医学断片集 11


明主様御教え 「看護婦の見た医学と浄霊」 (昭和28年)

「子供の病気の中でも、最も恐れられているのは疫痢であろう。

何しろこの病気は早いのは半日か一日で死ぬ事さえあるからで、私が長い間沢山の例を聞いたところによっても、助かるより死ぬ方がズッと多いとされている。

という訳は、医学は原因も分らず、確実な治療法もないから無理はないが、浄霊は医学とは反対に治り易い病気で、まず二、三日と思えばよかろう。

しかも失敗は極く稀で、ほとんどは助かるので、この子供(省略)も一時は随分心配したにかかわらず、僅かの間に全治したので、

元看護婦をしていた母親は、医学と浄霊との余りの異いさに驚き、ハッキリ分ったと告白している。

従って医療にかかりながら、大事な子供をワヤにしてしまう事の多い今日、この浄霊を知っただけでも子供は健康となり、何ら心配はなくなるとしたら、これだけでも天国家庭となるのはもちろんである。」




明主様御教え 「精神病など何でもない」 (昭和28年)

「この患者(省略)は憂欝症という精神病の一種であって、これを治す療法は世界中一つもない。

本教のみである。これについて知るべき事は、精神病の起る動機は、最初必ず不眠症からであって、不眠が長く続けばまず精神病の前ぶれと思っていい。

ゆえによく眠るようになれば快復期に向かった訳である。

そうしてこの原因は直接はもちろん憑霊だが、間接の原因はヤハリ薬毒である。

薬毒が延髄部に固まると脳貧血、不眠症になるのであるから、この固りを溶かし排泄させる以外方法はないのである。

そうしてこの病気は日本も米国も近頃大いに増えたとの事であるから、一日も早くこれを知らしたいものである。」




明主様御教え 「ノーベル賞的偉効」 (昭和28年)

「子供の病気にも色々あるが、まず一番親泣かせは小児麻痺で、この病気は医学では絶対治らないとされている。

従って入院するとしても、医師は治すためではなく研究材料にするのであるから、患者は金を出してモルモットにされる訳で、気の毒なものである。

ところが驚くべし、左記御蔭話(省略)のごとく最も悪性な小児麻痺が至極順調に治ってゆき、半ケ年にして元通りになったというのであるから大問題である。

もしこれ程の素晴しい効果が医療であったとしたら、それこそ大変な騒ぎで、医師会は全国的に発表、新聞はデカデカにかき、その医師は一躍世界的有名となるであろうし、第二の湯川博士が出来るのはもちろんである。

ところが悲しいかな、宗教なるがゆえにこれ程の事実に対しても、学者も識者も一顧も与えず、葬り去られるに違いないから、全く暗黒無明の世界である。

といって憤慨するには当らない。何となればメシヤの救いである以上、いずれは世界中一遍に分る時が来るのは、断じて間違いはないからである。」




明主様御教え 「嗚呼医学の迷蒙」 (昭和28年)

「この患者の経過(省略)をみると、十一年の長い間医師にかかりながら、いくら薬を浴びる程のんでも悪くなるばかりなので、

ついには自殺の決意までしたというのであるから、その苦しみは察せられる。

また医学の誤謬が私の説といささかも違っていない事で、それを要約してみるとこうである。

(一)診断の出鱈目(でたらめ)な事で、最初の医師は肺病、次の医師は胃病、次の医師は乾性肋膜、次の医師は脚気というのである。

(二)医薬が病気を作る事は、療養中次から次へと余病発生するに見て明らかである。

(三)浄霊を受け始めるや、毎日多量の発汗をみると共に、今までのんだあらゆる薬の匂いが、猛烈に部屋一杯にひろがり、臭くて我慢が出来ないという。

右の事実にみても多くを言う必要はあるまい。

つまり幼稚極まる医学を信じ、今もって看破出来ないがためであって、この犠牲者こそまことに哀れなものであり、現在は医学恐怖時代といってよかろう。」




明主様御教え 「結核に対する医療と浄霊」 (昭和28年)

「この患者の経過(省略)を読めば読む程、医療と浄霊との正反対がよく分る。

すなわち医学は治す力はなく、浄霊は治す力がある異いさである。

ゆえにこの人がもし入院すれば不治となり、不幸な運命は免れ得ないであろう。

ところが倖(しあわ)せにもちょっとした機会で浄霊の味を知ったため、

入院しながらも医療を拒否したので、全快の喜びを得たのである。

これによってみても入院料や手術等に多額の金を費し、結果はマイナスとしたら、実に容易ならぬ世の中ではないか。

これを救う浄霊こそ大いなる神の恵といえよう。」




明主様御教え 「結核は浄霊以外治す方法ない」 (昭和28年)

