食と健康について 3 (粗食)


明主様御教え 「長命の秘訣」 (昭和18年10月5日発行)

「いかなる人といえども、長命をこいねがわざるものはあるまい。

しからば、長命者たらんとするにはいかなる方法が最も効果があるかという事である。

昔から長命の秘訣として食物、飲酒、入浴、性欲等に関係があるとして長寿者の体験談等があるが、いずれも相当の効果はあるには違いないが、

今私が提唱するこの長寿法こそ理論からも実際からも効果百パーセントと思うのである。

従って、私といえども九拾歳を超えたらこの健康法を実行すべく期しているのである。


前項 栄養食において説いたごとく、人体機能には必要な栄養素を製出すべき働きがあるのであるから、その機能の活動を旺盛にする事が最も緊要である。

彼の幼少年時代は、その機能の活動が最も旺盛であるから、盛んに発育するのである。

この理によって、長寿を得んとするには、まず栄養機能を小児のごとく、旺盛にする事であるがそのような事が、

実際上出来得るやというに、私はある程度それが可能を信ずるのである。

それは、いかなる方法であるか・・・というと極端な粗食をすることである。

こんなことをいうと、現代人は驚くであろうが、私の説くところを充分玩味されたいのである。

それは極端な粗食を摂るとすれば、栄養機能は、猛烈な活動をしなければ、必要なだけの栄養が摂れないことになる。

自然、それは、小児の機能のごとき活動力が再発生することになる、言わば、機能の若返りがおこり始めるのである。

機能が若返る以上、全体的に若返えらざるを得ない
訳である。

これについて、二、三の例を挙げてみよう。


昔から仙人という言葉がある。

仙人等というと現代人は一笑に付するであろうが実際は、立派に、存在していたのである。

そうして、日本にも相当居たらしいので文献にも伝っている。

彼の有名な平田篤胤の書いた、寅吉物語や秋葉天狗の事蹟を書いた著書なども素晴しい記録であろう。

又、近代では、瑞景仙人とその弟子である後藤道明氏(この人は現存していると思う)・・・等によっても明かである。

しかし、何といっても仙人の本場は朝鮮であろう。

私はある本で、朝鮮における仙人の修業法を読んだ事がある。

それによれば、仙人の食物は松葉を細末にしたものと、蕎麦粉とを水で練り合わして、饅頭のごとき大きさにしたものを、最初は一日に三つ食うのである。

そうしてそれを何年か続けているうちに、今度は二つにし、ついには一日一個にするのである。

大抵の人は、そこまでは出来るそうであるが、その次が大変である。

それは何であるかというと全然、右の饅頭は勿論、食物は一切摂らず、ただ水だけで生きるのであるが、

これは非常に困難で、ここで大抵の人は落第してしまうそうである。

しかし、稀にはそれが実行出来る人があるので、そういう人が、本当の仙人になるという事である。

昔から仙人は霞を食って生きてるというが、これらを指して言ったのであろう。

そうして仙人の修業が積むに従って、非常に身体が軽くなり、山谷を獣のごとく馳駆し得らるるようになるそうである。


これは、私の体験であるが、私は若い頃、肺患に罹り、これを治す為に三月あまり絶対菜食をしたことがある。

勿論、鰹節も用いなかった。

しかるに菜食によって非常に身体が軽くなり、よく高い所から飛降りたりした事がある。

そうして、高所から下を瞰(み)下しても、不思議に恐怖を感じなかった事を今でも覚えている。

その後、普通食になるに従って、漸次普通状態になったのである。

又 肉食を旺んにした事もあったが、その頃は身体が重く、

又 病気に罹り易かったので、肉を制限してから結果が良くなったのである。


右のごとき体験によって私は想像するのであるが、日本人の戦争に強いのは、勿論 精神力もあるが、

白人よりも菜食が多いので、自然身体が軽く敏捷であるという事も、見逃す事の出来ない一原因であろう。

特に日本の飛行家が白人の追随を許さない優秀さは、右の原因が大いにあると思うのである。

飛行家について、ここで今一つ重要な事柄がある。

それは急降下爆撃であるが、これは白人は日本人ほど思い切った技能を発揮出来ないそうである。

何となれば彼らは、猛烈な急降下をすると、毛穴から血を吹くそうである。

それは全く肉食の為である事はいうまでもない。即ち肉食者は敗血症になるからで、敗血症とは、人も知るごとく血管が破れ易く、又 出血すると、容易に止まらないのである。

ただ今次の戦争において、独逸(ドイツ)の飛行家だけは急降下爆撃を行うが、

これはヒットラー氏が兵隊の糧食を菜食を主にした為で、

独逸が戦争勃発の数年前から、盛んに満州から大豆を大量輪入したというが、それであったという事である。


