児童教育について


早期教育の弊害について


明主様御教え 「早期教育の弊」 (昭和24年7月2日発行)

「今日の人間は、智慧が発達して頭脳がわるくなったというと、変な言い方だが、実はこうである、

浅智慧の上っつらの小才のきく人間が多くなって、智慧の深い、ドッシリした人間が少なくなったという意味である、

これは何のためかという事である、これについて私の考察によれば全く早期教育の結果である。


早期教育がなぜわるいかというと頭がある程度発達しない時期に、学問を詰め込む、つまり発育と学問のズレである、

本当からいえば人間は年齢に応じて、頭脳も身体も適度に用いなければならないにかかわらず、

早期教育とは、七、八ッの児童に十五、六歳の頭脳労働をさせるようなもので全く学問過重である。


しからば右の結果はどうなるかというと、これについて一つの例をかいてみよう、

私は小学校時代に柔道を習おうとしたところ、十五歳以下は習ってはいけないという、

それはなぜかと聞くと、十五歳以下で柔道をやると、背丈が止って伸びないというのである、

もちろん労働過重による発育停止のためで、

それと同じように今日の教育をみると、十二、三歳で成人者のやるような事をやらせる事を良いとしておる、

なる程一時は急速に智能が発達するから、良教育のようにみえるが、

実は前述のごとく深さの発育がなく上っつらの智慧ばかり発達した思慮の浅い人間が作られる、という訳である。


事実、日本においても近代政治家などは、重厚な型の大きい人間が段々少なくなった、

以前のような型の大きい重厚な人物は洵(まこと)に寥々(りょうりょう)たる有様であるにみて、

教育に携わる者の大いに考えなくてはならない問題である。」




明主様御講話 「頭脳が完成しないうちに使うと発育が止まる」 (昭和28年3月23日)

「教育の問題にしても、教団の方で学校を作って、実際に見せなければならないことになります。

これはいずれだんだんにやって行きます。

今日の教育は、子供のうちからやりすぎるのです。

ほかのことは別として一言だけ言っておきますが、教育は十二歳からやるのです。

その前にやってはいけないのです。

今の人間は非常に頭が悪いのですが、これは早期教育のためなのです。

というのは、人間はある程度頭の組織ができるのに十二歳くらいまでかかるのです。

それをもっと早く頭を使うと、頭がそこまでできないうちに発育が止まってしまうのです。

ちょうど労働と同じようなもので、労働はやはり青年になって初めてどんな労働でもできるのです。

それを十一か十二の子供に労働させると、発育が止まるのです。


それについて私は前に柔道をやった時に、十五歳以下は柔道をやってはいけないということでした。

それは背の発育が止まるからです。

ですから柔道の先生などは割に背が低いのです。

横は張っているが背は低いのでも分かります。

それはつまり肉体的の発育が止まるのです。

それと同じで、頭脳もあまり完成しないうちに使うと発育が止まるのです。

ですから働きが悪くなるのです。

そういうわけで十二歳まで遊ばしておいて、それからやると非常に覚えが良いのです。

ですから今までよりか倍くらい良くなるのです。

十二歳からで、小学三年、中学三年、大学三年と、それだけやれば充分です。

ところがそういうことを知らないから、早期教育をやるのです。

それこそ今は小学校の生徒などでも、いろいろと難しいことを教え込むのです。

ですからつまり子供を早く大人にしようというやり方です。

今の子供をご覧なさい、以前ならちょうど親父が言うようなことを言ってます。

子供の大人を作っているのです。

早く大人にするのを良いとしているのです。

だからちょっと見るとたいへんませていて良いようだが、肝腎の頭脳の発育を止めてしまうのです。

だから後になって本当に大人になるに従って、言わば耄碌(もうろく)が早くなります。

そういうことがたいへんな間違いです。

そこでそういう教育をするには学校を作らなければならないのです。

ところが今では文部省令にぶつかります・・・。

十二まで遊ばせておくということがたいへんな問題になります。

ですからそういうことをやるにも、メシヤ教なるものは、たとえてみれば自然栽培というこれによって増産になり、

これはたいへんなものだと言って先方で頭を下げるという時代になれば、

教育もこれでなければいけないと言うと、それではこれが本当だろうということになります。それが時期です。」




明主様御講話 「早期教育の弊害について」 (昭和28年3月24日)

