊が抱合一体となって生まれたものがXである。
これによって一切万有は生成化育されるのであって、このXこそ無にして有であり、万物の生命力の根原でもある。
従って農作物の生育といえどもこの力によるのであるから、この力こそ無限の肥料である。
故にこれを認めて土を愛し、土を尊重してこそ、その性能は驚く程強化されるので、これが真の農法であって、これ以外に農法はあり得ないのである。
故にこの方法を実行する事によって、問題は根本的に解決されるのである。
ここで今一つの重要事がある。それは今日までの人間は理性、感情等の意志想念は動物のみに限られると思っていた事である。
ところが意外にもこれが無機物にもある事を聞いたら唖然とするであろう。
もちろん土も作物も同様であるから、土を尊び土を愛する事によって、土自体の性能は充分発揮される。
それには何よりも土を汚さず、より清浄にする事であって、これによって土は喜びの感情が湧き活発となるのは言うまでもない。
ただ意志想念が動物と異(ちが)う点は、動物は自由動的であるに反し、土や植物は非自由静的である。
故に稲に対しても同様感謝の念を以って多収穫を念願すれば、心は通じ御蔭は必ずあるものである。
この理を知らないがため、見えざる掴めざるものは、すべて無と片付けているところに、科学の一大欠陥があったのである。
本農法の技術面その他
本農法の原理は大体分ったであろうがこれを実行するに当って知っておくべき主なる点を書いてみるが、別項多数の報告(省略)にもある通り、
最初は例外なく苗が細く色は黄色く、実に貧弱なので悲観すると共に、近隣の人々や家族達から軽侮、嘲笑を浴びせられ、忠告までされるので、迷いが生じ易いのも無理はないが、
何しろ信仰の土台がある以上、歯を食いしばって堪え忍んでいると、その時を過ぎるや漸次持直し、ヤレヤレと安堵する。
しかも収穫となるや案外にも幾分かの増収にさえなるので、ここに驚きと共に喜びに蘇生する、という事実は一人の例外もない。
これを説明してみればこうである。初めの貧弱であるのは、もちろん肥毒のためであって、ちょうど麻薬中毒者や酒呑と同様、廃めた直後は一時元気が失く、ボンヤリするようなものであって、
それを通り越せば漸次普段通りになり、それから年一年良好に向い、数年経た頃は、苗は最初から青々している。
これは肥料の無くなった証拠であるから、こうなったらしめたもので、反(たん)十俵以上は間違いはない。
これを見てもいかに肥毒の恐ろしいかが分るであろう。そうして特に重要な事は連作である。
それは米なら米と、一種類を続ければ続ける程、土はそれに適応する性能が生まれ、漸次旺盛となるのである。
これをみても土の性能こそ実に神秘霊妙なものであって、これがXである。
故に出来るだけ土を清浄にし、連作主義にすれば年々収穫を増し、反二十俵以上もあえて夢ではないのである。
それだのに何ぞや。全然逆に土を汚すことのみに専念し、多額の犠牲を払うのであるから、何と評していいか言葉はない。
これについて昨年の凶作で分った事は、肥料を多く施した田程悪い事が分り、幾分目覚めたようだが、このくらいな事ではまだまだ前途遼遠(りょうえん)であろう。
次に技術面であるが、知らるるごとく現在の水田は、長年の肥料のため表面は肥毒の壁のようになっているから、これを突破って天地返しをする事であるが、これも深すぎても浅すぎてもいけない。
その土地にもよるがまず一尺前後くらいがよかろう。その際客土を使えばなおさらいい。
それだけ浄土が増え、肥毒が中和されるからである。また株間も一尺前後がよく、二、三本植がいいようである。
しかし技術面はその土地の気候や状態にもよるから、適当に按配(あんばい)する事である。
次に藁(わら)を使う事は廃めた方がいい。
何よりも土以外の異物は決して入れないようにすべきである。
ではなぜ藁を使ったかというと、これには訳がある。
日本が占領当時、占領軍の規則の中に、農作物は肥料を施すべしとの条項があったそうで、それを利用し当時無肥料栽培の名称であったのを種に、金銭を強請(ゆす)ろうとした奴がいて、
あわよくば本教を潰して信者を獲得しようとする企(たくら)みも背後にあったようで、危険であるから、私は自然農法と改め、肥料として藁を使わせたのである。
次に二、三注意したい事は、今だに報告書の中に浄霊とか御守護などの言葉があるが、宗教臭くてはいけないとして、昨年の特集号にも出した程であるから、今後は充分注意して貰いたい。
というのは入信しなければ増収が出来ないとしたらそれだけ普及に影響するからである。
また事実からいって信仰なしでも無肥料にさえすれば五割や十割の増産は確実であり要は今日の日本を一日も早く救わねばならないからである。
今一つ言いたい事は、本農法は独(ひと)り米の増産のみではない。
こういう素晴しいプラスがある。それは現在硫安製造に使う電力の使用量は、日本全体の半分弱という事で、もしそれを廃めるとしたら、現在の電力で充分間に合い、なお余るとの話をこの間専門家から聞き、私は驚いたのである。