「この患者の一家(省略)は、結核で三人も死亡し、四人目の三男がまた結核に罹ったところ、全治したのであるから、

もしこの患者も浄霊を知らず、医療のみで治そうとしたら、命のなかった事はもちろんである。

今日このような不幸な家庭は至るところにあり、悲惨な世の中である。

ゆえにもしこの浄霊医術が現われないとしたら、人類の病気はいつになったら解決出来るか、まず見込はあるまい。

あるいは人類滅亡の危機となるやも計り知れないと思う。

それを未然に防ぐ本教こそ、世界救世教の名に愧(は)じまい。

これについて言いたい事は、神が造った人間の生命を、同じレベルである人間が救い得るはずはないではないか。

としたら人間以上の力すなわち神の力でなくては治らないのが当然である。

こんな簡単な理屈さえ分らないところに、現代文明の過誤があるので、それというのも本教のごとき偉大な救いが現われなかったからである。」




明主様御教え 「眼の傷害も此通り」 (昭和28年)

「世間よく過って眼球を傷つけた場合、慌(あわ)てて眼科医へ行くが、仲々治らないもので、巧くいっても普通数ケ月はかかる。

それだけならいいが、その結果往々失明する人さえある。

これについて面白い話がある。それは今から二十数年前、私が民間療法を始めた頃、ある日老年の町医者で、三十年前から学校医をしている人が訪ねて来た。

訊(き)いてみると半年程前入浴中、石鹸水が眼に入り非常な痛みと共に、段々悪くなるので、

幸い息子が某大学病院の眼科医なので、最新のあらゆる療法を試みたが、治らないどころか段々悪くなり、失明の一歩手前にまで来た。

その時私の話を聞き訪ねたとの事である。見るとその通りであったが、数回の浄霊で全治し驚いたのはもちろんである。

数日後礼に来たので、その際聞いて唖然(あぜん)とした事は、家族の者には絶対秘密にしているとの話で、不思議に思い訊いたところ、

いわく「もしこれが知れたら医師会から除名され、学校医は免職され、家族の者にはどんなに怒られるか知れない」というので、私は呆れざるを得なかった。

もっともその頃は今日と違い、社会の空気もそうであったからである。

この事をフト思い出したのでここにかいた訳だが、当時の私はまだ未熟であったにかかわらず、これ程の効果を現わしたにみても、眼病はいかに治りいいかが分るであろう。」(体験談省略)




明主様御教え 「医学の盲点」 (昭和28年)

「これは時々聞く話だが、患者がそこここが何程苦しいといっても、医師は入念に診て悪い所は少しもない、貴方(あなた)の神経のせいだといわれ、患者は取付く島もなく悲観のドン底に叩き込まれる。

しかしよく考えてみると、これははなはだおかしな話ではないか。

なぜなれば、どこも何ともないのに苦しいはずはない訳だ。

これは常識で考えても分る通り、必ずどこかに原因があるに違いないが、医診ではそれが判らないだけの話で、

もし医師が良心的なら自分には判らないと言うべきだが、それでは信用にも関り、職業上工合が悪いから、心ならずもそういうのであろうが、患者こそ可哀想なものである。

しかも原因不明のまま治療するのだから、無責任もはなはだしいと言えよう。

つまり患者は医師の犠牲になる訳である。

このような頼りない医学を進歩したと思い、病気は手後れにならない内、早く診て貰えなどというのは、実は理屈に合わない話ではないか。

これも全く医学が幼稚であるからで止むを得ないが、何にしても命が惜しければ本教に縋(すが)るより外に方法のない事はもちろんである。」(体験談省略)




明主様御教え 「精神病も此通り治る」 (昭和28年)

