食事の方法について


明主様御教え 「食餌の方法」 (昭和10年御執筆)

「食餌の方法などという事は、実に、おかしな話であって、方法もクソもありはしない。

腹が減った時に、箸と茶碗で食えばいいのであるが、

今日、文化が進んだ為に、反って間違った点が多々あるのを以て、本当の食餌法を説くのである。

腹が減るから、飯を食うという事は真実であるが、今は、そうではないのである。

腹が減らないのに我慢して食い、美味い物を不味く食う人が多くなっているのである。

又、食いたい物を食うと言うのなら、当然だが、

食いたいものを我慢して喰わないで、喰いたくないものを我慢して食うという、

不思議な文化人が多くなっているのである。


本当から言えば、三度の食事の時間を決める位、間違った事はないと共に、

又、食餌の分量を決める位間違っている事は、これもないのである。

考えてもみるがいい、千差万別、あらゆる食物が消化さるる時間は、決して一定してはいない。

それぞれみんな違っている。

三時間で消化する物もあれば、五時間以上でなくては消化しないものもある。

それ故、食事から食事までの間隔を一定すれば、腹が減り過ぎる事もあれば、腹が減らな過ぎる事があるのは当然である。

腹が減り過ぎた時は結構であるが、

腹が減らないのに、時間が来た以上食わなきゃならないという事は、

初めに言った、食いたくないのに喰う訳なのである。

それと同じく分量も腹が減れば余計食うし、減らなければ少く食うという事が、最も自然的であり、合理的ではないか。

たとえて言えば、寒いから綿入を着、火鉢にあたるのであって、

暑くなれば、浴衣になり、氷水を飲むのである。

そのごとく、人生何事も一定に決められるものではないので、決めるという事が不可なのである。

今日、医家が言う養生法に、食事の時間を定めて、食事の分量を定めよという事が、いかに間違っておるかは判るであろう。

しかし、そうは言うものの、食事の時間だけは、不規則に出来得ない、勤人のような境遇者は止むを得ないから、

せめて、食事の分量を伸縮するより致し方ないであろう。

しかし、境遇上、出来得る人は、私の説く様にすれば、必ず胃が良くなり、健康が増進する事は保証するのである。


次に、今の人は、食物について、非常に間違っている点がある。

それは、何が薬だとか、何が毒だとか言って、喰いたいと思う物を喰わないで、喰いたくもない不味い物を我慢して喰う傾向がある。

それも、実際に合っていれば未だしもだが、飛んでもない間違った事を行っている。

本来、あらゆる食物は、神が人間を造り、その人間を養う為に、種々の要素を必要とする。

故に、その必要の要素が形を変え、味を変えて、食物になっているのであるから、

何が薬だとか、何が毒だとか、人間が勝手に決められるべきものではないのである。

つまり、その時喰べたいと思う物がその時の必要なる物で、それが、その時その人に、薬になるのである。

ちょうど、喉の乾いた時に、水が飲みたい様なもので、それは、その時水分が欠乏しているからである。

食べたくないとか、不味いとかいう物は、その食物が必要でないからで、

そういう物を我慢して喰えば、毒にこそなれ、決して薬にはならないのである。

であるから、最も理想的食餌法を言うならば、

喰べたい時に、喰べたい食物を、喰べたいだけ喰うのがいいのであるから、少くとも、病人だけはそうしたいものである。


次に、咀嚼(そしゃく)についていわんに、よく噛む程いいという事は世間で言われ、

又、大方の人はそう信じているが、これも間違っているのである。

これについて、私は実験した事がある。

確か拾余年前だったかと思う。アメリカにフレンチャという人があった。

この人が作った、フレッチャーズム喫食法というのがある。

出来るだけよく噛むー形がないまで、ネットリする位まで噛んでから呑み込むという行り方なので、

大分、その当時評判になったものであるが、それを私は、一箇月間、実行してみた。

最初は、非常に具合が良かったのであったが、段々実行してゆく裡(うち)に、胃の方が少し宛、弱ってゆくのが感じられ、

随って、何となく身体に力が薄くなった様な心持がしたので、

これではいけないと、元の食餌法に変えた所が、忽ち力を恢復したのである。

この実験によって、よく咀嚼するという事は、胃を弱める事になり、大変な間違いであるという事を知ったのである。

しからば、どの程度が一番いいかというに、半噛み位が一番いいので、

その実行によって、私は、胃腸は頗る健康であるのである。


食物について一例を挙げれば、私は、夏は、茄子(なす)の香の物と枝豆を特に余計食う。

これは、茄子を喰うと非常に痰が出る。

その理由は、茄子は、体内の掃除をする力があるので、

神は人間に、沢山食わしむべく、この野菜は、沢山生るのである。

枝豆は夏季に限る野菜でこれも夏季多食すべく、与えてあるのである。

又秋は、柿を出来るだけ食するといいのである。

は冷えるというが、これは冷えるのでなくて、体内の洗滌をするので、それが為に、小水の多量排泄となるのである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)




明主様御教え 「食餌の方法と原理」 (昭和11年御執筆)

