健康の真諦は自然尊重 2


明主様御教え 「新日本医術に依る健康法」 (昭和11年5月6日御執筆)

「私が創成した新日本医術に依る健康法とは、いかなるものであるか。

それは解り易く言えば、健康法などという事に無関心である事で、

衛生に注意するとか、健康に合うようにするという、

その事自体が最早、その目的と背馳する事が多いのである。

何となれば、その解釈の基調が、自然と遠ざかるという理由からである。

それは今日までは、人間は病の器と称し、病に罹り易いものであると思い、病によっては容易に治らないとしている。

それによってたてられた衛生であり、健康法である。

しかるに私は、これと反対であって、人は健康の器であり、病などには容易に罹るべきではなく、

又、罹るとしても簡単に治癒さるるという事を前提とするのである。


何故に、今日まで誤っていたかというと、それは、人間を余りに物質視した為である。

すなわち、人間以外の動植物と同一視したる事である。

動植物は人為的方法で、たしかに健康も改良も為し得るが、

独り人間に限ってそうはゆかないのである。

そこに人間としての特異な、高等霊物としての価値があるのである。


しからば、人間に対しては、いかなる健康法が合理的であるかというと、

それは飽くまでも自然的でなくてはならないのである。人為的が不可なのである。

それを具体的に言えば、世界の人種により、国々により、

各々その人間に適すべき食欲や生活が、自然に出来ているのであるから、

それを尊重し、それに従順でなくてはならないのである。

たとえて言えば、西洋医学は西洋人を基本とし、漢方医学は中国人を基本として、創建されたものであり、

日本医学が無いという事は、そういう物的医術は、日本人には必要がないからである。

又、食物にしても、島国である日本は、魚菜が主であるべきが本当である。

海の無い大陸の住民が、獣肉を主としなければならないのと、同じ訳である。

これに気が付けばよいのである。

今日の日本人が、益々多病と不健康になってゆくその最大原因としては、

人間の健康を物的に解決出来得ると信ずる、その誤謬に外ならないのである。

即ちこの理論を、私は拾余年来、幾百幾千の人に実行せしめて、例外なく奏効しているにみて、断じて過りが無いのである。」




明主様御教え 「人間は健康の器」 (昭和25年4月20日発行)