「昨日もざっと話をしましたが、教育のことを簡単にお話すれば、メシヤ教でいずれ学校を作るつもりです。

ただその学校のやり方が、世の中でやっているのと違うのです。

根本は年齢ですが、十二から教育させるのです。

それで小学校が三年、中学が三年、大学が三年で、九年で卒業です。

それで十二になってから教育をすると、非常に頭が良いのです。

少なくとも、今までの子供の倍くらいは大丈夫です。

九年で充分覚えられます。

というのは、今は早期教育といって、小さい子供からだんだん教育するのが良いとしてやってますが、

そのために近ごろの子供は、まるで大人のようなことを言ってます。

昔の小学校の子供が青年になった時のようなことを言ってます。

社会科とかいって、社会のこともなかなか良く知っているようです。

われわれはラジオとか新聞で見ますが、小さい子供の言うことが、親父よりもっとませたことを言うのです。

それはちょうどこういうわけです。

子供を早く大人のようにする、大人のレベルにするほど良いと思っているのです。

だからまず、今は子供の大人を作るような教育です。

そうするとこれが頭だから良いようなものの、これを肉体とするとどうかというと、十か十一から重労働をさせるようなもので、そうすると体の発育が止まってしまうのです。

ですから小さくして大人のようになってしまうのです。


これが一番よく分かるのは柔道です。

私もやったことがありますが、十五歳以下はやってはいけないと言われているのです。

ですから柔道の先生は、横は広いが背は割に低いのでも分かります。

そういうようで、頭を酷使することになるから発育が止まるのです。

今の人間は非常に頭が悪いのです。

学校の試験勉強とか、いろんなことで非常に苦しむのです。

頭が良ければあんなに苦しまなくて良いのです。

それは早く頭を使い始めるので、頭の働きが悪くなるからです。

そこで学校の成績も悪くて苦しむのです。

それよりか、十二くらいまではぼやっとして遊ばせておいて、それからやると非常に頭が良くなるのです。

それで頭が良いと短期間でどんどんすみます。

そういうことに気がつかないで目先だけなのです。

ちょうど薬やなにかで病気をなおそうとするのと同じです。

どうも今の文化というものは一時的で、手っ取り早くやるというやり方です。

教育までがそうです。

ですから今の人の頭の働きというものは「上面(うわつら)利巧の芯馬鹿」ということになります。

昔の文化の進まない時は上面はぼんやりして馬鹿ですが、しかし奥深い利巧さがあります。

だから美術品などを見ると、古い物の方がずっと良いです。

今の美術品は悪いというのは、そういうところにもあります。

昔の人は探さがあるのです。」




明主様御講話 「教育は十二歳から」 (昭和28年3月26日)

「この教育については、いずれメシヤ教でも学校を作るつもりです。

ところが文部省令と抵触するのです。

というのは、十二歳から教育をさせるということです。

今までは早く教育をさせるために頭の良い人間が減るのです。

おそらく今の人間くらい頭の悪いのはありません。

その代わり上面はばかに利巧になってしまったのです。

というのは、頭が発育しないうちに使い過ぎるわけです。

まあ頭脳の酷使です。

なにしろ人間、生まれて七つや八つでは、まだ頭ができあがらないのです。

中途半端なのです。

ちょうど十ぐらいの人間に労働させるようなもので、

あんまり子供のうちから労働させると背が伸びなくなるのです。

頭もそれと同じで、頭ができあがらないうちに使ってしまうから、

それで発育が止まってしまうのです。

本当の働きというものができないのです。

ですから十二になってから学校を受けさせて、

小学三年、中学三年、大学三年の九年で卒業できるのです。

それから学問も、今はよけいな学問を半分くらいやってます。

医科大学とかやってますが、それは間違ったことです。

その間違ったことに十年も十五年も無駄な努力をしているわけです。

そういうことはなくなります。

それは今こっちでやっている浄霊ですが、

そういう医学というものは十年もたてば覚えられます。

あなた方はそういうことを規則的に学校教育で教えられなくても、二、三年で分かりますから、実に簡単なものです。

それから法律も今のようなややこしい、第何百何十何条ということもなくなります。

しかし聖徳太子の十七カ条ではあんまり簡単すぎます。

それはあの時代とは時代が違いますから、もう少しよけいになりますが、

今の法律の十分の一くらいですみます。

それから農科大学というものも必要ないのです。

なにもしないで、土に種さえまけば良いのですから、

農科大学ということもなにもいりません。

ですからまず学問の分量からいって、今の半分くらいですみます。

それから経済学もいりませんし、税法というようなややこしいこともいりません。

そうすると半分以上学問は減ります。

ですから九年でも多過ぎるくらいのものです。

そうなったら、学校教育は半日くらいで良いのです。

半日学校に行けば、午後は遊んでいて良いのです。

午後はスポーツをやれば良いのです。

そういうこともだんだんに書きます。」




明主様御講話 「現代人間が馬鹿なのは早期教育が原因」 (昭和28年11月1日)

