自然農法について 2


明主様御教え 「無肥料栽培」 (昭和23年12月1日発行)

「私は今無肥料栽培につき解説するに当ってまず根本理論から説いてみるが、そもそも土とは何ぞやと言う事である。

言うまでもなく人間生命を保持すべき最重要なる五穀野菜を生育すべく、造物主が造られたものに違いない、

従って土そのものの本質は神秘幽玄なるものであって、現在までの唯物科学によるも到底窺知し得ない事は論をまたないところである。

しかるに今日までの農業はしらずしらず邪道に堕ちいりたる結果土の力を蔑視し、一切の作物をより良く生育するには糞尿または化学肥料等の人為的肥料に依らねばならぬと思い、今日に到ったのである。

しかるに以上のごとき結果は、土壌の本質は漸次退化変質し、土壌本来の生育力は衰耗するに拘わらず、それに気が付かないため、

農作不良の原因は肥料不足に因ると錯覚し益々肥料を施すから土壌の力はいよいよ鈍化しそれを補わんとして肥料をより施す結果、

今日のごとく日本の国土は痩地化し、農耕者の口を揃えて嘆ずるところである。

私は人為的肥料がいかに恐るべきかを列記してみよう。


一、現在最も悩んでいる事は害虫の発生であろう。

しかるに害虫発生の原因を究めずして、害虫駆除のみに専念している、とはいうものの原因を発見し得ないがため、やむを得ず次善の方法としてそうするのであろうが、

実は害虫なるものは肥料から発生するのであって、近来害虫の種類が殖えつつあるのは肥料の種類が殖えたからである。

また殺虫剤を使用して害虫を駆除し得ても、薬剤が土に滲透して土壌を悪質化し、それが害虫発生の原因になる事を知らないとは実に愚かな話である(酸性土壌は肥料が原因である)。


二、肥料を吸収すると作物は非常に弱るのである。

それは風水害にあえば折れやすくなり、また花落ちがするから結実が少く背が伸びすぎ葉が大きくなるため実が葉蔭になって、米、麦、豆類は皮が厚く、実が痩せるのである。


三、硫安や糞尿中のアンモニヤ、その他の化学肥料のそのほとんどが毒劇薬であるから、それを作物が吸収する以上、

たとえ微少であっても、常住胃を通じて人体内に入る以上、健康に害なしとは言われない。

特に日本人の八○%以上は寄生虫特に回虫を保有している事実であるが、

原因はもちろん糞尿中の回虫卵が人体内に入り成長するのであるが、

糞尿肥料を二、三年中止すれば、回虫病は全滅するということを、最近の医学は報告している。

この点においても無肥料栽培は偉大なる成果である。


四、近来、肥料の価格は益々騰貴し、肥料代を払えば供出米の売上高と一ぱい一ぱいという事は農家の詐(いつわ)らざる計算で、それがためやむを得ず闇売りをしない訳にはゆかない事である。


五、肥料購入肥料及び消毒薬の撒布等に要する手数と労力は非常なものである。


六、無肥料栽培の作物はすこぶる美味なること、発育がよく、有肥料のものより巨大で、数量も多いのである。


以上によってみても肥毒の恐るべきかを知ると共に、無肥料栽培のいかに有利であるかは充分認識し得たであろう。

これを総計算するとすれば、農業経済はこれまでの二倍の利益を挙げ得る事はあえて難事ではないのである。

実に日本における農耕の一大革命であるといっても過言ではあるまい。

以下私の経験によって得たる成果や方法及び、幾多実際家の報告を発表してみよう。

私はこう思うのである。それは日本人中真の野菜の味を知っている者は幾人あるであろうか、恐らく滅多にないといっても差し支えあるまい。

もちろん農作物は化学肥料と糞尿肥料を施さぬものはあるまいからである。

これらの肥料を吸収する野菜は、天与の味わいは逃げてしまうのである。

それに引換え土自体の栄養を吸収させるようにすれば、野菜それ自体の自然の味わいを発揮するから実に美味である。

私は無肥料野菜の味わいをしってから、人生の幸福感をいかに増した事であろう。

しかも無肥料栽培においては、肥料代の節約と手数とが省かれ悪臭の不快からも免れ、寄生虫伝ぱの危険も除かれ、害虫の発生は極めて少なく、味もよく量もふえるのであるから一石二鳥の効果ある訳である。