又 往年彼の旅順の戦において、ステッセル将軍が降服したのは、勿論乃木将軍の攻略が偉効を奏したに因る事は勿論であるが、

当時露軍が長い間の籠城の結果、野菜が欠乏し、敗血症に罹る者が日に増加したという事も降伏を早めたとの事である。

又 日本においては昔から武士が腹を切りかけたり、槍に突かれたりしながら、その刃物を掴んだまゝ、暫くの間物を言うが、そういう事は、白人には絶対出来ないのである。

何となれば白人は負傷すると、出血が容易に止らないが、日本人は出血が止り易いばかりか、刃物に対し、肉が収縮して密着するようになるそうである。

これらは全く菜食と肉食との相違からである。


そうして一体仙人はどの位長命するものか正確には判らないが、仙人の寿命についてある本にあったのであるが、

今まで一番長命のレコードは八百歳で、それは一人であったが、五、六百歳は何人もあったそうである。

従って、二、三百歳は、仙人では早死の方であると書いてあった。

又ある本に神武天皇以前、数万年前からの記録に、やはり二、三百歳から五、六百歳までの高貴の御方の御事蹟が、相当の正確さで書いてあった。

これは、私の想像であるが、日本人の寿齢について、食物が一番関係があると思うのであるが、最古代は勿論、菜食ばかりであったのは事実である。

そうして生物を食い初めたのは貝類からであった事は、我国の各地から発見される貝塚が証明している。

その時代の先住民族は、魚を漁る術を知らなかったので、まず採り易い貝類から食い始めたのであろう。

それが後に漁(すなど)る事を知って、魚食をするようになったのであるが、

それでもその頃は、百歳以上の寿齢は易々(いい)たるものであった。

しかるに、さきに述べたごとく、漢方薬の渡来によって、非常に寿齢は短縮し、明治以後に到って、肉食や西洋薬等によって、いよいよ短命になったばかりか、体位も低下したのである。


それから、古代の日本人が非常に巨大で、勇猛であった事も事実である。

勿論その時代の国土には、猛獣や大蛇が至る所に棲息し、猛威を揮っていたのであろうが、

火薬のない時代に、それらを征服した事によってみても想像されるのである。

史上にある日本武尊が偉大な体格で被在(あらせ)られた事や、大蛇を跨がれた為に、その毒に当り給い薨去(こうきょ)遊ばされたという事にみても、その御勇猛であらせられた事は窺い知らるるのである。

もし現代人であったとしたら、大蛇を跨ぐ所か一見して周章(あわ)てて逃げるであろう事は勿論である。

又 須佐能王尊(すさのをのみこと)が日の河上において八俣の大蛇を退治られその血によって河の水が赤く染まったという伝説なども、古代人のいかに勇猛であったかは想像され得るであろう。」




明主様御教え 「之を何と見る」 (昭和24年7月9日発行)

「さきに栄養の喜劇という論文をかいたが、いまだ言い足りない点があるから追加としてかいてみるが、

私が先年日本アルプスへ登山した時の事である、昼の弁当を食う時、山案内人夫の弁当を見て驚いた、白い飯ばかりで菜(さい)が見えない、

私は「君の弁当は菜がないのか」と訊くと、彼いわく「へイありません、これで結構うまいです」と言う、

私は見兼ねて「何か缶詰か何かの菜を上げようか」と言うと

「それなら砂糖を頂きます」というので、砂糖を若干与えたところ、彼は喜んで飯へかけて食ったのである、

この事実について驚かない現代人は恐らくあるまい、

というのは飯ばかり食っていて毎日十貫以上の荷物を昔負いアルプスの険路を上り下りするのであるから、

栄養学者は何というであろうか聞きたいものである、

なぜならば今日の栄養学においては、重なる栄養は菜にあるように言っているからである。


また今日混食をいいとしているが、これもおかしいと思う、

彼の満州苦力(クーリー)の体力旺盛な点においては世界的に知られている、

ところが彼らは朝昼晩とも高梁(こうりゃん)製のパンのみであるというから極端な単食である、

とすれば現在の栄養学は事実と反対になるという訳で、これも栄養学者の一考を要するところである、


この理由は私から言えばこうである、それは草食の場合、栄養機能の神秘力は必要だけの多種栄養素に変化生産するのである。

次に、栄養の喜劇中にも述べたごとく栄養学で唱える栄養分とは実は反対である、

というのはいわゆる栄養分が多過ぎる結果、体内の栄養生産機能の活動が鈍化するから、体力は衰え早く老衰するのである、

この点に鑑み、私は九十歳を超えたら極端な粗食をなし、長生きをしようと思っている、

という訳は粗食であればある程栄養生産機能は活発な活動をしなければ、生を営むだけの必要栄養分が摂り得ない、栄養機能の活発になる事は、とりも直さず若返る事である、これについ種々の例を挙げてみよう。