「よく昔から人は病の器などというが、これほど間違った話はない、

吾らはこれを訂正して人は健康の器なりというのである。

前項に述べたごとく元々人間は健康に造られたものであるからである。

ところが実は病なるものは人間に付物で、どうしても解決出来ないのが現実で、

やむを得ず宿命として諦めてしまったのである。

もちろん人間一度病に罹るやなかなか簡単には治らない。

長くかかったり頻繁に病気に罹ったり人によっては健康時よりも罹病時の方が多い事さえある。

それがため病の器としか思えないのでそのような状態が長く続く事によって病の器などという言葉が出来たのであろう。

というのは病気の本体が不明であったからで、

病気も死の運命も免れ得ないとされて来たのは無理からぬ事であった。

彼の釈尊の言われた生病老死の諦めもそのためである。

また今日予防医学という事を言われるが、これらも一度病に犯されるや容易に治し得ないからの窮余の産物としか思えない。

何となればもし医学が治病能力が絶対であるとしたら、予防医学など考えられ得ないからである。


ここで再び本論へ戻るが、前述のごとく病原である反自然とはいかなる点であるかを説明してみるが、

まず人間罹病するや唯一の方法として薬剤を用いるがこれがそもそもの誤謬である。

薬剤とは漢方においては草根木皮、洋方においては鉱物植物等から抽出されるもので、これが根本的反自然である。

考えてもみるがいい。右のごとき薬剤の性質は必ず苦味、臭味、酸味等、例外なく人間の嫌忌される味をもっている。

よく昔から「薬の後の口直し」という事がよく物語っている。

これらの呑み難いのはなぜであろうかを考えるべきで、

神は有毒であるから服んでは不可である事を示されているのである。

彼の苦痛緩和用の麻痺剤としての阿片は罌粟(けし)の花から採るのである。

元来芥子(けし)の花とは神が人間の眼を楽しませる目的で造られたもので決して人間が服むべく造られたものではない。

また近時流行薬の一として用いられるペニシリンにしても、

原料は植物の苔という事であるが、これらも人間が口へ入れるものとして造られたものではない。

石または土に美観を添えるためのものである。

この理によってあらゆる飲食物は人間の嗜好に適するよう造られている以上それを食えばいいので、それが自然である。

よく何が栄養になるとかないとかいうような事などはもちろん誤りである。

食物はすべてその土地の気候風土によって幾分の差異はあるが、

それがその土地に生れた人間に適すべく生産されているのである。

黄色人が米を食い、白色人が麦を食うのもそうであり、

日本が島国であるという事は魚食を多くせよという事で大陸人は肉食である事もそれでいいのである。

この理によって農民の菜食も自然に適っている。

二六時中休みなく労働に堪え得るという事は、菜食が適しているからである。

その理を知らない栄養学は近来農民に魚肉を食わせようとするが、これを行えば農民の労働力は減少するのである。

それに引換え漁民は魚食のため持続的労働は出来ない、間歇(かんけつ)的に労働する。

また魚食は敏感性を高めるので漁業に適するので自然は実によく出来ている。

以上は、薬剤と食物の反自然的誤謬を概略かいたが、特に薬剤がいかに有毒であるにかかわらず、なぜ昔から応用したかという根本原理を漸次説き進めてみよう。」




明主様御教え 「自然を尊重せよ」 (昭和26年8月15日発行)

「医学では、安静を最も重要とされているが、これは前にも述べたごとく大変な間違いである。

ではどうするのが一番いいかというと、何よりも自然である。

自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないよう気儘(きまま)にする事である。

例えば熱があって大儀な時は、寝ろという命令を身体がすると思い、寝ればいいのである。

また寝たくない起きたいと思うのは、起きるべしと命令されたと思い、起きればいいのである。

歩きたければ歩き、駈出したければ駈出し、大きな声で唄いたければ唄うがいい。

というように、何でも心の命ずるままにするのが本当である。

気が向かない、心に満たない事は止すことである。

要するにどこまでも自然である。

これが結核に限らず、いかなる病に対しても同じ事がいえる。


食物も同様で、食べたい物を食べたい時に食べたいだけ食う。

これが最もいいのである。薬はもちろん不可(いけ)ないが、食物としても薬だからとか、滋養になるとかいって、

欲しくないものを我慢して食ったり、欲しいものを我慢して食わなかったりするのも間違っている。

人体に必要なものは食べたい意欲が起ると共に、食べたくないものは食べるなという訳である。

そうして結核に特に悪いのは動物性蛋白である。

少しは差支えないが、なるべく野菜を多く摂る方がよい。

ところが今日の医学は、栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、これが大変な誤りで、必ず衰弱を増すのである。

本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい。

動物性のもののみを食っていれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命にかかわる事さえもある。

それに反して菜食はいくらしても健康にこそなれ、

病気には決して罹らないばかりか、長寿者となるに見ても明らかである。

これについて私の体験をかいてみるが、私は若い頃結核で死の宣告を受けた時、

それまで動物性食餌を多量に摂っていたのを、ある動機でその非を覚り、菜食にしてみたところ、

それからメキメキ恢復に向かったので、医学の間違っている事を知り、

薬も廃めてしまい、三ケ月間絶対菜食を続けたところ、

それで病気はスッカリ治り、病気以前よりも健康体となったのである。

その後他の病気はしたが結核のケの字もなく、六十八歳の今日に到るも矍鑠(かくしゃく)として壮者を凌(しの)ぐものがある。

もしその時それに気が付かなかったとしたら、無論あの世へ旅立っていたに違いないと、今でも思う度にゾッとするのである。

今一つは喀血の場合である。これこそ菜食が最もいい。

以前こういう患者があった。肉食するとその翌日必ず喀血するが、菜食をするとすぐ止まるという、実にハッキリしていた。

これでみても菜食のよい事は間違いないのである。


今一つは、医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、これも間違っている。

それは原理を知らないからで、疲労とはもちろん運動のためで、運動すれば足や腰を活動させるから、

その部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する、微熱が出れば疲労感を催す、それが疲れである。

しかしそれだけ毒素が減るのだから結構なのである。

何よりも運動をさかんに行い、常に疲労を繰返す人は健康であるに見ても判るである。

だから草臥(くたび)れた際足や腰の辺りを触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。


また睡眠不足は、結核には何ら影響はない、むしろいいくらいである。

これは事実によってみればよく判る。

何よりも睡眠不足の階級を見るがいい。

旅館の従業員や花柳界の人達には、結核が最も少ないと医学でも言われている。


これについても説明してみるが、睡眠不足だと起きている時間が長くなるから、

活動の時が多くなり、浄化が余計起るからそれだけ疲れるのである。

ところが逆解的医学である以上、睡眠不足を不可とするのである。

今一つこういう事でも判る。それは普通朝は熱が低く、午後三時か四時頃になると熱が出てくる。

これも右の理と同様で、たとえ寝ていても神経を使うから浄化が起るのである。」 (「結核の革命的療法」より)




明主様御講話 「自然にするのが良い」 (昭和27年8月25日)