私はこのような大問題を一刻も黙視してはいられない。

速かに天下に発表して、この福音を頒(わか)ち与えんと思うものである。


まず、実際理論から述べてみるが、そもそも土の性能はいかなるものであるかと言うに、

土壌は土素、水素、火素の三大元素の密合体による三位一体の力で成立している。

もちろん植物育成の基本的力は土素であって、水素、火素は客動的力である。

故に主動力である土壌そのものの素質いかんによって植物に良不良の結果を来すのであるから、

栽培の場合、その根本である土の素質をより良質にする事が主要条件でなければならない。

良質の土素ほど好結果を得らるるからである。

しからば良土たらしむる方法はいかんというにそれは土質の精力を強化する事である。

そうするにはまず土質を清浄純化しなければならない。

それは純情なる土質ほど植物に対する生育力は旺盛だからである。

しかるに今日までの農業のいかに誤っていたかは、右と反対に土質を極力汚穢に満すのを可としていた。

この事の説明に当っては、まず反対理論から説く方が判りやすいと思う。

反対理論とはいかなる訳かというに、昔から農作に肥料は切っても切れない重要事としているが、実は施肥すればする程土を殺してしまうのである。

肥料を施せば一時は良成績を挙げ得ても、漸次土は肥料中毒に罹り、肥料を施さなければ良結果を得られない事になる。

したがって、肥料を施せば施す程逆効果を招来する訳である。

何より農民諸君が水田の稲作の収穫が不良になると客土をする。

客土をすれば一時的収穫が増すからである。

この場合彼等は誤った判断を下す、それは年々栽培する事によって土の養分を吸収してしまうから、土の栄養が貧困になったからだと解釈する。

実は年々肥料のため土質が弱った事に気がつかないのである。

ところが肥料分のない新しい土は、土の生活力が旺盛であるから、良成績を挙げ得るという訳である。

理論はこの位にしてともかく実際上より、いかに無肥料が有利であるかを順次説明してみよう。


まず第一に挙ぐべきは無肥料栽培の特徴としては作物の背丈の低い事である。

有肥料においては丈が高くなる事、葉伸びが旺盛で葉が大きく繁るから、さきに述べたごとく豆類等の実は葉陰になって成育悪く、

また花落ちが多いので結実も非常に少く、特に枝豆等は無肥料においては二倍の収穫を挙げ得られ、一粒といえども虫食いはなく、その美味たるや何人も讃歎するのである。

もちろん豌豆(えんどう)、空豆等のごときも皮の軟き事無類である。


そうして無肥料栽培においては決して失敗のない事である。

よく素人が馬鈴薯などを作る場合芋が小さく且つ少いとか、全然無収穫などの歎声をよく聞くが、それは肥料の多過ぎるためである事に気付かない結果、

反対に成績不良なるは肥料の少きためと誤解し益々肥料を用いるから倍々成績が悪くなる。

しかもこの際、指導者または経験者に質(たず)ねる場合「その原因は種子の不良や、不適期にまくから」とか「土壌の酸性に因るため」などといい、全く的外れで、真の原因に気付く由もないのである。

ところが無肥料栽培による馬鈴薯はすこぶる白色で、香気が高く、ネットリと舌触りよく、品種が異うかと思う程の美味である。

もちろん八つ頭、里芋等もそうであるが、特に薩摩芋は高畝にし、畝の間隔を広くし、日当りを充分よくすれば、その容積の巨大なると美味なる事とは驚くの外ないのである。

もっとも農家においても薩摩芋は余り施肥をしないようである。


特に私は玉蜀黍(とうもろこし)について述べてみるが、無肥料における玉蜀黍の良成績は特筆する要がある。

ただし玉蜀黍はもとよりすべての種子も、最初は肥毒を含んでいるから、一、二年は成績が思うようでないが、三年目位から目立って良くなるのである。

土に肥毒なく、種子にも、肥毒のない玉蜀黍は茎は非常に太く、水の垂るような葉の青さで、日当り良く水切れのない土地であれば結実はよく、実の棒は長く、粒は隙間のない程密集し、列が正確で口に入れるや柔く甘く、一度経験するや、忘れ得なくなるのである。