明主様御垂示
「今年の自然農法は馬鹿に成績が良いです。特に岐阜県が良いです。早くも成績が分かりました。

いつもは佐渡方面が成績が良いのですが、もっとも、はっきり分かるのは春になってからでしょう。」


信者の説明
「昨日見ました所で、まだ稔っていないので、延ばさせるように交渉いたしました」


明主様御垂示
「できるだけ長く置いておくほうがよいです。

稲というものは充分に稔らしたほうが本当なのです。

つまり育つだけは育たせたほうがよいのです。

だから子供でも、教育を早くするのはいけないのです。

今の人間が馬鹿になるのは、学校教育を早くしすぎるためです。

幼稚園などでも、まだ六つか七つですが、それで学校に上げるというのですから、

脳はまだ発達しないのに教育するために、今の人間は上面(うわつら)は利口だが中は馬鹿というわけで、育ってから超愚になってしまうのです。

今の人間は、稲で言えば早稲(わせ)なのです。」




明主様御講義 「光明世界の建設 弥勒の世」 (昭和10年8月25日発行)

「教育も発達する。教育は大学、中学、小学三段となり、三年宛(ずつ)を以て終了して上級へ進むのである。

英、独語等外国語を習う必要がなくなる為、三年宛で良いのである。

小学校も十二歳から入る様になるのだ。

現在のように七八歳で学校へあがると子供の発育が止るのである。

幼年労働者の体躯が発達しないのを見ても、又柔道を子供の時からやっている子供の背丈が延びないのを見ても良く解る。脳力も早くからやらせると智慧が発達しなくなって来る。

人間は霊感が発達しなければいけないが、今の人は霊感がない。

これは早くから教育された為で、霊感のある人は学問のない人に多いので良く解る。

今の上層の人が霊感がない為、何か事が起って来てから対策をするのであるが、これは霊感を持たん為なので誠に情けないものである。

九ケ年にして大学を終るのであるが、これで充分なのであって、日本では外国語は習わんでもよいのである。

日本語が世界共通語になるからである。九ケ年で今の大学の先生よりずっと偉くなる。」 (「観音講座 第五講座」より)




明主様御垂示 「早期教育により頭の発育が停止」

信者の質問
「理想世界建設後、教育の在り方並にその種類等々、御説明下さい。」


明主様御垂示
「教育は十二才からする。早期教育は間違っている。

人間の頭が発育せぬうちにするのは教育の過重である。それでは頭の発育が止る。

十才か十二才の子に、重労働させると、発育が止まる。

柔道は十五才以下では教えない。背が伸びないという。

早期教育は、子供が大人みたいになる。

木でも伸びないうちに柱に使うようなものである。頭の働きが上っ面になる。学問をする人は、割合頭が悪い。

明治時代の大臣と、今の大臣の頭とは違う。明治時代はよく物を見通した。

今は表われたら消すやり方で、その日暮しのようにやる。それで悉く失敗する。

十二才から小学校へ入るようになる。今にそれを発見する時期が来る。」




明主様御垂示 「教育制の将来と現代人の頭脳」 (昭和24年1月27日)

信者の質問
「将来の学校教育の在り方について。」


明主様御垂示
「学校教育はよほど変る。早期教育は極いけない。将来は十二位から教育する事になる。

それまでは遊ばしておく。そして小、中、大学各三年ずつで九年間になる。(近き将来になる)

今、あまり早く教育するので、発育が止る。

表面だけは、発達しているように見えるが、内面は駄目である。(一寸法師みたいなものだ)

柔道は昔十五才以下のものには教えなかった。

今の子供は大人みたいな事を言っている。

今の教育は子供を大人らしくしている。

子供は子供らしくするのが本当である。

種でも早く播いた種はならぬ。適期がある。

(私は枝豆を試してみたが、六月末が一番よくとれた。やはり時期がある)

これと同様、年よりも進んだ教育をさせると、発育が止ってしまう。

政治なども失敗ばかりしている。

今度の選挙なども社会党、民主党が悪すぎたために、民自党が当選した。(民自党が偉いためではない)民主は無理をした。

(右は詰込教育の結果で、今の教育は複雑すぎる)