私は十七、八歳の頃、肺結核を患い故入沢達吉医博から見放された事があった、

その際死の覚悟をもって私はある事によってヒントを得たる絶対菜食を行ったのである、

ところが意外、病勢一変しメキメキと体力が復活し菜食三ケ月にして病気以前より健康になったのである、

その事あって以来、私は栄養学の全然誤謬である事を知ったのである、

その後、私の血族の肺患二人まで、菜食療法で完全に治癒した事があった、

もちろんその頃は無信仰者であったから、ただ菜食だけで治った事はもちろんである。


昔から、仙人という言葉があるが、これは嘘ではない、全く在った事は、事実である、

これから雑誌「地上天国」において、続き物として出す「寅吉物語」及び「秋葉三尺坊」の記録をみれば、信じない訳にはゆくまい、

また現在生きている、後藤道明氏とその師である瑞慶仙人の記録をみてもうなずき得られるのである。

仙人の本場は、何といっても朝鮮であろう、一体仙人になる修行はどうするのかというと、

食物は松葉を細かく刻み蕎麦粉と練り合わし生のままかなり大きい饅頭にしたものを最初は一日三つ食うのである、

慣れるに従って一日二個となり、ついに一個となるが、それからが大変である、

というのは、何にも食わず水ばかりで生きてゆくのである、

ここで大抵の人は落第するそうであるが、及第すれば真の仙人となるのである、

昔から仙人は霞を食って生きてるというが、満更、嘘ではないのである、

そうしてある本で仙人の年齢をみた事があるが、一番長生きが八百歳、次が六百何十歳、段々下って三百歳くらいはザラにある事がかいてあった、

この人間の寿命について、私は竹内宿禰(すくね)の家系をみた事があるが、

これは確実なもので今も竹内家に保有されているから信をおけるのである、

竹内家で一番の長生きは、三百四十九歳であって、三百、三十歳が二、三人あり、

竹内宿禰の三百六つは、確か四番目が五番目であった、

それが漸次早死となり、徳川末期頃は、大抵百二、三十歳になってしまったが、

明治に入ると更に短くなり、九十歳台、八十歳台になってしまった、最早、今日は普通人と同様である、

右のように段々短命になったという事は何か理由がなくてはならないと思うが、

私の考えでは、こういう事のためではないかと思う、そ

れは、竹内家代々の遺言の中に、石楠花(しゃくなげ)の葉を煎じて服めという事が出ている、

これはもちろん、長生きのためと思ってであろうが、

実はこれが短命の原因になったのではないかと思うのである。


先年、ブルガリヤで死んだ、世界最高の長寿者として有名であった百五十六歳の老爺があったが、これについて面白い話がある、

この長寿者の死去によって非常に歎いた婦人があった、

それは、年は百二十歳という老婆で、何のために悲しんだかというと右の百五十六歳の老爺と若い頃相愛の仲だったそうで、

何かの事情で夫婦になれなかったために今日まで、忘れ得なかったという訳で、歎いた理由が判ったという事である、

そうして百五十六歳の老爺は、死の少し前十一人目の妻君をもらう話があったというのだから、唖然として想像がつかない程である。


次に仙人の話に戻るが、仙人になると非常に身が軽く、山野を獣のごとく馳駆(ちく)するそうであるが、この点私は首肯され得る、

なぜなれば私が、菜食三ケ月の終り頃は、非常に身体が軽く、よく試しに屋根から飛降りたものである、

何しろ高い所へ登っても不思議に恐怖を感じない、

しかも身体が非常に軽く、根気がよくなり、耐久力が増加し、事に当って飽きるという事を知らないくらいで、

全く菜食は非常に良いと判ったがただ一つ欠点ともいうべきは、物質的欲望が非常に薄くなった事である、

その代り怒る事も嫌いになり、すべてに諦めがよく、

いわば無抵抗的性格になるという訳で、全く仙人を想像され得らるるのである。

以上長々と、栄養についていろいろの例を挙げて述べたが、

要するに、栄養は野菜にあるという事で、それを教える目的からこの文をかいたのである。」




明主様御講話 「長生きしたかったら年を取ってからは菜食」 (昭和26年12月23日)