大根なども純白色で、肌理(きめ)細かく、ねっとりして甘味があり実に美味で、太いのである。

よく大根にスがあり、またはがりがりするのは肥毒のためである。

また無肥料の菜類は香気馥郁(ふくいく)として食欲をそそり色良く軟かく虫喰などは絶対にない。

もちろん糞尿を用いないから最も衛生的である。


無肥料栽培において特に推奨したきは茄子である。

それは皮の柔い事、色の好い事、香気満点で食欲をそそる事夥(おびただ)しく、私の家の家族などは有肥の茄子は食わない位である。

また稲作の場合、藁を細かく刻み、水田の土によく混せるので、藁は熱を吸収するから土が温まる訳である。

そうしてこれはよく知られている事であるが、冷い山水は非常に悪いから、出来るだけ溝を浅く長く作り、流水を温める事である。

その場合中間に池を作る事は不可で、池は底がふかいため水の温まりが悪いからである。

瓜類や西瓜、南瓜等、何人も経験のない程の優良なるものが出来るのである。

米麦であるが、麦も米も背丈短く、量も質も優良なる事はもちろんで、特に米においては光沢があり、コクのある事もち米のごとくで重量あり、美味満点で、品質は特等米といえるであろう。


以上のごとく、私は簡単ながら無肥料栽培の有利なる点を述べたつもりである。

特に今日到るところに見る家庭菜園に対し、かくのごとき福音はないであろう。

ともかく素人が糞尿を扱う事は堪えられない程の苦痛であるばかりか、それが反って不良の原因となったり、回虫の虫という有難くもないお客様を腹の中へ招来するというにおいてをやである。

知らぬ事とは言いながら、今日まで有肥栽培のため骨折って不成績を続けて来た訳である。

私など大抵の野菜は種子のまき放しで、ただ時々除草する位の手数だけで、それで上等の野菜が出来るのであるから、何と有難いではないかと言いたいのである。

そうして前述のごとく金肥及び人肥は必要としないが、天然堆肥は大いに利用する必要がある。

それについて述べてみよう。あらゆる植物を成育さす場合最も肝腎な事は、根の末端である毛細根の伸びを良くする事であって、それには土を固めないようにするのである。

堆肥はあまり腐らせ過ぎると固まりやすくなるから半腐れ位がいい。

草葉の堆肥は早く腐蝕するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから、長期にわたっても充分腐蝕させるべきである。

その訳は前述のごとく根の尖端が堆肥の葉筋に当り妨害されるからである。

近来、根に空気を与えるのを良いとしているが、これはちょっと的外れである。

何となれば空気が流通する位の土であれば根伸びが良いからで、実は空気は関係がないのである。


今一つ注意すべきは土壌を温める事で普通の野菜においては堆肥は地下一尺位の深さに一尺位の積層を作るとよい。

ただ大根、人じん、ごぼうのごとき根が目的のものは堆肥のふかさもそれに準ずべきで、

その場合草葉の堆肥を土とよく混ぜ合す事、木の葉の堆肥は右のごとく地下の床作りにする事、これが理想的である。

近来、土壌の酸性を不可とするが、酸性の原因は肥料のためであるから、無肥料なればその憂はないのである。


今一つ世人の意外とする事がある。

それは農業においては連作を不可としているが、私は連作主義で好成績を挙げている、しかも年を経るに従い成績は漸次長くなる事である。

これは奇蹟のようであるが、実は立派な理由がある。これは私の言う土を生かし、土の力を強盛にするためには連作する程、

その野菜に対し土はその野菜を育むべき適応性が自然に醸成さるるからである。


次に害虫も無肥料であれば、ほとんど皆無でないまでも、現在よりも何分の一に減るであろう。

農民諸君も肥料が多過ぎると害虫がわくという事をよくいわれている。

彼の葉巻煙草には最優秀なる原料としてマニラ、ハバナ産を用いるが、その葉は虫喰葉がなく、すこぶる香気が高いが、全く無肥料のためである事を、以前専門家から聞いたことがある。