「このごろ聞いた話ですが、病気なんかについて私の言うことを間違う点があるのです。

それはこういうことの間違いがあるのです。

私が「人間の健康には無理をした方が良い。無理をしなければ丈夫にならない」ということを前から言っているのですが、

これは健康の人に言っているので、病人に言っているのではないのです。

ところが病人に対して「楽にしてはいけない。無理をしても身体を動かさなければならない」と、こういう人がいるのです。

これはたいへんな間違いです。

結局根本は自然が良いのです。

起きるのは大儀だ、寝ていたい。

というのは、寝ているのが良い
のです。

自然なのですから寝ているようにする。

それから身体に元気が出て、もうじっとしていられない。寝ていられない。

どうしても起きたい、歩きたい。というのは、もうそれで良いのですから、そうすれば良い。

あくまで自然でなければならない。

ですから病人に対して言うことと、健康な人に対して言うこととは、逆なことがたくさんあるのです。

それを一緒にしてしまうのが一番困るので、あくまで自然です。


一番滑稽なのは、昔私がリンゴを食べなかった。

すると「明主様はどうしてリンゴをおあがりにならないのです」と言うから、

私は「リンゴはうまくないからーつゆ気がないからー私は、つゆ気があるものが好きだから」と、

その時分はさかんにミカンを食べたものです。

それがたいへんなことになって「明主様がリンゴをおあがりにならないのは、リンゴは毒だから」と言う、そういうことがあったのです。

随分私は取り消したが、今もってあるのです。

そういうのはまだ良いが、こういう人があるのです。


これは、地方の者ですが「リンゴはよく医者やなにかで薬になると言っている。

だから医者なんかはリンゴを食えと言う。

リンゴが薬になるということをみると、その薬毒の害をこうむる。

薬の気があるというのだから、リンゴを食べれば薬毒の害がある」と言うのです。

そこまで来ては、なんと言って良いか分からない。これも自然に反するのです。


リンゴでも柿でも、神様は人間に食べさせるために作ってあるのですから、

リンゴがいけないとか柿がいけない、なにがいけないということは、たいへんな間違いです。

リンゴというのは、人間が食べるためにできているのです。

つまり味というのがたいへんに必要なものなのです。


ですから農業の方は自然農法と言いますが、医学の方でも健康については、やはり自然が良いのです。

食物も自然、それから運動とか動作というものも自然です。

また熱があったり風邪を引いていろんなことがあっても、立派に仕事ができる、それほど苦痛ではない、という人は仕事をしても良いです。

私は随分風邪引くとか熱があるとかしても、かまわず仕事をしてますーそれほど苦痛ではないから。

それはそれで良いです。そういうふうにあくまで自然です。

それで、起きているのは嫌だ寝ている方が良い、というのは寝て良いのです。

そのことで、医学の方で間違っているのは「起きていてはいけない、絶対安静だ」と言って、フウフウ言って寝ているのです。

私の本にも書いてありますが、ピンピンしているのが、

健康診断で肺に曇りがある、絶対安静でなければならないと言って、

だんだん弱らせて命まで亡くしたという人がありますが、これは反自然だからいけないのです。

そういうわけですから、この点を間違っている人は大いに訂正しなければいけないと思う。」




明主様御講話 「自然に反することがいけない」 (昭和27年8月27日)