「今日、食餌の方法として医学で説いている事は、非常に間違っているのである。

その誤りの第一は、食事の時間を決める事である。

第二は、食餌の分量を決める事である。

食物の種類により、消化時間が一定していない事は、営養学者も認めている。

三時間で消化する物もあれば、五時間以上を要する物もある。

それ故に、もし、食事から食事までの間隔を一定すれば、

腹が減り過ぎたり腹が減らな過ぎたりするという、実際に適合しない事になる。

故に、腹が減れば早く食い、腹が減らなければ延すこそ合理的である。

それと同じ意味で、分量も定めないのが本当である。

腹が減れば多く食い、腹が満ちれば少く食うのが合理的であり、それが自然であるから、

その様に調節すれば、胃腸は常に健全である事は言うまでもない。

ちょうど寒いから綿入を着て、火鉢に当るので、暑くなれば浴衣を着、氷水を飲むのと同じ理である。

寒暑に対する調節や、その他の総てに良く調節をしたがる人間が、独り食物のみを調節しないで一定すると言うのは、いかにも不思議である。

これらは全く医学そのものの誤謬が原因である事に気付くであろう。

しかし、境遇上、例えば、時間的労務に服している者は、時間の調節は不可能であるから、

せめて食物の分量だけでも調節するより致方ないであろう。

しかしながら境遇上、可能の人は是非そうしたいのである。


次に、今日の人間は食物について非常に誤った考を抱いている。

それは、何を食べると薬だとか、何を食べると毒だとか言って、

食いたいと思う物も食わず、食いたくないものも我慢して食うという謬りである。

本来あらゆる食物は、造化神が人間を養う為に、種々の物を造られたのであるから、

いかなる食物にも人体に必要な養素が、それぞれ含まれているのである。

そうして、その営養素は、科学や試験管で測定するよりも、もっと簡便な正確な方法がある。

それは、何であるかと言うと、人間自体がその時食べたいと思うその意欲である。

なぜ、意欲が起るか。

それは、その時その食物が肉体に必要だからである。

故に、これ程正確に測定される機械は無い訳である。

ちょうど、喉の渇いた時に水を欲する様なもので、それはその時水分が欠乏しているからである。

故に、食べたくないとか、不味(まずい)とか言うのは、その食物がその時必要でないからで、

それを我慢して食えば、反って毒にこそなれ、薬にはならないのである。

満腹の時、いかに嗜好する物も、食いたくないというのは、今は、食物一切、不要という訳である。

故に、最も理想的食餌法を言うならば、食べたい時、食べたい物を、食べたいだけ食うのが一番良いので、少くとも、病人だけはそうしたいものである。


又、近来病人に対し、芥子(からし)の様な刺戟的の食物を忌むが、これも大変な誤りである。

これも人体に必要あればこそ、神が造られたのであって、辛味、香味などの味覚は、良く食欲を増進させるからである。


又、今日の医学はある病気に対しては塩を制限し、ある病気に対しては糖分を禁止するが、これらも誤っている。

なる程、それによって一時は軽快に赴くが、持続するにおいて逆作用を起し反って身体は衰弱し、病気は悪化するものである。


次に咀嚼(そしゃく)について言わんに、良く噛む程いいという事は世間でも言い、

又、多くの人もそう信じているが、これも間違っている。

これについて私は、実験した事がある。

今から二十年位前であった。アメリカにフレッチャーと言う人があった。

この人が始めたフレッチャーズム喫食法と言うのがある。

それは、出来るだけ能く噛む、ネットリする位まで噛めば良いというので、

その当時大分評判になったものであるが、それを私は一ケ月程実行してみた。

最初は非常に工合が良かったが、段々やっている内に、胃が少し宛弱ってゆくのが感じられ、

それに従(つ)れて何となく、身体に力が薄れたような気持がするので、

これは不可(まず)いと思って、元の食餌法に変えた所が、忽ち力を恢復したので、

この実験によって、良く咀嚼するという事は、胃を弱める結果となり、大変な間違いであるという事を知ったのである。

しからば、どの程度が一番良いかと言うのに、半噛み位が一番良いので、

その実行によって、私の胃腸は爾来頗る健全である。


次に、食物についての概念を知っておく必要がある。

それは、魚でも、野菜でも、多く収れるものは、多く食うべきもので、

少なく採れるものは、少く食うのがいいのである。

例えば、夏季、茄子は非常に多く生る。

又枝豆は、夏季だけのものである。

故に、茄子と枝豆を、夏季は出来るだけ多く食うのが健康上いいのである。

茄子を食うと、痰が沢山出るというのは、体内の汚物を、排除する作用があるからである。

又、秋は、柿を出来るだけ食うべきである。

は冷えるというが、冷えるのではなく、洗滌をする力があるので、それが尿の多量排泄となるからである。

この理によって、特に秋の秋刀魚、松茸、冬の蜜柑、餅等などもよく、春の菜類、筍等もいいのである。


次に、梅干について、特に注意したいのである。

これは病人には絶対に不可(いけ)ないのである。

元来梅干なるものは、昔、戦争の際兵糧に使ったものである。

それは、これを食うと消化が悪いから、少量にして腹が減らないという効果によるからである。

故に、ハイキングなどの弁当用としては、空腹を予防するからいいのであるが、

運動不足である病人にははなはだ不可なのである。

これは、酸味が強過ぎる為、胃の消化に対し、非常に故障となるものである。」 (「新日本医術書」より)




明主様御教え 「消化に就て」 (昭和25年2月18日発行)

「よく医学が、栄養に関する注意に何々が消化が良いから食えというが、これが大変な間違いである、

消化が良過ぎると胃の活動の必要がないから漸次胃は弱化するのである、

したがって消化の良いものを食い、

消化薬を服むとすれば胃はますます鈍化し弛緩する、

それのヒドクなったのが彼の胃下垂であるから、

胃下垂は誤れる医学が作った病気である、

また医学ではよく噛む事を可とするが、

これらも誤りで胃の弱化法でしかない。

ゆえに、食物は消化の良い物も悪い物も巧くとり交ぜて食うべく神が造られたのであるから、

消化不消化など問題にせず、

喰べたい美味い物は何でも喰い、

半噛みくらいにすれば胃の病など絶対起らない事を保証する。」