また何よりも雑草に虫食がないことで、春の野の摘草の中にある嫁菜、芹等が特に香気の高いのも無肥料のためであろう。


ここに注意すべきことがある。今まで有肥料の田畑に対し、無肥料栽培を行う場合最初の一、二年は成績が悪いが、

それはそこの土が肥料中毒にかかっているためで、ちょうど人間の場合、酒飲みが禁酒をすれば一時はボンヤリしたり、煙草飲みが禁煙をすると活気が無くなり、モヒやコカイン中毒者がやめれば我慢が出来ないのと同様の理である。

まず二、三年は辛抱してその後を待つべきであって、土及び種子の肥毒が消滅するに従って、土は偉力を発揮するのである。

以下幾多の実験報告(省略)が証明するであろう。」




明主様御教え 「無肥料栽培の勝利 悩みの食糧問題一挙に解決せん」 (昭和24年12月10日発行)

「私は十数年以前から無肥料栽培を唱えて来たが、最初の中は誰もまともに受け入れる者はなかった、

しかし私が唱え出したのは、ただいたずらに奇を好んだり理想論に走ったりするのではない、実験の結果からである、

もちろん私は農業に経験のない素人ではあるが神の啓示のまま穀物、野菜、果実、花卉類に至るまで約三段歩(たんぶ)の土地に十数年にわたって試作研究の結果、

従来の農業がいかに誤謬に陥っていたかを発見したからである。

それは永い間人肥金肥のごとき人為的肥料を作物に対する唯一の栄養素と誤認し、今日のごとく根強い伝統的精神とまでなって行われて来た事は誰も知るところで、

実に一大迷信に罹っていたといっても過言ではないのである。

そうして私の根本理論としては、この地球の土壌なるものは造物主、すなわち神によって作られたものであるとともに農作物もそれによって生育するもので、

土壌の性能も作物のそれも、人間生命保有のために造られたものである事は自明の理である、

もちろんそれは火水土の三位一体の力素によるので、人間に必要なだけは生産されるのは当然である、

しかるに近来、日本は人口を養うに足るだけの量が出来ない結果、産児制限のごとき反自然的方法を行わなければならないという事はどこかに原因がなくてはならないが、

その原因こそ農耕に対する反自然的誤謬である、しからばこの反自然的農耕法とはいかなるものであるかを詳説してみよう。



肥料は土壌に有害作用
元来、金肥人肥のごとき人造肥料はいつの世いかなる人間によって施行されるようになったかは知らないが、

この人造肥料こそ土壌に対し非常な有害作用をするもので、これを用いる結果として、漸次土壌の活力は減退し、痩土化したのが現在我国の農耕地である。

元来あらゆる作物は土本来の栄養素を吸収して生育さるべく神が造られたもので、これが真理である、

しかるに人造肥料を施すと、作物の機能は変質するのである、すなわち土壌から栄養を吸収する機能が土壌分より肥料の要素が多い結果、

土壌以外である肥料からも栄養を吸収せざるを得ない事になるので栄養吸収性が転移し変質化するのである、

この変質性となった以上、たまたま肥料を減少、または無肥にする場合、作物は栄養失調になるのは当然である、

ゆえに変質性が常態に復するまでに時を要する、その期間、すなわち本来の土のみの栄養を吸収する機能が弱力化のため生育不良を呈する、

それを誤って農民は肥料を施さないから悪いと思い依然として人造肥料に依存し今日に至ったのである、

何よりの証拠は無肥料栽培の幾多の報告に見るも明らかで、無肥料に転化した当座は生育不良にみて明らかである、

しかるにその時を経過するに及び漸次良好となり、収穫時には意外に多量の収穫に驚くのである、

今一つの例は人間における近来流行の麻薬中毒を見れば分る、

中毒に罹った者は麻薬がきれると生きるに堪えない程苦しむのと同様である。



五割の増収は確実
そうして私が長い間幾多の非難を浴び軽蔑の声を耳にしつつ撓(う)まず屈せず無肥料耕作を主唱しつつあった努力がようやく実を結ぶ事になった事で、実に喜びに堪えないのである、