十二才位になると、頭が発育しているからのみ込が早い。」




明主様御垂示 「早期教育の弊害」 (昭和24年3月23日)

信者の質問
「現代の女性は上級学校への進学や社会進出などのため婚期が遅れがちですが、この点いかがなものでございましょうか。」


明主様御垂示
「この根本はね、学校の年限が長すぎるためなんですよ。私がいまに大いに書きますがね。

また、小学教育はちょっと早すぎます。

あまり頭が発達しないうちに詰め込みますから労働過重じゃなくて学問過重になるんです。

ちょうど子供に成人の労働をさせるようなものですよ。

こんなにすると発育が止まってしまうんです。

つまり、子供に大人と同じようなものを詰め込むから、年齢よりそのほうが勝ってしまって、その結果体のほうがそれに合わせるように早く大人になってしまうんです。

そして発育が止まると頭の活動力が悪くなるんです。

だから例えば幼稚園にやるなんてことをやめてしまって十二歳くらいまでなにもやらせないんですよ、すると頭がそうとう発育しますからね、記憶力などすべてにおいていいんです。

将来は男なら十二歳から始めて小学三年、中学三年、大学三年でたくさんです。

二十一歳で大学を卒業することになりますね。

女のほうは男ほど学問の必要がありませんからね、十八歳くらいで卒業して充分です。

そうすれば婚期が遅れることもなくなるわけです。

女は実際は月経があれば結婚していいんだから、もう子供を産めるんだから、まあ十六、七から二十歳くらいまでに結婚するのが本当ですね。

男も二十から二十五の間に結婚するのがいいんですよ。」




明主様御垂示 「教員の心得」 (昭和24年6月23日)

信者の質問
「私は教員をいたしておりますが、左のことについてお伺い申し上げます。

(一)現在の民主的教育方法

(二)教育者の立場として医学はどのように扱うべきでしょうか。」


明主様御垂示
(一)「戦時中の教育よりいまの教育のほうがずっといいですね。比べものにならないくらいいいです。

以前の教育は、侵略主義によって国民を教育し、国威をさかんにするということを根本として作られたんだから。

いままでの教育は天皇に生命を捧げるとか、日本をよくすることとかにすべての目標をおいていたんです。

今度の新しい教育は、その目標をもっと大きく拡げて、世界の人類の平和や幸福のために・・・ということに目標をおくんですから、こっちのほうが大乗的ですね。」


(二)「これは厄介なんですよ、これはどうとも言えませんね。

本当のことを言えば首になってしまうし、そうかといって嘘を言えば、人間を弱らしたり生命をなくしたりするんですからね。・・・

こういう点で苦しんでいるのは教育者ばかりじゃありませんよ、私が一番苦しんでいるんです。

ですからね、こういうことは適当に、非難されないようにやってたらいいでしょう。

先にもある大学の薬学博士のNって人が、病気が治ってこの道へ入ったんですが、弱ってましたよ。

なぜかって言えば、大学で薬学の講議をするとき、いったいどっちを言ったらいいのか判らないって言ってましたがね。

それから、たいていの教育はね、子供を大人のようにしてしまうんですが、これは間違いですよ。

子供は子供らしくするのが本当ですよ。

だから、子供の年齢に合った教育じゃなくちゃいけないんです。

しかし、こういうことに対して教員が反対したりなんかはできないから、まあ、適当にやるよりほかありませんがね。」




明主様御垂示 「フラナガン神父の死」 (昭和23年7月28日)

「善い事でも間違った事をするといけない。

動機善だがやり方がいけない事がある。

フラナガン神父はドイツで亡くなった。

これは間違った事をしているからである。それでそういう結果になった。

子供は子供らしく教育しなければならぬ。

早期教育は大変な間違いである。

子供を大人と同じようにしようとする。知識が進んでいいようで、年不相応になる。二十五か三十位の知能となる。

二十、三十になると四十、五十位の事を言わなくてはならぬ。

すると間もなく生命はなくなる事になる。

本当は十才過ぎてから学問をさせる。でないと進み方が上側になる。

文化などもそういう事を考え、十二才からするのが本当である。

あまり早くすると、頭脳の方が発達し過ぎる。

十五才以下で労働させると発育が止る。年齢に応じてすべきである。

ただ音楽家は早くした方がよい。小さい中、指の柔かいうちにやった方がよい。

ただ音楽家は皆短命である。シューベルトなど三十幾つである。やはり、早期に頭を使うからであろう。」

(註 エドワード・ジョゼフ・フラナガン(1886-1948)・・・通称フラナガン神父の名で知られる聖職者で、社会事業家。

生まれはアイルランドで、1904年アメリカにやってきて、1919年にアメリカの市民権を取得。

ネブラスカ州オニールの聖パトリック・カトリック教会の助祭で、1912年ネブラスカ州のオマハに少年の町という少年たちの更生自立支援施設を作ったことで知られる社会事業家。