とすれば本農法を全農民が実施する暁、米の輸入はなくなり、肥料も要らず、農民の労力は半減し、電力は余るとしたら、その全国家経済に及ぼす利益たるや、到底計算は出来ない程であろうから、これだけでも日本は一躍世界一の平和裕福な国家となるのは太鼓判を捺しても間違いはない。
最後に今一つ驚くべき事がある。それは言うまでもなく肥毒の害は独り作物のみではない、人体も同様である。
近年寄生虫が激増し、特に農村程多い話を聞くがこれは都会人はパン食が多く、農民は米食が多い関係によるのであろうが、これについての好適例がある。
その報告と写真を下に掲げるが、これを見たら何人も慄然とするであろう。故にこの面からいっても、有肥栽培の害毒がよく分るのである。」
体験談 肥毒の恐ろしさ
静岡県 愛進中教会農事担当者 MK(33・男性)
「明主様より肥毒の恐ろしさについて御教えいただきまして、皆様にもその害毒を話しておりながらこの度程ハッキリその恐ろしさを見せつけられた事はありません。
昨年暮、信者の多々良武夫氏が自然栽培一年目(品種白菊)の玄米と有肥栽培の玄米の標本を作られ、教会へ持って来られました。
自然栽培の玄米は丸々として粒張りがあり実に力強い感を受けるに対し、有肥玄米は細長く弱々しい結核患者を思わせる様で、自然米と有肥米の対照がよく分り、いい標本として皆様にも説明して驚かれたものでした。
ところが今年になってからいつか忘れて事務室の片隅に置忘れられてしまいました。
最近になって事務室の机や畳の上に時折穀象虫を見受ける様になりました。
最初の内は別に気にも止めませんでしたが毎日数が増えて来ますので「穀類のないはずの事務室にどうして穀象虫が出るのだろうか」と漸く不審を抱く様になりました。
それから数日後、フト気付いて「そうだ昨年米の見本を置いたからもしや」と思い早速棚の隅に忘れられていた二つの標本函を探し出しました。
二つの函が重ねられてそのままになっており、上が自然米、下が有肥米でセロファン張りの自然米の函は何の異常もなく昨年見たのと同じでした。
ところが下の有肥米の函を見てハッとしました。函の上面に張られたセロファンは真黒に見えました。
よく見ればこの僅か十糎足らずの函の中に幾十の穀象虫が右往左往してうごめいております。
昨年見たスマートな有肥玄米の姿はあのグロテスクな穀象虫に化けてしまったとしか思えません。
密閉したセロファンの各所に、穴をあけ、三匹、五匹と這い出しております。
そして手といわず畳といわずたちまち穀象虫は散開してゆきます。
その姿はあたかも自分の使命を完うして引揚げてゆく勇姿に見えて私もこの時だけは、無気味な穀象虫に対し「御苦労様でした」と呼びかけたい気持でした。
実に惨憺たる有様にて、ほとんど八〇%以上が見事な防空壕が掘られ、トンネルが貫通し、中にはほとんど空ろになって紙より薄い外郭のみを残した妙技には感歎させられます。
殆んど満足な粒はなく、虫糞にまみれて精白された様な有肥玄米の姿に比して一方自然玄米は昨年と少しも変らぬ瑞々しさ、肥料によってかくまで違うものだろうかと慄然と致しました。
その後試みに穀象虫を数匹ずつ何回か自然玄米の中へ入れて見ましたが、何時か姿を消してしまいます。
穀象虫に言わせたら「こんな自然玄米は真平だ、肥毒気のない米に用はない」と言うに違いありません。
この事実を見るにつけ、自然米の腹もちのよい事も頷け、保存のきく事も証明される訳です。
又近年農作物に病虫害の多発する事も肥料の種類の増加に比例するとの御教えもよく分らせて頂けました。
なおあの穀象虫が米粒の芯から自然発生して中身を食べながら大きくなる事も、まだ穴のあいてない米粒をすかして見ると中に白線が出来ていて、穀象虫の幼虫の姿が不透明な影となって見られます。
こうした事からも汚れた所に黴菌が自然発生する事も自明の理であります。
自然栽培を実施している方達も異口同音に、虫が湧かなくなったと申しております。
数年前より麦の自然栽培を実施している相馬茂雄氏は「今年はカマス(藁で織った袋)の中へじかに麦を入れておいたがほとんど虫は湧かない」と言われております。
ちなみにこの標本の玄米一勺の目方は自然が四匁、有肥が二匁二分で(昭和二十八年十月十八日計量)自然百に対し有肥は五十五%となり、一升の重量は、自然四百匁に対し有肥は二百二十匁という驚くべき結果となり、
従って日常の食事の約半分が栄養分のない、反って人体に有害な肥毒分とも考えられ、今更ながら有肥米の恐ろしさに戦慄を禁じ得ません。
近年増加した医診に言う「千人に一人」とか「万人に一人」という奇病の発生も、日常無関心に食べる米や野菜に含まれた肥料の毒がその要因とも考えられ、
日頃御教え頂いております明主様の御言葉が他に求む由もない絶対の真理の顕彰であられる事が殊更に胸に迫り感涙がこみ上げます。
今後「自然農法普及会」の発展に伴ない、既成農法の誇る手中の玉、肥料こそ、実は農作物の生産と尊い人命を刻々蝕んでゆく悪魔の玉である事が白日下に晒され、肥料万能に盲信、陶酔する近代農業の大革命が行われ、この地上に恐るべき肥毒の消滅する日も遠くない事を確信して、拙稿を結ばせて頂きます。」