近時年一年無肥耕作者の数を増すと共に作物の方も右と正比例して年々肥毒の軽減もあって、

いよいよ土本来の活力の復活によって、本年のごときは各地とも実に画期的成果を挙ぐるに至ったので、それは別項の報告の通り(省略)である、

これによってこれをみれば、今日までの成績を規準として予想する時、五割増収は確実である、

とすれば本年の米作量六千五百万石とみて、五割増収は九千七百五十万石になるから、現在日本の人口を賄い得てなお余りあるのである、

それについて数ケ月前産児制限について私がこの欄にかいたー「神は人口を養うだけの量は必ず生産されるはずで、もしそうでなければ農耕法に誤りがあるからで、この誤りこそ人造肥料のため」と言った事が、今日実証された訳である、

そうして無肥耕作の成果がいかに素晴しいものであるかは左記のごとき数え切れない程のものがある。

第一肥料代も消毒薬も零となり、右二者の労力も要しない、かつ金肥も消毒薬もそのほとんどは劇毒薬であるから、それを吸収して育った稲を常に食するとすれば、自然人体に悪影響を及ぼさない訳にはゆくまい、

しかも今日大問題とされている寄生虫、特に回虫のごときは野菜による伝播(でんぱ)という事は医学の定説であるにみても、無肥栽培はこの問題も難なく解決されるのである。



化学肥料で虫害増加
そうして今年の産米が、最初の予想より病虫害のため一割減という事で、政府においても二百四十五万石の供米減免を決定したが、これによってみてもいかに虫害の恐るべきかを知るのである、

しかも近年ますます虫害が殖える傾向があるのであるから、実に軽視出来ない問題である、

この原因はもちろん、施肥増加のためである事は、無肥栽培によれば虫害は問題にならない程著減するに見て明らかである、

また年々風水害による被害も馬鹿にならないものがあるがこれも無肥栽培においては、有肥に比し茎折れが非常に少なく、畑作にしても花落が目立って少ないから、この事も見逃せない有利な点である、

今一つ特筆すべき事は無肥のものの美味で、無肥の味を知ったものは、有肥は口に出来なくなる事は異口同音に称讃するところである、また穀物豆類の目方の多い事でこれはコクがあるからである。

以上のごとく驚嘆すべき効果があるによってみても、この家庭菜園が一般に知れ渡るにおいては、日本の農耕は一大革命を起す事は火を見るよりも明らかである。

以上は、専門家を目標に書いたのであるが、近来流行の素人栽培に対しても大なる福音である、

素人が人糞を扱うことのいかに苦痛であるかは誰も知るところで、田園と違い、人家稠密(ちゅうみつ)の間に一坪菜園のごとき臭気の不快から免れるとともに、不潔不衛生からも解放されるとしたらいかに救われるかである、

一家団欒(だんらん)の食膳に美味で、虫害の危険もなく多収穫で、生食でも不安なく食せるという事は、何たる幸福であるかを想像されたいのである。



堆肥を使う自然肥料
ここで注意したい事は吾らがいう「無肥料栽培」という言葉は実をいうとピッタリしないのである、

何となれば堆肥を用いるのだから無肥料ではない、自然肥料というのが本当である、

すなわち人造肥料をやめて自然肥料にする事である。

最後に今一つ言いたい事は、わが無肥料栽培は宗教宣伝に利用するのではない、

それは全く信仰を抜きにしても堆肥または藁を施すのみで五割増収は確実であるから、

農民諸君は一日も早く実行されたい事である、もちろんそれに信仰が加わるとすれば、五割以上の増収は易々(いい)たるものである。」




明主様御教え 「農業の大革命 飯米十割増産は易々たり」 (昭和25年5月20日発行)