「近来日本もアメリカも、精神病患者激増で弱っているとの事だ。

特に日本など病院が足りないと悲鳴を上げている。

そんな訳で医学は、精神病は治らないものと決めているが、我浄霊によれば十人の内九人までは必ず治る。

というのはこの病原は体的ではなく、霊的であるからである。

それなら宗教でさえあれば治るかというとそうもゆかない。

というのは、本当に治す力ある宗教はほとんどないからである。

ところが左の報告(省略)のごとく、浄霊で容易に全快したので、この事実は世界肇(はじま)って以来まだ例はないであろう。

とはいうものの、これを知らない人が多い今日、実に情ないと思うが、

これについてはこの栄光紙を数年前から厚生省へも毎号数部ずつ配布しているにかかわらず、今日まで何ら反響のないのをみると、全く不可解である。

この浄霊効果は医学とは桁(けた)外れである事は分るはずだが、右のごとしとすれば全く医学迷信のためである事は否めない。

これにみても私の理想である病なき日本とするには、前途なお遼遠(りょうえん)と思うが、

それは人間の見方であって、万能の神は意想外な手を打ち、一挙に分らせる時の来るのも左程遠くはないと思う。」




明主様御教え 「色眼鏡」 (昭和28年)

「この患者の経過(省略)を見ると、医学の誤りがまことによく現われている。

原因は十七歳の時トゲを刺したので、治そうとして漢方薬を服用したところ、その固結が数十年を経て浄化作用が起ったので、

四人の医師にかかり様々の療法を受けたが、漸次悪化し二進も三進もゆかなくなり、職業まで放棄せざるを得なくなった時、幸い浄霊によって救われたのである。

これによっても分る通り、薬が病気を作り、医療が悪化させる事実が、まことにハッキリしている。

ところが不思議といおうか、医師は常にそれを見ながら気が付かない、というのは、科学の黒眼鏡を掛けているからである。

ゆえに結果において医の仁術が不幸な人を作りつつある訳で、しかも政府はそれを奨励しているのであるから、全く暗(やみ)の世の中である。」




明主様御教え 「皮膚病」 (昭和28年)

「皮膚病に対する医学の治療法が、いかに間違っているかは、この患者の経過(省略)がよく物語っている。

元来皮膚病は体内毒素が溶けて、皮膚から排泄されようとする症状で、それを医療は薬を塗布したりして出さないようにする。

そのため毒素は皮膚下に停滞し、青(あお)ん膨(ぶく)れになったり苦しむのである。

ゆえにいかなる皮膚病でも、放っておけば膿が出るだけ出て、必ず治るのを逆解して治さないようにするのだから、一種の加害的行為といえよう。

私の長い経験によっても最初ちょっとした皮膚病でも、医療を受けながら段々拡がり、手が付けられないようになり、命さえ失う人の事を聞くが、全く可哀想なものである。」




明主様御教え 「盲目的医学」 (昭和28年)

「この患者の症状(省略)からみると、原因は多量の薬毒が首筋から排泄されようとして、その部へ一時的固ったもので、単純な浄化作用である。

それが五人の医師が診断しても原因不明というのであるから、全く病気は浄化作用なる真理を知らないからで、その犠牲にされる患者こそ気の毒なものである。」




明主様御教え 「医療は一時的」 (昭和28年)

「医療は一時的効果を狙ったものである事は、この患者の例(省略)にみても分るであろう。

すなわち医療では治ったと思えば、また悪くなるというように、繰返す事三ケ月に及んでも快くならず、非常に困っていたところ、

近所の女中さんが浄霊して一ケ月で全治させたばかりか、病気前より奇麗になったと喜んでいるのである。

しかもこの女中さんは五日前に教修を受けたばかりで、これほどの患者を見事治したのであるから、それに当った博士等は学位返上してもいいと思う。」




明主様御教え 「眼病は必ず治る 2」 (昭和28年)

「この患者の眼病は、医師から半年かかるか一年かかるか、それ以上かかるか判らないといわれたのが、僅か十日間で全治したのであるから、奇蹟以上であろう。

その際の医師の言にも同様の眼病で七年間も通って今だに治らない人もあるというに徴しても眼病は特に長びくものとされている。

にもかかわらず右のごとく速(すみや)かに治ったのであるから、この事だけでも医学は革命の値打ちがあろう。

またこの一例(省略)だけでもノーベル賞の価値は充分あるであろう。

このような訳で、私は常にどんな盲目でも必ず治ると言明している

もし治らない人があるとしたら、その人は手術をしたか、散々薬毒を注入したからで、そうでないとしたら十人が十人全治する。

ゆえにこの事が一般に知れ亘(わた)ったなら、盲人のない世界が出来るのは当然である。

このように私は肉体の盲目を治すのは訳はないが、治り難いのは心の盲目である。」