第二次世界大戦後、GHQのダグラス・マッカーサー元帥から戦後日本の戦災孤児、中国大陸や満州からの引き上げ孤児への対策について助言を乞うということで、招聘を受け、1947年に来日、彼の提案でまず長崎、佐賀、福岡で始められたのが「赤い羽根助け合い共同募金」である。

こうした社会事業推進のための世界行脚で、韓国、オーストリア、ドイツなどを回っている。

1965年にネブラスカ州の名誉州民に選ばれる。没後、少年の町の中の礼拝堂の墓地に埋葬された。)




参考 明主様御垂示 「十五歳以下の児童は剣道をしてはならない」 (昭和24年12月5日)

信者の質問
「私事、小学校一年より剣道をやりましたが、三年頃より頭が重くなり、特に額が痛みましたので、現在迄に種々鍼・灸等の治療をやりました。

診断はただ神経衰弱とのみ申されました。

仕事をすると、頭を締め付けられるようになり、吐気を催し、胸苦しくなります。

そして延髄高く、首の付根の骨が少し出ているようでありますが、右病気に関係がありましょうか。

私は九月入信以来近くの教導所で御浄霊を受けておりますが、未だ良くなりません。

しかし、自分が二、三人の患者の御浄霊をさせて戴くと、効果のある事がよく判ります。

いかなる理由でありましょうか。

また、今後いかにしたら自分は良くさせて頂けましょうか。御教え願います。」


明主様御垂示
「十五歳以下では剣道はやってはいけない。

頭を殴られた時、血管が少しずつ切れ、内出血している。

その浄化で熱が出ている。

額が痛いのはこの額を殴られ内出血している。

骨ではない。まるで骨のようになっている。これは柔かになる。

そこへ熱をもって、重かったり締め付けられたりする。」






性教育について


明主様御垂示 「性教育は不要」 (昭和24年1月8日)

信者の質問
「性教育はもっと徹底して子女に教育すべきかと存じますがいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「これは教育しないほうがいいですよ。

いま世間の人々はいろんなことを言ってますが馬鹿げたことです。

そんな必要はありません。

なぜっていままで性教育をしないですんできたのだからいらないでしょう。

性とは本能の働きです。

犬や猫は別に性教育をしなくたってちゃんと知ってますからね。(笑声)

殊に最近は産児制限なんてつまらぬことを言ってますが、こんなことを騒いでいるいまの文化人なんてまったく「憐れなる小羊」です。

産児制限については今度本に書きます。」


信者の質問
「性問題を扱う雑誌も多く、また住宅欠乏のため性問題になにかと悩んでいる父兄も多いのですが、これはいかがいたすべきでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、これはありますね、がしかし、性の問題を起すようなちっぽけな家に住んでるというのはその人が悪いんです。

だからそういうことで悩むのはいい浄化です。大いに苦しんだらいい。」


信者の質問
「子供達がエロ雑誌など読むことはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「親さえしっかりしていれば大丈夫です。

霊線が連なっているのですから。

私のところの子供も勝手に読んでいますよ。

またエロ雑誌だからって全部悪いのではなく役に立つのもあります。

私も若いときはずいぶんそんなのも読みましたよ。(笑声)」




明主様御垂示 「性教育は不要」 (昭和25年4月3日)

信者の質問
「性教育必要の有無についてお伺い申し上げます。」

明主様御垂示
「いけませんね。性教育なんてしたらかえって逆結果になりますよ。

第一ね、性教育をしなけりゃ判らないような人間はありませんよ(爆笑)。

神様がそういうふうに人間をお作りになったんですからね。

ただね、花柳病にならないように説明することはいいですがね。」


信者の質問
「性的に無智ですと早く機能が弱ってしまうように存じますが。」

明主様御垂示
「それは罪によるんです。だから弱るのはあたりまえですよ。

その人が性的な罪を犯してる場合、神様がお与えにならないんです。

不感症ってのがありますがね、あれを治すのはわけないんですよ。

その人に罪があるんだから人を助けて徳を積めばいいんです。」


信者の質問
「射精力の弱いのはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「それは体が弱ってるんですよ。