「いよいよ、わが国民主食の自給自足時代の来った事を弘く天下に公表せんとするのである、全く驚異的農耕法は遂に完成したのである、

ここにその真相を伝えるべく、本紙特集号を刊行する事となったので、国家のためまことに慶賀に堪えない次第である。

昔はとにかく文化日本となってこの方、農事については各般の施設改良に腐心し官民共に不断の苦心努力を払いつつ来たにかかわらず、

今もって予期の成果を挙げ得られないのはなぜであろうかという事である、

もちろんそれには原因がなくてはならないがその原因こそ従来の農耕法に一大誤謬のある事である、

今その点を明らかにすると共に、真の農耕法を発表し、吾らが永年唱え来った無肥料栽培法とはいかなるものであるかという事で、

今やその理論を実施の結果、正に画期的一大成果を挙げ得た事によって、最早一日の猶予もなり難く、ここに天下に発表し、全国農村に向かって一大奮起を促すと共に、

即時実行に移られん事を念願して止まない次第である。

まずこの革命的農耕法がいかに卓越せるかを左に列記してみる。


(一)金肥人肥は一切使用せず、ただ堆肥のみで足りる事

(二)従って、高価な金肥購入の必要なく、施肥の労力も不用となる事

(三)虫害はほとんど皆無となる、何となれば害虫発生は金人肥が原因であるからである

(四)量目が増し、品質優良美味である事

(五)人肥を使用せざるため、近来大問題とされている、寄生虫の危険なき事

(六)風水害に遭うも草質強靱なるためほとんど被害を受けない事


右のごとく、増産以外の有利なる点も多々あり、実に想像もつかない画期的空前の農耕法である、

この実際を知るにおいて、今日までの農耕法がいかに誤っていたかが判るのである、

吾らからみれば、従来の農耕法は好んで、苦難の途(みち)に迷い込み、喘ぎ苦しみつつあったという事実で、

ここに天の時到って全農民を挙げて光明の道へ誘い幸福者たらしめんとするのである、

国民生活上、最重要なる食糧問題が一挙に解決出来るという本農法の実施が、再建日本の前途にいかに大なる光明をもたらすかは表現の讃辞さえないであろう。


別項、多数に上る実地報告(省略)を一読すれば、何人といえども疑う余地はあるまい、

しかしながら、初めて見る人のために本農法の原理を概略説明の必要もあろうからここにかくのである、

そもそも本農法の原理は、今日まで永い間金肥人肥の毒素によって土壌を殺して来た事に気がつかなかったのである、

それを反対である生かす方法こそ本農法の根本義である、というのは従来の農耕法の大誤謬は、土壌本来の力を無視し、作物は金肥人肥によらなければ充分な成果を挙げ得られないと固く信じて来た事である、

これを判りやすくいえば、近来流行のアドルムやモヒ(モルヒネ)中毒と同様で、人間一度この中毒に罹るや、薬が切れると人間活動が出来なくなる、ちょうどそのように肥料中毒に罹っている土壌は肥料が切れると、土壌の活力発揮が出来ないという訳である。

実例報告にもあるごとく、無肥料実施の第一年目は例外なく、最初の数ケ月間は葉色悪く、茎細く、いかにも貧弱なので、隣人からは嘲罵を浴びせられ、本人も非常に心配するがこれ全く肥毒のためで、土にも種子にも肥毒が充分含まれているからである、

ところが、その後成熟期が近づくに従って漸次好転し初めるのは、肥毒が漸減するからで、漸次土本来の活力を取り戻すからである、

ゆえに一年目より二年目、二年目より三年目というように年を追うて収穫が増すのは、肥毒漸減と正比例するからである、

従って無肥料栽培三年以後ともなれば、最低五割ないし十割の増産は確実である。


我国昨年度の産米六千三百万石であったから五割増産は正に九千四百五十万石となり、現在人口八千二百万人に対し、この上一億くらい増したとしても、実に余裕綽々(しゃくしゃく)たるものがある、