明主様御垂示
「病気に対して注意したいことがあるのです。それは、私の言うことを、非常におおげさに考えたりするきらいがよくあるのです。

よく聞く話ですが、例えてみれば私が「人間は無理をした方が健康を増す」ということを言うのですが、これは健康な場合はそうなのです。

つまり無理をしただけーちょうどスポーツマンがレコードを作るようなもので、あれは無理をするのでだんだんレコードが増していくのです。

そこでそれが身について、古橋みたいになるのですが、今度古橋が振るわなかったのは原因があるのです。

やっぱり薬毒なのです。注射をよくやったのです。そのために弱ってしまったのです。

大体、外国に行く場合には、規則的な注射をやりますから、そういうことと、

それからレコードを作るために、非常に、強力剤というような注射をやるのです。

それでだんだん弱ってしまった。

ふつうならあんな馬鹿な話はないです。

医学迷信のためにそういうことになるわけです。


だから健康の場合には大いに無理をした方が良いのです。

ところがそれを病人に対して、そういうことを言う人があるのです。

で、結核なんかとても大儀で、身体がだるくてしょうがないのに「寝ていてはいけない」と無理に動かそうとするが、これがたいへんな間違いです。

そういうことは、やはり自然が良いのです。

自然農法ばかりでなく自然療法です。

そういうふうにしなければいけない。

だから身体が大儀で寝たいという時には、つまり寝ろと身体から命じられるようなものです。

非常に水分が飲みたいという場合なんか、よく医者は止めます。

あなたは水気を飲んではいけない、とー

おまけに赤ん坊なんか下痢やそういった場合に非常に止めますが、

それでかえって赤ん坊が弱って死んでしまうという場合があります。

そういうようで自然に反することがいけないのです。

身体が、起きたくて歩きたい動きたいというのを、絶対安静とかいって、

医学の方でやるような、押さえつけて寝かせておくというのは、非常に悪いのです。

起きたくない時には寝ているし、それからもう寝ていられない、起きたくて歩きたいという時はそうする。

自然にすれば良いのです。

それをどうも極端に考えたがるのですが、これは信者さんばかりでなく、

大体世間の人というのは、そういう人が多いのです。

これは特に日本人はそういう傾向があるのではないかと思うのです。

物事をありのまま見て、ありのまま感じて、ありのまま話をするという人は、まことに少ないものです。


それから私の鉱山をやっている係の者が二人ありますが、その報告を聞くと一方はすべて悲観的に言うのです。

一方は楽観的に言うのです。

それで私はその間をとってやってますが、ああいうことがおかしいのですが、そういった癖がみんなあります。

物事そのものを実際通り言う人は、それは偉いです。

それは意識的にやる人もあるし、無意識的にやる人もあるのですが、一つのそういう癖でしょう。

知らず知らず言ってしまうのです。それから良いことを言うと人が喜びますから、悪いことを言わないで良いことを言う人があるが、あれもいけないです。

それから喜ばせるのが嫌いな人がある。人に心配させるというのもある。」


信者の質問
「明主様お伺い申し上げます。病人が衰弱しております時に、食物は栄養のものを摂らしていただきますことはー」

明主様御垂示
「栄養とはなんですか。」

 
信者の質問
「牛乳とか卵とか与えることはよろしいのでしょうか」

明主様御垂示
「栄養とは野菜です。卵とか牛乳はごく薄いのです。」


信者の質問
「素人考えで、楽に摂れるのではないかと考えましてー」

明主様御垂示
「それも自然なのです。

というのは、長く寝ていて非常に胃腸が弱ってますが、

そういう人は固形物だとちょっと合いませんから、

やっぱり胃腸なんか弱っているから、流動物とかお粥とかやります。

それから下痢の場合には、それに合うようにして良いのですが、それは下痢にもよるのです。

私なんかこの間非常な下痢をしましたが、ふつうのものと同じです。

というのは、下痢の正体が分かったからです。

ここ(後頭部)の毒が溶けて下痢になっているのだから、食物は関係ない。


ただこういう場合に気をつける。

潰瘍です。

始終胃の薬を服んでー胃の薬というのは消化薬で、消化薬は重曹が元ですから、重曹というのは、柔らかくする癖がある。

そうすると胃壁や腸をだんだん柔らかくしてしまうから、

胃の粘膜がちょっと触っても切れるような、そういった習慣になってますから、

固形物がそこにつっかかると、傷をして出血したり痛んだりします。

それから十二指腸潰瘍もそうです。

そういう場合だけです。そういう場合は分かります。出血があります。

吐血するとかー胃潰瘍の吐血ですが、それから便が出るとかするから、

その時は潰瘍ができているのですから、その時はそれに障らないものを食べる。

それから腸チフスは、やっぱり腸の粘膜が柔らかくなるのですから、そこでそれに虫が湧くのです。

そうして穴があくのです。

そうすると、固形物ですと、その穴に入るのです。

そうすると熱が出るのです。

そこで、医学でもそうですが、流動物をやるのです。

しかし浄霊するとじき治ります。

腸チフスは、病院に入院している人はそうはいかないが、なんでもなく治るものです。

病院に入院している人は、腸に穴があいているのが容易に治ってませんから、

流動物です。

だから症状によって、それに合わせる食物を摂ると良い。」


信者の質問
「胃腸の衰弱の場合にも流動物で・・・」

明主様御垂示
「今言ったように、急に固い物をやると無理だから、それは加減してやるというわけです。

それから別に症状がないのは、消化の良い物ばかり食べているから、

弱っている者もありますから、そういうのはお茶漬がかえって良いのです。

だからその見別けは別に難しいことはない。

良く聞いて、これはこれだなということで分かります。

それから食べたいというのは、身体が要求しているのだから、それで良いのです。

よく食べたくないのに、無理しておあがりと言うのは、あれはいけない。

一週間やそこら断食してもなんでもない。

日本での断食のレコードは、三十何日間かです。

どこかの国で断食のレコードを破ったのは、七十何日間です。

これは世界一です。ふつうの人ではそうはいかないが、それでもまず三週間は大丈夫です。

だから成田の不動さんの断食のお籠り堂は、三週間までは良いと許可を得てます。

それまで食べなくても大丈夫です。

食欲のない人・・・病人は衰弱しているから無理でしょうが、

食べたくない人は三週間やそこら食べなくても大丈夫です。」