殊に腎臓をよくやることですね。

それからね、私はこういう問題についても根本的に知ってるけど、公開の席上ではあんまりね(笑声)。・・・

ですからね、本当に自分や周りに判らないことがあったら「特別質問」として出しなさい(笑声)、判るように返事を書いてあげますよ。

そういったことも救いですからね。」






子供のしつけについて


明主様御垂示 「子供に対する愛情について」 (昭和25年2月)

信者の質問
「「総領の甚六」と申しますが、夫婦が年も若く愛情もこまやかなときの子が甚六で、年を取り愛情も落ちついたころの末子によい子ができますのはいかなるわけでしょうか。」

明主様御垂示
「そうじゃないんですよ。

つまり、最初の子が生まれるときは夫婦ともたいていまだ若いから人生の経験も少ないんです。

だから、どっちかって言えば親のほうが甚六なんですよ(笑声)。

そしてだんだん苦労して経験もたくさん積んでからできる末子はいい子になるんです。

それに、最初の子はどうしてもかわいがりすぎますからね、それがいけないんですよ。

ところが、だんだん子供がたくさんできてくると、かわいがることが薄くなるってわけじゃなくても、たくさんいて届かないようになるんですね。

しかし、そういうほうが子供には独立心ができるようになるからいいんですよ。

だから先に新聞に書いたように、偉い人ってのは兄弟が多い中からできるんです。

兄弟が多いために甘やかされないからですね。

要するに独立心ができるんです。

自分で自分を助ける、その信念が強く養われるんです。

一人っ子にはあまり偉いのがありませんね。

だから始終かわいがられる子は偉くなりませんよ。

むしろ愛されないほうがいい。」


信者の質問
「そういたしますと、親はたいへん助かりますが。」

明主様御垂示
「ええ、そうなんですよ。

いままで言われた親の愛情にも間違いがあるんですよ。

例えば、子供が転ぶと日本ではすぐ親が起してやるけど、西洋では自分で起きるように言いますね。

これなんかも西洋のほうが本当の愛情ですよ。」


信者の質問
「では子供には厳格に躾(しつけ)をしたほうがよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、そのほうが本当は愛情が深いんですよ。」


信者の質問
「しかし、親の愛情を知らぬ子供はどうも片意地の所があるように存じますが。」

明主様御垂示
「それはまた極端ですよ。

いくら独立心がいいからって、愛情がぜんぜんなくちゃいけませんよ。

そんなふうだと、子供によっては親の愛を知らない子供になってしまいますからね。

結局ね、「猫かわいがり」がいけないんですよ。

だから兄弟の多い子供が偉くなるって言うんですよ。

愛情にも大乗と小乗とがあるんです。

そして、ただ大事にするっていうのは小乗の愛ですよ。

子供が苦しんでいても、それを見て見ないふりをする、それが大乗なんです。

だから、私だって信者が間違ったことをやってても、ちょっと注意するくらいしかしませんよ。

間違ったことだときっとしくじりますからね。

そのとき自分の頭をあっちこっちへぶつけて苦しみ、そのあげく、

ああ自分のいままでのやり方は間違ってたんだな、と気がつく、それが本当なんです。

そういうのを途中で注意したって駄目ですからね。」




明主様御垂示 「兄弟が多いと磨かれる」 (昭和24年3月13日)

信者の質問
「子供は上の子より末子のほうに優秀な子ができる場合が多いようですが、これはいかなるわけでしょうか。」


明主様御垂示
「子供は親がうつるんです。

長男なんかを産むころに較べると末の子を産むころは親のほうが経験も積んで智慧もついているから、これがうつって利口になるんです。

それからもう一つはどうしても最初できた子供は刺激がないのでボーッとしている。

それで総領の甚六だなんて言われるんです。

日本ではこんな統計は出てないが、西洋では兄弟の多いほど傑出したのができるという統計があります。

それは兄弟が多いと待遇も悪くなったりしてそのためかえって磨かれるんです。」




明主様御垂示 「可愛がられた子供は独立性に欠ける」 (昭和24年6月25日)

信者の質問
「産児調節の身体に及ぼす影響につき御教示下さい。」


明主様御垂示
「産児調節の仕方によって異(ちが)う。

陰陽の霊気交換で非常にいい。

器具を使うと霊気の交流を妨げられ、活気がなくなる。

半分自涜行為的になる。長くやるとよくない。

故に今にやめるようになる。

産児制限すると多産者がなくなる。

優秀な人間は多産者中より出る。多産児は優秀である。

大切にすると偉いのは出来ぬ。

(一人や二人では可愛がられるから独立性に欠ける)