のみならず米以外の雑穀、薩摩芋、馬鈴薯、豆類等、あらゆる物も増産となる以上、食糧問題の危惧は全く解消してしまうのである、

右は最低を規準としての予想であるが、実際は十割ないし二十割の増産は可能であるから、

数年後は食糧大増産に悲鳴を挙げる嘘のような時節が来るとしたら今からその対策を講じおく必要もあるであろう。

しかも、労力は半減する以上、世界的有名な日本農民の労働過重も一挙解決するのみか、肥料代その他の経済的利益も加わる以上、ここに農村の黄金時代は出現し天国は農村からという事も決して痴人の夢ではあるまい。

今一つ言いたい事は、この一大福音を天下に発表するについては、本教の宗教宣伝に用いるように思われやすいが、

そのような意図は毫(ごう)もなくただかくのごとき空前の一大発見を一刻も早く知らしめ、苦悩に喘ぐ農民を救い国家の繁栄に資せんとする以外他意はないのである、

また実例中にある浄霊であるが、これはもちろん大いに効果はあるが、そのような信仰的手段をとらずとも、単なる堆肥のみの栽培で五割以上の収穫は確実である事を付言しておくのである。」




明主様御教え 「家庭菜園と無肥料栽培」 (昭和25年5月20日発行)

「無肥栽培である本農法が、家庭菜園に対してもいかに大なる福音であるかを、概略かいてみるが、家庭菜園はもちろん米麦のごとき、穀類は一切作らず、ほとんど野菜ばかりであるといってもいい、

従って、肥料としては人糞を主とし、塵芥(じんかい)、魚屑、木灰、馬糞、鶏糞等種々雑多なものであるが、特に一番多く用いられるのは、何といっても人糞であろう。

何しろ、百姓の経験のない素人が人糞を扱うのだから、その苦痛は大変である、

しかも施肥後その臭気は相当期間室内に流れ込み、食事の楽しみなども減殺され、常に不愉快極まるのは並大抵ではない、

なるほど、人糞が有効であるなら致し方ないが、実は、人糞がいかに作物に有害であるかは、二、三の例を挙げてみればよく判るのである、

よく素人が歎声を漏らす事は、トマトや豆類等の花落が多く、実りが悪いとか、馬鈴薯の芋つきが少ないとか、全然芋がつかないとか、葉枯れ、茎折れ等は元より、害虫の被害なども常に悩みの種であろう、

ところが、右の原因はことごとく人糞のためであって、それを今日まで知らなかったのである、

しかもその成績不良の場合、肥料不足のためと思い、益々肥料を多くするから逆効果となり、不良はいよいよはなはだしくなるというのが今日の実状である、

それでやむを得ず、専門家に訊くのであるが御承知の通り、専門家も肥料迷信に陥っているから堪らない、

いわくそれは肥料の種類、適量、施肥の季節、酸性土壌に因るため等々、全然的外れの応答をしてお茶を濁すのである、嗚呼、何と驚くべき誤謬ではあるまいか。

ところが、我無肥栽培によれば、何より助かるのは人糞を用いない事であるのみか他の肥料も必要がない、

ただ堆肥だけで充分であるにもかかわらず、その成果たるや素晴しいのである、それをザッと列記してみよう。

(一)前述の通り、不快な人糞を初め、肥料を要しない事

(二)従って、寄生虫病の心配が全然無くなり、清潔で気持のよい事

(三)花落ち、茎折れがなく、強靭であるから栽培しやすい事

(四)害虫発生がないから、消毒費その他の手数も要らず経済的である事

(五)収穫量が非常に多くなるから、狭隘(きょうあい)な場所でも事足りる事

(六)無肥の野菜の美味なる事は驚く程で、もちろん栄養価値も高い事


右のごとく、数え上げればまだまだあるが、要するに、無肥栽培の成果を知るとしたら、いかに生活の楽しみが増すかは恐らく経験者のみが知る特権であろう、

何よりもまず直に実験する事だ、その場合心得ておかなければならない事は、種子も土壌も、相当肥毒を食っているから、肥毒の抜け切るまでは相当期間著しい効果は見られない事である、

といっても野菜の種類によっては、最初の年から良成績を挙げるものもあり、二年目三年目と順次よくなるのであるから、

肥毒が皆無となってからの成績こそ、何人も驚嘆するであろう。」




明主様御教え 「自然農法」 (昭和25年11月20日発行)