「私の年は、ちょうど今日で満六十九歳です。

十二月生まれだから、数え年にすると七十になるんですがね。

近頃は満になったので、六十代という訳です。

それで、健康の方は年々良くなるんですね。

どういう訳かというと、私は昔・・・若い自分から薬をうんとやったんです。

この・・・薬毒を知るまではほとんど薬づけといったような具合だからね。

それが相当なんですからね。


それで、始終自分で浄霊している為に、年々それが減っていくので、健康を増していくんですね。

そんな訳で、年を取るのが楽しみなようなくらいなんですよ。

決して負け惜しみじゃないんです。

大いに長生きをして、仕事を出来るだけやろうと思ってますがね。

今の予想でいくと百は大丈夫ですね。


それから先は養生法で長生きしようと思ってますがね。

養生法というのは、現代医学から言えば、不養生法になりますね・・・うんと粗食するんですからね。

長生きしたかったら、年を取ってから菜食するに限るんですね。

これは私の本に書いてありますから、良く解っているでしょうけれどもね。

で、また仕事の方も、年を取るにつれて段々増えてきて、

大きくなるんですから、世の中の人から言うと、逆になるんです。

年を取って隠居するとか、楽をするが、私の方は年を取るに従って段々増えていくんです。

そんなような訳でこれからまた、ずっと仕事も大きくなり、面白くもなると思うんです。」




明主様御垂示 「栄養過剰により人間は弱体化する」 (昭和24年5月13日)

信者の質問
「歴史には二百くらいまで永生きしている記録がありますが、あれはなぜでしょうか。」

明主様御垂示
「毒が少ないからですよ。しかし二百と言ってもいまはないですよ、昔のことですよ。

これは嘘か本当か知らないけど、仙人の一番永生きしたレコードは八百歳ですよ。

その次が六百いくつでしたかね、

仙人で二百歳なんて言えば早死にですよ。


仙人は朝鮮が本場で、日本にたくさんいたのはみんな朝鮮の仙人の弟子なんです。

朝鮮にはいまでもいるそうですがね。

なにを食うかって言うと、蕎麦粉と松葉を練り合わせた団子を食っているんです。

そして仙人の修業のときには、最初にその団子を一日に三つ食い、次に二つにし、一つにして最後には水ばかりにするんです。

たいていの人はここでまいってしまうそうですがね。その水だけのところを卒業した人が大仙人になるわけですが、とにかくそういう食物で、永生きするんですよ。


私もだから九十以上になったら絶対粗食にするつもりです。

絶対粗食にすると栄養器官が非常な活動をするんで、ずっと若返るんですよ。

だから年をとるほどいわゆる「栄養」を食わないようにするのがいいんです。

栄養不足だから弱いって言いますがとんでもない間違いですよ。

みんな、栄養過剰だから弱いんです。

いまは田舎のお百姓も蛋白が足りないからどうの、ビタミンが足りないからこうのと言ってますが、あれはあべこべで、

つまりお百姓はあんなに粗食をするからあれだけ労働ができるんです。

肉みたいなものを食べてたらあんなに続きはしませんよ。

登山家でも本当の登山家は一週間前から絶対菜食にするんです。

外国の登山家でもそうなんですよ。

肉や魚を食べて山に登ると息が続かないんです。

菜食が一番人間の栄養なんです。


ですから私はいま美食してますがね、栄養不足になりゃあしないかと心配してるんです。(笑声)

みんな魚や鳥がいいんだと思って、そういった料理ばかり作るもんだから、

「こんな栄養不足のものばかりじゃいけない、もっと栄養のある野菜をつけるように」って始終やかましく言ってるんです。


栄養のことについて今度本に書きますが、いままでの考えとはまるで違うんです。

やれビタミンだなんだって言ってそういうものを摂ると、体が弱ってしょうがないですよ。

完成したものを食うと必ず体が弱るんです。

完成してれば栄養器官が働く必要ありませんからね。

ところが、そういった器官が活動するのが、人間の生きて行く力になるんですから、それが働かずにすめば器官も弱るし体も弱るんです。

実に、なんて言ったらいいか、まあ馬鹿ですよ。(笑声)

これだけでも知らして眼を覚まさなくちゃ、どうにもならないんです。」




明主様御垂示 「現代では栄養過量のため病気になる人が多い」 (昭和25年8月15日発行)