産制すると坊ちゃん嬢ちゃんばかりとなり、その国が衰える事になる。

今、急に子供が殖えたのは、戦争に行っていたのが帰ったためで、夫婦別居したのが暫くぶりで一緒になり、精力旺盛で受胎し易い。

船員や海軍々人など子供が多い。外地引揚者などもそうである。

(今の政府は目先だけに捉われている)」




明主様御垂示 「可愛がられた子供は独立心に欠ける」 (昭和24年6月19日)

信者の質問
「メンデル遺伝の法則は、霊的にいかなる意味があるでしょうか。」


明主様御垂示
「メンデルの法則はあるにはあるが、唯物的解釈で、学者は人間も動物とし、物質的に考えるから間違っている。

兄弟が多いと頭がわるいというが、偉人は兄弟が多い所から生れる。西洋の統計にある。

兄弟が多いと可愛いがられぬ。独立心が起る。それで偉くなる。

故に産児制限などすると偉い人間もなくなる。

一人など可愛がられるから偉い人は出ぬ。

遺伝は一代おきにするようになっており、この点は合っている。

ハンセン病など病気も一代おきである。」




明主様御垂示 「子供に対する叱責の是非」 (昭和26年11月8日)

信者の質問
「小さい子供を育てます場合に、叱るのは良いが、怒るのはいけないということを読みましたが・・・」


明主様御垂示
「差別はないですね。怒るから叱るのでね。怒るのと、叱るのが、別々にするのがいたら変ですよ。

叱るだけのことを子供がすれば、親だって怒りますよ。

書いた人が間違っている。そんなに人間は調法にできませんよ。

おかしいときに笑うなというようなものです。

けれども、ただ適当なように・・・怒るべきときに怒って、叱らなければならないときに叱るのは良いが、

親によっては、屁ひったくらいで怒る者がいる。

人間に・・・むやみに怒る人がある。

どっちに偏ってもいけない。

それが、一つの修業なんです。み魂磨きです。」




参考 明主様御垂示 「愛の表わし方 (淡白の味い)」

信者の質問
「可愛い子供に、可愛くてたまらないような気持で強く抱き締めたり、苦しみを与えるような行為や、自分の使用人でも特に信用している人間に困難な仕事をさせるような、およそ愛の心と反対的な心は、どんな心なのでしょうか。」


明主様御垂示
「これも程で、いくらいい事でも程がある。程度を越してはいけない。

子供が迷惑せぬ程度にしてやめておけばよい。

およそ極端なやり方はいけない。

気候でも寒過ぎても暑すぎてもいけない。

食物でも甘すぎても辛すぎてもいけない。あっさりしたところに味がある。一番飽きないのは白米と水である。

人間でも同じ事である。」






子供の進学について


明主様御垂示 「学問について」 (昭和24年2月18日)

信者の質問
「学校在学中の人がお道に入り、この歴史的な偉大な意義を覚らせていただくにつれて、

(一)現在の学校教育

(二)いままでの「夜の世界」の学問研究などに対しどのような態度を取るべきかということについて悩む人がございますが、この点いかがいたしたらよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「そのうち私はこういうことについて論文を書くつもりですが、現在までの学校教育も学問も間違っているんです。

二、三日前もある人と話をしたんですが、その人が、多くの人を使った場合大学教育を受けた人のほうが役に立たない、

というので、私は、それはね、大学教育というものは既成の学問であり旧式だ、二十年前に大学を出てもいまはずっと世の中が進んでいる、

にもかかわらず二十年前に学んだものを当てはめようとする、だからうまくゆくはずがない。

ちょうど夏になったのに冬の綿入れを着せようとするのと同じです。

学問は既成文化にとらわれているし、また理屈に傾きすぎている。

そんなカビの生えた理屈を現在に当てはめようとするから駄目なんです、と話したんですが、そのとき傍にいた人は中途からいい加減の学問をした人ですが馬鹿に頭がいいんです。

実際あまり小さいときから学問をするのはいけないんですね。

いまの学校教育も既成の理屈で固めすぎる。

だからあまり固めないで社会の発展と調子を合わせなければいけないのです。」


信者の質問
「現在会員になっております一高の学生ですが、学校を止めてお道のお手伝いをさせていただくべきか、大学まで出てからにするか迷っておりますが・・・」

明主様御垂示
「それはもう学校は止めたほうが利口になるでしょうね。

学問を学ぶのも高等学校まで行けばもう充分ですよ。」


信者の質問
「いままでの歴史的な古典などを研究することはいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「ええいいですとも、大いにやったらいいです。古いものもある程度必要ですからね。

