異食物について
明主様御教え 「異食物に就て」 (昭和18年10月5日発行)
「薬毒の害及び異食物について詳説したが、今一層説かなければならない。
それは人間の消化機能なるものは、人間の食物として自然に与えられたる物以外は、全部消化し終るという事は出来ないようである。
従って薬剤即ち洋薬も漢薬も天与の飲食物ではない。
いわば、非飲食物であり、異物である。
又薬と称し、蛇、蛞蝓(なめくじ)、蚯蚓(みみず)等を呑み、
その他生物の生血を飲む等はいずれも異物であるから、毒素は残存するのである。
又近来カルシウムを補給するとなし、骨を食する事を推奨しているが、
これらも誤りである事はいうまでもない。
あらゆる魚は、身を食うべきが自然で、骨や尾頭等は捨てるべきである。
即ち人間の歯は骨のごときものは噛めないようになっているにみても明かである。
故に、骨その他は猫の食物として自然に定っているのである。
そうして骨の栄養として骨を食い、血液を殖やす為に血液を飲む等の単純なる学理は、一日も早くその誤謬に目覚めん事である。
右について数種の実例を左にかいてみよう。
私は以前、某病院の看護婦長を永年勤めていた婦人から聞いた話であるが、
四十余歳の男子、何らの原因もなしに突然死んだのである。
その死因を疑問として解剖に付したところ、
その者の腸管内に黒色の小粒物が多量堆積しており、
それが死因という事が分ったのである。
それは便秘の為、永年に渉り下剤として服んだその丸薬が堆積したのであって、
それが為、腸閉塞か又は腸の蠕動(ぜんどう)休止の為かと想像されるがとにかく、
死因は下剤の丸薬である事は間違ないのである。
次に、右と同様な原因によって急死した五十歳位の男子があったが、ただ異うのは、
この者は下剤ではなく、胃散のごとき消化薬の連続服用が原因であって、
解剖の結果、胃の底部及び腸管内は、消化薬の堆積はなはだしかったそうである。
次に、私の弟子が治療した胃病患者があった。
それは、胃の下部に小さな数個の塊があって、幾分の不決が常にあった。
しかるに、本療法の施術を受けるや間もなく数回の嘔吐をしたのである。
それと共に右の塊は消失し、不快感は去ったのである。
そうして嘔吐の際、ヌラのごときものが出て、
それが蛞蝓(なめくじ)の臭いがするのである。
その人は十数年以前蛞蝓を数匹呑んだ事があったそうで、
全くその蛞蝓が消化せず残存していたものである。
又、前同様、歌う職業の婦人で、声をよくせんが為、蛞蝓を二匹呑んだそうである。
しかるに、数年を経て胃部の左方に癌のごとき小塊が出来、漸次膨脹するので、入院し手術を受けたところ、
驚くべし一匹の蛞蝓が死んで固結となっており、一匹の方は生きていて、
腹の中で育って非常に大きくなっていたそうである。
右のごとくであるにみて、人間の食物として定まれる以外の異物は消化し難く、
何年も残存して病原となる事は疑ない事実である。
故に、さきに説いたごとく、人間の食物はすべて味わいを含み、楽しく食う事によって全部消化し、健康を保つのである。
しかるにそれを知らずして、不味、臭味等を薬と思い、苦食し、
それが病原となって、苦痛は固より生命までも失うに至っては、
その愚や及ぶべからずと言うべきである。」 (「明日の医術 第1編」より)
明主様御教え 「憐むべき現代人」 (昭和25年1月7日発行)
「今 蜜柑(みかん)が出盛(でさか)っているので大抵な人は喰うであろうが、これについて注意すべき事がある、
それは医学では蜜柑は実よりも皮の方が栄養があるとしている、
すなわち皮にはビタミンのA、B、Cが全部含まれているからといって推奨するのであるが、
これらも実に間違っている、全く学理に捉われた自然無視の謬説(びゅうせつ)である、
何となれば皮は実よりも不味いのは何を物語っているのであろうか、
全く皮は喰う物ではない事を神が示しているのであるから実を食うのが本当だ、
とすれば実に結構な話ではないか、こんな判り切った事まで判らなくなった医学の逆進歩には困ったものである。
また医学が言うところの、魚の骨にはカルシウムがあるから食えというのと同様で、
わざわざ不味くて人間の歯では噛めないようなものを食えというのは人間を猫と同様に扱う訳で、現代人は実に燐れむべきである。」