信者の質問
「食糧と健康について、

明主様は御朝食後甘藷を、御就寝前にお茶漬かおしるこをお召し上がりの由うけたまわりましたが、これにはどのような効果がありましょうか。

また病人が野菜を多食いたしますとき、どういう野菜が一番よろしいでしょうか。」


明主様御垂示
「これは、栄養が多過ぎるのを調節するためである。

いまの人は栄養過量のため病気になる人のほうがズッと多い。

副食物のうち、野菜は霊気が強く、肉や魚は体的栄養である。

果物がいけないのは下痢しているときだけである。

栄養の根本は、好きなものを食うのが一番よいのである。

野菜は、日本人には日本の野菜がよい。」




明主様御垂示 「栄養の多すぎるのもいけない」 (昭和25年1月20日発行)

信者の質問
「大先生様(註 明主様のこと)は御朝食後甘薯を、御就寝前におしるこかお茶漬をお召し上がりの由うけたまわりましたが、これはどのような効果があるのでしょうか。」

明主様御垂示
「これは効果ってよりも、・・・つまり、私は栄養を摂りすぎてるから、あっさりしたもので調節するんですよ。

私はかえって栄養過剰ということを心配してるんです。栄養の多すぎるのもいけないんですよ。

栄養の少ないのを食べてれば人間健康ですが、いまの人々は栄養過剰の結果病気になり、さらに栄養を摂ってますます栄養過剰にしてる、だから衰弱してしまうんですよ。」


信者の質問
「そういう食物には栄養が少ないんでしょうか。」

明主様御垂示
「少ないってより、つまり動物性でないから摂るんです。

栄養ってものにも霊的と体的と両方あって、野菜なんか霊的ですが、魚だとか肉だとかいったものは体的な栄養なんです。」


信者の質問
「病人が野菜を多食いたしますとき、どんな野菜が一番よろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「これは、その人が食べたいものを食べたらいいんです。

よく、なになには体に薬だから食べたくないものを我慢して食べるってことがありますが、あんなのはまったく嘘ですよ。

食べたいって欲が起るのは体に必要だから食べたくなるんです。

食べたくないってのは体に必要ではないか、あるいは食べてはいけないんです。

人間の体ってのは実にうまく作られているんですよ。

それなのに人間のほうで間違ったことをやってるんですよ。」


信者の質問
「混食ということはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「やはり好きなものを食べたらいいんですが、原則は両方食うことですね。」


信者の質問
「胃の悪い人でも甘いものを非常に欲しいことがございますが・・・」

明主様御垂示
「ええ、食いたけりゃ食ったらいいですよ。」


信者の質問
「しかし、食べますとあとで具合が悪くなります。」

明主様御垂示
「悪けりゃ加減して食ったらいい。(笑声)やはり程度ですよ、だから程々に自制することですね。」


信者の質問
「重傷のときに果物はいけないと伺いましたが・・・」

明主様御垂示
「そんなこと絶対言いませんよ。・・・

ただ下痢が劇しいときだけはいけませんね。

下痢がふえて体が疲れますからね。

それ以外のときはかまわない、果物だって神様が人間のために作られたんだからごくいいんです。

それからね、子供に餡気はいけないってよく言いますが、これはたいへんな間違いですよ。

以前六つくらいの男の子が来たのでそばにあった羊かんをやったんです。

するとその母親はびっくりして羊かんなんか食べるのは生まれて初めてだって言うんですよ。

子供のほうは喜んでペロペロッと食べちゃいましたがね。

これはね、お医者さんが餡は疫痢の原因になるからって食わせないからですよ。

そしてそれは医学の本に餡なんて書いてないからなんですよ。・・・

ってことは、医学が西洋の直訳で西洋の医学の本にアンコだのミソシルだのはのってないからですよ。(笑声)

だから、その代わりお医者は牛乳だのオートミールだのって西洋の食物を食べろっていうでしょ。・・・

けど、日本の押割麦もオートミールも同じもんですからね。

また、アンコがなぜ悪いかって言うんですよ、小豆を粉にしてよく煮て砂糖を入れて作ったんだから実にいいもんですよ。」


信者の質問
「飴なんかはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「差し支えありませんよ。飴と餡は違うけど、いいですよ。

かえってチョコレートなんかのほうが体に悪いですね。」




明主様御講話 「ソ連が元気な原因」 (昭和27年11月27日)

「そうして結局 ソ連の方はそうとう医学は採り入れているが、贅沢をさせないのです。

食物もまずい物を食わしているから元気がおとろえないのです。

うまい物を食って贅沢をして薬をやっていては弱るばかりなのです。」