これから変わるといっても全部変わるのではなく、古いものからいいのを引き抜くんです。」


信者の質問
「「古きを温(たず)ねて新しきを知る」という態度ならよろしいでしょうか。」

明主様御垂示
「ええ、そうです。研究はいいんですよ。研究はいいのだがそれに溺れてしまってはいけないんです。・・・

いまの政治家の政治が下手なのは腹のある人がないからで、それは、いまの大臣はほとんど大学出、殊に東大です。

で、だんだん人物が小さくなり、理屈だけは知っているがどうにもならない石頭になってるからです。

昔の政治家はあまり学問なんかしなかった。

トルーマンは一九二一年には小間物屋の小売りをやっていたそうですね、デューイのほうは大学を出てますが。

私も以前は小間物屋をやっていたので大いに意を強うしているんです。(笑声)」




明主様御垂示 「学問について」 (昭和25年2月)

信者の質問
「大転換に際し信者の子弟が上級学校に進学いたします場合、その学校選定にはどのようなことを規準にいたすべきでしょうか。」

明主様御垂示
「これはなんでもないですよ、いまはもう軍人になるような学校はなくなりましたからね(笑声)。

だからそのほかの本人が好きなものをやらせたらいいでしょう。」


信者の質問
「学校の科目選択上、近き将来ますますさかんになるべき学問、亡ぶべき学問につきお伺い申し上げます。」

明主様御垂示
「そうですね、これもたいしたことはないでしょうね。

軍事に関係したこと以外はだいたい必要ですからね。

工科だって、理科だって必要ですよ。

ただ、法科は急にはなんだけど、だんだん減ってくるでしょう。

医科は勿論駄目ですね。

だから医科と法科だけはよしたほうがいいでしょう。」


信者の質問
「経済学はいかがでしょうか。」

明主様御垂示
「経済は将来も必要ですけど、多少形は変わるでしょうね。・・・

文学もよほど変わるけど、ぜんぜん変わるなんてことはないでしょう。

いずれこういったことを書きますよ、「二一世紀の文化」についてね。」




明主様御垂示 「外国語の勉強は大いにやるべし」 (昭和25年5月23日)

信者の質問
「この御道の信者が外国語の勉強をすることはいかがでございましょうか。

特に英語が一種の世界語として流通している今日、英語を練習する機会のある信者が英語を会得して置くことは、救世教の世界的発展に備えて有意義なことと思われます。」


明主様御垂示
「無論そうである。大いにやった方がよい。

英語は一番肝腎で、世界語はいずれ新しく出来る。

伝統もあり、頭の良い悪いもある。」




明主様御垂示 「医大在学中入信、卒業の可否」

信者の質問
「小生医科大学四年に籍を置いています。

二十二年十二月入信以来勉学しつつ信仰し始め、漸次学校より脱却し現在では殆ど講義、臨床、外来には出席してない状態です。

間もなく卒業試験も始まり、来春卒業する予定です。

今月五日、父親が私の教導所に来て、転出証明書持参復学し、その間卒業可能な範囲で信仰を続け、卒業の暁献身的に救いの業に邁進するよう奨めるのです。

一時的でも両親を理解安心せしめるため一応復学するように見せ、観音信仰を絶対に続け、時期を見て転換し身心共に晴々とした境地で救の業の御手伝いをする事は、現在における観音信者としていかなる罪悪となるでしょうか。

また霊的に見て私の立場はいかがなるものでしょうか。」


明主様御垂示
「卒業した方がよい。

医大卒業生という肩書があると、人が信用するから将来よい。

父が希望するのであるから、是非そうすべきである。」




明主様御垂示 「女性も大学へは行くべき」 (昭和24年3月13日)

信者の質問
「女子の高等教育はどの程度にいたすべきでしょうか。」


明主様御垂示
「なるべく高等教育を受けたほうがいいですね。

せいぜい女子大くらいまでね。

教育の程度が低いと理解力がなくて困ります。

実際話せる女というのはめったにないですからね。

男も低いが、女はもっと低い。

たいていの人は女子大くらい行くべきです。

ただ、いまの教育はまずくて倍も時間がかかる。

あれをうまくやれば半分ですんでしまうんですがね。

あんなに期間が長くてはいろいろ差し支えが起ります。

男でもインテリでないといけないですね。

インテリでないのは理解力がなくて、話をしてもおもしろくないですね・・・」