「今日、日本人ならみんな知っている事だが日本は今、食糧が足りないと言って、政府も農民も一生懸命になっている。

ヤレ金肥だとか、ヤレ人肥だとか言って、高い肥料を購(か)って、作物ヘブッかけているが、どうも思うように収穫がない。

ヤレ水害だ。ヤレ虫害だと言って苦しんでいる。今年は正に豊作だなんて言って喜んでいるが、

それでたった六千二、三百万石と言うのだから実に情ないではあるまいか、一体全体八千三百万の人口をかかえて六千万石とは丸ッ切り問題にならない。

神様は人間一人の食扶持(くいぶち)は、年一石としてあるんだから八千三百万の人口なら、確実に八千三百万石穫(と)れなければならないはずだ。

だからそれだけ穫れないとしたら、不思議というより外はない。

従って神様に向かって大いに談判してもよかろう。神様は人間をドシドシ増やしておきながら、それだけの食い物を与えてくれないなんてどうしたものか、これでは人間は日乾になるばかりだ。

神様よ吾々の命をどうして呉れるんだ。一体人間を作ったのは誰なんだ。

造物主だか神様だか知らないが、食わなきゃ生きていられないように、作っておきながら、生きるだけの食い物を宛(あて)がわないなんて、あんまり酷すぎるでは御座いませんか、神は愛だなんてよくいうが、それはもはや信じられない。

一体どうして下さるんです、とまあー仮に神様に向かって談判するとすれば神様はこう仰言るだろう。

まずアッハッハーとお笑いになられ、目を開かれて

「オイオイ、お前達人間共よ、何を寝呆けているんじゃ、儂はチャンと食うだけ穫れるように、立派な土というものを拵えてやってあるんだ。

それをどう間違えたものか、お前達は鼻も撮(つま)めない、臭い臭い糞尿などブッかけたり、そうかと思うと硫酸なんていう劇物や、小便粕みたいなアンモニヤなんていう汚いものを有難がってブン撤くじゃないか、

だから土は散々汚されてしまうので、どうする事も出来ないのだよ」。

そこで土が言うには「いくら俺自身が働きたいと思っても、汚され切ってしまったんだから、手も足も出ないじゃないか、

だから人間がこれに気が付かないとすれば、俺は時節の来るまで我慢して碌々(ろくろく)働かないで、

じっと待っているばかりだよ、実に人間くらい馬鹿な奴はないと呆れているんだ。

可哀想だと思っていくら人間が食うだけのものを作ってやりたくも、手足を縛られていては、どうにも働けないのだから、

俺は苦情をいいたいが、人間と違って喋舌(しゃべ)る事が出来ないので困っていたんだ。

ところが今度メシヤのオッさんが大いに同情して、それを人間共に知らしてやると仰言るので、これ幸いとこの通り頼んだんだよ。

だから早く目を醒まして、これからは余計な事をしないで、土をウンと奇麗にして作ってみなさい。

今の倍や三倍はお茶ノコサイサイだよ。また虫が湧いたといい、ヤレ消毒薬などといって変な粉をブン撒くが、これも可笑しいよ。

なるほど虫は死ぬが、その粉が土に浸み込むので、土は弱って反って虫が湧く因になるんだ。

実にこれ程の馬鹿野郎はあるまい」と土はホザクんだから、

「人間共よこれで少しは判っただろうから、今度メシヤの親父によく聞いてみなさい。

しかしこの頃はどうやらボツボツ判った百姓もあるので、儂もやっと胸を撫で下したという訳だよ」とのお言葉である。


このような神様の御託宣であるから、百姓君よ、もういい加減に我を捨て、鼻を折って、親父の言う事をきく事だよ。

そうすれば米なんか今までの倍くらい出来るのは屁の河童(かっぱ)だよ、その上働くのも今までの半分で済むから、まず四倍の徳〔得〕になるという訳だ。

どうです農民諸君、こんな素晴しい自然農法というものが出来たんだから、一日早ければそれだけ徳になるんだよ。

だから素直に言う事を聞くのが、利巧というものだよ。」 (「世界救世教早わかり」より)